三木 紀人(みき すみと、1935年5月27日 - )は、国… 三木 紀人(みき すみと、1935年5月27日 - )は、国文学者。お茶の水女子大学名誉教授、城西国際大学客員教授。兵庫県生まれ。
1935年(昭和10年)生まれ:1,285人
三木 紀人(みき すみと、1935年5月27日 - )は、国… 三木 紀人(みき すみと、1935年5月27日 - )は、国文学者。お茶の水女子大学名誉教授、城西国際大学客員教授。兵庫県生まれ。
八木 俊道(やぎ としみち、1935年5月27日 - 200… 八木 俊道(やぎ としみち、1935年5月27日 - 2006年9月19日)は日本の総務官僚。総務事務次官、環境省顧問、日本大学政経研究所所長などを歴任し、2006年に電源開発監査役に就任したが、同年死去し正四位瑞宝重光章を追贈された。 東京都出身。1958年中央大学法学部卒業。総務庁長官官房長、総務庁行政管理局長等を経て、1994年から総務事務次官を務めた。退官後、環境省顧問、日本大学法学部教授。
森本哲夫(もりもと てつお、1935年5月26日 - )は日… 森本哲夫(もりもと てつお、1935年5月26日 - )は日本の郵政官僚。郵政事務次官、郵便貯金振興会理事長、新世代通信網利用高度化協会理事長。神奈川県横浜市港北区下田町3丁目在住。 奈良県出身。京都大学法学部卒業。1958年 郵政省入省。1973年 大臣官房秘書課広報室長。1979年7月 大臣官房郵政参事官。1980年7月 大臣官房秘書課長。1981年7月 郵務局次長。1983年7月 近畿郵政監察局長。1984年7月 通信政策局次長。1985年6月 関東郵政局長。1986年6月 大臣官房人事部長。1987年6月 大臣官房長。1988年6月 貯金局長。1989年6月 電気通信局長。1992年6月23日 郵政事務次官。
高藤 鉄雄(たかとう てつお、1935年5月25日 - 20… 高藤 鉄雄(たかとう てつお、1935年5月25日 - 2007年6月30日 )は、日本の経営者。 静岡県出身。1954年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三共に入社。1978年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1997年6月に副社長に就任し、2000年6月に社長に昇格した。2003年6月に会長を経て、2005年6月には相談役に退いた。 2007年6月30日肺炎のために死去。72歳没。
飛田 英一(とびた えいいち、1935年5月24日 - )は… 飛田 英一(とびた えいいち、1935年5月24日 - )は、日本の経営者。トステム社長、INAXトステム・ホールディングス会長を務めた。 東京都出身。1958年に中央大学法学部法律学科を卒業し、同年3月にトーヨーサッシ(のちのトステム)に入社。1986年11月に専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、1998年10月に潮田健次郎の後任として、社長に昇格。2001年10月にINAXトステム・ホールディングス副会長に就任し、2008年4月から代表執行役員を務めた。
関 容子(せき ようこ、1935年5月24日 - )は、日本… 関 容子(せき ようこ、1935年5月24日 - )は、日本のエッセイスト。 東京市生まれ。1958年日本女子大学文学部国文科卒業。1981年、詩人・堀口大學への聞き書き『日本の鶯』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。その後歌舞伎エッセイに転じ、1996年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
岸 洋子(きし ようこ、1935年〈昭和10年〉5月23日 … 岸 洋子(きし ようこ、1935年〈昭和10年〉5月23日 - 1992年〈平成4年〉12月11日)は、日本のシャンソン歌手、カンツォーネ歌手。所属レコード会社はキングレコード。本名は小山 洋子(こやま ようこ)。山形県酒田市出身。 姉に連れられて行った宝塚歌劇団の声楽教授を務めた加藤千恵(酒田市名誉市民)が開設したボーカルスタジオで音楽と出会う。俳優成田三樹夫は中学・高校の同級生。 東京藝術大学に進学し、在学中に二期会研究生となり、オペラ歌手を目指していたが、心臓神経症のため断念する。病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動して、1959年(昭和34年)、NHKのオーディションに合格。シャンソン歌手の道に進んだ。
三浦 敏男(、1935年〈昭和10年〉5月23日 - )は、… 三浦 敏男(、1935年〈昭和10年〉5月23日 - )は、日本の元俳優。山口県玖珂郡出身。別名は三浦 敏夫(読み同じ)。実母は東宝専属女優の一万慈多鶴恵。玉川学園大学英文科卒。身長160センチメートル。特技は乗馬。 1957年、東宝へ入社。 特撮映画を始め、ジャンルを問わず多くの作品に出演していた。小柄で童顔なのが特徴である。
川村 六郎(かわむら ろくろう、1935年5月23日 - )… 川村 六郎(かわむら ろくろう、1935年5月23日 - )は元京王百貨店代表取締役相談役。岩手県盛岡市出身。趣味・特技は茶道(南坊流)とそば打ち。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1959年に中央大学法学部を卒業と同時に京王帝都電鉄に入社。1963年に京王食品に出向。1978年に取締役。1988年に専務取締役。1990年に京王ストア代表取締役社長となる。1992年に京王百貨店取締役を経て、1993年6月に同社代表取締役社長に就任。2000年に同社代表取締役会長となる。
松原 久子(まつばら ひさこ、1935年〈昭和10年〉5月2… 松原 久子(まつばら ひさこ、1935年〈昭和10年〉5月21日 - )は、日本出身の学者、ドイツ評論家、著作家である。 京都府出身。ドイツ・ペンクラブ会員。アメリカ合衆国カリフォルニア州在住。 生家は京都市の建勲神社で、同市で育つ。 国際基督教大学を1958年に卒業後、アメリカ合衆国・ペンシルベニア州立大学(舞台芸術科)で修士号取得、日本演劇史を講義した。その後、ドイツ・ゲッティンゲン大学大学院にてヨーロッパ文化史を専攻、1970年に博士号(日欧比較文化史)を取得した。 ドイツでは週刊の全国紙「DIE ZEIT」でコラムニストを務めたほか、西ドイツ国営テレビ(当時)で日欧文化論を展開。 1987年にアメリカ合衆国・カリフォルニア州に移住。
時津海 正男(ときつうみ まさお、1935年5月21日 - … 時津海 正男(ときつうみ まさお、1935年5月21日 - 没年不明 )は、時津風部屋に所属した元力士。本名は大島 真佐夫(おおしま まさお)。現在の富山県氷見市出身。176cm、79kg。最高位は東十両17枚目。得意技は右四つ、寄り。 1951年5月場所に初土俵、1957年3月場所に十両昇進し連続7場所務めた。1960年3月場所に廃業。
尾崎 護(おざき まもる、1935年(昭和10年)5月20日… 尾崎 護(おざき まもる、1935年(昭和10年)5月20日 - )は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。博士(法学)(早稲田大学・論文博士・2002年)。血液型はO型。 聖橋学園中学校、都立小石川高校卒業。1958年(昭和33年):東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東京大学在学中には文芸クラブに所属して小説を書いていた。 1957年(昭和32年):国家公務員上級試験2位合格。1958年(昭和33年)4月:大蔵省入省(主税局調査課)。1960年6月 関東財務局総務部。1961年7月 名古屋国税局調査査察部。1962年4月 大蔵省大臣官房調査課調査主任。1963年4月 大蔵省主計局調査課計画係長。
千々岩 力(ちぢいわ ちから、1935年5月20日 - 20… 千々岩 力(ちぢいわ ちから、1935年5月20日 - 2020年11月)は、日本の法学者。地方公務員。専門は労働組合法・アメリカ労働法。特に不当労働行為を研究。学位は、法学博士(法政大学)。高岡法科大学学長。 千々岩助太郎の第四子として台湾台北州台北市に生まれ、終戦後九州に移住。1951年3月香川大学学芸部附属高松中学校卒業。1954年3月詫間電波高等学校卒業。1956年産業能率短期大学能率科事務能率専攻卒業。1961年東京都庁民生局に入庁。1964年東京都労働委員会事務局に転属。1965年3月中央大学法学部法律学科2部卒業。1976年法政大学大学院社会科学研究科私法学専攻博士課程単位取得満期退学(指導教授:青木宗也)。
竹蓋 幸生(たけふた ゆきお、1935年5月20日 - 20… 竹蓋 幸生(たけふた ゆきお、1935年5月20日 - 2014年4月30日)は、日本の英語教育学者。千葉大学名誉教授。専門は英語教育学、英語音声学、システム工学、教育工学。 千葉県出身。英語音声学、英語教育学、システム工学などの研究により、日本の高等教育機関における英語教育に貢献した。英語教育総合システム「三ラウンド・システム(3 Step System)」を基盤として開発されたCALL(Computer-assisted language learning(英語版))教材は、多角的な評価を受けた結果、従来の教材に比べて学修の効果や効率が極めて高いことが実証され、全国の高等教育機関で継続的に使用されている。
坂井 榮八郎(さかい えいはちろう、1935年5月19日 -… 坂井 榮八郎(さかい えいはちろう、1935年5月19日 - )は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は西洋近代史、ドイツ史。 千葉県生まれ。1955年武蔵中学校・高等学校卒業、1959年東京大学文学部西洋史学科卒業、1962年-65年西ドイツのマールブルク大学に留学。67年東京大学教養学部助教授(ドイツ語)、教授、85年定年退官、名誉教授、聖心女子大学教授。
鈴木 志郎康(すずき しろうやす、1935年5月19日 - … 鈴木 志郎康(すずき しろうやす、1935年5月19日 - 2022年9月8日)は、日本の詩人、映像作家。東京市江東区亀戸生まれ。本名・鈴木康之。 1952年頃から詩を書き始める。1954年、日本大学第一高等学校卒業、1961年3月、早稲田大学第一文学部仏文専修卒業。在学中の1959年に高野民雄と雑誌「青鰐」を刊行。1961年から1977年までNHKに16ミリ映画カメラマンとして勤務。 1963年頃から個人映画を作り始める。ジョナス・メカスの影響を受け、日記的な作品を多数制作。この年に詩集「新生都市」が発刊され、注目を浴びる。 1964年、天沢退二郎、渡辺武信、菅谷規矩雄、藤田治、彦坂紹男、秋元潔、山本道子、野沢暎、高野民雄とともに、雑誌「凶区」創刊。
坂井 榮八郎(さかい えいはちろう、1935年5月19日 -… 坂井 榮八郎(さかい えいはちろう、1935年5月19日 - )は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は西洋近代史、ドイツ史。
佃 明忠 (つくだ あきただ、1935年5月19日 - )は… 佃 明忠 (つくだ あきただ、1935年5月19日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
菅野 俊吾(かんの しゅんご、1935年(昭和10年)5月1… 菅野 俊吾(かんの しゅんご、1935年(昭和10年)5月19日 - 2018年(平成30年)3月26日)は、日本の政治家。岩手県陸前高田市長(4期)。岩手県議会議員(2期)。 岩手県陸前高田市出身。1959年(昭和34年)東北大学法学部卒。同年七十七銀行に入る。その後、同銀行を退職し、印刷会社勤務を経て、帰郷し、陸前高田市で家業の印刷会社を経営する。 1979年(昭和54年)岩手県議会議員に当選、2期務めた後、1987年(昭和62年)陸前高田市長選挙に立候補し当選。4期務める。1992年(平成4年)岩手県市町村職員共済組合理事長。 1989年(平成元年)、「さんりく・リアス・リゾート」構想の承認を機に、「里造徒(りぞうと)」の街づくりを推進。
畑山 博(はたやま ひろし、1935年5月18日 - 200… 畑山 博(はたやま ひろし、1935年5月18日 - 2001年9月2日)は、東京府出身の小説家、文学研究者。
金谷 利廣(かなたに としひろ、1935年(昭和10年)5月… 金谷 利廣(かなたに としひろ、1935年(昭和10年)5月17日 - )は日本の元裁判官。主に刑事裁判を担当した他、司法行政にも携わり、最高裁判所判事を歴任した。 1958年(昭和33年)に京都大学法学部卒業後は第12期司法修習生、1960年(昭和35年)4月8日に東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
北葉山 英俊(きたばやま ひでとし、1935年5月17日 -… 北葉山 英俊(きたばやま ひでとし、1935年5月17日 - 2010年7月20日)は、北海道室蘭市出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は山田 英俊(やまだ ひでとし)。最高位は東大関。 1935年5月17日に北海道函館市で生まれ、すぐに室蘭市へ転居した。双葉山定次に憧れて中学校では相撲部の主将を務め、道内各地の大会で活躍していたが、卒業後は家計を助けるために3年間は富士製鉄の下請けをする管組で勤務しながら鍛冶屋へ奉公に出た。1954年3月に奉公が終わったことで角界入りする意思を伯父に伝えて相談すると、賛成されると同時に助言してくれたが、両親は許可を出しそうに無かったことで家出同然で親友の自宅で弁当を作ってもらい、それを持って職場の同僚に駅まで送ってもらって青函連絡船と列車に乗り、上京した。
多田 修(ただ おさむ、1935年5月16日 - )は、北海… 多田 修(ただ おさむ、1935年5月16日 - )は、北海道出身の元アルペンスキー選手。 北海高 → 早稲田大学 → 伊勢丹 1955年の第28回全日本学生スキー選手権大会の回転で優勝。荒削りながら、コースの選定には独特の勘があったと言われる。1959年のスコーバレーのプレオリンピックでは、欧米の強豪を相手に、滑降・回転・大回転の3種目総合で4位に入る健闘を見せた。同年の第37回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技では、回転で猪谷千春・見谷昌禧に次いで3位に入り、翌1960年のスコーバレーオリンピックの代表に選出される。同オリンピックでは、アルペンスキーの滑降で46位、回転で26位、大回転で35位だった。
星 亮一(ほし りょういち、1935年〈昭和10年〉5月16… 星 亮一(ほし りょういち、1935年〈昭和10年〉5月16日 - 2021年〈令和3年〉12月31日)は、日本の小説家。東北史学会会員、日本文芸家協会会員。福島県郡山市在住。血液型B型。 宮城県仙台市生まれ。岩手県立一関第一高等学校。東北大学文学部国史学科卒業。後に日本大学大学院総合社会情報研究科修士課程修了。専攻は日本近現代史。 大学卒業後、福島民報社に入社。最初の赴任地が会津若松市で「会津若松史」の編纂事業に参加した。 1970年(昭和45年) 1月5日、この年の春に開局する福島中央テレビへ移籍。プロデューサー、制作部長、報道制作局長を歴任後、作家に専念。先祖は仙台藩重臣・佐藤宮内の家中で、戊辰戦争・白河口の戦いにも参戦したこともあり、戊辰戦争は作家としての大きなテーマの一つだった。
杉山 幸丸(すぎやま ゆきまる、1935年5月16日 - )… 杉山 幸丸(すぎやま ゆきまる、1935年5月16日 - )は、日本の霊長類学者、京都大学名誉教授。日本霊長類学会会長、国際学術誌『PRIMATES』編集長を務めた。 満洲国新京生まれ。1958年、東京教育大学理学部卒業。1963年、京都大学大学院理学研究科博士課程単位満了。1966年、京都大学理学博士。論文は「Sociological studies of Presbytis entellus 」。京都大学理学部助手を経て、1970年、京都大学霊長類研究所助教授、1987年、同教授。1996年、同研究所所長。1999年、定年退官、名誉教授。2000年、東海学園大学教授、人文学部長(-2004年)。
横山 清(よこやま きよし、1935年5月15日 - )は、… 横山 清(よこやま きよし、1935年5月15日 - )は、日本の実業家。アークス代表取締役会長、ラルズ代表取締役会長、初代新日本スーパーマーケット協会会長、恵迪寮同窓会理事長。元全国スーパーマーケット協会理事長。藍綬褒章受章。 北海道芦別市の鍛冶屋の家に生まれる。北海道芦別高等学校卒業後、明治鉱業芦別炭鉱で2年間炭鉱夫として働いたのち、1960年に北海道大学水産学部を卒業した。 北海道大学恵迪寮に入寮し、当時寮長を務めていたこともあり、寮費を滞納する先輩からも臆せず取り立てを行っていたという。 大学卒業後は野原産業に入社。1961年大丸スーパー(現アークス)入社。1985年から大丸スーパー代表取締役社長を務め、1989年丸友産業と合併しラルズに改組後も引き続き代表取締役社長を務めた。
美輪 明宏(みわ あきひろ、1935年〈昭和10年〉5月15… 美輪 明宏(みわ あきひろ、1935年〈昭和10年〉5月15日 - )は、日本の歌手。俳優・演出家・タレント・声優・コメンテーター・ナレーターとしても活動している。 長崎県長崎市出身。本名及び1971年までの芸名は丸山 明宏(まるやま あきひろ)で、幼名は臣吾(しんご)。愛称はマルさん。 海星中学校を経て国立音楽大学附属高校を中退した。兄と姉と弟のいる五人兄弟の次男。自らの個人事務所である「株式会社オフィスミワ」所属。身長161cm。 1935年(昭和10年)5月15日(水曜日)、長崎県長崎市で、寺田作一・ヌメの間に、5人兄弟の次男として誕生する。出生名は寺田臣吾だった。母の実家の跡継ぎとして養子に出され、「丸山臣吾」へと改姓する。
深海 博明(ふかみ ひろあき、1935年5月15日 - 20… 深海 博明(ふかみ ひろあき、1935年5月15日 - 2023年5月29日)は、日本の経済学者。専門は、国際経済学、資源・エネルギー・環境経済学。慶應義塾大学経済学部名誉教授。 東京都生まれ。1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業、1960年に同修士課程を修了、1963年に同博士課程を単位取得退学している。1960年に同経済学部副手、1962年に助手、1966年に専任講師、1967年に助教授、1975年に教授となる。1983年から1987年まで同大学国際センター所長も務めている。2001年に慶應義塾大学を定年退職し、同大学名誉教授、東洋学園大学教授となる。大学外でも、通商産業省総合エネルギー調査会、科学技術庁原子力委員会専門委員、港区環境審議会会長、クリーンエネルギー普及調査会理事長などを務めている。
漆間 英治(うるま えいじ、1935年(昭和10年)5月15… 漆間 英治(うるま えいじ、1935年(昭和10年)5月15日 - )は、日本の警察官僚、実業家。綜合警備保障社長、会長を務めた。 大分県出身。1958年に早稲田大学政治経済学部を卒業。同年に警察庁に入庁した。1985年広島県警察本部長、1986年警察庁刑事局保安部長、1988年中部管区警察局長を歴任。 1990年に綜合警備保障専務に転じ、副社長を経て、1996年6月に社長に就任。2001年6月に副会長に退き、2002年6月から相談役を務めた。 2005年11月に瑞宝中綬章を受章。 第20代警察庁長官を務めた漆間巌は弟。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菅野 国春(かんの くにはる、1935年5月14日 - )は… 菅野 国春(かんの くにはる、1935年5月14日 - )は、日本の作家、出版プロデューサー、フリーライター。 岩手県奥州市出身。國學院大學卒業。編集者、ルポライター等を経て作家に。 1990年、菅野ペンオフィスを設立し出版プロデューサーとしても活動している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
三木 忠雄(みき ただお、1935年〈昭和10年〉5月14日… 三木 忠雄(みき ただお、1935年〈昭和10年〉5月14日 - 2005年〈平成27年〉2月27日)は、日本の政治家。1962年中央大学商学部2部卒業。参議院議員(4期)。 1935年5月14日に徳島県徳島市で生まれる。1958年より創価学会本部事務総局に勤務。その後、同企画局長、同事務総局次長。1968年に国政選挙出馬のために創価学会事務総局退職。1968年7月7日、第8回参議院議員通常選挙に、全国区から、公明党推薦で立候補し、当選する(以降、連続4回)。参議院予算委員会、参議院運輸委員会、参議院沖縄特別委員会などの委員長や理事を歴任する。公明党中央執行委員、公明党労働局長、公明党国民運動本部長、公明党参議院国会対策委員長に就任。
森松 健介(もりまつ けんすけ、1935年5月14日 - 2… 森松 健介(もりまつ けんすけ、1935年5月14日 - 2019年11月10日)は、日本の英文学者、中央大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了、金沢大学講師、神戸市外国語大学助教授、中央大学法学部助教授、教授。2006年定年、名誉教授。96年『トマス・ハーディ全詩集』で日本翻訳文化賞受賞。
深谷 和子(ふかや かずこ、1935年5月14日 - 202… 深谷 和子(ふかや かずこ、1935年5月14日 - 2024年1月2日)は、日本の臨床心理学者、東京学芸大学名誉教授。幼児臨床心理学が専門。夫は教育学者の深谷昌志。 東京出身。東京教育大学教育学部心理学科卒業、1963年同大学院教育学研究科博士課程満期退学、同大学教育相談所勤務、1974年東京学芸大学助教授、教授、1999年定年退官、名誉教授、東京成徳大学人文学部教授、同心理・教育相談センター長。2006年退任。 2024年1月2日、死去。88歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
三木 卓(みき たく、1935年5月13日 - )は、日本の… 三木 卓(みき たく、1935年5月13日 - )は、日本の小説家、詩人、翻訳家。日本芸術院会員。
雄倉 幸昭(おぐら ゆきあき、1935年5月13日 - )は… 雄倉 幸昭(おぐら ゆきあき、1935年5月13日 - )は、日本の土木工学・衛生工学者。工学博士(京都大学)。大阪工業大学名誉教授・短期大学部元学部長、元應援團顧問。 専門は、土木環境システム工学・衛生工学、水理学・環境科学。 1958年京都大学工学部土木工学科卒業。同大学土木工学科助手などを経て、新日本技術コンサルタント(現:ニュージェック)にて土木環境システムの研究に従事。1975年京都大学大学院にて工学博士(指導教授:京都大学衛生工学科初代教授を務めた岩井重久)。1978年大阪工業大学工学部土木工学科教授。その後、同大学短期大学部元学部長および應援團顧問も務め、2006年大阪工業大学名誉教授。
鈴木昭憲(すずき あきのり、1935年5月13日 - )は、… 鈴木昭憲(すずき あきのり、1935年5月13日 - )は、日本の生物有機化学者。神奈川県出身。 昆虫や植物の生理活性物質の研究に大きく貢献した。東京大学副学長や秋田県立大学学長としての職務も行った。1997年の東大総長選では決選投票で蓮實重彦に敗れた。
岩崎 吉一(いわさき よしかず、1935年5月13日 - 1… 岩崎 吉一(いわさき よしかず、1935年5月13日 - 1994年6月13日)は、日本の美術評論家。 福岡県北九州市八幡西区香月生まれ。1963年学習院大学大学院美学美術史博士課程修了。1961年より東京国立近代美術館勤務、企画資料課長、次長。1994年6月13日、在職中に肺癌のため死去。
川津 祐介(かわづ ゆうすけ、1935年5月12日 - 20… 川津 祐介(かわづ ゆうすけ、1935年5月12日 - 2022年2月26日)は、日本の俳優。東京都新宿区出身。 1935年(昭和10年)5月12日(日曜日)、東京府東京市四谷区新宿(現在の東京都新宿区新宿)に生まれる。 慶應義塾高等学校から慶應義塾大学医学部在学中の1958年(昭和33年)、映画監督である兄・川頭義郎が縁となり木下惠介の勧めもあって同年の『この天の虹』(松竹)でスクリーンデビュー。 『人間の條件』の「第3部・第4部」(1959年)と「第5部・第6部」(1961年)に寺田二等兵役で出演。 松竹時代は青春スターとして人気を誇る。退社後はフリーとなり、松竹時代の青春路線とは異なる敵役や癖のある準主役などさまざまな役柄を演じた。
保原 喜志夫(ほばら きしお、1935年5月11日 - 20… 保原 喜志夫(ほばら きしお、1935年5月11日 - 2009年2月19日)は、日本の法学者。専門は、労働法・労災補償法・労働安全衛生法・産業医に関する研究。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1966年)。北海道大学名誉教授。宮城県出身。指導学生に加藤智章(北海道大学名誉教授)など。
押谷 善一郎(おしたに ぜんいちろう、1935年5月11日 … 押谷 善一郎(おしたに ぜんいちろう、1935年5月11日 - )は、日本のアメリカ文学者。大阪市立大学名誉教授。 京都府生まれ。1963年大阪市立大学文学部英文科卒、京都大学大学院修士課程修了。和歌山大学学芸学部(のち教育学部)助教授、教授、京都府立大学教授、1994年大阪市立大学文学部教授、1998年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授、就実大学人文学部教授、学長。1995年「スティーヴン・クレインの眼」で大阪市大文学博士。2016年11月、瑞宝中綬章を受章。
土屋 統吾郎(つちや とうごろう、1935年5月11日 - … 土屋 統吾郎(つちや とうごろう、1935年5月11日 - 2001年3月24日)は、日本の映画監督である。岐阜県瑞浪市出身。明治大学文学部英米文科卒業。 大学卒業後新東宝に入社。千葉泰樹に師事する。フリーランスになってからはテレビドラマを中心に活躍し、東宝・大映テレビ作品の全盛期の屋台骨を支えた。 特に日本テレビの青春ドラマやフジテレビ水曜20時台の大映ドラマの多くは、土屋統吾郎が監督や演出を務めた作品である。 2001年3月24日、急性腎不全のため東京都渋谷区広尾の日本赤十字社医療センターで逝去。65歳。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
野中 郁次郎(のなか いくじろう、1935年5月10日 - … 野中 郁次郎(のなか いくじろう、1935年5月10日 - 2025年1月25日)は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授、カリフォルニア大学バークレー校特別名誉教授、日本学士院会員。元組織学会会長。知識経営の生みの親として知られる。 東京都墨田区出身。父は職人。太平洋戦争中、疎開先の静岡県富士郡吉原町(現:富士市吉原)でグラマンF6Fヘルキャットによる機銃掃射を受け九死に一生を得る。笑いながら機銃掃射を行う米兵の姿を見て復讐を誓った。兄と同じ東京都立第三商業高等学校に進学するが簿記や珠算に興味がわかず、卒業要件の簿記3級と珠算3級を得ることができず、卒業が危ぶまれる状況になったため、教員の計らいで商業コースから進学コースに移り、複数の私立大学仏文科、独文科、政治学科などを受験。
円谷 皐(つぶらや のぼる、1935年5月10日 - 199… 円谷 皐(つぶらや のぼる、1935年5月10日 - 1995年6月11日)は、円谷プロダクション第3代社長で第2代会長、演出家、プロデューサー、歌手、作詞家。別名に谷のぼる。 円谷英二の次男として生まれる。円谷一(演出家・円谷プロダクション第2代社長)は兄、円谷粲(英語版)(円谷映像社長)は弟、円谷一夫(円谷プロダクション第4代社長・同社第3代会長)は息子にあたる。 玉川学園卒。同社で特撮スタッフとして長年活躍した高野宏一とは小学校で同級生だった。脚本家の金城哲夫はこの玉川学園の後輩である。 1954年(昭和29年)、成城大学文芸学部入学。大学では演劇に熱中。石井伊吉(現毒蝮三太夫)は劇団仲間だった。
加藤 昌利(かとう まさとし、1935年5月10日 - 19… 加藤 昌利(かとう まさとし、1935年5月10日 - 1985年5月9日)は、兵庫県洲本市生まれのプロ野球選手・審判員。 洲本高校では1953年の春の選抜に初出場。四番打者として、エース北口勝啓(のち明電舎)とバッテリーを組み勝ち進む。決勝では片岡宏雄のいた浪華商を完封で降し、淡路島に優勝旗をもたらした。チームは「瀬戸内少年野球団」と渾名される。北口以外のチームメートに遊撃手の志貴正視(のち法大)がいた。 1954年に期待されて近鉄パールスに入団。1955年には控え捕手として一軍に定着し、3年目の1956年に原勝彦に代わりレギュラー捕手となる。翌年は故障もあって出場機会がなく、1958年に外野手に転向。
福永 有利(ふくなが ありとし、1935年(昭和10年)5月… 福永 有利(ふくなが ありとし、1935年(昭和10年)5月8日 - 2015年(平成27年)5月6日)は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・破産法。神戸大学名誉教授、北海道大学名誉教授。元同志社大学教授。兵庫県加古川市生まれ。従四位瑞宝中綬章。 妻は、大阪大学教授(大学院高等司法研究科)の千葉恵美子。門下生に、 成城大学法学部教授の町村泰貴がいる。
碓井 優(うすい ゆたか、1935年5月7日 - )は、日本… 碓井 優(うすい ゆたか、1935年5月7日 - )は、日本の実業家。広島県呉市長迫町出身。石川島播磨重工業(IHI)のコンピュータ外販部門のリーダーだった1981年、79人の仲間を率いて同社を集団退社。『コスモ・エイティ』を興して大きな注目を浴び、日本のベンチャー草分けとなった。[要出典] 広島県立呉三津田高等学校野球部で広岡達朗の後輩。1学年上の小畑正治(元南海)後の剛球エースとして1952年、選抜大会選考に繋がる秋季中国地区大会決勝まで進むが、柳井高校に自身の悪送球で延長サヨナラ負けし甲子園出場は成らなかった。阪神と南海のスカウトが来たが関西大学に進学。しかし父親の会社が負債を抱え倒産。やむなく野球は諦め数日だけの大学生活を終え、父の友人だった呉市長・鈴木術の口利きで呉造船所(のち合併し石川島播磨重工業(IHI))に入社した。
松本 啓(まつもと けい、1935年5月6日 - )は、日本… 松本 啓(まつもと けい、1935年5月6日 - )は、日本の英文学者、中央大学名誉教授。 岩手県生まれ。1960年東京外国語大学英米科卒業、同大学英米科副手。1963年東京大学大学院英語英米文学修士課程修了。神戸大学文学部助手、同教養部専任講師、中央大学法学部専任講師、同助教授、同教授。2006年定年、名誉教授。イギリス文学専攻。
飯島 英胤(いいじま ひでたね、1935年5月5日 - )は… 飯島 英胤(いいじま ひでたね、1935年5月5日 - )は日韓経済協会第七代会長、株式会社東レ特別顧問。 早稲田大学教育学部卒業。1959年、東洋レーヨン(現・東レ)に入社。同社入社後は主に人事、労務畑を歩み、同社の人事政策の策定に携わる。人事部長、経営企画室長、東レ経済研究所社長・会長、東レ代表取締役副社長などを経て、2003年6月より現職。社団法人日韓経済協会会長を務めるとともに日本経団連統計部会長、日本軽金属社外取締役、日本バレーボール協会副会長も兼務する。また、「製造業のあり方を考える会」の会員(他の会員は千速晃新日鉄会長や張富士夫トヨタ自動車会長ら計12名)や各種の政府審議会委員を歴任。
高橋 正雄(たかはし まさお、1935年5月5日 - )は、… 高橋 正雄(たかはし まさお、1935年5月5日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。 成田高校では1952年に夏の甲子園へ出場した。 1953年に毎日オリオンズへ入団。1953年退団した。
岡嶋 博治(おかじま ひろじ、1935年5月5日 - )は、… 岡嶋 博治(おかじま ひろじ、1935年5月5日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 父親を早くに亡くし、母子家庭で育った。中学時代は投手で両打ちだった。 伏見高校では左腕エースの太田武を擁し、遊撃手として1953年春の選抜に出場。準決勝まで進んだが、片岡宏雄らがいた浪商に敗れた。同大会では選手宣誓を務めた。同年夏は京都府大会決勝で西舞鶴高に完封負け。 卒業後は立命館大学へ進学し1年春からレギュラーを掴み打率.342、3本塁打を記録するも1954年7月に僅か4か月で大学を中退して中日ドラゴンズに入団し、入団の翌日から一軍ベンチ入りする。同年は21試合のみ出場も終盤の巨人戦でサヨナラ打を放つなどリーグ優勝に貢献。