末永 進(すえなが すすむ、1945年12月8日 - )は、… 末永 進(すえなが すすむ、1945年12月8日 - )は、日本の裁判官、検察官。釧路地方裁判所長や、札幌高等裁判所部総括判事を務めた。瑞宝重光章受章。 北海道函館市松風町の時計屋の長男として生まれる。函館ラ・サール高等学校を経て、中央大学法学部在学中の1968年に旧司法試験合格。1969年中央大学法学部卒業。1971年裁判官任官、札幌地方裁判所判事補。法務省札幌法務局訟務検事、釧路地方裁判所網走支部判事、横浜地方裁判所部総括判事等を経て、2001年釧路地方裁判所所長、釧路家庭裁判所所長。2004年札幌高等裁判所民事第2部部総括判事。2016年秋の叙勲で瑞宝重光章受章。
斉藤 日出治(さいとう ひではる、1945年12月7日 - … 斉藤 日出治(さいとう ひではる、1945年12月7日 - )は、日本の経済学者、元大阪産業大学教授。専門は社会経済学。 長野県伊那市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1968年東京外国語大学インド・パキスタン学科卒業、1975年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。平田清明に師事。1995年「物象化世界のオルタナティブ -現代資本主義と言語・情報・記号」で経済学博士(名古屋大学)。大阪産業大学経済学部助教授、教授。副学長をへて2016年退職。
萬谷 勝治(まんたに まさはる、1945年12月7日 - 2… 萬谷 勝治(まんたに まさはる、1945年12月7日 - 2011年3月5日)は、日本の元ラグビー選手。日本代表。京都市立堀川高等学校、早稲田大学商学部卒。 京都市立堀川高等学校を卒業後、早稲田大学商学部に進学。第二期大西鐡之祐の指導のもと、早大ラグビー部の低迷にピリオドを打つ。大学時代には、後の日本ラグビー史に残るサインプレー・「カンペイ」を完成させた。 早大卒業後、1968年にトヨタ自工(現・トヨタ自動車)にラグビー選手として入社、その年度の日本選手権でクラブ初優勝に導く。また、恩師・大西が監督に就任した、同年の日本代表のニュージーランド遠征に参加。カンペイの切り札としてオールブラックス・ジュニアを破る、当時の大金星に貢献した。
望月 秀次郎(もちづき ひでじろう、1945年12月6日 -… 望月 秀次郎(もちづき ひでじろう、1945年12月6日 - )は、日本の政治家。山梨県の元富沢町長および元南部町長である。 1945年、山梨県富河村(その後富沢町を経て現在の南部町)に生まれる。都立荻窪高等学校、成城大学を卒業したのち民間企業、富河郵便局長を経て1993年に富沢町長に就任。町の財政が苦しい中役場新築や旧役場を図書館にするなど工夫を凝らした町政を3期にわたり行なっていた。旧南部町との合併協議会では副会長を務め、2003年に合併した直後は町長職務執行者に就任する。その後旧南部町長であった小沢介三が初代町長に就任すると町助役を4年間勤めた。 2007年、小沢町長の引退により町長選挙に立候補。
佐藤 一誠(さとう いっせい、1945年(昭和20年)12月… 佐藤 一誠(さとう いっせい、1945年(昭和20年)12月6日 - )は、日本の政治家。元秋田県男鹿市長。旭日小綬章。 秋田県出身。早稲田大学教育学部卒。1984年、秋田県議会議員に初当選。2期務める。1993年、男鹿市長菅原慶吉の死去による市長選挙に立候補して当選する。合併前の男鹿市長を3期務める。男鹿市と若美町と合併協議会会長を務め、2005年に新しい男鹿市が誕生。これに伴う市長選挙に立候補し、無投票で当選した。市長は2009年まで務めた。2018年春の叙勲で旭日小綬章を受章。
木野 実(きの みのる、1945年12月5日 - )は、大阪… 木野 実(きの みのる、1945年12月5日 - )は、大阪府出身の元ハンドボール選手、指導者。1972年ミュンヘンオリンピックおよび1976年モントリオールオリンピックハンドボール全日本男子代表。 現在は環太平洋大学体育学部体育学科教授。 大阪府立寝屋川高等学校、立教大学卒業。 卒業後、湧永製薬に入社。1969年に創部した同社ハンドボール部1期生であり、創部時の8人のうちの一人。1976年9月4日対本田技研(ホンダエルク)戦にて日本リーグにおけるチーム初得点を挙げている。チームは1977/78シーズンには日本リーグ初優勝を飾る。 全日本では、1967年立教大在学時に世界選手権出場、以降1970年全立教の選手として、1974年湧永の選手として、2度出場した。
高瀬 千図(たかせ ちず、女性、1945年(昭和20年)12… 高瀬 千図(たかせ ちず、女性、1945年(昭和20年)12月5日 - )は、作家。日本文藝家協会会員、歴史時代作家クラブ会員。 長崎県長与町生まれ。熊本県立大学文学部 英米文学科卒業。卒論はウィリアム・サローヤン論。卒業後、出版社に勤務。その後、フリーに。 森敦に師事し、1984年、『イチの朝』で芥川賞候補。『夏の淵』で新潮新人賞受賞、芥川賞候補。1987年、『風の家』を上梓。翌年、三島由紀夫賞候補となる。1988年、『天の曳航』を講談社から上梓。野間賞新人賞候補となる。1996年、『イチの朝』と『夏の淵』を1冊にまとめ『夏の記憶』と改題して葦書房から上梓。1997年、菅原道真の生涯を描いた『道真 <上・下>』をNHK出版から上梓。
山崎 弘士(やまざき ひろし、1945年〈昭和20年〉12月… 山崎 弘士(やまざき ひろし、1945年〈昭和20年〉12月4日 - )は、フリーのラジオパーソナリティ、司会者、大学教授。元KBS京都アナウンサー。元京都放送常務取締役、顧問。岡山県津山市出身。津山市立北中学校、岡山県立津山高等学校、立命館大学法学部卒業。血液型O型。既婚、2女あり。 大学で放送のクラブに入り、野外コンサートや祇園のクラブなどで司会を始める。小島正雄に弟子入りを志願するが断られ、アナウンサーの道を勧められる。 1968年4月近畿放送入社(同期に久保房郎がいる)。軽妙な語り口(だみ声)と親しみやすいキャラクター、そして特徴のある髪型で人気を集めている。 アンタッチャブルに出てくるカポネの弟分のニティーの声を低音で真似ていたことから、学生時代から「ニティー」と呼ばれるようになった。
広渡 清吾(ひろわたり せいご、1945年12月4日 - )… 広渡 清吾(ひろわたり せいご、1945年12月4日 - )は、日本の法学者。専門は、ドイツ法・比較法・法社会学。東京大学名誉教授。 ドイツ法、比較法、法社会学を専攻する福岡県出身の法学者である。 京都大学法学部助手、東京大学社会科学研究所教授、同所長、同大学副学長、専修大学法学部教授、大学共同利用機関法人人間文化研究機構監事、日本学術会議会長、民主主義科学者協会法律部会理事などを歴任。また、ベルリン自由大学やルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンでも客員として教鞭を執った。東京大学より名誉教授の称号を受けている。 日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する、<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人。
宮原 耕治(みやはら こうじ、1945年12月3日 - )は… 宮原 耕治(みやはら こうじ、1945年12月3日 - )は、日本の経営者、財界人。第18代日本郵船社長。岡山県出身。
和多田 淳三(わただ じゅんぞう、1945年12月3日 - … 和多田 淳三(わただ じゅんぞう、1945年12月3日 - )は、日本の経営情報学・経営工学者。早稲田大学理工学術院名誉教授。工学博士 (大阪府立大学)。大阪工業大学工学部経営工学科元教授。日本知能情報ファジィ学会フェロー・旧日本ファジィ学会副会長。元日本経営工学会評議員。元World Collaborative Innovative Innovation Center of Management Engineers(WCIIC-ME) Executive Chair。International Society of Management Engineers(ISME) Executive Chair。
平野 道夫(ひらの みちお、1945年12月3日 - 202… 平野 道夫(ひらの みちお、1945年12月3日 - 2026年1月24日)は、日本の国土交通技官。国土交通省北海道開発局長や、ドーコン代表取締役社長を務めた。 1970年北海道大学工学部土木工学科卒業、北海道開発庁入庁。1973年北海道開発局石狩川開発建設部第1課河川調査第1係長。1974年建設省河川局治水課直轄総括係長。1977年北海道開発局石狩川開発建設部札幌河川第1工務課長。1978年北海道開発局河川計画課開発専門官。1979年建設省計画局国際課課長補佐。1980年外務省在サウジアラビア日本国大使館一等書記官。1983年北海道開発局石狩川開発建設部工務第1課長。1986年北海道開発庁水政課開発専門官。
向井 英二(むかい えいじ、1945年〈昭和20年〉12月2… 向井 英二(むかい えいじ、1945年〈昭和20年〉12月2日 - )は、日本の政治家。富山県高岡市出身。自由民主党富山県議会議員を7期務めた。
油井 大三郎(ゆい だいざぶろう、1945年12月2日 - … 油井 大三郎(ゆい だいざぶろう、1945年12月2日 - )は、日本の歴史学者、東京女子大学現代文化学部特任教授、東京大学名誉教授、一橋大学名誉教授。専門はアメリカ現代史。
貞廣 彰(さだひろ あきら、1945年12月2日 - )は、… 貞廣 彰(さだひろ あきら、1945年12月2日 - )は、日本の経済学者。早稲田大学政治経済学術院教授。 香川県出身。1968年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1970年、大阪大学大学院経済学研究科修士課程修了。同博士課程を中退し経済企画庁入庁。 経企庁・内閣府では1992年・1993年経済企画庁調査局海外調査課長、1994~1996年同庁同局内国調査第一課長、1997年同庁総合計画局審議官、1998年同庁経済研究所所長等を歴任。学者としては1988年~1989年に京都大学経済学部助教授、1991年経済学博士(京都大学)。2000年9月より早稲田大学政治経済学術院教授。 経済企画庁エコノミスト この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
中林 佳子(なかばやし よしこ、1945年12月2日 - )… 中林 佳子(なかばやし よしこ、1945年12月2日 - )は日本の政治家。日本共産党所属の元衆議院議員(4期)。広島県神石郡豊松村(現・神石高原町)出身。島根大学教育学部卒業。元党中央委員。 政治・選挙活動では「中林よし子」の表記を使用する。 政見放送では自ら手話通訳を行いながら演説を行っている。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
波乃 久里子(なみの くりこ、1945年12月1日 - )は… 波乃 久里子(なみの くりこ、1945年12月1日 - )は、日本の女優。本名および旧芸名、波野 久里子(読み同じ)。 神奈川県鎌倉市出身。東京都出身。家政学園卒業。劇団新派所属。所属事務所は株式会社ディーピーエヌ。父は歌舞伎役者の十七代目中村勘三郎、弟は歌舞伎役者の十八代目中村勘三郎。 1945年12月1日、歌舞伎役者十七代目中村勘三郎の長女として神奈川県鎌倉市に生まれる。 1950年1月、東京劇場における「十七世中村勘三郎襲名披露初春大歌舞伎」で初舞台。 1961年1月から劇団新派に参加し、翌1962年4月に正式入団。 1968年4月、六世・猿若明石を襲名。以降、新派以外にも新橋演舞場、明治座、三越劇場、大阪松竹座、京都南座をはじめ全国の舞台で活動。
土岐 健治(とき けんじ、1945年12月1日 - )は、日… 土岐 健治(とき けんじ、1945年12月1日 - )は、日本の聖書学者。一橋大学名誉教授。 1945年、愛知県名古屋市生まれ。名古屋高校卒業。東京神学大学卒業。東京大学大学院西洋古典学専門課程博士課程中退。卒業後は一橋大学助教授。教授に昇進。2009年に一橋大学を定年退任し、名誉教授となった。
富司 純子(ふじ すみこ、1945年〈昭和20年〉12月1日… 富司 純子(ふじ すみこ、1945年〈昭和20年〉12月1日- )は、日本の女優・司会者。血液型O型。和歌山県御坊市出身。旧芸名は藤 純子(ふじ じゅんこ)。本名は寺嶋 純子(てらじま じゅんこ)、旧姓は俊藤(しゅんどう)。2007年(平成19年)に紫綬褒章受章。2016年(平成28年)春の叙勲で旭日小綬章を受章。 疎開先の御坊市で生まれ、5歳のときに大阪市東成区へ移り、7歳から日本舞踊を習う。大阪市立中道小学校、大阪市立本庄中学校卒業。父親・俊藤浩滋は家にはほとんど帰ってこない火宅の人で、母と祖母に苦労して育てられる。中学のときに宝塚歌劇のファンになり、中学卒業時に宝塚音楽学校を受験しようと考えて、宝塚コドモアテネに通っていたことがあった。
酒井 忠紀(さかい ただのり、1945年(昭和20年)12月… 酒井 忠紀(さかい ただのり、1945年(昭和20年)12月1日 - 2016年(平成28年)5月29日)は、日本の旧伯爵家、旧姫路藩主酒井家23代当主、雅楽頭系酒井家28代当主。
細江 守紀(ほそえ もりき、1945年12月1日 - )は、… 細江 守紀(ほそえ もりき、1945年12月1日 - )は、日本の経済学者、九州大学名誉教授、熊本学園大学学長。元日本応用経済学会、日本地域学会会長。 福岡県生まれ。1968年九州大学理学部物理学科卒業、1970年九州大学経済学部卒業、1975年同大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。1977年八幡大学法経学部助教授、1981年九州大学経済学部助教授、1989年教授、1999年同経済学研究院経済工学部門教授、2010年定年退任、名誉教授、熊本学園大学経済学部教授。2016年特任教授。2017年日本地域学会会長。2020年熊本学園大学学長就任。1988年「不確実性と情報の経済分析」で九大経済学博士。
奥田 怜子(おくだ れいこ、1945年12月1日 - )は、… 奥田 怜子(おくだ れいこ、1945年12月1日 - )は、日本のイラストレーター、絵本作家。 東京都港区出身。多摩美術大学デザイン科卒業。第9回日本漫画家協会優秀賞受賞。
奥村 昭博(おくむら あきひろ、1945年12月 - )は、… 奥村 昭博(おくむら あきひろ、1945年12月 - )は、日本の経営学者。専門は、経営戦略・企業革新・アントレプレナー。学位は、商学修士(慶應義塾大学・1971年)、Master of Business Administration(ノースウェスタン大学・1975年)。静岡県立大学副学長・経営情報学部特任教授・大学院経営情報イノベーション研究科特任教授、慶應義塾大学名誉教授。 慶應義塾大学ビジネス・スクール助手、慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院評議員、日本ベンチャー学会副会長、静岡県立大学経営情報学部教授、静岡県立大学大学院経営情報学研究科研究科長(第5代)、静岡県立大学大学院経営情報イノベーション研究科研究科長(初代)などを歴任した。
馬場 彰(ばば あきら、1945年12月 - )は、日本の英… 馬場 彰(ばば あきら、1945年12月 - )は、日本の英語学者。東京外国語大学名誉教授。英語学、英語統語論研究が専門。 1968年3月、東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業、1971年3月、東京大学大学院人文科学研究科英語英文学専門課程修士課程修了、1974年3月、同博士課程単位取得満期退学。 1968年4月~1971年5月、早稲田大学政経学部助手、1974年4月岡山大学教養部講師、1978年6月、助教授、1980年4月、文学部助教授、1985年4月、東京農工大学農学部助教授、1987年4月、東京外国語大学外国語学部助教授を経て、1996年4月より教授、2002年4月~2005年8月、外国語学部長、2005年9月~2007年8月、理事・副学長。
梅村 喬(うめむら たかし、1945年12月 - )は、日本… 梅村 喬(うめむら たかし、1945年12月 - )は、日本史学者、大阪大学名誉教授。元歴史科学協議会代表理事。 愛知県生まれ。1969年名古屋大学文学部史学科卒業。1974年同大学院文学研究科博士課程満期退学。名古屋大学文学部助手、愛知県立大学文学部講師、助教授、教授。1999年大阪大学大学院文学研究科教授。2009年定年退官。1990年「日本古代財政組織の研究」で文学博士(名古屋大学)。
小林 秀明(こばやし ひであき、1945年(昭和20年)12… 小林 秀明(こばやし ひであき、1945年(昭和20年)12月 - )は、日本の外交官。東宮侍従長、タイ駐箚特命全権大使、赤坂迎賓館館長などを歴任した。現在は帝京大学冲永総合研究所教授。長野県出身。 長野県長野高等学校、1968年(昭和43年)東京大学法学部を卒業し、外務省に入省した。
武藤 まき子(むとう まきこ、1945年11月30日 - 2… 武藤 まき子(むとう まきこ、1945年11月30日 - 2016年12月5日)は、日本の芸能リポーター、アナウンサー。「おまきさん」の愛称で知られた。 山梨県出身。1968年中国放送に入社。アナウンサー専門職として活動。結婚を機に同社を退社、フリーに転身。1982年4月1日、『おはよう!ナイスデイ』の開始に伴い、芸能リポーターとしてフジテレビと専属契約。以降、フジテレビならびにFNS系列局のワイドショー、情報番組に出演。主に、芸能、歌舞伎、皇室を担当。 2016年12月5日に都内の自宅で体調不良を訴えて倒れ、救急車で病院に搬送されたが死亡が確認された。71歳没。死因は虚血性心不全。
石井 正弘(いしい まさひろ、1945年11月29日 - )… 石井 正弘(いしい まさひろ、1945年11月29日 - )は、日本の政治家、建設官僚。 参議院議員(2期)、経済産業副大臣兼内閣府副大臣、参議院内閣委員長、参議院決算委員長、自由民主党政務調査会副会長、公選14・15・16・17代岡山県知事(4期)、文部科学省中央教育審議会委員(第3・4期)、自然エネルギー協議会初代会長(2011年 - 2012年)を歴任。 1945年、岡山県上道郡光政村(現・岡山市東区)に生まれる。岡山県立岡山操山高等学校、東京大学法学部を卒業。1969年に建設省に入省し、岐阜県民生部児童家庭課長、建設大臣秘書官、民間住宅課長、河川総務課長、大臣官房文書課長、建設省大臣官房審議官などを歴任。
中曽根 弘文(なかそね ひろふみ、1945年(昭和20年)1… 中曽根 弘文(なかそね ひろふみ、1945年(昭和20年)11月28日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(6期)、自民党群馬県連会長。父は元内閣総理大臣の中曽根康弘。
原口 證(はらぐち あきら、1945年11月27日 –)は日… 原口 證(はらぐち あきら、1945年11月27日 –)は日本の元技術者(現在は退職)である。円周率の暗記で知られている。 宮城県古川市(現・大崎市古川)の寺院で生まれ育つ。宮城県古川工業高等学校卒業後、東北沖電気工業、日立製作所茂原工場に30年余年勤務した。退職後、円周率の暗記を始め、2004年に当時の世界記録である54,000桁を達成する。その後、同年に記録を68,000桁に伸ばし、2005年に83,431桁、2006年に100,000桁の暗記を達成した。トイレにまでカメラでついていくなど、不正が無いことを証明するため徹底的に記録された。しかし、この記録はギネス・ワールド・レコーズに申請中の段階であり、2017年時点でも正式に認定されていない(インド人のスレシュ・クマール・シャルマの70,030桁が、ギネス世界記録公認の世界記録である)。
片山 一道(かたやま かずみち、1945年11月27日 - … 片山 一道(かたやま かずみち、1945年11月27日 - )は、日本の自然人類学者、京都大学名誉教授。専門は先史人類学・骨考古学。 広島県佐伯郡鹿川村(現・ 江田島市能美町)に生まれる。高校進学に伴い能美島を離れて学生寮に入る。今西錦司と木原均に憧れて中学生時代より京都大学を志望する。広島大学教育学部附属高等学校卒業。1969年、京都大学農学部農林生物学科卒業。1974年、京都大学大学院理学研究科動物学専攻博士課程満期退学。1979年「中部日本人の3隔離集団間における血液多型性形質の遺伝的分化」で理学博士の学位を取得。1974年に大阪医科大学助手、1980年に大分医科大学講師となり、1982年に京都大学理学部助教授となって、後には、京都大学霊長類研究所教授、京都大学理学研究科教授を歴任した。
桂口 力(かつらぐち ちから、1945年11月27日 - )… 桂口 力(かつらぐち ちから、1945年11月27日 - )は、日本の元ラグビー選手。 小倉工高を経て法政大学でプレー。 卒業後は九州電力に入社した。中学時代はサッカーの経験があり、キック力のある選手だった。 1967年のニュージーランド戦で日本代表初キャップを獲得。 1968年に、ジュニア・オールブラックスを破った時の司令塔として有名。 現在は法大ラグビー部OB会九州支部長を務める。
川内 八洲男(かわうち やすお、1945年11月27日 - … 川内 八洲男(かわうち やすお、1945年11月27日 - 2014年7月2日)は、佐賀県藤津郡出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 佐賀県立鹿島高等学校では、1962年秋季九州大会県予選準決勝に進むが、佐賀商に敗退。翌1963年夏も県予選準々決勝で龍谷高に敗れ、甲子園には出場できなかった。 1964年に近鉄バファローズへ入団。 1965年のジュニアオールスターに選出された。 1967年には中継ぎとして一軍に定着、初勝利を挙げた。 1968年は39試合に登板、8月20日には初先発で西鉄ライオンズに完封勝利、同年は4勝を記録した。 1970年オフに伊藤竜彦とのトレードで中日ドラゴンズへ移籍。 1971年には、4月から先発陣の一角として起用され、43試合に登板、自己最多勝利となる7勝を記録。
藤木 保彦(ふじき やすひこ、1945年11月27日 - )… 藤木 保彦(ふじき やすひこ、1945年11月27日 - )は、日本の経営者。オリックス社長を務めた。 東京都出身。1968年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に日興証券に入社。1971年7月に三菱開発を経て、1976年11月にオリエント・リースに転じ、1994年6月に取締役に就任し、1999年6月に常務を経て、2000年4月には宮内義彦の後任として、社長に就任。2008年1月に会長に就任。
赤松 正雄(あかまつ まさお、1945年11月26日 - )… 赤松 正雄(あかまつ まさお、1945年11月26日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(6期)、公明党副書記長、新進党常任幹事、公明党外交安全保障調査会長、憲法調査会座長、公明党中央幹事、厚生労働副大臣などを歴任した。 1945年11月26日、兵庫県姫路市に生まれる。兵庫県立長田高等学校を経て慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。1969年より公明新聞に勤務し、記者を経て、機関誌「公明」副編集長を務め、1987年からは公明党衆議院議員・市川雄一の秘書として勤務した。 1993年7月、第40回衆議院議員総選挙兵庫県第4区で公明党から初当選。同年、党副書記長兼政審副会長に就任。1994年12月、公明党の分裂に伴い、赤松や恩師の市川ら衆議院議員は公明新党に参加。
五十嵐 英夫(いがらし ひでお、1945年11月25日 - … 五十嵐 英夫(いがらし ひでお、1945年11月25日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 武相高校では1963年の夏の甲子園神奈川県予選の準々決勝に進出するが、法政二高に敗れる。卒業後は神奈川大学へ進学。神奈川五大学野球リーグでは4度の優勝に貢献。1学年下の片岡建との二本柱で活躍した。1年秋に防衛大学校戦で完全試合を達成。1966年の全日本大学野球選手権大会では、1回戦で立大を4安打1点に抑えて勝利。準決勝に進出するが日大に延長11回1-2で敗退。最優秀選手4回、ベストナイン3回。大学同期に雨宮捷年外野手がいる。 1967年ドラフト会議で近鉄バファローズから7位指名を受け入団。
佐治 信忠(さじ のぶただ、1945年11月25日 - )は… 佐治 信忠(さじ のぶただ、1945年11月25日 - )は、日本の実業家。サントリーホールディングス代表取締役会長兼取締役会議長。日本アドバタイザーズ協会理事長。ACジャパン元理事長。学校法人慶應義塾評議員・理事。一般財団法人日本ウズベキスタン・シルクロード財団評議員。2020年フォーブス日本長者番付4位。保有資産額は2020年4月時点で、94億米ドル(約1兆60億円)。 平成21年7月にキリンホールディングスとの経営統合が日本経済新聞によってリークされたが、平成22年2月8日に破談が発表された。サントリーの株式の約9割を握る創業一族の位置付けなどを巡って紛糾した。統合比率に関してキリン側が事前合意を覆す強硬な条件を提示したことが原因と言われている。
中本 晃(なかもと あきら、1945年11月25日- )は、… 中本 晃(なかもと あきら、1945年11月25日- )は、日本の技術者、実業家。島津製作所代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、京都工業会元会長。 鳥取県生まれ。鳥取県立米子東高等学校を経て、1969年大阪府立大学工学部卒業、島津製作所入社。品質保証部長、LC部長等を経て、2000年執行役員。2001年取締役。2007年専務取締役。2009年から代表取締役社長を務め、自己資本利益率の向上にあたった。2015年代表取締役会長。2018年京都工業会会長。日本産業機械工業会常任幹事、日本機械輸出組合理事、日本計量機器工業連合会会長等も歴任した。 2023年4月旭日重光章受章。
元木 昌彦(もとき まさひこ、1945年11月24日 - )… 元木 昌彦(もとき まさひこ、1945年11月24日 - )は、日本の編集者、ライター。 1966年、早稲田大学商学部入学。1970年、講談社入社。1990年、『FRIDAY』編集長。1992年、『週刊現代』編集長( - 1997年)。1999年、「Web現代」編集長。2007年、「オーマイニュース」日本版編集長( - 2008年)。後に社長も務める。
中島 博範(なかじま ひろのり、1945年〈昭和20年〉11… 中島 博範(なかじま ひろのり、1945年〈昭和20年〉11月23日 - )は、日本の政治家。安中市長(3期)、群馬県議会議員(1期)、安中市議会議員(2期)を務めた。 群馬県碓氷郡原市町(現・安中市)に生まれる。父・丑五郎は木材製造業から建設業を興した人物で、原市町議会議員、安中市議会議員、同議長などを務めた。 1964年日本大学第一高等学校卒業。1967年日本大学経済学部中退。1968年に関東建設工業株式会社に入社。1981年安中青年会議所副理事長。 1983年に安中市議会議員に当選し、2期務める。1991年の群馬県議会議員選挙に安中市選挙区から立候補し当選、1期務める。県議当選後に自由民主党に所属。
綿引 勝彦(わたびき かつひこ、1945年〈昭和20年〉11… 綿引 勝彦(わたびき かつひこ、1945年〈昭和20年〉11月23日 - 2020年〈令和2年〉12月30日)は、日本の俳優。本名:同じ。旧芸名:綿引 洪。血液型はAB型。東京都武蔵野市出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学藝術学部中退。劇団民藝を経て、劇団「綿帽子」主宰。 少年時代から将来の夢はプロ野球選手で、中学まではずば抜けて上手かったが、進学した日本大学鶴ヶ丘高等学校の野球部にはゴロゴロ凄い選手がいて、プロ野球の夢は一気に砕け散った。将来の夢が全くなくなったとき、女友達に、仲代達矢・栗原小巻主演の俳優座の舞台『令嬢ジュリー』に誘われ、「新劇って凄い」と感激、演劇の世界に目覚める。進路を役者に定め、高校卒業後日本大学藝術学部に入学。
岡本 行夫(おかもと ゆきお、1945年〈昭和20年〉11月… 岡本 行夫(おかもと ゆきお、1945年〈昭和20年〉11月23日 - 2020年〈令和2年〉4月24日)は、日本の外交評論家、実業家、外交官。産経新聞「正論」メンバー。 内閣総理大臣補佐官(イラク担当・沖縄担当)、内閣官房参与、内閣総理大臣外交顧問等を経て、マサチューセッツ工科大学国際研究センターシニアフェロー、立命館大学客員教授、青山学院大学特別招聘教授。位階は正五位。 神奈川県生まれ。鎌倉市及び藤沢市で育つ。父親は農林省職員で、父親の仕事の関係で、中学時代2年間マレーシアの首都クアラルンプールに滞在した。 神奈川県立湘南高等学校を経て、1968年(昭和43年)に一橋大学経済学部を卒業し、外務省入省。
末永 康仁(すえなが やすひと、1945年11月23日 - … 末永 康仁(すえなが やすひと、1945年11月23日 - )は、日本の情報工学者。名古屋大学名誉教授。元電子情報通信学会情報・システムソサイエティ会長。 愛知県犬山市本町生まれ。名古屋市千種区内山町出身。1958年名古屋市立内山小学校卒業。1961年名古屋市立今池中学校卒業。1964年愛知県立旭丘高等学校卒業。1968年名古屋大学工学部電気電子工学科卒業。福村晃夫研究室で、鳥脇純一郎の指導を受け、1973年名古屋大学大学院工学研究科電気電子専攻博士課程修了、日本電信電話公社電気通信研究所研究員。1974年工学博士。1979年電子通信学会学術奨励賞受賞。1985年マサチューセッツ工科大学メディア研究所客員研究員。
真鍋 幹三(まなべ みきぞう、1945年11月23日 - )… 真鍋 幹三(まなべ みきぞう、1945年11月23日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
高橋 誠一(たかはし せいいち、1945年(昭和20年)11… 高橋 誠一(たかはし せいいち、1945年(昭和20年)11月23日 - 2014年(平成26年)2月11日)は、日本の地理学者・歴史学者。関西大学教授。奈良県生まれ。
若尾 祐司(わかお ゆうじ、1945年11月22日 - )は… 若尾 祐司(わかお ゆうじ、1945年11月22日 - )は、日本の西洋史学者、名古屋大学名誉教授。 1945年、岐阜県生まれ。岐阜県立岐阜高等学校を経て、1968年、京都大学文学部史学科を卒業、1972年、名古屋大学大学院法学研究科博士課程中退し、琉球大学法文学部講師となる。(後に1986年「ドイツ奉公人の社会史 近代家族の成立」を名古屋大学に提出して法学博士号を取得)。 1976年より琉球大学法文学部助教授、1987年、同学部教授。1988~89年、同大学法学研究科長。1989年、名古屋大学文学部助教授に転じ、1992年より同学部教授。1999~2001年、同大学文学部長・文学研究科長。2004年、名古屋大学理事・副総長。
篠原 修(しのはら おさむ、1945年11月22日 - )は… 篠原 修(しのはら おさむ、1945年11月22日 - )は、日本の景観に関する専門家で土木設計家、東京大学、政策研究大学院大学名誉教授・客員教授。エンジニア・アーキテクト協会会長。栃木県生まれ、神奈川県育ち。
島川 文雄(しまかわ ふみお、1945年11月22日 - )… 島川 文雄(しまかわ ふみお、1945年11月22日 - )は、日本の経営者。荏原製作所社長、会長を務めた。 三重県出身。1970年に大阪大学工学部機械工学科を卒業し、同年に荏原製作所に入社した。1998年6月に取締役に就任し、2000年6月に常務を経て、2004年6月に社長に就任。2007年6月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
井上 英俊(いのうえ ひでとし、1945年(昭和20年)11… 井上 英俊(いのうえ ひでとし、1945年(昭和20年)11月22日 - )は、日本の政治家。元兵庫県朝来市長(1期)。 関西学院大学卒。兵庫県朝来町長を3期務め、2005年合併により、朝来市が誕生、これによる市長選挙に立候補し、旧和田山町長の高本勤を破って当選した。市長は1期務め、2009年に引退した。
涌井 雅之(わくい まさゆき、本名:涌井 史郎(わくい しろ… 涌井 雅之(わくい まさゆき、本名:涌井 史郎(わくい しろう)、1945年11月22日 - )は、日本の造園家。大学教授。三桂所属。神奈川県鎌倉市生まれ。 1969年 東京農業大学農学部造園学科卒業。東急グループ傘下の造園会社、石勝エクステリアを設立。造園家として多摩田園都市、全日空万座ビーチホテル、ハウステンボス、東急宮古島リゾート等のランドスケープ計画・デザインを手掛ける。1998年、東京農業大学造園学科非常勤講師。2000年、石勝エクステリア代表取締役を退任。2005年、愛・地球博会場演出総合プロデューサー。2010年、東京都市大学環境情報学部教授。2013年、岐阜県立森林文化アカデミー学長。