吉田 凞生(よしだ ひろお、1930年10月25日 - 20… 吉田 凞生(よしだ ひろお、1930年10月25日 - 2000年5月13日)は、日本近代文学研究者。難字であるため、「吉田 煕生」「吉田 熈生」などで代用記載されることが多い。 広島県出身。東京大学国文科卒。東京女子大学助教授、教授、千葉大学教授、大妻女子大学教授、1992年城西国際大学教授。 小林秀雄、中原中也の研究・作品解説で知られた。邦楽家(箏曲者)中島雅楽之都(1896 - 1979)の伝記と著書編纂(さん)もしている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
高野 清純(たかの せいじゅん、1930年10月24日 - … 高野 清純(たかの せいじゅん、1930年10月24日 - )は、日本の教育心理学者・僧侶。専門は児童心理学。筑波大学名誉教授。 埼玉県生まれ。東京教育大学卒業。同大学院博士課程修了。1967年「児童の行動に及ぼす成功経験の影響に関する研究」で教育学博士の学位を取得。東京教育大学教授、筑波大学教授、1994年定年退官、名誉教授、東京成徳大学教授。同退職後は遠山寺住職。2001年 日本教育心理学会名誉会員。2018年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
杉田 康(すぎた こう、1930年10月23日 - )は、日… 杉田 康(すぎた こう、1930年10月23日 - )は、日本の元俳優、華道家。東京市小石川区春日町(現:東京都文京区)出身。本名は杉田 康恕(すぎた やすのり)。 旧制浦和中学校(現:埼玉県立浦和高等学校)、埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学卒業。 大学で演劇と出会い、卒業と同時に俳優として大映東京撮影所に入社し、15年間映画やテレビドラマで活躍した。1972年、華道家である父・先代六世香翠より七世を継承。俳優から華道家に転身、桂古流・桂流の家元となる。日本いけばな芸術協会参与、さいたま市いけばな芸術協会会長、埼玉県いけばな連合会理事長を務める。 ※『ブルークリスマス』、『THWAY 血の絆』以外大映作品。
小野 信爾(おの しんじ、1930年10月23日 - )は、… 小野 信爾(おの しんじ、1930年10月23日 - )は、日本の歴史学者。花園大学名誉教授。専攻は中国近代史。 1930年、大分県竹田市で生まれた。生家は豊後岡藩主中川家の菩提寺として知られる寺院・碧雲寺。山門には豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して略奪してきたという「碧雲寺」の扁額が掲げられていた。父親は旧制中学の国語教師であった。 大分県立竹田高等学校を経て、1949年に京都大学文学部入学。1951年2月22日、下鴨警察署近くで「アメリカの朝鮮戦争に協力するな」という趣旨のビラを撒いたことで、GHQの占領政策違反に問われて軍事裁判を受け、重労働3年・罰金1000ドルの判決を受けた。文学部の同級生、教授らの減刑嘆願署名などによって刑期は2年に減刑された。
渋沢 孝輔(しぶさわ たかすけ、1930年10月22日 - … 渋沢 孝輔(しぶさわ たかすけ、1930年10月22日 - 1998年2月8日)は、日本の詩人・フランス文学者。 長野県小県郡長村(現・上田市)生まれ。旧制上田中学(現・長野県上田高等学校)を経て、1953年、東京外国語大学フランス語科を卒業。1956年、東京大学大学院フランス文学科修士課程を修了。1956年武蔵大学講師、1957年明治大学文学部講師、助教授を経て、1969年より教授。 ランボー、ボードレールなどフランス詩を研究する一方、みずからたくさんの詩集を発表。1958年同人誌「XXX」を発行、1984年文芸誌「譚」創刊に参加。藤村記念歴程賞、高見順賞、萩原朔太郎賞を次々に受賞した。 1998年、下咽頭癌のため死去(67歳)。
松野 浩二(まつの こうじ、1930年10月20日 - 20… 松野 浩二(まつの こうじ、1930年10月20日 - 2023年5月25日)は、日本の経営者である。日立金属元社長。 山口県防府市出身。旧制防府中学校(現・山口県立防府高等学校)を卒業。山口大学経済学部卒業(第一期生)後、日立金属に入社。その後、同社の2代目代表取締役社長に就任。 1990年に藍綬褒章、2001年に勲三等旭日中綬章を受章。 2023年5月25日、脳梗塞のため死去。92歳没。
小沢 馨(おざわ かおる、1930年10月20日 - 201… 小沢 馨(おざわ かおる、1930年10月20日 - 2016年9月28日)は岡山県出身の元プロ野球選手、元高校野球監督。
斯波 義信(しば よしのぶ、1930年10月20日 - )は… 斯波 義信(しば よしのぶ、1930年10月20日 - )は、日本の歴史学者。専門は中国史、特に宋代の商業史、華僑・華人研究など。公益財団法人東洋文庫文庫長、大阪大学名誉教授、東京大学名誉教授。2003年日本学士院会員。2006年文化功労者。2017年文化勲章。2018年唐奨。 1930年、東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)で生まれた。1943年に学習院初等科を卒業し、都立高等学校で学んだ。1950年に卒業し、東京大学文学部に進学。東洋史学科で学び、1953年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専門課程に進み、1955年に修士課程を修了。 1961年、熊本大学法文学部助教授に就いた。
永津 俊治(ながつ としはる 1930年10月20日 - )… 永津 俊治(ながつ としはる 1930年10月20日 - )は、日本の生化学者。医学博士(名古屋大学)。東京工業大学名誉教授。元名古屋大学医学部長、名古屋大学名誉教授。藤田学園保健衛生大学名誉教授。愛知県出身。 カテコールアミン研究の世界的権威。また、パーキンソン病モデルラットの脳内で、ドーパミンを生成させる実験にも成功し、パーキンソン病等脳疾患の治療法開発に貢献した。 (その後、アメリカ国立衛生研究所(NIH)、愛知学院大学、南カリフォルニア大学、米国ロッシュ分子生物学研究所で研究)
三浦 浩(みうら ひろし、1930年10月19日 - 199… 三浦 浩(みうら ひろし、1930年10月19日 - 1998年3月24日)は、日本の作家。東京生まれ。 父はコーヒー店主の三浦義武。父親の出身地である、島根県浜田市の旧制浜田中学(現在、島根県立浜田高等学校)を卒業。1949年に京都大学文学部英文科に入学。同学在学中には高橋和巳・小松左京・北川荘平らと京大作家集団に在籍。この時期の活動については、のちに『記憶の中の青春 -小説・京大作家集団-』として小説化を行っている。 1953年に同学を卒業し産経新聞に入社、文化部に所属した。当時の文化部長は福田定一(のちの司馬遼太郎)であった。在職中に休職しノースウェスタン大学に一年間留学、オックスフォード大学にも二年間の留学経験がある。
杉山 邦博(すぎやま くにひろ、1930年〈昭和5年〉10月… 杉山 邦博(すぎやま くにひろ、1930年〈昭和5年〉10月19日 - )は、元NHKのエグゼクティブアナウンサーで日本福祉大学生涯学習センター長・客員教授、中京大学体育学部大学院非常勤講師。東京相撲記者クラブ会友、相撲ジャーナリスト。福岡県出身。実弟は教育学の研究で知られ元日本教育学会会長の堀尾輝久東大名誉教授。 1930年、福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。熊本陸軍幼年学校、福岡県立小倉高等学校、早稲田大学文学部を経て、1953年、NHKに入局。初任地は名古屋局で、この時の上司(放送部長)が1933年の1月場所から大相撲実況をしていた山本照だった。スポーツ実況のアナウンサーとして進むことを希望していた杉山にとって、この時の出会いが、子どもの頃にラジオで聞いて憧れた大相撲実況への道に進む端緒となり、自身初の大相撲実況は、1954年2月に金山体育館で行われた大相撲名古屋準本場所だった。
豊島 格(とよしま とおる 1930年10月19日 - )は… 豊島 格(とよしま とおる 1930年10月19日 - )は、日本の通産官僚。元資源エネルギー庁長官。妻は政治家小泉純一郎(元総理大臣)の姉。
堀場 清子(ほりば きよこ、1930年10月19日 - 20… 堀場 清子(ほりば きよこ、1930年10月19日 - 2025年1月10日)は、日本の詩人、女性史研究家である。 広島県広島市生まれ。父は陸軍軍人の堀場一雄。東京で育つが、縁故疎開先の広島で原爆被害を目撃する。早稲田大学文学部国文科卒業。鹿野政直の妻で本姓は鹿野。共同通信社勤務を経て詩作・評論に専念する。詩誌『いしゅたる』主宰。1990年、『イナグヤ ナナバチ/沖縄女性史を探る』で第5回女性史青山なを賞、1993年『首里』で第11回現代詩人賞受賞。2010年、第14回女性文化賞受賞。ほか高群逸枝、原爆被害の研究をおこなう。 2025年1月10日、老衰のため千葉県の高齢者施設で死去。94歳没。
桂 信雄(かつら のぶお、1930年10月18日[要出典] … 桂 信雄(かつら のぶお、1930年10月18日[要出典] - 2020年11月16日)は、日本の政治家。元札幌市長(在任1991年 - 2003年、3期)。 1931年(昭和6年)、北海道札幌市に生まれる。札幌市立山鼻小学校、北海道立札幌第二高等学校(現:北海道札幌西高等学校)卒業。北海道大学法経学部を卒業後、札幌市役所に就職。札幌市役所では、施設局市街地開発部長、総務局財政部長、北区長、企画調整局長、教育長を歴任。1983年6月、札幌市助役に着任。 1991年、自民党・社会党・公明党・民社党の推薦を得て、札幌市長選挙に立候補。共産党推薦候補などに大差をつけて当選。初の札幌生まれの市長となる。
深瀬 サキ(ふかせ サキ、1930年10月18日 - )は、… 深瀬 サキ(ふかせ サキ、1930年10月18日 - )は、日本の劇作家。本名・大岡かね子。 静岡県沼津市生まれ。沼津学園高等女学校(現・飛龍高等学校)卒業。1970年代より『ユリイカ』や『文藝』に戯曲作品を発表している。そのほかにラジオドラマ『堀川の姫』、小説『花びら闇』がある。 夫は詩人の大岡信、息子は作家の大岡玲、娘は画家・詩人の大岡亜紀。
小倉 磐夫(おぐら いわお、1930年 <昭和5年> 10月… 小倉 磐夫(おぐら いわお、1930年 <昭和5年> 10月17日 - 2000年 <平成12年> 10月6日)は、日本の工学者。専門は応用光学。東京大学名誉教授。カメラ、レンズ(カメラ用から工業用までを含む)、ブラウン管、レーザーなどについて研究、開発した。また、カメラについてのエッセイも多い。東京生まれ。理学博士。旭日中綬章受章。位階は正四位。
山田 稔(やまだ みのる、1930年10月17日 - )は、… 山田 稔(やまだ みのる、1930年10月17日 - )は、日本の小説家、フランス文学者、翻訳家。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)出身。1953年に京都大学文学部卒業。1954年京都大学人文科学研究所助手、1965年京都大学教養部講師、助教授、教授。1994年定年退官し名誉教授の称号を辞退する。 「日本小説をよむ会」や同人誌「VIKING」の活動に参加し、1982年「コーマルタン界隈」で芸術選奨文部大臣賞、1997年「ああ、そうかね」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。小説・エッセイ・翻訳などの著書が多数ある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小松 定男(こまつ さだお、1930年10月16日-2004… 小松 定男(こまつ さだお、1930年10月16日-2004年11月25日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。
安田 養次郎(やすだ ようじろう、1930年(昭和5年)10… 安田 養次郎(やすだ ようじろう、1930年(昭和5年)10月16日 - 2022年(令和4年)2月15日)は、日本の政治家。東京都三鷹市長(3期)。名誉三鷹市民。 宮城県仙台市出身。東北大学教育学部卒。三鷹市役所に入り、建設部、企画部、総務部の各部長を経て、収入役、助役を務める。1991年の三鷹市長選挙に立候補して当選、3期務める。2003年に市長を引退。自身の後継者に東京工科大学教授の清原慶子を指名した。2022年2月15日死去、91歳。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
横山 昭男(よこやま あきお、1930年10月16日 - 2… 横山 昭男(よこやま あきお、1930年10月16日 - 2022年11月30日)は、日本の歴史学者、山形大学名誉教授。日本近世史(藩政史・交通史)専攻。 山形県北村山郡大石田町生まれ。1960年東北大学大学院文学研究科修士課程修了。山形大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。1981年「近世河川水運史の研究 最上川水運の歴史的展開を中心として」で東北大学より文学博士。 2022年11月30日、老衰のため山形市の病院で死去、92歳。
中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日… 中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日)は、日本の俳優。本名は中村 正昭(なかむら まさあき)。北海道札幌市出身。妻は俳優座の女優・美苗。 北海道立札幌第一高等学校(現・北海道札幌南高等学校)卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科を中退。 親友から「新劇を受けたらどうだ」と助言を受け、演劇の道を志す。 1952年に俳優座養成所に第4期生として入所。同期には仲代達矢・宇津井健・佐藤慶・佐藤允らがいる。なお、このうち佐藤允、仲代、中谷の3人は、後年岡本喜八監督作品の常連として喜八一家と呼ばれるようになり、佐藤慶も2本の岡本作品に出演している。舞台のみならず、映画・テレビで存在感のある脇役として活躍した。
渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10… 渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日)は、日本の英語学者、哲学者。歴史論・政治・教育・社会評論家。上智大学名誉教授。 専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士。ミュンスター大学名誉哲学博士。公益財団法人日本財団評議員。 山形県鶴岡市出身。旧制山形県立鶴岡中学校在学中に学制改革が実施され、1949年に山形県立鶴岡第一高等学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)を卒業。なお同校は新制高等学校であるが、渡部は「私にとっての友達をつくる上で一番よかった時代は、やはり旧制高校に通っていたときだと思う」「旧制高校には各地域から選ばれた優秀な人間が集まってきていたので、周りを見渡せば『すごい』と思える人間ばかりだった」と回顧している。
亀井 利明(かめい としあき、1930年10月15日 - 2… 亀井 利明(かめい としあき、1930年10月15日 - 2016年1月14日)は、日本の経営学者。 兵庫県出身。関西大学経済学部卒、神戸大学大学院経営学科修了。1955年関西大学商学部専任講師、助教授、1968年教授。商学部長、関西大学理事などを務め、2000年退職、名誉教授。日本リスクマネジメント学会創立者、名誉理事長。ソーシャル・リスクマネジメント学会(旧日本リスク・プロフェショナル学会)創立者。専門は海上保険・危機管理。息子に亀井克之・関西大学教授。
木田 献一(木田 獻一、きだ けんいち、1930年10月13… 木田 献一(木田 獻一、きだ けんいち、1930年10月13日 - 2013年4月14日)は、日本の神学者。旧約聖書研究の中心人物であった。 1930年、岡山県で生まれた。青山学院大学文学部基督教学科で学び、1953年に卒業。東京教育大学大学院哲学専攻に進み、1957年に修士課程を修了した。ニューヨーク・ユニオン神学校に留学し、1961年に修士課程を修了(STM取得) 1973年より百人町教会教師となった。1975年、ミュンヘン大学に学位論文を提出して神学博士号を取得した。母校である青山学院大学教授、立教大学教授をつとめた。1996年に立教大学を定年退職。その後は山梨英和短期大学教授として教鞭をとった。
天野 源博(あまの もとひろ、1930年10月13日 - 2… 天野 源博(あまの もとひろ、1930年10月13日 - 2005年1月20日)は、日本の実業家。 愛知県西春日井郡西春町(現・北名古屋市)出身。1951年に大阪大学薬学部を卒業した後に、天野製薬に入社した。1971年から1995年までに天野製薬社長を務めた。天野製薬を医薬品や食品用の酵素剤でトップに導いた。1995年6月から会長を務め、ドラッグストアのアマノとカメラのアマノの会長も兼任した。1994年から1997年までに中部経済同友会代表幹事や名古屋商工会議所常議員を務め、中部国際空港の早期実現と愛知万博の誘致に力を入れた。日本製薬団体連合会理事や名古屋駐在オランダ王国名誉領事も務めた。 2005年1月20日、腹部大動脈りゅう破裂のために死去。
溝口 喜文(みぞぐち よしふみ、1930年(昭和5年)10月… 溝口 喜文(みぞぐち よしふみ、1930年(昭和5年)10月13日 - )は、日本の弁護士。 東京都出身。中央大学法学部卒業。東京弁護士会副会長、関東弁護士会連合会理事長、日本弁護士連合会常務理事などを歴任した。 山路ふみ子文化財団理事をつとめ、2011年山路ふみ子文化財団特別賞を受賞した。
有川 正治(ありかわ まさはる、1930年10月13日 - … 有川 正治(ありかわ まさはる、1930年10月13日 - )は、日本の俳優。京都市出身。東映京都撮影所所属。本名同じ。 京都府京都市北区紫竹生まれ。出生前に父親が死去し、養家の「有川」姓を名乗る。1949年、京都府立機械工業学校を卒業。1951年に立命館大学経済学部を中退した後は養父経営の牧場で働いていたが、俳優志望だった甥のマネージャーになるつもりで29歳の時に東映京都撮影所へ入社。甥は外交官を目指して先に俳優を辞めたものの、有川は入社3年目頃から台詞つきの役を与えられるようになり、以降、大柄な体格と強面の風貌を活かして悪役を中心に東映京都制作の時代劇映画や任侠映画、テレビ時代劇などで50年近くに渡って活躍した。
石渡 照久(いしわたり てるひさ、1930年10月12日 -… 石渡 照久(いしわたり てるひさ、1930年10月12日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員。 東京都八王子市出身。都立八王子工業学校を卒業し(山形大学の前身)米沢高等工業学校中退。 織物屋を営みながら八王子JC理事長を経て、1975年44歳で補欠選挙を制し八王子選出の都議に。3期務め1983年第37回衆議院議員総選挙で旧東京11区(現在の東京22区、東京23区、八王子全域の東京24区、東京25区)から自民党新人として出馬し落選。1986年第38回衆議院議員総選挙で初当選。1990年第39回衆議院議員総選挙では落選し議席を失い、1993年第40回衆議院議員総選挙でも返り咲けなかった。 2000年八王子市長選挙で落選、同年第42回衆議院議員総選挙で、保守党から比例区東京ブロックで出馬し落選。
山崎 進一(やまざき しんいち、1930年10月12日 - … 山崎 進一(やまざき しんいち、1930年10月12日 - 2007年5月29日)は、森林開発公団(現森林整備センター)元理事。 高知市出身。京都大学農学部卒業。森林開発公団の生え抜き職員として活躍し、業務部長などを経て1988年に生え抜き職員として初めて森林開発公団理事に就任。1990年、理事を退任した。他に、特定森林地域協議会副会長、森公弘済会理事などの要職を歴任した。[要出典] 2007年に松岡利勝農林水産大臣らに政治献金をしていた疑惑が浮上。5月26日に官製談合疑惑で自宅を家宅捜索し、同日から28日まで事情聴取を受ける。28日、松岡が自殺。山崎も29日午前5時過ぎに投身自殺した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
竹内 泰宏(たけうち やすひろ、1930年10月12日 - … 竹内 泰宏(たけうち やすひろ、1930年10月12日 - 1997年11月13日)は、日本の作家、文芸評論家。 東京生まれ。本名・泰郎(やすお)。東京大学卒。妻は詩人の高良留美子。1962年「見張り」で文藝賞優秀作。1967年『希望の砦』で河出長編小説賞受賞。新日本文学会、アジア・アフリカ作家会議の活動に参加し、第三世界文学の翻訳や評論を行った。野間宏、小田実らと親交があった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
原 裕(はら ゆたか、1930年10月11日 - 1999年… 原 裕(はら ゆたか、1930年10月11日 - 1999年10月2日)は、茨城県出身の俳人。本名・昇。旧姓・堀込。原石鼎に師事、石鼎の死後、夫人原コウ子の養子となり、コウ子のあとを継いで「鹿火屋」を主宰した。 真壁郡大田村(現・筑西市)生まれ。農家の長男であった。1943年、茨城県立下館商業学校に入学。1947年、下館第一高等学校工業科2年に編入。県内高校生投句誌「はいく」に処女作が掲載される。同年、書店で「鹿火屋」を見て入会、投句をはじめる。のち「朝霧」「かびれ」「ひろば」にも参加。1949年、商工省へ入省。明治大学二部商学科へ進学。また鹿火屋東京句会に参加、「鹿火屋」編集部員となる。1951年、原石鼎の通夜の席上で、石鼎夫人の原コウ子に養子縁組を懇請され、承諾(実際にはその半年前から打診があり、郷里の親族会議を経て決断を保留していたものだった)。
森川 英正(もりかわ ひでまさ、1930年10月11日 - … 森川 英正(もりかわ ひでまさ、1930年10月11日 - )は、日本の経営史学者。 長崎県佐世保市出身。1954年東京大学経済学部卒、1959年同大学院経済学博士課程満期退学、法政大学経営学部講師となり、助教授、教授。1985年横浜国立大学経営学部教授。1987年横浜国立大学経営学部学部長。1990年慶応義塾大学大学院経営管理研究科・ビジネススクール教授となる。1998年定年、豊橋創造大学教授。 1993年「Zaibatsu」で日経・経済図書文化賞受賞。経営史学会会長を務めた。
藤本 哲夫(ふじもと てつお、1930年10月11日 - 2… 藤本 哲夫(ふじもと てつお、1930年10月11日 - 2017年1月20日)は、日本の流体工学者。名古屋大学名誉教授。三重大学名誉教授。名古屋大学工学部長、三重大学工学部長、名城大学理工学部長を歴任した。 名古屋大学工学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校に於いて希薄気体力学を専攻。1964名古屋大学工学博士。 三重大学工学部長を経て、母校名古屋大学教授。1992年名古屋大学工学部長。 静岡理工科大学教授、名城大学教授。1997年名城大学協議員。1999年名城大学理工学部長。 本邦での希薄気体力学の第一人者。2009年春瑞宝中綬章を受章。2017年1月20日、敗血症のため死去、正四位。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
村田 慶之輔(むらた けいのすけ、1930年10月11日 -… 村田 慶之輔(むらた けいのすけ、1930年10月11日 - 2015年3月19日)は、日本の美術評論家。 1930年生まれ。1956年、早稲田大学第一文学部を卒業。1959年11月に神奈川県教育委員会職員となる。1964年、神奈川県立博物館準備室の学芸員となる。1969年4月に文化庁文化部芸術課専門職員に転ずる。1974年7月に文化庁文化部文化普及課の国立国際美術館設立準備室主幹となる。1977年5月、国立国際美術館開館にともない学芸課長となる。1991年3月に定年退官。愛知県立芸術大学、静岡大学等で非常勤講師として教鞭をとった。1992年4月、高岡市美術館準備室長となるが、翌年3月に退職。1999年4月に川崎市岡本太郎美術館館長となる。
北川 幸比古(きたがわ さちひこ、1930年10月10日 -… 北川 幸比古(きたがわ さちひこ、1930年10月10日 - 2004年12月25日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、編纂家。 のちの東京都立豊多摩高等学校在籍時は中原中也や立原道造などの詩に傾倒し、自ら詩の雑誌を作るなどしていた。同級の友人であった谷川俊太郎は、それに影響され自らも詩作を行うようになった。 1954年に早稲田大学國文科を卒業した。児童雑誌『ぎんのすず』編集部に勤務した。 1956年頃から2年ほど的場書房という出版社を独りで経営していた。的場書房からは谷川の『絵本』(1956年)、寺山修司の第一歌集『空には本』(1958年)などを出版している。 その後、児童文学の道を歩み、1960年代から児童SFを執筆し、のちに詩集の編纂を多く手掛ける。
野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月1… 野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月10日 - 2015年〈平成27年〉12月9日)は、日本の小説家、歌手、作詞家、タレント、政治家。参議院議員(1期、任期途中で退職)を務めた。 神奈川県鎌倉市で生まれる。程なく生母が亡くなり、兵庫県神戸市の親戚宅の養子に。空襲で養父を失い、疎開先で妹を栄養失調で亡くし放浪した。こうした体験から、「焼跡闇市派」を自称した。 早稲田大学仏文科中退。在学中からコント・テレビの台本、CMソングの作詞などで活躍。 『エロ事師たち』(1963年)で小説家デビュー。妹への贖罪から書いた『火垂るの墓』(1967年)、占領下の世相を描いた『アメリカひじき』(1967年)で直木賞受賞。
高千穂 ひづる(たかちほ ひづる、本名:大瀬 郁恵、旧姓:二… 高千穂 ひづる(たかちほ ひづる、本名:大瀬 郁恵、旧姓:二出川〈にでがわ〉、1930年10月10日- 2016年2月27日)は、日本の元女優。兵庫県出身。愛称は「イクちゃん」。 父はプロ野球審判員を務めた二出川延明。 自著『胡蝶奮戦』(P8)によると、「いろいろな映画の本には、昭和七年生まれと書いてあるそうで、この機会に訂正しておきますね。宝塚歌劇団のときはちゃんと昭和五年生まれになっていたのですが、いつの間にか二歳若くなってしまったようです。」との記述がある。 西宮市立大社小学校を経て、神戸女学院中学部卒業後に宝塚音楽学校に入学。1948年、宝塚歌劇団35期生として宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は46人中3位。
久保 正彰(くぼ まさあき、1930年10月10日 - )は… 久保 正彰(くぼ まさあき、1930年10月10日 - )は、日本の文学研究者(西洋古典学専攻)。勲等は瑞宝重光章。学位は文学修士(東京大学・1957年)。東京大学名誉教授、東北芸術工科大学名誉教授、日本学士院会員。 東京大学教養学部助手、成蹊大学文学部助教授、東京大学教養学部助教授、東京大学文学部教授、東京大学文学部学部長、東北芸術工科大学学長、日本学士院院長、一般社団法人学士会理事長などを歴任した。 日本における西洋古典学の第一人者で、太平洋戦争後、ハーバード大学を卒業し、東京大学の大学院修士課程を修了、東京大学や成蹊大学で教鞭を執った。東京大学文学部では学部長に就き、新設された東北芸術工科大学で初代学長に就任するなど、要職を歴任した。
香坂 信之(こうさか のぶゆき、1930年10月10日 -1… 香坂 信之(こうさか のぶゆき、1930年10月10日 -1992年3月21日)は、元讀賣テレビ放送チーフプロデューサー、ディレクター。広島県出身。 日本大学藝術学部卒業。 1980年から1992年までの12年間、読売テレビ中心で製作された「木曜ゴールデンドラマ」の枠にて、浜木綿子主演の"嫁姑"ものなど最多の108本を演出。 ドラマの世界には現在も「早撮りの香坂」という神話がある。1本を3日で撮った、その3日が自慢で、バレリーナだった妻のお供でモスクワに行った折りに当地の高名な大学教授に撮影日数を聞かれ、待ってましたと「3日です!」と答えたら、妻に思いっきり向こうづねを蹴られてついつい「3ヶ月です」と訂正した、画面にマイクが映ってしまった際に「セリフを拾ってんだから当然だ!」と言ったなどである。
上月 佐知子(こうづき さちこ、1930年10月9日 - )… 上月 佐知子(こうづき さちこ、1930年10月9日 - )は、兵庫県出身の女優。兵庫県立第三高等女学校卒業(現兵庫県立御影高等学校)。血液型B型。
前川 恒雄(まえかわ つねお、1930年10月9日 - 20… 前川 恒雄(まえかわ つねお、1930年10月9日 - 2020年4月10日)は、日本の図書館学者。 日本統治時代の朝鮮木浦府出身。本籍石川県。金沢大学工学部卒、文部省図書館職員養成所卒、石川県小松市立図書館勤務、1956年七尾市立図書館、1960年日本図書館協会勤務、1965年東京都日野市立図書館長、1974年東京都日野市助役、1980年滋賀県立図書館長、甲南大学教授。2001年退職。2020年4月10日死去。89歳没。
野村 修(のむら おさむ、1930年10月9日 - 1998… 野村 修(のむら おさむ、1930年10月9日 - 1998年4月23日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 千葉県市川市生まれ。京都大学卒業。『新日本文学』に拠って、ブレヒト、ベンヤミンなどについて研究、翻訳。京大教養部助教授、教授、1994年定年退官、名誉教授。梅花女子大学教授。1998年肝不全のため死去。
穂積 和夫(ほづみ かずお、1930年10月9日 - 202… 穂積 和夫(ほづみ かずお、1930年10月9日 - 2024年11月26日)は、東京生まれのイラストレーター。 東北大学工学部建築学科、セツ・モードセミナー卒。建築設計事務所「松田平田設計」勤務を経て、イラストレーターに。ファッションを中心に自動車などの分野で出版、広告界で活躍。ファッションに関しては日本のメンズファッションの第一人者としてメンズファッション誌に寄稿。とくに穂積が描いたアイビーボーイはアイビールックを指南するアイコンとなった。各自動車メーカーのポスター、映画ポスター、CDジャケットなどを多く手掛る。1981年から主に日本の歴史建造物や町並み、歴史風俗などを描く新境地を開く。日本の生活を主なテーマに意欲的な活動を続けた。
武満 徹(たけみつ とおる、1930年〈昭和5年〉10月8日… 武満 徹(たけみつ とおる、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 1996年〈平成8年〉2月20日)は、日本の作曲家、音楽プロデューサー。 濱田徳昭に対位法・和声を学び、作曲を清瀬保二に師事したが、東京音楽学校の入学試験を放棄。その後、若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開。和楽器を取り入れた「ノヴェンバー・ステップス」によって、日本を代表する現代音楽家となった。 1930年10月8日に東京市本郷区駒込曙町(現:文京区本駒込一丁目)で生まれる。父は鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)隈之城町出身で帝国海上保険勤務、祖父の武満義雄は立憲政友会の鹿児島県幹事長を務め、第7回衆議院議員総選挙から第12回衆議院議員総選挙まで衆議院議員を連続6期15年務めた。
志賀 浩二(しが こうじ、1930年〈昭和5年〉10月8日 … 志賀 浩二(しが こうじ、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 2024年〈令和6年〉2月17日)は、日本の数学者。理学博士(東京大学・論文博士・1964年)。東京工業大学名誉教授。専門は微分位相幾何学、数学教育。 新潟県新潟市出身。1949年(昭和24年)3月に新潟県立新潟高等学校を卒業、4月に官立新潟高等学校に入学、5月に新潟大学が発足して官立新潟高等学校は新潟大学新潟高等学校となった。 1950年(昭和25年)3月に新潟大学新潟高等学校は廃校となり、4月に志賀浩二は否応なしに新潟大学理学部数学科の学生となった。 1953年(昭和28年)に新潟大学を卒業、東京大学大学院数物系研究科数学専攻修士課程に入学、矢野健太郎に師事、1955年(昭和30年)に修了。
岡崎 令治(おかざき れいじ、1930年〈昭和5年〉10月8… 岡崎 令治(おかざき れいじ、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 1975年〈昭和50年〉8月1日)は、日本の生物学者(分子生物学)。広島市白島(現:中区白島)出身。 広島高等師範学校附属中学校(現:広島大学附属中学校・高等学校)2年の時、原子爆弾の黒い雨を浴びた(入市被曝)。その後、山口県立岩国中学校(現:山口県立岩国高等学校)、第五高等学校を経て、1953年、名古屋大学理学部生物学科卒業。発生生物学の山田常雄教授の下で形成体(オーガナイザー)について研究。 1960年、セントルイス・ワシントン大学のジャック・ストロミンジャーとアーサー・コーンバーグの下に留学。スタンフォード大学を経て、1963年、名古屋大学理学部化学教室の鈴木旺教授の講座の助教授として帰国。
永積 洋子(ながづみ ようこ、1930年〈昭和5年〉10月8… 永積 洋子(ながづみ ようこ、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 2023年〈令和5年〉7月29日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。文学博士。専門は、近世通行貿易史。 哲学者三木清の娘、東京大学農学部助教授(当時)東畑精一の姪として1930年(昭和5年)、東京に生まれる。1954年(昭和29年)、東京大学国史学科卒、1956年(昭和31年)、同大学大学院修士課程修了、同年より三度にわたってオランダに留学。 中央大学講師を務め、1987年(昭和62年)、夫の東京大学文学部教授永積昭の死後、東京大学文学部教授となり、東京大学文学部の初の女性教官となった。1991年(平成3年)、初の単著『近世初期の外交』で第3回和辻哲郎文化賞学術部門を受賞。
坂本 休(さかもと やすむ、1930年10月8日 - )は、… 坂本 休(さかもと やすむ、1930年10月8日 - )は、大分県日田郡中津江村の自治体としての同村の最後の村長。最終学歴は中津江村国民学校卒業。自称「日本人のカメルーン人」。 日田市中津江村栃野在住。 自らが村長を務めていた当時の2002年、中津江村が2002 FIFAワールドカップ(W杯)でカメルーン代表のキャンプ地に選ばれたが、カメルーン選手団の中津江村入りが予定より5日も遅れたことで村とともに坂本の名も全国に知れ渡った。「W杯(中津江村)」は2002年の新語・流行語大賞年間大賞に選ばれ、坂本もその受賞者となった。 W杯後も大分スポーツ公園総合競技場(ビッグアイ、現:昭和電工ドーム大分)で開催された日本代表対カメルーン代表の親善試合(キリンチャレンジカップ)に顔を出したり、自身がカメルーンを訪問し、友好都市であるメヨメサラ市にも足を運ぶなど中津江とカメルーンの交流を続けている。
瀬谷 博道(せや ひろみち、1930年10月7日 - )は、… 瀬谷 博道(せや ひろみち、1930年10月7日 - )は、日本の実業家。旭硝子(現AGC)社長や、同社会長、日本セラミックス協会会長、日本在外企業協会会長等を務めた。 1954年東京大学工学部応用化学科卒業、旭硝子入社。1982年化学品部長。1985年取締役化学品部長に昇格。1987年常務取締役化学品事業本部長。1988年代表取締役専務取締役。1990年代表取締役副社長。1992年代表取締役社長、電気化学協会会長。1996年日本セラミックス協会会長。1998年代表取締役会長。2001年日本在外企業協会会長。2002年三菱レイヨン経営諮問会議社外有識者。2003年日本化学会会長。平成25年度の秋の叙勲で旭日重光章受章。
佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - )は、… 佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - )は、日本の映画評論家・教育評論家。日本映画大学名誉学長。本名、飯利忠男。