阿部 百合子(あべ ゆりこ、1933年6月11日 - )は、… 阿部 百合子(あべ ゆりこ、1933年6月11日 - )は、群馬県出身の女優、タレント。俳優座所属。身長161cm、体重47kg。矢野宣は夫。 群馬県立高崎女子高等学校、群馬大学教育学部音楽専攻卒業後、俳優座養成所を経て俳優デビュー。 趣味は映画鑑賞。特技は習字・料理。
1933年(昭和8年)生まれ:1,212人
阿部 百合子(あべ ゆりこ、1933年6月11日 - )は、… 阿部 百合子(あべ ゆりこ、1933年6月11日 - )は、群馬県出身の女優、タレント。俳優座所属。身長161cm、体重47kg。矢野宣は夫。 群馬県立高崎女子高等学校、群馬大学教育学部音楽専攻卒業後、俳優座養成所を経て俳優デビュー。 趣味は映画鑑賞。特技は習字・料理。
笠原 茂(かさはら しげる、1933年(昭和8年)6月11日… 笠原 茂(かさはら しげる、1933年(昭和8年)6月11日 - 1990年(平成2年)11月13日 )は、新潟県新潟市出身のアマチュアレスリング選手でのちに明治大学農学部教授。1956年メルボルンオリンピックレスリング男子フリースタイルライト級銀メダリスト。
松原 光彦(まつばら みつひこ、1933年6月11日 - )… 松原 光彦(まつばら みつひこ、1933年6月11日 - )は、日本の建築材料・建築工学者。大阪工業大学工学部建築学科元助教授。工学修士。元建築学教室担当。岐阜県出身。 専門は、建築材料・建築生産、建築構造・コンクリート工学。 大阪工業大学工学部建築学科卒業。1957年同大学工学部建築学科助手、建築学教室担当。その後、講師を経て(工学修士)、1995年同学科助教授。1997年大阪工業大学退官。 大阪工業大学工学部建築学科にて40年の長きに渡り教鞭を執り、建築材料・建築生産・建築構造の研究育成に貢献した。 主な所属学会は、日本建築学会、日本材料学会、日本コンクリート工学協会。
永井 恒司(ながい つねじ、1933年6月10日 - 202… 永井 恒司(ながい つねじ、1933年6月10日 - 2025年6月6日)は、日本の薬学者。薬剤師。星薬科大学元学長。薬学博士(東京大学、1961年)。 生物学的利用能の解明と制御に関する研究、薬物送達システム(Drug delivery system)の研究(固形剤の溶解速度論、薬物移行、薬剤学的薬物相互作用、添加物の製剤物性、シクロデキストリン、粘着付着性、経皮吸収、製剤設計、薬物代謝、薬物動態学、臨床治験)を行った。 1933年(昭和8年)6月10日、群馬県勢多郡赤城村敷島(現・渋川市)に生まれる。 薬学を志すようになった経緯を以下のように述懐している。 薬剤師登録(1956年9月24日) 衛生検査技師登録(1962年6月11日) 生物学的利用能の解明と制御ならびに薬物送達システムの開発。
土井 淳(どい きよし、1933年6月10日 - )は、岡山… 土井 淳(どい きよし、1933年6月10日 - )は、岡山県岡山市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者。
海老原 遙(えびはら はるか、男性、1933年6月10日 -… 海老原 遙(えびはら はるか、男性、1933年6月10日 - 2018年8月9日)は、日本の教育学者、熊本大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市生まれ。東京大学教育学部卒、1966年同大学院博士課程満期退学。ロンドン大学客員研究員、鹿児島県立短期大学助教授、熊本大学教養部教授、1992年「教育と労働の結合にかんする思想史的考察-クループスカヤ「国民教育と民主主義」の読解試論」で東大教育学博士、1994年「帝制ロシアにおける教育政策の歴史的展開-ピョートル一世からアレクサンドル一世まで」で立正大学文学博士、1997年定年、名誉教授。叙正四位、瑞宝中綬章追贈。
田中 宏尚(たなか ひろひさ、1933年6月9日 - 201… 田中 宏尚(たなか ひろひさ、1933年6月9日 - 2011年4月17日)は、日本の農林官僚。林野庁長官、水産庁長官、農林水産事務次官を務めた。北海道室蘭市出身。 1956年に東京大学法学部を卒業し、同年に農林省に入省した。1978年1月に大臣官房予算課長に就任し、1983年7月に大臣官房総務審議官、1984年7月に大臣官房長、1986年9月に林野庁長官、1988年1月に水産庁長官を経て、1989年7月から1990年8月までに農林水産事務次官を務めた。 2011年4月17日敗血症で死去。77歳没。
塚本 康彦(つかもと やすひこ、1933年6月9日 -202… 塚本 康彦(つかもと やすひこ、1933年6月9日 -2022年1月13日 )は、日本の国文学者、中央大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学国文科卒、同大学院をへて、中央大学文学部助教授、教授、2003年3月定年退任。雑誌『古典と現代』(古典と現代の会)主宰・編集発行人(1号~70号) 塚本康彦は「国文学者」であるが、この四文字からあえて「国」を削除してもよい。なぜなら、塚本は狭義の「研究者」に留まらない「文学者」であり、独自の文体にこだわった「文章家」でもあったからである。塚本の文章表現に対する熱意と執着は尋常でなく、生涯において遭遇した「琴線を切実にふるわせる」文章を丹念に集めていた。塚本は「この拔書作業を不断に践行」し、「その種の帳面は十八を数え、わが貴重な財産」(『ロマン的発想』)であると述べている。
小助川 次雄(こすけがわ つぎお、1933年6月8日 - )… 小助川 次雄(こすけがわ つぎお、1933年6月8日 - )は、日本の牧師、神学校教師。シオンの丘秋田キリスト教会牧師。 日本ルーテル同胞教団秋田めぐみキリスト教会名誉牧師、同教会こひつじ保育園園長、ルーテル同胞聖書神学校名誉校長、総動員伝道運営委員長。 秋田県生まれ。秋田大学卒業、東北大学大学院(心理学専攻)を修了。米国ルーテル同胞神学校卒業。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
岡本 三夫(おかもと みつお、1933年6月7日 - 201… 岡本 三夫(おかもと みつお、1933年6月7日 - 2019年7月20日)は、日本の政治学者。広島修道大学名誉教授。専門は、平和学。元日本平和学会会長、日本学術会議平和問題研究連絡委員長(第19期)。NPO法人ピースデポ助言者。 栃木県生まれ。神奈川県立横須賀高等学校、日本クリスチャン・カレッヂ(現・東京基督教大学)卒業。ウェストミンスター神学校卒業(神学修士)、ハイデルベルク大学神学部・哲学部博士候補生中退。博士(文学)(京都大学)の学位を取得。 四国学院大学教授、広島修道大学法学部教授を経て、同大学名誉教授。2004年の参院選において、社会民主党・新社会党の推薦を受け広島県選挙区から無所属で立候補するが、10万8,288票を得票するに止まり次点で終わる。
岡崎 恒子(おかざき つねこ、1933年〈昭和8年〉6月7日… 岡崎 恒子(おかざき つねこ、1933年〈昭和8年〉6月7日 - )は、日本の生物学者(分子生物学)。理学博士(名古屋大学・1963年)。名古屋大学名誉教授。名古屋大学理学部教授などを歴任。藤田医科大学特別栄誉教授。紫綬褒章受章者、瑞宝中綬章受章者、文化功労者、文化勲章受章者。 愛知県出身の分子生物学者である。夫である岡崎令治と共同で遺伝子複製の仕組みを予測させたDNA断片「岡崎フラグメント」の研究で知られる。 愛知県名古屋市で外科医の原多喜万の二女として生まれる。愛知県立旭丘高等学校を経て、1952年に名古屋大学理学部生物学科入学。卒業研究のために通った名古屋大学臨海研究所で岡崎令治と知り合い、1956年に大学院進学と同時に結婚、共同研究者となる。
熊谷 太一郎(くまがい たいちろう、1933年6月7日 - … 熊谷 太一郎(くまがい たいちろう、1933年6月7日 - 2019年6月21日)は、日本の経営者。熊谷組社長、会長を務めた。 福井県福井市出身。1958年に早稲田大学第一理工学部土木工学科を卒業し、同年に熊谷組に入社。1968年に取締役に就任し、1970年11月に常務を経て、1972年11月に副社長に就任し、1978年12月には社長に昇格。1997年11月から2000年12月までに会長を務めた。 2019年6月21日に心不全のために死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小泉 修吉(こいずみ しゅうきち、1933年6月7日 - 2… 小泉 修吉(こいずみ しゅうきち、1933年6月7日 - 2014年11月12日)は、ドキュメンタリー映画監督、プロデューサー。 ドキュメンタリー映像制作会社「グループ現代」元・代表取締役会長。神奈川県横浜市生まれ。 「民族文化映像研究所」取締役事務局長。「環境テレビトラスト日本委員会(TVEジャパン)」委員長。 父は、映画監督・記録映画作家の上村修吉。義妹は、滋賀県環境生活協同組合理事長、NPO法人「菜の花プロジェクトネットワーク」代表の藤井絢子(ふじい あやこ)。 早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。上野耕三の「記録映画社」を経て、フリーのドキュメンタリー映画ディレクターとなる。 レイチェル・カーソンの『沈黙の春』 に啓発され、1967年、農村医学の先駆者である、長野県の佐久総合病院の若月俊一院長の協力を得て、自主制作映画『農薬禍』を制作・演出。
櫻井 美紀(さくらい みき、別表記:桜井 美紀、1933年6… 櫻井 美紀(さくらい みき、別表記:桜井 美紀、1933年6月7日 - 2010年7月2日)は日本の語り手(ストーリーテラー)。 東京都出身。1958年、毎日放送にアナウンサーとして入社。その後、フリーアナウンサーを経て語り手となり、NPO法人語り手たちの会の理事長を務めていた。 現代社会において、豊かなことばの文化の復権とあたたかい人間関係に根ざした情緒の育成を目指し、肉声で言葉を伝えることの重要性を唱え、ストーリーテリングによってそれを実現しようと活動していた。語りのセミナーなどを全国で行うほか、語りのコンサートを多く開いた。 幼いころ、大叔母の語る加賀弁の昔話「舌切り雀」を楽しみに聞き、父が語る「古事記物語」も好きで、聞いて覚えたものを幼稚園で語る子どもだった。
篠沢 秀夫(しのざわ ひでお、1933年6月6日 - )は、… 篠沢 秀夫(しのざわ ひでお、1933年6月6日 - )は、東京都大田区出身のフランス文学者、学習院大学名誉教授。モーリス・ブランショの翻訳者、研究者としても知られる。
川村 秀(かわむら すぐる、1933年6月4日 - )は、日… 川村 秀(かわむら すぐる、1933年6月4日 - )は、日本の歴史学者、翻訳家、通訳。 1933年(昭和8年)6月4日、静岡県沼津市生まれ。東京都立北園高等学校(旧・東京府立第九中学校)を経て、早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。ロシア史家。翻訳家。川上貿易、蝶理等のモスクワ駐在員を経て、1990年(平成2年)、積水樹脂とアース・コーポレーションを設立、代表取締役副社長としてモスクワ常駐。その間、ロシア科学アカデミー東洋学研究所と日露文化センターを設立。1994年(平成6年)に退職後は、大学への留学生の交換や研究論文の発表など日露間の学術・文化交流に従事。また、晩年の杉原千畝を直接知る数少ない歴史の証人として、その事績を若い世代に伝えている。
立石 友男(たていし ともお、1933年6月4日 - 201… 立石 友男(たていし ともお、1933年6月4日 - 2017年7月11日)は、日本の地理学者。日本大学名誉教授。 1933年、長野県に生まれた。1952年に長野県諏訪清陵高等学校を卒業し、日本大学文学部人文地理学科に入学。1956年に同大学を卒業し、翌1957年に同大学大学院に進んだ。 1959年に日本大学文理学部副手に採用。1960年に助手、1970年に専任講師、1973年に助教授、1981年に教授へと昇任した。1982年、学位論文『庄内砂丘における海岸砂丘林に関する研究』を日本大学に提出して理学博士号を取得した。学界では、1999年から2002年まで歴史地理学会会長を務めた。2003年に日本大学を定年退職し、名誉教授となった。
中村又蔵(なかむら またぞう、2代目、1933年6月4日 -… 中村又蔵(なかむら またぞう、2代目、1933年6月4日 - 2017年3月7日)は、歌舞伎俳優。 東京市出身。本名・伊藤進。俳名は伊藤公貴、ペンネームは田口大蔵。上智大学文学部独文科に学び、演劇部で活動、一学年下に井上ひさしがいた。在学中に坂東三津五郎 (8代目)の知遇を得て、義弟にあたる中村又五郎 (2代目)に入門する。1961年、又五郎について東宝入りし、本名の伊藤進で、62年「義経千本桜」で初舞台、64年東宝の「国性爺合戦」の虎の役で菊田一夫奨励賞を受賞、67年国立劇場『佐倉義民伝』で二代目中村又蔵を襲名、名題昇進する。国立劇場歌舞伎俳優養成課で研修生の指導に当たる。75年松竹に復帰。英語、ドイツ語が堪能で、1978年ハワイ大学演劇部の学生に稽古をつけ、82年には国際交流基金の依頼でミュンヘン大学で歌舞伎を教える。
湯川 仁(ゆかわ まさし、旧姓:藤原、1933年6月3日 -… 湯川 仁(ゆかわ まさし、旧姓:藤原、1933年6月3日 - 1980年5月28日)は、日本の哺乳類研究家。広島県出身。 広島県比婆郡比和町(現庄原市比和地区)に生まれた。比婆郡を中心とする広島県北東部で、主に小型哺乳類の研究、特に食虫類やげっ歯類の標本収集、生活史の研究を行なった。比和自然科学博物館を基盤として行動していたが、その立場は博物館の学芸員補(1953年 - 1958年)、および比和町教育委員会職員(1958年以降)であり、実質的には在野のアマチュア研究家であった。1980年没。 死後に湯川の研究は再評価され、1997年には「第1回 野生動物の保護をめざすもぐらサミット」が比和町で開かれた。
宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日… 宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日 - 2021年〈令和3年〉9月3日)は、日本の政治家。元沖縄県浦添市長(1期)。位階は従五位。 浦添市生まれ。1951年(昭和26年)、沖縄県立首里高等学校卒業。卒業後は米軍基地で勤務した。1952年(昭和27年)、コザ教員訓練校卒。卒業後は沖縄県内で中学校教諭となる。本土復帰後の1975年(昭和50年)に沖縄教職員組合政治部長となった。1976年(昭和51年)、沖縄県議会議員選挙に浦添市選挙区から社会党公認で初当選を果たした。1980年(昭和55年)の県議選にも立候補したが、落選した。1984年(昭和59年)の県議選で当選し、返り咲きを果たした。
酒井 悌次郎(さかい ていじろう、1933年(昭和8年)6月… 酒井 悌次郎(さかい ていじろう、1933年(昭和8年)6月2日 - )は、日本の政治家。元石川県能美市長(3期)。元寺井町長(3期)。旭日小綬章受章。 石川県寺井町出身。石川県立小松高等学校、金沢大学法文学部卒業。 1994年(平成6年)7月14日、寺井町長の中田良三が健康上の理由により辞職。同年8月28日に行われた寺井町長選挙に出馬し初当選。2002年(平成14年)、3選。 2005年(平成17年)2月1日、能美郡の根上町・寺井町・辰口町の3町が新設合併して能美市が発足。これに伴って2月27日に行われた市長選挙に自民党・民主党・公明党・社民党の推薦を得て出馬し初当選した。2009年(平成21年)、再選。
横山 光次(よこやま みつつぐ、1933年6月1日 - )は… 横山 光次(よこやま みつつぐ、1933年6月1日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。
山本 英樹(やまもと ひでき、1933年6月1日 - 201… 山本 英樹(やまもと ひでき、1933年6月1日 - 2018年3月25日)は、日本の経営者。日東電工社長を務めた。大阪府出身。 1956年に大阪大学薬学部を卒業し、同年に日東電気工業(のちの日東電工)に入社。1983年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1996年6月に社長に就任。2001年4月に会長に就任。 2018年3月25日慢性閉塞性肺疾患のために死去。84歳没。
稲葉 京子(いなば きょうこ、1933年6月1日 - 201… 稲葉 京子(いなば きょうこ、1933年6月1日 - 2016年11月19日)は、日本の歌人。歌誌「短歌」選者。 愛知県江南市生まれ。本名は大竹京子。1952年愛知県立尾北高等学校卒。小学校教師となるが、体力がなく翌年退職。童話を書くようになり、与田準一の紹介で同人誌「童話」に入会。1957年『婦人朝日』に投歌、選者の大野誠夫の薦めで「砂廊」(のち「作風」)入会。同年、「中部短歌会」にも入会。1958年銀行員と結婚。 童話を書いていた経験から、初期作品は少女の夢想のような物語性が濃い。第一歌集『ガラスの檻』は青井史に「現代のメルヘン」と評された。後年は人生の悲哀を深く見つめた作風へと変化した。
五百澤 智也(いおざわ ともや、1933年5月30日 - 2… 五百澤 智也(いおざわ ともや、1933年5月30日 - 2013年12月14日)は、日本の地理学者。山岳・氷河地形研究者であり、山岳鳥瞰図作家として知られる。 山形県山形市出身。東京教育大学理学部地学科地理学専攻卒業。大学時代には、九州南端の開聞岳から北海道の利尻山まで日本各地の山々に登り、日本アルプスにおける氷河地形の発達について強い関心を抱く。大学卒業後には魚沼水無川シン沢単独遡行。建設省地理調査所(のちの国土地理院)を37歳で退職するまで、空中写真撮影、写真判読、基本図測量、修正測量、地形図製作などに従事し、積雪調査の開発研究にあたる。1962年には、それまで知られていなかった槍・穂高山域で最低位の堆石堤群を発見し、その後、日本の氷河地形の再検討を続ける。
岩浪 洋三(いわなみ ようぞう、1933年5月30日 - 2… 岩浪 洋三(いわなみ ようぞう、1933年5月30日 - 2012年10月5日)は、日本のジャズ評論家。尚美学園大学大学院芸術情報研究科・音楽表現専攻客員教授。
寺本 圭一(てらもと けいいち 1933年(昭和8年)5月3… 寺本 圭一(てらもと けいいち 1933年(昭和8年)5月30日 -2025年(令和7年)11月18日 )は、日本のカントリー・ミュージック歌手。作詞家・作曲家・音楽プロデューサー。 1933年5月30日生まれ。東京都出身。祖父は不動貯金銀行創業者の牧野元次郎。父は不動貯金銀行頭取の寺本五郎。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校と歩んだ慶應ボーイであったが、大学は青山学院へ進む。 青山学院大学時代にプロのミュージシャンに転向。1957年に明治大学を卒業したばかりの堀威夫と共にロカビリーバンド:スウィング・ウエストを結成し、ボーカリストとして活動。日劇ウエスタンカーニバルにも第1回から出演している。
近藤 健(こんどう たけし、1933年5月30日 - 201… 近藤 健(こんどう たけし、1933年5月30日 - 2017年8月31日)は、日本のジャーナリスト、アメリカ研究者。 東京生まれ。1957年国際基督教大学卒業後、毎日新聞社入社。1961-63年フルブライト奨学金でシラキュース大学大学院に学ぶ。66-67年サイゴン特派員、72-77年ワシントン特派員、外信部副部長、部長、ワシントン支局長、論説委員を歴任。退社後、1989年国際基督教大学教授、1999年愛知学院大学教授。2003年退職。
山崎 唯(やまざき ただし、1933年5月29日 - 199… 山崎 唯(やまざき ただし、1933年5月29日 - 1990年12月30日)は、日本のピアニスト、作曲家、声優、タレント。東京都出身。妻は女優の久里千春。 大学教授の長男として誕生。当初は声楽家を目指し、国立音楽大学声楽科を卒業。同大学に進学した時は父の猛反対を受けていた。だがジャズやナット・キング・コールに傾倒してゆき、『渡辺晋とシックス・ジョーズ』のピアニストとしてデビュー。日本で最初のピアノの弾き語りを始める。 人形劇『トッポ・ジージョ』では主人公トッポ・ジージョの声を担当。その個性的な声から、声優としても話題を呼ぶ。 妻の久里千春とはおしどり夫婦として知られ、芸能活動も多かった。また、2人の娘がいて「仲良し家族」としてテレビ出演も多かった。
林 功(はやし いさお、1933年5月28日 - 没年不明)… 林 功(はやし いさお、1933年5月28日 - 没年不明)は日本の映画監督、映画プロデューサー、俳優。 東京都出身。1956年、早稲田大学教育学部卒業。大仁東映と日活で働いている間、多くのコメディ、犯罪、冒険と歴史を題材とした作品を撮った。また、各映画に出演し、中平康、鈴木清順、舛田利雄、鍛冶昇などの他の監督と協力した。 時期は不明だが会員である日本映画監督協会公式サイトでは物故者となっている。
笹野 貞子(ささの ていこ、1933年5月27日 - )は、… 笹野 貞子(ささの ていこ、1933年5月27日 - )は、日本の政治家、法学者。元参議院議員(2期)、京都創政塾理事長。 北海道函館市出身。北海道釧路江南高等学校、同志社大学法学部卒業。1962年、同志社大学大学院法学研究科修士課程修了。その後、堺女子短期大学教授などを務め、憲法学を教えた。 1978年から毎日放送『スタジオ2時』に出演。1980年、京都府明るい選挙推進協議会長に就任。 1989年、第15回参議院議員通常選挙に向けて、日本労働組合総連合会を支持母体とする「連合の会」(日本社会党・公明党・民社党・社会民主連合推薦)が結成され、全国で多数候補者が擁立される。笹野は連合の会公認で立候補し、長年、「自共指定席」と呼ばれた京都府選挙区で自民党新人西田吉宏や日本共産党現職佐藤昭夫を凌ぎトップで初当選した。
村木 文郎(むらき ふみろう、1933年5月27日 - 20… 村木 文郎(むらき ふみろう、1933年5月27日 - 2019年11月14日)は、日本の実業家。野母商船グループ会長。旅客船業界に係る各種団体の会長・委員等を務め、海運事業振興に努めた。 1933年長崎県生まれ。祖父は野母商船創業者の村木清三郎、父は日本旅客船協会の設立に関わり、同協会会長を務めた村木信一郎。長崎県立長崎東高等学校を経て、1956年一橋大学商学部卒業後、野母商船に入社。1964年専務を経て、1991年社長。2006年から2011年まで日本旅客船協会会長を務め、高速道路無料化に反対するなど業界の意見を発信した。また、離島を多く抱える長崎県における海上交通の振興にも努め、島民らを対象として運賃を割引する制度を打ち出すなどした。
桜井 邦朋(さくらい くにとも、1933年5月27日 - )… 桜井 邦朋(さくらい くにとも、1933年5月27日 - )は、日本の宇宙物理学者。専門は、太陽物理学・高エネルギー宇宙物理学。早稲田大学理工学部総合研究センター客員顧問研究員。神奈川大学名誉教授。ユトレヒト大学、インド・ターター基礎科学研究所、中国科学院の客員教授。理学博士。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、天文学(天文学者を含む)や地球以外の天体に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:天体/Portal:天文学)。
小桜 京子(こざくら きょうこ、1933年〈昭和8年〉5月2… 小桜 京子(こざくら きょうこ、1933年〈昭和8年〉5月27日 - 2023年〈令和5年〉6月15日)は、日本の女優、喜劇役者。 前夫は引田天功、娘は声優の引田有美、叔父は柳家金語楼。 兵庫県明石市出身。新宿区立牛込第一中学校卒業。 3歳の時に柳家金語楼にあずけられ金語楼劇団の子役として舞台デビュー。14歳で修業のため3年間付き人をつとめる。1953年、NHKテレビ開局と共にテレビ番組に出演し、1956年に『金語楼劇場・おトラさん』のお豆さん役がヒットする。 以後、快活な喜劇役者として、映画『おトラさんシリーズ』『駅前シリーズ』『恋人と呼んでみたい』などに出演する。舞台やドラマにも出演し、フジテレビのバラエティ番組『ライオンのいただきます』では準レギュラーを務めた。
近藤 陽次(こんどう ようじ、1933年5月26日 -201… 近藤 陽次(こんどう ようじ、1933年5月26日 -2017年10月9日)は、天体物理学者・SF作家。 日立第一高等学校、東京外国語大学、ニューヨーク市立大学を経て、ペンシルベニア大学の大学院で天体物理学の博士号を取得。NASAの職員となり、ロケット、人工衛星などによる紫外線観測に従事。アポロ計画およびスカイラブ計画の時にはNASAのジョンソン宇宙センター(前:有人宇宙船センター)の天体物理学研究所を率いていた。 またエリック・コタニ(Eric Kotani)のペンネームでSF小説も執筆している。 小惑星の(8072) 近藤陽次は彼に因んで命名された。
野口 武徳(のぐち たけのり、1933年5月26日 - 19… 野口 武徳(のぐち たけのり、1933年5月26日 - 1986年1月4日)は、日本の社会人類学者・民俗学者。元成城大学教授。 東京市牛込区市ヶ谷富久町に生まれる。父は東京府立第六中学校(現東京都立新宿高校)の武道教官であった。父の京城城東中学校への異動に伴い朝鮮半島に転居し、終戦を京城(ソウル)で迎える。戦後、父の故郷である長崎県に引き揚げ、長崎県立佐世保北高校(現長崎県立佐世保北中学校・高等学校)を卒業。1958年東京学芸大学卒、1965年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学(社会人類学専攻)。1965年成城大学専任講師、1967年助教授、1975年教授(文芸学部文化史学科)。1953年〜57年長崎県崎戸の家船を調査。
砂田 弘(すなだ ひろし、1933年5月26日 - 2008… 砂田 弘(すなだ ひろし、1933年5月26日 - 2008年3月20日)は、日本の児童文学作家、評論家。
海崎 洋一郎(かいざき よういちろう、1933年5月26日 … 海崎 洋一郎(かいざき よういちろう、1933年5月26日 - 2019年1月20日)は、日本の経営者。ブリヂストン社長を務めた。福井県出身。 1956年に京都大学経済学部を卒業し、同年に北陸銀行に入行。1962年にブリヂストンタイヤに転じ、1985年3月に取締役に就任し、1986年8月に常務、1990年1月に専務を経て、1991年3月に副社長に就任し、1993年3月に社長に昇格。社長在任時には、傘下のアメリカのファイアストン社の経営を立て直し、2000年に同社のタイヤを装着した車の事故が相次いで起きた際にはリコール問題への対応に当たった。2001年3月に相談役に就任。 1997年4月に藍綬褒章を受章。
児玉 健次(こだま けんじ、1933年5月25日 - 202… 児玉 健次(こだま けんじ、1933年5月25日 - 2021年2月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算4期)、日本共産党中央委員を務めた。 広島県生まれ。広島県立安芸郡坂町横浜小学校、広島県立広島第一中学校、広島県立海田高等学校、商船大学航海科を経て、広島大学文学部卒業。同大学院中退。高校に奉職後、教諭として勤務する一方、北海道高教組副委員長等を歴任。 1977年に行われた第11回参議院議員通常選挙及び1983年に行われた第13回参議院議員通常選挙に日本共産党公認で北海道選挙区から立候補するも落選。同年に行われた第37回衆議院議員総選挙に旧北海道1区から立候補するも落選。1986年に行われた第38回衆議院議員総選挙に再び旧北海道1区から立候補し初当選した。
橋本 明(はしもと あきら、1933年5月24日 - )は、… 橋本 明(はしもと あきら、1933年5月24日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家。
近藤 喜代太郎(こんどう きよたろう、1933年(昭和8年)… 近藤 喜代太郎(こんどう きよたろう、1933年(昭和8年)5月24日 - 2008年(平成20年)9月30日)は、医学者・公衆衛生学者、鉄道研究家。北海道大学名誉教授。 静岡県生まれ。1959年東京大学医学部卒業。1969年医学博士。東大内科、新潟大学助教授(神経内科)、1984年北海道大学医学部教授(公衆衛生学)、1997年定年退官、名誉教授、放送大学教授(健康科学)、2002年同客員教授。 2008年9月30日、脳内出血のため死去。
山田 隆(やまだ たかし、1933年5月24日 - 1998… 山田 隆(やまだ たかし、1933年5月24日 - 1998年9月8日)は、日本のプロレス記者・評論家。 東京スポーツ新聞社に所属していた。北海道北見市出身。 1959年東京スポーツに入社、1967年9月22日から日本テレビの『日本プロレス中継』で解説者を務める。ターザン・タイラーの手錠事件写真を紹介するなど、海外マット界の情報を生かすというこれまでには無い画期的な解説を取り入れた。ジャイアント馬場との親交が深く、1972年の全日本プロレス旗揚げから1980年代末まで、長年に渡り『全日本プロレス中継』の解説者を務めた。 特に1981年世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦(蔵前国技館、優勝決定戦)にてスタン・ハンセンが乱入し、ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組に助太刀した、いわゆるスタン・ハンセン乱入事件の時に山田が発した「ハンセンですよ!」は今でもプロレスファンの語り草になっている[要出典]。
金山 勝巳(かなやま かつみ、1933年5月22日 - )は… 金山 勝巳(かなやま かつみ、1933年5月22日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(投手)。1953年から1959年までの登録名は布施 勝巳。
田辺 礼一(たなべ れいいち、1933年5月22日 - 20… 田辺 礼一(たなべ れいいち、1933年5月22日 - 2006年9月20日)は、日本の実業家(紀伊國屋書店相談役)。元NHKアナウンサー。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
安倍 寧(あべ やすし、1933年5月21日 - )は、日本… 安倍 寧(あべ やすし、1933年5月21日 - )は、日本の音楽評論家。 静岡県生まれ。東京都立日比谷高等学校、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。大学在学中の1955年、フリーライターとしてショー・ビジネス、芸能界に関わり、美空ひばり、越路吹雪、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリー、ビートルズなどについて評論を書く。 1965年以降、ニューヨークのブロードウェイ、ロンドンのウエスト・エンドで多くのミュージカルを観る。日本レコード大賞実行委員、審査委員を務めた。浅利慶太は大学時代からの友人(1951年に慶應義塾大学で二人は出会った)であり、劇団四季取締役も務めた。その他、エイベックス・ホールディングス株式会社顧問など。
傳田 章(でんだ あきら、1933年5月20日 - 没年不明… 傳田 章(でんだ あきら、1933年5月20日 - 没年不明[要出典])は、日本の中国文学者・中国語学者。東京大学名誉教授。放送大学名誉教授 長野県に生まれる。長野県長野北高等学校を経て、1956年、東京大学文学部中国文学科を卒業した。引き続き大学院に進み、1958年に修士課程を修了した。 1974年、東京大学教養学部助教授(中国語)となり、1985年に教授に昇格した。1994年に定年退官して、名誉教授となる。 放送大学教授も務めた。
大村 益夫(おおむら ますお、1933年5月20日 - 20… 大村 益夫(おおむら ますお、1933年5月20日 - 2023年1月15日)は、中国・朝鮮文学者、早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。父は童謡詩人の大村主計。1957年早稲田大学政治経済学部卒、1962年東京都立大学 (1949-2011)大学院中国文学専攻博士課程中退。1964年早稲田大学専任講師、1972年早大語学教育研究所助教授、教授。2002年定年、名誉教授。 2013年4月瑞宝中綬章受章。 2023年1月15日、悪性リンパ腫により死去。89歳没。
深谷松男(ふかや まつお、1933年5月19日- )は、日本… 深谷松男(ふかや まつお、1933年5月19日- )は、日本の法学者。民法学者。金沢大学名誉教授。専門は家族法。福島県出身
長岡 正司(ながおか まさし、1933年 <昭和8年> 5月… 長岡 正司(ながおか まさし、1933年 <昭和8年> 5月19日 - 2004年 <平成16年す> 8月26日)は、日本の経営者。グンゼ社長を務めた。位階は従四位。 京都府出身。1958年に京都大学法学部を卒業し、同年に郡是製絲(現グンゼ)に入社。 1985年6に取締役に就任し、1988年に常務、1992年6月に専務を経て、1996年6月には社長に就任。 2002年6月に会長に就任。 1999年11月に藍綬褒章を受章。 2004年8月26日心不全のために死去。71歳没。死没日付をもって従四位に叙され、旭日中綬章を追贈された。
岩瀬 順三(いわせ じゅんぞう、1933年〈昭和8年〉5月1… 岩瀬 順三(いわせ じゅんぞう、1933年〈昭和8年〉5月19日 - 1986年〈昭和61年〉5月18日)は、日本の編集者、KKベストセラーズ・ワニマガジン社・ワニブックスの創業者。戦後を代表する名編集者の一人で、"出版界の歴代鬼才ナンバーワン"とも言われた出版事業家。 広島県尾道市三軒家町出身。野坂昭如は「尾道を代表する二大文化人、大が石堂淑郎で、小が岩瀬。ともにややこしい心根の持主」と話していた。1958年立教大学英米文学科卒業。講談社は不合格となり、バーテンダーなどの仕事をする。当時はヒロポン中毒に悩まされていたという。1961年、28歳で食品業界の業界紙・光琳書院に入社。翌1962年、60年安保闘争の総括で知られる清水幾太郎の紹介で青春出版社に入社。