半林 亨(はんばやし とおる、1937年1月7日 - )は、… 半林 亨(はんばやし とおる、1937年1月7日 - )は、日本の経営者。三重県出身。ニチメン社長を務めた。 1959年に大阪外国語大学中国語学科を卒業し、同年に日本綿花(のちのニチメン)に入社。1989年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1999年6月に副社長に就任し、2000年10月に社長に昇格。2003年4月にはニチメンと日商岩井ホールディングス会長に就任。2005年から2021年までにファーストリテイリングの社外取締役を務め、ユニチカ監査役も務めた。
倉持 晴美(くらもち はるみ、1937年1月7日 - )は、… 倉持 晴美(くらもち はるみ、1937年1月7日 - )は、日本の英文学者、共立女子大学名誉教授。 東京教育大学英文科卒、1967年東京都立大学大学院人文科学研究科英文学専攻博士課程を満期退学。東京成徳短期大学講師、助教授、教授、1990年共立女子大学教授。2007年定年、名誉教授。18 - 19世紀の英国小説、特に女性作家が専門。夫は英文学者の倉持三郎。
有沢 正子(ありさわ まさこ、1937年1月6日 - )は日… 有沢 正子(ありさわ まさこ、1937年1月6日 - )は日本の女優。本名は篠山正子。大映時代は山内敬子を名乗る。
池田 雄一(いけだ ゆういち、1937年1月6日 - 200… 池田 雄一(いけだ ゆういち、1937年1月6日 - 2006年8月30日)は、日本の脚本家・小説家。妻は池田悦子。 東京都出身。早稲田大学文学部卒業後、東映へ入社。1961年に映画『ファンキーハットの快男児』で脚本家デビュー。千葉真一主演、深作欣二監督、近藤照男プロデュースなどの映画・テレビドラマの脚本を執筆した。茶田 才のペンネームで『特捜最前線』や『噂の刑事トミーとマツ』などの脚本も執筆した。本名の池田雄一の名義で『キイハンター』『バーディ大作戦』を、高久進らと執筆し、視聴率の悪化により『Gメン'75』へ改変後も引き続き執筆した。『キイハンター』『バーディ大作戦』の時は鼻歌交じりにすらすら書けたが、『Gメン'75』では前作で苦しんで執筆していた高久氏が鼻歌交じりで、自分は苦しんで書いていたと述べて居たが、非常に優れた作品を遺して行った。
齋藤 寛(さいとう ひろし、Hiroshi SAITO、19… 齋藤 寛(さいとう ひろし、Hiroshi SAITO、1937年1月5日 - 2019年8月14日)は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(東北大学大学院・1968年)。長崎大学 名誉教授。長崎大学 第13代学長。専門は衛生学。旧姓は林。 長野県上伊那郡朝日村(現 辰野町)出身。
有賀 誠門(あるが まこと、1937年1月5日 - )は、日… 有賀 誠門(あるが まこと、1937年1月5日 - )は、日本の打楽器奏者。元NHK交響楽団首席奏者、東京藝術大学名誉教授。 長野県東筑摩郡塩尻町(現塩尻市)出身。長野県桔梗ヶ原高等学校を卒業後、東京藝術大学音楽学部に入学しティンパニーを専攻。1958年NHK交響楽団に入団しパーカッションを担当、1960年東京パーカッションアンサンブル設立。1963年から翌年までニューイングランド音楽院に留学。1976年退団後、母校助教授。1993年同教授に就任。アメリカ・スタイルの日本を代表するティンパニ奏者といわれる。
桑田 武(くわた たけし、 1937年1月5日 - 1991… 桑田 武(くわた たけし、 1937年1月5日 - 1991年1月21日)は、神奈川県横浜市鶴見区出身のプロ野球選手である。現役時代のポジションは、主に内野手(三塁手、遊撃手)。右投げ右打ち。
川原 政数(かわはら まさかず、1937年1月5日 - )は… 川原 政数(かわはら まさかず、1937年1月5日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
亀田 博(かめだ ひろし、1937年1月5日 - )は、日本… 亀田 博(かめだ ひろし、1937年1月5日 - )は、日本の自治官僚、政治家。山口県下関市長(1期)、下関市議会議員(5期)を歴任。市長経験者が落選後、市議に転進するのは全国的にも珍しい。 下関市出身。1959年、九州大学法学部を卒業。 1963年、自治省に入省。以後、鳥取県総務部長、自治省財政局指導課長、徳島県副知事、消防大学校校長などを歴任し、1987年に退官。 その後、地方債協会常務理事、地域総合整備財団常務理事を務め、1991年に下関市長選挙に当選して一期務めた後に2003年より下関市議会議員に在任中。 2024年(令和6年)春の受勲に於いて旭日中綬章が授けられることが決定された。 泉田芳次・前市長時代に計画・設立された第三セクターによる日韓高速船事業を引き継ぎ、1991年7月に運航が開始されたものの、経営不振で開設後約1年半の1992年12月に休業、そのまま廃業。
吉川 忠夫(よしかわ ただお、1937年1月5日 - )は、… 吉川 忠夫(よしかわ ただお、1937年1月5日 - )は、日本の東洋史学者。専門は中国中世思想史。京都大学名誉教授。日本学士院会員。父は中国文学者の吉川幸次郎。 京都府出身。1959年京都大学文学部史学科を卒業、1964年同大学院文学研究科を単位取得退学。東海大学文学部講師、京都大学教養部助教授を経て、1974年、京都大学人文科学研究所助教授、1984年に同教授、1991-1993年、同・所長を務めた。 2000年に京都大学を定年退官し、名誉教授の称号を受け、同年、花園大学客員教授、国際禅学研究所所長。2002年に龍谷大学文学部教授を経て、同客員教授。 2006年より日本学士院会員となる。2009年1月の「講書始の儀」で「後漢、六朝時代における中国人の仏教受容」を進講した。
早川 嘉春(はやかわ よしはる、1937年1月5日 - 20… 早川 嘉春(はやかわ よしはる、1937年1月5日 - 2021年11月16日)は、日本の朝鮮語・英語学者、フェリス女学院大学名誉教授。 1961年に国際基督教大学を卒業後、ソウル大学大学院に学ぶ。1974年に韓国の民青学連事件で、事件を取材していたジャーナリストの太刀川正樹の通訳を務め、内乱扇動罪などで懲役20年の重刑を宣告されたが、のちに釈放される。和光大学助教授、フェリス女学院大学教授を務めた。2005年に定年退任し、名誉教授に就任した。NHK「アンニョンハシムニカ・ハングル講座」の講師を務めた。 2021年11月16日、腎不全のため死去した。84歳没。
石橋 省三(いしばし しょうぞう、1937年1月4日 - )… 石橋 省三(いしばし しょうぞう、1937年1月4日 - )は、元NHKアナウンサー。現在は相撲評論家。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
藤田 玄播(ふじた げんば、1937年1月4日 - 2013… 藤田 玄播(ふじた げんば、1937年1月4日 - 2013年1月30日)は、日本の作曲家、編曲家。 東京府出身。キリスト教信者で洗礼名はミカエル。父はキリスト教会の牧師で、オルガンと讃美歌の響きで育つ。中学校の吹奏楽部でトランペットを担当。高校卒業後、神学校に入学し教会音楽に親しむが1年で中退。その後、国立音楽大学に入学し、フルートを専攻。在学中、大橋幸夫の指導する同大学ブラスオルケスターの編曲を担当。同大学を卒業後に作曲を学ぶ。尚美学園講師や洗足学園音楽大学で客員教授を務めた。 2002年から2006年まで、日本吹奏楽指導者協会(JBA)の第10代会長を務めた。 作曲活動のほか、管弦楽作品からジャズ、ポピュラー音楽などの幅広い吹奏楽編曲で知られる。
山本 學(やまもと がく、1937年〈昭和12年〉1月3日 … 山本 學(やまもと がく、1937年〈昭和12年〉1月3日 - )は、日本の俳優。山本 学 表記での出演作も数多く、クレジットが「山本學」に統一されたのは、1990年代半ば以降である。 大阪府茨木市生まれ、東京育ち。成蹊中学校・高等学校卒業、成蹊大学中退、俳優座養成所第7期生。建築家の山本勝巳の長男。俳優の山本圭、山本亘は弟。元妻に水野久美がいる。1953年に起こった日章丸事件で、舞台となった出光興産所有のタンカー・日章丸の船長であった新田辰男は伯父にあたる。 SHIN ENTERTAINMENT所属。 成蹊高校の同級生に梶谷剛、服部克久がいた。 当初は建築家の父を継ぐつもりであったが、たまたま見た芝居の舞台装置に興味を持ち、弟・山本圭の友人だった東野英心の父・東野英治郎に相談し、1955年に俳優座養成所第7期生となる。
小林 公三(こばやし こうぞう、1937年1月3日 - )は… 小林 公三(こばやし こうぞう、1937年1月3日 - )は、日本の物理学者。専門は量子力学。 広島県生まれ。1961年3月埼玉大学文理学部卒業。1966年3月東京工業大学大学院理学研究科博士後期課程修了。理学博士(東京工業大学)。 1966年4月埼玉大学理工学部物理学科助手。その後、同助教授を経て、埼玉大学理学部教授。2002年に定年退官した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
櫻井一孝(さくらい かずたか、1937年1月2日 - )は、… 櫻井一孝(さくらい かずたか、1937年1月2日 - )は、日本のテレビドラマ監督。1970年代~1980年代の刑事ドラマを多く手掛け、アクション劇に定評がある
長島 信弘(ながしま のぶひろ、1937年1月2日 - 20… 長島 信弘(ながしま のぶひろ、1937年1月2日 - 2025年7月14日)は、日本の文化人類学者。一橋大学名誉教授。中部大学名誉教授。JRA賞馬事文化賞受賞。指導学生に坂内徳明一橋大学名誉教授、足羽與志子一橋大教授、小馬徹神奈川大学教授、深澤秀夫東京外国語大学教授、林勲男国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授など。
西尾 清光(にしお きよみつ、1937年1月2日 - )は、… 西尾 清光(にしお きよみつ、1937年1月2日 - )は、日本のプロジェクトマネージャ、プロジェクトマネジメントコンサルタント。千代田化工建設代表取締役社長や、日本プロジェクトマネジメント協会会長を務めた。 渋谷区立大和田小学校、海城中学校、東京都立小山台高等学校を経て、1959年東京工業大学化学工学課程卒業、千代田化工建設入社、プロジェクト部配属。プロジェクトマネージャとしてプラント建設事業に携わり、1983年取締役に昇格。1999年から代表取締役社長を務め、KBRの資本参画を得て経営再建にあたった。2001年特別顧問に退いた。2004年プロジェクトマネジメント・コンサルタントを開業。2011年日本プロジェクトマネジメント協会会長、西尾コンサルタント代表取締役社長。
花紀 京(はなき きょう、本名:石田 京三(いしだ きょうぞ… 花紀 京(はなき きょう、本名:石田 京三(いしだ きょうぞう)、1937年〈昭和12年〉1月2日 - 2015年〈平成27年〉8月5日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優である。 生前は吉本興業に所属し、盟友の岡八朗と共に吉本新喜劇の二大巨星と呼ばれ、新喜劇の黄金時代を築き、長きに渡って君臨した。 大阪府大阪市天王寺区出身、阿倍野区育ち。父は漫才師の横山エンタツで、エンタツの次男でありながら少年時代は笑芸に興味がなく、中学時代まで父親が喜劇人エンタツであることを認識していなかった。また、父子は一度も共演していない。また兄は関西テレビの元プロデューサーで、吉本新喜劇の中山美保は義姉(兄嫁)に当たる。
沢 たまき(さわ たまき、本名:山本 昌子 - やまもと ま… 沢 たまき(さわ たまき、本名:山本 昌子 - やまもと まさこ、1937年1月2日 ‐ 2003年8月9日)は、日本の歌手、女優、政治家。歌手や女優などの芸能活動の後、政界に転身し参議院議員を務めた。
梶原 敬義(かじわら けいぎ、1937年1月2日 - 202… 梶原 敬義(かじわら けいぎ、1937年1月2日 - 2025年8月20日)は、日本の政治家。元参議院議員(3期)。 大分県別府市出身。1960年、大分大学経済学部卒業。 1983年の第13回参議院選挙に日本社会党公認で立候補し、初当選。その後、1989年の第15回参議院選挙、1995年の第17回参議院選挙でも当選し、計3期18年にわたって参議院議員を務めた。 この間、1991年9月12日に発足した社会党シャドーキャビネットでは内閣官房副長官に任じられ、1995年8月8日に発足した村山改造内閣では大蔵政務次官に就任している。また、1996年の社会民主党への党名変更後も、社民党にとどまった。1998年1月の党役員改選では、政審会長及川一夫の退任が決まると労組系の議員を背景として同会長の後任に名乗りを上げたこともある。
志水 隆一(しみず りゅういち、1937年1月2日 - )は… 志水 隆一(しみず りゅういち、1937年1月2日 - )は、日本の数理科学・応用物理学者。大阪大学名誉教授・元超高圧電子顕微鏡センター長。大阪工業大学情報科学部元教授・リエゾンセンター長。工学博士(大阪大学)。元応用物理学会理事。元日本電子顕微鏡学会理事。国際マイクロアナリシス連合(IUMAS)名誉会員・元理事。元日本学術振興会第141委員会マイクロビームアナリシス委員長。元国際標準化機構(ISO)-TC201国際議長。 専門は、数理科学・応用物理学、数値解析/数値シミュレーション。 大阪府大阪市出身。1964年大阪大学大学院工学研究科応用物理学専攻博士課程修了、工学博士(大阪大学)。1965年同大学工学部応用物理学科助手およびテュービンゲン大学応用物理研究所客員研究員。
坂本 新太郎(さかもと しんたろう、1937年(昭和12年)… 坂本 新太郎(さかもと しんたろう、1937年(昭和12年)1月2日 - )は、日本の造園学者。元大阪芸術大学環境デザイン学科教授。学術博士(千葉大学)。技術士。都市緑化技術開発機構(現 都市緑化機構)の創設者。特定非営利活動法人 環境再生 理事長。 島根県出身。1960年、千葉大学園芸学部造園学科卒業。建設省に入省し、都市局都市計画課などを経て、1985年建設省公園緑地課長、国際花と緑の博覧会協会政府苑副苑長、1988年建設大臣官房審議官を歴任。1991年、第13回日本公園緑地協会北村賞。1995年、英国王立キュー植物園の日本庭園ゾーン勅使門修復と日本庭園築造工事プロジェクトに関わった。2008年(平成20年)秋の叙勲で瑞宝中綬章受章。
岡村 堯(おかむら たかし、1937年1月2日 - )は、日… 岡村 堯(おかむら たかし、1937年1月2日 - )は、日本の法学者・弁護士・環境運動家。学位は、法学博士(九州大学・1974年)(学位論文「ヨーロッパ共同体裁判所による司法的規制の研究 ヨーロッパ共同体裁判所判例を中心としたヨーロッパ共同体法の実証的研究」)。上智大学名誉教授、 中国生まれ。九州大学法学部卒、1965年同大学院法学研究科修士課程修了、同大学法学部助手。 西南学院大学法学部助教授、教授、1982年上智大学法学部教授、地球環境研究所長、2007年定年、名誉教授。 1974年学位論文「ヨーロッパ共同体裁判所による司法的規制の研究 ヨーロッパ共同体裁判所判例を中心としたヨーロッパ共同体法の実証的研究」で九州大学より法学博士の学位を取得。
武田 正利(たけだ まさとし、1937年1月2日 - 201… 武田 正利(たけだ まさとし、1937年1月2日 - 2018年4月11日)は、日本の経営者。カネカ社長、会長を務めた。 石川県出身。金沢大学教育学部附属高等学校卒業。1959年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に入社。1987年6月に取締役に就任し、1992年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1999年6月に社長に就任。2005年6月に会長に就任。 2018年4月11日呼吸器不全のために死去。81歳没。
日景 忠男(ひかげ ただお、1937年(昭和12年)1月2日… 日景 忠男(ひかげ ただお、1937年(昭和12年)1月2日 - 2015年(平成27年)2月)は、日本の実業家。芸能プロダクションJKプランニング元・社長。テレビコメンテーター。LGBTのタレント。俳優の沖雅也の養父。東京都出身。 台湾人の父親と日本人の母親の間に生まれる。実家は台湾の大病院で、裕福な少年時代を過ごし、台湾の名門台湾大学法学部を卒業後、東京大学大学院修士課程、東京大学大学院博士課程に進学。その後は芸能プロダクションや飲食店の運営など、実業家として活動した。 1968年(昭和43年)、都内のスナックでアルバイトをしていた俳優志望で、当時ファッションモデルの仕事をしていた16歳の沖雅也と出会う(一説には、元々、日景は、沖の出生地、大分県で暮らす九州帝国大学経済学部出身で実業家の楠宗生氏と顔見知りで、楠氏が、日景に、中学校の卒業式を待たずに15歳で東京に家出した息子である沖の面倒を見て欲しい、と頼んだといわれている)。
浜中 浩一(はまなか こういち、1937年1月2日 - 20… 浜中 浩一(はまなか こういち、1937年1月2日 - 2013年11月7日)は、日本のクラリネット奏者。兵庫県出身。妻はクラリネット奏者で桐朋学園大学講師の二宮和子。 六甲学院中学校・高等学校卒業。吹奏楽部に所属していた。東京芸術大学卒業。北爪利世、ジャック・ランスロに師事した。1959年第28回日本音楽コンクール管楽器部門1位。1960年にNHK交響楽団に入団。1962年にフランスに渡り、1964年に国立ルーアン音楽院を卒業し、ルーアン歌劇場管弦楽団に入団。1969年に帰国した後はNHK交響楽団で24年間首席奏者を務める。1989年第9回NHK交響楽団有馬賞を受賞。1993年NHK交響楽団を56歳で定年。
渡邊 洋(わたなべ ひろし、1937年1月2日- )は、日本… 渡邊 洋(わたなべ ひろし、1937年1月2日- )は、日本のフランス文学者・比較文学者。富山大学名誉教授。 仙台市生まれ。1965年東北大学文学部仏文科卒。67年同大学院修士課程修了、東北大学文学部助手、1968年岩手大学教養部講師、71年助教授、77年人文社会科学部教授、1987年富山大学人文学部教授。2001年定年退官、名誉教授。
大前 孝治(おおまえ こうじ、1937年1月2日 - )は、… 大前 孝治(おおまえ こうじ、1937年1月2日 - )は、日本の実業家。城北信用金庫名誉会長(元理事長)、一般社団法人全国信用金庫協会名誉会長、株式会社しんきんカード会長。 1937年1月2日生まれ。1959年3月、立教大学経済学部経済学科卒業。 1982年、王子信用金庫(現・城北信用金庫)理事長。 2002年6月、信金中央金庫理事。 2004年1月、王子信用金庫が荒川信用金庫・日興信用金庫・太陽信用金庫と合併し、城北信用金庫が発足。同金庫の理事長に就任。 2006年6月、信金中央金庫会長、一般社団法人全国信用金庫協会会長。 2015年6月、城北信用金庫会長。 2016年6月、一般社団法人全国信用金庫協会名誉会長。
白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - 20… 白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - 2023年7月18日)は、日本の文芸評論家。 福岡県大川市生まれ。慶應義塾大学中退。慶應義塾大学・特選塾員。國學院大學非常勤講師、東京経済大学非常勤講師。埴谷雄高を中心に文芸評論を書き、第22回日本文芸大賞受賞。また文壇屈指の碁打ちとしても知られる。34期、36期、38期、39期文壇本因坊。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
四季の花 範雄(しきのはな のりお、1937年1月2日 - … 四季の花 範雄(しきのはな のりお、1937年1月2日 - 没年不明 )は、青森県弘前市出身(出生地は北海道稚内市)で高島部屋、宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は相内 範雄(あいうち のりお)。身長180cm、体重136kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は西十両13枚目(1964年3月場所)。甥に長谷川勝敏がいる(四季の花の姉が長谷川の母親)。 元々は漁師として働く傍らボクサーを目指していたが、漁で負傷した時にやって来た吉葉山率いる巡業の興行主が兄の友人であった関係で兄から誘われて巡業を観に行くと入門を勧められ、「遊んでてもしょうがないから相撲取りになろう」と考え、1955年1月場所に於いて初土俵を踏んだ。
杉田 光良(すぎた みつよし、1937年〈昭和12年〉1月1… 杉田 光良(すぎた みつよし、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2008年〈平成20年〉6月14日)は、日本の政治家。茨城県常総市長(1期)、茨城県議会議員(3期)、水海道市議会議員(3期)。 茨城県水海道市(現在の常総市)出身。茨城県立水海道第一高等学校卒業。1979年(昭和54年)4月から水海道市議会議員を連続3期務める。1990年12月の茨城県議会議員選挙に水海道市選挙区から自民党公認で立候補し、初当選。1999年に3期目の当選。2002年の県議選で前市議の長谷川典子に敗れる。 2007年、任期満了にともなう常総市長選挙に立候補し、現職の遠藤利を僅差で破り初当選した。 ※当日有権者数:51,545人 最終投票率:74.67%(前回比:-pts) 5月1日に就任した。
大嶽 青児(おおたけ せいじ、1937年1月1日 - )は、… 大嶽 青児(おおたけ せいじ、1937年1月1日 - )は、東京出身の俳人。本名・一昭。東京市(現・北区)生。東京都立工芸高校機械科卒。在学中より作句。1965年、「春燈」の木下夕爾追悼号を読んだことで同誌に興味を持ち、1967年入会。安住敦に師事、成瀬櫻桃子に兄事。1975年、春燈賞受賞。1982年、『遠嶺』で第6回俳人協会新人賞受賞。2004年、「春燈」退会し、季刊同人誌「瀝」を創刊、代表同人を務める。2007年、『笙歌』で第47回俳人協会賞受賞。代表句に「笛吹いて了る童話よ遠嶺に雪」などがあり、叙情味のある自然詠が特色。他の句集に『桐の花』がある。
葉山 莞児(はやま かんじ、1937年1月1日 - )は、大… 葉山 莞児(はやま かんじ、1937年1月1日 - )は、大成建設の元・代表取締役会長。 神奈川県出身。1960年、東京大学工学部土木学科を卒業。大成建設株式会社に入社。営業本部営業部長、取締役、常務、専務、代表取締役副社長を経て、2001年4月、代表取締役社長(前任は平島治)。2007年4月、山内隆司取締役専務の社長就任にともない代表取締役会長となった。2009年4月30日、会長を辞任して相談役最高顧問となり、2010年相談役。 2009年に日本土木工業協会の会長職からも退いたが、日本ダム協会の会長は続け、2009年11月には、民主党・前原誠司国土交通相が建設業者数の過剰感を指摘したことに対して「これからは建設業に対して延命的な政策はとってほしくない」「余った人材は他産業で抱えてもらいたい」と語った。
水野 久美(、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日… 水野 久美(、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日本の女優・タレント。本名は五十嵐 麻耶。高瀬プロダクションを経てオフィスPSCに所属。 新潟県三条市出身。実家は写真館を経営。新潟県立三条東高等学校卒業。 実家の隣が「三条座」という劇場であったことから、江利チエミや美空ひばりのショーや歌舞伎の演目などを観劇しているうちに役者を志すようになった。シェイクスピア悲劇『リア王』のコーディリア姫役を中学で演じ、本物の涙を流す演技をしたことでますます「舞台への思い」が強くなり、高校在学中には演劇部に所属し、『源氏物語』の「末摘花」などの発表会では3年連続でヒロイン役を演じたほか、ティーンエイジャー向け雑誌・ジュニアそれいゆ主催によるミス・ジュニアそれいゆで1位に選出された。
野村 徹(のむら とおる、1937年1月1日 - 2026年… 野村 徹(のむら とおる、1937年1月1日 - 2026年4月8日)は、大阪府出身の野球選手(捕手)・コーチ・監督。 北野高校卒業後の1957年に早稲田大学へ進学し、東京六大学リーグでは在学中2度優勝に貢献するなど頭脳派捕手として活躍。3年次の1959年春季では同期の金沢宏、1年下の安藤元博の両投手とバッテリーを組み、木次文夫、徳武定之らの強力打線の援護もあって、4連覇を続けてきた立大に競り勝ち優勝を飾る。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で再試合の末、関学を降し優勝。4年次の1960年秋季の早慶六連戦では全6試合にマスクを被り、安藤元の力投を支えた。リーグ通算59試合出場、179打数40安打、打率.223、0本塁打、16打点。
加藤 雅(かとう まさし、1937年1月1日 - 2005年… 加藤 雅(かとう まさし、1937年1月1日 - 2005年6月23日)は、日本の経済学者。元経済企画庁経済企画審議官。東京都出身。 東京大学経済学部経済学科、同商業学科卒業。1962年、経済企画庁入庁。オックスフォード大学留学を経て、調査局海外調査課長、国民生活局長、経済企画審議官。1985年~1987年には経済白書執筆を担当。 1994年、東京経済大学経済学部教授。日本経済調査協議会特別顧問。 研究分野は、経済政策、規制緩和、景気変動論。所属学会は日本計画行政学会、景気循環学会、統計研究会、日本財政学会。 2005年6月23日、心不全のため神奈川県川崎市内の病院にて逝去。68歳歿。
藤谷 光信(ふじたに こうしん、1937年1月1日 - )は… 藤谷 光信(ふじたに こうしん、1937年1月1日 - )は、日本の政治家、僧侶。浄土真宗本願寺派。教蓮寺(山口県岩国市)住職、学校法人理事長、参議院議員(1期)、山口県議会議員(4期)、旧岩国市議会議員(4期)などを務めた。 1955年山口県立岩国高等学校卒業。 1960年龍谷大学文学部卒業。高等学校教諭を経て住職となる。 1960年、岩国演劇研究会「劇団のんた」を創立し、代表者となる。同劇団の活動で2010年に正力松太郎賞受賞。1988年には児童劇団「ゆりかご」を設立した。 旧岩国市議会議員(4期)・山口県議会議員(4期)を経る。 2007年、第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区より出馬、35名中17位で当選。
宮下 裕(みやした ゆたか、1937年〈昭和12年〉1月1日… 宮下 裕(みやした ゆたか、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2014年〈平成26年〉8月16日)は、日本の航空自衛官、政治家。香川県善通寺市長(4期)。最終階級は空将。航空自衛隊航空総隊司令官。 香川県出身。尽誠学園高等学校を経て、1959年、防衛大学校電気科卒。同年、航空自衛隊入隊。 1989年、航空開発実験集団司令官、1990年、西部航空方面隊司令官、1991年、統合幕僚学校校長、同年、統合幕僚会議事務局長、1992年、航空自衛隊航空総隊司令官、1993年に退官。 その後、帰郷し1994年に善通寺市長選挙に立候補し初当選。市長在職中には職員削減や市の財政健全化を推進した。1998年、2002年、2006年の市長選挙はいずれも無投票当選だった。
新川 秀清(あらかわ しゅうせい、1937年1月1日 - )… 新川 秀清(あらかわ しゅうせい、1937年1月1日 - )は、日本の政治家、沖縄市長、沖縄県議会議員などを歴任した。 1937年、越来村仲原(後の沖縄市の一部)に生まれ、コザ高等学校に学ぶ。 高校卒業後、沖縄群島社会福祉協議会(のち、沖縄社会福祉協議会:沖縄県社会福祉協議会の前身)に勤務する。この頃には、地元のコザ市山里で青年会長を務めており、1958年ころには、それまで男性だけが踊っていたエイサーへの女性の参加を進めるなどした。 1967年に当時のコザ市役所に入り、経済民生部長を務め、沖縄市となった後には福祉部長、経済部長、中部広域市町村協議会事務局長などを歴任し、1989年に退職した。 1990年の沖縄市長選挙に、日本社会党、日本共産党、沖縄社会大衆党の推薦と、公明党の支持を得て出馬し、4選を目指していた現職の桑江朝幸を破って初当選を果たした。
柴田 光蔵(しばた みつぞう、1937年1月1日 - 202… 柴田 光蔵(しばた みつぞう、1937年1月1日 - 2022年11月8日)は、日本の法学者(ローマ法・比較法文化論)。京都大学名誉教授。法学博士(京都大学)。 幼少期よりギリシア神話・ローマ神話の本をきっかけに、西洋古典古代の歴史に興味を持つ。京都大学法学部入学後、最初の3年間は司法試験と公務員試験の勉強に取り組むが、3回生の秋に杉村敏正の行政法ゼミからローマ法ゼミに転籍してローマ法学者・田中周友と出会ったこともあり、3回生の期末試験後、ローマ法の研究者になることを決意する。 4回生の秋、京都大学文学部で「ローマ史」を教えていた井上智勇に「ローマ史研究の中で、もっともわかりにくいところは何でしょうか」と尋ねたところ「裁判だよ」との回答を得て、ローマ史という枠組みの中でローマ法の研究を試みる、という姿勢を決めた。
湯田 幸永(ゆだ こうえい、1937年〈昭和12年〉1月1日… 湯田 幸永(ゆだ こうえい、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日本の政治家。元新潟県新津市(現・新潟市)長(3期)。旭日双光章。 新潟県中蒲原郡新津町(のち新津市を経て、新潟市)出身。新潟大学農学部卒。卒業後は新津市役所に入り、企画調整課長、収入役などを務める。2000年の新津市長選挙に立候補し、初当選。2004年2月に再選。同年10月の市長選では無投票で三選を果たした。翌年新津市は新潟市と合併したため、最後の新津市長となった。2016年秋の叙勲で旭日双光章を受章。
相原 隆(あいはら たかし、1937年1月1日 - 2019… 相原 隆(あいはら たかし、1937年1月1日 - 2019年6月8日)は、日本の経営者。日動火災海上保険(現在の東京海上日動火災保険)社長を務めた。 東京都出身。1960年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業し、同年に日動火災海上保険に入社。1987年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年6月には社長に就任。2001年6月には会長に就任。 2019年6月8日に膵臓癌のために死去。82歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
片岡 直公(かたおか なおきみ、1937年〈昭和12年〉1月… 片岡 直公(かたおか なおきみ、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2025年〈令和7年〉5月23日)は、千葉県市川市出身の日本の実業家。位階は正五位。全日警創業者。全国警備業協会会長などを歴任した。 立教大学社会学部卒業後に父親が経営する、白黒ニュースフイルムを再生する会社の「三栄映材」に入社し、専務取締役に就任。 映画産業の衰退から転職を考えていた際に1964年(昭和39年)開催の東京オリンピックでの開会式見学後に立ち寄った選手村でのきびきび動く警備員の姿を見て、感銘を受けた。1966年(昭和41年)に友人5人と全日警を設立。当時は警備業の認知度も低かったため、片岡ら幹部自らが実演を交えた営業を行うこともあった。
市野 道弘(いちの みちひろ、1937年〈昭和12年〉1月1… 市野 道弘(いちの みちひろ、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2019年〈平成31年〉10月28日)は、日本の写真家(富士山)。静岡県駿東郡小泉村久根出身。35年以上、富士山だけを被写体に、写真撮影を行った。現代の写真家では珍しく、リバーサルフィルムだけを使用した写真撮影にこだわった。主に使用していた機材は、HASSELBLAD 503CW(ハッセル・ブラッド)、FUJIFILM GA645Zi(フジフイルム)である。リバーサルフィルムは、FUJIFILM Velvia100 Professional(フジフイルム)を多用した。元フォトクラブ赤富士&岩波会長。元矢崎総業常務取締役。元(株)エーライフ矢崎社長。
高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日… 高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2024年〈令和6年〉8月8日)は、日本の政治家、実業家。岡山県岡山市長(第33・34代)。 岡山県総社市出身。岡山大学法経短期大学部法経科第二部卒業。1959年、岡三證券(現:岡三証券グループ)に入社し、岡山支店に勤務する。1964年、山陽玩具(現:サンヨープレジャー)代表取締役社長に就任。その後、1995年におもちゃ王国代表取締役社長、2001年にチボリ・ジャパン(倉敷チボリ公園の運営企業)代表取締役社長に就任する。また社団法人日本青年会議所岡山ブロック協議会副会長(1977年〜)、岡山市商店会連合会副会長(1985年〜)、岡山商工会議所副会頭(1995年〜)、社団法人岡山西法人会会長(2003年〜)、社団法人岡山経済同友会常任幹事(2005年~)等の役職を歴任した。
田中 昭一(たなか しょういち、1937年(昭和12年)1月… 田中 昭一(たなか しょういち、1937年(昭和12年)1月1日 - 2025年(令和7年)10月15日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(1期)である。 1937年、千葉県船橋市に生まれる。船橋市立法田中学校卒業。その後は農業に従事する。1971年(昭和46年)に船橋市議会議員に当選。後に1期を務めた。1975年(昭和50年)の千葉県議会議員に初当選し、後に6期を務め、1995年(平成7年)5月に千葉県議会議長に就任。 1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙において千葉県第4区から自民党公認で立候補し、新進党現職の野田佳彦ら3人を破って当選した。特に、野田との差はわずか105票差であった。
飯田 裕康(いいだ ひろやす、1937年1月 - )は、日本… 飯田 裕康(いいだ ひろやす、1937年1月 - )は、日本の経済学者、慶應義塾大学名誉教授。専攻はマルクス経済学における信用論、経済学史。マルクス経済学では正統派の流れを汲むが、その研究は実証を重視するものである。[要出典] 1937年1月、東京都に生まれる。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て、1959年慶應義塾大学経済学部卒業。1961年、慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了、同大学大学経済学部副手。1962年、同助手。1964年、慶應義塾大学院経済学研究科博士課程修了。1967年、慶應義塾大学経済学部助教授。1972年『信用論と擬制資本』で経済学博士。1974年、同教授。1993年-1999年、経済学部長・経済学研究科長。
久米 邦貞(くめ くにさだ、1937年(昭和12年)1月 -… 久米 邦貞(くめ くにさだ、1937年(昭和12年)1月 - )は、日本の外交官。ドイツ駐箚特命全権大使、ハンガリー駐箚特命全権大使などを歴任した。2010年(平成22年)からボーイスカウト日本連盟副理事長兼国際コミッショナー。 1937年1月生まれ。曽祖父は肥前佐賀藩出身の歴史学者久米邦武、祖父は洋画家の久米桂一郎である。 学習院初等科・中等科・髙等科を経て、東京大学教養学部を卒業して、1961年(昭和36年)に外務省に入省する。中近東アフリカ局参事官、外務大臣官房外務参事官、外務大臣官房領事移住部長、ベルリン総領事、在ウィーン国際機関日本政府代表部大使、外務省儀典長、ハンガリー駐箚特命全権大使などを経て、1998年(平成10年)から2001年(平成13年)までドイツ駐箚特命全権大使を務めた。
北村 嘉行(きたむら よしゆき、1937年1月 - 2010… 北村 嘉行(きたむら よしゆき、1937年1月 - 2010年11月2日)は、経済地理学を専門とした日本の地理学者、東洋大学教授。主な研究テーマは、日本や中華人民共和国の工業地理学。 東京ないし長野県に生まれ、長野県で育つ。 1955年に東京学芸大学に入学し、1959年に教育学部初等教育学科を卒業した後、1960年に立正大学大学院に進み、1962年に文学研究科地理学専攻修士課程を修了して、東京都の公立高等学校教諭となり、東京都立世田谷工業高等学校で教鞭を執り、さらに1967年に東京都立荻窪高等学校に移った。 大学在学中から高校教員になってからも、板倉勝高、井出策夫、竹内淳彦らとともに、東京や京浜工業地帯の工業の研究に従い、上野和彦らとともに、東京学芸大学を拠点とする工業地理学の研究グループの中核を担った。