園田 邦之(そのだくにゆき、1943年1月6日 - )は、日… 園田 邦之(そのだくにゆき、1943年1月6日 - )は、日本の建築技術者。大成建設常任顧問。 大成建設代表取締役副社長、営業総本部長兼社長室副室長兼安全担当を歴任した。 横浜市民プラザ会長。株式会社シーク建築研究所相談役。一級建築士。 1965年3月、日本大学理工学部建築学科を卒業し、同年4月、大成建設に入社した。 1997年6月に取締役に就任し、以後執行役員(1999年6月)、常務役員(2001年6月)、専務役員(2003年4月)、取締役専務役員(2005年6月)を経て、2005年10月に取締役副社長に就任した。
大塚 陸毅(おおつか むつたけ、1943年1月5日 - )は… 大塚 陸毅(おおつか むつたけ、1943年1月5日 - )は、東日本旅客鉄道(JR東日本)相談役、ENEOSホールディングス社外取締役。 南満州鉄道に出向中の父の元、中華民国北京市に生まれる。3歳のときに日本に帰国。1961年3月 - 埼玉県立熊谷高等学校卒業。1965年3月 - 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。 1965年4月 - 日本国有鉄道入社。1982年 - 国鉄経理局調査役。1985年 - 国鉄総裁室秘書役。 1987年4月 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道株式会社入社。財務部長。1990年6月 - 同社 取締役人事部長。1992年6月 - 同社 常務取締役人事部長。1994年1月 - 同社 常務取締役。
長嶋 亜希子(ながしま あきこ、旧姓:西村〈にしむら〉、19… 長嶋 亜希子(ながしま あきこ、旧姓:西村〈にしむら〉、1943年〈昭和18年〉1月5日 - 2007年〈平成19年〉9月18日)は、元読売ジャイアンツの長嶋茂雄の妻で、実業家。夫・茂雄の個人事務所である株式会社オフィスエヌの代表取締役を務めていた。 東京都渋谷区生まれ(両親の本籍地は鹿児島県)。祖父の西村辰五郎は出版社・東雲堂書店を経営し、石川啄木『一握の砂』『悲しき玩具』、斎藤茂吉『赤光』、北原白秋『桐の花』、若山牧水『別離』など、文学史に残る歌集を出版した人物であった。西村陽吉の名で自らも歌人として活躍し、口語短歌の先駆けの一人として知られる。父の西村光雄は内外出版社の代表を務めた。 田園調布雙葉中学校・高等学校在学中に、米国へ留学し、現地の高校、ミネソタ州の聖テレサ大学を卒業。
富永 ユキ(とみなが ゆき、1943年1月5日 - )は、神… 富永 ユキ(とみなが ゆき、1943年1月5日 - )は、神奈川県出身の女優、歌手である。1960年代に多くの映画作品に出演した。 神奈川県川崎市生まれ、東京都育ち。 中学校在学中から米軍キャンプでジャズやロックを歌っていた。 1959年東宝製作の正月作品、堀川弘通監督 『すずかけの散歩道』に出演後、松竹映画と契約。 大島渚が松竹入社後に監督デビューを果たした『愛と希望の街』は代表的な主演作品である。 また、同時期に伯母であるジャズ琴奏者・富永ハルの縁で東芝音楽工業と契約し、多くのレコードをリリースしている。 当時黎明期であったポップス界の明星としてリズム感のある歌唱は当時の若者の間で人気だった。
沢村 忠(さわむら ただし、1943年〈昭和18年〉1月5日… 沢村 忠(さわむら ただし、1943年〈昭和18年〉1月5日 - 2021年〈令和3年〉3月26日)は、日本のキックボクサー。剛柔流空手道参段。満洲国出身。本名:白羽 秀樹(しらは ひでき)。娘はタレントの白羽玲子。半生を描いた漫画やアニメの『キックの鬼』の影響により、世間からは「キックの鬼」と呼ばれていた。 幼少より祖父から剛柔流空手道を習う。祖父からは中国武術も習っていた模様。幼少期には子役として「劇団そらまめ」という児童劇団に入っており、将来は役者を目指していた。実際に中学3年生のときには新東宝の新東宝スターレットに合格し、「城哲也」の芸名でテレビドラマ等へ出演していたが、新東宝の倒産に伴い芸能活動休止を余儀なくされる。
安房 直子(あわ なおこ、本名:峰岸 直子(みねぎし なおこ… 安房 直子(あわ なおこ、本名:峰岸 直子(みねぎし なおこ)1943年1月5日 - 1993年2月25日)は、日本の児童文学作家。大学在学中より山室静に師事し、『目白児童文学』『海賊』を中心に多くの童話を発表した。「さんしょっ子」「きつねの窓」など教科書に掲載された作品も多い。夫は国語学者の峰岸明。 1943年(昭和18年)1月5日、旧内務省官吏の父、藤沢喜久郎と母英子の四女として東京都新宿区で生まれる。生家である市ヶ谷の屋敷には、 母の妹である安房久子も同居しており、育児を手伝っていた。 1944年(昭和19年)、専売公社に勤務する安房喜代年と妻・久子の養女となる。香川県高松市に転居。 これ以後、養父の転勤に伴い、中学校卒業まで転居を重ねる。
木下 博夫(きのした ひろお、1943年(昭和18年)1月5… 木下 博夫(きのした ひろお、1943年(昭和18年)1月5日 - )は、日本の官僚。元国土事務次官。元阪神高速道路社長、現在は公益財団法人ワールドマスターズゲームズ2021関西組織委員会事務総長。静岡県出身。 京都大学農学部卒業後、建設省入省。都市局長、建設経済局長を経て国土庁に転じ、長官官房長を経て2000年(平成12年)国土事務次官。退官後は阪神高速道路公団副理事長、同理事長を経て、阪神高速道路社長に就任。現在は、公益財団法人ワールドマスターズゲームズ2021関西組織委員会の事務総長を務める。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
安東 善博(あんどう よしひろ、1943年1月5日 - )は… 安東 善博(あんどう よしひろ、1943年1月5日 - )は、日本の経営者。中国放送の社長を務めた。 福岡県出身。1965年に広島大学教育学部を卒業し、中国新聞社に入社。1999年に中国放送取締役に就任し、2005年6月に専務を経て、2007年6月に社長に就任した。2011年6月に会長に就任。
田路 勝(とうじ かつ、1943年(昭和18年)1月5日 -… 田路 勝(とうじ かつ、1943年(昭和18年)1月5日 - )は、日本の政治家。元兵庫県宍粟市長(1期)。 立命館大学法学部卒。JAハリマ理事、兵庫県一宮町議を5期、同議長を経て、一宮町長を3期務めた。2005年合併により、宍粟市が誕生、これに伴う市長選挙に立候補したが、元山崎町長の白谷敏明に敗れて落選した。2009年の市長選挙で現職の白谷を破って初当選した。市長は1期務め、2013年の選挙で元宍粟市職員の福元晶三に敗れて落選した。
高宮 建一郎(たかみや けんいちろう、1943年1月4日 -… 高宮 建一郎(たかみや けんいちろう、1943年1月4日 - 2005年10月21日)は、日本の植物学者。元東京工業大学大学院生命理工学研究科教授(生体システム専攻)。研究分野は植物生理・光合成。福井県福井市出身。
樫元 洋(かしもと ひろし、1943年1月4日 - )は、日… 樫元 洋(かしもと ひろし、1943年1月4日 - )は、日本のアナウンサー、ラジオパーソナリティ。元宮崎放送アナウンサー(元ラジオ局長)。 愛媛県南宇和郡出身。日本大学芸術学部卒業後、1964年1月宮崎放送に入社、2003年3月退社。現在はフリーアナとして活動中。MRT自社製作の様々なテレビ・ラジオ番組を担当したほか、TBS「ザ・ベストテン」の追っかけマンとして生中継レポーターを担当するなど広く活躍した。 ウインドサーフィンが趣味にあり、宮崎県ヨット連盟理事、宮崎県ボートセーリング協会理事長を務めていたことがあった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
荒木 幸彦(あらき さちひこ、1943年1月4日 - 202… 荒木 幸彦(あらき さちひこ、1943年1月4日 - 2024年5月31日)は日本の経営者。ニチコン元代表取締役社長兼COO。京都府出身。 学生時代は相撲部に所属。立命館大学相撲部OB会長、学校法人立命館評議員も務める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
牧 勝彦(まき かつひこ、1943年1月3日 - )は、愛知… 牧 勝彦(まき かつひこ、1943年1月3日 - )は、愛知県豊橋市出身の元プロ野球選手(投手)。 豊橋工業高校では、エースとして1960年夏の甲子園県予選決勝に進むが、吉山智久(中日)、辻恭彦のバッテリーを擁する享栄商に敗れ甲子園出場を逸する。高校同期に右翼手、控え投手の鈴木宇成(広島カープ)がいた。 1961年に阪神タイガースに入団。同年は速球とスライダー、ドロップ、シュートを武器に、ルーキーながら23試合に登板し防御率2.00を記録、5月には初先発を果たした。1962年の東映フライヤーズとの日本シリーズでも2試合に登板。1963年には36試合に登板し8勝、防御率2.33を記録。しかし翌1964年は成績が落ち、オフに谷本稔とのトレードで東京オリオンズに移籍。
熊倉 功夫(くまくら いさお、1943年(昭和18年)1月3… 熊倉 功夫(くまくら いさお、1943年(昭和18年)1月3日 - )は、日本の歴史学者(日本文化史・茶道史)。学位は文学博士(東京教育大学・1978年)。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、MIHO MUSEUM館長、静岡文化芸術大学名誉教授・前学長、林原美術館元館長。2013年中日文化賞受賞。
棚沢 直子(たなさわ なおこ、1943年〈昭和18年〉1月3… 棚沢 直子(たなさわ なおこ、1943年〈昭和18年〉1月3日 - )は、日本のフランス文学者。東洋大学名誉教授。 東京大学文学部フランス語フランス文学科卒業。パリ・ソルボンヌ大学17世紀フランス文学博士課程DEA取得。 銀河 (航空機)、特攻機桜花 (航空機)、初代新幹線0系電車、初代小田急電鉄ロマンスカー3000形の設計者である三木忠直の二女。 1943年、神奈川県鎌倉市に、海軍技術少佐・航空および鉄道技術者の三木忠直を父として生まれる。1965年に東京大学文学部仏文科を卒業。1977年にパリ第4大学大学院DEAを取得後、1978年に東洋大学専任講師となる。以後、助教授、教授を経て、2014年に名誉教授となる。
久保田 勝(くぼた まさる、1943年1月3日 - )は、日… 久保田 勝(くぼた まさる、1943年1月3日 - )は、日本のラリーレーサー、カメラマン、冒険家。広島県芦品郡新市町(現・福山市)出身。 中学卒業後にTBSテレビやNHKのテレビクルーを経た後、1979年に横田紀一郎を中心としてパリ・ダカールラリーに出場するために結成された「TeamACP」にメカニック兼ドライバーとして参加し、1981年の第3回大会から1992年の第14回大会までオート部門において11年連続で参戦する。特に2度目の出場となった1982年の第4回大会では、内田正洋と共にトヨタ・カリーナ1500で参戦し、総合34位のみならず、市販車無改造・2輪駆動・バギー・マラソンの4部門において優勝という快挙を成し遂げた。
佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、… 佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、日本の歌人、評論家。河北新報歌壇選者。 岩手県水沢市(現奥州市)出身、宮城県仙台市在住。岩手県立水沢高等学校、東北大学教育学部卒業。宮城県内の高等学校にて教員を務める。 歌誌『短歌人』を経て、1966年に文学思想個人編集誌『路上』を創刊。短歌、詩、評論、児童文学研究などの分野で編集。宮沢賢治論、北原白秋論が多い。2011年の第120号にて第1期を終刊、第2期へと移行した。 1965年、「青海」で第11回角川短歌賞候補。1971年『新美南吉童話論』で第4回日本児童文学者協会新人賞受賞。1986年『日本児童文学の成立・序説』で日本児童文学学会賞奨励賞。
横山 義恭(よこやま よしやす、1943年1月2日 - )は… 横山 義恭(よこやま よしやす、1943年1月2日 - )は、NHKの元アナウンサー。 東京都立小石川高等学校を経て慶應義塾大学卒業後、1967年入局。 定年後も嘱託職としてNHKに在籍していたが、2008年の幕開けとともに65歳完全定年となり、1月いっぱいでアナウンサーとしての勤務は終わった。現在は番組出演契約のシニアスタッフという形でラジオニュースなどを担当。
福島 滋雄(ふくしま しげお 1943年1月2日 - 199… 福島 滋雄(ふくしま しげお 1943年1月2日 - 1998年6月1日)は、日本の競泳選手。 1960年度(昭和35年度)に日本大学豊山高等学校を卒業、日本大学に進学した。1962年に重松盛人、佐藤好助、藤本達夫との440ヤードメドレーリレーで4分11秒0の世界新記録、220ヤード背泳ぎでも2分16秒1の世界新記録を樹立、その年の朝日スポーツ賞に選ばれている。 1964年の東京オリンピックの200m背泳ぎで決勝では、アメリカトリオに食い下がりタッチの勝負に持ち込み東京大会における競泳の初メダルと思われたが、長い写真判定の末4着に敗れた(2分13秒2)。中島功、石川健二、岡部幸明との400mメドレーリレーでは5位となった。
芦田 信(あしだ しん、1943年1月2日 - )は、日本の… 芦田 信(あしだ しん、1943年1月2日 - )は、日本の実業家。JCRファーマ株式会社創業者で、同社代表取締役会長兼社長兼CEO兼COOを経て、取締役ファウンダー。新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受け、日本初となるCOVID-19ワクチンの製造拠点整備を行った。 東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺生まれ。神戸市東灘区御影の旧乾邸の向いの洋館で育つ。神戸大学附属住吉小学校を経て、愛知県安城市に転居し、1958年愛知学芸大学附属岡崎中学校(現愛知教育大学附属岡崎中学校)卒業。1961年愛知県立岡崎高等学校卒業。 西宮市からYMCA予備校に通って浪人生活を送ったのち、1962年甲南大学文学部に進学。
長島 徹(ながしま とおる、1943年1月2日 - )は、日… 長島 徹(ながしま とおる、1943年1月2日 - )は、日本の技術者・実業家。帝人代表取締役社長や、同社取締役会長、経済同友会副代表幹事、日本化学繊維協会会長、イオン取締役報酬委員会議長などを務めた。 日本統治時代の朝鮮の馬山で生まれる。 日本の降伏後引き揚げ、広島県を経て、英語教師だった父の仕事の関係で、小学校3年のときに京都府から兵庫県篠山町に移り、1955年篠山町立篠山小学校卒業。1958年篠山町立篠山中学校卒業。1961年兵庫県立篠山鳳鳴高等学校卒業。中学・高校では軟式テニスに打ち込んだ。 1965年名古屋工業大学工学部繊維工学科卒業、帝人入社。パラ型アラミド繊維テクノーラの開発などを経て、セールスエンジニアとなる。
渡邉 貴介(わたなべ たかすけ、1943年(昭和18年)1月… 渡邉 貴介(わたなべ たかすけ、1943年(昭和18年)1月2日 - 2001年(平成13年)8月18日)は、日本の観光計画、リゾート計画、都市計画、地域計画、国土計画の専門家で、都市計画家、観光学者。東京工業大学大学院情報理工学研究科教授。工学博士。 熊本市の出身。熊本県立熊本高等学校から東京大学工学部都市工学科に進み、学科の第一期卒業生となる。その後同大大学院修士課程修了後、1971年に博士課程を満期退学(1976年、工学博士の学位を東京大学より取得)。1971年4月より東京工業大学工学部助手。1973年4月から1976年10月までラック計画研究所に所属した後、1976年11月に東京大学講師となり大学に復帰。
菅野 肇(かんの はじめ、1943年1月2日 - )は、日本… 菅野 肇(かんの はじめ、1943年1月2日 - )は、日本の経営者。大和紡績社長、会長を務めた。 東京都出身。1965年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に大和紡績に入社した。1993年6月に取締役に就任し、1996年6月に常務を経て、2003年6月に社長に就任し、2009年7月にはダイワボウホールディングス社長に就任した。2010年6月に会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三宅 理一郎(みやけ りいちろう、1943年1月2日 - 2… 三宅 理一郎(みやけ りいちろう、1943年1月2日 - 2021年7月7日)は、日本の経営者。宮崎日日新聞社社長を務めた。宮崎県東諸県郡国富町出身。 1966年に國學院大學を卒業し、同年4月に宮崎日日新聞社に入社。 1998年に取締役に就任し、常務を経て、2006年6月には社長に就任。2010年6月には特別顧問に就任。 2021年7月7日誤嚥性肺炎のために死去。78歳没。
吉賀 將夫(よしか はたお、1943年1月2日 - )は、日… 吉賀 將夫(よしか はたお、1943年1月2日 - )は、日本の陶芸家。山口県萩市出身。萩焼の作家で、日本芸術院賞受賞者。日展理事、山口大学名誉教授。 山口県萩市に生まれる。父は萩焼の陶芸家吉賀大眉である。東京藝術大学美術学部工芸科を卒業し、同大学大学院陶芸専攻を修了した。郷里で父の指導のもと制作を行い、1975年に日展へ初入選した。 その後、日展で活動を重ね、1983年に特選、2000年には「萩釉広口陶壺『曜'99・海』」により日本芸術院賞を受賞した。また、山口大学教授を務め、のちに名誉教授となった。 萩焼の陶土や釉薬、登り窯焼成による窯変効果を生かした壺などに特色があり、自然の生命感や存在感を意識したものである。
鈴木 春祥(すずき はるよし、1943年1月1日 - )は高… 鈴木 春祥(すずき はるよし、1943年1月1日 - )は高校野球指導者。中越高等学校硬式野球部監督を務めた。
長谷川 憲正(はせがわ けんせい、1943年1月1日 - )… 長谷川 憲正(はせがわ けんせい、1943年1月1日 - )は、日本の政治家、郵政官僚。 参議院議員(1期)、総務大臣政務官、駐フィンランド特命全権大使などを歴任した。 郵政省官僚、駐フィンランド大使を経て、2004年に自由民主党から参議院に出馬し、初当選。 2005年に自由民主党を離党。国民新党旗揚げメンバーの一人として名を連ねるが、同年8月24日友党であった新党日本に同党の政党条件を満たすために期間限定で移籍。9月11日、新党日本へ離党届を提出し、国民新党へ復党した。この政党移籍はレンタル移籍と揶揄され、選挙互助会という批判があった。 全国郵便局長会顧問。政党代表者が招かれない定期総会に総務大臣と共に招かれた。
飯島 秀雄(いいじま ひでお、1943年1月1日 - )は、… 飯島 秀雄(いいじま ひでお、1943年1月1日 - )は、日本の陸上短距離選手、元プロ野球選手・コーチ。 1964年、100メートルの日本記録を29年ぶりに更新した。1964年東京オリンピックおよび1968年メキシコシティーオリンピックでは日本代表選手となる。 メキシコシティーオリンピック後に俊足を買われ、代走専門選手として1969年にプロ野球・ロッテオリオンズに入団し、実働3年間で通算盗塁数は23を記録した。 その後は指導者・審判員・スターターとして陸上界に復帰した。 茨城県水戸市出身。父は郵便局員で、7人きょうだいの三男だった。父は町内運動会で俊足を披露しており、少年時代の飯島も運動会では負け知らずだった。
長部 稔(おさべ みのる、1943年1月1日 - )は、日本… 長部 稔(おさべ みのる、1943年1月1日 - )は、日本の建築家。一級建築士資格所有。日本建築家協会登録建築家・社団法人日本建築家協会 会員、社団法人 日本建築学会 正会員。東京都品川区出身在住。 坂倉準三建築研究所(現・坂倉建築研究所)在籍中、秩父の建設会社の社屋の設計を担当したことが縁で、退所後、秩父に多くの作品を残す。
松井 利夫(まつい としお、1943年1月1日 - )は、日… 松井 利夫(まつい としお、1943年1月1日 - )は、日本の実業家。アルプス技研最高顧問〈創業者〉。南魚沼市産業育成支援特別顧問。小千谷市まちづくり・人づくり支援特別顧問。 新潟県南魚沼市〈六日町五十沢〉の出身。1961年3月、新潟県立六日町高等学校を卒業。1964年3月、工学院大学専修学校電気科(夜間)を卒業。1968年7月、アルプス技研(松井設計事務所:当時〉を創業。1971年1月、株式会社アルプス技研を設立〈代表取締役社長に就任〉。1996年3月、多摩大学大学院経営情報学研究科を修了〈経営学修士:MBA〉・6月、株式店頭公開。1997年4月、代表取締役会長に就任。 2004年12月、アルプス技研が東証一部に上場(現プライム市場)2006年3月、最高顧問に就任。
広野 允士(廣野 允士、ひろの ただし、1943年1月1日 … 広野 允士(廣野 允士、ひろの ただし、1943年1月1日 - )は、日本の通産官僚、政治家。 衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、民主党筆頭副幹事長、同参議院幹事長代理、同広報委員長、同富山県総支部連合会代表、国民の生活が第一副代表兼参議院議員会長、日本未来の党幹事(広報担当)、生活の党副代表・両院議員総会長・幹事会議長・富山県総支部連合会代表などを歴任。 選挙など政治活動の際には、姓を新字体、名を平仮名で表記した「広野ただし」名義を用いることが多いが、本名は漢字表記の「廣野允士」である。 富山県富山市出身。富山県立富山中部高等学校、東京大学工学部卒業後に通商産業省に技官で入省。
久保 昌三(くぼ まさみ、1943年1月1日 - )は、日本… 久保 昌三(くぼ まさみ、1943年1月1日 - )は、日本の実業家。上組代表取締役会長、日本港運協会会長、海事振興連盟副会長。兵庫県倉庫協会理事、兵庫県防衛協会理事、神戸商工会議所常議員。神戸港開港150年記念事業実行委員会 名誉顧問。 神戸市出身、東京都在住。1962年(昭和37年)大阪福島商業高校(履正社高等学校)卒業。1963年上組入社、1995年取締役、1997年常務、1999年専務。2004年6月29日、代表取締役社長に就任。2009年6月10日、日本港運協会会長に就任。日本港運振興株式会社代表取締役社長、 青海流通センター株式会社代表取締役会長、株式会社ワールド流通センター代表取締役会長に就任。
勝木 元也(かつき もとや、1943年1月1日 - 2024… 勝木 元也(かつき もとや、1943年1月1日 - 2024年12月3日 )は、日本の分子生物学者。元基礎生物学研究所所長。元東京大学医科学研究所教授。総合研究大学院大学名誉教授。父は医師で九州大学名誉教授の勝木司馬之助。岳父(妻の父)は医師で慶應義塾大学名誉教授の佐々木正五。
佐藤 元彦(さとう もとひこ、1943年1月1日 - )は、… 佐藤 元彦(さとう もとひこ、1943年1月1日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(投手)。 熊本高校では、1960年の夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、熊本商に敗退。高校時代はオーバースローだったが、慶應義塾大学への進学と同時にサイドスローに転向。しかし入学当時の慶大は、最上級生に早慶六連戦で名を馳せた角谷隆、清沢忠彦ら、3年生に1962年秋季リーグベストナインの藤悟郎がいる投手王国であった。同期でも渡辺泰輔が台頭し、佐藤にはなかなか東京六大学野球リーグでの登板機会がなかった。しかし大学最後のシーズンである1964年秋季リーグでは、渡辺の調子が上がらない中で、慶大を3季ぶりの優勝に導く活躍を見せる。
本山 美彦(もとやま よしひこ、1943年1月1日 - )は… 本山 美彦(もとやま よしひこ、1943年1月1日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は、世界経済論。経済学博士(京都大学、1984年)。兵庫県生まれ。
永田 和弘(ながた かずひろ、1943年1月1日- )は、三… 永田 和弘(ながた かずひろ、1943年1月1日- )は、三重県出身の日本の歯科医、歯学者。東北大学非常勤講師、広島大学非常勤講師。世界で初めての5か所の調節を行うことができる全調節性咬合器の発明者。日本補綴歯科学会会員。 大阪大学を卒業後、歯科医院を開業し診療に携わる傍ら、咬合分析と咬合器の歴史、咬合器について研究し、1968年に開発されたアルコン型全調節性咬合器(スチュアート咬合器)は、「顆頭間距離を側方運動の中心点間の距離と考えて調節できない」、「トップウォールに前方矢状顆路傾斜度と平衡時の矢状顆路傾斜度の規定能がない」という点が問題であると指摘し、改良に努めた。その後2000年に東京都の助成を受け全調節性咬合器の開発を行った。
堀内 昶(ほりうち ひさし、1943年1月1日 - )は、日… 堀内 昶(ほりうち ひさし、1943年1月1日 - )は、日本の物理学者(男性)。2006年(平成18年)まで京都大学大学院理学研究科教授を務めた。京都大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。同大学院修了。 専門は、原子核の理論的研究、特に軽い原子核におけるクラスター構造と重イオン反応の研究。東京大学で、小林稔博士(京都大学教授)の弟子で原子核のクラスター物理研究を牽引した池田清美博士(新潟大学名誉教授)に師事。反対称化分子動力学法を用いたAMD模型を開発し、重イオン反応における多重破砕過程の理解に貢献。また、このAMD法を用い軽い原子核におけるクラスター形成のメカニズムの解明に貢献した。
黒滝 正昭(くろたき まさあき、1943年1月1日 - )は… 黒滝 正昭(くろたき まさあき、1943年1月1日 - )は、日本の社会思想史家。宮城学院女子大学名誉教授。専門はドイツ社会思想史。特にルドルフ・ヒルファーディングを研究している。 東京生まれ、北海道夕張市・室蘭市出身。1965年東北大学経済学部卒業、1970年同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。宮城学院女子大学講師、同大学学芸学部教授。 1994年「ルードルフ・ヒルファーディングの理論的遺産 : 「金融資本論」から遺稿まで」で経済学博士(東北大学)。 トロツキー研究所幹事。1994年に発足したポスト・マルクス研究会のメンバー。宮城・研究者「九条の会」呼びかけ人。「変革のアソシエ」呼びかけ人。
尾崎 紀世彦(おざき きよひこ、1943年〈昭和18年〉1月… 尾崎 紀世彦(おざき きよひこ、1943年〈昭和18年〉1月1日 - 2012年〈平成24年〉5月30日)は、日本のポップス歌手。東京都渋谷区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身。1960年にハワイアンバンド「ヒロ・ハワイアンズ」結成、1965年にカントリーバンド「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」加入。1967年からコーラス・グループ「ザ・ワンダース」を経て、1970年にソロ歌手としてデビュー。愛称は「キーヨ」。ダイナミックな歌唱力と、立派なもみあげや髭がトレードマーク。身長173cm(1972年3月)。 バレエダンサーの両親のもと、現在の東京都渋谷区に男3人兄弟の次男として生まれ、小学校入学時より神奈川県茅ヶ崎市で育つ。
大森 正之(おおもり まさゆき、1943年1月 - )は、日… 大森 正之(おおもり まさゆき、1943年1月 - )は、日本の生物学研究者。東京大学名誉教授、元埼玉大学教授。シアノバクテリア(藍藻)を用いた環境応答現象の解析による、砂漠緑化などの地球環境維持への応用を研究を行っている。理学博士(東京大学、1973年)。
木村 靖二(きむら せいじ、1943年1月 - )は、日本の… 木村 靖二(きむら せいじ、1943年1月 - )は、日本の歴史学者。専門は西洋近現代史・ドイツ史。東京大学名誉教授。 1943年、東京都生まれ。東京大学文学部で学び、同大学大学院人文科学研究科に進学。博士課程を単位取得後退学。ミュンヘン大学へ留学した。 その後、東京大学助手に採用された。茨城大学助教授を経て、立教大学文学部史学科教授に就いた。東京大学大学院人文社会系研究科教授、独立行政法人大学評価・学位授与機構教授を経て、2008年より2013年まで立正大学文学部教授。 専門は西洋近現代史、ドイツ史。『詳説世界史』(山川出版社)など高校教科書も編集執筆。
吉田 千秋(よしだ ちあき、1943年1月 - )は、日本の… 吉田 千秋(よしだ ちあき、1943年1月 - )は、日本の哲学者。元岐阜大学地域科学部教授。「哲学カフェ de ぎふ」主宰。 大阪市生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。名古屋大学大学院文学研究科博士課程(哲学専攻)単位修得退学。1974年岐阜大学工業短期大学部講師、1979年助教授、1989年教授、1991年教養部教授、1996年地域科学部教授。2008年3月に定年退官。この間、唯物論研究協会(全国唯研)委員長(1998-2000年)、岐阜大学地域科学部学部長を務めた。退官後も引き続き地域科学部や名古屋大学、岐阜県立看護大学、平成短期大学等の非常勤講師を引き受けている。
西尾 修(にしお おさむ、1943年1月 - )は、日本の仏… 西尾 修(にしお おさむ、1943年1月 - )は、日本の仏文学者。慶應義塾大学経済学部教授。 東京都生まれ。1958年足立区立第九中学校卒業、1962年東京都立上野高等学校(定時制課程)卒業。1968年、埼玉大学文理学部人文学科仏語仏文学専攻卒業。1972年、慶應義塾大学大学院文学研究科フランス文学専攻修士課程修了。1976年、エクス=マルセイユ大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(フランス第3期課程)(文学)(エクス=マルセイユ大学1976年)。 1978年、慶應義塾大学経済学部助手。1980年、同専任講師。1983年、同助教授。1987年 パリ第3大学言語教授法課程修了。1991年、慶應義塾大学経済学部教授。
佐藤 紘光(さとう ひろみつ、1943年(昭和18年)1月 … 佐藤 紘光(さとう ひろみつ、1943年(昭和18年)1月 - )は、日本の会計学者。早稲田大学名誉教授。公認会計士試験委員、放送大学客員教授を歴任し、現在、日本管理会計学会常務理事、早稲田大学「会計研究所」所長。 専門は、管理会計・原価計算・業績管理会計・会計理論。「会計学(accounting)」と「経営学(management)」が交差する「管理会計」領域の研究者でもあり、特に企業経営における意思決定、企業のインセンティブ・システム、株主価値についての研究を行う。 1943年1月、愛知県に生まれる。1967年3月早稲田大学第一商学部を卒業、1969年3月早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了、1972年3月早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学。
加森 公人(かもり きみひと、1943年 - )は、日本の実… 加森 公人(かもり きみひと、1943年 - )は、日本の実業家。加森観光取締役相談役。元代表取締役社長。 1943年、北海道札幌市に生まれる。札幌北高校を卒業、同高校時代の修学旅行で後楽園遊園地のジェットコースターに乗ったことをきっかけに遊園地好きとなり、その後の遊園地開発へと繋がる。 大学は教師を志望し東京教育大学を第一志望としていたものの不合格となり、1968年に学習院大学経済学部を卒業、立教大学大学院ホテル観光学科修了。大学卒業後は日本ケーブル浦安工場に出向し索道の安全輸送について学んだ後、大学院修了後に父の加森勝雄が第三セクター方式で設立した「登別温泉ケーブル」に就職。夏の濃霧の頃が事実上のオフシーズンになっていたさなか「のぼりべつクマ牧場」の運営にたずさわり、ヒグマを飼育し観光客を呼び込むとともにヒグマの人工飼育や計画出産への挑戦、博物館の建設、ヒグマに芸を覚えさせてのショーの開催といったヒグマに特化した積極策を取り、クマ牧場の収益を元手に札幌市の都心で中古ビルを買収し収益を強化した。
木村 輝美(きむら てるみ、男性、1943年(昭和18年) … 木村 輝美(きむら てるみ、男性、1943年(昭和18年) - )は、日本の実業家。ロジネットジャパン代表取締役社長。 北海道紋別郡遠軽町生まれ。1962年(昭和37年)札幌通運入社。1967年(昭和42年)北海学園大学経済学部2部卒業。1996年(平成7年)札幌通運取締役総務部長に就任。同社取締役自動車部長、同社取締役管理部長など経て、1999年(平成11年)同社常務取締役。2001年(平成13年)同社専務取締役。2003年(平成15年)同社代表取締役専務。2004年(平成16年)に同社代表取締役社長に就任。2005年(平成17年)にロジネットジャパンを設立し、同社代表取締役社長に就任。2013年(平成25年)札幌通運代表取締役社長を退任。
須藤 隆(すとう たかし、1943年- )は、日本の考古学者… 須藤 隆(すとう たかし、1943年- )は、日本の考古学者。専門は縄文時代・弥生時代を中心とした東北地方の先史考古学。東北大学大学院文学研究科名誉教授。 1962年に岩手県立盛岡第一高等学校を卒業し、東北大学に入学。その後1978年に東北大学文学部に助教授として着任して以降、長年にわたり同大学の考古学研究室で後進の指導にあたった。東北大学では、福島県墓料遺跡、宮城県中沢目貝塚、前田遺跡、山王囲遺跡、中神遺跡など、東北地方の重要な先史・古代遺跡の発掘調査と研究を主導した。 1990年代以降は教授に昇任し、大学院文学研究科で考古学を担当。2007年に退職した。 退職記念として、教え子らによる論文集『考古学談叢』が刊行されている。
畑中 美耶子(はたなか みやこ、1943年 - )は、フリー… 畑中 美耶子(はたなか みやこ、1943年 - )は、フリーアナウンサー、実業家、演出家、方言指導家。岩手県大迫町(現・花巻市)生まれ。 岩手県立盛岡第一高等学校卒業後、児童劇団時代から出入りしていた岩手放送(現・IBC岩手放送)に1962年、アナウンサーとして入社(同期に前田正二がいる)。1969年に当時の同僚でもある畑中茂夫と結婚。同時に岩手放送を退社して、フリーアナウンサーとなる。また、児童劇団「CATSきゃあ」主宰や、朗読、小学生中心の子供だけの劇団などの活動を開始。 また、岩手の方言(盛岡弁など)のスペシャリストとして、岩手県を舞台にしたテレビドラマや映画において「方言指導」を担当する。
片方信也(かたがた しんや、1943年 - )は日本の都市研… 片方信也(かたがた しんや、1943年 - )は日本の都市研究者。日本福祉大学名誉教授。専門は都市計画・建築計画。博士(工学)。 新建築家技術者集団全国代表幹事。京都・まちづくり市民会議代表。沖縄連帯伏見の会代表。一級建築士事務所 企業組合もえぎ設計サポーター(非従事組合員)。 岩手県生まれ。岩手県立黒沢尻北高等学校を経て、1966年北海道大学工学部建築学科を卒業し、1969年京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。京都大学助手を経て、1995年から日本福祉大学に。健康科学部や情報社会科学部教授歴任。2014年退職。 博士号は論文「大都市における居住環境整備計画に関する研究」にて1979年に京都大学より取得。
鈴木 建夫(すずき たてお、1943年 - )は、日本の農林… 鈴木 建夫(すずき たてお、1943年 - )は、日本の農林水産技官、農学博士。農林水産省食品総合研究所所長や、独立行政法人食品総合研究所理事長を務めた。 宮城県仙台市生まれ。宮城県仙台第二高等学校を経て、東北大学大学院農学研究科食糧化学専攻修士課程修了、東北大学農学部食糧化学科食品分析学講座助手。1973年東北大学農学博士。1976年アメリカ国立衛生研究所心肺血液研究所客員研究員。1986年農林水産省研究開発課長。農林水産省食品総合研究所所長、独立行政法人食品総合研究所理事長を経て、2004年宮城大学教授。2009年宮城大学大学院食産業研究科長。2011年公立大学法人宮城大学退官。