平山 幸司(ひらやま こうじ、1969年11月9日 - )は… 平山 幸司(ひらやま こうじ、1969年11月9日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)、生活の党参議院幹事長代理、党青森県連代表などを務めた。青森県五所川原市出身。
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平山 幸司(ひらやま こうじ、1969年11月9日 - )は… 平山 幸司(ひらやま こうじ、1969年11月9日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)、生活の党参議院幹事長代理、党青森県連代表などを務めた。青森県五所川原市出身。
福士 珠美(ふくし ますみ、1965年3月24日 - )は、… 福士 珠美(ふくし ますみ、1965年3月24日 - )は、日本の政治家、元アナウンサー。立憲民主党所属の参議院議員(1期)。1987年から2010年まで青森テレビでアナウンサーを務めた。 青森県北津軽郡金木町(現:五所川原市)生まれ。青森県立青森高等学校(33回生)、日本大学法学部新聞学科(牧田ゼミ)卒業。1987年に青森テレビへアナウンサーとして入社。生ワイド番組『おしゃべりハウス』の初代キャスターを務めたほか、放送部、ワイド番組部、編成部、報道部、業務部、営業部と転業転職に等しい異動を経験した。 2020年11月に同局を退社した後、2015年にあおもり藍に関する特別番組をプロデュースしたことがきっかけで株式会社BLUE LINK PEOJEECTを設立した。
佐々木 孝昌(ささき たかまさ、1954年5月27日 - )… 佐々木 孝昌(ささき たかまさ、1954年5月27日 - )は、日本の政治家。青森県五所川原市長(2期)。 青森県五所川原市出身。父親は青森県議会議員の佐々木啓二。青森県立五所川原高等学校、日本大学法学部卒業。 五所川原市でタクシー会社の津鉄観光株式会社を経営していた佐々木は2007年(平成19年)、地元の別のタクシー会社、相互タクシー株式会社に合併の話をもちかけ五所川原交通株式会社を設立。それと同時に同社の代表取締役社長に就任した。五所川原法人会会長を務める。 2018年(平成30年)4月13日、任期満了に伴う五所川原市長選挙に出馬する意向を表明した。同年6月25日に行われた市長選は、平山誠敏市長の長男でガス会社社長の平山敦士(自民党・公明党推薦)との一騎打ちとなった。
津島 恭一(つしま きょういち、1954年2月4日 - )は… 津島 恭一(つしま きょういち、1954年2月4日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、国土交通大臣政務官(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)などを歴任。 青森県北津軽郡金木町(現五所川原市)生まれ。青森県立青森東高等学校、武蔵大学経済学部卒業後、衆議院議員田沢吉郎の秘書を務める。1996年、第41回衆議院議員総選挙に青森4区(田沢の選出選挙区であった旧青森2区の一部)から自由民主党公認で出馬するが、新進党公認の木村太郎に敗れ落選した。2000年、第42回衆議院議員総選挙に自民党から比例東北ブロック単独で出馬するも再び落選。2003年、御法川英文の死去に伴い繰り上げ当選した。
佐原 若子(さわら わかこ、1953年〈昭和28年〉11月2… 佐原 若子(さわら わかこ、1953年〈昭和28年〉11月22日 - )は、日本の政治家、歯科医師。 衆議院議員(1期)、青森県保険医協会理事を歴任。 青森県五所川原市出身。青森県立五所川原高等学校から鶴見大学歯学部を卒業し、歯科医師となる。青森県保険医協会理事、歯科用レーザー認定医、小嶋歯科医院院長を務める。 2019年6月2日執行の青森県知事選挙に現職・三村申吾の対抗馬として、無所属(市民連合あおもり推薦)で立候補するが落選。 2024年10月27日執行の第50回衆議院議員総選挙に、比例東北ブロック単独の3位にてれいわ新選組公認で立候補。れいわ新選組は比例東北ブロックで1議席を獲得したが、名簿順位1位は小選挙区との重複立候補の候補2名で、共に供託金没収点(有効投票総数の10分の1)未満の得票に終わったため、佐原が初当選を果たす。
渋谷 修(しぶたに おさむ、1950年7月1日 - )は、日… 渋谷 修(しぶたに おさむ、1950年7月1日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。 青森県出身。青森県立五所川原高等学校卒業。東海大学工学部航空宇宙学科を中退後、中小企業分野協、官公需適格、小売連絡協などの役員を経て、1990年に日本社会党から衆院初当選。社会党時代にはニューウェーブの会に所属。1992年12月、衆議院定数是正をめぐる「9増10減」案採決に社会党から唯一賛成にまわり、1993年5月、社会党を除名される。6月には新政党「板橋民主党」を結成。7月の衆議院総選挙で再選を目指すも落選。社会民主連合を離党した菅直人と共に1994年1月、新党さきがけに合流。1996年9月、鳩山由紀夫らとともに旧民主党結成に参加。
平山 誠敏(ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 20… 平山 誠敏(ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 2018年8月14日)は、日本の政治家。青森県五所川原市長(3期)。元・青森県議会議員(2期)。 青森県五所川原市出身。青森県立弘前高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。 1999年(平成11年)4月30日、青森県議会議員となる。2003年(平成15年)、再選。 2006年(平成18年)5月27日、五所川原市長の成田守が健康上の理由により辞職。これに伴って7月9日に行われた市長選挙に自由民主党と公明党の推薦を受けて立候補。前市議の前田清勝、「羽柴誠三秀吉」や「羽柴秀吉」名義の政治活動で知られる三上誠三らを破り初当選した(平山:21,174票、前田:12,713票、三上:1,415票)。
成田 守(なりた まもる、1934年(昭和9年)8月21日 … 成田 守(なりた まもる、1934年(昭和9年)8月21日 - 2013年(平成25年)1月3日)は、平成時代の政治家。青森県五所川原市長。位階は従四位。 青森県北津軽郡松島村(現五所川原市)出身。1953年(昭和28年)青森県立五所川原農林高等学校を卒業。 1975年(昭和50年)五所川原市議会議員に当選し、1981年(昭和56年)同副議長に就任。五所川原市議会議員は3期務めた。1983年(昭和58年)より青森県議会議員を4期務め、1997年(平成9年)6月、五所川原市長に就任した。五所川原市長2期目途中の2005年(平成17年)3月28日に旧・五所川原市、金木町、市浦村が新設合併し、職務執行者を経て、新・五所川原市の初代市長に就任。
関 晴正(せき はれまさ、1923年11月26日 - 200… 関 晴正(せき はれまさ、1923年11月26日 - 2008年10月26日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(4期)。 青森県五所川原市出身。旧制青森中学校(現青森県立青森高等学校)を経て1945年青森師範学校を卒業。小学校教師となり、日教組中央委員。1951年青森市議に初当選。のちに青森県議を経て、1977年の参院選に青森県選挙区から出馬するが、3位で落選。 1979年の総選挙で青森県第1区から立候補して初当選。当選3回を数えたが、1986年の総選挙で落選。1990年の総選挙で復帰、1993年に引退。地盤を今村修に譲った。 2008年10月26日、脳梗塞後遺症のため青森市内の病院で死去。
佐々木 栄造(佐々木 榮造、ささき えいぞう、1920年(大… 佐々木 栄造(佐々木 榮造、ささき えいぞう、1920年(大正9年)12月16日 - 2019年(令和元年)12月26日)は、昭和から平成時代前期の政治家。青森県五所川原市長。号に遠城。位階は従四位。旭日中綬章。 青森県北津軽郡五所川原町(現五所川原市)出身。五所川原農学校を経て、日本大学法学部、同大学大学院法学研究科修士課程修了。1958年(昭和33年)日本青年団協議会長、1959年(昭和34年)青森県議会議員を経て、1962年(昭和37年)五所川原市長に当選。公職選挙法違反で1966年(昭和41年)に一度は失職しながらも直ぐに復帰、1979年(昭和54年)に病気で市長から退くものの2代後の森田稔夫がリコールによって解職されたことに伴い1989年(平成元年)6月に12年ぶり市長に返り咲き。
三和 精一(みわ せいいち、1902年(明治35年)8月10… 三和 精一(みわ せいいち、1902年(明治35年)8月10日 - 1964年(昭和39年)6月14日)は、昭和期の新聞編集者、実業家、政治家。衆議院議員。 青森県北津軽郡相内村(市浦村を経て現五所川原市)で、三和松三郎、ユキの三男(5人兄弟の末子)として生まれる。生家は「相清」と呼ばれた旧家で、幼少時は西津軽郡十三村で水戸口役人を務めていた祖父のもとで成長し薫陶を受けた。1914年(大正3年)3月、金木明治高等小学校を卒業し、朝鮮在住のリンゴ業者の伯父のもとに寄寓した。開成夜学校を経て、中央大学専門部法科で学んだが1923年(大正12年)9月に中退した。 1927年(昭和2年)4月、東京民友新聞社に入社。
津島 文治(つしま ぶんじ、1898年〈明治31年〉1月20… 津島 文治(つしま ぶんじ、1898年〈明治31年〉1月20日 - 1973年〈昭和48年〉5月6日)は、日本の実業家、政治家、地主、青森県多額納税者。 金木銀行頭取。衆議院議員(3期)。参議院議員(2期)。青森県知事(公選初・第2・3代)。陸奥銀行、津軽鉄道、津軽酒造各取締役。東北鳩協会顧問。農業。 小説家の太宰治(津島修治)は弟、俳優の津島康一は長男。元衆議院議員の津島雄二は義理の甥。 大地主で銀行家の津島源右衛門(旧姓松木)とタ子(たね)の三男として青森県北津軽郡金木村(現在の五所川原市)に生まれた。 金木第一尋常小学校から五所川原農学校(現青森県立五所川原農林高等学校)を卒業後上京し、早稲田大学政治経済学部に入学。
外崎 千代吉(とのさき / とのざき ちよきち、1897年7… 外崎 千代吉(とのさき / とのざき ちよきち、1897年7月20日 - 1974年5月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。五所川原市長。 青森県北津軽郡五所川原村出身。日本大学政治経済学部に入るが、中退する。北海道に渡り、函館の床屋で修業し、理髪店を開業する。五所川原町議、青森県議、脇元村村長を経て、1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)で青森2区(当時)から無所属(翼協非推薦)で立候補したが、3,000票余りで落選した。戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙でも無所属で立候補したが落選。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において青森2区から諸派の社会革新党で立候補して当選した。
鳴海 周次郎(なるみ しゅうじろう、旧姓・平山、1887年(… 鳴海 周次郎(なるみ しゅうじろう、旧姓・平山、1887年(明治20年)3月1日 - 1969年(昭和44年)7月25日)は、日本の政治家、実業家、青森県多額納税者。青森県西津軽郡会議員。貴族院議員。鳴海銀行頭取。陸奥銀行、松木屋呉服店、津軽酒造各取締役。青森貯蓄銀行、第五十九銀行、金木銀行各監査役。立誠銀行、金兵衛銀行各頭取・鳴海廉之助の養孫。 青森県北津軽郡栄村(現・五所川原市)出身。平山雄太郎の二男、或いは三男。平山為之助の弟。古川和三郎の養子となり1920年、祖父・鳴海廉之助の後を承け家督を相続した。農業を営み、会社重役を務めた。 また、西津軽郡会議員、車力村会議員、青森県山林会評議員、同県産馬畜産組合連合会評議員、西北産馬組合副組長などを歴任し、1925年9月29日、貴族院多額納税者議員に選出され、交友倶楽部に所属、1932年9月28日まで一期務めた。
佐々木 哲造(ささき てつぞう、1886年〈明治19年〉1月… 佐々木 哲造(ささき てつぞう、1886年〈明治19年〉1月24日 - 1948年〈昭和23年〉)は、日本の政治家、会社重役。青森県会議員。青森県北津軽郡五所川原町長(10代 - 14代、5期)。津軽商事常務。津軽商事、五榮各取締役。 青森県北津軽郡五所川原村の人・佐々木眞平の三男。五所川原の呉服商で、大地主・初代佐々木嘉太郎の孫。1920年、兄・嘉太郎方より分かれて一家を創立した。 1928年9月、五所川原町長に就任、1945年7月に退職した。 宗教は曹洞宗。青森県在籍で、住所は北津軽郡五所川原町(現五所川原市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
2代 佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、前名・嘉造、1879… 2代 佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、前名・嘉造、1879年〈明治12年〉5月27日 - 1961年〈昭和36年〉10月21日)は、日本の商人(呉服商)、青森県多額納税者、政治家(貴族院多額納税者議員)、実業家、銀行家。青森銀行頭取。津軽鉄道顧問。「布嘉」佐々木家3代目。 青森県北津軽郡五所川原村(五所川原町を経て現五所川原市)に生まれる。佐々木眞平の長男。初代・佐々木嘉太郎の孫。早逝した2代目の跡を継ぐ。呉服商を営む。1915年(大正4年)、五所川原町会議員に当選。 1918年(大正7年)には青森銀行頭取を兼ねて佐々木銀行を設立した。呉服屋稼業から金融業へと「布嘉」の看板を掛けかえた。ほか、陸奥鉄道社長、津軽鉄道取締役などを歴任した。
佐々木 亀吉(ささき かめきち、1875年〈明治8年〉1月1… 佐々木 亀吉(ささき かめきち、1875年〈明治8年〉1月13日 - 1950年〈昭和25年〉)は、日本の政治家、実業家。青森県北津軽郡五所川原町会議員。五所川原通運、木造合同運送各社長。佐々木銀行監査役。津軽鉄道社長、青森県議会議員佐々木啓二の祖父。 青森県北津軽郡五所川原町平井町の人。峰五郎の長男。初代佐々木嘉太郎の甥。分家する。 西北運送業界の先駆者。初代日通五所川原支店長。宗教は禅宗。趣味は謡曲。住所は青森県北津軽郡五所川原町(現五所川原市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
平山 為之助(ひらやま ためのすけ、1874年(明治7年)1… 平山 為之助(ひらやま ためのすけ、1874年(明治7年)1月29日 - 1960年(昭和35年)3月18日)は、日本の政治家・衆議院議員(立憲政友会)、豪農、篤農家、実業家。五所川原銀行頭取。津軽鉄道社長。松木屋呉服店社長。陸奥銀行、佐々木銀行、青森貯蓄銀行、松木屋呉服店、津軽酒造各取締役。鳴海銀行監査役。 青森県北津軽郡栄村(現・五所川原市)生れ。平山雄太郎の長男。東奥義塾及び慶應義塾に学んだ。農業を営んだ。村会議員、青森県会議員同参事会員、衆議院議員に挙げられた。陸奥鉄道社長、国有化後に津軽鉄道の初代社長。 青森県北津軽郡栄村(現・五所川原市大字湊)にある平山為之助の住居は、1769年(明和6年)建立の古民家で、「旧平山家住宅」として国の重要文化財に指定され保存されている。
平山 浪三郎(ひらやま なみさぶろう、1862年12月19日… 平山 浪三郎(ひらやま なみさぶろう、1862年12月19日〈文久2年10月28日〉 - 1922年〈大正11年〉8月16日)は、日本の政治家(貴族院議員)、実業家、資産家、篤農家、青森県多額納税者、青森県の大地主。族籍は青森県平民。 陸奥国津軽郡五所川原村(現・青森県五所川原市)出身。平山助六の長男。1903年、家督を相続。農業を営む。 1917年(大正6年)青森県多額納税者として補欠選挙で貴族院多額納税者議員に互選され、同年1月18日から1918年9月28日まで務めた。 五所川原銀行頭取、陸奥鉄道、五所川原銀行、青森県農工銀行各取締役などを務めた。 津軽地方の一大地主で、多額納税者である。住所は青森県北津軽郡五所川原町。
初代佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、旧姓・中村、1841年… 初代佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、旧姓・中村、1841年8月1日〈天保12年6月15日〉 - 1914年〈大正3年〉12月3日)は、日本の商人(呉服商)、実業家、政治家(貴族院多額納税者議員)、青森県の大地主、青森県多額納税者。五所川原銀行頭取。族籍は青森県平民。勲四等。 陸奥国津軽郡金木村(現青森県五所川原市)の農家に生まれた。中村半治郎の長男。12歳のときに五所川原の呉服商に丁稚奉公。佐々木喜太郎の養子となった。1867年に分家し、一家を創立した。分家した嘉太郎が木綿と雑貨を扱うことにした店の屋号は「又古」だった。 1889年以降、北津軽郡会議員、県税調査委員等を務めた。1895年、津軽鉄道の設立に参画した。
津島 惣助(つしま そうすけ、1835年5月12日〈天保6年… 津島 惣助(つしま そうすけ、1835年5月12日〈天保6年4月15日〉 - 1905年〈明治38年〉5月5日)は、日本の商人(呉服太物商兼雑貨商)、青森県多額納税者、青森県の大地主、政治家。旧姓・山中。前名・勇之助。族籍は青森県平民。 青森県北津軽郡嘉瀬村(現・五所川原市)出身。大百姓・山中久五郎の次男として生まれ、1859年に数え25歳で津島家の婿養子となった。1867年に二代目「惣助」が他界し、家督を相続して三代目「惣助」を襲名した。農業のかたわら商業を営む。灯油、反物販売及び金貸業を副業とする兼業農家となる。 1894年、北津軽郡会議員の大地主互選議員に当選、1895年、北津軽郡所得税調査委員選挙に当選。