大築 紅葉(おおつき くれは、1983年(昭和58年)10月… 大築 紅葉(おおつき くれは、1983年(昭和58年)10月16日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。 YouTubeの公式チャンネル名や公式サイトなどでは「おおつきくれは」の表記を用いており、Xのアカウント名や衆議院議員としては「おおつき紅葉」の表記で登録している。 北海道小樽市出身。小樽市立幸小学校、小樽市立長橋中学校、北海道小樽潮陵高校卒業。高校卒業後、イギリスへ留学し、バーミンガムシティ大学でジャーナリズムを学んだ。帰国後はフジテレビに入社し、報道局政治部の記者として野党キャップを務めた。在職中に2児を出産した。 2021年6月、立憲民主党の北海道4区衆院議員だった本多平直の不適切発言が判明し、翌月本多は議員辞職。
迫 俊哉(はざま としや、1958年8月18日 - )は、日… 迫 俊哉(はざま としや、1958年8月18日 - )は、日本の政治家。北海道小樽市長(2期)。 北海道小樽市富岡に生まれる。小樽市立稲穂小学校、小樽市立西陵中学校、北海道小樽潮陵高等学校卒業。高崎経済大学経済学部卒業後、1982年4月小樽市役所に入庁。総務部長、教育部長などを歴任。高校・大学と野球部に所属し、小樽野球協会の部長も務めている。 2017年2月退職。翌2018年、小樽市長森井秀明の辞職に伴い8月26日に行われた市長選に出馬し森井ら3人を破り初当選を果たした。※当日有権者数:103,094人 最終投票率:54.88%(前回比:-5.33pts) 2022年8月7日投開票の市長選挙で新人2人を破り再選。
田中 大輔(たなか だいすけ、1951年(昭和26年)11月… 田中 大輔(たなか だいすけ、1951年(昭和26年)11月13日 - )は、日本の政治家。元東京都中野区長(4期)。 北海道小樽市生まれ。1970年、北海道札幌北高等学校卒業。1977年、中央大学文学部を卒業後、東京都・中野区役所に入庁し、交通対策課長、健康課長、介護保険準備課長、行政改革課長等を歴任する。2001年12月、中野区役所を退職。 2002年6月、中野区長選挙に無所属で出馬し、自民党が推薦する元区議会議員や公明党が推薦する元副区長などの他の候補者を破り、初当選した(現職の神山好市区長は不出馬)。2006年、中央大学大学院経済学研究科修了。2006年、2010年の中野区長選挙においても、それぞれ再選。
山中 燁子(やまなか あきこ、1945年11月6日 - )は… 山中 燁子(やまなか あきこ、1945年11月6日 - )は、日本の政治家、国際政治学教授。外務省世界津波の日特別大使。英国ケンブリッジ大学客員教授。自由民主党所属の元衆議院議員、元外務大臣政務官。旧姓野辺地(のべち)。北海道小樽市出身。夫は弁護士。
池田 隆一(いけだ りゅういち、1944年11月1日 - )… 池田 隆一(いけだ りゅういち、1944年11月1日 - )は、日本の政治家。小樽市議会議員(1期)、衆議院議員(1期)、北海道議会議員(3期)を務めた。 北海道小樽市に生まれる。小樽市立手宮小学校、小樽市立末広中学校、北海道小樽桜陽高等学校、北海道教育大学札幌校を卒業後、小中学校で教師を24年間務めた。また、北海道教職員組合小樽支部役員を務めた。 1991年の統一地方選挙で小樽市議会議員選挙に立候補して当選。1993年に小林恒人衆議院議員の引退に伴い日本社会党公認で第40回衆議院議員総選挙に北海道教職員組合組織内候補として北海道第1区から立候補し、当時北海道知事だった横路孝弘からも全面的な支援を受けて初当選(同区で社会党現職伊東秀子や公明党新人長内順一や日本新党公認新党さきがけ推薦の新人荒井聰も横路の支援を受け当選)。
山田 勝麿(やまだ かつまろ、1939年2月11日 - )は… 山田 勝麿(やまだ かつまろ、1939年2月11日 - )は、日本の政治家。元北海道小樽市長(3期)。 小樽市出身。後に砂川市に移る。砂川南高等学校を卒業後、1960年に小樽市役所に入る。1962年に小樽商科大学短期大学部を、1966年に日本大学経済学部(通信教育部)を卒業。教育委員会社会教育部長、学校教育部長、小樽市役所経済部長、総務部長、収入役を歴任する。 1999年の小樽市長選挙に、新谷昌明の後継として立候補して当選。2003年の選挙で再選。2007年の選挙でも三選した。北海道市長会副会長などを務めた。2011年に市長を退任した。
上野 晃(うえの あきら、1934年12月20日 - )は、… 上野 晃(うえの あきら、1934年12月20日 - )は、日本の政治家。元北海道登別市長(5期)。 北海道小樽市出身。北海道小樽潮陵高等学校を経て、1957年北海道大学農学部卒業。1957年北海道庁に入庁。根室支庁産業課に勤務。1980年同庁後志支庁経済部長。1983年同庁農務部農政課長。その後、同庁胆振支庁長。 1988年7月21日、登別市長の中浜元三郎が、市役所で発生した汚職事件の責任をとるとして辞職。これに伴って8月28日に行われた登別市長選挙に選に立候補し初当選した。以後連続5期。 北海道市長会副会長や北海道市長会会長を歴任。2008年市の医療費助成事業で、市が委任払いした高額療養費約4500万円が回収困難となっている問題について、責任を取ること等を理由に引退した。
梅沢 健三(うめさわ けんぞう、1933年(昭和8年)3月3… 梅沢 健三(うめさわ けんぞう、1933年(昭和8年)3月31日 - 2025年(令和7年)1月6日)は、日本の政治家。元北海道千歳市長(1期)、元日本会議千歳支部長。 北海道小樽市出身。札幌商業高等学校卒、自治大学校卒。1949年、千歳町役場に入る。同町商工係長を経て、監査事務局長、千歳市総務課長、市民部長、環境部長、1983年に総務部長。 1987年無所属で千歳市長選挙に立候補、当選したが、1991年に落選。 2013年(平成25年)4月29日付(春の叙勲)で旭日双光章を受章。 2025年1月6日、肺炎のため死去。91歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
藤原 房雄(ふじわら ふさお、1929年(昭和4年)9月6日… 藤原 房雄(ふじわら ふさお、1929年(昭和4年)9月6日 - 2015年(平成27年)12月28日)は、日本の政治家。北海道小樽市出身。室蘭工業大学電気工学科卒業。参議院議員(3期)、衆議院議員(2期)。 小樽市に生まれる。室蘭工業大学電気工学科を卒業する。通商産業省に勤める。その後、同札幌通産局(現北海道経済産業局)勤務を経て、聖教新聞社北海道支局長を務める。この頃、創価学会北海道事務局長も兼任していた。 1968年(昭和43年)7月7日、第8回参議院議員通常選挙に公明党公認候補として全国区から立候補し、初当選する(以降3期)。参議院科学技術振興対策特別委員長などを務める。 3期目の任期満了目前となった1986年(昭和61年)、同年7月6日執行第38回衆議院議員総選挙に公明党公認で北海道1区から立候補(公示日となる同年6月21日付で公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職))、衆議院議員に鞍替え当選する。
新谷 昌明(あらや まさあき、1929年(昭和4年)2月3日… 新谷 昌明(あらや まさあき、1929年(昭和4年)2月3日 - 2017年(平成29年)7月17日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道副知事、小樽市長。 北海道小樽市に生まれる。小樽中学(現・北海道小樽潮陵高等学校)、小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)を経て、1950年(昭和25年)慶應義塾大学経済学部を卒業。国家公務員試験に通ったものの結核を患い、5年間の浪人の末、1955年(昭和30年)北海道庁に奉職する。上川支庁税務課から出納局を経て、1962年(昭和37年)より商工観光部勤務となる。鉱政課長時代にオイルショックを経験したのを機にエネルギー問題を学び、道庁きってのエキスパートとなる。
大矢 正(おおや ただし、1925年1月25日 - 1983… 大矢 正(おおや ただし、1925年1月25日 - 1983年1月1日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、日本社会党)。 北海道小樽市出身。日本大学で学ぶ。北海道炭礦汽船に入り、戦後は労働運動に加わり、北海道炭礦汽船労組委員長、北海道炭労委員長となる。1956年の第4回参議院議員通常選挙で北海道から日本社会党公認で立候補して初当選した。以来3期務める。この間参議院文教委員長、同石炭対策委員長、同公害対策及び環境保全特別委員長などを歴任した。1974年の第10回参議院議員通常選挙に出馬せず引退。 1983年1月1日死去、58歳。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
箕輪 登(みのわ のぼる、1924年3月5日 - 2006年… 箕輪 登(みのわ のぼる、1924年3月5日 - 2006年5月14日)は、日本の政治家、医師。位階は従三位。 郵政大臣(第42代)、防衛政務次官、衆議院議員(8期)を歴任した。 北海道小樽市生まれ。小樽市中学校(現:北海道小樽潮陵高等学校、小樽市立長橋中学校)、北海道帝国大学(現:北海道大学)医学専門部卒業。第二次世界大戦末期の1945年3月に陸軍軍医見習士官に任官し、同年8月に終戦を迎える。翌1946年より日本医療団寿都病院(現:寿都町立寿都診療所)外科医長。1948年、寿都町に箕輪外科医院を開業。1952年に小樽市に戻り、稲穂で箕輪外科医院を開業。 1960年、薄田美朝(元警視総監。後に衆議院議員)に見出され第29回衆議院議員総選挙に旧北海道第1区(定数5)から保守系無所属で立候補したが、立候補者9人中7位で落選する(当時の旧北海道1区では日本社会党の横路節雄や自由民主党の椎熊三郎(元衆議院副議長)、高田富與(元札幌市長)ら有力候補がしのぎを削っていた)。
志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 201… 志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 2014年1月5日)は、日本の政治家・実業家。北海道小樽市出身。1943年北海道帝国大学農学部水産学科卒。地方公務員を経て、1975年から1987年まで北海道小樽市長を務めた。 1943年に日本化成工業に入社。まもなく徴兵され、終戦によって復員。北海道小樽水産高等学校教諭を経て、1951年小樽市役所に入る。1967年より同市役所助役を8年務める。助役として、新日本海フェリー就航や小樽駅前再開発事業に尽力した。 その後、小樽市役所を退職し、1975年小樽市長選に立候補し初当選。以後連続3期。市街地再開発派の市長であったが、在任中の1983年には小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例を制定。
島本 虎三(しまもと とらぞう、1914年6月20日 - 1… 島本 虎三(しまもと とらぞう、1914年6月20日 - 1989年11月10日)は、日本の政治家。 日本社会党に所属し中選挙区時代の衆議院北海道第1区で5度当選を果たしたほか、仁木町長を2期務めた。 船頭の長男として北海道高島郡高島町(現小樽市)に生まれた。高島小学校の高等科を卒業後、地元の水産試験場に勤めながら札幌逓信講習所の受験勉強を行い1928年に合格した。 札幌逓信講習所を卒業し1929年から札幌郵便局電信課、1934年から小樽郵便局電信課に勤務、その後札幌逓信講習所の高等科に入所、1942年には逓信官吏練習所に合格したが陸軍に尉官待遇で徴用されてフィリピンのマニラに派遣され、そこで1年半余り過ごした後、ネグロス島に送られ終戦を迎え、1945年12月に復員した。
川村 清一(かわむら せいいち、1911年3月23日 - 2… 川村 清一(かわむら せいいち、1911年3月23日 - 2004年7月16日)は、日本の政治家。参議院議員(3期・日本社会党)、北海道議会議員。 北海道小樽市生まれ。函館師範学校(現在の北海道教育大学函館校)卒。1946年北海道教職員組合情報宣伝部長、1948年浦河町立浦河第一中学校校長を経て、1955年日本社会党から北海道議会議員に初当選。1963年日本社会党北海道本部委員長。1965年の同党公認で第7回参議院議員通常選挙にて初当選。以後連続3期。参議院農林水産委員会理事を長く務め、1979年に再び同党北海道本部委員長に就任。横路孝弘の知事選の裏方役に徹し、横路道政誕生に尽力した。1983年横路知事の誕生と共に引退。
井原 栄松(榮松、いはら さかえまつ、1901年(明治34年… 井原 栄松(榮松、いはら さかえまつ、1901年(明治34年) - 1990年(平成2年) 12月4日)は、日本の政治家・地方公務員。北海道小樽市出身。札幌商業学校卒業。北海道の町村長を歴任した。位階は正六位。
境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日… 境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日 - 1983年(昭和58年)9月17日)は、大正・昭和期の労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 北海道小樽区(現小樽市)で生まれる。1920年(大正9年)小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)を卒業。その後、早稲田大学政経科で学んだが中退した。割箸製造販売業を営む。その後、岸鉄工所庶務課長、小樽物産取締役、北海道配電小樽支店経営協議会委員などを務めた。 1926年(大正15年)日本労働組合評議会北海道地方評議会議長に就任。同年5月1日、北海道初のメーデー実行委員長を務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
椎熊 三郎(しいくま さぶろう、1895年4月11日 - 1… 椎熊 三郎(しいくま さぶろう、1895年4月11日 - 1965年7月27日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。 衆議院議員(9期)、衆議院副議長(第39代)、衆議院議院運営委員長(第10代)などを務めた。 北海道利尻郡鴛泊村(現・利尻富士町)に生まれ、単身で小樽市に渡る。苦学しながら1914年に小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)を卒業後、へき地教育に携わった後に1918年に『小樽新聞』社会部記者となる。社内の賃上げ争議に加わって退職処分に遭うが、小樽商業会議所会頭だった山本厚三に認められ、秘書として迎えられる。小樽に普通選挙期成同盟を設立して幹事長となり、普選運動に邁進する。