江藤 千秋(えとう ちあき、1928年 - 2003年9月2… 江藤 千秋(えとう ちあき、1928年 - 2003年9月24日)は、日本の作家。ほか化学教師、河合塾講師を歴任した。 1928年愛知県名古屋市に生まれる。1945年愛知県第一中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)卒業。1948年名古屋工業専門学校(現・名古屋工業大学)卒業。工業技術院東京工業試験所研究員を経て、1954年より愛知県立惟信高等学校、1956年より1970年まで旭丘高等学校でそれぞれ化学を担当後、学校法人河合塾理事に就任。2003年9月24日、心不全のため死去。 『15歳の志願兵』の原案となった『積乱雲の彼方に 愛知一中予科練総決起事件の記録』の著者である。この本は実話に基づいて描かれており、江藤千秋自身も全校生徒が予科練へ志願した「愛知一中予科練総決起事件」の当事者の一人であった。
山本 勝一(やまもと まさかず、1928年(昭和3年)- 2… 山本 勝一(やまもと まさかず、1928年(昭和3年)- 2022年 (令和4年) 3月9日)は観世流能楽師。公益財団法人山本能楽会(山本能楽堂)会長。 大阪府出身、1943年(昭和18年)大阪府立高津中学校(旧制。現・大阪府立高津高等学校)卒業。1945年(旧制)関西大学予科卒業。 山本家は信州山本城主の諏訪盛重に起源を持ち、元禄時代に京都烏丸三条の五大両替商(大名貸)の一つ「伊勢屋」として栄えており、明治時代「伊弥太(貯蓄)銀行」として祖父の九代目弥太郎が経営していた。父の山本博之は大正時代に二十四世観世宗家(観世元滋)に入門、昭和初期に山本能楽堂(大阪市中央区)を建てるなど、能楽の大阪での普及に貢献した人物。
児玉 辰春(こだま たつはる、1928年 - 2019年10… 児玉 辰春(こだま たつはる、1928年 - 2019年10月14日)は、日本の児童文学作家。 戦争を語り継ぐ絵本『まっ黒なおべんとう』の著者として知られる。 広島県大竹市出身。山口県立岩国工業高等学校、神奈川大学工学部卒業。 1954年より中学校の教師として勤務した。その頃から、子供たちへの平和活動を始める。1988年、広島市立三和中学校を最後に退職し、創作活動を開始した。 1990年に「よっちゃんのビー玉」が日本子どもの本研究会選定図書、1992年に「伸ちゃんのさんりんしゃ」日本図書館協会選定図書と全国学校図書館協議会「夏休みの本」に選ばれた。 2001年、戦争の悲惨さを語り継ぐ「新世紀に戦争を語り継ぐ会」を創設した。
眞鍋 禮三(まなべ れいぞう、1928年 - 2021年7月… 眞鍋 禮三(まなべ れいぞう、1928年 - 2021年7月19日)は、日本の医学者・眼科医。専門は、角膜移植を中心に視覚生理学分野。大阪大学名誉教授。 香川県三豊郡下高瀬村(現 三豊市三野町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、大阪大学医学部卒業。 1954年(昭和29年)大阪大学医学部卒業。同大大学院修了後、同大眼科学教室 に入局。1963年(昭和38年)ミュンヘン大学留学、1969年(昭和44年)ボストンの眼研究所留学を経て、1974年(昭和49年)大阪大学医学部脳神経感覚器外科学(眼科学)講座教授に就任。 初期の研究分野は電気生理であったが、留学したボストンで初めて角膜の研究に従事し、角膜に含まれる「水」の問題、コラゲナーゼ、フィブロネクチン、ヘルペス感染症などに関する多くの業績をおさめて現在の日本角膜学会の基礎を作った。
酒井 祐春(さかい すけはる、1928年 - 1998年10… 酒井 祐春(さかい すけはる、1928年 - 1998年10月15日)は、日本の作詞家。宮崎県出身。 宮崎県南那珂郡吾田村(現在の日南市)一里松出身。旧制飫肥中学校を卒業後、小学校教員を経て書店兼文具店を開業する。店舗は後に酒販業へ転換したが、この頃から文学に興味を持ち1964年(昭和38年)に県が再置80周年記念事業として懸賞募集した2代目「宮崎県民歌」に応募作が一等入選で採用された。 その後は主に標語の分野で活動していたが、作詞分野では都城市茶業協議会の選定で作成され都はるみの歌唱で日本コロムビアからレコードが発売された「都城茶音頭」で入選したのをはじめ、大分県立大分工業高等学校の校歌を手掛けている。
海江田 順三郎(かいえだ じゅんさぶろう、1928年 - 2… 海江田 順三郎(かいえだ じゅんさぶろう、1928年 - 2025年5月5日)は、日本の実業家。高島屋開発社長、相談役、鹿児島市教育委員長、鹿児島県日中友好協会会長、名誉会長等を歴任。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制の鹿児島商業学校(現鹿児島商業高等学校)から転校して、鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)に入り1947年卒業。旧制中学生時代の1945年1月から勤労動員され、第4学年に進級した4月には長崎県佐世保市の海軍工廠へ動員される。1945年6月に陸軍航空士官学校入校の二次試験を受け(敗戦により学校解散のため入校せず)、熊本市(熊本陸軍幼年学校)が試験会場だったため、佐世保市にすぐ戻らず鹿児島市潮見町(汐見町)朝日通りの実家に帰省したところ、6月17日夜の鹿児島大空襲に遭遇する。
山田 和夫(やまだ かずお、1928年 - 2012年8月1… 山田 和夫(やまだ かずお、1928年 - 2012年8月11日)は、日本の映画評論家、映画史家、映画運動家。
河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10… 河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10月31日)は、自動車エンジニア、実業家。元本田技研工業代表取締役社長。日本楽器製造(現ヤマハ)社長、ダイエー副社長を歴任した河島博は実弟。
唯是 康彦(ゆいぜ やすひこ、1928年-)は、日本の経済学… 唯是 康彦(ゆいぜ やすひこ、1928年-)は、日本の経済学者で、千葉経済大学客員教授。専門は、農業経済学、食糧問題。70~80年代の日本の農業政策に大きな影響を及ぼし、特に自由化論者の代表として知られる。農水大臣の候補に挙がったこともしばしば。
吉村 真事(よしむら まこと、1928年 - 2004年1月… 吉村 真事(よしむら まこと、1928年 - 2004年1月8日)は、自由民主党参議院議員(1期)。
西原明(にしはら あきら、1928年 - 2009年4月18… 西原明(にしはら あきら、1928年 - 2009年4月18日)は、日本のキリスト教聖職者。兵庫県神戸市出身。島之内教会第12代牧師。海外留学の経験より教会の公開に努め、音楽関係・演劇関係・自殺防止の働きなどで多方面と交流があった。特に晩年は自殺防止活動に注力した。
大牧 冨士夫(おおまき ふじお、1928年(昭和3年) - … 大牧 冨士夫(おおまき ふじお、1928年(昭和3年) - 2021年(令和3年)1月15日)は、日本の文学研究者・郷土史研究者・小説家。 1928年(昭和3年)、岐阜県の揖斐川上流、旧徳山村漆原(下開田地区)に生まれ育つ。太平洋戦争末期を新潟県の村松陸軍少年通信兵学校で過ごす。戦後は、岐阜大学卒業後、岐阜市での業界紙記者などを経て、1963年(昭和38年)より故郷の徳山村で教鞭をとる。この間、中野重治に関する論文を『新日本文学』などに発表する。その傍ら、郷土史に興味を寄せ、『徳山村史』の編集執筆などに携わる。1985年(昭和60年)、徳山ダム建設に先立ち、徳山村を離村。1980年に『中野鈴子全詩集』の解題、年譜を書いて編集に加わった。
池田 眞規(いけだ まさのり、1928年 - 2016年11… 池田 眞規(いけだ まさのり、1928年 - 2016年11月13日)は、日本の弁護士。日本反核法律家協会前会長。原爆症認定集団訴訟全国弁護団長。九州大学法学部卒業。自衛隊百里基地訴訟や長沼ナイキ訴訟、湾岸戦争国費支出違憲訴訟などを担当。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中川 保孝(なかがわ やすたか、1928年 - 2000年7… 中川 保孝(なかがわ やすたか、1928年 - 2000年7月2日)は日本の精神科医。友朋会嬉野温泉病院元理事長。精神医学、老年内科学における芸術療法の第一人者であり、芸術療法のなかでもとりわけ絵画療法を専門とした。 1952年に九州大学医学部を卒業したのち、九州大学の精神神経科へと入局した。学生時代からの絵画制作の経験と、イギリスの画家であるエイドリアン・ヒル(英語版)の『絵画療法』に影響を受け、1953年から絵画療法の研究を開始した。1954年に東京慈恵会医科大学神経科へと医局を移動した。 その後、1965年に嬉野温泉病院を開設。絵画のほかに、陶芸や歌唱、料理などを取り入れて「芸術療法」を日本でいち早く導入した。
前田 重治(まえだ しげはる、1928年 -2024年2月1… 前田 重治(まえだ しげはる、1928年 -2024年2月14日 )は、日本の医学者・精神科医。九州大学名誉教授。専攻は精神分析学・カウンセリング。 長崎県長崎市生まれ。1952年九州大学医学部卒業。1958年「被暗示性に関する実験的研究」で医学博士の学位を取得。精神科、心療内科を経て、1972年九州大学教育学部教授。1991年定年退官、名誉教授。2007年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
宮久 三千年(みやひさ みちとし、1928年 - 1983年… 宮久 三千年(みやひさ みちとし、1928年 - 1983年2月6日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱床学・鉱物学。大分県生まれ。 旧制第七高等学校造士館を経て、1952年に九州大学理学部地質学科を卒業。その後、九州大学工学部採鉱学科応用地質学講座の木下亀城の指導を受け、1957年3月まで大学院に在籍。1957年5月、愛媛大学文理学部助教授として赴任し、1969年に同大学理学部教授に昇進。1980年4月以降、病気療養のため休職した。「尾平式鉱床に伴う鉱石鉱物の組織と共生」で、1962年、九州大学より工学博士の学位を取得。 卒業論文以来、一貫して大分県尾平鉱床地域を中心とした九州地方の各種金属鉱床の研究に精力を傾け、数多くの論文を発表した。
河野 博臣(こうの ひろおみ、1928年 - 2003年8月… 河野 博臣(こうの ひろおみ、1928年 - 2003年8月20日)は、日本の医師。 大分県出身。久留米大学医学部卒業、九州大学結核研究所、京都大学胸部疾患研究所勤務、1965年に兵庫県神戸市に河野胃腸科外科医院を開院。1974年『死の臨床~死にゆく人々への援助』を著し、1977年「死の臨床研究会」を創設。1986年に日本サイコオンコロジー学会を創設。国際サイコオンコロジー学会副会長。 日本におけるターミナルケアの先駆者。
高橋 巖(たかはし いわお、1928年 - 2024年3月3… 高橋 巖(たかはし いわお、1928年 - 2024年3月30日)は、日本の美学者。日本人智学協会代表。元慶應義塾大学文学部教授。 日本におけるルドルフ・シュタイナー研究の第一人者。1970年代からシュタイナーの人智学(Anthroposophie)を紹介するために著作・翻訳・講演活動を始めるようになり、1985年に日本人智学協会を創立する。同協会代表(2010年現在)。東京都出身。
常盤 政治(ときわ まさはる、1928年 - 2015年1月… 常盤 政治(ときわ まさはる、1928年 - 2015年1月3日)は、マルクス経済学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は農業政策、現代資本主義論。 静岡県生まれ。1950年慶應義塾大学経済学部卒業。1951年慶應義塾大学経済学部副主、助手を経て、1959年助教授。1966年「農業恐慌の研究」で経済学博士(慶應義塾大学)。1967年教授。1980~82年西ドイツ・フライブルク大学に留学。1980年慶應義塾賞を受賞。1993年慶應義塾大学を定年退職、名誉教授。1993~98年二松学舎大学国際政治経済学部教授・学部長。
上杉 千年(うえすぎ ちとし、1928年 - 2009年8月… 上杉 千年(うえすぎ ちとし、1928年 - 2009年8月4日)は、日本の歴史研究家、高等学校教諭。新しい歴史教科書をつくる会理事や職能団体「日本教師会」代表を務めていた[要出典]。 岐阜県生まれ。1950年、國學院大學文学部史学科を卒業。高等学校の社会科教師として岐阜県・静岡県で教鞭をとる傍ら、歴史教科書問題の研究家として多くの論文を発表する。 2007年7月13日、在日アメリカ大使館に提出されたアメリカ合衆国下院121号決議全面撤回を求める抗議書にも賛同者として名を連ねた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
長野 覚(長野 覺、ながの ただし、1928年 - 2021… 長野 覚(長野 覺、ながの ただし、1928年 - 2021年9月13日)は、日本の地理学者、博士。駒澤大学教授、日本山岳修験学会顧問を歴任。山伏研究の第一人者。 「日本三大修験山」に数えられる九州・英彦山出身。修験道山伏の家系、豊前長野氏の子孫で「守静坊」10代目。生家の守静坊は現存する宿坊で最も古いとされる古民家。福岡県立修猷館高等学校社会科(地理担当)教諭を経て、1978年4月、駒澤大学文学部地理学科専任講師として着任。1980年助教授。 1986年、学位論文「英彦山修験道の歴史地理学的研究」で博士号(駒澤大学・文学)を取得、翌年、刊行し代表的著書となる。1987年、教授に就任。1993年地理学科主任。
近藤 裕(こんどう ひろし、1928年 - 2010年9月8… 近藤 裕(こんどう ひろし、1928年 - 2010年9月8日)は、日本のサイコセラピスト。 西南学院大学文学部卒業。西南学院大学講師などを経て、アメリカ合衆国ニューオリンズ・バプテスト神学院留学。1971年(昭和46年)から1983年(昭和58年)カリフォルニア州バークレー市のヘリック・メモリアル病院心理相談室長を経て、1985年(昭和60年)より東京女子大学講師、昭和大学藤ケ丘病院講師、コンサルティング・アソシエイツ顧問コンサルタントなどを務めた後、ライフマネジメント研究所所長、帯津三敬病院サイコセラピストとなる。 2010年(平成22年)に満82歳で死去。2011年(平成23年)9月17日に聖路加国際病院内の聖ルカ礼拝堂にて「故・近藤裕氏を偲んで」の会が執り行われた。
鈴木 導(すずき おさむ、1928年 - 2018年2月3日… 鈴木 導(すずき おさむ、1928年 - 2018年2月3日)は、日本の吹き替え、字幕翻訳家。中央大学法学部卒業。外国ドラマ吹き替え翻訳の先駆者のひとり。翻訳学校バベルの講師も務めた。 太平洋テレビジョンにて吹き替え翻訳をはじめる。最初に任された『モーガン警部』(原題 The Sherriff of Cochise)というテレビシリーズでは、翻訳原稿を即座にガリ版で印刷し、リハーサル、本番と徹夜の作業だったという。労働条件が悪かったため、一年後、他の翻訳者二人とともに独立し「翻訳工房」を立ち上げる。しかし、仕事が豊富にあったため、グループで仕事を分け合う必要もなかったという。 独立後の初仕事はマクドナルド・ケリー主演の弁護士もの『ロック・アップ』(原題 Lock Up)だった。
佐藤 英一郎(さとう えいいちろう、1928年〈昭和3年〉 … 佐藤 英一郎(さとう えいいちろう、1928年〈昭和3年〉 - 1983年〈昭和58年〉9月7日)は、日本の教育学者。 東京生まれ。1950年(昭和25年)東京文理科大学(現・筑波大学)教育学科卒。1952年(昭和27年)同大学院研究科中退。埼玉大学教育学部助手、東京都立教育研究所研究員、専修大学文学部助教授、教授。妻は川嶋孝彦の二女・豊子。
久賀 道郎(くが みちお、1928年 - 1990年2月13… 久賀 道郎(くが みちお、1928年 - 1990年2月13日)は、日本の数学者。 1961年に東京大学で博士号を取得。 久賀の研究は、ピエール・ルネ・ドリーニュによるヴェイユ予想の証明(Deligne 1974)から部分的に続くラマヌジャン予想の証明につながった。 1966年、久賀ファイバー多様体(英語版)を導入した。
黒川 兼行(くろかわ かねゆき、1928年 - 2023年9… 黒川 兼行(くろかわ かねゆき、1928年 - 2023年9月30日)は元富士通研究所副社長。工学博士。IEEE Fellow。高周波回路においてパワーウェーブの概念を導入し、一般化散乱行列を提案した。一般化散乱行列は、それまで広く用いられていた通常の散乱行列(Sパラメータ)とは異なる性質を持つ。発振回路の安定判別式である黒川の判別式でも著名。父は早稲田大学大隈講堂の音響設計を担当した黒川兼三郎。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
佐藤 竺(さとう あつし、1928年 - 2024年6月27… 佐藤 竺(さとう あつし、1928年 - 2024年6月27日)は、日本の政治学者。成蹊大学名誉教授。専攻は行政学、地方自治。 東京出身。1951年に東京大学法学部政治学科卒業、同大学院修了。1952年に高崎市立短期大学助手、1954年に同大学専任講師となり、1958年に成蹊大学専任講師となる。1960年に成蹊大学助教授、1966年に同大学教授に就任した。成蹊大学退職後は、1993年に山梨学院大学教授、1996年に駿河台大学教授(後に大学院客員教授)、1998年-2002年に地方自治総合研究所所長、また財団法人日本地域開発センター理事長などを務めた。 1986年-1990年に日本行政学会会長となり、その他に日本地方自治学会顧問、まちづくり学会顧問、日本協働政策学会筆頭共同代表、日本学術会議会員を務めた。
塩田敏志 (しおた さとし、1928年(昭和3年)- 20… 塩田敏志 (しおた さとし、1928年(昭和3年)- 2019年 (平成31年)) は、日本の造園家。造園学者、林学者。東京大学農学部、東京農業大学教授を歴任。専門は森林風致計画学。造園学。 田村剛以後の林学科造林学講座にあった造園学教室を継いで講座にまで発展させ、造園・森林風致の研究と後身の育成にあたる。おもな作品に東京都道404号皇居前東京停車場線(行幸通り)改良修景、道立自然公園野幌森林公園など。 日本観光協会が1973年に刊行した『観光レクリエーション施設の計画』の中で森林公園の著述を塩田が行なっている。代々木公園、野幌森林公園、戸隠森林植物園、武蔵丘陵森林公園の4つの計画事例をもとに森林公園の計画論を展開。
西村 蹊二(にしむら けいじ、1928年〈昭和3年〉 - … 西村 蹊二(にしむら けいじ、1928年〈昭和3年〉 - 2010年〈平成22年〉8月31日)は、日本の建設技官。国土地理院長を務めた。 1951年東京大学理学部地理学科卒業、同年建設省入省。1980年11月国土地理院長。1982年11月建設省退官後、日本測量協会副会長・関東支部長、日本地図調製業協会会長などをを務めた。
宮本 茂雄(みやもと しげお、1928年 - 2016年11… 宮本 茂雄(みやもと しげお、1928年 - 2016年11月11日)は、日本の教育心理学者。千葉大学名誉教授。 長野県生まれ。1954年東京大学教育学部教育心理学科卒業、1959年同大学院博士課程満期退学。国立科学警察研究所にて少年非行の研究に従事し、1964年千葉大学教育学部助教授。教授を経て、1991年名誉教授。障害児教育を専門とした。叙正四位、瑞宝中綬章追贈。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宇田川 宏(うだがわ ひろし、1928年 - 2017年8月… 宇田川 宏(うだがわ ひろし、1928年 - 2017年8月30日)は、日本の教育学者。専攻は教育内容・教育方法。 東京生まれ。旧制城北中学校を経て、1955年東京教育大学文学部哲学科卒業。日本福祉大学社会福祉学部教授、教育科学研究会常任委員、全国民主主義教育研究会副会長、「教育委員の区民投票を成功させる中野区民連絡会」会長。 現代哲学の理論をふまえて道徳を意味の問題であるととらえ、その立場から道徳と道徳教育の本質、内容、方法の検討を試みることが、道徳教育の研究に必要であると呈示した。教育と福祉の制度間接続について研究した。道徳教育、社会科教育、生活指導に関する提言を行った。教育科学研究会の機関誌『教育』、全国民主主義教育研究会の機関誌『未来をひらく教育』への寄稿者となった。
太田 陽子(おおた ようこ、1928年 - 2024年3月3… 太田 陽子(おおた ようこ、1928年 - 2024年3月30日)は、日本の地理学者、横浜国立大学名誉教授、国立台湾大学特任教授。専門は、変動地形学であり、漆原和子とともに日本の地形学における女性研究者の草分け的な存在として知られている。 東京に生まれ、東京文理科大学地理学科を卒業し、東京教育大学大学院理学研究科地理学専攻を修了した。 横浜国立大学教育学部教授を経て、1994年に専修大学文学部教授となる。横浜国立大学名誉教授となっている。 この間、1960年代から活褶曲、活断層、海成段丘などの調査に数多く参加し、特に、国内外各地の現地調査を踏まえた海成段丘の高度分布を手がかりにした最終間氷期以降の地殻変動の研究を展開して、国際的に評価された。
綿貫 礼子(わたぬき れいこ、1928年 - 2012年1月… 綿貫 礼子(わたぬき れいこ、1928年 - 2012年1月30日)は、科学ライター、エコロジスト。 東京薬科大学卒業。専門は環境学、平和研究、エコロジー。「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク代表。反環境汚染、反原発運動を行った。 1972年のスウェーデンの国際連合人間環境会議にも参加した。
富田 虎男(とみた とらお、1928年 - 2016年6月1… 富田 虎男(とみた とらお、1928年 - 2016年6月11日)は、アメリカ史学者、立教大学名誉教授。 1952年東北大学文学部西洋史学科卒。1961年東京大学アメリカ研究センター助手、立教大学助教授、教授、1994年定年退任、名誉教授。 日本初のネイティブの公式英語教師で、聖公会会員でもあったラナルド・マクドナルドの研究を進め、その成果を1979年に『マクドナルド「日本回想記」―インディアンの見た幕末の日本―』として発刊した。その後、新しい資料を元に書き換え、1981年に補訂版、2012年に再訂版を発刊している。 マクドナルドを研究する「日本マクドナルド友の会」の会長も務め、マクドナルドが上陸した利尻島野塚岬にあるマクドナルド顕彰碑と彼を描いた小説「海の祭礼」の作者である吉村昭文学碑の建立を進め、1996年10月23日の除幕式では祝文を捧げた。
大貫 義郎(おおぬき よしお、1928年 - 2026年2月… 大貫 義郎(おおぬき よしお、1928年 - 2026年2月16日[要出典])は、日本の物理学者。専門は素粒子論。学位は、理学博士(名古屋大学・論文博士・1961年)。名古屋大学名誉教授。坂田学派と呼ばれる坂田昌一博士の弟子の一人。 大貫は、坂田モデルに潜む粒子が互いに同等というYOO(山口・小川・大貫)対称性を元に、坂田モデルを群であらわすことに成功した。これが素粒子論の基礎となった。今に至るも素粒子論はこの記述方式に従い理論が構成されている。大貫は、この業績で、1965年と1966年の二度、マレー・ゲルマンやユヴァル・ネーマンらとの連名で、ノーベル物理学賞候補となっていたと、以前のノーベル財団によるノミネートリストには掲載されていたが、2025年時点のノミネートリストには見当たらなくなっている。
道家 達将(どうけ たつまさ、1928年 - 2024年6月… 道家 達将(どうけ たつまさ、1928年 - 2024年6月8日)は、日本の科学史家。理学博士(北海道大学・論文博士・1976年)。東京工業大学名誉教授。 愛知県生まれ。海軍兵学校(77期)を経て、1951年名古屋大学理学部化学科卒。1952年同物理学科研究生修了。紀伊國屋書店、和光学園勤務ののち、1963年東京工業大学助手、1967年助教授、1973年教授、1976年北海道大学より理学博士の学位を取得。1989年退官、名誉教授。茨城大学人文学部教授。放送大学教授。 2024年6月8日に死去。95歳没。
今井 鐳蔵(いまい らいぞう、1928年 - 2009年9月… 今井 鐳蔵(いまい らいぞう、1928年 - 2009年9月18日)は日本の農学博士、農学者。またマクロ経済学にも精通。晩年は地域市場に密着した研究で知られる。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
清水 哲也(しみず てつや、1928年〈昭和3年〉 - 20… 清水 哲也(しみず てつや、1928年〈昭和3年〉 - 2022年〈令和4年〉8月4日)は、日本の医学者(医学博士)・医師。第4代旭川医科大学長。旭川医科大学名誉教授。専門は、産婦人科学(特に体外受精及び不妊治療)。位階勲等は正四位瑞宝重光章。 北海道寿都郡寿都町生まれ。1952年(昭和27年)北海道大学医学部卒業。同大学院医学研究科博士課程修了。同医学部産婦人科講座助教授。米国ワシントン州立大学医学部に留学を経て、1974年(昭和49年)旭川医科大学医学部教授。1991年(平成3年)旭川医科大学学長に就任。1997年(平成9年)旭川医科大学退官。同名誉教授。2004年(平成16年)春の叙勲で、瑞宝重光章を受章。
宮川 東一(みやがわ とういち、1928年 - 2020年2… 宮川 東一(みやがわ とういち、1928年 - 2020年2月6日)は、日本の著述家である。 中華民国の政治家孫文と大月薫の外孫である。 慶應義塾大学教授の宮川祥子は次女。神奈川県出身。2020年2月6日に逝去。 祖母の大月は横浜市で孫文と結婚し、彼の母・冨美子を生んだ。その後、冨美子は宮川家の養女になった。彼は30歳頃に自分が孫文の孫である事を知った。 1956年に北海道大学法経学部経済学科(現在の北海道大学経済学部)を卒業し、国分商店に勤務した。宮川経営研究室代表で、酒類と加工食品業界のコンサルティングを行った。2008年に『日本に遺された孫文の娘と孫』という本を書いた。2009年、新宿で映画『孫文〜100年先を見た男』のトークショーを行って、孫文の史跡と自分の人生成功の方法を語った。
川野 彰子(かわの しょうこ、女性、1928年〈昭和3年〉 … 川野 彰子(かわの しょうこ、女性、1928年〈昭和3年〉 - 1964年〈昭和39年〉9月11日)は日本の小説家。鹿児島県奄美大島生まれ。立命館大学文学部卒業。 立命館大学卒業後、開業医だった川野純夫(1924〜2002)と結婚し、創作活動に入る。1962年、雑誌『VIKING』(136号)に発表した処女作『色模様』が第47回直木賞候補にあがり注目を浴びた。 翌年『新潮』(昭和38年7月号)に発表した『廓育ち』も第50回直木賞候補に上がるが、再び苦杯を飲んだ。『廓育ち』は1964年に佐藤純彌監督、三田佳子、梅宮辰夫、中村賀津雄主演で映画化されている。 夫・川野純夫は、彰子と死別した後に作家の田辺聖子と再婚。
日下部与市(くさかべ よいち、1928年(昭和3年) - 1… 日下部与市(くさかべ よいち、1928年(昭和3年) - 1975年(昭和50年)1月26日)は、日本の会計学者。企業会計審議会委員。 東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。1967年「財務諸表監査の基礎理論」で早稲田大学より商学博士の学位を取得。早稲田大学商学部助教授、教授を務めたが、46歳で白血病により死去。ゼミ出身者に吉野正芳、鳥羽至英など。
石郷岡 敬佳(Noryyoshi Ishigooka, いし… 石郷岡 敬佳(Noryyoshi Ishigooka, いしごうおか のりよし、1928年 - 2009年11月2日)。アンフォルメル的な画風の抽象画家。 1928年に北海道小樽市に生まれ、1941年から独学で絵画を描き始める。1953年に北海道から東京に移住。 1954年に東京、銀座一番館にて初の個展を開催した。1960年代にはフランス文学者で芸術評論家、作家としても著名な栗田勇と親交を深めるようになった。1984年に、東京、銀座アートセンターにて3度目の個展を開催した。1985年には、アメリカ合衆国の抽象表現主義のポール・ジェンキンス(英語版)と親交を結び、作品の交換も行った。 1980年に、東京、銀座のロイヤルサロン・ザ・ギンザにて2度目の個展を行った。
浜本 雄幸(はまもと ゆうこう、1928年 - 2022年4… 浜本 雄幸(はまもと ゆうこう、1928年 - 2022年4月28日)は、日本の漁師。北朝鮮による拉致被害者である浜本富貴恵の兄。 福井県小浜市生まれ。妹の富貴恵が1978年、当時婚約中だった夫の地村保志とともに北朝鮮工作員の辛光洙により小浜海浜公園で拉致されたアベック失踪事件以降、地村保と2人を捜し続けた。 1997年、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」翌98年には「救う会福井」が発足。外務省や警察庁にも足を運び、被害者全員の救出を訴え続けた。 2002年9月の日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認め、同年10月に地村夫妻を含む拉致被害者5人が帰国を果たすことに尽力した。以降、拉致被害者全員の救出活動を願い、日本政府に事件究明を要望していた。
四宮 生重郎(しのみや せいじゅうろう、1928年(昭和3年… 四宮 生重郎(しのみや せいじゅうろう、1928年(昭和3年) - 2019年(令和元年)9月15日)は、阿波おどりの踊り子として有名であった人物。徳島県徳島市出身。 1928年、徳島県徳島市で生まれる。阿波おどりとの出会いは旧満州から引き揚げ後の1946年で、自由奔放な踊りに魅了され、1948年に阿波おどりの有名連である「娯茶平」に入る。同じく有名連「葵連」の創設者小野正巳と「写楽踊り」の姓億政明とともに、阿波おどりの名手として「三羽ガラス」と呼ばれた。 1989年に「娯座留」連を結成。2017年より徳島中央公園の鷲の門広場で「蜂須賀まつり」を企画した。 2019年9月15日、胃癌のため徳島市内の病院で死去。
西本 瑛泉(にしもと えいせん、1928年 - 2023年9… 西本 瑛泉(にしもと えいせん、1928年 - 2023年9月28日)は、日本の陶芸家。日展を中心に活動し、1999年に作品「玄窯縄文譜『黎明』」で日本芸術院賞および恩賜賞を受賞した。 日展の工芸美術分野で活動した。1978年の第10回日展で特選、1982年の第14回日展で再特選を受賞した。2023年9月28日死去。 1993年、第32回日本現代工芸美術展出品作「縄文彩器」により内閣総理大臣賞を受賞した。 1998年には第19回広島文化賞を受賞した。 1999年、作品「玄窯縄文譜『黎明』」に対して平成10年度日本芸術院賞・恩賜賞が授与された。