斉藤 俊彦(齊藤 俊彦、さいとう としひこ、1929年 - … 斉藤 俊彦(齊藤 俊彦、さいとう としひこ、1929年 - )は、日本の乗り物史研究家。 熊本県生まれ。熊本大学法文学部卒業後、NHKに入社。資料センター主査。退職後、立正大学大学院に学び、1989年「近代における道路交通地理 人力車から自動車へ」で立正大学文学博士。東京交通短期大学非常勤講師を務める。また、『藤沢市教育史』編纂に参加、幼児教育部門を担当。『人力車』で1979年度交通図書賞、『轍の文化史』で1993年度自動車工業史・中尾奨学金受賞、1994年度国際交通安全学会賞受賞。近代道路交通史研究、日本地理学会、交通史学会、富士学会、自動車史研究会会員。
村上 悳(むらかみ なおとし、1929年 - )は、日本の教… 村上 悳(むらかみ なおとし、1929年 - )は、日本の教育者。日本の医学者。専門は環境生理学。山口大学第9代目学長。同大名誉教授。学位は、医学博士(熊本大学・1959年)。 1959年熊本大学より「身体冷却時の体温調節に関する中枢性反応に関する研究」で医学博士の学位を取得。1978年山口大学医学部(第2生理)に在籍時、シンポジウムⅡ「生体機能と日内リズム」にて、‘‘体温と脳内アミン’’と題して講演。1980年、日本体質医学会第30回会長。1986年山口大学医学部教授(1992年まで)。1993年同大学第9代目学長に就任。1996年同大学退官。同大学名誉教授となる。1997年熊本リハビリテーション学院第3代学院長。
狩野 美智子(かのう みちこ、1929年〈昭和4年〉 - )… 狩野 美智子(かのう みちこ、1929年〈昭和4年〉 - )は、日本のスペイン研究家、文筆家、翻訳家。 東京浅草生まれ。東京で空襲を度々経験し、長崎での学徒動員中に工場で被爆。旧姓は切通。 1946年長崎県立長崎高等女学校卒業。1956年慶應義塾大学文学部西洋史学科卒業。都内の公立中学校、定時制高校で社会科教論として28年間教えた。1983年退職。その後は文筆家、翻訳家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
下郷 太郎(しもごう たろう、1929年 - )は日本の工学… 下郷 太郎(しもごう たろう、1929年 - )は日本の工学者、慶應義塾大学理工学部名誉教授。機械力学・制御工学専攻。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。
末盛 憲彦(すえもり のりひこ、1929年 - 1983年)… 末盛 憲彦(すえもり のりひこ、1929年 - 1983年)は、日本のテレビプロデューサー・ディレクター。 慶應義塾大学出身。1950年代末から1980年代まで、日本放送協会(NHK)の音楽バラエティ番組『夢であいましょう』『ステージ101』などを初め、多くの人気番組を手がけた。 中村八大を音楽監督に迎えて『夢であいましょう』の演出に携わった後、1965年10月から1966年3月までアメリカに滞在して様々なショー番組に接して感銘を受け、そのスタイルを日本のテレビ番組に導入したいと考えた。末盛が特に強い印象を受けたのは、大人数の若者のグループ「ヤング・アメリカンズ」が歌い踊る姿だった。帰国した彼は、道徳再武装(Moral Re-Armament)の日本支部の音楽ディレクターだったロビー和田が編成したレッツ・ゴーが大人数のメンバーでフォーク・ソングを歌うのを見て、自分が制作に携わることになったNHK初の若者向け音楽番組『ステージ101』を、ヤング・アメリカンズのような若者グループが歌い踊るショー形式の番組にしようと決心した。
俵 元昭(たわら もとあき、1929年 - )は、日本の歴史… 俵 元昭(たわら もとあき、1929年 - )は、日本の歴史家、記録作家。 島根県生まれ。学徒勤労動員で身体障害者になり結核も患う。のち大検を受け通信教育で教養課程を終え1956年慶應義塾大学文学部史学科卒業。港区史作成に携わり同区職員となる。港区立三田図書館港区資料室主査、東京百年史編纂会議員、港区役所麻布支所長、港区文化財保護審議会委員、東京地縁社会史研究所所長をへて1986年日本私家本図書館(現自費出版図書館)館長。私家本賞を設立。 1962年「京から来た運孤」で講談倶楽部賞受賞(市谷文也名義)。1977年『東京都港区近代沿革図集』で長谷川伸賞受賞。
稲垣 久雄(いながき ひさお、1929年 - 2021年)は… 稲垣 久雄(いながき ひさお、1929年 - 2021年)は、日本の仏教学者。元ロンドン大学講師、龍谷大学名誉教授。法名は瑞雄。浄土教の研究や仏典の英訳で知られる。父親は真宗僧侶として名高い稲垣瑞劔。 神戸生まれ。神戸市外国語大学卒業後、龍谷大学大学院を経てブリティッシュ・カウンシル留学生としてロンドン大学で学んだ。やがて同大学から博士号を授与され、12年間ロンドン大学で仏教学の講師を務めるかたわら、ジャック・オースチンらと英国真宗協会を設立して、ヨーロッパにおける浄土真宗の礎を作った。 1981年に帰国後は龍谷大学教授として教鞭を取り多くの学生を育てた。また1982年には国際真宗学会(IASBS)を創設し、1993年からはその会長に就任して同学会を文字通り国際的な学術団体として大きく育てた。
関口 英男(せきぐち ひでお、1929年- )は、文化学者、… 関口 英男(せきぐち ひでお、1929年- )は、文化学者、翻訳家。 兵庫県芦屋生まれ。1957年国際基督教大学卒業。インディアナ大学、南カリフォルニア大学大学院で学ぶ。松竹、テレビ東京、海外新聞普及を経て帝京大学に勤務。帝京ロンドン学園校長、帝京大学ダーラム分校校長ののち帰国。帝京大学国際文化学科助教授の後退職。ジャポニズム学会会員。
小島 昭安(こじま しょうあん、1929年 - )は、日本の… 小島 昭安(こじま しょうあん、1929年 - )は、日本の僧侶、口演童話家。曹洞宗永源寺住職。 静岡県富士市生まれ。駒澤大学文学部仏教学科卒業。大本山總持寺、永平寺に安居。 童話研究を進める傍ら、真の人づくりは仏教的情操教育以外にはないとの考えから、1948年「子ども会」を開設。1954年「永源寺日曜学校」を開設。1968年から、全国に先駆けて2泊3日の「子ども禅の集い」を開設。坐禅を中心に多彩なプログラムによる教化活動を行う。また、自坊だけでなく全国各地で、口演童話や紙芝居、人形劇、手品、絵話し、ゲームなどの児童文化財を駆使し、バラエティに富む児童教化活動を長年にわたって展開。 1986年に正力松太郎賞奨励賞、2005年同賞本賞を受賞。
井上 令一(いのうえ れいいち、1929年 - )は、日本の… 井上 令一(いのうえ れいいち、1929年 - )は、日本の精神科医である。順天堂大学名誉教授。財団法人順天堂精神医学研究所所長。専門分野は臨床精神医学全般、脳波学、神経生理学。東京都杉並区出身。 1950年武蔵大学医学部進学過程卒業、1956年順天堂大学医学部卒業。その後、順天堂大学名誉教授、(財)順天堂精神医学研究所所長となり、東京産業推進センターの相談役として、企業のメンタルヘルスにも応じている。その功績によって、東京労働局から局長賞を受賞した。
矢野 四年生(やの よねお、1929年 - 2001年)は作… 矢野 四年生(やの よねお、1929年 - 2001年)は作家、小学校教師。子どもの本研究家。日本子どもの本研究会・理事。熊本県菊池郡津田村(現・菊陽町)出身。加藤清正に関する著書が多い。 1929年、熊本県で生まれた。熊本師範学校、玉川大学教育学部を卒業した。1976年当時、東京都足立区立千寿第七小学校(現・千寿桜小学校)に勤務。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
坂本 光男(さかもと みつお、1929年 - )は、日本の教… 坂本 光男(さかもと みつお、1929年 - )は、日本の教育評論家。埼玉県秩父市生まれ。埼玉師範学校卒・中央大学法学部卒。小学校・中学校・高校の教師。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員。「親子映画」運動を進める。映画「はしれリュウ」「学び座」の原作者。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
稲本 直樹(いなもと なおき、1929年 - )は、日本の化… 稲本 直樹(いなもと なおき、1929年 - )は、日本の化学者、東京大学名誉教授。学位は理学博士。専攻は有機化学。 昭和4年東京生まれ。 昭和26年東京大学理学部化学科を卒業後、同大学院、助手、講師、助教授を経て、昭和40年東京大学理学部教授となる。 趣味は”しいてあげればお酒をたしなみ、化学の発展について論ずること"としている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
春日 佑芳(かすが ゆうほう、1929年 - )は、日本の哲… 春日 佑芳(かすが ゆうほう、1929年 - )は、日本の哲学研究者、防衛大学校名誉教授。道元とヴィトゲンシュタインを研究。 福島県伊達郡国見町の安養寺に生まれる。海軍兵学校を経て、東京大学文学部倫理学科卒業。防衛大学校助教授、教授、1994年定年、名誉教授、駒澤大学教授。2000年退職。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
坂口 健二(さかぐち けんじ、1929年 - 没年不詳)は、… 坂口 健二(さかぐち けんじ、1929年 - 没年不詳)は、日本の農芸化学者。 父は醸造の世界的権威東京大学名誉教授坂口謹一郎博士。 坂口健二は1929年、東京市に生まれ、第一高等学校を卒業する。1952年に東京大学農芸化学科を卒業し、千葉県野田市の野田産業科学研究所(キッコーマン)の研究員となる。1971年には、東京都町田市に設立された三菱化成生命科学研究所(後の三菱化学生命科学研究所)の微生物化学研究所室長となり、情報開発室長に1981年になる。1983年にフランス政府招聘研究員、1984年にドイツ政府招聘研究員。1984年にカリフォルニア大学客員教授となった。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
末松 四郎(すえまつ しろう, 1929年 - )は、日本の… 末松 四郎(すえまつ しろう, 1929年 - )は、日本の造園家。 東京大学農学部を卒業後に東京都庁に入り、東京都西部・北部公園緑地事務所、建設局、都市計画局、台東区役所を経て、東武緑地建設株式会社に勤務した。 1994年、第16回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
杉 重彦(すぎ しげひこ、1929年 - )「第五福竜丸展示… 杉 重彦(すぎ しげひこ、1929年 - )「第五福竜丸展示館」「ニッカウヰスキー余市会館」「鎌倉山のすまい」「ある寺の庫裡」などの代表作がある建築家。この他には「自邸」「山田氏のすまい」「資生堂ホネケーキ工場」「青森県東京事務所職員公舎」など。いとこに女優の杉葉子がいる。 東京都生まれ。1953年 東京大学工学部建築学科卒業。1958年 東京大学大学院数物系研究科修了。丹下研究室在籍。1959年 杉建築設計事務所設立。1970年大阪万博プレスセンター設計。1976年 第五福竜丸展示館を設計(JIA優秀建築選25年賞受賞)。1978年 ニッカウヰスキー余市会館設計(北海道建築賞、2013年度日本建築家協会賞)。
杉本 敏夫(すぎもと としお、1929年 - )は、日本の心… 杉本 敏夫(すぎもと としお、1929年 - )は、日本の心理学・数学史学者、明治学院大学名誉教授。 東京府(現在の東京都)生まれ。1954年、東京大学文学部心理学科卒業。1956年、同大学院修士課程修了。東大教養学部助手、専任講師。1968年、明治学院大学助教授。のち教授。1990年、定年退任、日本女子大学教授。1997年、定年退職。1981年、財団法人モーレイ育英会理事、のち理事長、会長。2005年、日本数学史学会会計監査。
鈴木 雪夫(すずき ゆきお、1929年 - 2016年2月)… 鈴木 雪夫(すずき ゆきお、1929年 - 2016年2月)は、日本の統計学者、理学博士、東京大学名誉教授、多摩大学名誉教授。従四位瑞宝中綬章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
長島 正充(ながしま まさみつ、1929年 - 2010年)… 長島 正充(ながしま まさみつ、1929年 - 2010年)は、日本の建築家。 東京都生まれ。旧制第一高等学校を経て、1953 年 東京大学工学部建築学科卒業。1956年 東京大学大学院数物系研究科修土課程修了。丹下研に所属。1961年からURTEC。この頃、秋田の家と写真家の家を発表。1973年独立、長島建築研究所代表取締役。1979 年聖グレゴリオの家設計で、JIA25年賞受賞 1989年 新高松空港旅客 ターナル設計。他代表作にパティオ北新宿、東久留米のセミナー施設、香川育英会東京学生寮(1994年)他。 訳書にジョン・J・フルーイン『歩行者の空間 - 理論とデザイン』(鹿島出版会)がある。
並木 信義(なみき のぶよし、1929年 - )は、元官僚の… 並木 信義(なみき のぶよし、1929年 - )は、元官僚の経済学者。東京生まれ。1952年東京大学経済学部卒、通産省入省、1959-1963年経済企画庁出向、1963-1967年ベルギー日本大使館一等書記官、1970年「ヨーロッパ経済論 -欧洲統合の現状と将来- 」で中央大学経済学博士。通産調査課長、産業構造課長、1975年日本経済研究センター、のち理事、常勤顧問。1989年名古屋市立大学経済学部教授、92年亜細亜大学教授、2000年退職。
森 郁夫(もり いくお、1929年 - 1966年)は、日本… 森 郁夫(もり いくお、1929年 - 1966年)は、日本の翻訳家。 1954年東京大学独文科卒。英米の推理小説・SFを翻訳した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
安永 浩(やすなが ひろし、1929年 - 2011年)は、… 安永 浩(やすなが ひろし、1929年 - 2011年)は、日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。元東京大学医学部助教授。学位は、医学博士(東京大学・1960年)。東京生まれ。 統合失調症に関してファントム理論(詳細は後述)を著した。笠原嘉、中井久夫、木村敏、宮本忠雄らと共に、日本の精神病理学第2世代を代表する人物である。 統合失調症に関するワークショップの成果をまとめた『分裂病の精神病理』にも参加した(詳細は当該記事を参照)。日本精神病理学会所属。 1928年東京生まれ。1953年東京大学医学部卒業。 東京大学医学部助手、東京拘置所医務部、東京家庭裁判所医務室、東京都立松沢病院勤務。1962年東京大学医学部講師、東大分院神経科病棟医長。
阿部 幸夫(あべ ゆきお、1929年 - 2016年)は、日… 阿部 幸夫(あべ ゆきお、1929年 - 2016年)は、日本の中国文学者。 東京生まれ。東京外国語大学卒、同専攻科中国文学専攻中退。成城大学、昭和女子大学などの非常勤講師をへて、1985年実践女子大学教授。2000年定年退職。 『北斗』に参加。夏衍を中心とした中国現代演劇(話劇)を専門としたが、中国古典を題材とする一般書を多く書いた。
若狭蔵之助(わかさ くらのすけ、1929年 - 2010年)… 若狭蔵之助(わかさ くらのすけ、1929年 - 2010年)は、日本の教育者。埼玉県秩父市生まれ。 旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、埼玉師範学校を卒業ののち、東京外事専門学校専修科ロシア語科卒。東京都内で練馬市立大泉学園小学校などで、小学校教員を長年務めたのち、鳥取大学教育学部教授。1980年、また1981年には1年間、南フランスのセレスタン・フレネのフレネ学校を訪問。彼の自由テキストや学校印刷所を軸とした、子どもたちが生活から学ぶ学校に傾倒し、日本の小学校現場で、フレネに学ぶ教育実践を展開し、それを次々と発表し続ける。自らの教育実践の姿勢を、生活学校と名付けた。フレネ教育研究会の設立に関与し、また日本生活教育連盟の会員でもある。
佐島群巳(さしま ともみ、1929年 - 2021年)は、日… 佐島群巳(さしま ともみ、1929年 - 2021年)は、日本の教育者・教育学者。東京学芸大学・帝京短期大学名誉教授。 岩手県江刺郡愛宕村(現・奥州市)の農家に生まれる。幼少期はしばしば家業を手伝った。岩手県立岩谷堂農林学校林業科、東京第二師範学校本科を経て、1953年東京学芸大学教育学部社会科甲類(地理学)卒業。公立小学校、東京学芸大学附属小金井小学校などで教師を務め、1974年東京学芸大学助教授、78年教授、98年名誉教授、1992年日本女子大学人間社会学部教授、1999年帝京短期大学教授、名誉教授、星槎大学非常勤講師。日本社会科教育学会顧問、日本生態系協会顧問、文部省「環境教育指導資料」(中学校・高等学校編)(小学校編)作成協力者。
金子 史朗(かねこ しろう、1929年 - )は、日本のサイ… 金子 史朗(かねこ しろう、1929年 - )は、日本のサイエンスライター。 東京農業大学、日本大学など非常勤。The Planetary Society, AAAS(アメリカ科学振興協会)、ニューヨーク科学アカデミーなどの会員。 歴史学者の金子民雄は弟。 東京生まれ。東京文理大(現筑波大学)地学科卒、同大研究科4修。東京都立立川高等学校教員を経て、サイエンスライターへ転身。 発表年 テーマ 発表雑誌名 巻、号、頁
隈部 直光(くまべ なおみつ、1929年 - )は、日本の英… 隈部 直光(くまべ なおみつ、1929年 - )は、日本の英語教育学者、大妻女子大学名誉教授。 東京都生まれ。東京教育大学大学院博士課程満期退学。語学教育研究所長を務めた。2002年まで大妻女子大教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
菅野 禮行(すがの ひろゆき、1929年 - 没年不明)は、… 菅野 禮行(すがの ひろゆき、1929年 - 没年不明)は、日本の漢文学者、静岡大学名誉教授。 福島県生まれ。東京教育大学卒、同大学院博士課程中退、和歌山大学助教授、静岡大学教授、1993年定年退官、名誉教授、東京成徳大学教授。 1988年筑波大学文学博士(論文の題は「平安初期の漢詩における中国文学の影響 」)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宮脇 理(みやわき おさむ、1929年 - )は、日本の美術… 宮脇 理(みやわき おさむ、1929年 - )は、日本の美術教育研究者。文部科学省教科調査官、岡山大学教授、横浜国立大学教授、筑波大学芸術学系教授、佐賀大学教授、美術科教育学会代表理事、上海・華東師範大学顧問教授などを務めた。東京教育大学卒業。学位論文に基づく博士(芸術学)。東京生まれ。 美術科教育学会、大学美術教育学会、日本美術教育連合など美術教育の学術団体の発展に尽力。また、横浜国立大学教育学部(学部名はその後、人間教育科学部に改称)の大学院修士課程の設置時に、美術教育研究にかかわる研究コースの開設に尽力した。さらに、筑波大学人間総合科学研究科(博士課程)芸術専攻芸術学領域における芸術教育学研究の研究指導体制の充実に努めた。
白砂 昭一(しらすな しょういち、1929年 - )は、日本… 白砂 昭一(しらすな しょういち、1929年 - )は、日本の音楽学者。 1929年、山梨県北巨摩郡白州町生まれ。中学校教員(英語、数学)を務めたのちに東京芸術大学に入学。 卒業後は、東京芸術大学に新しく設立された音響研究室で教鞭をとり、坂本龍一らの指導に当たった。 のちに国立音楽大学、聖徳大学人文学部で講師を務めた。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
野崎 喩(のざき さとる 1929年 - 2009年)は、日… 野崎 喩(のざき さとる 1929年 - 2009年)は、日本の工業デザイナー。佐賀県唐津市出身。 旧制唐津中学(現・佐賀県立唐津東中学校・高等学校)から東京芸術大学に進学、卒業後、トヨタ自動車に入社。入社後、社内の若手デザイナーとともにアメリカ合衆国のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに留学する。帰国後、工業デザイナーとしてトヨタの自動車デザインを手がけた。その後、社内での配置転換をきっかけに、船、家、鉄道など、さまざまな分野で工業デザイナーとしての功績を残したといわれている。 代表作は、トヨタ・2000GT。この他にも、トヨタ・コロナ、トヨタ・カリーナのデザインを手がける。 佐賀県唐津市中通りにある畔水記念館は、義姉が生家でもある自宅の一部を改装し、喩が子どもの頃に描いた絵のほか、机やベッド、オルガンなどを展示している。
三井 澄雄(みつい すみお、1929年 - )は、日本の化… 三井 澄雄(みつい すみお、1929年 - )は、日本の化学教育者。 東京生まれ。1948年東京工業大学附属工業専門部化学工業科卒、1963年東京理科大学化学科卒。埼玉県立浦和工業高等学校教諭、埼玉県立浦和高等学校教諭。1994年4月東京科学教育研究所を松井吉之助、長谷川純三と設立。『季刊・科学教育研究』を発行する。東京科学教育研究所化学教育研究室。物質同定の原理を教えることを提案した。
福田 和彦(ふくだ かずひこ、1929年 - 2018年)は… 福田 和彦(ふくだ かずひこ、1929年 - 2018年)は、日本の美術評論家、性哲学者。 大阪生まれ。文化学院文科、東京写真大学技術科卒業。アテネ・フランセに学ぶ。1958-73年金沢美術工芸大学産業美術学科主任講師。63年第1回国際工業写真展(チェコスロヴァキア)グランプリを受賞。67年よりインド、東南アジア、イタリアを中心とする欧米に長期滞在。WAS学会員。エロティカ評論を多く手がける。
一ノ木 アヤ(いちのき あや、1929年 - )は日本の漫画… 一ノ木 アヤ(いちのき あや、1929年 - )は日本の漫画原作者。女性。 東京女子大学卒。1970年前後の少女漫画の革新期に原作を提供した。「花結勝男節塩梅(はなむすびおかかのあんばい)」が第1回菊池寛ドラマ賞(1991年度)佳作受賞。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
木々 康子(きぎ やすこ、1929年 - )は、日本の作家・… 木々 康子(きぎ やすこ、1929年 - )は、日本の作家・美術史研究者。 1929年、裁判官だった父親の任地先の三重県津市で出生(父親の出生地は富山県氷見市)。東京女子大学で、歴史・哲学を学び、私小説を主とする日本の近代文学に飽き足りず、「日本の近代とは何か」をテーマとして、幕末期から現代までを、膨大な資料を駆使して緻密な長編小説を描く。 特に近代とはまだ呼べなかった「初期の近代日本」の中で、苦闘し、祖国との乖離に傷つく知識人に焦点を当てる。とりわけ明治時代初期に、パリで美術商を営んだ義祖父林忠正については、いくつかの評伝、資料解説を執筆。林忠正研究の第一人者である。義曾祖父に当たるフランス法学者の磯部四郎の生涯も掘り起こした。
熊澤 義宣(くまざわ よしのぶ、1929年 - 2002年)… 熊澤 義宣(くまざわ よしのぶ、1929年 - 2002年)は、日本の神学者。東京神学大学名誉教授。 ニューヨーク生まれ。小中学校時代を中国で過ごした帰国子女。1958年東京神学大学大学院博士課程満期退学、ハイデルベルク大学に留学し、1962年神学博士。東京神学大学助教授、1970年教授、学長を務め、1997年定年退職、名誉教授。1998年聖学院大学教授。日本基督教団井草教会、伊勢原教会、千歳船橋教会牧師。2002年死去。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
駒宮 功額(こまみやこうがく、1929年-2007年)は日本… 駒宮 功額(こまみやこうがく、1929年-2007年)は日本の防災研究者。 東京都千代田区神田に生まれる。東京理科大学卒業の後、労働省産業安全研究所入所。技官として勤務し、爆発や過剰酸素火災など化学的災害、廃棄物焼却処理等について研究を行う。1996年~97年にかけては、韓国ソウル市立大学客員教授に着任。その後、特定非営利活動法人災害情報センターの理事を務め、災害データベースの整備を手がけた 。また、防災都市計画研究所災害情報研究部顧問 早稲田大学理工学総合研究センターの職を兼務した。2007年11月、死去する。
山咲 真由美(やまさき まゆみ、1929年- )は、日本の哲… 山咲 真由美(やまさき まゆみ、1929年- )は、日本の哲学者。専門は分析哲学、記号論理学。文学博士。元大学教授の女装家として知られる。 1929年、東京都杉並区に生まれ、父の転勤により8歳から大阪や福岡で育つ。1949年に上京して、東京理科大学へ入学、数学科を卒業。早稲田大学と法政大学の大学院で哲学を専攻した。 1961年に大学講師(専任)、1968年に文学博士の学位を取得。1971年に法政大学へ移って教授となる。1973年までに欧米の国際的研究誌に数編の論文を発表した。科学哲学界の理事、編集委員長などもつとめた。 バブル経済下に株式投資と土地の売却で財産を築き、定年を待たずして1990年に20年勤務した法政大学を退職。
加地 美知子(かじ みちこ、1929年 - )は、日本の英米… 加地 美知子(かじ みちこ、1929年 - )は、日本の英米文学翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ。同志社女子専門学校(現・同志社女子大学)英語科卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
大畑 哲(おおはた さとし、1929年〈昭和4年〉- 201… 大畑 哲(おおはた さとし、1929年〈昭和4年〉- 2010年〈平成22年〉)は、日本の自由民権運動研究家、教育者。神奈川県伊勢原市上粕屋の雨岳文庫(国登録有形文化財、山口家住宅)資料館の初代館長。 1929年静岡県出身。東北大学経済学部を卒業。元神奈川県立厚木高等学校教諭。神奈川県史のほか、厚木・相模原・大和・座間・綾瀬など、神奈川県内の多くの自治体史編さんに携わった。
田野崎 昭夫(たのさき あきお、1929年 - )は、日本の… 田野崎 昭夫(たのさき あきお、1929年 - )は、日本の社会学者である。中央大学文学部教授を長年勤め、現在、中央大学名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
進藤 英幸(しんどう ひでゆき、1929年 - 没年不明)は… 進藤 英幸(しんどう ひでゆき、1929年 - 没年不明)は、日本の中国文学学者。 明治大学教授、了徳寺大学教授などを歴任した。 1929年秋田県生まれ。
山田 昭廣(やまだ あきひろ、1929年 - )は、日本の英… 山田 昭廣(やまだ あきひろ、1929年 - )は、日本の英文学者・書誌学者。 英国バーミンガム大学シェイクスピア研究所で英米書誌学を学び、その後本格的な研究に従事、国際的に一級の評価を獲得した最初の日本人書誌学者・本文校訂者といえる。とりわけ、そのジョージ・チャップマン等の戯曲版本の書誌学的研究は、英米の数あるエリザベス朝書誌学・本文研究においても、歴史的評価に耐え得る高度なものとなっている。著書・編著以外に、英米専門誌を中心に掲載された多数の学術論文が存在する。
野老 正昭 (ところ まさあき、1929年 - 2011年6… 野老 正昭 (ところ まさあき、1929年 - 2011年6月)は、日本の建築家。 妻はインテリアデザイナーの野老春子で、一人息子にアーティストの野老朝雄がいる。 慶應義塾大学工学部(現理工学部)予科終了。 1953年、日本大学旧工学部建築学科卒業。 1956年から1958年まで、竹中工務店東京支店設計部に勤務する。この間、東京貿易会館、沖電気高崎工場、外務省庁舎の設計に従事した。 1958年に独立し、野老設計事務所を創立。1966年から日本大学生産工学部建設工学科、1977年から日本大学理工学部建築学科で建築設計の非常勤講師を務める。2001年には全日本建築士会連合会から会長表彰を受ける。その他1998年からは東京都建築物応急危険度判定士を、また日本建築家協会建築図集の初代図書刊行委員長を務めた。
水辺 芳郎(みずべ よしろう、1929年 - )は、日本の法… 水辺 芳郎(みずべ よしろう、1929年 - )は、日本の法学者(民法)。元日本大学法学部教授。 日本大学法学部卒。山梨学院大学講師、松山商科大学助教授、日本大学法学部助教授等を経て、1975年、日本大学法学部教授。ヨハネス・グーテンベルク(マインツ)大学客員研究員、愛媛県公害審査委員、日本住宅公団「住宅公団団地への親水施設等導入手法等策定委員会」委員、日本私法学会理事、日本土地法学会理事等を歴任した。 海没地の所有権等に関する業績で著名であり、その他、不動産関係法令の研究で知られる。古稀記念論文集に『日本法学第65巻第4号 水辺芳郎教授古稀記念号 私法学をめぐる現代的課題』(日本大学法学会)がある。
谷口 明(たにぐち あきら、1929年 - 2009年2月)… 谷口 明(たにぐち あきら、1929年 - 2009年2月)は、実業家、地主。 株式会社サンフローラ創業者・初代代表取締役社長・初代社主(オーナー)。全日本プロポリス協会初代会長。「日本プロポリスの父」ともいわれている。長男は株式会社サンフローラ役員・社主(オーナー)の谷口大典。 1929年福岡県に生まれる。福岡学芸大学空手部師範を経た後、1960年に南米のブラジルへ移住。農業などをしながら、現地の空手、柔道などの普及に努める。またプロポリスに注目し、現地にて1965年谷口貿易商会、アンデスローラ社などを創業。ブラジル産プロポリスを日本に輸出する。 日本に戻り、1988年有限会社サンフローラジャパンを香川県高松市に創業。
大久保 博(おおくぼ ひろし、1929年 - )は、日本の英… 大久保 博(おおくぼ ひろし、1929年 - )は、日本の英米文学者、翻訳家。法政大学名誉教授。 マーク・トウェインの作品を主として翻訳した。 法政大学文学部英文科卒業。法政大教養部英語教授を務めた。門下に金原瑞人など。 Kindle版(電子出版のみ)。大半は旺文社版の改訳。 2014 - 2015 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
木村 真佐幸(きむら まさゆき、1929年 - )は、日本の… 木村 真佐幸(きむら まさゆき、1929年 - )は、日本の文学者・教育者。専門は近代日本文学。樋口一葉を研究。札幌大学学長及び札幌大学女子短期大学部学長を2度務めた。北海道虻田郡真狩村出身。 この他、札幌大学入試部長、同附属図書館長、札幌六大学の所属する札幌学生野球連盟会長・北海道学生野球連盟理事を務めた。また、北海道大学文学部、北海学園大学教養部、北海道教育大学札幌分校教育学部、札幌医科大学保健医療学部の非常勤講師や、NHK市民大学講座の講師も務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中村 英夫(なかむら ひでお、1929年 - 2024年)は… 中村 英夫(なかむら ひでお、1929年 - 2024年)は、日本の洋画家・絵物語作家・挿絵画家。北海道、信州など、日本の各地の渓流、海、民家、富士を写実的なタッチで描く。 現在の東京都中央区入船で生まれ育つ。実家は製本工場で、製本師・装丁家の中村重義の三男。名付け親は、書物研究家・「書物展望社」の齋藤昌三であった。 明治大学政経学部を卒業。連合国軍最高司令官総司令部に1年間勤務した後、実家の製本工場の関係で秋田書店に創業時に入社。社員として勤務しながら独学で学んだ絵で『譚海』誌に絵物語を描く。社外の仕事がきっかけとなり秋田書店社長から独立を勧められ、退社して専業の絵物語作家となった。中本達也(元多摩美術大学教授、第3回安井賞受賞者)と舞台美術の仕事にも携わる。