生田 耕作(いくた こうさく、1924年(大正13年)7月7… 生田 耕作(いくた こうさく、1924年(大正13年)7月7日 - 1994年(平成6年)10月21日)は、日本のフランス文学者、評論家。京都大学名誉教授。雅号に「双蓮居」「鷹峰閑人」「敗荷」ほか。 京都祇園出身。曽祖父は、富山県と岐阜県境の平家谷、五箇山(現在、世界遺産の富山県南砺市五箇山)上平村、の初代村長・生田長四郎。 1947年大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)フランス科卒、1950年京都大学文学部仏文科卒。 フランス異端文学の紹介に努め、自らの著作を出版するプライベートプレス(私家版出版)「奢灞都館」(さばとやかた、「サバト館」と記される場合もあり)を監修、多くの著作を残した。
福岡 正夫(ふくおか まさお、1924年7月7日 - 202… 福岡 正夫(ふくおか まさお、1924年7月7日 - 2023年7月20日)は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授、宇都宮共和大学名誉教授。 1924年に東京都に生まれる。第一東京市立中学を経て1947年に慶應義塾大学経済学部を卒業。卒業後、慶應義塾大学経済学部助手に就任。1952年に助教授、1960年に教授に昇任。1953年から1955年までハーバード大学、1966年から1968年までケンブリッジ大学で在外研究を行った。1990年に慶應義塾大学を定年退職、同名誉教授。その後、創価大学教授・関東学園大学教授・那須大学(現・宇都宮共和大学)教授を歴任。1977年から1979年まで理論・計量経済学会会長を務めた。
岡野 弘彦(おかの ひろひこ、1924年〈大正13年〉7月7… 岡野 弘彦(おかの ひろひこ、1924年〈大正13年〉7月7日 - 2026年〈令和8年〉4月24日)は、日本の歌人。位階は従三位。 國學院大學名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。文化勲章受章者。國學院大學文学部教授、國學院大學文学部学部長、國學院大學栃木短期大学学長などを歴任した。 三重県一志郡美杉村(現・津市)生まれ。代々神主の家に、父・弘賢の長男として生まれる。川上尋常小学校、神宮皇學館普通科を経て、1948年(昭和23年)國學院大學国文科卒。1957年國學院大學専任講師、1961年に助教授、1969年に教授、1975年からは文学部長。1995年から2007年まで國學院大學栃木短期大学学長。
八木 三日女(やぎ みかじょ、1924年7月6日 - 201… 八木 三日女(やぎ みかじょ、1924年7月6日 - 2014年2月19日)は、大阪府堺市出身の俳人、眼科医(医学博士)。本名・下山ミチ子。 大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)卒。在学中、澁谷道らと学生俳句会に参加し、同医専に教授として在任していた平畑静塔に師事し俳句をはじめる。「激浪」「雷光」「梟」「夜盗派」「縄」を経て「海程」同人。1964年、同人誌「花」を創刊・代表を務める。 「例ふれば恥の赤色雛の檀」(『紅茸』)「満開の森の陰部の鰭呼吸」(『赤い地図』)「赤い地図なお鮮血の絹を裂く」(同)など、鋭敏な感性で独自の抽象的・エロス的世界を展開。関西前衛俳句を代表する女性俳人として注目された。
塚本 相次良(つかもと あいじろう、1924年7月6日 - … 塚本 相次良(つかもと あいじろう、1924年7月6日 - 1988年3月7日)は、日本の経営者。鹿児島銀行頭取を務めた。 東京都出身。1947年9月に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に日本銀行に入行。1977年12月に鹿児島銀行副頭取に就任し、1979年12月には頭取に昇格。 1988年3月7日、結腸癌のために死去。63歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
亀井 文蔵(文藏、かめい ぶんぞう、1924年(大正13年)… 亀井 文蔵(文藏、かめい ぶんぞう、1924年(大正13年)7月6日 - 2011年(平成23年)6月20日)は、日本の経営者。カメイ社長、会長を務めた。位階は正五位。 宮城県塩釜市出身。1947年に東北大学工学部応用化学科を卒業。東北大学助手を経て、1952年に亀井商店 (のちのカメイ) に転じ、1955年に常務に就任し、1963年に副社長を経て、1979年に社長に就任。1993年に会長に就任し、2003年には名誉会長に就任。宮城テレビ放送社長、仙台トヨペット社長なども歴任。 1990年4月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2011年6月20日、腎不全のために死去。
佐藤 隆夫(さとう たかお、1924年7月6日 - 2007… 佐藤 隆夫(さとう たかお、1924年7月6日 - 2007年4月23日)は、日本の民法学者。國學院大學名誉教授。 仙台市生まれ。山形県鶴岡市出身。1952年東北大学法学部卒。國學院大學法学部助教授、教授。95年定年、名誉教授。弁護士、横浜家庭裁判所調停委員。
中村 正夫(なかむら まさお、1924年(大正13年)7月6… 中村 正夫(なかむら まさお、1924年(大正13年)7月6日 - 2014年(平成26年)3月2日)は、日本の実業家、元北陸電気工業社長。 京都府出身。趣味は、読書・謡曲。 1949年(昭和24年)、立命館大学専門部卒業。 1953年(昭和28年)、北陸電気工業入社。 1960年(昭和35年)、同社代表取締役就任。 1970年(昭和45年)、同社常務取締役就任。 1978年(昭和53年)、同社専務取締役就任。 1979年(昭和54年)、同社代表取締役副社長就任。 1981年(昭和56年)、同社代表取締役社長就任。 2014年3月2日、心不全で死去、89歳没。
吉田 冨士雄(よしだ ふじお、大正13年(1924年)7月5… 吉田 冨士雄(よしだ ふじお、大正13年(1924年)7月5日 - 平成2年(1990年)7月28日)は、山梨県出身の大蔵官僚、サントリー株式会社副社長。 東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)で、父吉田健(つよし)、母欣子の長男として生まれる。父親の転勤により小学校5年までを新潟県師範学校附属小学校、小学校6年まで鳥取県師範学校附属小学校、旧制中学校2年まで鳥取二中(現在の鳥取県立鳥取東高等学校)に通学。その後、甲府の父親の生家に帰り甲府中学(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を経て、昭和18年(1943年)9月に第一高等学校文科丙類を卒業。東京帝国大学法学部に入学。 短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。
濵田 實(はまだ みのる、1924年(大正13年)7月5日 … 濵田 實(はまだ みのる、1924年(大正13年)7月5日 - 2012年(平成24年)11月7日)は、日本の工学者。工学博士。 大阪大学名誉教授。元徳島工業短期大学学長。阿南工業高等専門学校名誉教授。日本機械学会名誉会員。勲二等瑞宝章受章。大阪帝国大学工学部卒業。大阪府出身。 大阪府出身。大阪帝国大学工学部卒業。大阪大学工学部の教授を経て1987年(昭和62年)に阿南工業高等専門学校校長に就任。1994年(平成6年)より徳島工業短期大学学長に就任。 勲二等瑞宝章を受章し、日本機械学会名誉会員となる。 2012年(平成24年)11月7日、死去。享年88。 近藤安次郎 1943-1990 | 近藤吉克 1990-2009 | 近藤孝造 2009-2022 | 和田博文 2022-現在 近藤安次郎 | 濱田實 | 宮本俊助 | 近藤康夫 | 山本哲彦 2007-2013 | 宮城勢治 2013-2021 | 多田博夫 2021-現職 徳島工業短期大学の人物一覧 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
野田 愛子(のだ あいこ 1924年(大正13年)7月5日 … 野田 愛子(のだ あいこ 1924年(大正13年)7月5日 - 2010年(平成22年)6月19日)は、日本の裁判官。女性初の高等裁判所長官だった。1994年、勲二等宝冠章受章。叙正三位。
浅井 守(あさい まもる、1924年7月4日 - )は、岐阜… 浅井 守(あさい まもる、1924年7月4日 - )は、岐阜県関市出身の元プロ野球選手(投手)。
石井 信弘(いしい のぶひろ、1924年〈大正13年〉7月4… 石井 信弘(いしい のぶひろ、1924年〈大正13年〉7月4日 - 1987年〈昭和62年〉2月4日)は、昭和時代の政治家。愛知県尾西市長。 名古屋市出身。1942年(昭和17年)愛知工業学校卒業。 同校卒業後、名古屋鉄道管理局に入る。のち中島郡起町役場に転じ、市制施行で尾西市役所に移る。1977年(昭和52年)助役を経て、1981年(昭和56年)尾西市長に当選。同年7月に就任し、2期目在任中に死去した。
志津 三郎(しづ さぶろう、1924年7月3日- 没年不明)… 志津 三郎(しづ さぶろう、1924年7月3日- 没年不明)は、日本の作家。 三重県松阪市出身。本名・坂本實。宇治山田商業学校卒。1959年漫画家としてデビュー。その後、テレビ、演劇などの脚本家を経て、作家となる。バイオレンス、ミステリー、時代小説と幅広い。また時代小説においては、膨大な資料をもとに物語を再構築する特異な才能を発揮している。
大原 一三(おおはら いちぞう、1924年7月1日 - 20… 大原 一三(おおはら いちぞう、1924年7月1日 - 2005年11月3日)は、日本の政治家、大蔵官僚。衆議院議員(7期)、農林水産大臣(第23代)を務めた。位階は従三位、勲等は勲一等。 宮崎県東臼杵郡北方村(後の北方町、現延岡市)出身。に生まれる。北方小学校、宮崎県立延岡商業学校(現宮崎県立延岡商業高等学校)、旧制台北高等学校、旧制第一高等学校を経て、1951年、東京大学法学部政治学科卒業。東大法学部政治学科4年次に国家公務員六級職試験(行政職、法律職)を合格。大蔵省に入省。主税局に配属。 1957年6月、御坊税務署長。1958年6月、沼津税務署長。1961年8月、東京国税局総務部総務課長。
板垣 正(いたがき ただし、1924年(大正13年)7月1日… 板垣 正(いたがき ただし、1924年(大正13年)7月1日 - )は、日本の政治家。元自由民主党所属参議院議員。日本遺族会顧問。日本会議代表委員。板垣征四郎の次男。
大宮 真琴(おおみや まこと、1924年7月1日 - 199… 大宮 真琴(おおみや まこと、1924年7月1日 - 1995年5月14日)は日本の音楽学者、お茶の水女子大学名誉教授。ハイドン研究家。本名は誠。 1924年、東京で生まれた。京都大学法学部で学び、1947年に卒業。東京大学文学部に移り、1951年に卒業した。同大学大学院美学科に進学し、1953年に修士課程修了。 フェリス女学院短期大学助教授の後、お茶の水女子大学助教授に転じ、後に教授昇格。1988年にお茶の水女子大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は沖縄県立芸術大学教授として教鞭を執った。1990年、学位論文『ヨーゼフ・ハイドンリラ楽曲研究』を大阪大学に提出して文学博士を取得。ヨーゼフ・ハイドン研究所(ケルン)理事。
深沢 幸雄(ふかざわ ゆきお、1924年7月1日 - 201… 深沢 幸雄(ふかざわ ゆきお、1924年7月1日 - 2017年1月2日)は、日本の版画家、銅版画家。多摩美術大学名誉教授。深澤幸雄と表記されることもある。 銅版画の一種であるメゾチントを中心とした作品を制作し、日本における戦後銅版画の第一人者のひとりとされている。版画だけでなく、書(詩)、陶芸、ガラス絵、パステル画の創作も行なっている。 初期には人間の内面や感情の奥底を表現したモノクロの作品が多かったが、やがて壮大で叙事詩的なテーマを取りあげるようになり、鮮烈な色彩といくつもの銅版画技法を用いるようになった。深沢の作品はニューヨーク近代美術館(MoMA)、ボルティモア美術館(英語版)(いずれもアメリカ)、メキシコ国立版画美術館(メキシコ)、ケルン文化会館(ドイツ)、ウフィツィ美術館(イタリア)、チェコ国立近代美術館(チェコ)、山梨県立美術館、南アルプス市立春仙美術館などに所蔵されている。
杉田 庄一(すぎた しょういち、1924年(大正13年)7月… 杉田 庄一(すぎた しょういち、1924年(大正13年)7月1日 - 1945年(昭和20年)4月15日)は、日本の海軍軍人。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少尉。 1924年7月1日、新潟県東頸城郡安塚村(現上越市)で大農家の次男として生れる。家が山中にあったので険しい山道を渡って麓にある学校に通い、雪の日でも休むことはなかった。そのため足腰が鍛えられ、杉田はよく「軍は厳しいとよく言うが俺の家の方がずっと厳しい」と語っていた。1940年(昭和15年)、舞鶴海兵団に入団。1941年2月、予科練丙3期に入り、戦闘機専修練習生となる。同期生には杉野計雄、谷水竹雄らがいる。 1942年(昭和17年)4月、第6航空隊に配属。
岡田 栄(おかだ さかえ、1924年6月30日 - 没年不明… 岡田 栄(おかだ さかえ、1924年6月30日 - 没年不明 )は、プロ野球球団阪急ブレーブス球団代表である。 京都府出身。1949年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、京阪神急行電鉄に入社した。 1979年から1987年までに阪急ブレーブス球団代表を務めた。 1987年12月に丹後海陸交通の社長に就任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
村松 貞次郎(むらまつ ていじろう、1924年6月30日 -… 村松 貞次郎(むらまつ ていじろう、1924年6月30日 - 1997年8月29日)は、日本の建築史家。東京大学名誉教授。 静岡県島田市出身、旧制八高を経て東京大学第二工学部建築学科卒業。1973年、『大工道具の歴史』で毎日出版文化賞受賞。1974年、東京大学生産技術研究所教授。1983年、日本近代建築の評価に基づく都市計画の業績により日本建築学会賞受賞。1984年、定年退官、法政大学教授、明治村館長を務めた。門下生の一人が藤森照信。 日本の建築生産について研究を進め、煉瓦造・鉄筋コンクリート造などの新しい技術が導入される過程を労作『日本近代建築技術史』にまとめた。また、同時代の建築に関わるルポとして、『現代建築をつくる人々 設計組織ルポ』(浜口隆一と共著)がある。
有島 重武(ありしま しげたけ、1924年〈大正13年〉6月… 有島 重武(ありしま しげたけ、1924年〈大正13年〉6月28日 - 2006年〈平成18年〉1月19日)は、日本の政治家。衆議院議員を8期務めた。 東京都出身。有島行郎の二男。1948年、慶應義塾大学工学部機械工学科を卒業する。創価学会理事、民主音楽協会理事を務める。1963年発表の学会歌「世界広布の歌」を作曲。 1967年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に、東京6区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降、連続8期)。 1984年、公明党会計監査委員に就任する。 1986年12月、公明党大会において、公明党中央統制委員に就任する。 1989年、明電工事件の疑惑による矢野絢也の公明党委員長退任にともない、公明党中央統制委員を退任する。
石丸 俊彦(いしまる としひこ、1924年6月28日 - 2… 石丸 俊彦(いしまる としひこ、1924年6月28日 - 2007年4月1日)は、日本の裁判官、法学者。専門は刑事法。元東京高等裁判所総括判事。元早稲田大学法学部客員教授。 16歳で陸軍予科士官学校に入学する。 1944年、陸軍士官学校を卒業し、歩兵部隊の少尉に任ぜられ、ビルマの戦地に送られる。敗北で撤退の後、帰国して本土決戦要員に任じられた状態で日本の敗戦を迎えた。当時の上官は敗戦が決まった後、「諸君らは生きて、この国を立て直して欲しい」と言い残して割腹自決したという。 1951年、早稲田大学法学部(旧制)を卒業、同年司法修習生となる。1953年に判事補に任官した。 以降、裁判官として福岡地方裁判所、東京地方裁判所、最高裁判所調査官、司法研修所教官、裁判所書記官研修所長、佐賀地方裁判所所長等を歴任した。
碧海 純一(あおみ じゅんいち、1924年6月27日 - 2… 碧海 純一(あおみ じゅんいち、1924年6月27日 - 2013年7月18日)は、日本の法学者、法哲学者。東京大学名誉教授。日本バートランド・ラッセル協会理事。 分析哲学、批判的合理主義に近い立場から理論哲学として法哲学を展開し、以後の日本の法哲学に大きな影響を及ぼした。主著に『法哲学概論』『法と社会』など。 愛知県名古屋市出身。旧制武蔵高等学校では、講師であった下村寅太郎に紹介され、バートランド・ラッセルに触れる(後に日本バートランド・ラッセル協会設立発起人となっている)。 1944年(昭和19年)短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年10月、海軍主計見習士官。
鶴美山 侑宏(つるみやま ともひろ、1924年6月27日 -… 鶴美山 侑宏(つるみやま ともひろ、1924年6月27日 - 1989年10月18日)は、井筒部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)、再度井筒部屋、陸奥部屋に所属した元力士、元若者頭。本名は近藤 貢(こんどう みつぐ)。現在の東京都荒川区出身。176cm、113kg。最高位は西十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 1939年1月場所に初土俵。序ノ口で全敗したり、幕下から序二段まで下がるなど、出世が遅かったが、初土俵が同期の栃錦に「十両に上がったら俺の化粧廻しをやるから」と励まされて奮起し、初土俵から16年が経った1955年3月場所に30歳で十両昇進。1957年1月場所に32歳で引退し、若者頭に転じた。
高谷 朝子(たかや あさこ、1924年(大正13年)6月26… 高谷 朝子(たかや あさこ、1924年(大正13年)6月26日 - 2018年(平成30年)5月11日)は、宮内庁元内掌典。高谷の高は、はしごだか(髙) 滋賀県大津市生まれ。1942年(昭和17年)3月に滋賀県立大津高等女学校(現滋賀県立大津高等学校)を卒業。翌1943年(昭和18年)6月1日に宮内省内掌典を拝命。以後約57年間に亘り、皇室の神事、賢所や候所の伝統を護る。終戦から昭和天皇崩御までを皇居内で過ごした。この間、1985年(昭和60年)4月におかしら(内掌典の長)に就任。昭和天皇大喪の礼、第125代天皇明仁即位の礼、皇太子徳仁親王成婚に関わった。2000年(平成12年)11月、勲四等瑞宝章受章。
暉峻 衆三(てるおか しゅうぞう、1924年〈大正13年〉6… 暉峻 衆三(てるおか しゅうぞう、1924年〈大正13年〉6月26日 - 2023年〈令和5年〉12月22日)は、日本の経済学者。専門は農業経済学。学位は、農学博士(東京大学・論文博士・1984年)(学位論文『日本農業問題の展開』)。東京教育大学教授・信州大学教授・宇都宮大学教授・東亜大学教授を歴任。 暉峻義等の次男。妻は暉峻淑子。長男は暉峻創三。 岡山県倉敷市出身。1943年東京帝国大学に入学。1944年学徒動員により入隊し、陸軍経理学校に入る。1945年8月12日、原爆投下後の広島市に入る。 1947年東京帝国大学農学部農業経済学科卒業。1984年『日本農業問題の展開』で東京大学より農学博士の学位を取得。
丹阿弥 谷津子(たんあみ やつこ、1924年〈大正13年〉6… 丹阿弥 谷津子(たんあみ やつこ、1924年〈大正13年〉6月25日 - )は、日本の女優。東京市本所区両国(現・東京都墨田区両国)出身。本名:金子 谷津子、旧姓:丹阿弥。身長157cm、血液型はO型。村上事務所所属。父は日本画家の丹阿弥岩吉、妹はメゾチント作家の丹阿弥丹波子。夫は金子信雄(1995年、死別)。 1937年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。東京府立第十高等女学校卒業。1942年、文化学院文学部卒業。1942年文学座研究生となる。同年「富島松五郎伝」で初舞台。1945年新劇合同公演「桜の園」のアーニャ役で注目され、以後「シラノ」のロクサーヌ、「マリウス」のファニーなど美貌と演技をかね備えた女優としての地位を確立。
塚原 鉄雄(つかはら てつお、1924年〈大正13年〉6月2… 塚原 鉄雄(つかはら てつお、1924年〈大正13年〉6月25日 - 1993年〈平成5年〉12月13日)は、日本の国語学者・国文学者。大阪市立大学名誉教授。
原田 睦民(はらだ むつたみ、1924年6月25日 - 20… 原田 睦民(はらだ むつたみ、1924年6月25日 - 2006年5月18日)は、日本の政治家。全国農業協同組合中央会会長。
富澤 純一(とみざわ じゅんいち、1924年6月24日 - … 富澤 純一(とみざわ じゅんいち、1924年6月24日 - 2017年1月26日)は、日本の分子生物学者。国立遺伝学研究所名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。 東京都生まれ。日本の分子生物学の黎明期より指導的な役割を担い、RNAによってDNA複製が制御されることを発見したことで知られる。1947年東京帝国大学医学部薬学科卒。薬学博士(東京大学1957年)。日本分子生物学会名誉会員。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
大樹 孝啓(おおき こうけい、1924年〈大正13年〉6月2… 大樹 孝啓(おおき こうけい、1924年〈大正13年〉6月23日 - )は、日本の天台宗の僧侶。圓教寺第140世長吏。第258世天台座主。比叡山宝珠院の大樹徧謙(幕末から明治期)は、祖父大樹徧誠の師。 1924年(大正13年)、兵庫県飾磨郡曽左村書写(現在の姫路市書写)に生まれる。旧制大正大学予科を終了した。 1943年(昭和18年)、出家し、圓教寺塔頭仙岳院で得度した。 1944年(昭和19年)、滋賀海軍航空隊入隊。 1945年(昭和20年)、置塩山法界寺住職に就任した。 1948年(昭和23年)、姫路市の小学校教師となり、1965年(昭和40年)3月まで17年間務めた。この間、1962年(昭和37年)には得度を受けた仙岳院の住職に就任した。
中井 武夫(なかい たけお、1924年6月23日 - 200… 中井 武夫(なかい たけお、1924年6月23日 - 2007年6月22日)は、日本の経営者。日産化学工業社長、会長を務めた。 富山県富山市出身。1947年に東北大学法文学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1972年11月に取締役に就任し、1975年7月に日産化学工業常務、1979年7月に専務、1980年7月に副社長を経て、1986年7月には社長に就任。1992年6月に会長、1996年6月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。 1994年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2007年6月22日急性心不全のために死去。82歳没。
廣瀬杲(ひろせ たかし、1924年6月22日 - 2011年… 廣瀬杲(ひろせ たかし、1924年6月22日 - 2011年12月30日)は、日本の仏教学者(真宗学)。大谷大学名誉教授。同大学学長を歴任。 京都市生まれ。1953年大谷大学文学部真宗学専攻卒業。1960年大谷大学講師、1961年助教授、1965年教授、1980-1986年学長を務め、1990年退職、名誉教授となる。
椿 啓介(つばき けいすけ、男性、1924年6月21日 - … 椿 啓介(つばき けいすけ、男性、1924年6月21日 - 2005年8月18日)は、日本の菌類学者。不完全菌の分類体系を、分生子形成様式に基づいて構築した。東京都出身。 1924年(大正13年)6月21日に東京に生まれ、幼少期を一時北海道函館市で過ごした他は東京で育った。1948年(昭和23年)3月に東京農業大学農学部農芸化学科を卒業した。卒業研究ではカビの生産物を扱ったが、カビそのものへの関心を強め、卒業後は研究の主軸をこちらに移していった。 その年の4月にカビ、酵母のジーンバンク活動を行っていた財団法人長尾研究所に入所し、不完全菌類の研究を開始。ここでは主任研究員にまでなり、また1959年(昭和34年)8月には、1954年から1958年にかけて発表した、不完全菌の分類体系に関する一連の論文に基づき、広島大学から理学博士の学位を授与された。
青木 正夫(あおき まさお、1924年6月20日 - 200… 青木 正夫(あおき まさお、1924年6月20日 - 2007年8月7日)は、日本の建築学者、建築家。九州大学名誉教授。 1924年(大正13年)6月20日、山口県都濃郡富田町で生まれた。生家は裕福な地主であった。1932年に徳山中学を卒業し、同年4月に旧制広島高等学校へ入学。1934年9月、東京帝国大学第一工学部建築学科へ進学。大学では吉武泰水に師事。1948年3月に東京大学を卒業し、その際には辰野金吾賞を受賞。その後は同大学に進み、1953年3月に特別研究生前後期課程を満期退学。 1953年8月に、東北大学工学部助手に就任。翌1954年4月に講師昇格。九州大学に建築学科が新設されることとなり、1956年9月より九州大学工学部助教授となった。
大木 正興(おおき まさおき、1924年6月20日 - 19… 大木 正興(おおき まさおき、1924年6月20日 - 1983年6月10日)は、日本の音楽評論家。 東京府または千葉県出身。1947年、東京帝国大学文学部美学科卒業。1951年、来日したヴァイオリニスト・ユーディ・メニューインの批評でデビュー。『音楽芸術』「東京新聞」「毎日新聞」で演奏批評を担当し、ラジオ・テレビの音楽番組の解説を務めた。跡見学園女子大学教授。子も音楽批評家の大木正純(1945- )。
鎌田 博夫(かまた ひろお、1924年6月19日 - 201… 鎌田 博夫(かまた ひろお、1924年6月19日 - 2013年8月6日)は、日本のフランス文学者。東北大学名誉教授。 東京生まれ。大阪外国語大学フランス語科卒、1949年京都帝国大学文学部仏文科卒業、関西大学講師、1952年大阪市立大学講師。1968年東北大学文学部助教授、1970年教授、1988年定年退官、名誉教授、弘前大学人文学部教授、石巻専修大学理工学部教授。 フランス共和国教育功労章(シュヴァリエおよびオフィシェ)受章。2002年、勲三等旭日中綬章受章。
柳谷 謙介(やなぎや けんすけ、1924年〈大正13年〉6月… 柳谷 謙介(やなぎや けんすけ、1924年〈大正13年〉6月19日 - 2017年〈平成29年〉11月18日)は、日本の外交官。 外務事務次官(第21代)、オーストラリア国駐箚特命全権大使、外務審議官、外務省大臣官房長、外務省情報文化局長などを歴任した。 東京府出身。学生時代は学徒出陣のため海軍に召集され、短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 その後、1948年(昭和23年)東京大学法学部を卒業。同年、外交官領事官採用試験に合格。外務省入省後、フランス、パキスタン、イギリスなどで勤務し、1959年(昭和34年)からは北東アジア課首席事務官を5年間務め、1965年(昭和40年)の日韓国交正常化への交渉を支えた。
姫野 好治(ひめの こうじ、1924年6月18日 - 没年不… 姫野 好治(ひめの こうじ、1924年6月18日 - 没年不明)は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。 1950年5月11日の対東急フライヤーズ戦で、塩瀬盛道に生涯唯一の打席で本塁打を打たれた投手である。 大分工業から社会人野球の星野組、明電舎を経て、1949年に大映スターズへ入団。 独特のフォームのサイドスローであり、カーブや高速シュートを武器に1年目の1949年から9勝を挙げ、2年目の1950年も8勝を挙げる。特に球が走っている時だけ直球を決め球とする、普段は技巧派の投手である。 1951年9月9日にはサヨナラボークを記録している。1952年には36試合に登板し、13勝で初の2桁勝利を記録。
芦野 宏(あしの ひろし、1924年6月18日 - 2012… 芦野 宏(あしの ひろし、1924年6月18日 - 2012年2月4日)は、日本のシャンソン歌手、声楽家。本名:羽鳥廣。
瀬川 昌久(せがわ まさひさ、1924年〈大正13年〉6月1… 瀬川 昌久(せがわ まさひさ、1924年〈大正13年〉6月18日 - 2021年〈令和3年〉12月29日)は、日本の評論家。評論対象は、音楽(特にジャズ)、映画、ミュージカルと幅広い。日本ポピュラー音楽協会名誉会長。『月刊ミュージカル』(ミュージカル出版社)元編集長。 東京府出身。学習院初等科、中等科、高等科、東京帝国大学法学部を通じて三島由紀夫と交流があった。 1944年(昭和19年)、学徒出陣となり海軍に入営。1945年(昭和20年)の敗戦後は引揚者の輸送任務を行う氷川丸に乗務。乗組員らを慰労するため日本劇場にて公演していたバンドを船内に招いてジャズコンサートを行った。 1950年(昭和25年)東京大学法学部卒業後、富士銀行に入行する。
阪田 清春(さかた きよはる、1924年6月17日 - 19… 阪田 清春(さかた きよはる、1924年6月17日 - 1987年11月4日)は、兵庫県出身のプロ野球選手。ポジションは捕手。弟の阪田正芳、阪田芳秀もプロ野球選手である。1950年の登録名は阪田清治。
芝 哲夫(しばてつお、1924年〈大正13年〉6月17日 -… 芝 哲夫(しばてつお、1924年〈大正13年〉6月17日 - 2010年〈平成22年〉9月28日 )は、日本の化学者。専門は天然物有機化学、生物有機化学。大阪大学名誉教授。理学博士。 1924年6月17日、広島県尾道市にて生まれた。1946年に大阪帝国大学理学部化学科を卒業後、1949年に同大学院理学研究科の旧制度を修了した。1959年に大阪大学から理学博士号を取得した。論題は『グルタミン酸ペプチドの研究』である。1950年に大阪大学理学部の助手に着任し、1960年にアメリカ国立衛生研究所に留学した。1962年に大阪大学理学部の助教授に着任し、1971年に同大学の教授に昇進した。 1982年に「生体機能解明のためのペプチド、糖に関する有機合成研究」で第34回日本化学会賞を受賞し、細菌毒素の研究で知られる。
伊藤邦衛(いとう くにえ、1924年6月16日 - 2016… 伊藤邦衛(いとう くにえ、1924年6月16日 - 2016年9月29日)は、日本の造園家・作庭家・環境デザイナー。広島県出身。 1947年、東京農業大学農学部造園学科を卒業し、清水建設入社、設計部に配属。1963年に独立し、伊藤造園設計事務所創立。東京農業大学講師、日本造園修景協会常務理事、日本造園学会理事を歴任。 北の丸公園池他一連の造園設計で、日本造園学会賞計画設計作品部門受賞。1989年第11回日本公園緑地協会北村賞受賞。1994年園芸文化賞受賞。
西村 清則(にしむら きよのり、1924年〈大正13年〉6月… 西村 清則(にしむら きよのり、1924年〈大正13年〉6月15日 - 2003年〈平成15年〉2月5日)は、日本の政治家、実業家、教育者。鳥取県議会議員(日本社会党)。米子友好貿易代表取締役。日本中国友好協会鳥取県西部支部長。 鳥取県西伯郡夜見村上谷(現・米子市夜見町)に生まれる。武則の長男。米子中学校(現・米子東高校)を卒業、鳥取師範学校に入学。1945年、広島に野砲兵として入隊、6月に甲種幹部候補生として高知に行き、原爆の被災を免れる。 終戦後帰郷し、富益国民学校に勤務する。教員組合運動が盛んとなり、竹中栄、安田貞栄(のちの境港市長)らと共に運動に参加する。1947年に弓ヶ浜中学校に、1949年に美保中学校に、1954年に米子一中に転勤する。
川村 正喜(かわむら まさき、1924年6月15日 - 20… 川村 正喜(かわむら まさき、1924年6月15日 - 2019年1月16日)は、日本の実業家。 福岡県に生まれる。1942年、福岡県中学修猷館を経て、1948年、京都大学法学部を卒業し日本発送電に入社。 1951年、電気事業再編により九州電力に引き継がれ、1975年5月経理部長、1979年6月取締役東京支社長、1983年6月取締役常務を経て、1987年6月代表取締役副社長に就任。1991年から1995年にかけて九電産業・九電運輸の各社長、1993年から1996年にかけて福岡タワー社長を務める。 1998年福岡証券取引所理事長に就任。2004年5月に退任する。
笹山 幸俊(ささやま かずとし、1924年〈大正13年〉6月… 笹山 幸俊(ささやま かずとし、1924年〈大正13年〉6月15日 - 2011年〈平成23年〉12月10日) は、日本の政治家、土木技術者。位階は正四位。勲等は勲一等。 神戸市都市計画局長、神戸市助役、神戸市長などを歴任した。 神戸市役所にて都市計画局次長や都市計画局計画部長、都市計画局長を歴任し、1981年12月に神戸市助役に就任した。1989年、市役所内の派閥を大きく二分した熾烈な神戸市長選挙では、同じく神戸市助役だった宮岡寿雄を破り初当選を果たし、以後、3期12年間に渡って神戸市長を務めた。 市長在任中に発生した兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災で神戸市は大きな被害を受けたため、その復興に尽力した。
富岡 素敬(、1924年〈大正13年〉6月15日 - 201… 富岡 素敬(、1924年〈大正13年〉6月15日 - 2011年〈平成23年〉12月20日)は、日本の特撮映画撮影監督。東京都出身。 1947年(昭和22年)、青山学院大学経済学部を卒業し真持映画に入社。16ミリフィルムの技術現像を研究。 1948年(昭和23年)、東横映画に入社。撮影助手を務める。 1950年(昭和25年)、円谷特殊技術研究所に所属。 1954年(昭和29年)、東宝撮影所の撮影助手として入社。映画『ゴジラ』の撮影に参加する。 1961年(昭和36年)、『モスラ』で特殊撮影係に就任。 1966年(昭和41年)、特撮映画のメインカメラマンとなる。 1976年(昭和51年)、東宝映像美術を退社。
長島 甲子男(ながしま かねお/きねお、1924年6月14日… 長島 甲子男(ながしま かねお/きねお、1924年6月14日 - )は、鹿児島県出身のプロ野球選手。ポジションは捕手。