野本 一平(のもと いっぺい、1932年7月7日 - 202… 野本 一平(のもと いっぺい、1932年7月7日 - 2021年2月27日)は、日本出身の著述家で、浄土真宗の僧侶、新聞社元社長。本名は乘元恵三。 岩手県前沢(現・奥州市前沢)の寺院に生まれる。 1955年龍谷大学文学部仏教史学科を卒業。武蔵野女子学院中学校・高等学校で社会科教諭を務める。1962年10月に米国仏教70周年記念の訪米僧侶団に加わり、初めて訪米する。翌年5月、リトル・トーキョーの西本願寺別院開教使として渡米し、以後65歳の時に米国仏教団を退職するまで、ロサンゼルスやフレズノの寺院で活動した。 1997年、サンフランシスコの北米毎日新聞社代表取締役社長に就任する(2003年に辞任し、同社顧問となる)。
服部 佳(はっとり けい、1932年7月7日 - 2020年… 服部 佳(はっとり けい、1932年7月7日 - 2020年3月12日)は、東京都出身の脚本家・劇作家。「服部佳子」または「服部ケイ」での制作・執筆した作品もある。 早稲田大学大学院演劇研修科卒業後、ロンドン大学サマースクールで演劇・文学コースを学ぶ。 1955年日活撮影所製作部に入社後、脚本部に在籍。1964年に大映映画「忍びの者・伊賀屋敷」に直居欽哉と共同執筆し脚本家として本格デビューした後、日活を退社後も脚本契約を結んでいたが1968年からはフリーの脚本家としてテレビ・映画で活躍。 1980年からは舞台制作にも携わっており、1990年からは「演劇企画K」を主宰していた。
音羽 美子(おとわ よしこ、1932年7月6日 - )は、日… 音羽 美子(おとわ よしこ、1932年7月6日 - )は、日本の女優、歌手。東京出身。本名:久米 和子、旧姓:小野田。 三輪田学園高等学校卒業。 高校卒業後、歌手を目指す。1953年「魚河岸の石松」でデビューする。挿入歌の「花の命は短いものよ」を歌う。1955年から楠トシエ、桜京美と三人でNHK「お笑い三人組」に出演し人気が出る。 他に映画出演「坊ちゃん天国」「落語天国紳士録」、兄が監督した「俺は都会の山男」「お笑い三人組・泣き虫弱虫かんの虫」「お笑い三人組・怪しい奴にご用心」などに出演した。 現在は芸能界から引退した様子である。
中本 信幸(なかもと のぶゆき、1932年7月6日 - )は… 中本 信幸(なかもと のぶゆき、1932年7月6日 - )は、日本のロシア文学者、演劇評論家、翻訳家、神奈川大学名誉教授。
遠藤 実(えんどう みのる、1932年〈昭和7年〉7月6日 … 遠藤 実(えんどう みのる、1932年〈昭和7年〉7月6日 - 2008年〈平成20年〉12月6日)は、戦後歌謡界を代表する作曲家の一人である。東京府南葛飾郡吾嬬町(後の東京府東京市向島区、現在の東京都墨田区立花)に生まれ、杉並区南荻窪1丁目に居住していた。 作曲家として世に送り出した楽曲は5000曲以上と言われ、舟木一夫、千昌夫、森昌子など多くの歌手を育てた。また、遠藤本人が作詞も併せて行った作品も一部存在する(橋幸夫、千昌夫、山本リンダ、こまどり姉妹、八汐亜矢子、渥美二郎等の楽曲)。 第二次世界大戦時の1943年3月、新潟県西蒲原郡曽根町(現在の新潟市西蒲区)に疎開する。父が新潟刑務所の看守へ配属されることが決まり新潟県西蒲原郡内野町(現在の新潟市西区内野)に引っ越しする。
赤松 瞭(あかまつ りょう、1932年7月5日 - )は、兵… 赤松 瞭(あかまつ りょう、1932年7月5日 - )は、兵庫県淡路島出身の元プロ野球選手(投手)。 洲本実業高校から1951年に大阪タイガースに入団。1956年に大映スターズに移籍するが、プロで勝ち星を挙げることなく同年に引退した。
篠塚 宏三(しのづか こうぞう、1932年7月5日 - )は… 篠塚 宏三(しのづか こうぞう、1932年7月5日 - )は、日本の建築計画・都市計画学者。大阪工業大学工学部建築学科元教授、建築会初代会長・顧問。工学博士(大阪市立大学)。元建築学教室担当。日本図書館協会建築賞第11回選考委員。 専門は、建築計画・都市計画・地域計画(特に住宅、図書館)。 1955年大阪工業大学工学部建築学科卒業。のちに、大阪市立大学(現在の大阪公立大学)大学院にて工学博士。大阪工業大学工学部建築学科助手、講師、1982年助教授などを経て、1996年同学科教授。大阪工業大学建築会初代会長・顧問も務めた。 大阪工業大学建築学科にて約40年の長きに渡り教鞭を執り、大学初期の建築計画・都市計画の研究の推進・育成に貢献した。
新倉 俊一(にいくら しゅんいち、1932年7月5日 - 2… 新倉 俊一(にいくら しゅんいち、1932年7月5日 - 2002年3月7日)は、日本のフランス文学者。位階は従四位。 中世文学専攻。東京大学名誉教授。財団法人日仏会館元常務理事。 横浜市出身。東京大学教養学科フランス科を経て同大学院人文科学研究科仏語仏文学修士課程、同博士課程を了えてから二度のフランス留学し、立教大学、東京大学で教鞭をとり、1980年から82年まではパリ国際大学都市日本館館長を務めた。日本フランス語フランス文学会の渉外委員長、「東京の夏」音楽祭の企画構成責任者となり、留学生試験選考委員や日仏会館理事・評議員を務めるなど、広範な仕事を精力的にこなした。 専門の中世に関する著書は『ヨーロッパ中世人の世界』(筑摩書房、1983年)、『フランス中世断章』(岩波書店、1993年、『中世を旅する』(白水社、1999年)ほかがあり、共著、翻訳も多いが、重要な共同作業の成果として『スタンダード和仏辞典』(大修館、1960年)、『事典・現代のフランス』(大修館、1977年)などの執筆・編集がある。
小出 弘(こいで ひろし、1932年(昭和7年)7月3日 -… 小出 弘(こいで ひろし、1932年(昭和7年)7月3日 - 2013年(平成25年)2月13日)は、日本の政治家。新潟県小千谷市長(2期)。位階は正六位。旭日双光章受章。 新潟県小千谷市出身。新潟県立小千谷高等学校卒。小千谷市役所に入り、市議会事務局長、市選挙管理委員会書記長、総務局長を経て、1989年小千谷市長に当選。1993年は無投票当選。市長を2期務め、1997年に退任した。2006年秋の叙勲で旭日双光章を受章。2013年死去。死没日付をもって叙正六位。
真鍋 博(まなべ ひろし、1932年7月3日 - 2000年… 真鍋 博(まなべ ひろし、1932年7月3日 - 2000年10月31日)は、日本のイラストレーター、アニメーター、エッセイスト。日本SF作家クラブ会員。 愛媛県宇摩郡別子山村(現・新居浜市)にて村の助役の家庭に生まれ、3歳のとき父の住友金属鉱山入社に伴い新居郡中萩村(現・新居浜市)に転居。 愛媛県立新居浜西高等学校を経て、1954年、多摩美術大学油画科卒業後、東京都の教員(地方公務員)として採用され港区立赤坂中学校に美術教師として勤務。多摩美術大学大学院美術研究科修了。 当初は油彩画が活動の中心であった。抽象的で洗練された画風を得意とし、星新一、筒井康隆などのSF小説の挿絵を多く描いた。特に、星新一については名コンビと称され、『悪魔のいる天国』のように、版が変わるごとに新たに多数のイラストを書きおろすようなこともやっている。
青井達也(あおい たつや、1932年(昭和7年)7月3日 -… 青井達也(あおい たつや、1932年(昭和7年)7月3日 - 2009年(平成21年)3月22日)は、日本の元ラグビー選手。
室伏 信助(むろふし しんすけ、1932年7月3日 - 20… 室伏 信助(むろふし しんすけ、1932年7月3日 - 2021年9月30日)は、日本の国文学者。跡見学園女子大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1955年國學院大學文学部文学科卒業。1960年國學院大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1965年跡見学園女子大学専任講師、1971年同助教授、1976年同教授。1993年、跡見学園女子大学名誉教授、東京女子大学文理学部教授。1996年『王朝物語史の研究』で、國學院大学より文学博士の学位を取得、角川源義賞を受賞。2001年、東京女子大学定年退任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
島津 隆子(しまづ たかこ、1932年7月2日 - )は、日… 島津 隆子(しまづ たかこ、1932年7月2日 - )は、日本の作家。 山梨県生まれ。本姓・森。東京都立荻窪高等学校卒。
内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 202… 内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 2021年9月1日)は、日本の経済評論家。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立星陵高等学校、神戸商科大学(現・兵庫県立大学)商経学部卒業。神戸新聞記者を経て、1967年よりフリーとなる。2006年、第16回イーハトーブ賞受賞。2008年、第60回NHK放送文化賞受賞。2021年9月1日午後4時37分、急性心筋梗塞により神奈川県鎌倉市の病院で死去した。89歳没。 読売テレビ制作の「ウェークアップ!」のレギュラーコメンターを務めたほか、「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人や、日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人となった。
安東 伸介(あんどう しんすけ、1932年7月1日 - 20… 安東 伸介(あんどう しんすけ、1932年7月1日 - 2002年4月21日)は、日本のイギリス文学者。 東京出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校卒、1955年慶應義塾大学文学部英文科卒。塾高首席としては珍しく文学部に進学した。西脇順三郎、厨川文夫に学び、1957年同大学院修士課程修了、62-63年福澤基金によりオックスフォード大学留学。1957年同文学部助手、62年専任講師、65年助教授、71年教授。1997年に退職、名誉教授、帝京平成大学教授、山脇学園短期大学教授。中世英文学が専門で、由良君美、高橋康也、浅利慶太と親しかった。死後10年を経て、初の著述集である『ミメーシスの詩学:安東伸介著述集』が出版された。
柏木 惠子(かしわぎ けいこ、1932年7月 - )は、日本… 柏木 惠子(かしわぎ けいこ、1932年7月 - )は、日本の心理学者。東京女子大学名誉教授。千葉県生まれ。 専門は、発達心理学・家族心理学。発達心理学の分野で、歴史人口学・文化人類学・家族社会史など広い知見を背景に、変動する社会と家族・人間の発達を新しい視点でとらえ発達研究の枠を広げている。またジェンダー問題に関する急進的な論客としても知られている。人格心理学・計量行動学者の柏木繁男は夫である。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
柴田 善憲(しばた よしのり、1932年(昭和7年)7月 -… 柴田 善憲(しばた よしのり、1932年(昭和7年)7月 - 2024年(令和6年)8月22日)は、日本の元警察官僚。元警察庁警備局長。富山県出身。東京大学法学部第2類(公法コース)卒。2002年、勲三等旭日中綬章受章。2024年8月22日死去。叙正四位。 現役時代は「公安警察の神様」とまで言われ、後輩の警察キャリアや現場捜査員から尊敬されていた。警察庁退職後に労組内の革マル派対策として1987年に発足直後のJR東日本に請われて幹部となるが、JR東労組への革マル派浸透を否定する情報を後輩の警察首脳部に対して流していた。「マングローブ」の著者の西岡研介によると、「革マル派にスキャンダルを握られた柴田が革マル派に有利になるようにJR東労組への革マル派浸透を否定する虚偽情報を後輩の警察首脳部に対して流していた」「過去のJR革マル派に関する捜査情報が柴田を通じてJR東日本側に流れていた」として「革マル派のガードマンになった」と批判をしている。
喜多 弘(きた ひろし、1932年7月 - 1999年12月… 喜多 弘(きた ひろし、1932年7月 - 1999年12月5日)は、宝塚歌劇団専属の振付家。大阪府堺市出身。 洋菓子製造業者の父のもと、7人兄弟の三男として生まれる。高校卒業後に上京し、緑ヶ丘音楽舞踊学校に入学する。同期生の中には財津一郎、白木万理がいた。在学中に抜群のダンス技術を買われて、当時ショービジネス界では有名なダンスチームであったダン・ヤダ・ダンサーズのメンバー不足を補う応援出演者の一人に選ばれる。 その後、OSK(当時は大阪松竹歌劇団)の振付などを経て、1962年、フリーの振付助手として星組公演『僕は君』の振付を担当した。後に宝塚のベテラン演出家であった白井鐵造に実力を認められ、1967年2月に宝塚歌劇団専属の振付家として招かれる。
鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年… 鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年11月12日)は、日本の経営者。ドラッグストアチェーン、ツルハホールディングス初代社長。北海道上川郡東旭川村(現・旭川市)出身。 北海道上川郡東旭川村で鶴羽薬師堂(旭川市4条)経営者の平民鶴羽勝の次男として生まれる。旧制旭川中学を経て新制旭川東高校、京都大学医学部薬学科を卒業し、父親の強い要望が有り、厚生官僚の道を諦め、家業の鶴羽薬師堂に薬剤師として就職。 1956年父のツルハ薬局創業に伴いツルハ薬局に転籍、1959年より国鉄購買部が一般販売を始めたため家業のツルハ薬局が廃業の危機に陥る。1961年から経営危機の改善のために旭川市内で国鉄、国策パルプの購買以外では初の薬の廉売を始めた。
尾原 昭夫(おばら あきお、1932年6月30日- )は、作… 尾原 昭夫(おばら あきお、1932年6月30日- )は、作詞・作曲家/わらべうた・子どもの文化史研究家。 1932年(昭和7年)島根県簸川郡直江村(現出雲市斐川町直江)生まれ。1958年に島根大学教育学部特設音楽科を卒業(作曲・理論専攻)。上京後、東京都公立小学校・養護学校・盲学校音楽専科教諭として教職のかたわら、日本のわらべうた・民謡の採集・研究を行う。1976年久留島武彦文化賞、1993年毎日出版文化賞特別賞(『日本わらべ歌全集』共著)、1994年田村虎蔵特別賞(鳥取県)。2017年 第41回鳥取県出版文化賞影井賞 1932年(昭和14年)島根県簸川郡直江村立直江小学校入学 。 1945年(昭和20年)島根県簸川郡直江村立直江国民学校卒業、島根県立大社中学校入学 。
伊東 絹子(いとう きぬこ、1932年6月29日 - 202… 伊東 絹子(いとう きぬこ、1932年6月29日 - 2023年2月14日)は、日本のファッションモデル・女優。1953年(昭和28年)のミス・ユニバース・ジャパンで、同年アメリカ合衆国カリフォルニア州のロングビーチで開催された第2回世界大会(ミス・ユニバース1953)では第3位入賞。 ミス・ユニバース世界大会への日本代表としての出場は、前年の小島日女子に続いて二人目であり、伊東は日本人初の入賞者となった。またアジア人としても前年第4位に入賞した香港代表ジュディ・ダンの順位を上回った。伊東は日本におけるファッションモデルの先がけのひとりとも言われ、ミス・ユニバースに入賞した昭和28年には、伊東の体形に因んだ『八頭身美人』が流行語となった。
佐々木 たづ(ささき たず、1932年〈昭和7年〉6月28日… 佐々木 たづ(ささき たず、1932年〈昭和7年〉6月28日 - 1998年〈平成10年〉4月3日)は、日本の児童文学作家。 童話集『白い帽子の丘』で厚生大臣児童福祉文化賞、『ロバータ さあ歩きましょう』で日本エッセイスト・クラブ賞、『わたし日記を書いたの』で野間児童文芸賞推奨作品賞を受賞している。 東京都出身。本名は佐々木多津。 1950年(昭和25年)、東京都立駒場高等学校在学中の18歳のときに突然片目を失明する。手術をするも回復せず、やむなく高校を中退する。その後緑内障と診断され、手術によって眼圧は抑えられたものの、1953年(昭和28年)には両目の視力を完全に失う。失明後は英語と点字とタイプライターを学習し、横浜竹の丸の訓盲院という眼の不自由な子供のための施設で1年間過ごす。
吉原 幸子(よしはら さちこ、1932年6月28日 - 20… 吉原 幸子(よしはら さちこ、1932年6月28日 - 2002年11月28日)は、日本の詩人。 劇団四季で主役を演じたがすぐに退団。詩作に転じ、第一詩集『幼年連祷』(1964年)で室生犀星詩人賞、『オンディーヌ』(1972年)と『昼顔』(1973年)で高見順賞受賞。さめた感性で愛をうたう。「歴程」同人。 東京・四谷生まれ。四人兄妹の末っ子。兄姉の影響で幼い頃から萩原朔太郎や北原白秋の詩に親しむ。東京都立第十高等女学校(のちに東京都立豊島高等学校に改称)時代には演劇・映画に熱中(演劇部の同級生に女優の荻昱子、朗読家の幸田弘子、二年後輩に宝田明がいた)。また国語教師の詩人那珂太郎の奨めで校内文芸誌『果樹園』に詩作「考へ方」「星」ほか3篇を発表した。
高山 晟(たかやま あきら、1932年6月28日 - 199… 高山 晟(たかやま あきら、1932年6月28日 - 1996年1月2日)は、日本の経済学者。南イリノイ大学ヴァンデヴィア経済学冠教授。専門は国際貿易論。 1932年に横浜市に生まれる。1957年に国際基督教大学を卒業する。その後、ロチェスター大学に留学し、1962年にPh.D.を取得する。帰国後、1964年に一橋大学からも博士学位を取得している。その後、国際基督教大学、マンチェスター大学にそれぞれ2年在籍し、パーデュー大学には1966年から1980年までの14年間、テキサスA&M大学には1972年から1982年までの10年間在籍した。その後京都大学で2年間教鞭をとり、1983年に着任した南イリノイ大学が最後の勤務校となった。
青木 次生(あおき つぎお、1932年6月27日 - )は、… 青木 次生(あおき つぎお、1932年6月27日 - )は、日本の英文学者。京都大学名誉教授。 長野県生まれ。1955年信州大学教育学部英語科卒業、フルブライト奨学生としてイェール大学で1956年まで学ぶ。京都女子高等学校教諭、1959年京都大学大学院文学研究科英文科修士課程修了、姫路工業大学講師、1964年京大教養部助教授、1969年文学部助教授、1980年教授、1991年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授、2001年『ヘンリー・ジェイムズ』で文学博士(京都大学)の学位を取得。2005年甲南女子大退職。 ヘンリー・ジェイムズを専門とし、後期三部作を訳した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
清水 敏允(しみず としよし、1932年6月27日 - )は… 清水 敏允(しみず としよし、1932年6月27日 - )は、日本の経営学者、神奈川大学名誉教授。レック株式会社社外取締役監査等委員。 大阪生まれ。1956年上智大学文学部卒、1959年日本能率協会に入る。69年退職。1962年スイスのザンクトガレン大学修士課程で学び、ケルン大学に移り、1970年同経済・社会科学部博士課程修了、博士号取得(1970年2月10日)。獨協大学助教授、教授、福島大学経済学部、同大学院教授、1991年神奈川大学経済学部教授、2003年退任、名誉教授。
石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 20… 石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 2015年9月27日)は、日本のアマチュア野球選手、監督。早稲田大学野球部第9代・第14代監督。 水戸第一高等学校では、エースとして1949年秋季関東大会県予選決勝に進むが、水戸商に惜敗。翌1950年夏の甲子園予選でも北関東大会決勝に進むが、宇都宮工の神田昌男、吉成武雄(いずれものち大洋ホエールズ)のバッテリーに完封を喫し甲子園出場を逸する。 1951年に早稲田大学野球部に進み、東京六大学野球リーグでは在学中3度の優勝を経験。2年生からエースとして剛速球のストレートと大きなカーブを武器に活躍、なかでも早慶戦では6勝を挙げ大活躍した。2年次の1952年は慶應の河合貞雄と春秋にわたって全試合に投げ合いを演じ、春季2位、秋季優勝の記録を残した。
長谷川 清(はせがわ きよし、1932年6月26日 - 20… 長谷川 清(はせがわ きよし、1932年6月26日 - 2017年6月1日)は、日本の政治家、元民主党参議院議員(2期)。 旧朝鮮・釜山生まれ。1952年、大分県立大分工業高等学校卒業。同年東京電力に入社。東京同盟書記長、電電労組委員長、電力労連副会長、電力総連副会長を歴任する。1992年の第16回参議院議員通常選挙で比例区に民社党から立候補して当選。1994年の新進党結党に参加。その後新党友愛を経て民主党に合流。2期務め、2004年の第20回参議院議員通常選挙に立候補せず、引退。 2002年、勲二等瑞宝章受章。 2017年6月1日20時46分、腎不全のため狭山市で死去。84歳没。
石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 20… 石井 連藏(いしい れんぞう、1932年6月26日 - 2015年9月27日)は、日本のアマチュア野球選手、監督。早稲田大学野球部第9代・第14代監督。
藤岡 大拙(ふじおか だいせつ、1932年6月26日- )は… 藤岡 大拙(ふじおか だいせつ、1932年6月26日- )は、地方史学者、島根県立大学短期大学部名誉教授。 島根県簸川郡斐川町(現出雲市)生まれ。1956年京都大学文学部国史学科卒業、1958年同大学院文学研究科修士課程修了。司書。1958年島根県立出雲高等学校教師、1962年島根県立松江南高等学校教師、1977年島根県立図書館資料課長、1984年主査。1985年島根女子短期大学助教授、1988年教授、1996年学長。島根県立大学短期大学部名誉教授。 島根県立八雲立つ風土記の丘所長、島根県文化振興財団理事長、NPO法人出雲学研究所理事長、荒神谷博物館館長、松江歴史館館長などを歴任。2022年、地域文化功労者表彰。
宇井 純(うい じゅん、1932年(昭和7年)6月25日 -… 宇井 純(うい じゅん、1932年(昭和7年)6月25日 - 2006年(平成18年)11月11日)は、日本の環境学者・公害問題研究家。専門は下水道。畜産排水技術の研究開発で実績がある。沖縄大学名誉教授。富田八郎のペンネームで水俣病を告発し、新潟水俣病訴訟や公開自主講座「公害原論」でも活躍した。 東京大学で21年間助手を務めた後、沖縄大学教授、地域研究所初代所長、特任教授を歴任。UNEPグローバル500賞、アジア太平洋環境賞等を受賞。 東京都新宿区出身。大日本帝国陸軍少将の小嶋時久は祖父。「純」の名前は6月(June)生まれに由来する。2歳の時、父が茨城県の女学校に就職したため東京を離れ、以後、父の転勤に従って引っ越しを繰り返した。
荻村 伊智朗(おぎむら いちろう、1932年6月25日 - … 荻村 伊智朗(おぎむら いちろう、1932年6月25日 - 1994年12月4日)は、日本の卓球の元世界チャンピオン、指導者。第3代国際卓球連盟会長、日本卓球協会副会長(1987年 - 1994年)を歴任した。 現役時代は日本代表として世界卓球選手権で男子歴代5位となる計12個の金メダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。引退後は卓球の普及に尽力し、また1971年には「ピンポン外交」の立役者の一人として米中関係の改善に努めた。1987年からは第3代国際卓球連盟会長、日本卓球協会副会長を務め、1991年の世界選手権千葉大会では、南北朝鮮の合同チーム結成に尽力した。1994年12月4日に死去。
久保田 カヨ子(くぼた かよこ、1932年6月25日 - 2… 久保田 カヨ子(くぼた かよこ、1932年6月25日 - 2019年8月27日)は、日本の教育評論家。 大阪府出身。大阪市立東高等学校を卒業。1955年に久保田競と結婚。その後2児の母になり『0歳からの育児法』という教育法も実施し夫の脳科学理論に基づいた本を出版。エチカの鏡〜ココロにキクTV〜に出演。久保田式育児法「AKANON教室」プログラム監修、その他、久保田乳幼児教室「くぼたのうけん」を主宰。 2019年8月27日、呼吸不全により87歳で死去。
福田 陽一郎(ふくだ よういちろう、1932年〈昭和7年〉6… 福田 陽一郎(ふくだ よういちろう、1932年〈昭和7年〉6月25日 - 2010年〈平成22年〉4月11日)は、日本のディレクター、脚本家、作詞家である。伊奈 洸(いな あきら)のペンネームも用いる。妻は女優の稲野和子。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。
岩波哲男(いわなみ てつお、1932年6月25日-2017年… 岩波哲男(いわなみ てつお、1932年6月25日-2017年3月12日)は、日本の哲学者。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学文学部卒業、同大学大学院中退。早大文学部教授。1982年「ヘーゲル宗教哲学の研究 ヘーゲルとキリスト教」で早大文学博士。99年定年退任、名誉教授。
藤井 裕久(ふじい ひろひさ、1932年(昭和7年)6月24… 藤井 裕久(ふじい ひろひさ、1932年(昭和7年)6月24日 - )は、日本の引退した政治家、元大蔵官僚。民主党顧問。
溝口 敏行(みぞぐち としゆき、1932年6月24日 - )… 溝口 敏行(みぞぐち としゆき、1932年6月24日 - )は、日本の経済学者・統計学者。学位は、経済学博士(学位論文「消費関数の統計的研究」)。一橋大学経済研究所長、郵政省郵政研究所所長等を歴任、一橋大学名誉教授。日経・経済図書文化賞受賞。2011年瑞宝中綬章受章。 富山県出身。1955年一橋大学経済学部卒業。1964年同大学大学院経済学研究科理論経済学修了、「消費関数の統計的研究」で経済学博士の学位を取得。森田優三ゼミ出身。一橋大学経済研究所助教授、教授、所長。1996年定年退官し、名誉教授、広島経済大学教授。2008年退任し、名誉教授。郵政省郵政研究所所長や、郵政省郵政審議会保険部会部会長、総務省物価指数研究会座長等を歴任。
萩原 晴二(はぎわら せいじ、1932年6月23日 - 20… 萩原 晴二(はぎわら せいじ、1932年6月23日 - 2000年2月24日)は、日本の経営者。横浜ゴム社長、会長を務めた。東京都出身。 1949年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に橫濱護謨製造(のちの横浜ゴム)に入社。1985年に取締役に就任し、1989年に常務を経て、1993年3月に社長に就任。1999年4月に会長に就任。 1998年に藍綬褒章を受章。 2000年2月24日、心不全のために死去。67歳没。
拝藤 聖雄(はいどう まさお、1932年6月22日 - 20… 拝藤 聖雄(はいどう まさお、1932年6月22日 - 2011年7月21日)は、鳥取県境港市出身で、近鉄パールスに在籍した元プロ野球選手(投手)である。 実弟の拝藤宣雄(‐のりお)も、元プロ野球選手(広島カープに在籍した)。 境高では、1949年秋季中国大会準決勝に進むが米子東高に敗退。翌1950年夏の甲子園予選東中国大会でも準決勝に進出するが、またも米子東高に敗退し甲子園出場を逸する。米子鉄道管理局を経て、1952年に近鉄パールスへ入団。 1956年3月24日の東映フライヤーズ戦でプロ初勝利を記録した。同年は主に中継ぎとして18試合に登板。しかし公式戦ではその1勝のみで、同年オフに24歳にして現役を引退。
辻 惟雄(つじ のぶお、1932年6月22日 - )は、日本… 辻 惟雄(つじ のぶお、1932年6月22日 - )は、日本の美術史学者。専門は日本美術史。東京大学名誉教授、多摩美術大学名誉教授。
鈴木 静夫(すずき しずお、1932年6月22日 - 199… 鈴木 静夫(すずき しずお、1932年6月22日 - 1994年3月15日)は、日本の理化学・水質学者、登山家。 群馬県出身。東京教育大学理学部卒、同大学院に学び、1960年「湖沼における水生菌類の生態学的研究」で東京教育大学・理学博士。東京理科大学薬学部微生物化学教室助教授、1974年教授。
中西 章一(なかにし しょういち、1932年〈昭和7年〉6月… 中西 章一(なかにし しょういち、1932年〈昭和7年〉6月21日 - 2005年〈平成17年〉8月18日)は、日本の北海道を拠点に活動したエッセイスト、ラジオパーソナリティ。 北海道出身。北海道大学総長を務めた丹保憲仁は札幌師範附属小学校(現・北海道教育大学附属小学校)1年からの幼馴染。 旧制北海道庁立第一中学校(現・札幌南高校)在学中に新制高校への移行を経験し、新制札幌北高校を経て、中央大学法学部を卒業。北海道帯広農業高等学校教諭、ホテル三愛(現・札幌パークホテル)勤務を経て、家業である「中西印刷」の社長に就任 。1986年に相談役に就任と同時に、STVラジオ「ジャーナル談話室」に出演を開始。
諸星 澄子(もろほし すみこ、1932年〈昭和7年〉6月21… 諸星 澄子(もろほし すみこ、1932年〈昭和7年〉6月21日 - 1990年代没)は、日本の小説家。 神奈川県平塚市生まれ。本名は加藤澄子。慶應義塾大学経済学部卒。夫は作家の加藤善也。1964年『小説と詩と評論』掲載の「電気計算機のセールスマン等」で直木賞候補。1966年『虫係一件』が第2回作家賞を受賞(候補との資料もある)。 1974年に『蔵王絶唱』が監督山本邦彦、主演高橋洋子で映画化された。 主にジュニアノベル作家として活動。1970年代後半以降は外国文学の再話、推理小説や官能小説も著した。 2000年出版の藤田ミラノの画集『あしたの少女たち〜抒情画家、藤田ミラノの世界』おいて、その時点で既に故人となっている。
勝目 梓(かつめ あずさ、男性、1932年6月20日 - )… 勝目 梓(かつめ あずさ、男性、1932年6月20日 - )は、日本の小説家、エッセイスト、俳人。 東京生まれ。鹿児島県立伊集院高等学校中退。
高木 敏子(たかぎ としこ、1932年(昭和7年)6月19日… 高木 敏子(たかぎ としこ、1932年(昭和7年)6月19日 - )は、日本の童話作家。 東京府東京市本所区(現:東京都墨田区)生まれ。戦前はガラス工芸品製造工場を営む家庭に育つ。文化学院卒業。旧姓江井。2012年現在は千葉県千葉市美浜区在住。 焼け跡世代の一員として自身の幼少時(小学6年生)の戦時体験を綴った処女作「ガラスのうさぎ」で、1978年に厚生省児童福祉文化奨励賞(現在は一般財団法人児童健全育成推進財団の主宰する児童福祉文化賞になっている)、1979年に 日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。2005年エイボン女性大賞を受賞。 「ガラスのうさぎ」は、戦争を知らない子ども達に、平和と命の尊さを知ってほしいという願いから刊行され、発刊以来、ロングセラーを続け、旧版、新版、文庫版あわせて今日まで220万部を超えるベストセラーとして多くの人々の間で読み継がれている。
一ノ瀬 綾(いちのせ あや、1932年6月19日 - 202… 一ノ瀬 綾(いちのせ あや、1932年6月19日 - 2025年2月17日)は、日本の作家。本名は掛川たつよ。 長野県小県郡武石村(現上田市)出身。上田高等女学校卒業後、農業に従事ののち上京。 1968年「春の終り」で農民文学賞、1975年「黄の花」で田村俊子賞受賞。
山内祥史(やまのうち しょうし、1932年6月19日 - 2… 山内祥史(やまのうち しょうし、1932年6月19日 - 2017年4月3日 )は、日本の近代文学研究者。専門は太宰治の書誌研究。 元神戸女学院大学学長、神戸海星女子学院大学学長。神戸女学院大学・神戸海星女子学院大学名誉教授。 香川県三豊郡(現在の観音寺市)出身。香川県立観音寺第一高等学校、関西学院大学文学部日本文学科卒業。関西学院大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程単位修得退学。 1961(昭和36)年4月樟蔭中学校・高等学校に国語教師として着任、1964(昭和39)年4月神戸女学院中学部・高等学部に転任し、1972(昭和47)年4月神戸女学院大学文学部総合文化学科助教授、以後1998(平成10)年3月まで、教授、文学部長、評議員、理事、学長を務めた。
久保田 競(くぼた きそう、1932年6月19日 - 202… 久保田 競(くぼた きそう、1932年6月19日 - 2024年6月29日)は、日本の大脳生理学者、医学博士(東京大学、1964年)、京都大学名誉教授。 大阪市出身で、川島隆太や澤口俊之らを指導した。幼児教育者の久保田カヨ子は配偶者、久保田宣伝研究所創業者の久保田孝は父。2011年に瑞宝中綬章を受章する。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
小鹿 番(こじか ばん、1932年〈昭和7年〉6月18日 -… 小鹿 番(こじか ばん、1932年〈昭和7年〉6月18日 - 2004年〈平成16年〉4月29日)は、日本の俳優。東京市出身。本名及び旧芸名は小鹿敦。主に舞台俳優として活躍した。 浅草・合羽橋に生まれる。中学生の頃は将来画家になろうとしていたが、大宮高校時代に演劇部に入ったことで演劇に夢中になり、演劇の道を志す。明治大学文学部演劇学科卒。劇団青春座、女優座、舞台工房、アトリエ座などの劇団を転々とした後、1957年、劇団東宝現代劇に1期生として入団。1964年、交通事故で入院した八波むと志の代役として、『マイ・フェア・レディ』のアルフレッド・ドゥーリトル役で評判になる。 1993年の『ゆずり葉』で第19回菊田一夫演劇賞を受賞。
北里 一郎(きたざと いちろう、1932年6月18日 - 2… 北里 一郎(きたざと いちろう、1932年6月18日 - 2024年8月15日)は、日本の経営者。明治製菓株式会社(現:Meiji Seika ファルマ株式会社)社長を務めた。工学学士(慶應義塾大学 1955年)。薬学博士(北里大学 1990年)。北里研究所所長・北里善次郎の長男。祖父は細菌学者の北里柴三郎。 慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学工学部応用化学科卒業。1955年に同大学卒業後、明治製菓入社 。1995年同社代表取締役社長、2003年同社代表取締役会長を経て、2006年同社最高顧問に就任。 2024年8月15日、老衰のため死去。92歳没。