遠藤 桂一(えんどう けいいち、1958年〈昭和33年〉2月… 遠藤 桂一(えんどう けいいち、1958年〈昭和33年〉2月22日 - )は、日本の政治家。平取町長(1期)。 北海道富川高等学校を経て北海学園大学経済学部経済学科を卒業。 1980年4月、平取町役場に入庁。まちづくり課長などを歴任した。 2016年4月、副町長に就任。2020年3月末まで務めた。 2020年6月9日、川上満の任期満了に伴う平取町長選挙に出馬し、無投票で初当選。 2020年11月30日、同月18日に札幌市へ出張した際に利用した公用車の運転手が新型コロナウイルスに感染したことが判明。濃厚接触者としてPCR検査を受け、自身も新型コロナウイルスに感染していることが判明し、北海道で初めて自治体の首長の感染が確認された。
福居 良(ふくい りょう、1948年6月1日 - 2016年… 福居 良(ふくい りょう、1948年6月1日 - 2016年3月15日)は、日本のジャズピアノ奏者、アコーディオン奏者。 美しい旋律のオリジナル曲と、力強くスウィング感あふれるビバップ・スタイルの演奏で多くのファンを魅了してきた。1995年、札幌市にライブハウス「スローボート」を開店しそこを拠点に全国で活動。2012年にはジャズ・ピアニストとして初めて札幌文化奨励賞を受賞した。バリー・ハリスを師と仰ぎ長年にわたって交流を重ねた。 1948年、北海道沙流郡平取町に生まれる。18歳でアコーディオン、22歳でピアノを始める。 幼少期、民謡演奏家で全盲の多才な旅芸人であった父親の福居天童及び母親と共に旅一座としての経験を積んだ。
楠 孝志(くすのき たかし、1947年2月25日 - )は、… 楠 孝志(くすのき たかし、1947年2月25日 - )は、北海道沙流郡平取町出身の元騎手・調教助手。 1969年3月に騎手免許を取得し、同期の須貝四郎と共に阪神・橋田俊三厩舎からデビュー。須貝以外では田村正光・上野(伊藤)清章・内田国夫・中島敏文・西浦勝一と同期になり、須貝の兄である須貝彦三の弟弟子となる。 1年目の1969年は同1日の中京第1競走4歳未勝利・マツヤイチ(17頭中11着)で初騎乗を果たし、23日の阪神第7競走障害5歳以上オープン・ミスコマツで初勝利を挙げた。4月5日の阪神では平地初勝利と初の1日2勝、翌6日も勝って初の2日連続勝利を記録し、5月18日の阪急杯・サチタロー(12頭中12着)で重賞初騎乗も果たす。
伊福部 達(いふくべ とおる、1946年(昭和21年) - … 伊福部 達(いふくべ とおる、1946年(昭和21年) - )は日本の工学者。東京大学名誉教授。音響学と電子工学・医療工学の境界分野で活躍している。北海道沙流郡平取町出身。作曲家の伊福部昭は叔父にあたる。
貝澤 耕一(かいざわ こういち、1946年 - )は、NPO… 貝澤 耕一(かいざわ こういち、1946年 - )は、NPO法人 ナショナルトラスト チコロナイ理事長 1946年に生まれる。父親は、平取町議会議員も務めた貝澤正である。北海道日高支庁沙流郡平取町二風谷出身。 地元の小学校、中学校、高校に通い、酪農学園大学短期大学部に進学する。 父親より、二風谷にある農地を受け継ぎ、農業を営む。シケレペ農場を経営している。萱野茂や貝澤正と共に、二風谷ダム建設反対運動に取り組む。平取アイヌ文化保存会の事務局長に就任している。1992年3月2日の貝澤正の死去後、二風谷ダム建設差し止め訴訟の原告となる。1997年3月27日、二風谷ダムの撤去という主張をはねたものの、裁判費用は国と北海道収用委員会が負担する内容の、札幌地方裁判所の判決が実現する。
萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006… 萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006年5月6日)は、日本のアイヌ文化研究者、政治家。アイヌ文化、アイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。アイヌ初の国会議員(1994年から1998年まで参議院議員)。 息子の萱野志朗は、萱野茂二風谷アイヌ資料館館長、世界先住民族ネットワーク・AINU代表、FMピパウシ運営者、世界先住民族サミット2008の実行委員会最高責任者。 1926年、 北海道沙流郡平取町二風谷に生まれた。当時、アイヌ語を自在に操れる話者は少なくなっていたが、アイヌ語を母語とする祖母テカッテに育てられたため、2つの言語を母語として身につけた。青年期はアイヌであることから逃避するために出稼ぎに出て、炭焼きや測量士などで生計を立てる。
門別 薫(もんべつ かおる、1922年〈大正11年〉9月4日… 門別 薫(もんべつ かおる、1922年〈大正11年〉9月4日 - 2018年〈平成30年〉10月1日)は、昭和後期から平成時代にかけて活躍した日本の社会活動家。北海道出身、アイヌ民族。 小冊子『アイヌの叫び』の著者貝澤藤蔵と川村コヨの長男。日高管内の沙流郡平取町生まれ。北海道旭川東高等学校(旧制旭川中学)卒業。 1939年(昭和14年)から朝鮮の炭鉱会社で働いた。戦後は旭川営林局にはいり、測量審査などにあたる一方、人権擁護委員も務めた。1972年(昭和47年)10月、旭川市で起こった「風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件」を機に旭川アイヌ協議会の創設に尽力し、その初代会長となった。1975年(昭和50年)、北海道アイヌ文化伝承保存会副会長となった。
松前 ピリカ(まつまえ ピリカ、1913年 - 1976年)… 松前 ピリカ(まつまえ ピリカ、1913年 - 1976年)は、北海道平取町出身の民謡歌手。本名、平村花子。 ピリカ(pirka)はアイヌ語で「美しい」「良い」という意味。 平取小学校を卒業後、17歳で芸能の道を志し、旅芸人の一座に参加し、ピリカ花子と名乗った。20歳から松前ピリカを名乗った。家族については詳しい記録が限られるが、民謡歌手の初代浜田喜一に関する伝記的記述では、浜田が二代目玉子と結婚する際に「松前ピリカ夫妻」が仲人を務めたとされる。この記述からは配偶者の存在がうかがえる。美声で知られ、「松前ピリカ一座」を主宰し数十名の団員を引き連れ、各地を巡業し、一世を風靡した。また、津山洋子・高樹一郎らの後輩を養成した。
貝澤 正(かいざわ ただし、1912年 - 1992年2月3… 貝澤 正(かいざわ ただし、1912年 - 1992年2月3日)は、元平取町議会議員、元北海道ウタリ協会副理事長。北海道平取町出身。 1912年に生まれる。祖父はウエサナシ(Uesanash)、父は与治郎。父親はアイヌ人であったが、日本人に同化することを目指していた。母親は和人であったが、アイヌ文化を子どもたちに教えていた。平取尋常高等小学校高等科卒業。 1941年、開拓団員として満州に渡る。当地での中国人や朝鮮人に対する日本人の仕打ちに辟易する。差別言動を注意して銃を突きつけられることもあった。開拓団から離れ、満州の土地で農業を始めたが、体を悪くして帰国する。 平取町に戻り、零細農家から始める。
貝澤 藤蔵(かいざわ とうぞう、1888年〈明治21年〉- … 貝澤 藤蔵(かいざわ とうぞう、1888年〈明治21年〉- 1966年〈昭和41年〉)は、アイヌ民族の社会活動家。小冊子『アイヌの叫び』の著者。藤蔵の妻・コヨは旭川、近文アイヌの長・川村カ子トと才登の妹であり、砂沢クラの親友。門別薫は、藤蔵の子。 カリワウクの子として北海道日高の二風谷で生まれる。宣教師ジョン・バチェラーが団長となって設立された「アイヌ伝導団」の第1回総会(1921年)で二風谷委員として出席しているので、34歳までは二風谷で生活していたとみられる。二風谷時代は平取村役場に勤務。この時期にコヨと結婚し、1922年に長男が生まれた。 1926年(大正15年・昭和元年)頃に、熊坂シタッピレにならって木彫を試み、木彫り熊とクワ(アイヌ語で杖の意)を残す。
平村 ペンリウク(ひらむら ペンリウク、1833年 - 19… 平村 ペンリウク(ひらむら ペンリウク、1833年 - 1903年(明治36年)11月28日)は、明治期のアイヌ指導者の一人。平取コタンのコタンコロクル(首長)。 1833年(天保4年)、平取コタンにシュロクの長男として生まれ、松浦武四郎『左留日誌』のなかにも名前が記されている。幼年の頃から勇敢で知られ、成長してからは同胞の苦難を救うためにしばしば北蝦夷地(樺太)に渡った。 1876年(明治9年)、イギリス人宣教師のウォルター・デニングはペンリウクの家に来てアイヌ語を学んだという。1878年(明治11年)、ハインリヒ・フォン・シーボルト次いでイギリス人の旅行者イザベラ・バードを迎え、バードはその滞在の思い出を紀行文に残した。