本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 … 本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 - 2001年(平成13年)7月7日)は、日本の銀行家。北都銀行副会長、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 宮城県仙台市出身。東北大学法学部卒業後、日本銀行に入行。 1980年には、秋田相互銀行に移り常務、専務を歴任。副社長時代には、普銀転換の陣頭指揮にあたり、1990年には、プロパーや創業者家系の多い秋田県の金融界では異色の存在、日銀出身者として秋田あけぼの銀行頭取に就任した。頭取在任時は、第三次オンラインシステムを鳥取銀行、沖縄海邦銀行と共同開発にあたったほか、羽後銀行との合併を成功裡にまとめあげた。 1993年の北都銀行発足後には、副会長に就任。
田村 英之助(たむら えいのすけ、1931年〈昭和6年〉3月… 田村 英之助(たむら えいのすけ、1931年〈昭和6年〉3月4日 - )は、日本の英文学者、詩人。専門はイギリス・ロマン派。立教大学名誉教授。筆名は中崎 一夫。 1931年群馬県桐生市生まれ。1950年群馬県立桐生高等学校を卒業。1954年東京大学文学部英文科卒業[要出典]。1957年同大学院英語英文学研究課程修了。修士号を取得。茨城大学文理学部講師、中央大学法学部助教授、教授[要出典]、1977年立教大学文学部英米文学科教授。1996年定年退任、名誉教授[要出典]。中崎一夫の筆名で詩や児童書の翻訳を書いた。
天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 -… 天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 - 1985年〈昭和60年〉7月27日)は、日本の俳優・歌手。本名は臼井 登(うすい のぼる)。別名はペンネームの宇寿木 純と臼井 暢浩。芸名はファンである中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来。 愛知県名古屋市出身。東邦商業学校卒業。 旗本・水野十郎左衛門の子孫で、家は旧尾張藩士であった。高校卒業後、1949年に松竹へ。大部屋俳優以下の仕出し扱いであった。2年間、通行人などをこなしたが解雇される。 1951年、第一期新東宝スターレットに選ばれ入社。同期には左幸子、久保菜穂子、高島忠夫、三原葉子、松本朝夫、小笠原弘らがいた。同期の新人が次々と主演に抜擢される中、ここでもほとんど仕出し扱いで、最初の2年間は給料わずか5千円、兄からの仕送りがなければ暮らせなかった。
櫻井 秀勲(さくらい ひでのり、1931年3月4日 - )は… 櫻井 秀勲(さくらい ひでのり、1931年3月4日 - )は日本の作家、編集者、YouTuber。 「ミニスカートブームの仕掛け人」「OLの名付け親」「西洋占星術を日本に紹介」として知られる。 『ウーマンウェーブ』代表取締役会長、『きずな出版』代表取締役社長、『KIZUNA CREATIVE』取締役、『早稲田運命学研究会』主宰。元女性自身編集長。著者『女がわからないでメシが食えるか』『男の運命は35歳で決まる』など200冊に及ぶ。古今東西の占い・運命学を研究活用している。 作家、きずな出版社長、5つのオンラインサロンのオーナー、YouTuberの顔を持ち、女学の神様・運命師・伝説の編集長などと呼ばれる。
種谷 春洋(たねや はるみ、1931年3月3日 - 1987… 種谷 春洋(たねや はるみ、1931年3月3日 - 1987年9月19日)は、日本の憲法学者。とりわけ、幸福追求権や基本的人権の歴史研究で知られる。 1931年、京都市に生まれる。京都府立山城高等学校を卒業後、京都大学文学部に入学。その後、法学部に転じ、1954年3月に同学部を卒業。同年、京都大学大学院法学研究科に進学し、公法学を専攻。杉村敏正に師事する。1956年、岡山大学法文学部に赴任し、助手、講師、助教授を歴任。1968年、大阪市立大学法学部に教授として就任(憲法)。1987年、心不全のため死去。享年56。 種谷は日本で初めて、日本国憲法13条の「幸福追求権」を、包括的な基本権(主観的権利)として捉え、独自の意味を見出す学説を提唱した。
赤松 光夫(あかまつ みつお、1931年3月3日 -)は、日… 赤松 光夫(あかまつ みつお、1931年3月3日 -)は、日本の小説家。青春小説・推理小説・時代小説・官能小説などで知られる。本名は赤松 光雄。 徳島県阿波郡市場町(現・阿波市市場町)で23代つづく浄土真宗尊光寺の僧侶の四男として生まれる。旧制阿波中学校(現・徳島県立阿波高等学校)から京都大学文学部卒。出版社に勤務し、女学生雑誌『高校家庭クラブ』の編集長をしていたが、石上玄一郎の主宰する同人誌『現象』に参加し、菊村到らとも知り合う。1960年から作家活動を始める。初め青春小説を書き、ファンレターに書かれていた経験を基に書いた「ロストラブ」シリーズはベストセラーになった。同時期にジュニア小説を書いていた川上宗薫は「おれと赤松はジュニア小説の柏鵬だ」と語っている。
高坂 卓至(こうさか たかし、昭和6年(1931年)3月3日… 高坂 卓至(こうさか たかし、昭和6年(1931年)3月3日 - 平成19年(2007年))は、昭和から平成時代の日本の洋画家。 昭和6年(1931年)富山県新湊市庄西町(現・射水市)に生まれる。金沢美術工芸大学美術科卒業、宮本三郎、高光一也に師事。1951年金沢現代美術展知事賞。1954年、東京都公立中学校教諭となる。1979年、東京銀座の日動画廊で開催の「第2回現代裸婦展」にて出品、準大賞を受賞。翌年、同画廊にて海をモチーフとする作品発表。1981年モスクワ、レニングラード、キエフを訪れ滞欧作品を制作する。1982年故郷の新湊市中央文化会館にて個展開催。1988年、高岡市美術館にて異色作家シリーズ特別展「高坂卓至展」開催。
島 成郎(しま しげお、1931年3月3日 - 2000年1… 島 成郎(しま しげお、1931年3月3日 - 2000年10月17日)は、日本の学生運動家、精神科医。1960年の安保闘争当時の全学連書記長。 東京都生まれ。1950年、東京大学教養学部入学と同時に日本共産党に入党。共産党の50年分裂で除名処分をうける。レッドパージ反対闘争に参画し、自治会副委員長として運動する。1951年、共産党に復党。1954年、東京大学医学部に進学。 1955年、全学連再建に精力的に活動し砂川基地反対闘争、原水爆禁止反対闘争に参画。1957年、共産党の東京都党委員に当選。第7回大会の代議員になるが生田浩二、佐伯秀光と共に党内フラクションを結成し「プロレタリア通信」を発信する。
中丸 和伯(なかまる かずのり、1931年3月3日 – 19… 中丸 和伯(なかまる かずのり、1931年3月3日 – 1982年1月25日)は日本の歴史学者。 神奈川県生まれ。1953年に東京教育大学理学部地学科を卒業し、さらに1955年に卒業論文「近世封建社会の形成過程-特に後北条治下に於て」を提出して、同大学文学部史学科を卒業。同大学大学院に進学し、1961年に同大学大学院文学研究科博士課程を修了。1977年に「後北条氏の歴史地理的研究」により、東京教育大学から文学博士の学位を授与される。 相模工業大学教授、東日本学園大学理事。
青木 望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 - 2026… 青木 望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 - 2026年2月20日)は、日本の作曲家、編曲家。JASRAC会員。 クリスチャンの家系であり、幼少期から母親のオルガン演奏に合わせ賛美歌を毎週歌っていた。これが好きだったといい、後に青木は「私の音楽の原点だった」と回想している。 少年時代から音楽に親しみ、ヴァイオリンが得意であったという。 旧制東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)在学中、知人に誘われてバンド活動を始める。そこでステージ演奏の魅力に摂りつかれたことで学校を中退し、15歳でプロのミュージシャンとしてデビュー。様々なバンドを転々としながら活動する。 当初は、自分が所属するバンドのために作曲・編曲をはじめたが、外部からも頼まれるようになり、放送やレコーディングが多くなると演奏家より稼げるようになったため、作・編曲家に転向。
小松原 庸子(こまつばら ようこ、1931年3月2日 - )… 小松原 庸子(こまつばら ようこ、1931年3月2日 - )は、日本の舞踊家。日本人フラメンコダンサーの第一人者。 常磐津勝蔵の長女として東京府東京市浅草区柳橋で生まれ、邦楽一家の中で育つ。幼い頃から、三味線、日本舞踊、クラシック・バレエなどを習い、15歳のとき、小牧バレエ団に入団。俳優座で演劇活動も始める。女子美術大学付属高等学校出身。 1958年(昭和33年)に単身スペインにわたり、エンリケ=エル=コホらにフラメンコを学びステージに立つようになる。帰国後の1969年(昭和44年)スペイン舞踊団を結成。 俳優の菅原謙次は実兄。
内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日… 内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日本の弁護士、政治家。日本共産党所属の元参議院議員(2期)。日本共産党名誉幹部会顧問。日本平和委員会代表理事。自由法曹団本部常任幹事。 東京都中央区出身。1952年明治大学法学部卒業後、同大学講師にて教鞭を執りながら弁護士として活動。恵庭事件や砂川事件、長沼ナイキ基地訴訟など憲法裁判で弁護団に関わったほか、恵庭裁判の過程で統幕会議事務局長を法廷で証人喚問、自衛隊による有事研究(三矢研究)を明らかにしたことでも知られる。 1974年の参院選に全国区から立候補し初当選。2期12年参議院議員を務めたが、1989年の参院選で落選するとそのまま政界を引退する。
藤木 悠(ふじき ゆう、1931年3月2日 - 2005年1… 藤木 悠(ふじき ゆう、1931年3月2日 - 2005年12月19日)は、日本の俳優。東京府荏原郡荏原町(現・東京都品川区)出身の大阪府大阪市西成区育ち。身長180cm。血液型A型。趣味・特技はフェンシング。本名は鈴木 悠蔵(すずき ゆうぞう)。
常盤 新平(ときわ しんぺい、1931年〈昭和6年〉3月1日… 常盤 新平(ときわ しんぺい、1931年〈昭和6年〉3月1日 - 2013年〈平成25年〉1月22日)は、日本の作家・翻訳家・アメリカ文化研究者。別名に、大原寿人(おおはらとしひと)。 岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。母親は福島県の出身。税務署員だった父親の転勤に伴って生後半年で水沢を離れ、山形県長井町、宮城県石巻市と転居した。小学校時代に仙台市に落ち着き、高校卒業までを同地で過ごした。宮城県仙台第二高等学校を経て、早稲田大学第一文学部英文科卒。同大学院修了。 早川書房に入社。1961年には新雑誌「ホリディ」の編集長になるが11号のみの発行となる。都筑道夫、生島治郎の後任として、ミステリー小説誌 『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(日本版)の三代目編集長を、1963年(昭和38年)から6年間務めた。
澤村 紫光(さわむら しこう、1931年3月1日 - )は、… 澤村 紫光(さわむら しこう、1931年3月1日 - )は、日本の経営者。沖電気工業社長、会長を務めた。 栃木県出身。1953年に成蹊大学政治経済学部を卒業し、同年に沖電気工業に入社。1979年6月に取締役に就任し、1985年2月に常務、1991年6月に専務、1993年6月に副社長を経て、1995年8月に社長に就任。1998年6月に会長に就任し、2000年6月には相談役に退いた。 2005年11月に旭日重光章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
堀口 勲(ほりぐち いさお、1931年 <昭和6年> 3月1… 堀口 勲(ほりぐち いさお、1931年 <昭和6年> 3月1日 - 2016年 <平成28年> 12月15日)は、日本の経営者。中国放送社長、会長を務めた。位階は正五位。 広島県広島市出身。1953年に広島大学工学部工業経営科を卒業し、同年に中国新聞社に入社。 1980年3月に取締役に就任し、1984年に常務を経て、1990年12月に広島市長選挙に出馬した平岡敬社長に代わり、中国放送社長に就任。1999年6月から2002年6月までに会長を務めた。 2002年11月に勲三等瑞宝章を受章。2016年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
今井 晶三(いまい しょうぞう、1931年(昭和6年)3月1… 今井 晶三(いまい しょうぞう、1931年(昭和6年)3月1日 - 2016年(平成28年)10月23日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。新聞記者。兵庫県豊岡市長。 早稲田大学を卒業後、日本経済新聞社に入り電波室長を歴任。1979年(昭和54年)の総選挙に新自由クラブ公認で兵庫5区から出馬、翌1980年(昭和55年)の総選挙では選挙区を東京1区に移して新自ク公認で出馬するも何れも落選。1981年(昭和56年)東通社長室付となって、1982年(昭和57年)テーク・ワン社長に就任。 1989年(平成元年)豊岡市長に当選し、3期務めた。2007年、旭日小綬章受章。2016年(平成28年)10月23日、悪性リンパ腫のため死去した。
春田 一夫(はるた かずお、1931年3月 - )は、日本の… 春田 一夫(はるた かずお、1931年3月 - )は、日本の法学者。専門は債権総論(民法)。弁護士。元九州国際大学学長。 ドイツ民法の研究で知られる。フライブルク大学では民法学の権威フリッツ・リットナー博士に師事を受けた。1978年9月八幡大学で開催されたリットナー博士の学術講演会で通訳を務めた。 学外活動として九州法学会理事、北九州市商工会議所法律相談員、新日鉄労組法律相談員を務めた。他に民法の代理の研究から権利取得授権を元に第三者のためにする契約の法理を構築した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
竹山 恭二(たけやま きょうじ、1931年3月 - 2008… 竹山 恭二(たけやま きょうじ、1931年3月 - 2008年8月6日)は、日本のアナウンサー、映像作家、文筆家。本名、同じ。 叔父は評論家・ドイツ文学者・小説家の竹山道雄。妻はTBSアナウンサーのちメディア史研究者の竹山昭子。 東京都生まれ。1953年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。同年2月にラジオ東京(KR。のちの東京放送=TBS)へ入社、アナウンサー第2期生として編成局アナウンス課へ配属。報道番組を担当。 その後、1954年12月に編成局報道部テレビニュース課へ異動ののち、報道局テレビ報道部を経て、1967年2月に編成局放送部、1976年9月テレビ本部制作局制作部に在職。テレビニュース記者を務めたほか、ニュース番組やドキュメンタリー番組の制作、映像ライブラリー等を手掛けた。
西條 隆繁(さいじょう たかしげ、1931年2月28日 - … 西條 隆繁(さいじょう たかしげ、1931年2月28日 - 2026年3月4日)は、元芝浦工業大学教授、工学博士(電気工学)。自然学園高等学校の創設者。 鉄道電気設備、リニアモーター、パワーエレクトロクスなどに関する研究に従事。IEEE、パワーエレクトロニクス研究会、鉄道電化協会、日本心理学会会員。 長女の不登校問題から既存の日本の教育方法を見つめ直し、将来の日本を担うような自立した人間を育てる必要があると学校を創立した。
村上 泰亮(むらかみ やすすけ、1931年〈昭和6年〉2月2… 村上 泰亮(むらかみ やすすけ、1931年〈昭和6年〉2月27日 - 1993年〈平成5年〉7月1日)は、日本の経済学者。専門は理論経済学。学位は、経済学博士(東京大学・1961年)。東京大学教授・国際日本文化研究センター教授・国際大学教授を歴任。 東京生まれ。父は東京学芸大学学長、青山学院大学学長などを務めた教育学者の村上俊亮。1953年東京大学教養学部教養学科イギリス科卒業。58年同助教授、のち教授。1961年、東京大学経済学博士。博士論文は『近代経済学の構造』。 東大教養学部教授在任中の1988年、同学部社会科学科への中沢新一の助教授任用が教授会で否決される(東大駒場騒動)と、東大の閉鎖的体質を批判し、西部邁に続いて辞職した。
久保木 哲夫(くぼき てつお、1931年2月27日 - 20… 久保木 哲夫(くぼき てつお、1931年2月27日 - 2022年12月6日)は、日本の国文学者。専門は中古文学。都留文科大学名誉教授。国文学者で日本大学教授の久保木秀夫は子息。 東京生まれ。1954年東京教育大学文学部国語国文学科卒業。都立国立高校、都立九段高校教諭を経て、都留文科大学助教授、教授。1995年定年退官、名誉教授、東京家政学院大学教授。1996年都留文科大学学長、2002年退任。
小田 久郎(おだ きゅうろう、1931年2月27日 - 20… 小田 久郎(おだ きゅうろう、1931年2月27日 - 2022年1月18日)は、日本の詩人。思潮社の創業者である。 1931年、東京都に生まれた。早稲田大学文学部卒業。投稿雑誌『文章倶楽部』で編集者を務めた。1956年、詩集『10枚の地図』を出版した。同年、思潮社を設立。1959年、雑誌『現代詩手帖』を創刊した。1995年、著書『戦後詩壇私史』で大佛次郎賞を受賞した。 2022年1月18日、肺炎により東京都内の病院で死去。90歳没。訃報は『現代詩手帖』2023年4月号で公表された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
白石 かずこ(しらいし かずこ、1931年2月27日 - 2… 白石 かずこ(しらいし かずこ、1931年2月27日 - 2024年6月14日)は、日本の詩人、翻訳家。本名:菱沼嘉壽子〈ひしぬま・かずこ〉。 妹に白石奈緒美(女優・料理研究家)がいる。 カナダのバンクーバーに生まれる。 伯父の小原克己は「満州公論」などの雑誌編集長をしており、井伏鱒二や林芙美子らといった作家と深い交流があった。 7歳で帰国し、10代から詩を書き始め、北園克衛らの「VOU」に所属。早稲田大学第一文学部在学中の1951年、20歳で詩集『卵のふる街』を上梓。一時期、映画監督の篠田正浩と結婚していた。1960年に『虎の遊戯』で復活し、1970年、『聖なる淫者の季節』でH氏賞、1978年、『一艘のカヌー、未来へ戻る』で無限賞、1982年、『砂族』で藤村記念歴程賞、1997年、『現れるものたちをして』で高見順賞、読売文学賞(詩歌部門)、1998年、紫綬褒章、2003年、『浮遊する母、都市』で晩翠賞受賞。
岡本 伊三美(おかもと いさみ、1931年2月26日 - )… 岡本 伊三美(おかもと いさみ、1931年2月26日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者。 次女に元プロテニスプレイヤーの岡本久美子がいる。 中学まではバスケットボールの選手だったが、京都市立第一工業学校時代に野球へ転向。野球部の同期に元阪神の桧山進次郎の実父がおり、当時岡本が遊撃手で桧山の父がエース投手であった。 高校卒業後の1949年に南海ホークスへテスト生として入団。高校時代のチームメイトに種田訓久(後に南海で共にプレー)がいる。 1951年はシーズン終盤の9試合に二塁手として先発出場、また南海土建に出向という形で社会人野球でもプレーした。 1952年には兼任監督の山本一人の後継と目され、7月からは二塁手の定位置を獲得。
田丸 徳善(たまる のりよし、1931年(昭和6年)2月26… 田丸 徳善(たまる のりよし、1931年(昭和6年)2月26日 - 2014年(平成26年)12月12日)は、日本の宗教学者。東京大学・大正大学名誉教授。 1931年、東京府荏原郡で生まれた。東京大学文学部宗教史学科で学び、1953年に卒業。同大学大学院に進んだ。1955年から4年間、西ドイツのボン大学に留学。1959年から1年間、ロックフェラー財団研究員。 1962年、東京大学助手に採用された。1964年、立教大学助教授に就いた。1973年に東京大学文学部助教授に転じ、後に教授昇格。1991年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。同年4月からは大正大学文学部教授。2001年に大正大学を退任し、名誉教授。
堀木 博禮(ほりき ひろのり、1931年2月26日 - 20… 堀木 博禮(ほりき ひろのり、1931年2月26日 - 2001年10月28日)は、日本の教育者。高等学校教諭、短期大学助教授、予備校講師を務めた。専門は現代文。1960年代後半から1990年代中盤にかけて代々木ゼミナール現代文・小論文の講師として人気を博したことで知られる。堀木博礼とも表記される。 東京都出身。東京都立九段中学校入学、静岡県立静岡城内高等学校へ転校、卒業。東京大学文学部仏文学科卒業。麻布高等学校教諭、共立女子短期大学助教授を務めた。1968年から1998年ごろまで、全国大手の大学受験予備校であった代々木ゼミナールの現代文講師。大学入試現代文の第一線で活躍した講師の一人で、駿台予備学校で東大クラスを教えていた藤田修一と人気を二分した。
宮部 昭夫(みやべ あきお、1931年2月26日 - 200… 宮部 昭夫(みやべ あきお、1931年2月26日 - 2006年6月17日)は、日本の男性俳優、声優。北海道函館市出身。 北海道函館市出身で、父は文部省に務めており、父の再婚相手の母は島根県松江市に在住しており、小学3年生まで松江市に過ごしていた。父が東京都に転勤になり、その後は東京都で過ごしていた。 当初は医学部を目指して慶應義塾大学といった大学の入学試験に受けたが、不合格になり、父に「じゃあ先生になれ」と言われて東京学芸大学に進学。旧制中学校時代から演劇を始め、当時同大学になかった演劇部を創設している。大学卒業後、半年間は母校だった小学校で教員として就職していたが、芝居がしたかったこともあり、親には猛反対されたが、退職する。
竹之内 明子(たけのうち あきこ、1931年2月26日- )… 竹之内 明子(たけのうち あきこ、1931年2月26日- )は、日本の英文学者、梅花女子大学名誉教授。 神戸市生まれ。父は銀行員の金田俊郎。東京女子大学卒業、大阪大学大学院博士課程中退、1976年梅花女子大学英米文学科教授、2001年定年退任。英国演劇を専攻し、シェリダン、ゴールドスミスなどの18世紀喜劇を翻訳したほか、ジョージ・エリオットの『ダニエル・デロンダ』を初めて全訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
島崎 雪子(しまざき ゆきこ、1931年2月25日 - 20… 島崎 雪子(しまざき ゆきこ、1931年2月25日 - 2014年)は、日本の元女優、シャンソン歌手。本名:土屋 とし子(つちや としこ)。元夫は映画監督の神代辰巳。東京都出身。大田原高等女学校(現・栃木県立大田原女子高等学校)卒業。 終戦後、バーの女給などをしながら役者を志し、中央演劇学校で学び、1949年俳優座養成所の2期生になった。1950年に新東宝映画のフレッシュガールに応募。藤本真澄の目に適い『山のかなたに』でデビューした。芸名は、石坂洋次郎が『青い山脈』のヒロインの名から採ったもの。二作目の『夜の緋牡丹』の製作では、主役の座をめぐり脚本の八田尚之に直談判後、一時行方不明となった。結果的に主役の座を争っていた女優が降板したため、『夜の緋牡丹』では主役を得ている。
田中 美郷(たなか よしさと、昭和6年(1931年)2月25… 田中 美郷(たなか よしさと、昭和6年(1931年)2月25日 - 没年不明)は、日本の医師。帝京大学名誉教授。 長野県生まれ。信州大学医学部付属病院講師(耳鼻咽喉科)、国立聴力言語障害センター聴能課長、帝京大学医学部助教授(耳鼻咽喉科)、上智大学大学院言語障害研究コース非常勤講師などを勤める。平成11年 (1999年) 帝京大学名誉教授。田中美郷教育研究所所長、平成25年 (2013年)大阪保健医療大学大学院教授。ほかに都内の神尾記念病院で週二回診療を行い、土曜は聴覚障害の子供や家族の支援なども行っている。
明畠 高司(あけはた たかし、1931年2月25日 - 20… 明畠 高司(あけはた たかし、1931年2月25日 - 2023年9月[要出典])は、日本の化学工学者。東京工業大学名誉教授。元山口東京理科大学学長。元環境科学会会長。元日本学術会議会員。 1958年東京工業大学大学院修了、工学博士。有機性廃棄物のガス化研究を行い、廃棄物学会や環境科学会、プラスチックリサイクル化学研究会等の設立にもあたった。東京工業大学大学院総合理工学研究科教授、初代東京工業大学生命理工学部長を経て、東京工業大学名誉教授。1995年環境科学会会長。1999年山口東京理科大学学長、プラスチックリサイクル化学研究会会長。同年光反応工学および気液接触の反応装置工学に関する研究で化学工学会賞受賞。
川本 コオ(かわもと こお、本名:川本弘昭、1931年2月2… 川本 コオ(かわもと こお、本名:川本弘昭、1931年2月25日 - )は、日本の漫画家。広島県出身。
牛嶋 正(うしじま ただし、1931年〈昭和6年〉2月25日… 牛嶋 正(うしじま ただし、1931年〈昭和6年〉2月25日 - 2024年〈令和6年〉10月5日)は、日本の経済学者、政治家(参議院議員〈1期〉)。名古屋市立大学名誉教授。位階勲等は正四位勲三等。 兵庫県生まれ。1955年(昭和30年)京都大学経済学部卒。大阪大学大学院経済学研究科博士課程修了。その後名古屋市立大学経済学部教授の傍ら、税制調査会の委員や愛知県や名古屋市の委員を務める。1990年(平成2年)に日本都市学会会長に就任。1995年(平成7年)名城大学都市情報学部教授。 1992年(平成4年)、第16回参議院議員通常選挙で公明党(比例区)から名簿順位1位で立候補し当選。1994年(平成6年)に新進党の結成に参加した。
犬田 充(いぬた みつる、1931年2月25日 - )は、日… 犬田 充(いぬた みつる、1931年2月25日 - )は、日本の社会心理学者、東海大学名誉教授。 東京生まれ。1953年東京教育大学理学部物理学科卒業。55年同大学院修士課程修了、光文社入社。1961年日本リサーチセンター調査部、1972年東海大学政経学部助教授、教授、2001年退任、名誉教授。
上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は… 上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(2期)。 山形県鶴岡市生まれ。1945年2月に、海軍少年兵に志願して、防府海軍通信学校に入った。復員後、鶴岡市役所土木課に勤める。県立鶴岡高等学校(現・山形県立致道館高等学校)定時制在学中に社会党に入党した。1953年、高校を卒業した。同年、上京して『社会タイムス』の記者となった。『社会タイムス』が1954年に休刊すると同年社会主義協会に入局、『社会主義』編集などに携わる。明治大学法学部中退。1962年10月に社会主義協会を退職した。 1963年千葉県議に当選し4期務めた。三里塚闘争初期において小川国彦らとともに支援活動を行う。
日下 武史(くさか たけし、1931年〈昭和6年〉2月24日… 日下 武史(くさか たけし、1931年〈昭和6年〉2月24日 - 2017年〈平成29年〉5月15日)は、日本の俳優、声優である。本名は日下 孟。東京都豊島区出身。劇団四季の創設者のひとり。身長168cm。体重60kg。愛称は「ギョブツ」。 2年遅れで慶應義塾普通部に入学、老け顔だったため「御仏」(ぎょぶつ)とあだ名された。慶應義塾高等学校在学中に浅利慶太と出会い、当時同校の英語教師だった劇作家の加藤道夫に師事したことが機縁となって演劇の道を志す。実際の演劇活動は慶應義塾大学文学部仏文科在学中からである。1953年、経済的理由もあって慶應大学を2年で中退し、同じ仏文科の浅利慶太、水島弘、藤野節子、井関一らと劇団四季を結成する。
大塚 卓夫(おおつか たくお、1931年2月24日 - 20… 大塚 卓夫(おおつか たくお、1931年2月24日 - 2021年4月15日 )は、兵庫県出身の元ラグビー選手。元サントリーフーズ社長。 旧制・北野中学校(現 大阪府立北野高等学校)を経て関西学院大学に進学。同校在籍時代はラグビー部で活動し、1952年のオックスフォード大学来日試合に日本代表選手(ポジションはセンター(CTB))として出場。キャップ1を獲得した。 大学を卒業後、壽屋(後のサントリー)に入社。入社2年目に1954年の北海道国体の大阪府代表選手としてプレーしたが、それを契機にラグビーとは決別した。ところが1970年代のとある年、当時のサントリー常務で、東京大学ラグビー部出身の平木英一が役員会議でサントリーにラグビー部を創設しようという話をもちかけたことがきっかけとなり、後にサントリーでもラグビーに携わることになった。
前角 博雄(まえずみ はくゆう、1931年2月24日 - 1… 前角 博雄(まえずみ はくゆう、1931年2月24日 - 1995年5月15日)は、日本の曹洞宗の僧侶。 数十年の指導の間に、ロサンゼルス禅センター、ホワイト・プラム・アサンガ、禅マウンテンセンター陽光寺、禅マウンテンモナストリー道真寺を設立し、12人の嗣法の弟子、68人の僧侶、500人の居士を育てた。 安谷白雲の下で公案も学んだ。 鈴木俊隆、崇山行願、宣化と同様に、彼の禅は欧米に大きな影響を与えた。 彼の嗣法の弟子の何人か、例えばバーニー・グラスマン・徹玄、デニス・ゲンポウ・メルツェル、ローリ大道、ジャン・澄禅・ベイズ、シャーロン・浄光・ベック、ウィリアム・ニョゲン・イェオらは、それぞれ参禅会を設立した。
塩原 勉(しおばら つとむ、1931年2月23日 - )は、… 塩原 勉(しおばら つとむ、1931年2月23日 - )は、日本の社会学者、大阪大学名誉教授。 富山県出身。1955年京都大学文学部卒、1961年同大学院博士課程満期退学、城戸賞受賞、1962年関西学院大学社会学部専任講師、1965年助教授、1969年奈良女子大学助教授、1972年千葉大学教授、1976年大阪大学人間科学部教授、1982年評議員、1990-1992年人間科学部長、1994年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授、2001年退職。1998年秋、紫綬褒章受章。 『組織と運動の理論 矛盾媒介過程の社会学』新曜社 1976『社会学の理論 1』旺文社 (ラジオ大学講座) 1984『社会学の理論 2』放送大学 1985『転換する日本社会 対抗的相補性の視角から』新曜社 1994
利沢 行夫(りざわ ゆきお、1931年2月23日 - 201… 利沢 行夫(りざわ ゆきお、1931年2月23日 - 2019年1月12日)は、日本のアメリカ文学者、文芸評論家。筑波大学名誉教授。 栃木県生まれ。本名・幸雄。東京教育大学卒、1967年「自己救済のイメージ 大江健三郎論」で群像新人文学賞受賞。東京教育大学助教授、教授、筑波大学教授、1994年定年退官、名誉教授。2019年1月12日に死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
田代 富士男(たしろ ふじお、1931年〈昭和6年〉2月22… 田代 富士男(たしろ ふじお、1931年〈昭和6年〉2月22日 - )は、日本の元政治家、元公明党参議院議員(4期)。 佐賀県出身。旧制三養基中卒。聖教新聞社、創価学会関西本部に勤務する。1965年の第7回参議院議員通常選挙で大阪府選挙区から公明党公認で立候補して初当選。以来連続4期当選する。参議院法務委員長、運輸委員長、党大阪府連本部長、参議院国会対策委員長などを歴任した。1988年に砂利船汚職事件で全国砂利石材店用組合連合会から現金を受け取った事が発覚。田代は離党して参議院議員を辞職した。その直後に受託収賄罪で起訴された。1992年に大阪地裁で懲役2年6ヶ月、執行猶予3年の判決を受けた。
青野 暉(あおの・あきら、1931年2月21日 - 2020… 青野 暉(あおの・あきら、1931年2月21日 - 2020年7月2日)は、日本の映画監督、演出家、脚本家。 愛媛県宇和島市出身。早稲田大学文学部仏文科卒業。就職に際しては大学の同級生だった今崎暁巳(ドキュメンタリー作家)と共にラジオ東京(後の東京放送)を受験するも、青野と今崎のふたりとも不合格であったという逸話が残る。 1954年に新東宝に入社。当初は企画部配属だったが、演出部へ異動となり石井輝男の下で宇津井健主演の『スーパージャイアンツ』シリーズの助監督を務める。 1961年に新東宝が倒産した後、国際放映へ移籍し、1964年放映のテレビドラマ『いまに見ておれ』(東京放送)で監督デビュー。 これ以後、青島幸男主演版の『意地悪ばあさん』第1作(1968年、よみうりテレビ)と第3作(1981年、フジテレビジョン)で演出と脚本を担当する。
目黒吉明(めぐろ よしあき、1931年2月21日 - 201… 目黒吉明(めぐろ よしあき、1931年2月21日 - 2012年6月28日)は、日本の考古学者。福島県の考古学に尽力した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松尾 英三(まつお えいぞう、1931年2月20日 - )は… 松尾 英三(まつお えいぞう、1931年2月20日 - )は、日本の実業家。元島原鉄道社長。雲仙普賢岳の噴火に伴う土石流により一部区間が寸断された島原鉄道の再建に尽力した。 1931年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校、長崎大学経済学部を経て、1954年に長崎県入庁。県通商貿易課勤務を経て、香港やバンコクで貿易促進駐在員を務めた。その後長崎県議会事務局長、労働部長、企画部長を歴任し、1989年に長崎空港ビルディング常務取締役に就任。同社専務取締役を経て、1993年島原鉄道社長に就いた。 島原鉄道は当時、1991年を中心に起きた雲仙普賢岳の噴火災害により、島原外港駅-深江駅間が不通となっていた。
金 壽根 (キム・スグン、김수근、1931年2月20日 - … 金 壽根 (キム・スグン、김수근、1931年2月20日 - 1986年6月14日) は、大韓民国の建築家、都市計画家。金重業(1922-1988)と共に韓国近代建築の巨匠と称される。 生涯に韓国内に200以上の建物を設計し、代表作として、ソウル蚕室総合運動場 (1977年)、空間社屋(1978年)、馬山聖堂(1979年)、国立清州博物館(1986年)などが挙げられる。 金は1966年に韓国で初めての建築・芸術総合誌である月刊『空間』を創刊し、1972年には空間舍廊を建立して文化活動の場所として開放した。また弘益大学校や建国大学校、国民大学校で教鞭をとった。これらの活動を通して多様な芸術活動を支援し、芸術運動を展開した。
大木 雅夫(おおき まさお、1931年2月19日 - 201… 大木 雅夫(おおき まさお、1931年2月19日 - 2018年10月1日)は、日本の法学者。専門は比較法学・法思想史・法哲学。聖学院大学客員教授。上智大学名誉教授。学位は、法学博士(東京大学・1958年)(学位論文「比較法思想の歴史的展開 -比較法学の根本問題-」)。福島県会津出身。神学者で学校法人聖学院理事長の大木英夫は実兄。末延三次に師事。 2018年10月1日、拡張型心筋症のため死去。87歳没。 2004年、中央大学法学部教授の木下毅が自著の盗作をしていると指摘。その結果木下の著書は回収された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大津 栄一郎(おおつ えいいちろう、1931年2月18日 -… 大津 栄一郎(おおつ えいいちろう、1931年2月18日 - 2013年1月17日)は、アメリカ文学者、翻訳家。明治学院大学名誉教授であった。 長崎県島原市生まれ。東京大学教養学部卒、同英文科大学院修了、東海大学助教授、明治学院大学教授を務め、ウラジーミル・ナボコフ、ヘンリー・ジェイムズなどを翻訳、研究した。晩年になって日本語に関心を深め『古事記』の現代語訳を刊行した。 ナボコフの『賜物』の翻訳については翻訳家の若島正から『翻訳の世界』誌の「改訳したい小説ベスト10」で多数の誤訳を指摘されたため、「若島正氏に反論する」を同誌に寄稿し反駁した。これに対する若島正の反論は『乱視読者の冒険 - 奇妙キテレツ現代文学ランドク講座』におさめられている。
多田 省吾(ただ しょうご、1931年〈昭和6年〉2月18日… 多田 省吾(ただ しょうご、1931年〈昭和6年〉2月18日 - 2010年〈平成22年〉9月4日)は、日本の政治家。山形県山形市出身。東北大学工学部化学工学科卒業。参議院議員(4期)。 1931年2月18日、山形県山形市に生まれる。 1953年、東北大学工学部化学工学科を卒業し、聖教新聞社に勤める。 1965年7月4日、第7回参議院議員通常選挙に、全国区から、公明党公認で立候補し、初当選(以降4回)する。 1970年代に、公明党副委員長に就任し、15年以上に渡り務める。公明党参議院議員団長の二宮文造の後任として、公明党参議院議員団長に就任する。日中国交正常化交渉の際、第2次、第3次訪中団に参加する。
井阪 健一(いさか けんいち、1931年〈昭和6年〉2月17… 井阪 健一(いさか けんいち、1931年〈昭和6年〉2月17日 - 2024年〈令和6年〉11月12日)は、日本の実業家である。三重県出身。 野村證券副社長、野村アセットマネジメント社長・会長、東京証券取引所副理事長、大阪経済大学理事長などを歴任した後、平和不動産社長となった。 株式会社セブン-イレブン・ジャパン社長の井阪隆一は息子である。野村證券では株式本部長を長く務め「天才相場師」「野村証券の星」などと称されていた。またきさくで腰の低い謙虚な人で野村社内では営業の神様と言われていた。先輩に当たる豊田善一(野村證券元副社長、国際証券元社長)も「天才だ。野村のために生まれてきたような男で、指導力、判断力、実行力とも抜群。