山田 勝(やまだ まさる、1942年12月8日 - )は、日… 山田 勝(やまだ まさる、1942年12月8日 - )は、日本の商学者。 駒澤大学名誉教授。専門は商業史 経営史。日本貿易学会常任理事などを歴任。 1967年亜細亜大学商学部商学科卒業。1969年駒澤大学大学院商学研究科修士課程修了。1972年同大学院商学研究科博士課程単位取得。1974年駒澤大学経営学部専任講師、1978年同助教授、1984年同教授。1990年学生部長(評議員兼務)、1993年同教務部長(評議員兼務)、1995年経営学部学科主任、1997年駒澤大学同窓会東京都支部会長代行、同江戸川区支部参与、1997年経営学部長(理事兼務)、1997年同窓会常任幹事・幹事長。1972年日本貿易学会理事、1976年常任理事、2000年江戸川区情報公開・個人情報保護審査会委員を歴任。
末松 征比古(すえまつ ゆきひこ、1942年12月8日 - … 末松 征比古(すえまつ ゆきひこ、1942年12月8日 - ) は、日本の化学技術者。成形加工技術の第一人者として知られ、三井石油化学工業ポリマー市場開発センター所長や、プラスチック成形加工学会会長を務めた。 千葉県立千葉高等学校を経て、千葉大学大学院工学研究科修士課程修了。1967年三井石油化学工業入社。1985年三井石油化学工業ポリマー市場開発センター所長。 成形加工技術の第一人者として知られ、2004年から2006年までプラスチック成形加工学会会長を務めた。三井化学退社後、2011年天昇電気工業取締役技術本部長兼海外事業部副事業部長。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
内藤 勝人(ないとう かつと、1942年12月8日 - 20… 内藤 勝人(ないとう かつと、1942年12月8日 - 2019年12月8日)は、元NHKアナウンサー。 詳細は基礎情報を参照。東京都立九段高等学校を経て東京大学卒業後入局。入局後は初任地以外は主に大相撲開催地での勤務が多かった。1976年頃よりテレビの幕内実況を担当するようになった。また、年齢が非常に近かった山田康夫が1990年に急逝して以降は、ベテランアナウンサーが相次いで引退したり、実況機会が減少したことに伴い、大相撲の看板アナウンサーの一人となる。特に1990年から2002年九州場所にかけては、石橋省三や藤井康生、緒方喜治らと共に、初日や中日、千秋楽をほぼ全ての場所で担当していた。 現役時代はスポーツアナウンサーとして活躍したが、特に大相撲担当として親しまれた。
吉田 嘉久(よしだ よしひさ、1942年12月7日 - )は… 吉田 嘉久(よしだ よしひさ、1942年12月7日 - )は、フリースタイルのレスリング選手である。階級はフライ級(52kg級)。 法政二高時代に柔道からレスリングに転向する。法政大学に進むと、1964年の全日本選手権フライ級では吉田義勝に敗れて2位にとどまり、東京オリンピックには出場できなかった。1965年には全日本選手権で優勝すると、世界選手権でも優勝を成し遂げた。現在は法政大学レスリング部のヘッドコーチを務めている。
松山 恒昭(まつやま つねあき、1942年 <昭和17年> … 松山 恒昭(まつやま つねあき、1942年 <昭和17年> 12月7日 - )は、日本の裁判官、弁護士。神戸地方裁判所長や、大阪高等裁判所部総括判事を務めた。瑞宝重光章受章。 1961年和歌山県立橋本高等学校卒業。1965年東京都立大学法経学部法学科卒業。参議院法制局参事を経て、1966年旧司法試験に合格。大阪地方裁判所部総括判事、釧路地方裁判所長、司法研修所第1部上席教官を経て、2001年神戸地方裁判所長。2004年大阪高等裁判所部総括判事。2008年大阪弁護士会弁護士登録。2013年瑞宝重光章受章。法務省難民審査参与員、近畿大学法科大学院教授等も歴任した。
大西 音文(おおにし おとふみ、1942年12月7日 - )… 大西 音文(おおにし おとふみ、1942年12月7日 - )は、日本の実業家。元ユニチカ代表取締役社長。元日本紡績協会会長。 大阪府出身。1965年神戸市外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業、ニチボー(のちのユニチカ)入社。1994年ユニチカプラント・貿易部長。1996年ユニチカ国際事業部長兼プラント・業務部長。1999年ユニチカ関連企業部長兼国際事業部長。2000年ユニチカ取締役。2001年ユニチカビジネスサービス代表取締役社長兼任。2002年ユニチカ常務取締役。2004年からユニチカ代表取締役社長を務め、事業と体質の強化による高収益化を進めた。2006年日本紡績協会会長。2009年ユニチカ取締役会長。
松本 仁一(まつもと じんいち、1942年12月7日 - )… 松本 仁一(まつもと じんいち、1942年12月7日 - )は、日本のジャーナリスト。日本におけるアフリカ報道の第一人者。 長野県更級郡稲荷山町(現千曲市)生まれ。東京大学法学部卒。1968年朝日新聞社入社。1982年ナイロビ支局長。1990年中東アフリカ総局長としてカイロに駐在。1993年から2007年まで編集委員。1994年ボーン・上田記念国際記者賞、1997年『アフリカで寝る』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞、2002年『テロリストの軌跡』で日本新聞協会賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石榑 郁郎(いしぐれ いくろう、1942年12月7日 - )… 石榑 郁郎(いしぐれ いくろう、1942年12月7日 - )は、日本棋院所属の囲碁棋士。岐阜県岐阜市出身、木谷實九段門下、九段。詰碁創作の名手として知られ、多数の作品を発表している。 小学3年で碁を覚え、父とともに中部総本部の五十川正雄の碁会所に通い腕を磨いた。
小林 昌二(こばやし しょうじ、1942年12月6日 - )… 小林 昌二(こばやし しょうじ、1942年12月6日 - )は、日本の歴史学者、専門は日本古代史。新潟大学名誉教授。新潟市歴史博物館館長。新潟県出身。 新潟市沼垂生まれ。新潟高校から京都大学文学部国史学科へ進み、1966年卒業。72年には同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 1974年に愛媛大学教育学部助手となり、75年講師、76年助教授に昇任した。1986年に新潟大学人文学部教授となり、2008年に定年退職し同大名誉教授となる。同年、帝京大学文学部教授となり、2015年に退職した。 2010年からは、新潟市歴史博物館館長を務めている。承平天慶の乱や渟足柵の研究に取り組んでいる。 2024年、瑞宝中綬章受章。
近藤 詔治(こんどう しょうじ、1942年12月6日 - )… 近藤 詔治(こんどう しょうじ、1942年12月6日 - )は、日本の経営者。日野自動車社長、会長を務めた。愛知県名古屋市出身。 東海高等学校を経て、1965年に東京大学法学部を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。 1997年6月に取締役に就任し、2001年6月には常務に就任。2003年6月に日野自動車副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格し、2008年6月から2011年6月までに会長を務めた。 2015年4月に旭日中綬章を受章。
久保田 勇夫(くぼた いさお、1942年(昭和17年)12月… 久保田 勇夫(くぼた いさお、1942年(昭和17年)12月6日- )は、日本の官僚、銀行家、西日本シティ銀行代表取締役会長。
古家野 泰也(こやの やすなり、1942年12月6日 - 2… 古家野 泰也(こやの やすなり、1942年12月6日 - 2017年9月5日)は、日本の弁護士、経営者。京都放送社長を務めた。岡山県出身。 1965年に岡山大学法文学部を卒業。1968年に司法試験に合格し、1971年に弁護士を登録。1990年に京都弁護士会副会長に就任。1994年11月にイトマン事件で経営危機に陥っていた近畿放送(のちの京都放送)の更生管財人となり、1995年11月には社長に就任し、経営再建に尽力した。2002年に会長に就任。 2017年9月5日肺癌のために死去。74歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
井巻 久一(いまき ひさかず、1942年12月5日 - )は… 井巻 久一(いまき ひさかず、1942年12月5日 - )は、日本の実業家。マツダ株式会社相談役。同社の代表取締役社長、会長を歴任した。 兵庫県有馬郡山口村(現、西宮市山口地域)出身。姫路工業大学(現、兵庫県立大学)を卒業後、1965年に東洋工業(後のマツダ)に入社。2003年8月、日本人では和田淑弘以来7年ぶり、生え抜きでは山本健一以来の社長に就任した。生産畑が長く、当時の親会社のフォード関係者からは「ミスター・マニュファクチャリング」と呼ばれた。
勝俣 宣夫(かつまた のぶお、1942年12月5日 - )は… 勝俣 宣夫(かつまた のぶお、1942年12月5日 - )は日本の実業家である。総合商社丸紅の社長、会長を経て、相談役。
川北 紘一(、1942年〈昭和17年〉12月5日 - 201… 川北 紘一(、1942年〈昭和17年〉12月5日 - 2014年〈平成26年〉12月5日)は、日本の特技監督。株式会社ドリーム・プラネット・ジャパン代表取締役。東京都日本橋出身。 日本を代表するSFX監督の1人と評されており、1970年代から1990年代にかけての東宝特撮を支えた。 太平洋戦争中であった幼少期に母方の実家である茨城県の竜ヶ崎に疎開し、小学校高学年まで同地ですごす。日本橋の実家は紳士服店を営んでいたが、東京大空襲により建物は全焼した。 高校生のころに、映画界への憧れから、カメラの機材会社ででアルバイトをする。 1962年(昭和37年)1月、東宝に入社。入社試験はすでに終了していたが、東宝で助監督を務めていた義理の兄を介して、カメラマンの完倉泰一の紹介により円谷英二が直接面接を行った。
阿部 正樹 (あべ まさき、1942年(昭和17年)12月4… 阿部 正樹 (あべ まさき、1942年(昭和17年)12月4日 - )は、日本の実業家。元IBC岩手放送代表取締役社長、会長、相談役。 岩手県西磐井郡平泉町生まれ。花巻市立花巻中学校、岩手県立盛岡第一高等学校を経て、早稲田大学に入学。卒業後の1965年に地元の岩手放送(現・IBC岩手放送)へ入社。入社後はテレビ制作部に配属され、10年間、番組制作に携わった。その後、東京支社に異動。1997年6月 取締役報道制作局長。1999年6月 常務取締役総合企画局長。2003年6月 専務取締役。2004年6月 代表取締役専務。2005年6月 代表取締役社長。2011年6月 代表取締役会長を務め、2015年時点では相談役を務めていた。
阿部 雄厚(あべ ゆうこう、1942年12月4日 - )は、… 阿部 雄厚(あべ ゆうこう、1942年12月4日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。弟は元プロ野球選手の阿部成宏。 花巻商業高校から1961年に近鉄バファローへ入団。高校一年から投手をつとめ、春の県大会では宮古高を剛速球とドロップのノーヒット・ノーラン・ゲームを演じ、注目を浴びた。今夏の県大会でも一試合平均10三振を奪取するなど、その剛速球には大洋、大毎も目をつけていた。1964年に引退。
和久井 康明(わくい やすあき、1942年12月4日 - )… 和久井 康明(わくい やすあき、1942年12月4日 - )は、日本の経営者。クラレ社長、会長を務めた。宮城県出身。 1965年に東京大学経済学部を卒業し、同年にクラレに入社。1996年に取締役に就任し、2000年6月に社長に就任。2008年4月に会長に就任し、2013年6月からは相談役を務めた。
越智 靖朗(おち やすお、1942年12月3日 - )は、愛… 越智 靖朗(おち やすお、1942年12月3日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロ野球選手。 新居浜工業高校から1961年に近鉄バファローズへ入団。 1961年・1964年に1軍出場を果たす。
下河辺 晴三(しもこうべ せいぞう、1942年12月3日 -… 下河辺 晴三(しもこうべ せいぞう、1942年12月3日 - )は、日本の音楽プロデューサーで、オブリガート社長。 下河辺三史・美世夫妻の三男として東京府(現・東京都)に生まれる。父・三史は実業家・下河辺建二の次男で日製産業(現・日立ハイテク)の元社長、母・美世は元内閣総理大臣・芦田均の長女。長兄は元嘉悦大学助教授の下河辺元春。 学生時代からバンド活動をし、青山学院大学を卒業した。内藤法美・越路吹雪夫妻の紹介により1969年に東芝音楽工業に入社して洋楽販売を担当した。1973年に邦楽制作部門に転じ、音楽プロデューサーとして活動する。高校時代からファンだった越路をはじめ松任谷由実、長渕剛、ハイ・ファイ・セット、桐ヶ谷仁、原田知世、東京キッド・ブラザースなどのプロデュースを手がけた。
江川 玟成(えがわ びんせい、1942年12月3日- )は… 江川 玟成(えがわ びんせい、1942年12月3日- )は、日本の教育心理学者、東京学芸大学名誉教授・十文字学園女子大学名誉教授。 福島県生まれ。1967年東京教育大学教育学部心理学科卒業。1971年同大学大学院博士課程単位取得中退、東京教育大学教育学部助手、1977年東京電機大学理工学部助教授、東京学芸大学教授、名誉教授、十文字学園女子大学人間生活学部教授、2013年名誉教授。
檜 よしえ(ひのき、1942年12月1日 - )は、日本の女… 檜 よしえ(ひのき、1942年12月1日 - )は、日本の女優。本名は木村芳枝。東京都出身。特技は水泳。
北川 イッセイ(きたがわ イッセイ 、本名:北川 一成(きた… 北川 イッセイ(きたがわ イッセイ 、本名:北川 一成(きたがわ かずなり)、1942年〈昭和17年〉12月1日 - 2021年〈令和3年〉9月7日)は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、国土交通副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、大阪府議会議員(4期)などを務めた。父は東大阪市長(第3代)の北川謙次。 関西大学文学部国文学科卒業後、信用組合大阪弘容(本店・東大阪市。経営破綻。現のぞみ信用組合)勤務を経て、1987年(昭和62年)4月の第11回統一地方選挙で、東大阪市長に転身した父北川謙次の地盤を継ぎ大阪府議会議員選挙(東大阪選挙区、定数7)に無所属で立候補。得票率8.43%(1万6,400票)を集めたが、謙次の府議辞職に伴う1982年6月の補選で東大阪市議から鞍替え当選し3期目を目指す自民党の清水行雄に、わずか295票差で敗れて次点に終わった。
田村 駿(たむら すすむ、1942年12月1日 - )は、日… 田村 駿(たむら すすむ、1942年12月1日 - )は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長を務めた。 東京都出身。1965年に明治大学商学部を卒業し、同年に共栄火災海上保険に入社。 1995年6月に取締役に就任し、1996年6月に常務、2000年6月に専務を経て、2005年6月には社長に就任。2008年7月から2009年3月までに会長を務めていた。
高梨 英夫(たかなし ひでお、1942年11月30日 - 2… 高梨 英夫(たかなし ひでお、1942年11月30日 - 2018年12月28日)は、日本のアマチュア野球選手(内野手、主に一塁手)・指導者である。 長く都市対抗野球の大会通算本塁打記録を保持し、「ミスター社会人」と呼ばれた。 長男は元読売ジャイアンツ選手の高梨芳昌、次男は元ヤクルトスワローズ選手の高梨利洋。 千葉県長生郡一宮町出身。千葉県立大多喜高等学校卒業後、大昭和製紙富士に入社。4年目の1964年に大昭和製紙北海道に移籍し、間もなくレギュラーポジションを獲得。 1966年の第37回都市対抗野球大会に、拓銀の補強選手として初出場。初戦の八幡製鉄戦で、大会初本塁打を放つ。富士鉄室蘭の補強選手として出場した翌1967年の第38回都市対抗野球大会では、準々決勝で優勝した日本石油に敗れるが、予選から21イニング連続無失点記録を続けていた平松政次(のち大洋)から本塁打を放って一矢を報いた。
桑原 邦郎(くわはら くにお、1942年11月30日 - 2… 桑原 邦郎(くわはら くにお、1942年11月30日 - 2008年9月14日)は、日本の物理学者。東京都目黒区出身。理学博士。 株式会社計算流体力学研究所の取締役CEOを務めた。株式会社テクノマセマティカル取締役、ケン・ミレニアム株式会社顧問も務めた。 計算流体力学研究所は、親からの遺産を元に設立した組織であり、親の遺産を学術に最も有効に生かした学者と評される[誰?]。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
竹之下 寛次(たけのした ひろつぐ 1942年11月30日 … 竹之下 寛次(たけのした ひろつぐ 1942年11月30日 - )は、テレビプロデューサー・演出家。ドリマックス・テレビジョン(現・TBSスパークル)所属のエグゼクティブプロデューサー兼演出家。兵庫県出身。 1966年、東京大学卒業後にTBSに入社。以後、多くのドラマに関わり、1979年から始まった『3年B組金八先生』の第1シリーズと第2シリーズでチーフディレクターを務めた。制作一部ドラマ担当部長などの管理職を経て、2008年現在、ドリマックス・テレビジョンに所属。 また、『3年B組金八先生』では1979年10月26日放送の第1シリーズ第1話の演出を手掛けたディレクターでもある。 3年B組金八先生(ゲーム) - 1年B組新八先生 - 2年B組仙八先生 - 3年B組貫八先生 - 東中学3年5組 生徒一覧(金八先生 - 新八先生 - 仙八先生 - 貫八先生) 贈る言葉 - 人として - 声援 - スタートライン - 新しい人へ - まっすぐの唄 - 初恋のいた場所 - いつか見た青い空 - 萌ゆる想い - 重い翼 - だけど泣かないさ 桜中学音楽大全集 - 3年B組金八先生 オリジナル・サウンドトラック(第7シリーズ - 1996年) 世情 - 贈る言葉 - Jupiter - ソーラン節 - 若い翼は - JODAN JODAN - さよなら - 生きとし生ける物へ 足立区立第二中学校 - 荒川橋梁 - 東京未来大学 - 東京都立足立特別支援学校 - 足立区立千寿桜堤中学校 - 足立区立鹿浜中学校 - 東京都立葛飾野高等学校 - 神奈川県立田奈高等学校 - 東京都立晴海総合高等学校 - 聖坂支援学校 武田鉄矢 - 杉田かおる - 直江喜一 - 沖田浩之 - 佐野泰臣 - 星野真里 - 川谷拓三 - 岸田敏志 - 三原じゅん子 - さとう宗幸 - 南こうせつ - ユニット(シブがき隊 - たのきんトリオ - TU→YU - 海援隊 - Ya-Ya-yah)
高橋 長英(たかはし ちょうえい〈本名の読みは「おさひで」〉… 高橋 長英(たかはし ちょうえい〈本名の読みは「おさひで」〉、1942年11月29日 - )は、日本の俳優。アンテーヌ所属。 神奈川県横浜市出身・在住。関東学院高等学校卒業後、上智大学法学部法律学科に進学するも中退し、1963年に俳優座養成所第15期生として入所する。養成所卒業後はフリーで活動する。単発のテレビドラマ出演を経て、1968年に『二人の恋人』で映画デビューする。 以降も映画やテレビドラマにおいて、存在感ある脇役として活躍した。悲劇的な善役から狂気的な悪役まで、幅広い演技力を活かして多彩な役柄を演じている。映画では伊丹十三監督作品の常連として多くの話題作に出演した。九条の会賛同者である。
矢澤 修次郎(やざわ しゅうじろう、1942年11月29日 … 矢澤 修次郎(やざわ しゅうじろう、1942年11月29日 - )は、日本の社会学者。成城大学名誉教授、一橋大学名誉教授。元日本社会学会会長。反省社会学専攻。 指導学生に新原道信(中央大学教授)、磯智明(NHKプロデューサー)など。
松見 正宣(まつみ まさのぶ、1942年(昭和17年)11月… 松見 正宣(まつみ まさのぶ、1942年(昭和17年)11月28日 - )は、日本の政治家、ジャーナリスト。2002年から2006年にかけて、東大阪市長を務めた。 朝鮮総督府の役人だった祖父を持ち、1942年、日本統治時代の朝鮮半島・京城府(現・ソウル特別市)で生まれる。父の転勤により移り住んだ咸興市でソ連軍の参戦・侵攻を受け、収容所生活を送るが、1946年に脱出して日本に引き揚げ、高校時代まで熊本県で育つ。 関西大学法学部卒業後の1965年、 NHKに記者として入局し、福岡放送局を初任地に、京都放送局放送部副部長、高知放送局放送部長、大阪放送局広報部長などを歴任した。戦争時代の体験などを背景に、記者時代は人権問題を取材活動のメインテーマにしていたという。
長谷川 祐弘(はせがわ すけひろ、1942年11月28日 -… 長谷川 祐弘(はせがわ すけひろ、1942年11月28日 - )は、特定非営利活動法人 日本国際平和構築協会 理事長、国際関係開発論博士。日本人として二人目の国連事務総長特別代表、元法政大学法学部教授。 法政大学教授、国際連合大学客員教授 を務めた後、現在はジョゼ・ラモス=ホルタ東ティモール民主共和国元大統領・総理大臣特別顧問、日本国際連合協会理事、地球憲章アジア太平洋日本委員会理事、国連システム学術評議会(ACUNS) 東アジア連絡事務所長、特定非営利活動法人 日本国際平和構築協会 理事長。 1966年ミシガン大学政治学部卒業、1968年国際基督教大学大学院修士課程(国際行政学)修了、1974年ワシントン大学で博士号(国際関係開発論)取得。
本田 哲郎(ほんだ てつろう、1942年(昭和17年)11月… 本田 哲郎(ほんだ てつろう、1942年(昭和17年)11月28日 - )は、日本のカトリック教会司祭。 台湾・台中市生まれ。1965年上智大学神学部卒業、フランシスコ会に入会する。1971年司祭叙階。1972年上智大学大学院神学部修士課程修了。1978年ローマ教皇庁立聖書研究所卒業。1989年大阪市西成区あいりん地区の社会福祉法人ふるさとの家施設長、1998年退任。1991年より、大阪釜ケ崎にて、日雇い労働者に学びつつ聖書を読み直し、また「釜ケ崎反失業連絡会」などの活動に取り組んでいる。新共同訳聖書の編集委員。
榎倉康二(えのくら こうじ、1942年11月28日 - 19… 榎倉康二(えのくら こうじ、1942年11月28日 - 1995年10月20日)は東京都生まれの日本人画家でインスタレーション・アーティストである。 彼は1960年代から1970年代にかけて台頭した「もの派」の一員であった。もの派の作家たちは、石、鉄板、ガラス、電球、綿、スポンジ、紙、木、鉄線、ワイヤー、ロープ、革、油、水といった、「もの」自身を主題にするとともに、諸要素と空間の相互依存に焦点をあてた作品を制作した。また、自然的な物質と工業的な物質の出会いを探求し、それらを一過性の静止状態に配置することによって作品とした。 父は洋画家の榎倉省吾。東京で生まれ、1966年に東京藝術大学美術学部油画科を卒業、1968年に同大学美術研究科で修士号を取得し、1975年から1995年に死去するまで同大学で教員を務めた。
藤田 幸生(ふじた こうせい、1942年(昭和17年)11月… 藤田 幸生(ふじた こうせい、1942年(昭和17年)11月28日 - )は、日本の海上自衛官。第24代海上幕僚長。防大9期。 高知県出身。高知高校を経て1965年(昭和40年)3月、防衛大学校(本科第9期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は主として対潜ヘリコプター HSS-2のパイロットとして航空隊等に勤務。その後、海上幕僚監部防衛部長、教育航空集団司令官、航空集団司令官、海上幕僚副長等の要職を歴任し、第24代海上幕僚長に就任。 山崎小五郎:1952.4.26-1952.7.31 山崎小五郎:1952.8.1-1954.6.30
青木 勝利(あおき かつとし、1942年11月28日 - )… 青木 勝利(あおき かつとし、1942年11月28日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都杉並区出身。三鷹ジム所属。元OPBF東洋太平洋バンタム級王者。 「メガトン・パンチ」と称された強打と抜群のセンスで、ファイティング原田、海老原博幸と並び「三羽烏」と呼ばれた。当時の日本記録である7試合連続KO勝ちを達成し、19歳で東洋王者になるなどの活躍を見せた。一方で、現役時代から酒好きと練習嫌いで知られており、上記3人の中で唯一世界王座に届かなかった。現役引退後、窃盗や無銭飲食などの刑事事件を何度も繰り返して世間を騒がせた。 少年時代は、家出を繰り返すなどの虞犯少年で、16歳で少年院に入れられた。入院中にテレビ中継でボクシングに出会い、退院直後の1960年4月に三鷹ジムの住み込みの練習生となる。
寺田 路恵(てらだ みちえ、1942年11月27日 - )は… 寺田 路恵(てらだ みちえ、1942年11月27日 - )は、日本の女優、声優。東京府北多摩郡武蔵野町(現東京都武蔵野市)出身。 1948年、前進座での『レ・ミゼラブル』で初舞台。 藤村女子高等学校卒業後に俳優座養成所に13期生として入所(同期生に細川俊之・加藤剛・佐藤オリヱらがいる)。 1964年、俳優座養成所卒業後、文学座附属演劇研究所に入所。 1965年、文学座の研究生となり、1968年に劇団員に昇格。 麦人は実弟であり、海外ドラマ『名探偵ポワロ ゴルフ場殺人事件』で夫婦役で共演している。 趣味・特技は新内の名取(鶴賀伊勢鶴)、日本舞踊。
江間 清二(えま せいじ、1942年〈昭和17年〉11月27… 江間 清二(えま せいじ、1942年〈昭和17年〉11月27日 - )は、日本の防衛官僚。第23代防衛事務次官。東京都出身。 中央大学法学部卒業後、防衛庁に入庁。防衛施設庁施設部長、防衛庁参事官を経て、1995年(平成7年)防衛庁長官官房長。 1997年(平成9年)内閣官房内閣安全保障室長、1998年(平成10年)4月組織改称に伴い内閣安全保障・危機管理室長。 同年11月に防衛事務次官に就任。2000年(平成12年)退官。
カルーセル 麻紀(カルーセル まき、Carrousel, M… カルーセル 麻紀(カルーセル まき、Carrousel, Maki、1942年〈昭和17年〉11月26日 - )は、日本のタレント。本名:平原 麻紀(ひらはら まき)、旧名および出生名:平原 徹男(ひらはら てつお)。所属芸能事務所は、オフィスカルーゼル。 いわゆるニューハーフタレントの草分け的存在であり、元男性であることをネタにした痛快なトークが売りで、お笑い芸人の演芸と歌謡ショーを組み合わせたステージを繰り広げる。また、芸能界を始め、各界に友人、親友が数多く幅広い人脈を持つことでも知られる。 「性別適合手術を受け、戸籍を男性から女性にしたパイオニア」と称される。 1942年(昭和17年)、北海道釧路市で二男として生まれる。
佐藤 進(さとう すすむ、1942年11月26日 - )は、… 佐藤 進(さとう すすむ、1942年11月26日 - )は、北海道札幌郡豊平町豊羽鉱山(現札幌市南区)出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代は卓球の選手。北海高校ではエース、四番打者として1960年に春夏連続で甲子園に出場。春の選抜では準決勝まで勝ち上がるが、高松商の左腕エース松下利夫(明大-四国電力)に抑えられ0-2で完封負け。高松商には山口富士雄がおり、この大会で優勝している。夏の選手権は準々決勝で静岡高に惜敗。しかし秋の熊本国体では、決勝で米子東高の宮本洋二郎に3-0で投げ勝ち初優勝を飾る。高校の1年上には荻野一雄、茅野智行がいた。 高校卒業後は、社会人野球の富士製鐵室蘭に入団。1963年の都市対抗に出場。
木村 強(きむら つよし、1942年(昭和17年)11月26… 木村 強(きむら つよし、1942年(昭和17年)11月26日 - )は、日本の郵政官僚。元郵政省通信政策局長。
浦部 和好(うらべ かずよし、1942年11月25日 - )… 浦部 和好(うらべ かずよし、1942年11月25日 - )は、日本の外交官。富山県警察本部長、外務省欧亜局長、外務省大臣官房長、内閣官房副長官補、在エジプト特命全権大使等を務めた。 東京都出身。東京都立立川高等学校を経て、1966年に一橋大学法学部を卒業し外務省入省。フランス語研修を受ける。条約局、在ベルギー大使館、在フランス大使館一等書記官、在大韓民国大使館参事官、富山県警察本部長、ストラスブール総領事などを歴任。 1995年外務省欧亜局長就任。1997年にロシアのイリューシン第一副首相が予定されていた訪日を突然中止し、スイスを訪問していた問題では、アレクサンドル・パノフ駐日ロシア大使を呼び出して説明を求めたが、パノフ大使は「本国の事情については知らない」と説明するのみであり、その後橋本宏外務報道官は「理解に苦しむ。
天野 一(あまの はじめ、1942年11月25日 - )は、… 天野 一(あまの はじめ、1942年11月25日 - )は、日本の政治家。静岡県議会議員。元静岡県議会議長。 静岡市生まれ。静岡市立城内小学校、静岡市立城内中学校を経て、1961年(昭和36年)静岡県立静岡高等学校卒業。青山学院大学経済学部卒業。静岡県の最年長県会議員。静岡市議会議員(3期)、静岡県議会議員 当選9回。静岡市葵区選出。第101代県議会議長(2008年5月から2009年5月まで)。静岡県レクリエーション協会会長、公益社団法人静岡県茶業会議所理事、静岡県人権・地域改善推進会会長。 静岡市葵区馬場町9 田辺ビル3階
白石 喜和(しらいし よしかず、1942年11月25日 - … 白石 喜和(しらいし よしかず、1942年11月25日 - )は、日本のジャーナリスト、元読売新聞記者。社会部記者をへて、地方部長、社会部長、編集局次長、総務局長、取締役事業局長、読売ゴルフ代表取締役社長などを歴任した。 中央大学法学部を卒業後、1967年に読売新聞大阪本社に入社、初任地は岡山支局。 1968年、取材を通じて岡山市のアマチュア無線家で医師の菊井昭雄の知遇を得る。ワルシャワ条約機構軍がプラハを侵略した際、情報統制されていたプラハが戦車に蹂躙されている状況をアマチュア無線で知り、記事化して、大スクープとなった。[要出典] 1971年、警察記者クラブで知り合ったサンケイ新聞記者の上村洋行を通じて、その義兄司馬遼太郎とその実姉福田みどりの知遇を得、司馬の自宅(現・司馬遼太郎記念館)を訪問するようになる。
三井 辨雄(みつい わきお、1942年〈昭和17年〉11月2… 三井 辨雄(みつい わきお、1942年〈昭和17年〉11月24日 ‐ 2021年〈令和3年〉4月2日)は、日本の政治家、実業家、薬剤師。 衆議院議員(4期)、国土交通副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、厚生労働大臣(第15代)などを歴任し、青山会(樽床伸二グループ)代表世話人を務めた。報道等では新字体で三井 弁雄(みつい わきお)の表記も用いられる。 北海道札幌市生まれ。札幌市立柏中学校、北海高等学校、昭和薬科大学薬学部卒業。薬剤師免許を取得し、1967年登録。1975年、三井薬品株式会社を設立し、同社代表取締役に就任。その後医療法人交雄会の理事長に就任し、北海道内に3病院・2介護福祉施設を開設。
村上 周三(むらかみ しゅうぞう、1942年11月24日 -… 村上 周三(むらかみ しゅうぞう、1942年11月24日 - )は、日本の工学者。研究分野は、計算流体力学、人体周辺環境、建築・都市環境工学、地球環境工学、サステナブル建築。学位は、工学博士(東京大学・1972年)。東京大学名誉教授。独立行政法人建築研究所理事長。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別研究教授。 慶應義塾大学教授や日本建築学会会長、空気調和・衛生工学会会長を歴任。 愛媛県出身。私立愛光高等学校卒業 (1961)、東京大学工学部建築学科卒業 (1965)、東京大学大学院工学系研究科修士課程建築学専攻修了 (1967)、同大学大学院工学研究科博士課程建築学専攻中退 (1968)。
加藤 浩一(かとう こういち、1942年(昭和17年)11月… 加藤 浩一(かとう こういち、1942年(昭和17年)11月23日 - )は、日本の政治家。茨城県水戸市長(2期)、茨城県議会議員(5期)を務めた。水戸市名誉市民。旭日中綬章。 茨城県水戸市に父・正雄、母・まさの長男に生まれる。太平洋戦争の激化により、疎開で福島県に移り、同地で終戦を迎える。父・正雄は終戦直後に戦死する(昭和20年8月30日、フィリピンルソン島)。残された加藤の祖母と母は水戸市内で酒屋を開く。 水戸市立浜田小学校、水戸市立第三中学校を経て、茨城高等学校に入学。入学後は家庭の事情もあり、進学を断念。卒業後の進路を就職に選択し、茨城トヨペットに入社。このとき面接を担当したのが当時、社長だった幡谷祐一(のち茨城県信用組合理事長)で、幡谷は加藤が水戸市長に立候補した際の後援会長となった。
中村 哲郎(なかむら てつろう、1942年11月23日 - … 中村 哲郎(なかむら てつろう、1942年11月23日 - )は、歌舞伎を中心とした演劇研究者、評論家。 山梨県甲府市の温泉旅館で生まれ育った。山梨県立甲府第一高等学校卒、早稲田大学文学部に学び、郡司正勝に師事。国立劇場(1967年開場)に勤務したが数年で退職を経て、中学1年でやみつきになった歌舞伎を軸に半世紀を超えた観劇歴で、演劇研究・執筆活動を行う。 1983年『西洋人の歌舞伎発見』で芸術選奨文部大臣新人賞、2007年『歌舞伎の近代 作家と作品』で日本演劇学会河竹賞・AICT演劇評論賞、2012年『花とフォルムと 転換する時代の歌舞伎評論』で芸術選奨文部科学大臣賞をそれぞれ受賞。2021年、『評話集 勘三郎の死 劇場群像と舞台回想』で第72回読売文学賞を受賞。
田中 稔(たなか みのる、1942年11月23日 - 201… 田中 稔(たなか みのる、1942年11月23日 - 2014年11月23日)は、日本の経営者。安田倉庫社長、会長を務めた。 三重県出身。1965年に東京大学法学部を卒業し、同年に富士銀行に入行。1993年6月に取締役に就任し、1995年5月に常務、1997年6月に常任監査役を経て、2001年6月に安田倉庫副社長に就任し、2002年4月に社長に昇格。2009年4月に会長に就任。 2014年11月23日肺炎のために死去。72歳没。
甲斐 道雄(かい みちお、1942年11月23日 - 201… 甲斐 道雄(かい みちお、1942年11月23日 - 2013年9月25日)は、日本のフルート奏者。 1942年11月23日兵庫県生まれ。川口勝次郎と山腰直弘に師事してフルートを始める。東京芸術大学を目指し兵庫県立有馬高等学校の2年生から毎週1回、当時の国鉄急行「なにわ」で上京し、レッスンを受けていた。東京芸術大学教授でフルート奏者の巨匠でもある吉田雅夫に師事し、猛特訓で音楽学部楽器科に合格。第一段階の目標を達成した。大学時代は吉田のほか川崎優にも師事した。1968年に同大学院音楽研究科を修了した。1969年ドイツ政府給費留学生としてハンブルグ音楽大学に留学しカールハインツ・ツェラーに師事。1971年に卒業し翌年の1972年までバンベルク交響楽団に所属するとともにバンベルク・バロック・アンサンブルのメンバー。
十朱 幸代(とあけ ゆきよ、1942年〈昭和17年〉11月2… 十朱 幸代(とあけ ゆきよ、1942年〈昭和17年〉11月23日 - )は、日本の女優。東京市日本橋区(現:東京都中央区)出身。血液型はO型。父は俳優の十朱久雄。所属事務所は株式会社アクターズ・セブン。 ニッポン放送の朝のラジオ番組『いってらっしゃい』の初代パーソナリティ。「国民の恋人」と称された。文化学院英文科卒業。 父・十朱久雄は日本橋で江戸時代から続く、麻問屋「小倉貿易」の長男だったが、学生時代から芝居に熱中し、家業を継ぐ気が全くなかったことから、祖父が東京を離れれば芝居を辞めるだろうと、母との結婚を契機に自社の機械工場があった奈良県へ送り出した。父が江戸っ子であることに誇りを持っていたため、母をわざわざ東京に送り返し、十朱幸代を東京の病院で出産させた。