田邊 優貴子(たなべ ゆきこ、1978年12月13日 - )… 田邊 優貴子(たなべ ゆきこ、1978年12月13日 - )は、日本の生態学者。博士(理学)。元早稲田大学・国立極地研究所助教。専門は、植物生理生態学、陸水学、生態系生態学。南極・北極など世界の極地で生きる植物と湖沼を対象に生態学的研究をしている。 青森県出身。小学生、中学生の頃は、空や星が好きだったので天文学をやりたいと思っていた。高校生になってから、宇宙よりも地球の自然のほうが好きなのではないかと思い始める。 京都工芸繊維大学での部活は陸上部で、走り幅跳び選手だった。小学生の頃にテレビで見て衝撃を受けたアラスカの映像を思い出し、どうしても自身の目で確かめたくて、大学4年の時に大学を1年間休学し、アルバイトで資金を貯め、真冬のアラスカに4カ月間滞在した。
奈良岡 聰智 (ならおか そうち、1975年10月 - )は… 奈良岡 聰智 (ならおか そうち、1975年10月 - )は、日本の歴史学者、京都大学大学院法学研究科教授。専門は日本近代政治外交史。 1975年、青森県青森市生まれ。1994年3月に青森県立青森高等学校を卒業。 京都大学法学部に進んで、1999年3月に卒業し、同大学大学院に進んだ。2004年3月、京都大学大学院法学研究科博士後期課程を修了し、学位論文『加藤高明と政党政治 二大政党制への道』を提出して法学博士号を取得。京都大学では伊藤之雄に教えを受け、学部時代の伊藤ゼミで『原敬日記』を輪読したことが加藤高明の研究を行うきっかけとなった。修士論文の審査は伊藤に加えて木村雅昭と中西寛が務め、博士論文の審査は伊藤に加えて大嶽秀夫と的場敏博が務めた。
佐鳥 新(さとり しん、1964年〈昭和39年〉10月6日 … 佐鳥 新(さとり しん、1964年〈昭和39年〉10月6日 - 2021年〈令和3年〉12月31日)は、日本の宇宙工学者、北海道科学大学工学部教授。青森県青森市出身。北海道衛星株式会社代表取締役。大学院時代に大川隆法の書籍を読んだことをきっかけに幸福の科学を信仰していることを公表した。 2021年12月31日に死去。 宇宙から農作物の作柄を計測するための農業衛星『北海道衛星』の研究開発を行う。2006年には実験衛星HIT-SATをM-Vロケットで打ち上げた。宇宙開発のスピンオフ技術としてハイパースペクトルカメラや鮮度センサーの研究も進めている。反物質推進の研究で博士号を取得。宇宙科学研究所(現JAXA)で、小惑星探査衛星「はやぶさ」のイオンエンジン開発に従事した。
櫛引 素夫(くしびき もとお、1962年 - )は、ジャーナ… 櫛引 素夫(くしびき もとお、1962年 - )は、ジャーナリスト出身の日本の地理学者、メディア論研究者、青森大学社会学部教授、専門地域調査士。 青森市生まれ。実家は、後に建設される新青森駅の近傍にあった。 東北大学大学院理学研究科修士課程を修了し、1987年に東奥日報に入社、以降、メディア情報部,八戸支社、政経部などを経て、2006年から政経部付編集委員となった。この間、弘前大学大学院地域社会研究科博士後期課程に学び、2006年に博士論文「地域振興策としての整備新幹線構想が持つ問題点と可能性:東北新幹線・盛岡以北を中心に」により博士(学術)を取得した。 八戸支社勤務時代の2000年から、取材を契機として整備新幹線問題について特に関心を寄せるようになり、学術的研究にも取り組むようになった。
中村 博之(なかむら ひろゆき、1960年 - )は、日本の… 中村 博之(なかむら ひろゆき、1960年 - )は、日本の会計学者。横浜国立大学大学院国際社会科学研究院教授、横浜国立大学学長補佐、日本原価計算研究学会副会長。元ポワティエ大学招聘教授。学位は、商学修士(一橋大学)。専攻は資本予算研究。 青森県青森市出身。1985年横浜国立大学経営学部管理科学科卒業。1987年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。商学修士。1989年一橋大学大学院商学研究科博士後期課程中退。指導教官は岡本清。 1989年富山大学経済学部助手。1990年同専任講師。1992年同助教授。1994年横浜国立大学経営学部助教授。2001年ポワティエ大学外国人招聘助教授。2004年横浜国立大学経営学部教授。
佐々木聡(ささき さとし、1957年11月23日- )は、日… 佐々木聡(ささき さとし、1957年11月23日- )は、日本の経営学者、明治大学教授。 青森市生まれ。1981年学習院大学経済学部卒、1988年明治大学大学院経営学研究科博士後期課程満期退学、95年「戦前・戦中期の日本における科学的管理発展の史的研究」で経営学博士。静岡県立大学経営情報学部助教授、明治大学経営学部助教授をへて、99年教授となる。
山谷 清志(やまや きよし、1954年4月25日 - )は、… 山谷 清志(やまや きよし、1954年4月25日 - )は、日本の政治学者。同志社大学政策学部教授。専門は行政学、政策評価論、行政責任論。今村都南雄に師事。
戸部 博(とべ ひろし、1948年 - ) は、日本の植物学… 戸部 博(とべ ひろし、1948年 - ) は、日本の植物学者。京都大学名誉教授。京都府立植物園園長。元日本植物学会会長。 青森県青森市生まれ。1970年東北大学理学部生物学科卒業。1973年東北大学大学院理学研究科博士課程中退。1977年東北大学理学博士。千葉大学助手、ミズーリ植物園での研究を経て、1986年京都大学教養部助教授。1993年京都大学総合人間学部教授。1999年京都大学大学院理学研究科教授。2012年京都大学名誉教授。2013年日本植物学会会長。2018年京都府立植物園園長。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
天坂 格郎(あまさか かくろう、1947年 - )は、日本の… 天坂 格郎(あまさか かくろう、1947年 - )は、日本の生産工学者。青山学院大学名誉教授。元オペレーションズマネジメント&ストラテジー学会会長。元日本生産管理学会副会長。 青森県青森市出身。八戸工業高等専門学校機械工学科卒業後、1968年トヨタ自動車工業入社。元町工場検査部品質調査課技術員、オーストラリア室技師補、元町工場検査部技術員室技師、元町工場機械部技術員室係長等を経て、1997年広島大学博士(工学)、1998年トヨタ自動車TQM推進部主査[部長]。2000年青山学院大学理工学部経営システム工学科教授。2002年日本科学技術連盟デミング賞審査委員会委員。2003年日本生産管理学会副会長。
後藤 正人 (ごとう まさと、1943年9月7日 - )は、… 後藤 正人 (ごとう まさと、1943年9月7日 - )は、日本の法制史学者。和歌山大学名誉教授。研究領域は日本法史学、憲法社会史、社会文学、社会科教育学。青森県青森市出身。 後藤は、現代日本の法学研究を行う視点を民主主義に置いている。その上で民主主義とは「自由・平等・友愛に関する運動・思想・制度の全体」であると考える。すなわち、自由・平等・友愛の概念がそれらに係わる運動・思想・制度の三つの次元を通して具体的に検証される必要があるとするのが法制史学者として彼の学問研究に対する基本的スタンスとなっている 。 具体的な研究領域の特徴については、先ず法制史関係として、近世法の土地法史や身分制史を中心に扱って来たが、中世及び近代との係わりも重視する中で先駆的な役割を果してきた。
白鳥 金丸(しらとり かねまる、1942年(昭和17年)2月… 白鳥 金丸(しらとり かねまる、1942年(昭和17年)2月3日 - )は、日本の体育学者、アマチュアボクシング選手。 青森県青森市出身。青森県立北斗高等学校卒業後、早稲田大学に進学。 接近戦を得意とする選手で、1962年から1964年にかけてライト級の全日本チャンピオン。1962年アジア競技大会(第4回、ジャカルタ)にボクシング種目 (Boxing at the 1962 Asian Games) で出場し、ライト級で銀メダルを獲得した。 早稲田大学在学時、1964年東京オリンピックに日本代表の一人として選ばれ男子ライト級で出場した。メダルへの期待が高かったとされるが、3回戦で敗れた。のちに早稲田大学の授業で「自分がメダルを取れなかった理由」として、外国人選手の態度の大きさに圧倒されたこと(乱痴気騒ぎに辟易して寝不足になったという)、日本のボクシングチームのキャプテンとして試合前日まで奔走したこと(バンタム級の桜井孝雄が行方不明になったとして大騒ぎになったが、桜井は渋谷のバーで一人で飲んでいたという。
小笠原 好彦(おがさわら よしひこ、1941年8月17日 -… 小笠原 好彦(おがさわら よしひこ、1941年8月17日 - )は、日本の考古学者・日本史学者。学位は、文学博士(東北大学・論文博士・2006年)(学位論文「日本古代寺院造営氏族の研究」)。滋賀大学名誉教授。 青森市生まれ。1966年東北大学大学院文学研究科修士課程修了。同年、奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部に勤務。飛鳥藤原宮跡発掘調査部を経て、1979年滋賀大学教育学部助教授、教授、2007年定年、名誉教授、2009-11年明治大学特任教授。 2006年「日本古代寺院造営氏族の研究」で東北大学より文学博士の学位を取得。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐藤 悦子(さとう えつこ、1934年2月 - 2010年5… 佐藤 悦子(さとう えつこ、1934年2月 - 2010年5月10日)は、日本の心理学者。 青森市生まれ。立教大学文学部心理学科卒、いったん職についたのち、1962年立教大学大学院修士課程修了。1969年コロンビア大学大学院修士課程修了。1969年ダートマス大学講師、1973年ベイラー医科大学講師、1977年テキサス大学講師、1981年立教大学助教授、1986年教授、社会福祉研究所副所長。1999年立教大を定年退任、名誉教授。2000-2002年立教女学院短期大学学長を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鳴海 正泰(なるみ まさやす、1931年9月3日 -2021… 鳴海 正泰(なるみ まさやす、1931年9月3日 -2021年2月14日 )は、日本の政治家、政治学者、関東学院大学名誉教授。 青森県青森市生まれ。1954年東北大学文学部西洋史学科卒業後、東京都政調査会の研究員となる。飛鳥田一雄が横浜市長の時代に市政ブレーンとして参加し、市長特使として中国へ往復、「ヨコハマのナルミンジャ」と異名をとる。1980年関東学院大学教授、1997年定年、名誉教授となる。テニスの歴史にも詳しく、横浜山手・テニス発祥記念館館長を務めた。2021年2月14日死去。
前島郁雄(まえじま いくお、1929年(昭和4年)1月11日… 前島郁雄(まえじま いくお、1929年(昭和4年)1月11日 - 2020年(令和2年)3月9日)は、日本の地理学者・気候学者。旧・東京都立大学名誉教授。社団法人東京地学協会名誉会員、公益社団法人日本地理学会名誉会員。 長野県小諸市で出生。青森県青森市出身。旧制弘前高等学校理科甲類を経て、1951年に旧制東京大学理学部地理学科を卒業、1956年に東京大学理学部大学院修了。その後1966年に"Natural Seasons and Weather Singularities in Japan" 「日本の自然季節と天候特異日」により理学博士の学位を取得。 1956年より早稲田大学教育学部助手となり、1958年より講師、1962年より助教授。
武田昌輔(たけだ まさすけ、1922年1月9日 - 2012… 武田昌輔(たけだ まさすけ、1922年1月9日 - 2012年6月25日)は、日本の法学者。 青森県青森市出身。1944年中央大学法学部卒。大蔵省に入り、大蔵省高等財務講習所(現在の税務大学校)第1期となり、主税局税制第一課を経て、1966年成蹊大学経済学部助教授、1967年教授、1988年学部長。1989年退任、名誉教授となる。税務会計研究学会会長、財団法人租税資料館理事長を務めた。専門は法人税法。
柴田 治三郎(しばた じさぶろう、1909年2月17日 - … 柴田 治三郎(しばた じさぶろう、1909年2月17日 - 1998年7月27日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、東北大学名誉教授。
赤木 健介(あかぎ けんすけ、1907年3月2日 - 198… 赤木 健介(あかぎ けんすけ、1907年3月2日 - 1989年11月7日)は、日本の詩人、歌人、編集者、歴史家。本名・赤羽 寿(あかばね ひさし)、別名・伊豆 公夫(いず きみお)。 青森市生まれ。九州帝国大学法文学部中退。姫路高等学校時代から『アララギ』に投稿、1928年の三・一五事件以来、左翼運動に挺身。1933年、検挙投獄。1935年、出獄ののち、渡辺順三らの『短歌評論』に参加。1932年、唯物論研究会に属し、日本共産党に入党するが、1938年、一斉検挙にあい、1944年に判決が下って下獄。この間、1940年に「在りし日の東洋詩人たち」で第4回透谷文学賞を受賞した。敗戦後、1945年10月に連合軍により解放される。
石館 守三(いしだて もりぞう、1901年1月24日 - 1… 石館 守三(いしだて もりぞう、1901年1月24日 - 1996年7月18日)は、日本の薬学者、薬理学者。日本の薬学界のパイオニア。ハンセン病治療薬「プロミン」を合成し、多くのハンセン病患者を救った。また、日本初のがん化学療法剤ナイトロミン(ナイトロジェンマスタードN-オキシド)を創製した。東京大学薬学部初代学部長、名誉教授、薬学博士、元日本薬剤師会会長。 放送作家・アニメーション監督の石ダテコー太郎は孫。 1901年、青森県青森市、喜久造・みきの三男として薬種商を営む裕福な商家に生まれた。1918年、青森県立青森中学校を卒業、1919年第二高等学校理科二類に進学。中学を卒業して浪人中の夏、療養所でハンセン病患者に初めて遭遇し、衝撃を受ける。
山田 幸五郎(やまだ こうごろう、1889年9月10日 - … 山田 幸五郎(やまだ こうごろう、1889年9月10日 - 1982年7月23日)は、日本光学界の先駆者、海軍軍人、理学博士。最終階級は海軍技術少将。主に幾何光学中心に、光学機械、光学兵器の開発に寄与した。 青森県青森市出身。旧制青森県第三中学校(現青森県立青森高等学校)・旧制第一高等学校・東京帝国大学卒業。大学院で長岡半太郎に師事して輻射学を研究、長岡の推薦で技術士官(造兵官)として海軍に入り、光学兵器の研究を推進させた。青木小三郎、丸山修治らを育て、日本の光学兵器の水準を世界水準にまで高めた。 敗戦後、公職追放処分を受け、一時期は進駐軍の通訳などをして不遇の時期を過ごしたこともあった。 ロチェスター大学の客員教授となって以降は公職に復帰し、企業の取締役や大学教授などを歴任した。
武原 熊吉(たけはら くまきち、1885年8月26日 - 1… 武原 熊吉(たけはら くまきち、1885年8月26日 - 1957年4月19日)は、日本の化学者。 青森県青森市出身。1908年東京帝国大学理科大学化学科卒。1909年東北帝国大学農学部教授、1920年東京高等師範学校教授、1949年東京教育大学教授、1950年定年退官、名誉教授。1943年日本化学会会長。