日浦 勇(ひうら いさむ、1932年10月24日 - 198… 日浦 勇(ひうら いさむ、1932年10月24日 - 1983年10月18日)は、日本の昆虫学者。 徳島県生まれ。1955年、九州大学農学部農学科卒業。1957年、大阪市立自然科学博物館(後の大阪市立自然史博物館)に勤務する。1958年、同館学芸員補、1959年、同学芸員。1971年、同館主任学芸員。1974年、同館学芸課長。1983年、急性心不全のため急逝した。 東京大学教授の日浦勉は息子。
三島 淑臣(みしま よしおみ、1932年10月24日-201… 三島 淑臣(みしま よしおみ、1932年10月24日-2015年1月1日)は、日本の法学者(法哲学)。九州大学名誉教授・熊本県立大学名誉教授。 愛媛県出身。1956年京都大学法学部卒、同大学院基礎法学博士課程満期退学。1963年九州大学法学部助教授、76年教授、96年定年退官、名誉教授、熊本県立大学教授。2003年退職、名誉教授。
新田 尚(にった たかし、1932年10月24日 - 202… 新田 尚(にった たかし、1932年10月24日 - 2023年4月2日)は、日本の気象学者。学位は、理学博士(1965年)。気象庁長官。 大阪市西区九条出身。旧姓・内田。1955年東京大学理学部地球物理学科卒、中央気象台に入り、大阪管区気象台、1959年予報部電子計算室、1965年理学博士の学位を取得。1977年同数値予報班長、1980年予報部業務課長、1983年総務部企画課長、1986年通信参事官。1990年気象庁予報部長。1992年気象庁長官。93-2000年東海大学教養学部特任教授。2000-06年株式会社ハレックス相談役、顧問歴任。 1976年日本気象学会岡田賞、1982年同藤原賞。専攻は天気予報技術(数値予報論)、大気大循環論。
渡辺 美佐子(わたなべ みさこ、1932年〈昭和7年〉10月… 渡辺 美佐子(わたなべ みさこ、1932年〈昭和7年〉10月23日 - )は、日本の女優。東京市麻布区(現・東京都港区西麻布)出身。
森田 実(もりた みのる、1932年〈昭和7年〉10月23日… 森田 実(もりた みのる、1932年〈昭和7年〉10月23日 - 2023年〈令和5年〉2月7日)は、日本の政治評論家。株式会社森田総合研究所代表取締役。 妻の甥に医師で民主党に在籍していた、元衆議院議員の石森久嗣がいる。 静岡県伊東市出身。伊東西小、伊東北中、相洋高校を経て東京大学工学部鉱山学科卒業。在学中に日本共産党に入党し、香山健一、島成郎、生田浩二、青木昌彦らとともに全日本学生自治会総連合の指導部を形成した。破壊活動防止法反対闘争(1952年)、原水爆禁止運動(1955年)、砂川闘争(1957年)、安保闘争(1958年〜1960年)などに携わる。その後、日本共産党幹部と殴り合いを演じて共産党を除名されると、1958年、多くの学生党員らと共に共産主義者同盟(ブント)を結成し、主に労対関係の任に当たっていた。
可児 弘明(かに ひろあき、1932年10月23日 - 20… 可児 弘明(かに ひろあき、1932年10月23日 - 2026年5月)は、日本の歴史学者、文化人類学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は、東洋史、社会史、華僑華人研究。 1932年、千葉県で生まれた。慶應義塾大学文学部で学び、同大学大学院文学研究科を修了。 修了後は、香港中文大学の教員となった。帰国後、母校の慶應義塾大学助手に採用された。後に助教授、教授昇格。在任中には、同大学地域研究センター副所長も務めた。慶應義塾大学を定年退職し、名誉教授となった。その後は敬愛大学国際学部教授として教鞭を執った。 上記の在任中には、1965年〜1973年にかけて香港中文大学にて調査活動。また、1979年〜1980年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校ほかにてアメリカ華僑を調査。
堀越 叡(ほりこし えい、1932年10月23日 - 200… 堀越 叡(ほりこし えい、1932年10月23日 - 2009年10月16日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。東京都出身。父は地質調査所などで活躍した鉱床地質学者の堀越義一である。 1956年、東京大学理学部地学科卒業。指導教官渡辺武男教授の薫陶を受け、1958年、東京大学大学院修士課程修了。四国の佐々連鉱山を初めとする含銅硫化鉄鉱鉱床(キースラーガー鉱床)の研究を行った。 1958年 - 1964年、同和鉱業に就職し、秋田県北鹿地域の黒鉱鉱床の胚胎層準について調査する。その結果、黒鉱鉱床はキースラーガー鉱床などと同じく、周囲の岩石(母岩)の堆積時に、海底面上で形成された同成鉱床であることを立証した。
中山 儀助(なかやま ぎすけ、1932年10月22日 - )… 中山 儀助(なかやま ぎすけ、1932年10月22日 - )は、日本の元政治家、農家。 静岡県藤枝市岡部町でみかんと茶の生産を手がける農業を営む。元岡部町議会議員。第3子(長男)の中山雅史は、元プロサッカー選手、元ヤマハ発動機社員。 農家の長男として生まれ、家業を継いだ。岡部町議会議員を3期12年務めた(勇退後も岡部町の様々な役職を務める)。 1993年、長男・雅史がFIFAワールドカップアジア最終予選(ドーハの悲劇)で有名になると、父親の儀助も静岡弁丸出しで(いまだに)息子・雅史を「小僧」と呼ぶなどの飾らない言葉づかいや話し振り、人柄の良さが世間の注目を浴び、「ゴン父」の愛称で知られるようになった。
川口 衞(かわぐち まもる、1932年10月21日 - 20… 川口 衞(かわぐち まもる、1932年10月21日 - 2019年5月29日)は、日本の建築構造家、構造エンジニア。工学博士(東京大学・論文博士・1966年)。法政大学名誉教授。株式会社川口衞構造設計事務所主宰。国際シェル・空間構造学会(IASS)元会長。趣味特技に民謡。 坪井善勝の下で国立代々木競技場構造設計に参画。 構造設計では建築構造と造形のあり方や、新しい構造技術の開発を主眼として構造設計活動を展開している。教育者、研究者としても建築構造設計を専門として、初期のシェル構造や張力構造、またスペースフレーム構造から免震構造まで、幅広く研究分野を開拓し実践してきた。国立競技場(千駄ヶ谷)建設には、構造アドバイザーとして参加した。
石田 勝心(いしだ かつむね、1932年(昭和7年)10月2… 石田 勝心(いしだ かつむね、1932年(昭和7年)10月20日 - 2012年(平成24年)2月2日)は日本の映画監督。東京都駒込動坂町出身。 東京都立両国高等学校から東京芸術大学芸術学部美術学科に入学。1957年、卒業と同時に東宝撮影所の製作係に入社。当初は編集者を務めていたが、助監督に転向。1970年『喜劇 頑張れ!日本男児』で監督デビュー。 センチメンタリズムあふれる喜劇やホームドラマを得意としたが、東宝の主流分野ではないこともあり、後年はパニック映画、アクションものも手がけている。テレビ作品も多く手掛けた。 2012年2月2日、肺炎のため死去。79歳没。
勅使河原 霞(てしがはら かすみ、1932年10月20日 -… 勅使河原 霞(てしがはら かすみ、1932年10月20日 - 1980年8月6日)は、華道家、草月流二代目家元。 勅使河原蒼風の長女として東京に生まれる。勅使河原宏の妹。白百合学園中等部卒業。1953年草月流師範として教室を開き、1957年草月会副会長。絵画や彫刻、装幀などでも活躍。 裏千家三男との縁談が進んでいたが、商社に勤める妻子持ちの武田陽信と恋愛関係となり1956年12月結婚。武田との結婚を機にいったん草月から離れたが、蒼風の強い希望により復帰。武田とは後に離婚。以後、霞の代名詞ともなった数センチの極小いけばな「ミニアチュール」や、シャンソン歌手の石井好子のステージ装飾など多方面で活動し、1977年にはイギリス、ウェストミンスター大聖堂のステンドグラスに花をいけた。
瀧田 あゆち(たきた あゆち、1932年(昭和7年)10月2… 瀧田 あゆち(たきた あゆち、1932年(昭和7年)10月20日 - 2005年(平成17年)1月6日)は、愛知県出身の元日本航空役員。日本航空で初の女性役員。後年には日航財団常務理事を務めた。 瀧田英二、花柳はるみ(瀧田 意志)の長女として生まれる。兄は滝田文彦。 名古屋市出身で常滑市には小学校4年の夏に引っ越している。知多郡立高等女学校(現・愛知県立半田高等学校)を経て、愛知県立第一高等女学校(現・愛知県立明和高等学校)を卒業した。 愛知県立第一高等女学校では演劇班に在籍し、1946年(昭和21年)の卒業の予餞会にはシェイクスピアの「ヴェニスの商人」のポーシャを演じている。 母の花柳はるみは高名な女優であったが、あゆちは「小学校を卒業するまでは母が女優だと知らなかった。
中邨 秀雄(なかむら ひでお、1932年10月20日 - 2… 中邨 秀雄(なかむら ひでお、1932年10月20日 - 2015年7月3日)は、日本の財界人、フリープロデューサー、芸能プロモーター。吉本興業の代表取締役社長、会長、名誉会長を務めた。 現在の大阪市中央区出身。大阪府立生野高等学校卒。関西学院大学文学部卒業。大学時代はラグビー選手として活躍。 1955年5月、吉本興業に入社し、駆け出し時代は人気漫才師の花菱アチャコ、大村崑などのマネージャーを務めた。 うめだ花月劇場の開館、吉本新喜劇の立ち上げに尽力し、人気テレビ番組「ヤングおー!おー!」をプロデュース。所属タレントを積極的にテレビに出演させる戦略が実を結び、「お笑いの吉本」の地位を不動にした。
山本 直英(やまもと なおひで、1932年10月20日 - … 山本 直英(やまもと なおひで、1932年10月20日 - 2000年6月27日)は、東京都生まれの教育者。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒。吉祥女子中学校・高等学校の教諭、のち副校長になる。人権としての性の自己決定を中心とした性教育の推進者として著名。 1982年、高柳美知子らと"人間と性"教育研究協議会を創設。代表理事としてそのリーダーシップを発揮する。
長谷川 五郎(はせがわ ごろう、本名:長谷川敏、1932年〈… 長谷川 五郎(はせがわ ごろう、本名:長谷川敏、1932年〈昭和7年〉10月19日 - 2016年〈平成28年〉6月20日)は、日本のボードゲーム研究家、ボードゲーム開発者。特にオセロのパッケージを開発したことで知られる。五郎はペンネームであり、オセロに関しては本名の長谷川敏で商標権を取得している。 日本オセロ連盟元会長。オセロ名誉十段。オセロ以外にも88オセロ、グランドオセロ、ソクラテス、ミラクルファイブ、セルゴ、大碁(だいご)といったボードゲームを開発した。将棋・囲碁共にアマチュア五段でもある。 茨城県水戸市出身。英文学研究者で、茨城大学教授の長谷川四郎を父として生まれる。旧制水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)に入学。
福田 豊(ふくだ ゆたか、1932年10月19日 - )は、… 福田 豊(ふくだ ゆたか、1932年10月19日 - )は、日本の経済学者。社会主義協会の機関誌『社会主義』の編集長を務めた。法政大学名誉教授。 熊本県玉名市に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て、1955年に九州大学経済学部を卒業後に同大学大学院に進み、1960年に博士課程を修了した。九州大学経済学部助手、法政大学第二教養部助教授、教授を経て、社会学部教授となる。 学生時代より向坂逸郎に師事し、1960年代前半に構造改革論批判などで頭角をあらわす。福田の論文にはカール・マルクスやウラジーミル・レーニンの著作からの豊富な引用が行われているが、それは社会主義協会の理論が向坂の指導でマルクス・レーニン主義へ転化していくのにたいしマルクス・レーニン主義の歴史的・理論的限界を明らかにし、この理論の援用にたいして慎重であるべきことを求めたものであった。
戸沢 充則(とざわ みつのり、1932年10月19日 - 2… 戸沢 充則(とざわ みつのり、1932年10月19日 - 2012年4月9日)は、日本の考古学者である。明治大学名誉教授。元明治大学学長。長野県茅野市尖石縄文考古館名誉館長。 長野県岡谷市出身。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、明治大学文学部卒業。藤森栄一に師事した。旧制中学在学中、土器と出会ったことが考古学研究の始まりとなった。1961年明治大学講師。1967年「先土器時代文化の構造」により明治大学から文学博士の学位を授与される。1968年同教授。のちに考古学博物館長、文学部長、学長を歴任した。 豊富な発掘現場歴を持ち、遺跡調査や保護に大きく貢献している。2000年 - 2002年、日本考古学協会「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」委員長として旧石器捏造事件の検証調査にあたった。
天田 満明(あまだ みつあき、1932年10月19日 - )… 天田 満明(あまだ みつあき、1932年10月19日 - )は、日本の経営者。アマダ社長を務めた。東京都出身。 1951年に早稲田高等工学校を中退し、同年に天田製作所(現在のアマダ)に入社。1961年4月に監査役に就任し、1963年に取締役、1973年に常務、1979年1月に専務、1980年6月に副社長を経て、1983年11月には社長に就任。1993年6月に会長、2003年6月に取締役相談役を経て、2007年6月には相談役に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、2002年11月に勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田淵 義久(たぶち よしひさ、1932年10月19日 - 2… 田淵 義久(たぶち よしひさ、1932年10月19日 - 2023年11月8日)は、日本の実業家。野村證券(現在の野村ホールディングス)代表取締役社長やSBI子ども希望財団理事長などを務めた。 同姓で出身都道府県も同一である前任の田淵節也(大タブチ<おおタブチ、だいタブチ>。血縁関係はない)との区別のため、「小タブチ」(こタブチ、しょうタブチ)との愛称がある。 1956年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年に野村證券に入社。中期国債ファンドの開発などに携わった。 梅田支店長、福岡支店長を経て、1977年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1983年12月に副社長に就任し、1985年12月には社長に昇格した。
北川 芳男(きたがわ よしお、1932年10月18日 - )… 北川 芳男(きたがわ よしお、1932年10月18日 - )は、千葉県佐原市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 佐原一高卒業後、日本ビールに入社。エースとして都市対抗の常連となる。1956年の産業対抗では決勝に進出、熊谷組を無失点に抑え好投するが、9回裏サヨナラ負けを喫する。同大会では敢闘賞を獲得した。同年の第2回世界野球大会に社会人野球日本代表として出場。1958年の都市対抗では3勝を挙げて準決勝に進出するが、日本石油に惜敗。 1959年に国鉄スワローズへ入団すると、1年目から主力投手として活躍。長年エースとして君臨していた金田正一を凌ぐ、37先発322回2/3を投げ、18勝20敗・防御率2.51(リーグ6位)の好成績をマーク。
橘 祐典(たちばな ゆうてん、本名:橘裕彦(たちばな ひろひ… 橘 祐典(たちばな ゆうてん、本名:橘裕彦(たちばな ひろひこ)、1932年10月17日 - 2010年9月22日)は、日本の映画監督。『どぶ川学級』や『にんげんをかえせ』、『東京大空襲 ガラスのうさぎ』をはじめ、反戦・労働運動を軸に社会派作品を手掛けたことで知られる。日本共産党員であった。 1932年10月17日、東京市牛込(現・東京都新宿区牛込)の出版業を営む家庭に生まれる。幼少時より映画好きが高じ、東京都立新宿高等学校を経て今井正、山本薩夫両監督の下に助監督として入り、以後独立系プロダクションを転々とする。初監督作品は1956年三井芸術プロの記録映画『働く少年のねがい』。1966年には青銅プロ設立に加わる。
小浜 元孝(こはま もとたか、1932年10月17日 - 2… 小浜 元孝(こはま もとたか、1932年10月17日 - 2017年1月12日)は、東京都出身のバスケットボール選手・指導者。 墨田工業高校で選手権(現インターハイ)に出場、2年次には準優勝となり最優秀選手に選ばれる。 卒業後、日本鉱業に入社しバスケット部に所属。ガードとして活躍した。 1958年に現役引退し、指導者を目指すためケンタッキー大学に留学。 帰国後、昭和学院高でコーチキャリアをはじめ、安田生命、日立戸塚、法政大学で指導に当たる。 1979年、全日本男子の監督に就任。同年のアジア選手権準優勝に導いた。 1982年、秋田いすゞ自動車のヘッドコーチに就任。第59回オールジャパンで優勝を果たした。
木村 繁(きむら しげる、1932年10月17日 - 198… 木村 繁(きむら しげる、1932年10月17日 - 1987年11月13日)は、日本の科学ジャーナリスト。 熊本市生まれ。熊本県立熊本高等学校卒。1955年東京大学教養学部科学史及び科学哲学科卒、朝日新聞社入社。水戸支局員、朝日新聞社科学部員、1970年科学部長、81年米国ウィルソン・センター客員研究員、朝日新聞社調査研究室主任研究員、衛星チャンネル常務取締役。
遅塚 忠躬(ちづか ただみ、1932年10月17日 - 20… 遅塚 忠躬(ちづか ただみ、1932年10月17日 - 2010年11月13日)は、日本の西洋史学者。
園田 恭一(そのだ きょういち、1932年10月17日 ‐ … 園田 恭一(そのだ きょういち、1932年10月17日 ‐ 2010年2月14日)は、日本の医療社会学者。 東京出身。1962年東京大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学、東京大学文学部助手、1964年お茶の水女子大学文教育学部講師、助教授、1968年東京大学医学部助教授、83年教授、1993年定年退官し、名誉教授となり、東洋大学社会学部教授、2003年新潟医療福祉大学教授、2005年特任教授。1983年「保健・医療におけるCommunityの問題 アメリカおよびイギリスを中心として」で保健学博士(東京大学)。日本保健医療社会学会会長を務めた。医療福祉学が専門。
田宮 榮一(たみや えいいち、1932年〈昭和7年〉10月1… 田宮 榮一(たみや えいいち、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2018年〈平成30年〉2月16日)は、日本の警察官、コメンテーター。最終階級は警視監。日本テレビ客員解説員を務めた。表記は田宮栄一になっている場合もある。 日本統治時代の台湾で生まれる。 戦後、日本に復員して山形県西村山郡河北町で高校卒業まで過ごした。山形県立谷地高等学校を卒業後、中央大学法学部を経て1952年に警視庁採用。 所謂「ノンキャリア」として、採用時の巡査から警視監(現役警察官としては警視長)まで昇任を経験。田宮以外にもノンキャリアで警視監まで昇任した者は他にも居るが、その数は非常に少ない狭き門であり、特に刑事畑出身の者は事件捜査で多忙を極める関係上、昇任試験の勉強をする時間的な余裕がなく、昇任しにくい傾向にある。
小園 蓉子(こぞの ようこ、1932年10月16日 - 20… 小園 蓉子(こぞの ようこ、1932年10月16日 - 2025年7月10日)は、日本の女優。本名は佐藤敦子。滋賀県大津市出身。 戦後すぐに横浜に移住。1948年に神奈川県立横浜平沼高等学校に進学する。同期に岸恵子、日比野恵子がいた。 1951年に松竹大船に入社し映画、中村登監督『恋文裁判』でデビューする。1955年に『絵島生島』を最後に松竹を退社。1956年に日活専属契約を結び、『姉さんのお嫁入り』で初主演する。1968年に日活を退社。フリーとなりテレビドラマに活躍する。
外山幹夫(とやま みきお、1932年10月16日 - 201… 外山幹夫(とやま みきお、1932年10月16日 - 2013年4月26日)は、日本の日本史学者。 長崎市生まれ。長崎県立大村高等学校卒。広島大学大学院文学研究科国史学修了、1978年「大名領国形成過程の研究 大友氏の場合」で文学博士。佐世保工業高等専門学校助教授、長崎大学助教授、教授。1998年定年退官、名誉教授、長崎県立女子短期大学教授、1999年に県立長崎シーボルト大学教授、2002年退職。県文化財保護審議会長、長崎市史編纂委員会委員長などを務めた。2012年4月瑞宝中綬章受章。
名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 … 名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2018年〈平成30年〉6月26日)は、日本の俳優。名和 広の表記もある。本名・与縄 章(よなわ あきら)。 熊本県熊本市出身(出生地は広島県)。実家は能の金春流で、20歳まで能楽を学んだ。熊本県立熊本高等学校卒業。熊本大学法文学部中退。日本大学芸術学部在学中の1954年(昭和29年)、日活ニューフェース第1期として日活に入社し俳優デビュー。能楽は破門となる。『若いお巡りさん』『地底の歌』『快傑耶茶坊』等に出演。主演映画も複数あり、『地底の歌』では急速に売り出し中の石原裕次郎を押さえてポスター序列トップである(この時点で裕次郎はダブル主演待遇どまりでトップは一度もない)。
伊藤 隆(いとう たかし、1932年(昭和7年)10月16日… 伊藤 隆(いとう たかし、1932年(昭和7年)10月16日 - 2024年(令和6年)8月19日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専攻は日本近現代政治史。 日本近代史、特に昭和戦前期政治史研究の重鎮で、多くの近代日本一次史料の発掘公刊を代表として精力的に行った。日本教育再生機構顧問、新しい歴史教科書をつくる会元理事。国家基本問題研究所理事。 伊藤は東大助手時代の1966年に発表した論文「ロンドン海軍軍縮問題をめぐる諸政治集団の対抗と提携」を端緒として、第一次世界大戦から太平洋戦争の終戦までの日本近代史を「一体となった支配勢力は存在せず、国内政治過程において革新的な勢力が現状維持的な勢力に勝利を収める過程」と位置づけることで、天皇制ファシズム論に否定的な分析視角を提示した。
猪郷 久義(いごう ひさよし、1932年〈昭和7年〉10月1… 猪郷 久義(いごう ひさよし、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2019年〈令和元年〉11月22日)は、日本の地質学者。筑波大学名誉教授。元日本古生物学会会長。 神奈川県川崎市出身。東京都立大泉高校を経て、1949年に東京教育大学理学部地学科地質学鉱物学専攻に進学し、藤本治義教授に師事する。卒業後は東京教育大学大学院理学研究科の修士・博士課程に進み、1960年同大学院理学部博士課程を修了する。 イリノイ州立地質調査所特別副地質技師、目白学園女子短期大学助教授、教授、1968年東京教育大学助手、筑波大学助教授、教授。96年定年退官、名誉教授、国立科学博物館客員研究員、自然史科学研究所所長。多摩六都科学館特別研究員。
堀 威夫(ほり たけお、1932年(昭和7年)10月15日 … 堀 威夫(ほり たけお、1932年(昭和7年)10月15日 - )は、日本の芸能プロモーター、実業家。ホリプロ創業者。宇都宮ビジネス電子専門学校名誉顧問、宇都宮アート&スポーツ専門学校名誉顧問。社団法人日本音楽事業者協会理事長なども歴任した。 横浜市生まれ。浅野学園時代からサークルでバンド活動に勤しみ、1948年(昭和23年)にワイキキ・ハワイアンズを結成。明治大学商学部時代の52年には、小坂一也、井原高忠等とともに学生バンドのワゴン・マスターズにスカウトされ、ギタリストとして活躍した。 卒業後、文化放送でのアルバイトを経て、1957年(昭和32年)にスウィング・ウエストを結成しリーダーとなり、田辺昭知がドラムを叩いた。
小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2… 小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2001年1月20日)は、日本の実業家で、オリコンの創業者。
佐藤 進(さとう すすむ、1932年10月14日 - 201… 佐藤 進(さとう すすむ、1932年10月14日 - 2017年2月10日)は、東急レクリエーション元社長。
有村 祐輔(ありむら ゆうすけ、1932年10月14日-)は… 有村 祐輔(ありむら ゆうすけ、1932年10月14日-)は、日本の音楽家、指揮者、音楽学者。都留文科大学名誉教授。専門はルネッサンス音楽と合唱で、日本古楽界の第一人者。 鹿児島県出身。鹿児島県立甲南高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科を1958年に卒業。NHKの「歌のメリーゴーランド」のレギュラーや都留文科大学の講師を務めた。1972年、ノッティンガム大学大学院音楽学専攻修士課程修了。1983年~1984年、再度渡英してオクスフォード大学に留学。都留文科大学文学部教授を経て、上野学園大学国際文化学部教授。 日本合唱指揮者協会会員、日本古楽協会代表。東京プロ・ムジカ・アンティカ指揮者を務めた。
望月 好夫(もちづき よしお、1932年10月14日 - 2… 望月 好夫(もちづき よしお、1932年10月14日 - 2019年3月10日)は、日本の産業工芸分野のインダストリアルデザイナー、技術者。工芸品を普段の生活で使えるものとしてデザインし、青森県の産業として定着させた。 静岡市に生まれる。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1956年、東京芸術大学美術学部工芸科漆芸専攻卒業。同年、青森県工業試験場漆工課勤務。1986年、青森県木工指導所所長。1988年、青森県工業試験場場長。1993年、同試験場停年退官。1994年、弘前工芸協会理事長。青森県技術アドバイザー、社団法人日本クラフトデザイン協会会員。 2019年3月10日、慢性閉塞性肺疾患のため死去。
杉田虔一郎(すぎた けんいちろう、1932年10月14日 -… 杉田虔一郎(すぎた けんいちろう、1932年10月14日 - 1994年9月5日)は、日本の医学者。専門は脳神経外科学。学位は、医学博士。信州大学医学部脳神経外科学教室教授(初代1978年-1988年)、名古屋大学医学部脳神経外科教授(1988年-1994年の死亡時まで)を歴任。 定位脳手術、手術機器の開発などを手がけ、脳動脈瘤治療のためのクリップ(Sugitaクリップ)を開発する。さらに、顕微鏡手術のための手術機器および支援機器を精力的に開発し脳神経外科手術の治療成績と安全性の向上、国内外の若手医師の指導など幅広く寄与する。門下に小林茂昭世界脳神経外科学会連盟名誉会長らがいる。 在任中に、看護師と共同で開催する信州セミナー(1978年創設)、手術映像を用いた症例検討会の嚆矢である白馬脳神経外科セミナー(1979年)を創設
北村 康雄(きたむら やすお、1932年10月14日 - )… 北村 康雄(きたむら やすお、1932年10月14日 - )は、日本の元競泳選手。兄は1932年ロサンゼルスオリンピック1500m自由形金メダリストの北村久寿雄。高知市立高知商業高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。第15回ヘルシンキオリンピック競技大会代表選手選考会を兼ねた第28回日本選手権水泳競技大会の1500m自由形で2位となり、オリンピック代表選手に選出された。その後1952年ヘルシンキオリンピックの競泳競技・男子1500m自由形に出場し、6位入賞した。
崎間 晃(さきま あきら、1932年10月13日 - 201… 崎間 晃(さきま あきら、1932年10月13日 - 2017年12月19日)は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1954年に京都大学法学部を卒業し、同年に琉球銀行に入行。1974年に取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1985年6月に頭取に就任。1993年6月に会長に就任し、1999年5月に取締役相談役を経て、同年6月には相談役に退いた。 2017年12月19日に肺炎のために死去。85歳没。
永冨 正之(ながとみ まさゆき、1932年10月13日-20… 永冨 正之(ながとみ まさゆき、1932年10月13日-2020年12月17日)は、日本の現代音楽の作曲家、音楽教育家。東京芸術大学名誉教授。永富正之とも表記される。妻はピアニストの永冨和子。 1932年兵庫県西宮市生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科に学び、池内友次郎、伊福部昭に師事。一級下に作曲家の助川敏弥がいる。1954年に管弦楽作品「演奏会用アレグロ」が第23回日本音楽コンクール作曲部門第3位に入選する。1955年卒業。 1959年フランスに留学、パリ国立高等音楽院に学び、トニー・オーバン、アンリエット・ピュイグ=ロジェに師事。ピュイグ=ロジェに師事した外国人学生は永冨が第1号であった。同時期に留学していた作曲家には篠原眞がいる。
三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 … 三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 - )は、日本のスキー選手、登山家、獣医師。青森県出身。クラーク記念国際高等学校名誉校長、一般社団法人全国森林レクリエーション協会会長、特定非営利活動法人グローバル・スポーツ・アライアンス理事長、株式会社ミウラ・ドルフィンズ代表取締役、株式会社三浦雄一郎事務所代表取締役。 北海道大学獣医学部助手、青森大学教授、日本プロスキー連盟会長、社団法人日本職業スキー教師協会顧問、日本プロモーグルスキー協会会長などを歴任した。 クラーク記念国際高等学校の校長に就任するとともに、全国森林レクリエーション協会の会長などを務めている。また、札幌市手稲区親善大使に委嘱されると同時に、青森市の名誉市民にも選ばれている。
石井 幸孝(いしい よしたか、1932年10月12日 - )… 石井 幸孝(いしい よしたか、1932年10月12日 - )は、日本の鉄道技術者。実業家、九州旅客鉄道(JR九州)初代社長。広島県呉市出身。本籍は京都府宮津市漁師町。 東京都立新宿高等学校、東京大学工学部機械工学科卒業。1955年日本国有鉄道(国鉄)に入社。蒸気機関車の補修を皮切りに、油まみれの工場勤務からスタート。1959年、本社臨時車両設計事務所でディーゼル車両の担当技師として車両設計・開発を担当。キハ81系「はつかり」、キハ82系、キハ58系、DD51形、DE10形などディーゼル車両開発最盛期の仕事に携わった。ディーゼル特急「はつかり」を東北本線に導入した当時は故障に泣かされ、毎晩徹夜で修理作業に当たったという。
泉 澄一(いずみ ちょういち、1932年10月12日 - 2… 泉 澄一(いずみ ちょういち、1932年10月12日 - 2015年3月19日)は、日本の歴史学者。専門は日本中近世史。関西大学名誉教授。 1956年、大阪学芸大学卒業。小学校や高校の教員を務めながら、1966年関西大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。在学中は横田健一、有坂隆道、薗田香融らの指導を受けた。1979年、関西大学文学部史学・地理学科に着任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
前田 一昭(まえだ かずあき、1932年10月12日 - 2… 前田 一昭(まえだ かずあき、1932年10月12日 - 2023年1月16日)は、日本の裁判官。福岡高等裁判所部総括判事や、福岡地方裁判所所長、高松高等裁判所長官等を歴任した。 熊本県出身。熊本大学法学部卒業後、1957年裁判官任官、福岡地方裁判所判事補。1960年山形地方裁判所判事補。1963年大分地方裁判所判事補。1966年山口地方裁判所下関支部判事補。1967年山口地方裁判所下関支部判事。1968年福岡地方裁判所行橋支部判事。1970年福岡地方裁判所判事。1974年福岡地方裁判所飯塚支部部総括判事。1976年福岡地方裁判所部総括判事。1978年福岡高等裁判所事務局長。1983年福岡高等裁判所判事。
北澤 式文(きたざわ しきふみ、昭和7年(1932年)10月… 北澤 式文(きたざわ しきふみ、昭和7年(1932年)10月11日 - )は、日本の薬学者。 昭和7年、京都市東山区に生まれる。母方の祖母は建仁寺境内で官許の助産婦を開業し社会福祉活動(後に藍綬褒章を受章)をしていた。父が神嘗祭の式辞の文章を推敲している間に生まれたため式文と名付けられる。京都府立京都第二中学校に進み、一年次8月に終戦を迎える。中学二年生の時に肋膜炎を患い、休学、絶対安静の中ラジオで聞いていたクラシック音楽や英会話、劇場中継などがその後の趣味ともなっている。病気から回復した後、京都市立堀川高等学校に復学。英会話や化学に興味をもち、薬学を志望するようになる。 自身が結核に罹病して休学したこともあり、抗結核作用を持つ新規化合物の合成研究とその抗菌性を評価することを行った。
免出 都司夫(めんで としお、1932年10月11日 - 2… 免出 都司夫(めんで としお、1932年10月11日 - 2017年1月4日)は、日本の経営者、銀行家。千葉興業銀行頭取を務めた。 東京都出身。1955年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年4月に千葉興業銀行に入行。1975年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1985年6月に専務を経て、1987年6月に副頭取に就任し、1991年6月には頭取に昇格。1999年11月に会長に就任。 2017年1月4日心不全のために死去。84歳没。
及川 馥(おいかわ かおる、1932年10月10日 - )は… 及川 馥(おいかわ かおる、1932年10月10日 - )は、日本のフランス文学者。茨城大学名誉教授、弘前大学教授、愛国学園大学教授。専門はフランス文学(近代詩、文芸批評)。 宮城県生まれ。宮城県古川高等学校卒業。1961年、東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。弘前大学、茨城大学を経て、愛国学園大学教授。日本フランス語フランス文学会会員、H.Boco研究会会員。みずから詩も書く。トドロフ、セール、バシュラールなどフランス思想書の数々の翻訳でも知られる。 2011年、瑞宝中綬章受章。
鈴木 朝夫(すずき ともお、1932年〈昭和7年〉10月10… 鈴木 朝夫(すずき ともお、1932年〈昭和7年〉10月10日 - 2025年〈令和7年〉1月23日)は、日本の材料科学者。東京科学大学名誉教授。学位は工学博士(東京工業大学・1969年)。位階勲等は正四位瑞宝中綬章。高知工科大学副学長、第44代日本金属学会会長、第41・44・45代高知県公安委員会委員長等を歴任した。 千葉県我孫子市出身。1951年(昭和26年)東京都立国立高等学校卒業。1955年(昭和30年)東京工業大学(現東京科学大学)理工学部金属工学科卒業。1969年(昭和44年)同大学より工学博士の学位を取得。 東京工業大学精密工学研究所助手、東京工業大学精密工学研究所助教授、東京工業大学精密工学研究所教授を経て、1989年(平成元年)東京工業大学工学部金属工学科教授。
大隅 和雄(おおすみ かずお、1932年10月10日 - )… 大隅 和雄(おおすみ かずお、1932年10月10日 - )は、日本の歴史学者、思想史家。専攻は中世思想史(仏教思想)。東京女子大学名誉教授。 1932年、福岡県福岡市生まれ。父大隅芳雄は鉱山学者で、九州帝国大学に勤めていた。戦時中であった1945年4月、全国から理系科目に秀でた生徒を特別に集めた広島高等師範学校附属中学校特別科学教育学級に進学。しかし戦局悪化にともない疎開中、広島へ原子爆弾が投下されたことにより校舎が壊滅し、福岡県立中学修猷館に転校した。 1951年、新制になった福岡県立修猷館高等学校を卒業。 東京大学に進み、1955年に文学部国史科を卒業した。1964年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。
椎原 邦彦(しいはら くにひこ、1932年10月10日 - … 椎原 邦彦(しいはら くにひこ、1932年10月10日 - )は、日本の男性俳優、声優。鹿児島県出身。 1951年、鹿児島県立甲南高等学校卒業。高校演劇コンクールで優勝し演出賞と演技賞を受けたことをきっかけに新劇入りを決意。1954年、俳優座演劇研究所3期卒業後、三期会(のちの東京演劇アンサンブル)を結成。地方にも巡演して、新劇運動を続けた。 1964年9月、劇団新劇場に加盟し、創作活動に入る。映画やテレビドラマにも出演。その後は劇団歴史座に所属していた 劇団外のマネジメントはグループ・てえぶらを経て、1959年、太平洋テレビジョン芸能部、1960年から東京俳優生活協同組合に所属。