滝 久雄(たき ひさお、1940年2月3日 - )は、日本の… 滝 久雄(たき ひさお、1940年2月3日 - )は、日本の実業家。株式会社エヌケービー取締役会長、株式会社ぐるなび取締役会長、公益財団法人日本交通文化協会理事長、文化功労者。 三菱金属鉱業株式会社、交通文化事業株式会社での勤務を経て、財団法人日本交通文化協会専務、株式会社エヌケービー社長、株式会社ぐるなび社長などを歴任した。 東京府出身の実業家である。ぐるなび創業者で同社代表取締役会長兼社長、ぐるなびの母体であるエヌケービー取締役会長、日本交通文化協会理事長などを務めた。文化功労者。ペア碁考案者。1パーセントフォーアートを提唱し、パブリックアートの振興なども行った。 東京府東京市渋谷区神泉町生まれ。
原島 文雄(はらしま ふみお、1940年2月3日 - )は、… 原島 文雄(はらしま ふみお、1940年2月3日 - )は、電気工学、制御工学、ロボット工学を専門とする日本の教育研究者。東京大学工学博士。東京大学生産技術研究所で所長を務め、東京都立科学技術大学、東京電機大学、首都大学東京では学長を務めた。学会活動では多くの国際会議を主導し、IEEE総務副会長、電気学会会長なども歴任。複数の「Harashima Award」に名を残す。 東京大学、東京都立科学技術大学、東京電機大学の名誉教授、2015年瑞宝重光章受勲。 原島は1967年頃からパワーエレクトロニクスや制御工学、メカトロニクスに関する研究を実施、学生の興味から1980年頃よりロボット工学にも発展する。
菅野 道夫(すげの みちお、1940年〈昭和15年〉2月3日… 菅野 道夫(すげの みちお、1940年〈昭和15年〉2月3日 - 2023年〈令和5年〉8月9日)は、日本のファジィ理論研究者、数学者、人工知能学者、言語学者。工学博士。東京工業大学名誉教授。マドリード工科大学名誉博士。国際ファジィ工学研究所 顧問、日本ファジィ学会 会長、International Fuzzy Systems Association(国際ファジィシステム学会)会長などを歴任した。
曾根 博義(そね ひろよし、1940年(昭和15年)2月3日… 曾根 博義(そね ひろよし、1940年(昭和15年)2月3日 - 2016年(平成28年)6月19日)は、日本近代文学研究者・文芸評論家。日本大学名誉教授。日本近代文学館常務理事などを務めた。日本近代文学者として、伊藤整や井上靖、福永武彦らを研究、全集編集などを担当した。静岡県出身。 1958年(昭和33年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年(昭和38年)、東京大学経済学部卒業。二年間サラリーマンをした後、1966年(昭和41年)に『伊藤整の方法』が群像新人文学賞評論部門の優秀作に選ばれる。以後『群像』などに文藝評論を書き、日本大学芸術学部非常勤講師を経て、1972年(昭和47年)より、同文理学部専任講師などを経て日本大学文理学部国文学科教授。
山中 龍彦(やまなか たつひこ、1940年2月2日 - 20… 山中 龍彦(やまなか たつひこ、1940年2月2日 - 2015年2月25日)は、日本の電気・電子工学者。大阪大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。大阪大学レーザー核融合研究センター(現:大阪大学レーザー科学研究所)元センター長。名古屋大学プラズマ研究所元助教授。プラズマ・核融合学会元副会長。レーザー学会元監事。日本原子力学会関西支部元幹事。レーザー核融合研究の第一人者の一人。 専門は、レーザー核融合(高出力レーザーシステム・プラズマ含む)・核融合エネルギー、光工学・光量子科学・光エレクトロニクス、原子力工学。 1963年大阪大学工学部電気工学科卒業。1968年同大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程単位取得退学。
江口 克彦(えぐち かつひこ、1940年2月1日 - )は、… 江口 克彦(えぐち かつひこ、1940年2月1日 - )は、日本の実業家、政治家、経済学博士。おおさか維新の会所属の前参議院議員(1期)。元みんなの党最高顧問(両院議員総会長)。地域政党自由を守る会顧問。PHP総合研究所・PHP研究所前社長。
藤井 栄治(ふじい えいじ、1940年2月1日 - )は、大… 藤井 栄治(ふじい えいじ、1940年2月1日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
山本 紘(、1940年2月1日 – )は、東洋工業(現マツダ… 山本 紘(、1940年2月1日 – )は、東洋工業(現マツダ)の自動車技術者。京都府宮津市出身。ユーノスコスモ主査。元商品本部副本部長。マツダモータースポーツの生みの親の一人で、レース監督まで務めた。 1962年、大阪工業大学機械工学科卒業、卒業論文にはロータリーエンジン (RE) の設計図を描いた。同年東洋工業入社、実験研究部に配属され、内燃機関燃焼研究を担当。 1963年の日本グランプリよりモータースポーツ活動に専念、以後エンジニアとして海外・国内のレースに関与し、後にレース監督まで務めた。 1964年、日本グランプリにキャロル360/600で参戦。1966年(マツダの海外レース初戦)、1967年のシンガポールグランプリ、マカオグランプリにファミリア800と1000クーペで参戦し、いずれもクラス優勝を果たした。
武腰 敏昭(たけごし としあき、1940年2月1日 - 20… 武腰 敏昭(たけごし としあき、1940年2月1日 - 2021年7月28日)は、日本の陶芸家。位階は従四位。 日本藝術院会員、金沢学院大学名誉教授。 石川県出身。金沢美術工芸大学卒。泰山窯3代。1957年、日展初入選。1963年、日本現代工芸展初入選。1996年、日展評議員、北國文化賞受賞。1997年、「春来るらし」で日工会展内閣総理大臣賞。2001年、「静寂(しじま)」で日展内閣総理大臣賞。2005年、金沢学院大学教授、美術文化学部長。2010年、「湖畔・彩釉花器」で日本芸術院賞、芸術院会員。2011年、日展常務理事。2021年7月28日、大腸癌のため81歳で死去。叙従四位、旭日中綬章追贈。
林 政志(はやし まさし、1940年〈昭和15年〉2月1日 … 林 政志(はやし まさし、1940年〈昭和15年〉2月1日 - 2018年〈平成30年〉5月13日)は、日本の政治家。北海道芦別市長(4期)。旭日中綬章綬章。 北海道出身。1964年(昭和39年)、早稲田大学商学部卒。帰郷し、星の降る里芦別社長、芦別青年会議所理事長を経て、芦別市議会議員となる。1995年(平成7年)の芦別市長選挙に立候補して当選する。1999年(平成11年)に再選。2003年(平成15年)、2007年(平成19年)は無投票で当選した。2011年(平成23年)の市長選では元芦別市議の清沢茂宏に敗れた。2018年に死去した。
川喜多和子(かわきた かずこ、1940年(昭和15年)2月1… 川喜多和子(かわきた かずこ、1940年(昭和15年)2月1日 - 1993年(平成5年)6月7日)は、日本の実業家であり、海外の映画を日本国内に数多く配給したことで知られる。元夫は俳優・映画監督の伊丹十三。 東京都出身。父・川喜多長政、母・川喜多かしこの一人娘として聖路加病医院で生まれる。父の仕事の都合で、中国の上海・北京で育つ。上海で暮らした3歳の頃にはロシア人の先生についてバレエを習いだす。第二次世界大戦の敗戦により、引き揚げまでの2ヶ月は収容所で過ごした。1946年(昭和21年)2月に帰国。生家であった麻布の邸宅は空襲により焼け落ちていたため、鎌倉へ一家で転居した。1947年(昭和22年)御成小学校入学、その後、御成中学校へ進学し、東勇作バレエ団に入団。
加賀 義二(かが よしじ、1940年2月 - )は、日本のテ… 加賀 義二(かが よしじ、1940年2月 - )は、日本のテレビプロデューサー。慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。 東京都世田谷区生まれ。父の加賀二郎は元週刊ダイヤモンド記者、のち松竹株式会社元常務、歌舞伎座専務・歌舞伎座映画プロデューサー。また、祖父は元衆議院議員の加賀卯之吉、伯父・加賀一郎は陸上競技選手でアントワープオリンピックの100メートル競走、200メートル競走の日本代表選手、叔父・加賀四郎は大映のプロデューサー。四郎の娘で女優の加賀まりこはいとこに当たるという芸能一家の出身。姉がいたが、1945年の太平洋戦争終戦直後に19歳で亡くなっている。 高校生になってからは、年に100本以上の映画を観るようになり、特に好みは『愛の泉』(ジーン・ネグレスコ監督作品)、『花嫁はどこにいる』(野村芳太郎監督作品)だった。
恒川 隆男(つねかわ たかお、1940年2月 - 2016年… 恒川 隆男(つねかわ たかお、1940年2月 - 2016年10月9日 )は、日本のドイツ文学者、元明治大学文学部教授。 戦後のドイツ文学が専門だが、後年は日本近代文学についての著作もある。 東京出身。東京都立西高等学校卒、1966年東京大学文学部卒、同大学院修士課程修了。1974年東京大学教養学部助教授、教授、その後、津田塾大学教授、1990年明治大学教授。2010年定年退任。
須藤 隆也(すとう たかや、1940年(昭和15年)2月 -… 須藤 隆也(すとう たかや、1940年(昭和15年)2月 -)は、日本の外交官。外務省中近東アフリカ局長や、駐エジプト特命全権大使を歴任。 群馬県立藤岡高等学校を経て、1962年東京大学教養学部卒業、外務省入省。アラビア語研修をしたアラブ・スクール。コロンビア大学中東研究所、在レバノン外務・英連邦省所属アラビア語研修センター、カイロ大学に留学。 外務省中近東アフリカ局長や、駐エジプト特命全権大使を歴任。 丹波實、小倉和夫、西村元彦(駐葡大使)、池田維(アジア局長、駐蘭大使)、原島秀毅(駐マレー大使)、川島純(駐ニュージーランド大使)、中村武(駐ベトナム大使)など。
伊藤 文保(いとう ふみやす、1940年2月 -2020年5… 伊藤 文保(いとう ふみやす、1940年2月 -2020年5月17日 )は、日本の地方自治体神奈川県の元行政公務員。神奈川県副知事などを歴任した。県庁退職後、母校学校法人神奈川大学理事長。 1940年(昭和15年)2月生れ、神奈川大学第二経済学部卒業後、神奈川県庁入庁、総務部部長を経て神奈川県副知事(1999年6月~2003年5月)、2005年より母校神奈川大学運営に加わり2008年より神奈川大学理事長。
荒木 隆司(あらき りゅうじ、1940年1月29日 - )は… 荒木 隆司(あらき りゅうじ、1940年1月29日 - )は日本出身の実業家。元トヨタ自動車株式会社取締役副社長。 この間、浜松ホトニクス監査役、ダイハツ工業監査役、日本自動車工業会理事、豊田法人会会長、国有財産東海地方審議会会長などを歴任した。
宇佐美 圭司(うさみ けいじ、1940年1月29日 - 20… 宇佐美 圭司(うさみ けいじ、1940年1月29日 - 2012年10月19日)は日本の画家。大阪府吹田市出身。 大阪府吹田市生まれ。父の転勤により和歌山市へ転居し、小中学校期を同地で過ごす。 1953年に家族とともに大阪に転居し、大阪市立田辺中学校に編入。 1958年、大阪府立天王寺高校卒業。東京藝術大学を受験するが不合格となり、東京に居をかまえ独学で創作を開始。 1963年、南画廊(東京・日本橋)で初個展。 1965年、「新しい日本の絵画と彫刻」展(MoMA、NY)出品。この年に見つけた『ライフ』誌上のワッツ暴動の写真から抜き出した4人の人型を、翌年の自作に用いる。 1967年、第5回パリ青年ビエンナーレ(パリ市立近代美術館)、1972年、第36回ヴェネツィア・ビエンナーレ参加、他多数。
山吹 まゆみ(やまぶき まゆみ、1940年1月29日 - 2… 山吹 まゆみ(やまぶき まゆみ、1940年1月29日 - 2000年6月30日)は、日本の女優。本名は大川 光代。愛称はカラメちゃん。 大阪府出身。大阪女学院高等部、宝塚音楽学校卒業。宝塚歌劇団出身。ジャパンプロに所属していた。 東京市で誕生、4歳のとき家族と北京へ移住。戦後に中国本土から引揚げて、大阪府に移り、高校卒業後に宝塚音楽学校に入学。 1960年、宝塚歌劇団に46期生として入団後に娘役で活動する。1960年に『春の踊り/ビバ・ピノキオ』で初舞台。宝塚入団時の成績は59人中34位。1961年5月1日、花組に配属され、その後、月組に異動し、また、花組に戻ってくる。1964年12月30日まで宝塚に所属。
村木 鴻二(むらき こうじ、1940年(昭和15年)1月29… 村木 鴻二(むらき こうじ、1940年(昭和15年)1月29日 - )は、日本の航空自衛官である。山口県出身。第23代航空幕僚長。現在は千葉県在住。 満洲チチハルに生まれる。父は陸軍軍人の村木八郎(陸士45期)であり、 爆撃機のパイロットとしてノモンハン事件に従軍していた。その後、東京を経て山口県萩市に移り、小学校4年生まで過ごす。終戦後、父が航空自衛隊に入隊したことから東京の高校へ転校し、父と同じパイロットを目指し1958年(昭和33年)4月に防衛大学校に入学する。学生時代はバスケットボールに夢中になり、4年生の時には神奈川県のリーグで最優秀選手に選ばれている。 防大卒業後は航空自衛隊に入隊し、幹部候補生学校卒業後は念願通り、操縦課程に進む。
高橋 国光(高橋 國光、たかはし くにみつ、1940年1月2… 高橋 国光(高橋 國光、たかはし くにみつ、1940年1月29日 - 2022年3月16日)は、日本の元レーシングドライバー、オートバイ評論家。東京府北多摩郡小金井町(現:東京都小金井市)出身。血液型はB型。愛称は国さん。 二輪・四輪合わせて489レースに出場し、通算71勝を挙げている。二輪では世界グランプリを転戦したが、四輪のレース活動は日本国内を主戦場とした。 華麗なドリフト走法で知られ、黒澤元治に代表されるグリップ走法派のドライバーが台頭した後もレースでドリフトを多用したことで知られる。そのため、ドリキン(ドリフト・キング)こと土屋圭市達から、師匠的な扱いを受けている。 1999年に59歳で現役を引退し、2000年以降は自らのレーシングチームであるチーム国光の監督を務めた。
米沢 隆(米澤 隆、よねざわ たかし、1940年〈昭和15年… 米沢 隆(米澤 隆、よねざわ たかし、1940年〈昭和15年〉1月28日 ‐ 2016年〈平成28年〉6月16日)は、日本の政治家。 衆議院議員(通算9期)、民社党委員長(第8代)・書記長(第7代)・政策審議会長(第5代)、新進党幹事長(第2代)・副党首、民主党副代表、民社協会会長、宮崎県議会議員(2期)等を歴任した。 鹿児島県姶良郡福山町(霧島市)出身。ラ・サール中学校・高等学校、京都大学法学部卒業。1964年、旭化成入社。労働組合運動に参加し、全旭連(現旭化成労働組合)書記長を務める。1971年、宮崎県議会議員選挙に立候補し、初当選した。1975年に再選。 1976年、第34回衆議院議員総選挙に民社党公認で旧宮崎1区から立候補し、当選した。
萓沼 紀子(かやぬま のりこ、1940年1月28日 - )は… 萓沼 紀子(かやぬま のりこ、1940年1月28日 - )は、日本近世文学研究者、元作新学院大学短期大学教授。 北海道大学卒、同大学院中退。1997年東京大学大学院で「安藤昌益の学問と信仰」により文学博士。作新学院大学短期大学部教授を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川嶋烈(かわしま つよし、1940年1月27日 - )は日本… 川嶋烈(かわしま つよし、1940年1月27日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はB型。東京都出身(父母は静岡県)。造幣局東京支局長、東北財務局長、国土庁長官官房審議官(計画・調整局担当)、交通営団理事、茨城銀行取締役頭取などを務めた。
川田 達男(かわだ たつお、1940年1月27日 - )は、… 川田 達男(かわだ たつお、1940年1月27日 - )は、日本の実業家。セーレン株式会社代表取締役会長・最高経営責任者、北陸電力社外取締役、ダイキン工業社外取締役、元福井商工会議所会頭(2009年3月1日 - 2019年10月31日)、北陸経済連合会常任理事(元副会長)。 福井県福井市生まれ。福井県立高志高等学校、明治大学経営学部卒(土屋喬雄ゼミ)。 平成27年秋の叙勲にて、旭日中綬章を受章 。創業120年を超える地元大手企業であるセーレン株式会社がかつて経営不振にあえいでいた1987年、47歳の若さで創業家から経営を託され、代表取締役に就任。 赤字続きで存続の危機にあった同社を再生させたことで知られる。
不破 亨(ふわ とおる、1940年1月27日 - )は、日本… 不破 亨(ふわ とおる、1940年1月27日 - )は、日本の薬学者。国立大学法人広島大学特別顧問。東京市小石川区(現・東京都文京区)出身。 紫綬褒章受章の対象となった業績は、「DNA標識法及び遺伝子診断技術の開発」に関するものである。 従来、遺伝子の解析には、放射性物質で標識されたDNAが用いられていたが、取扱いの困難さや被曝・汚染の危険性など研究の発展に大きな制約があった。不破享は、非放射性物質によるDNA標識法を開発し、それを利用したMRSA診断薬やHLAタイピング試薬等の遺伝子検査薬を開発した。 また、このDNA標識法は、国内外13社にライセンスされ、世界中の遺伝子解析研究やゲノム解読研究にも利用されている。
中山 恭子(なかやま きょうこ、1940年〈昭和15年〉1月… 中山 恭子(なかやま きょうこ、1940年〈昭和15年〉1月26日 ‐ )は、日本の政治家、大蔵・財務官僚。靖国神社崇敬奉賛会会長。 内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画)(福田康夫改造内閣)、拉致問題担当大臣(福田康夫改造内閣)、公文書管理担当大臣(福田康夫改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(拉致問題担当)(第1次安倍内閣・第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣・麻生内閣)、参議院議員(2期)、日本のこころ代表、日本のこころを大切にする党代表、次世代の党代表、日本維新の会政策調査会拉致問題対策委員長 、たちあがれ日本参議院幹事長代理などを歴任。この他、内閣官房参与、在ウズベキスタン特命全権大使、国際交流基金常務理事、大蔵省大臣官房参事官兼審議官、大蔵省四国財務局長などを務めた。
春山 茂雄(はるやま しげお、1940年1月25日 - )は… 春山 茂雄(はるやま しげお、1940年1月25日 - )は、日本の医師。『脳内革命』の著者として知られている。東京大学医学博士。
佐藤 邦明(さとう くにあき、1940年1月25日 - )は… 佐藤 邦明(さとう くにあき、1940年1月25日 - )は、日本の土木工学者・地下水学者。広島県生まれ。埼玉大学名誉教授。 専門は、地圏水理学、地下空間工学、地下水資源学、地盤沈下、地下水汚染。地下水の力学的挙動をはじめ、水文循環、地下水調査・管理にいたるまで「地下水」に関わる主要な問題を総合的に研究し、地下水利用のあり方について提言した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
権正 信正(ごんじょう のぶまさ、1940年1月24日 - … 権正 信正(ごんじょう のぶまさ、1940年1月24日 - )は、日本の経営者。昭和電線電纜社長を務めた。 東京都出身。1962年に慶應義塾大学法学部法律学実科を卒業し、同年に昭和電線電纜に入社した。1990年6月に取締役に就任し、1992年6月に常務を経て、1996年6月に社長に就任。2003年6月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
橋山 禮治郎(はしやま れいじろう、1940年1月24日 -… 橋山 禮治郎(はしやま れいじろう、1940年1月24日 - )は日本の経済学者。アラバマ大学名誉教授。専門は政策評価、公共計画、経済政策。 静岡県出身。慶應義塾大学経済学部卒業(1963年)、千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了(2002年)。日本開発銀行調査部長、日本経済研究所専務理事、アメリカResources for the Future研究所客員研究員、OECD都市環境局、アメリカ・アラバマ大学招聘講師、帝京平成大学教授、明星大学教授を経て、千葉商科大学大学院客員教授、アラバマ大学名誉教授。 この間、大平正芳内閣の「田園都市国家構想」立案に参画し、各種の政府審議会・委員会委員なども歴任した。
祖父江文宏(そぶえ ふみひろ、1940年1月24日 - 20… 祖父江文宏(そぶえ ふみひろ、1940年1月24日 - 2002年6月1日)は、日本の僧侶、児童養護施設園長である。 最後の節談(ふしだん)説教師で真宗大谷派の僧侶・祖父江省念の次男として名古屋市に生まれる。早稲田大学卒業後、劇団群像座を結成、創立メンバーの一人として、俳優活動を行った。解散後は地元名古屋に戻り、実家の寺と同寺が運営する幼稚園の園長を経て、児童養護施設暁学園を創立。親の離婚・失踪・虐待など様々な理由で、家族と一緒にできない子供たちを守り続けた。 1984年に小説「かなしみの歳時記」(中央法規出版)を上梓、1986年と1988年に東海テレビの昼ドラマ「ふれ愛」の原作となった。 1995年に後の特定非営利活動法人「子どもの虐待防止ネットワーク・あいち」を設立。
松浦 忠(まつうら ただし、1940年1月24日 - )は日… 松浦 忠(まつうら ただし、1940年1月24日 - )は日本の政治家。札幌市議(9期)を務めた。 1940年1月24日、滝川市に生まれる。1956年、北海道滝川工業高等学校を卒業し、日本国有鉄道に入社。 1983年4月10日、札幌市議会議員選挙に白石区選挙区から日本社会党公認で立候補して、初当選。1989年11月4日、後述の不祥事により社会党を離党。1991年4月7日、3選を目指して市議選に無所属で立候補したが、落選。1995年4月9日、市議選に無所属で立候補して返り咲き。2019年4月7日、市議選で9選。しかし、同年6月21日、後述の議長選出時の議長席の占拠と議事妨害により除名処分を受けた。
関口 義明(せきぐち よしあき、1940年1月23日 - 2… 関口 義明(せきぐち よしあき、1940年1月23日 - 2012年8月16日)は、日本の作詞家。代表作は井沢八郎の「あゝ上野駅」。 埼玉県羽生市出身。高校時代から川柳を作り始め、新聞社主催の「読者の集い」でたまたま職業作詞家と出会ったことから作詞の道に進む。高校卒業後は埼玉県の地方銀行に勤務。23歳のときに「あゝ上野駅」が雑誌『家の光』の懸賞で当選し、大ヒット曲となる。その後も銀行員との兼業作詞家を続け、40歳を過ぎた頃に本格的に作詞家として独立した。。日本作詩家協会理事を歴任。2012年8月16日に肺炎のため死去(享年72)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
松原 新一(まつばら しんいち、1940年1月22日 - 2… 松原 新一(まつばら しんいち、1940年1月22日 - 2013年8月13日)は、文芸評論家。久留米大学文学部名誉教授。本名・江頭肇(えがしら はじめ)。 兵庫県神戸市出身。京都大学教育学部卒業。1964年、「亀井勝一郎論」で第7回群像新人文学賞評論部門受賞。1993年久留米大学教授。2010年定年、名誉教授。左翼的な立場にたち、内向の世代論争では内向の世代の自閉を批判した。 2013年8月13日、膵臓癌のため福岡県久留米市の病院で死去。73歳没。 長女は脚本家の江頭美智留。 大阪文学学校チューター、神戸大学教育学部助教授を経て、2010年まで久留米大学文学部教授。 1993年から96年まで読売新聞で文藝時評を担当した。
山﨑 隆夫(やまざき たかお、1940年1月22日-)は、日… 山﨑 隆夫(やまざき たかお、1940年1月22日-)は、日本画家。京都市立芸術大学名誉教授、日展顧問、新日春展顧問。新潟県出身、京都市在住。父は元内務官僚で吹田市長も務めた山崎隆義。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
斉藤 英治(さいとう えいじ、1940年1月22日 - )は… 斉藤 英治(さいとう えいじ、1940年1月22日 - )は、日本の文筆家。 山形市生まれ。東北大学卒業後、武田薬品工業にてビタミンと脳科学の研究に従事する。ピップフジモト研究部部長、健康英知研究所所長。日本綜合医学会常任理事、日本健康科学学会理事を20年務める。 1989年、日本大学医学博士。学校法人エール学園IMGS大学院大学教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 章治(いとう しょうじ、1940年1月22日 - )は… 伊藤 章治(いとう しょうじ、1940年1月22日 - )は、ジャーナリスト、桜美林大学名誉教授。 満州生まれ。愛知県出身。1964年名古屋大学法学部卒、中日新聞社(東京新聞)に入社、社会部記者、バンコク支局長、東京本社文化部長などを経て、1998年編集委員兼論説委員。2001年桜美林大学教授。2010年定年、名誉教授。筆名・小野英二。
大橋 洋治(おおはし ようじ、1940年(昭和15年)1月2… 大橋 洋治(おおはし ようじ、1940年(昭和15年)1月21日 - )は、日本の実業家。全日本空輸(全日空)社長、 ANAホールディングス会長、日本経済団体連合会副会長。 現在の中華人民共和国東北部の佳木斯で生まれ、岡山県高梁市で育つ。 父親は長崎高等商業学校卒で、ブリヂストンの石橋正二郎の秘書的な仕事を経て、大連で貿易商を営み、シベリア抑留を経験した。柔道四段の腕前で、大橋もその影響で高校時代は柔道部に所属した。 1964年4月、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、全日本空輸入社。 2001年4月に社長に就任。在任中は、アメリカ同時多発テロ事件や日本航空と旧日本エアシステムの統合など業界の激変に直面。
竜 雷太(りゅう らいた、本名:長谷川 龍男、1940年1月… 竜 雷太(りゅう らいた、本名:長谷川 龍男、1940年1月21日 - )は、日本の俳優である。大阪府箕面市出身、京都府舞鶴市育ち。三船プロ、田中プロモーション、アクターズプロモーションを経て、アートプロモーション所属。元妻は女優の吉成洋子、夏圭子(現:桂子)。息子は韓国でギタリストとして活躍する長谷川陽平。
西脇 興司(にしわき こうじ、1940年1月21日 - )は… 西脇 興司(にしわき こうじ、1940年1月21日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
清水 貞夫(しみず さだお、1940年1月21日 - )は、… 清水 貞夫(しみず さだお、1940年1月21日 - )は、日本の障害児教育学者。宮城教育大学名誉教授。 東京生まれ。1962年東京大学教育学部卒、和光学園小・中学校教諭、1967年宮城教育大学講師、助教授、教授、2004年定年退官、名誉教授、長野大学社会福祉学部教授、2010年退職。 2007年民主教育をすすめる宮城の会代表。 2020年瑞宝中綬章受章。
日下 圭介(くさか けいすけ、1940年1月21日 - 20… 日下 圭介(くさか けいすけ、1940年1月21日 - 2006年2月12日)は、日本の小説家、推理作家。江戸川乱歩賞作家である。本名は戸羽真一。 和歌山県に生まれる。1962年早稲田大学商学部出身。 1975年、朝日新聞社整理部記者であった時に応募した『蝶たちは今…』が江戸川乱歩賞を受賞。1982年に『木に登る犬』および『鶯を呼ぶ少年』が日本推理作家協会賞を受賞。1984年から作家業に専念。 初期の作風は中間小説的な推理小説であったが、1980年代後半から『黄金機関車を狙え』『チャップリンを撃て』など昭和初期の歴史に題材をとってミステリーを多く執筆する。 2006年2月12日、誤嚥性肺炎のため千葉市の病院で死去。
三瀬 顕(みせ けん、1940年1月19日 - )は、日本の… 三瀬 顕(みせ けん、1940年1月19日 - )は、日本の弁護士。愛媛県大洲市出身。本名は三瀬顕(みせあきら)。
相沢 邦昭(あいざわ くにあき、1940年1月19日 - )… 相沢 邦昭(あいざわ くにあき、1940年1月19日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手)。
毛里 和子(もうり かずこ、1940年1月19日 - )は、… 毛里 和子(もうり かずこ、1940年1月19日 - )は、日本の政治学者(中国政治と外交・東アジアの国際関係)。早稲田大学名誉教授・栄誉フェロー、文化功労者。紫綬褒章受章。 日本国際問題研究所研究員、静岡県立大学国際関係学部教授、横浜市立大学国際文化学部教授、早稲田大学政治経済学部教授、日本現代中国学会理事長などを歴任した。 東京府生まれ。お茶の水女子大学附属高等学校卒業、お茶の水女子大学文教育学部卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。卒業論文では「浙江財閥と蔣介石政権」を、修士論文では「北伐期の武漢国民政府」を書く。 1965年から1987年まで日本国際問題研究所研究員。現代中国についての資料集『中国共産党史資料集』、『新中国資料集成』を編集した。
高岡 完治(たかおか かんじ、1940年〈昭和15年〉1月1… 高岡 完治(たかおか かんじ、1940年〈昭和15年〉1月19日 - 2008年〈平成20年〉12月30日)は日本の元人事官僚。日本学術会議事務局長、総理府次長、国立公文書館長などを務めた。 滋賀県出身。立命館大学法学部卒業。立命大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を受け、1962年 人事院事務総局入局。沖縄開発庁沖縄総合事務局総務部人事課長、総理府総務長官秘書官(事務担当)、総理府内閣総理大臣官房管理室参事官などを経て、1984年7月1日 総務庁青少年対策本部参事官。1986年7月 総務庁恩給局総務課長。1989年 総理府公害等調整委員会事務局次長。1990年7月 総理府公害等調整委員会事務局長。
高橋 乗宣(たかはし じょうせん、1940年1月18日 - … 高橋 乗宣(たかはし じょうせん、1940年1月18日 - )は、日本の経済学者、エコノミスト。 広島県高田郡美土里町の浄土真宗本願寺派敬覚寺に長男として生まれる。 崇徳高校、東京教育大学文学部卒業。1970年、同大大学院社会学研究科博士課程満期退学。 大学講師を経て1973年、三菱総合研究所入社。主席研究員、参与、研究理事など景気予測チームの主査を長く務めた。IWJによると、福田赳夫内閣の経済成長率予測7.1%に対し4.1%と予測して、バブル崩壊後の日本経済を的確に予測するなど、短期的な景気予測では、別名、悲観の乗宣と呼ばれる。 三菱総研顧問となった2000年より明海大学大学院教授。2001年から崇徳学園理事長。
手塚 幸紀(てづか ゆきのり、1940年1月18日 - 20… 手塚 幸紀(てづか ゆきのり、1940年1月18日 - 2020年10月27日)は、日本の指揮者。 東京都生まれ。東京芸術大学でフルートと指揮を専攻。1967年、民音コンクールで第1位に入賞。 1970年、日本フィルハーモニー交響楽団指揮者。その後、大阪フィルハーモニー交響楽団指揮者、京都市交響楽団正指揮者、新日本フィルハーモニー交響楽団指揮者を務めた。 1987年から1992年まで群馬交響楽団常任指揮者、1996年から2000年まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者を歴任した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
松本 昌親(まつもと まさちか、1940年1月17日 - )… 松本 昌親(まつもと まさちか、1940年1月17日 - )は、日本の政治家。元大阪府南河内郡千早赤阪村村長(3期)。元千早赤阪村議会議員(3期)。 大阪府南河内郡千早村(現千早赤阪村)生まれ。大阪府立富田林高等学校卒業。1963年、成蹊大学政治経済学部を卒業。 1989年、千早赤阪村議会議員選挙に出馬し、初当選。1989年から1996年及び2001年から2004年まで、通算3期務める。 2004年7月、千早赤阪村長選挙に出馬し、初当選。以降、村長を3期務める。 2012年11月~2013年7月、全国町村会の副会長を務める。 2020年6月21日に行われた千早赤阪村長選挙に大阪維新の会の推薦候補として立候補するも、新人の南本斎(自民推薦、日本共産党自主支援)に敗れる。
中野 尚弘(なかの なおひろ、旧姓:池田、1940年1月17… 中野 尚弘(なかの なおひろ、旧姓:池田、1940年1月17日 - 2021年1月3日)は、元オリンピックバレーボール選手、バレーボール日本男子代表監督。中野蒲鉾店(長崎県の企業)代表取締役社長。 佐賀県鹿島市出身。福岡大学卒業後、八幡製鐵に入社。 バレーボール日本男子代表選手として1964年東京オリンピックに出場、銅メダルを獲得し、1968年メキシコシティーオリンピックでは選手兼任コーチとして登録されて出場、銀メダルを獲得した。 指導者としては、日本が金メダルを獲得した1972年のミュンヘンオリンピックでは松平康隆監督の下で日本男子代表コーチを、1984年のロサンゼルスオリンピックでは代表監督、1992年バルセロナオリンピックでは総監督をそれぞれ務めた。