飯村 隆彦(いいむら たかひこ、1937年2月20日 - 2… 飯村 隆彦(いいむら たかひこ、1937年2月20日 - 2022年7月31日)は、映画作家。実験映画の草分け的存在。飯村隆彦映像研究所ディレクター。 東京都出身。慶應義塾高等学校時代に、高橋新吉や萩原恭次郎のダダイスム詩の影響を受け、自らも詩を執筆する。1959年慶應義塾大学法学部卒業後、日映新社にアルバイトで入り、PR映画の助監督を経験する。1962年に8ミリ映画の映画詩「くず」で注目を浴び、実験映画・個人映画作家となる。赤瀬川原平、荒川修作、篠原有司男、中西夏之といった美術家たちと交流を持つようになり、暗黒舞踏の土方巽らの協力を得て、8ミリ映画や16ミリ映画の前衛映画『あんま』(20分/1963年)『バラ色ダンス』(13分/1965年)を製作する。
大坂 弘道(おおさか ひろみち 1937年2月20日 - 2… 大坂 弘道(おおさか ひろみち 1937年2月20日 - 2020年9月25日)は、日本の木工芸家。 重要無形文化財「木工芸」の保持者(いわゆる人間国宝)。木工芸の人間国宝としては6番目の認定者(1997年認定)。 鳥取県倉吉市出身。鳥取県立倉吉東高等学校、東京学芸大学卒業後、美術教師をしながら木工製作を独学。34歳から木工芸家本橋玉斎、氷見晃堂、竹内碧外らに師事する。木工芸に限らずほとんどの人間国宝が家業として、あるいは子供のころから修業の道に入り、遅くとも大学・学校を卒業後直ちにその道に進んでいるのに比べ、大学卒業後しばらく公立学校教師についていた異例の人間国宝である。 唐木指物などの木工画法を得意とし華麗な装飾が特徴である。
久保 友之(くぼ ともゆき、1937年2月20日 - 202… 久保 友之(くぼ ともゆき、1937年2月20日 - 2023年7月7日)は、高知県室戸市出身のプロ野球選手・プロ野球審判員である。 1957年に高知県立室戸高等学校を卒業後大阪タイガースに入団したが一軍経験のないまま3年で退団。選手時代の背番号は36。その後サラリーマン生活を送っていたが、野球への情熱が忘れ去られず審判になることを決意。1970年テストを受けてセントラル・リーグ審判となり関西審判部に所属。1996年まで審判を務めた。 50代の時はインサイドプロテクターに変更した。 審判員袖番号は11(1988年初採用から1996年引退まで、2004年から吉本文弘が44から変更して継承。) その後はプロ野球マスターズリーグで審判をつとめるほか、少年野球教室の指導などをしていた。
小平 桂一(こだいら けいいち、1937年2月20日 - )… 小平 桂一(こだいら けいいち、1937年2月20日 - )は、日本の天文学者、理学博士。専門は天文学・銀河物理。英国天文学会・海外フェロー会員。日本学術振興会ボン研究連絡センター長。
天彦 五男(あまひこ いつお、1937年(昭和12年)2月2… 天彦 五男(あまひこ いつお、1937年(昭和12年)2月20日 - 2009年(平成21年)8月23日)は日本の詩人。元日本詩人クラブ会長。本名は堀田寛(ほったひろし)。 1937年(昭和12年)2月20日、東京府に生まれる。法政大学経済学部を卒業する。『あいなめ』『鴉』に所属。2001年(平成13年)5月から日本詩人クラブ会長を務める(-2003年(平成15年)5月)。2009年(平成21年)8月23日に死去、72歳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
加藤 幸次(かとう ゆきつぐ、1937年2月19日- )は、… 加藤 幸次(かとう ゆきつぐ、1937年2月19日- )は、日本の教育学者、上智大学名誉教授。 愛知県生まれ。愛知県立半田高等学校を経て、愛知学芸大学教育学部卒、名古屋大学大学院修士課程修了、ウィスコンシン大学大学院修士課程修了。国立教育研究所に入り、研究室長をへて上智大学教授、2004年定年退職、同名誉教授。同年名古屋女子大学教授。2007年退職。日本個性化教育学会会長、グローバル教育学会顧問、アメリカ教育学会会長、社会科教育研究センター会長。
杉本 清(すぎもと きよし、1937年2月19日 - )は、… 杉本 清(すぎもと きよし、1937年2月19日 - )は、奈良県大和高田市出身のフリーアナウンサー・競馬ジャーナリスト。元関西テレビアナウンサーで、長年、中央競馬の実況中継を担当したことで知られる。現在はアライバル所属。関西放送記者クラブ会友。血液型はB型。 少年時代の夢はプロ野球選手であった。奈良県立高田高等学校在学中は野球部に所属していたが、猛特訓を受けた反動でスポーツ性の腎機能障害を患ってしまい、このことがきっかけで運動制限がかかってしまい、野球を断念する。この頃からラジオのナイター中継を聴いているうちに、プレーをしている選手よりも実況しているアナウンサーに興味が移っていった。 高校卒業後は関西学院大学法学部へ進学し、在学中の1960年に知人のツテを頼って関西テレビにアルバイトとして入社。
岡本 登(おかもと のぼる、1937年2月19日 - )は、… 岡本 登(おかもと のぼる、1937年2月19日 - )は、日本のハンマー投選手。1950年代末から1960年代にかけて活躍、日本人選手として初めて60m台の記録を樹て、1960年ローマオリンピックと1964年東京オリンピックに出場した。 福岡県京都郡苅田町出身。福岡県立京都高等学校を卒業後、福岡大学に進む。 1958年(昭和33年)5月18日、九州学生陸上競技大会において、日本新記録(58m85)で優勝。9月4日には、日米交歓陸上競技横浜大会で60.0mを記録、これは日本人初の60m台であり、自己の持つ日本新記録を塗り替えた。1959年(昭和34年)、福岡大学を卒業し旭化成に入社。 1960年ローマオリンピックと1964年東京オリンピックに出場した。
江川 滉二(えがわ こうじ、1937年2月19日 - 200… 江川 滉二(えがわ こうじ、1937年2月19日 - 2009年8月3日)は、日本の医学者。学位は、医学博士(1962年)。東京大学名誉教授。 1937年、江川英文の次男として東京都に生まれる。新制成蹊高等学校を経て、1963年に東京大学医学部医学科卒業。1968年、東京大学生物系大学院博士課程修了、医学博士の学位を取得。東京大学医科学研究所で長年、基礎医学の面から、がん免疫研究に携わる。1984年、同研究所教授。1997年、東京大学名誉教授。1999年、がんの新しい治療法である免疫細胞治療の専門診療施設「瀬田クリニック(現医療法人社団滉志会瀬田クリニック東京)」を開設。2004年より、日本免疫治療学研究会会長。
草場 公邦(くさば としくに、1937年2月19日 - 20… 草場 公邦(くさば としくに、1937年2月19日 - 2008年10月31日)は、日本の数学者。 東京生まれ。1961年東京大学理学部数学科卒、同大学院修士課程修了。エコール・ノルマル・シュペリウールを経て東京都立大学 (1949-2011)助手、東海大学理学部助教授、教授。2008年定年、名誉教授。
亀井 秀雄(かめい ひでお、1937年〈昭和12年〉2月18… 亀井 秀雄(かめい ひでお、1937年〈昭和12年〉2月18日 - 2016年〈平成28年〉6月17日)は、日本の文学研究者・評論家。文学博士(北海道大学・論文博士・1999年)。その対象分野は、言語論・身体論・表現論・文体論・文学史(論)・評伝など多岐にわたる。北海道大学名誉教授、その後市立小樽文学館に館長として勤務し、退職。合同会社オピニオン・ランチャーを設立し、その代表社員を務めた。 1937年(昭和12年)、群馬県勢多郡粕川村女渕(現・前橋市粕川町女渕)に生まれる。1955年に群馬県立前橋高等学校を卒業した後、北海道大学文類に入学。 在野の儒学者だった父親の亀井一雄により、2年後には文学部の東洋史学講座へ進む予定だったが、当時の北大の東洋史学講座では内紛が起こり、講義が行われない状態となった。
永次 廣(ながつぎ ひろし、1937年2月18日 - 201… 永次 廣(ながつぎ ひろし、1937年2月18日 - 2017年7月21日)は、日本の実業家。元安川電機会長、安川情報システム(現:YE DIGITAL)社長。長崎県長崎市出身。 1937年長崎県生まれ。1959年長崎大学経済学部卒業後、安川電機製作所(現:安川電機)に入社。取締役企画部長などを経て、1989年安川情報システム社長、1994年常務、1995年専務、1996年副社長。1999年3月期に経常赤字となるなど業績が悪化したことを受け、橋本伸一社長の下で中期経営計画を進め、産業用電気機器をはじめとした不採算部門からの撤退やロボット事業など得意とする事業分野の強化を行なった。2000年に会長就任。
柴 桂子(しば けいこ、1937年2月18日 - )は、日本… 柴 桂子(しば けいこ、1937年2月18日 - )は、日本の歴史学者。桂文庫主宰。専門は日本近世史・女性史。 福岡県北九州市生まれ。高校卒業後9年間のブランクを経て早稲田大学文学部入学、在学中に結婚。卒業論文『江戸時代の女たち 封建社会に生きた女性の精神生活』が単行本となる。 80歳を機に静岡県掛川市に転居、引き続き勉強会などを主宰している。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
五月女 幸雄 Saotomé Yukio(さおとめ ゆきお、… 五月女 幸雄 Saotomé Yukio(さおとめ ゆきお、1937年2月18日 - )は、前衛美術出身、フランス在住の画家。 栃木県宇都宮市に生まれる。教師であった両親の下で、幼少時より絵を描き始める。栃木県立石橋高等学校に進み、社会科教諭・大島清次に出会う。後に栃木県立美術館および世田谷美術館の館長となる大島は、当時の社会状況や現代思想について、ことあるごとに生徒たちに語って聞かせていた。社会の実相を見つめる目、美術への志向がこうして養われていく。 蕨画塾(埼玉県蕨市)に入り、彫刻を長谷秀雄に、絵画を寺内萬次郎、金子徳衛に学ぶ。同じ頃彫刻家・石井鶴三に出会ってその芸術観に感動し、東京芸術大学彫刻科の石井教室を目指して数度の受験に臨むが入学は叶わず、最後に合格通知を受け取った埼玉大学教育学部の美術科に入学することとなった。
伊藤 俊也(いとう しゅんや、1937年(昭和12年)2月1… 伊藤 俊也(いとう しゅんや、1937年(昭和12年)2月17日 - )は、日本の映画監督・脚本家。 いとう としやと紹介される場合があるが、いとう しゅんやが正しい。 福井県福井市出身。乾徳高等学校を経て、東京大学文学部卒業。 1960年、東映撮影所に入り助監督・脚本家として活動。助監督時代の映画に『河内遊侠伝』(1967年)がある。 1970年、千葉真一主演の『やくざ刑事シリーズ』の第二作『やくざ刑事 マリファナ密売組織』を野田幸男と共同監督。 1972年、梶芽衣子主演『女囚701号 さそり』を単独で監督、本人はこれをデビュー作としている。鮮烈な様式美で『女囚さそりシリーズ』としてシリーズ化されたが、先鋭的な演出がどんどんエスカレートしたこともあり第3作で降板。
高田 由美子(たかだ ゆみこ、1937年2月17日 - 20… 高田 由美子(たかだ ゆみこ、1937年2月17日 - 2013年5月25日)は、日本の生理学者。専門は大脳生理学。浜松医科大学教授、2002年浜松医科大学名誉教授。 1937年(昭和12年)に生まれる。東京都出身。1961年(昭和36年)慶応義塾大学医学部医学科を卒業、同大学大学院医学研究科で生理学を専攻し、1966年(昭和41年)に博士課程を修了して医学博士になった。同年米国ニューヨーク州立ロズウェルパーク記念研究所 (Roswell Park Memorial Institute) の研究員として留学、1972年(昭和47年)にニューヨーク州立大学大学院助教授に就任。1975年(昭和50年)からは、浜松医科大学医学部医学科助手として勤務。
山本文彦(やまもと ふみひこ、1937年2月16日 - )は… 山本文彦(やまもと ふみひこ、1937年2月16日 - )は、日本の洋画家、筑波大学名誉教授、日本藝術院会員、美術団体の一般社団法人二紀会常任理事である。茨城県牛久市在住。 1937年に東京で生まれる。疎開によって約10年間、現在の長野県佐久市で過ごした。長野県野沢北高等学校を経て、1961年東京教育大学 (現在の筑波大学) 教育学専攻科芸術専攻修了。1961年千葉県立長生高等学校教諭となる。1969年山口大学助教授となる。1985年筑波大学芸術学系教授となる。1996年NHK教育テレビ 趣味百科「油絵を描く」の講師となる。2000年定年退官し、筑波大学名誉教授となる。2010年日本藝術院会員となる。
小嶋 秀夫(こじま ひでお、1937年2月16日 - 201… 小嶋 秀夫(こじま ひでお、1937年2月16日 - 2019年4月1日)は、日本の教育心理学者。専攻は、発達心理学・家族関係研究。学位は、教育学博士(1968年)。名古屋大学名誉教授。 京都府出身。1959年京都大学教育学部卒、1964年同大学院教育学研究科博士課程満期退学。1968年「親子関係把握の方法論的研究」で教育学博士の学位を取得。金沢大学教育学部助教授、1974年名古屋大学教育学部助教授、教授、2000年定年退官、名誉教授、京都学園大学人間文化学部教授。2007年退任。2015年11月瑞宝中綬章受章。
小谷 信雄(こたに のぶお、1937年2月16日 - )は、… 小谷 信雄(こたに のぶお、1937年2月16日 - )は、高知県安芸市出身の元プロ野球選手。 高知商業高校時代の1954年に春夏連続で甲子園に出場した。 1955年に広島カープへ入団。1957年に退団後は篠崎倉庫でプレーした。その後地元に帰郷して安芸市役所に勤めた。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
横山 孝雄(よこやま たかお、1937年〈昭和12年〉2月1… 横山 孝雄(よこやま たかお、1937年〈昭和12年〉2月15日 - 2019年〈令和元年〉8月31日)は、日本の漫画家で、「知里幸恵 銀のしずく記念館」初代理事長。中華民国北平市出生、福島県相馬郡新地町出身。妻は「知里幸恵 銀のしずく記念館」館長の横山むつみ(1948年 - 2016年9月21日)。義父は知里幸恵の弟で知里真志保の兄にあたる知里高央。 中華民国北平市生まれ。領事館警察官だった父の転勤で、主に長江下流域の中小都市で幼少期を過ごした。 1946年、第二次世界大戦の日本敗戦により両親の故郷である福島県新地町に引き揚げる。福島県立相馬高等学校在学中、『漫画少年』誌を通じて、石森章太郎が主宰の「東日本漫画研究会」の会員となり『墨汁一滴』に参加する。
松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月… 松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月15日 - 2004年(平成16年)6月17日 )は、日本の小説家、歌人。大分県中津市出身。大分県立中津北高等学校卒業。主要な作品は、記録文学。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。
田口 弘(たぐち ひろし、1937年2月15日 - )は、日… 田口 弘(たぐち ひろし、1937年2月15日 - )は、日本の実業家・現代美術コレクター。岐阜県出身。 1959年に愛知学院大学商学部を卒業し、大竹農機(現・大竹製作所)に入社。1963年に三住商事(現・ミスミグループ本社)設立に参画し、1969年に社長就任。1994年に東証2部上場、1998年に東証1部上場を果たす。「購買代理店」「マーケットアウト」などの経営コンセプトを打ち出し、ミスミ株式会社を年商550億円の商社に育てた。2002年に起業専業企業の株式会社エムアウトを設立し、現在は代表取締役会長。2019年、文化庁長官表彰。 ミスミ株式会社時代より現代美術コレクターとしても知られ、主にアメリカ現代美術の作品を収集している。
淺井 昌信(あさい まさのぶ、1937年2月15日 - )は… 淺井 昌信(あさい まさのぶ、1937年2月15日 - )は、日本の経営者。ヒガシマル醬油社長を務めた。 兵庫県出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1966年にヒガシマル醤油に入社した。1984年に取締役に就任し、1986年に常務、1990年に専務を経て、1996年に副社長に就任し、2002年3月には社長に昇格した。2012年3月には会長に就任。 2018年4月には旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
野本 寛一(のもと かんいち、1937年2月14日 - )は… 野本 寛一(のもと かんいち、1937年2月14日 - )は、日本の民俗学者。学位は、文学博士(筑波大学・論文博士・1988年)(学位論文「生態民俗学序説」)。近畿大学名誉教授。徹底したフィールドワークから得た資料に基づく画風で知られ、「環境民俗学」を構築した。瑞宝重光章受章。文化功労者。 静岡県出身。1959年、國學院大學文学部卒業。1988年『生態民俗学序説』で文学博士(筑波大学)。同年4月、近畿大学民俗学研究所助教授。1993年、同大学文芸学部文化学科教授。 1996年、近畿大学付属民俗学研究所所長、2004年、柳田国男記念伊那民俗学研究所所長(〜2011年)、2005年近畿大学特任教授。
三原 淳雄(みはら あつお、1937年2月14日 - 201… 三原 淳雄(みはら あつお、1937年2月14日 - 2011年2月8日)は、満洲国生まれ・大分県出身の経済評論家。 1955年、大分県立大分舞鶴高等学校卒業。1959年、九州大学経済学部卒業後、同年日興証券(株)に入社。 1970年、ノースウェスタン大学経営大学院留学(企業派遣) 、翌年スイス銀行チューリッヒ駐在。 1972年、日興証券ニューヨーク支店勤務を経て、1974年日興証券ロサンゼルス支店長に就任。 1976年、日興証券を退職後、三原淳雄事務所((株)インパルス)を設立。経済評論家として活動を開始する。さらに、日本ファイナンシャル・プランナーズ協会特別顧問、社団法人日本商品投資販売業協会、東海東京調査センター理事にも就任。
吉田 勝彦(よしだ かつひこ、1937年2月14日 - )は… 吉田 勝彦(よしだ かつひこ、1937年2月14日 - )は日本の競馬実況アナウンサー。園田競馬場と姫路競馬場で競馬実況を担当している。ダート・プロダクション代表、元弘報館所属。
小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと… 小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと ちとせ)、1937年2月13日 - 2003年11月26日)は、日本の女優、タレント。夫は山本耕一。愛称は「おっかさん」。 朝鮮京畿道京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ。戦後に福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に引き揚げ、のちに東京へ移る。 共立女子高等学校卒業後、文学座の研究生となり、1958年にNHKと専属契約を結ぶ。清純さの中にどこか哀愁を漂わせ、「鈴を張ったような」と形容された大きな目の美貌で人気を集め[要出典]、馬渕晴子と冨士眞奈美と合わせて「NHK三人娘」と呼ばれ、テレビ草創期のスターとなった。 1965年、俳優の山本耕一と結婚。
平岡 瑤子(ひらおか ようこ、1937年(昭和12年)2月1… 平岡 瑤子(ひらおか ようこ、1937年(昭和12年)2月13日 - 1995年(平成7年)7月31日)は、三島由紀夫の妻。杉山寧の娘。専業主婦として側面から三島の文筆活動を支え、未亡人となってからは、夫の書誌の編集や遺作の整理・保存、著作権保護に尽力し、経団連襲撃事件の際には、犯人の元楯の会会員の説得にあたった。 なお、瑤子と新婚旅行中の三島が宿泊先の箱根の富士屋ホテルの便せんで、「私の妻瑤子は21歳の大学生です。彼女はとてもかわいくて、良い子(really cute and sweet)です」と、アメリカの出版社(英訳『仮面の告白』刊行)の社長宛てに近況報告していた手紙が、2015年(平成27年)に発見された。
二宮 寛(にのみや ひろし、1937年2月13日 - )は、… 二宮 寛(にのみや ひろし、1937年2月13日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。
中辻悦子 (なかつじえつこ、本名:元永悦子、1937年2月1… 中辻悦子 (なかつじえつこ、本名:元永悦子、1937年2月12日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、造形作家、絵本作家。 大阪府生まれ。大阪府立三国丘高等学校卒業。夫は元永定正で、夫の作品にグラフィックデザイナーとして協力することもあり、ふたりの作品展「元永定正 中辻悦子 絵本原画展」も開催。 1991年、『もけら もけら』(山下洋輔:文、元永定正:絵、中辻悦子:構成)で第14回絵本にっぽん賞(現・日本絵本賞)を受賞。 1999年、『よるのようちえん』(谷川俊太郎:文、中辻悦子:絵・写真)で第17回ブラティスラヴァ世界絵本原画展のグランプリを受賞。 2001年には神戸市なぎさ公園のモニュメント「夢きずな」、2005年には明石市民夏まつり事故の碑「いれぶんはーと」を元永定正と合作。
砂川 啓介(さがわ けいすけ、1937年2月12日 - )は… 砂川 啓介(さがわ けいすけ、1937年2月12日 - )は、日本の俳優、タレント。東京都出身。妻は女優、声優の大山のぶ代。
斎田 一路(さいた いちろ、1937年2月12日 - 200… 斎田 一路(さいた いちろ、1937年2月12日 - 2006年1月18日)は、日本の経営者。共同通信社社長を務めた。 東京都出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に共同通信社に入社。1994年6月に常務理事に就任し、1996年6月に専務理事を経て、1998年6月から2002年12月までに社長を務めた。電通取締役も務めた。 2006年1月18日下咽頭がんのために死去。68歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
唐牛 健太郎(かろうじ けんたろう、1937年2月11日 -… 唐牛 健太郎(かろうじ けんたろう、1937年2月11日 - 1984年3月4日)は、日本の学生運動家。60年安保闘争当時の全学連委員長。
塩見昇(しおみ のぼる、1937年2月11日 - )は、日本… 塩見昇(しおみ のぼる、1937年2月11日 - )は、日本の図書館学者。専門は図書館情報学。大阪教育大学名誉教授。 京都府京都市出身。京都大学教育学部卒業。1960年大阪市立図書館司書、1971年大阪教育大学講師。同教授、同大学附属図書館長を歴任した。2002年定年退職、名誉教授、大谷女子大学教授。2007年退職。日本図書館協会理事長(2005年 - 2013年)、日本図書館研究会理事長。2016年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
井津 哲彦(いづ てつひこ、1937年(昭和12年)2月11… 井津 哲彦(いづ てつひこ、1937年(昭和12年)2月11日 - )は、日本の政治家。元高知県安芸市長。 高知県安芸郡北川村出身。1959年(昭和34年)中央大学文学部卒業。 1960年(昭和35年)安芸市役所に入り、1985年(昭和60年)総務部福利厚生課長などを経て、高知県文化環境部参事、県国際交流協会常務理事を歴任。1997年(平成9年)安芸市長に当選した。
二木 宏明(にき ひろあき、1937年2月11日 - 201… 二木 宏明(にき ひろあき、1937年2月11日 - 2016年8月26日)は、日本の脳生理学者、生理心理学者、東京大学名誉教授。 東京生まれ。1959年東京大学文学部卒業。1965年同大学院博士課程中退。1970年「ネズミの行動における海馬の役割」で東大医学博士、1972年京都大学霊長類研究所助教授。1973年東京都神経科学総合研究所副参事研究員。1977年東大文学部心理学科助教授。1981年「遅延反応の生理心理学的基礎に関する研究」で文学博士。1987年東大文学部教授、1998年定年退官、名誉教授、埼玉工業大学教授。2008年退職。2016年8月死去。
脇田 直枝(わきた なおえ、1937年2月11日 - )は、… 脇田 直枝(わきた なおえ、1937年2月11日 - )は、コピーライター、クリエイティブ・ディレクター。AXNエンタテインメント放送番組審議会委員、東京都出身。 早稲田大学を卒業後、森永乳業へ入社。早大の同窓生に作家の阿刀田高がいる。森永でコピーライターとして広告に携わり、同社退社後フリーを経て、電通へ入った。 電通が時代に合わせて女性だけの広告代理店「電通EYE」を立ち上げることが決まり、脇田は専務取締役に就任。1985年に代表取締役社長ヘ就任。少数精鋭を好むスタイルで徒党を組むことを嫌い、電通EYEを大きくした。その後、時代の変貌と自らの年齢により退任。脇田の退任と同時に電通EYEも解散した。
鈴木 孝雄(すずき こうゆう、1937年〈昭和12年〉2月1… 鈴木 孝雄(すずき こうゆう、1937年〈昭和12年〉2月10日 - )は、日本の政治家。元青森県南津軽郡田舎館村長(5期)。旭日小綬章受章。 田舎館村出身。青森県立黒石高等学校卒業後、家業の農業に従事。1983年10月に田舎館村議会議員になる。1991年10月1日から1995年9月30日まで第12代同副議長を、同年10月2日から2001年3月9日まで、第18・19代同議長を務めた。 1999年10月1日に行われた田舎館村議会議長選挙に絡み、9月4日に阿部潤司村議から現金30万円を受け取り投票を約束したとして、2001年2月9日に収賄の疑いで逮捕された。鈴木は賄賂を飲食代などに使ったものの別の村議から議長選に出馬するよう説得されたため賄賂を阿部に返金した上で議長選に立候補、阿部との一騎打ちとなったが議長に再選した。
山下 和正(やました かずまさ、1937年2月10日 - )… 山下 和正(やました かずまさ、1937年2月10日 - )は、日本の建築家。工業デザインも手がけている。また、古地図のコレクターであり、岐阜県図書館には山下和正コレクションがある。
高辻 知義(たかつじ ともよし、1937年2月10日 - )… 高辻 知義(たかつじ ともよし、1937年2月10日 - )は、日本のドイツ文学者、音楽学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 ワーグナーを研究、ワーグナー作品の絵入り本の翻訳のほか、対訳本も刊行している。1980年代に、NHKラジオドイツ語講座(中級)の講師を務め、『ローエングリン』を訳読した。 妻はピアニストの岡村梨影。 東京市生まれ。広島大学附属福山高等学校卒業。1959年東京大学文学部ドイツ文学科卒業、1961年東京大学大学院人文科学研究科独語独文学専門課程修士課程修了。1963年國學院大學文学部講師。 1965年から1966年まで、ベルリン自由大学(西ドイツ)へ留学。 1970年10月より東京大学教養学部助教授、1986年より東京大学教養学部教授、その後東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻主任。
稲留 照雄(いなとめ てるお、1937年(昭和12年)2月1… 稲留 照雄(いなとめ てるお、1937年(昭和12年)2月10日 - )は、日本の政治家。元大阪府泉南市長。 大阪府出身。1959年(昭和34年)慶應義塾大学文学部哲学科卒業。 1974年(昭和49年)以来、泉南市長に3選。1986年(昭和61年)8月、落選した。その後、2004年(平成16年)まで泉南市議会議員を務めた。
大西 久光(おおにし ひさみつ、1937年2月10日 - )… 大西 久光(おおにし ひさみつ、1937年2月10日 - )は、日本の実業家、ゴルフ評論家、ゴルフ場設計者。 兵庫県西宮市生まれ。1959年、関西学院大学を卒業し住友ゴム工業の前身である日本ダンロップに入社。大学時代にゴルフ部に所属(主将まで務めた)していた経験を生かしてゴルフ用品の開発などに携わる[要出典]。 1973年、同社の関連会社でゴルフ競技運営などを行うダンロップスポーツエンタープライズの設立と同時に出向の形でマネージャーとして入社。トーナメントプロデューサー・ディレクターとして「インターナショナルツアー・ダンロップフェニックストーナメント」など数多くのゴルフトーナメントを手掛けた。トーナメントのプロデュースをしていくうちにゴルフ場設計の重要性を痛感するようになり、ゴルフ場設計に本格的に乗り出す[要出典]。
越川 滋(こしかわ しげる、1937年2月9日 - )は日本… 越川 滋(こしかわ しげる、1937年2月9日 - )は日本の実業家。元三井造船常勤監査役。 千葉県出身。東京大学工学部船舶工学科卒業、同大学大学院工学研究科船舶工学専攻修士課程修了。 同年 三井造船(株)に入社。1994年6月に取締役兼玉野事業所長となり、1997年6月から常勤監査役に就いた。2002年6月27日 退職。 趣味はドライブ、読書。
田中 宏(たなか ひろし、1937年2月9日 - )は、日本… 田中 宏(たなか ひろし、1937年2月9日 - )は、日本の経済史者。一橋大学名誉教授、龍谷大学安重根東洋平和研究センター客員研究員。定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク共同代表。東京弁護士会人権賞、日本平和学会平和研究奨励賞受賞。 在日韓国人の参政権を実現するため、内海愛子らと定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワークを結成して共同代表になる。在日本大韓民国民団などと協力して積極的に活動をしている。2004年3月に東京弁護士会から活動を認められ、東京弁護士会人権賞を受賞。2017年には第6回日本平和学会平和研究奨励賞を受賞。日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する、<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人。
金盛 浦子(かなもり うらこ、1937年2月8日 - 202… 金盛 浦子(かなもり うらこ、1937年2月8日 - 2025年7月21日)は、日本の臨床心理士。 東京生まれ。青山学院大学文学部教育学科卒業。東京教育大学教育相談研究施設、聖マリアンナ医科大学精神神経科、東京大学附属病院分院神経科で研究生として心理臨床を学ぶ。1978年東京心理教育研究所を開設。1990年より、自遊空間SEPY(セピィ)を主宰。セラピスト・臨床心理士・芸術療法士としてカウンセリングにあたる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田淵 実(たぶち みのる、1937年2月8日 - 2007年… 田淵 実(たぶち みのる、1937年2月8日 - 2007年7月22日 )は、日本の経営者。 大阪府出身。1960年に大阪大学経済学部を卒業し、同年にアサヒビールに入社。1990年3月に取締役に就任し、1993年3月に常務、1996年3月に専務を経て、1997年3月にニッカウヰスキー副社長に就任し、1998年3月に社長に昇格した。その後は、2000年3月にアサヒビール副社長、2001年3月にアサヒ飲料会長を歴任。 2007年7月22日午後9時52分、肺癌のため死去。70歳没。
矢嶋 聰(やじま あきら、1937年2月8日 - )は、日本… 矢嶋 聰(やじま あきら、1937年2月8日 - )は、日本の医学者。専門は産科学・婦人科学。 長野県出身。1955年長野県諏訪清陵高等学校卒業。1962年東北大学医学部卒業。1967年同大学大学院医学研究科修了。同大学医学部産婦人科研究生。1970年同大学医学部助手。1974年シカゴ大学産婦人科・細胞病理学研究室留学。1978年東北大学医学部病理学第二講座で笹野伸昭に師事。同大学医学部講師。1980年東北労災病院産婦人科部長。同病院産婦人科副科長。東北大学医学部助教授。1982年東北労災病院産婦人科医局長。1985年東北大学医学部教授。東北労災病院産科婦人科科長、分娩部長併任。1994年同病院周産母子センター部長併任。
関 和平(せき かずひら、1937年2月8日 - )は、日本… 関 和平(せき かずひら、1937年2月8日 - )は、日本の経営者。いすゞ自動車社長を務めた。大阪府出身。 1960年に早稲田大学第一法学部を卒業し、同年にいすゞ自動車に入社。1984年1月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1991年1月に副社長に就任し、1992年1月に社長に昇格。1998年6月に会長に就任し、2001年6月から名誉会長を務めた。 社長在任時には、赤字の乗用車の自社生産を撤退し、大型トラックとディーゼル・エンジンの開発・生産に集中し、経営を立て直した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
浅野 孝(あさの たかし、1937年2月7日 - ) は、日… 浅野 孝(あさの たかし、1937年2月7日 - ) は、日本出身でアメリカ合衆国の環境工学者。カリフォルニア大学デービス校名誉教授。 北海道札幌市生まれ。北海道札幌南高等学校卒業後、1959年北海道大学農学部農芸化学科卒業。1965年カリフォルニア大学バークレー校工学部土木・環境工学科工学修士(M.S.E.)。1970年ミシガン大学土木環境工学科工学博士(Ph.D.)。1978年から1999年までカリフォルニア州水資源管理局水質高度利用専門官兼務。1981年カリフォルニア大学デービス校教授。2002年カリフォルニア大学デービス校名誉教授。2009年科学技術振興機構水領域アドバイザー。
阿久 悠(あく ゆう、1937年〈昭和12年〉2月7日 - … 阿久 悠(あく ゆう、1937年〈昭和12年〉2月7日 - 2007年〈平成19年〉8月1日)は、淡路島出身の放送作家、詩人、作詞家、小説家。数々のヒット曲の歌詞を生み出し、日本歌謡界の黄金時代を築いた。 ペンネームの由来は、広告会社勤務時代に放送作家として活躍を始めたが、兼業禁止の会社にばれないよう“悪友”をもじった筆名として使い始めた事から。深く考えずにつけたため、いずれは別の筆名にするつもりだったが、仕事が途切れなかったので、独立後も使い続けた。また、多夢星人(たむせいじん)の変名も使用した(阿久の小説『グッドバイ―BN童子の青春』の登場人物であるロック歌手の名に由来する)。 長男は作曲家の深田太郎で、阿久作詞・深田作曲の楽曲も存在する。