スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
石野 真美(いしの まみ、1983年1月10日 - )は、日… 石野 真美(いしの まみ、1983年1月10日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は100mハードル。 千葉県立大多喜高等学校卒業後、日本女子体育大学に進学。大学では成瀬美紀と同期。 大学卒業後の2005年より、長谷川体育施設に所属。 2007年の日本選手権の100mハードルで優勝し、同年に大阪で開催された世界選手権に出場した。 2015年3月、長谷川体育施設を退社。
櫻井 健一(さくらい けんいち、1976年12月26日 - … 櫻井 健一(さくらい けんいち、1976年12月26日 - )は、日本の陸上競技選手で、現在は国際武道大学体育学部体育学科助教。セビリア世界選手権男子110mハードルの日本代表選手。日本選手権1998年第82回大会と2002年第86回大会で2位入賞の成績を残した。千葉県出身。千葉県立大多喜高等学校、国際武道大学体育学部卒業。身長180cm、体重74kg。 高校時代はインターハイに出場できず無名の存在であったが、国際武道大学に入学したことで110mハードル選手としての才能が開花した。1997年の3年時には関東インカレで優勝、日本学生選手権2位、日本インカレ4位、日本選手権5位と全国区の競技者となる。
渡辺 正行(わたなべ まさゆき、1956年〈昭和31年〉1月… 渡辺 正行(わたなべ まさゆき、1956年〈昭和31年〉1月24日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、コメディアン、俳優。 多くの芸能人やファンたちからはリーダー、明石家さんまや島田紳助、山田邦子など同年代の芸能人からはナベ(さん、ちゃん)と呼ばれている。 個人事務所・なべや所属(石井光三オフィスからの暖簾分け)で、ホリプロコムとマネジメント提携している。ピンクの電話の名付け親である。 千葉県夷隅郡夷隅町(現在のいすみ市)出身。夷隅町立(現:いすみ市立)国吉中学校、千葉県立大多喜高等学校、明治大学経営学部卒業。明治大学落語研究会に所属し、同会に受け継がれた名跡である「紫紺亭志い朝」(6代目)を5代目だった立川志の輔から受け継いだ。
山口 和彦(やまぐち かずひこ、1951年12月15日 - … 山口 和彦(やまぐち かずひこ、1951年12月15日 - 2011年6月12日)は、日本の政治家。千葉県勝浦市長(1期)。 現在の千葉県勝浦市出身。玉川大学文学部卒。35年間の中学校の教員や校長生活を経て、2011年2月の勝浦市長選挙に無所属で立候補し、元市議ら3人を破って初当選する。 市長就任直前の3月11日に東日本大震災が発生したが、勝浦市の被害は殆どなかったという。市長就任後のインタビューで観光客を呼び起こすための駐車場不足の解消や、保育所の土日開所、医療費無料化の中学3年生までの延長などに意欲を見せた。 しかし、4月中旬から咳が止まらないことなどから5月7日に入院し、9日から公務から離れ、市は病状は重症肺炎だと発表した。
佐瀬 寿一(させ じゅいち、1949年3月30日 - )は、… 佐瀬 寿一(させ じゅいち、1949年3月30日 - )は、日本の作曲家。千葉県勝浦市出身。 佐瀬壽一の表記もある。 千葉県立大多喜高等学校を経て日本大学芸術学部放送学科卒業。 放送作家の高田文夫、落語家の古今亭右朝は大学の同窓生である。 学生時代はビートルズのコピーバンドなどをやっており、『勝ち抜きエレキ合戦』にも出演したことがある。 1969年、大学在学中にピオニーズの「消えた想い出」で作詞・作曲家デビュー。このとき印税か買取のどちらにするかと聞かれ、結局3万円の買取契約にしたものの、割と売れたので後悔したという。同時期にヤマハポピュラーソングコンテストで編曲の仕事をし、音楽で生計を立てることに興味を持ち始めた。
猿田 寿男(さるた ひさお、1948年(昭和23年)11月1… 猿田 寿男(さるた ひさお、1948年(昭和23年)11月15日 - )は、日本の政治家。元千葉県勝浦市長(2期)。 千葉県大多喜町に生まれる。千葉県立大多喜高等学校卒業。明治大学法学部卒業後、千葉県庁に入庁。総合企画部参事兼知事室長、地域振興担当部長、商工労働部長などを歴任した。 2009年(平成21年)6月、千葉商工会議所専務理事に就任。 2011年(平成23年)4月、勝浦市副市長に就任。同年6月12日、勝浦市長の山口和彦が肺がんのため死去。これに伴って行われた市長選挙(7月24日告示、7月31日投票)に立候補し無投票で初当選した。2015年(平成27年)の市長選も無投票で再選。 2019年(令和元年)の市長選挙では、自民党・公明党の推薦を得て3選に挑むも、元市議の土屋元に敗れた。
佐川 和茂(さがわ かずしげ、1948年(昭和23年)7月2… 佐川 和茂(さがわ かずしげ、1948年(昭和23年)7月24日 - )は、日本のアメリカ文学者、青山学院大学教授。中央大学Ⅱ部文学部英文科卒、青山学院大学大学院博士課程単位取得退学。江戸川区平井四郵便局貯金課、朝霞米軍基地宿舎管理部、赤坂プレスセンター宿舎管理部勤務、青山学院大学経営学部専任講師、助教授、教授。2017年退職、青山学院大学名誉教授。妻は佐川愛子(1948 - アメリカ黒人(ディアスポラ)文学、翻訳家、元女子栄養大学教授)。 •『英語検定試験のすすめ』雨宮剛ほか共著 青山学院購買会、1984 •『シャロンの華』神山妙子ほか共著 笠間書院、1986 •『アメリカ文学と暴力』元山千歳ほか共著 研究社、1995 •『映像文学にみるアメリカ』朝日由紀子ほか共著 紀伊国屋書店、1998 •『アメリカ映像文学にみる愛と死」遠竹護ほか共著 北星堂書店、1998 •『アメリカ映像文学に見る少数民族』広瀬佳司ほか共著 大阪教育図書、1998 •『アメリカ小説の変容』高田賢一ほか共著 ミネルヴァ書房、2000 •『アジア系アメリカ文学――記憶と創造』植木照代ほか共著 大阪教育図書、2001 •『民族主義とキリスト教』大庭昭博ほか共著 新教出版社、2003 •『越境・周辺・ディアスポラーー3つのアメリカ文学』松本昇ほか共著 南雲堂フェニックス、2005 •『ソール・ベロー研究――人間像と生き方の探求』半田拓也ほか共著 大阪教育図書、2007 •『神の残した黒い穴を見つめて 須山静夫先生追悼論集』松本昇ほか共著 音羽書房鶴見書店、2013 •『彷徨える魂たちの行方 ソール・ベロー後期作品論集』鈴木元子ほか共著 彩流社、2017 •『ユダヤ系文学に見る聖と俗』広瀬佳司ほか共著 彩流社、2017 •『ユダヤの記憶と伝統』広瀬佳司ほか共著 彩流社、2019 •『ソール・ベローともう一人の作家』鈴木元子ほか共著 彩流社、2019 •『ジューイッシュ・コミュニティ ユダヤ系文学の源泉と空間』広瀬佳司ほか共著 彩流社、2020 •『現代アメリカ社会のレイシズム ユダヤ人と非ユダヤ人の確執・協力」広瀬佳司ほか共著 彩流社、2022 •『ソール・ベロー 都市空間と文学』鈴木元子ほか共著 彩流社、2022 •『父と息子の物語 ユダヤ系作家の世界』広瀬佳司ほか共著 彩流社、2023 •『ホロコーストと〈愛〉の物語』広瀬佳司ほか共著 彩流社、2024
太田 洋(おおた ひろし、1948年〈昭和23年〉3月7日 … 太田 洋(おおた ひろし、1948年〈昭和23年〉3月7日 - )は、日本の政治家。元千葉県いすみ市長(5期)、元岬町長(2期)。元・岬町長の太田儀男は父。 千葉県立大多喜高等学校、法政大学経済学部卒業。1972年(昭和47年)4月、千葉県庁に入庁。千葉県衛生部医療施設課長を務め、1999年(平成11年)に退職。同年10月、岬町長に就任。 2005年(平成17年)12月5日、大原町、夷隅町、岬町が合併しいすみ市が発足。同年12月25日に行われたいすみ市長選挙で前・大原町長の近藤万芳を破り初当選した。 2017年(平成29年)、無投票により4選。 2021年(令和3年)12月、元・いすみ市議会議員の田井秀明を破り5選。
柴崎 春通(しばさき はるみち、1947年8月27日 - )… 柴崎 春通(しばさき はるみち、1947年8月27日 - )は、日本の画家、YouTuber。 元文化庁派遣芸術家在外研究員。日本美術家連盟会員。“おじいちゃん先生”の愛称で親しまれる。 1947年に千葉県夷隅郡国吉町で生まれる。小学生の頃から絵を描くことが好きで、先生や同級生らに褒められるほどであった。夷隅町立国吉中学校(現・いすみ市立国吉中学校)に進学してからは柔道に熱中し、県大会で2位の成績を収めたこともある。千葉県立大多喜高等学校1年生のときに休眠状態だった美術部を再び立ち上げ、部長を務める。当時の美術部の顧問は、日本画家の渡邉包夫であった。 高校3年生になり、周囲が就職や進学を考える時期になっても柴崎は進路を決めかねていた。
石井 久吾(いしい きゅうご、1947年 - 2016年3月… 石井 久吾(いしい きゅうご、1947年 - 2016年3月25日[要出典] )は、日本の鑑定士。千葉県生まれ。横山大観の孫弟子。有限会社古汲洞の代表。 千葉県立大多喜高等学校在学中は美術教師の渡邉包夫に師事。卒業後、1975年に東京都文京区千駄木に書画専門店「古汲洞」を開店する。五感を駆使した幅広い見解で鑑定を行い、鑑識眼は、古書画から、日本画、洋画にまで及び、無名の物でも自身の美意識で作家、作品に照らし合わせる姿勢で、後に有名になった作家も数多い。1994年4月19日に『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京系)に鑑定士としてレギュラー出演し、2000年2月まで6年間出演した。講演のかたわら、「税務当局」や「金融機関」からの依頼を受け財産価値の評価鑑定まで行う。
高梨 英夫(たかなし ひでお、1942年11月30日 - 2… 高梨 英夫(たかなし ひでお、1942年11月30日 - 2018年12月28日)は、日本のアマチュア野球選手(内野手、主に一塁手)・指導者である。 長く都市対抗野球の大会通算本塁打記録を保持し、「ミスター社会人」と呼ばれた。 長男は元読売ジャイアンツ選手の高梨芳昌、次男は元ヤクルトスワローズ選手の高梨利洋。 千葉県長生郡一宮町出身。千葉県立大多喜高等学校卒業後、大昭和製紙富士に入社。4年目の1964年に大昭和製紙北海道に移籍し、間もなくレギュラーポジションを獲得。 1966年の第37回都市対抗野球大会に、拓銀の補強選手として初出場。初戦の八幡製鉄戦で、大会初本塁打を放つ。富士鉄室蘭の補強選手として出場した翌1967年の第38回都市対抗野球大会では、準々決勝で優勝した日本石油に敗れるが、予選から21イニング連続無失点記録を続けていた平松政次(のち大洋)から本塁打を放って一矢を報いた。
中村 幸弘(なかむら ゆきひろ、1933年 - )は、日本の… 中村 幸弘(なかむら ゆきひろ、1933年 - )は、日本の国語学者。学位は、文学博士(國學院大学・論文博士・1996年)(学位論文「補助用言に関する研究」)。國學院大學名誉教授、國學院大學栃木短期大学学長。 千葉県生まれ。國學院大學文学部文学科卒業。千葉県立佐原第一高等学校教諭・千葉県立大原高等学校教諭・國學院高等学校教諭、1971年國學院大學文学部専任講師・同文学部助教授・同文学部教授を経て2004年定年、國學院大學名誉教授、2005年弘前学院大学文学部教授、2007年國學院大學栃木短期大学教授・学長、2021年退任。2022年7月から東京都立大江戸高等学校副校長マネジメント支援員。1996年「補助用言に関する研究」で國學院大学より文学博士の学位を取得。
東山 収一郎(ひがしやま しゅういちろう、1932年(昭和7… 東山 収一郎(ひがしやま しゅういちろう、1932年(昭和7年)9月25日- 2021年(令和3年)10月3日)は、日本の元海上自衛官。第17代海上幕僚長。 東京都出身。東京水産大学では製造学科で食品衛生を研究テーマにしていた。卒業後、海上自衛隊に入隊。入隊の動機は当時、大学が久里浜にあり、目の前に海上自衛隊の基地があったことから「なんとなく、面白そうだから」という理由で入隊したという。 入隊後は空にあこがれて航空部隊へ進む。主に対潜哨戒機「S2F-1 トラッカー」のパイロットとして活躍し、飛行時間は3,500時間を超える。二十代で機長を務めていた頃は、護衛艦と共同で実施する対潜哨戒の作戦の方針をめぐって2佐クラスの艦長と無線でしばしば火花を散らしたという。
宇野 輝雄(うの てるお、1931年3月24日- 2017年… 宇野 輝雄(うの てるお、1931年3月24日- 2017年2月13日)は日本の翻訳家。 千葉県夷隅郡大多喜町出身。1953年明治学院大学文学部英文科卒。
井上 宗雄(いのうえ むねお、1926年10月10日 - 2… 井上 宗雄(いのうえ むねお、1926年10月10日 - 2011年3月18日)は、日本の国文学者。専攻は、中古・中世和歌史。学位は、文学博士(立教大学・論文博士・1966年)(学位論文「中世歌壇史の研究 南北朝期」)。立教大学名誉教授。 東京生まれ。1949年第二早稲田高等学院(文科)修了後、学制改革により早稲田大学第一文学部国文学専修に編入、1951年同学科卒業。1953年早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻修了。1953年早稲田大学高等学院教諭、1962年立教大学専任講師、1965年同大学助教授。1966年「中世歌壇史の研究 南北朝期」で立教大学より文学博士の学位を取得。1971年立教大学教授。
山口 吉暉(やまぐち よしてる、1921年7月27日 - 2… 山口 吉暉(やまぐち よしてる、1921年7月27日 - 2006年7月15日)は、日本の政治家。千葉県勝浦市長(8期)。 千葉県出身。1943年明治大学専門部卒。1963年勝浦市議会議員に当選し1期務める。1967年勝浦市長に当選。以来連続8期32年務める。在職中国際武道大学を勝浦市に誘致し、開学した。同大学の副理事長や日本武道館常任理事を務めた。1999年退任する。2002年勲三等旭日中綬章受章。2006年7月15日死去、84歳。死没日をもって従四位に叙される。
稲葉 襄(いなば のぼる、1914年2月15日 - 2006… 稲葉 襄(いなば のぼる、1914年2月15日 - 2006年1月8日)は、日本の経営学者。神戸大学名誉教授、広島経済大学名誉教授。経営学博士。専門は中小工業経営・家庭経済学・仏教的企業経営学。 神戸女子大学、武庫川女子大学、神戸女子薬科大学でも非常勤講師を務めた。 1914年、千葉県市原市舞鶴に生まれる。1931年、千葉県立大多喜中学校卒業。1934年、和歌山高等商業学校(現、和歌山大学経済学部)卒業。1937年、神戸商業大学 (旧制)(現神戸大学)卒業、同大学研究科に進学し、1939年修了。同年、和歌山高等商業学校講師に就任。1940年同校教授。 1944年軍需省軍需監理官、1946年商工省近畿地方商工局事務官を経て、同年、神戸経済大学附属経営学専門部講師・教授。
尾本 信平(おもと しんぺい、明治41年(1908年)10月… 尾本 信平(おもと しんぺい、明治41年(1908年)10月17日 - 平成11年(1999年)4月19日)は、三井金属(現・三井金属鉱業)社長・会長・名誉相談役。位階は従三位。
安西 浩(あんざい ひろし、明治34年(1901年)10月6… 安西 浩(あんざい ひろし、明治34年(1901年)10月6日 - 平成2年(1990年)4月12日)は、日本の実業家。東京瓦斯の最高実力者として20年以上も君臨。日本瓦斯協会会長も務めた。 安西直一の長男として千葉県夷隅郡清海村(現・勝浦市)に生まれる。。米沢高等工業学校応用科学科を経て1928年(昭和3年)に東北帝国大学法文学部卒業、東京瓦斯に入社。 入社後の1938年(昭和13年)から3度にわたって応召、陸軍主計将校として軍務につく。1946年(昭和21年)に東京瓦斯取締役に就任。以後、1947年(昭和22年)同社常務、1953年(昭和28年)副社長、1967年(昭和42年)社長、1972年(昭和47年)会長、1989年(平成元年)相談役。
岩瀬 亮(いわせ あきら、1898年(明治31年)12月19… 岩瀬 亮(いわせ あきら、1898年(明治31年)12月19日 - 1944年(昭和19年)11月1日)は、昭和時代戦前の政治家。実業家。衆議院議員。旧姓は森。森矗昶の弟。 漁師・森為吉の三男として、千葉県夷隅郡清海村(興津町、勝浦町を経て現勝浦市)に生まれる。のち1927年(昭和2年)岩瀬定吉の婿養子となる。千葉県立大多喜中学校を経て、1919年(大正8年)東京植民貿易語学校高等科卒業後、マレー半島トレンガヌにて煉瓦製造業を営む。 日本澱粉、桜組工業、辰巳倉庫、樺太炭業、昭和航空計器各社長、昭和火薬取締役、日本澱粉工業組合連合会理事長、隣保教育財団、大日本映画協会各理事、日本輸出農産物参与、日本甘馬鈴薯会社社長、日本水飴統制協議会、日本葡萄糖統制協議会各委員長などを歴任した。
河野 密(こうの みつ、1897年(明治30年)12月18日… 河野 密(こうの みつ、1897年(明治30年)12月18日 - 1981年(昭和56年)1月4日)は、日本の政治家。千葉県出身。 東京帝国大学法学部卒。大学在学中に新人会に参加し、卒業後日本労農党に参加。更に社会大衆党へ移って、1936年の第19回衆議院議員総選挙で初当選する。以後、当選12回。 戦後、日本社会党結成に参加するも、戦時中に大政翼賛会の活動に参画していたことから公職追放。追放解除後、1952年の第25回衆議院議員総選挙で社会党右派から政界復帰、1955年10月左右統一の日本社会党結成に参加する。 1956年鈴木茂三郎委員長の下で党国会対策委員長に就任。1958年警察官職務執行法改正法案に成田知巳総務局長と政府の赤城宗徳内閣官房長官への抗議や浅沼稲次郎書記長と与党自民党の川島正次郎幹事長、村上勇国対委員長に抗議した。
田中 豊(たなか ゆたか、1894年(明治27年)4月12日… 田中 豊(たなか ゆたか、1894年(明治27年)4月12日 - 1988年(昭和63年)5月16日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、長南町名誉町民を務めた。 千葉県上埴生郡庁南町(長生郡庁南町を経て現長南町)で生まれる。1912年(明治45年)千葉県立大多喜中学校(現千葉県立大多喜高等学校)を卒業した。 千葉県藁工品を設立し、埴生かます・むしろ産業の振興に尽力した。また、千葉県叺納入組合長、千葉県農水産社長、日本藁工品配給 (株) 評議員・千葉県出張所長、全国農業会千葉県藁工品事務所長、千葉運輸会長、千葉興業社長、ゆたかストアー社長、同会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で千葉県第3区から民主党公認で出馬して当選。
塩田 武雄(しおた たけお、1881年 - 1943年12月… 塩田 武雄(しおた たけお、1881年 - 1943年12月3日)は、ブルックリン植物園内日本庭園、日本式ヒル・アンド・池庭(Japanese Hill & Pond Garden)の作庭で知られる日系アメリカ人造園家。おもにアメリカ東海岸各地で日本庭園を手がけた。ニューヨーク州の近郊に残る大多数の日本庭園は塩田によるもので、彼が生涯に手がけたと知られている庭のうち約半数は未だに残っているというが、その多くは手入れをされずに放置されている。 千葉県夷隅郡大多喜町の裕福な農家に生まれ、地元の大多喜中学校、現在の千葉県立大多喜高等学校を卒業後、造園業に就き造園技術を習得。1907年新天地を求め26歳で当時日本庭園を造ることが一種のブームであったアメリカに来る。
久松 定弘(ひさまつ さだひろ、1857年1月27日(安政4… 久松 定弘(ひさまつ さだひろ、1857年1月27日(安政4年1月2日)- 1913年(大正2年)7月7日)は、明治期の哲学者、官僚、政治家、華族。貴族院子爵議員。幼名・弘太郎。 父は上総大多喜藩主・松平正義の長男正晴で、その長男として上総国大多喜で生まれる。明治4年12月27日(1872年2月5日)旧伊予今治藩主・久松定法の養子となる。明治5年8月7日(1872年9月9日)養父の隠居に伴い家督を継承。1884年7月8日、子爵を叙爵した。 漢学を島田篁村、英語を河津祐之、ドイツ語及び普通学(一般教養科目)を司馬凌海、エルヴィン・クニッピング、ルドルフ・レーマンらに学んだ。1874年11月10日、留学のためドイツ帝国へ出発し、オイゲン・デューリングなどに師事し哲学と文学について学んだ。