大花竜 勝磨(おおかりゅう かづま、2001年10月9日 -… 大花竜 勝磨(おおかりゅう かづま、2001年10月9日 - )は、青森県十和田市出身で立浪部屋所属の現役大相撲力士。本名は山崎 勝磨(やまざき かづま)。身長177.5cm、体重158.7kg。最高位は西幕下2枚目(2026年3月場所)。 祖父と父が共に学生相撲経験者であった影響を受け、小学校1年時に相撲を始めた。青森県立三本木農業高等学校(現:青森県立三本木農業恵拓高等学校)では2年時に国体ベスト8、3年時に全日本体重別選手権ジュニア重量級3位などの実績を残した。 近畿大学へ進学し、3年時に全国学生個人体重別選手権大会の決勝で中村泰輝に勝利して優勝。4年時の全国学生相撲選手権大会では同学年の三田大生らと共に団体優勝を果たし、国体ではベスト16入りした。
佐々木 陶子(ささき とうこ、2001年1月18日 - )は… 佐々木 陶子(ささき とうこ、2001年1月18日 - )は、山形放送(YBC)のアナウンサー。 青森県十和田市出身。山形大学地域教育文化学部卒業。 大学時代に、第59回(令和3年度)ミス花笠として、テレビユー山形の大内希美と一緒に活躍した。 大学卒業後、2023年からNHK青森放送局 で契約キャスターとして活躍した。 その後、NHK青森放送局を退局し、2025年4月にYBC山形放送に入社。同期に、大坪奈津子がいる。 Category:山形放送のアナウンサーを参照 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
中道 佑哉(なかみち ゆうや、1998年9月4日 - )は、… 中道 佑哉(なかみち ゆうや、1998年9月4日 - )は、青森県十和田市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 小学校では軟式野球クラブの「十和田北園クラブ」に所属。十和田市立三本木中学校では同校の軟式野球部に所属し、3年生時に東北大会に進出する。 八戸学院野辺地西高等学校2年生の秋に、八戸学院大学硬式野球部の正村公弘監督から当時オーバースローだった投球フォームから腕を下げる様にアドバイスされ、それによりコントロールが良くなり球速も上がったことで、野球に対する情熱を取り戻し、大学でも野球を続けることを志す。 八戸学院大学に進学し、1年の春季リーグよりベンチ入りを果たす。
其田 健也(そのた けんや、1993年5月10日 - )は、… 其田 健也(そのた けんや、1993年5月10日 - )は、日本の陸上競技長距離走選手。青森山田高等学校、駒澤大学卒業。JR東日本所属。
久保 優斗(くぼ ゆうと、1992年8月7日 - )は、青森… 久保 優斗(くぼ ゆうと、1992年8月7日 - )は、青森県十和田市出身のサッカー選手。 2012年12月、「techfit(テックフィット)ブレないキャンペーン」当選者として、「1日formula」体験と題した槙野智章との合同トレーニングに参加した。 2015年1月22日、プルヴァ・スロヴェンスカ・ノゴメトナ・リーガのNKツェリェに3年契約で加入した。同年3月4日、第21節のNKクルカ戦に先発出場し、プルヴァ・リーガ初出場を果たした。同年6月5日、両者合意により、契約は解除された。 2016年3月、関東サッカーリーグ所属の東京ユナイテッドFC(旧名:LB-BRB TOKYO)に加入した。
りんごちゃん(1988年〈昭和63年〉6月26日 - )は、… りんごちゃん(1988年〈昭和63年〉6月26日 - )は、日本のものまねタレント、YouTuberである。所属事務所はイマーゴプロモーション(業務提携:エイジアプロモーション)。 青森県十和田市出身。他所で生まれ育った後、小学生の頃に十和田市に引っ越す。実家は中華料理店。地元の青森県立三本木農業高校を卒業後に18歳で上京、アルバイトやテレビドラマのエキストラをしながら芸能界を目指す。エキストラ時代には、『貧乏男子 ボンビーメン』(日本テレビ)などに出演していたことがある。 子供の頃は、近所の人達などから、おとなしく動物好きの優しい子というイメージを持たれていたという。3歳頃に子供用の着物を着て美空ひばりのまねをするなど、子供の頃から物真似をやっていた。
斗澤 やすあき (とざわ やすあき、1984年9月13日 -… 斗澤 やすあき (とざわ やすあき、1984年9月13日 - ) は、松竹芸能に所属しているお笑い芸人、俳優。 青森県十和田市出身。十和田市立切田中学校→青森県立三本木高等学校→玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科出身。 松竹芸能タレントスクール東京校25期生(同期に餅田コシヒカリなど)。羽瀬絵里奈とのお笑いコンビ「おはよーサンフランシスコ」、お笑いトリオ「いとしのサラーサ」として活動後、ピン芸人・俳優となる。
中屋敷 法仁(なかやしき のりひと、1984年4月4日 - … 中屋敷 法仁(なかやしき のりひと、1984年4月4日 - )は、日本の演出家、脚本家、俳優。劇団「柿喰う客」代表。ゴーチ・ブラザーズ所属。 青森県十和田市出身。桜美林大学文学部総合文化学科演劇コース卒業。 十和田市立切田中学校出身。 青森県立三本木高等学校時代から青森県の劇作家・畑澤聖悟に師事。高校3年時に「贋作マクベス」にて第49回全国高等学校演劇大会・最優秀創作脚本賞受賞。 その後、青山学院大学に入学。 青山学院大学2年時に「柿喰う客」を旗揚げし、全作品の脚本・演出を手がける。その後、桜美林大学で平田オリザのもとで学ぶ。 2013年に『無差別』で第57回岸田國士戯曲賞候補。2014年より日本劇団協議会・「日本の劇」戯曲賞の最終選考委員を務める。
水尻 自子(みずしり よりこ、1984年 - )は、日本の映… 水尻 自子(みずしり よりこ、1984年 - )は、日本の映像作家。青森県十和田市出身、東京都在住。「シリプロ」主宰。 1984年、青森県十和田市生まれ。女子美術大学短期大学部造形学科デザインコース、同大芸術学部デザイン学科を卒業。同大短期大学部専任助手を経て独立。 2009年に『レイナレイナ』(東京MX)で監督デビュー。 2012年、『布団』が第16回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門新人賞を受賞。 2013年には『かまくら』が第17回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門審査委員会推薦作品に選出され、第64回ベルリン国際映画祭短編コンペティション部門にノミネートされた[リンク切れ]。 2021年、短編アニメーション作品『不安な体』(英題:Anxious Body)が、第74回カンヌ国際映画祭監督週間のコンペティションに選出されワールドプレミアにて上映される。
起田 高志(おきた たかし、1981年5月23日 - )は、… 起田 高志(おきた たかし、1981年5月23日 - )は、日本の元プロレスラー、元アメリカンフットボール選手。 三沢高校時代は野球部所属。4番、一塁手として活躍。 北海道工業大学進学後、アメリカンフットボールに転向。キャプテンとして活躍。卒業後もオービックシーガルズで日本一を経験するなど活躍。 2007年、プロレスラーになる夢を捨てきれず安定した収入とアメフト日本一の栄光を捨て、25歳で健介officeに入門。同期は宮原健斗。 2008年2月11日、元東北ジュニアヘビー級王者でもある南野武戦でデビューした。 その後、全日本プロレス、プロレスリング・ノアのシリーズにも参加。 6月5日、プロレスリング・SEM(健介オフィス大会)で元GHC王者の丸藤と対戦。
高橋 弘希(たかはし ひろき、1979年12月8日 - )は… 高橋 弘希(たかはし ひろき、1979年12月8日 - )は、日本の小説家。青森県十和田市生まれ。 父は黒石市、母は十和田市出身で、親の仕事の関係で関東地方を転々として育つ。文教大学を卒業後、予備校講師として勤務しながらロックバンドで活動。 2014年に太平洋戦争を題材にした「指の骨」で新潮新人賞を受賞しデビュー。「指の骨」を含め3作が芥川賞候補となり、2018年に「送り火」で第159回芥川賞を受賞。青森県出身者の芥川賞受賞は三浦哲郎以来57年ぶり2人目で、同年12月に第1号となる十和田市市民栄誉賞を授与された。 「送り火」は東京から青森へ引っ越した中学生を主人公にいじめ問題を描いた小説で、父の出身地の黒石市が主な舞台となっており、大川原の火流しや津軽弁などのご当地ネタが数多く登場する。
中村 弘二(なかむら こうじ、1977年9月28日 - )は… 中村 弘二(なかむら こうじ、1977年9月28日 - )は、日本の音楽家。青森県十和田市出身。通称「ナカコー」。 1997年にSUPERCARのボーカル、ギターとしてデビュー。SUPERCAR活動中からソロプロジェクト「NYANTORA」を立ち上げる。その後、「iLL」、「MECABIOtH」等でも活動した。 現在は多数の名義でソロ活動を行う他に、フルカワミキ、田渕ひさ子、牛尾憲輔と共に結成したバンド「LAMA」、ナスノミツル、中村達也と共に結成したバンドダークロックユニット「MUGAMICHILL」、Merzbow、Duenn、Nyantoraによるエクスペリメンタルなノイズ・ユニット「3RENSA」としても活動。
いしわたり 淳治(いしわたり じゅんじ、本名:石渡 淳治(読… いしわたり 淳治(いしわたり じゅんじ、本名:石渡 淳治(読み同じ)、1977年8月21日 - )は、日本の作詞家、音楽プロデューサー。青森県十和田市出身。元SUPERCARのギタリスト。 現在は作詞マルチ音楽ユニット・THE BLACKBANDとしても活動中。既婚。 SUPERCARではシンプルなバンドサウンドからダンス、エレクトロまでアルバムをリリースする毎にそのスタイルを柔軟に変化させ、オリジナルアルバム7枚、シングル15枚を発表する。全曲の作詞とギターを担当。2005年のバンド解散後は音楽プロデューサーとしてチャットモンチーや9mm Parabellum Bullet、ねごと、NICO Touches the Wallsなど数多くのアーティストを手掛ける。
舞風 昌宏(まいかぜ まさひろ、1976年9月21日 - )… 舞風 昌宏(まいかぜ まさひろ、1976年9月21日 - )は、青森県十和田市出身で尾車部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 昌宏(さとう まさひろ)。身長179cm、体重135kg。得意手は突き、押し。最高位は西十両10枚目(2005年1月場所)。愛称は「舞ちゃん」 十和田市立北園小学校5年から相撲を始め、十和田市立三本木中学校でも相撲部に所属した。中学1年生の時に巡業の先発として訪ねて来た尾車親方(元大関・琴風)が相撲部の稽古を見に来たので、道場の関係者を通じて勧誘され、3年生の夏に尾車部屋を見学に行った。中学校を卒業する前に進路を考えた時、勉強は好きではなかったのと相撲が好きだったことと、尾車親方が馴染み深い十和田市の喫茶店で出会った事も1つのきっかけとなり入門を決意した。
武藤 覚(むとう あきら、1976年4月22日 - )は、青… 武藤 覚(むとう あきら、1976年4月22日 - )は、青森県十和田市出身のサッカー指導者。 筑波大学大学院に在学中、茨城県内の高校での指導を経て、2001年にU-15・16日本代表のテクニカルサポートスタッフに就任。2003年から2007年にかけて横浜F・マリノスのアシスタントコーチを務めた。 契約満了で横浜FMを退任後、2008年に日本代表のテクニカルスタッフに就任し、2010 FIFAワールドカップに帯同。2010年からはU-21・22・23日本代表のアシスタントコーチとして他国のスカウティングを担当し、ロンドンオリンピックでベスト4入りに貢献した。 2013年は杭州緑城足球倶楽部で1年間コーチ、2014年はジェフユナイテッド千葉のコーチを務めた。
熊谷 浩二(くまがい こうじ、1975年10月23日 - )… 熊谷 浩二(くまがい こうじ、1975年10月23日 - )は、青森県十和田市出身の元サッカー選手。サッカー指導者。青森県立三本木農業高等学校を卒業後、鹿島アントラーズ、ベガルタ仙台で活躍した。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。 2000年度の鹿島アントラーズ三冠達成時のレギュラーメンバーであり、サイドバックからセカンドストライカーまでこなすユーティリティプレイヤーとして活躍した。この年、出身地である十和田市より市民栄誉賞を授与されている。 三本木農高では全国高校サッカー選手権大会に3年間出場することができなかったが、ユース代表としては1995年のワールドユースで代表のキャプテンも務め、中田英寿らと共に世界を相手にベスト8という成績を残した。
上明戸 華恵 (かみあきと はなえ、1971年6月20日 … 上明戸 華恵 (かみあきと はなえ、1971年6月20日 - )は、フリーアナウンサー。 青森県十和田市出身。青森県立三本木高等学校、関東学院女子短期大学国文科を卒業。大学卒業後の1992年に青森放送へアナウンサーとして入社。同期に田村啓美と原口大平がいる。入社後はRABニュースレーダーのお天気コーナー、スーパーギャング深夜同盟、ナイトブリッジ・フォー・ユーなど、テレビ・ラジオの各種番組に出演。また、スーパーギャング深夜同盟に出演していた頃から「カバちゃん」の愛称を持ち、後述のフリー転向後もその愛称で親しまれている。ちなみに青森放送在籍中には皇太子らが臨席で開催された「全国青樹祭」で上明戸が総合開会アトラクションによる司会を務めた。
田端 秀規(たばた ひでのり、1970年8月15日 - )は… 田端 秀規(たばた ひでのり、1970年8月15日 - )は、青森県十和田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。 2008年-2011年までソニー仙台FCの監督を務めた。2012年はソニーの強化担当に就任。 2014年よりツエーゲン金沢の強化部入り。4月より部長に就任した。 2023年12月4日、横浜FCのゼネラルマネージャーに就任した。2025年12月、同年限りでの退任し、2026年よりスカウトに就任することを発表。
松橋 真三(まつはし しんぞう、1969年8月18日 - )… 松橋 真三(まつはし しんぞう、1969年8月18日 - )は、日本の映画プロデューサー。青森県十和田市出身。代表作に『バトル・ロワイアル』『るろうに剣心』『銀魂』『キングダム』『国宝』など。 1969年、青森県十和田市生まれ。青森県立三本木高等学校、早稲田大学法学部卒業。1994年に衛星放送WOWOWに入社。最初は営業部に配属になり、創立間もなかった同社の契約拡大に奔走した。 2000年公開の映画『バトル・ロワイアル』(深作欣二監督)に協力プロデューサーとして参画し、映画プロデューサーの道を歩み始める。WOWOWの代表番号に深作監督本人から出資依頼の電話が入り、取次ぎ先に困った受付担当者が松橋に相談したことで縁を持ったという。
小林ベイカー央子(こばやしベイカーようこ、1966年1月10… 小林ベイカー央子(こばやしベイカーようこ、1966年1月10日 - )は、フリーキャスター、十和田市現代美術館顧問。ニューロボティックス所属。元仙台放送アナウンサー。旧名は小林央子。 青森県十和田市出身。青森県立三本木高等学校、日本大学芸術学部放送学科を卒業。 1989年に仙台放送にアナウンサー兼報道記者として入社。仙台放送スーパータイムなどを担当した。 1995年に仙台放送を退職後、イギリスに留学。帰国後は1998年から2005年にかけてNHK BS1の国際報道番組「ワールドリポート」などでキャスターを務めた。 2008年4月からは、自らも設立に携わった地元の十和田市現代美術館の特任館長に就任。
向谷地 生良(むかいやち いくよし、1955年12月19日 … 向谷地 生良(むかいやち いくよし、1955年12月19日 - )は、日本のソーシャルワーカー。元浦河赤十字病院ソーシャルワーカー(1978年4月 - 2003年3月)。 青森県十和田市生まれ。青森県立三本木高等学校を卒業。1978年、北星学園大学文学部社会福祉学科(現社会福祉学部)を卒業。在学中は、親からの仕送りを断り、特別養護老人ホームに住み込みでアルバイトをし、北海道難病団体連絡協議会(なんびょうれん)で筋ジストロフィーなどの難病の当事者のボランティア活動(青い鳥)なども行なった。 北海道日高にある総合病院浦河赤十字病院医療社会事業部に精神科専属のソーシャルワーカーとして勤務。同病院では、患者に住所・連絡先を書いた名刺を配って歩き、24時間どこへでも駆けつけるスタイルの実践を展開し、退院後の患者たちと古い教会堂で共同生活も行った。
岩木 登(いわき のぼる、1953年10月7日 - )は、日… 岩木 登(いわき のぼる、1953年10月7日 - )は、日本の写真家。青森県十和田市出身。 青森県立三本木高等学校卒業、立教大学社会学部社会学科中退。 1982年よりフリーランス写真家となり現在にいたる。広告写真家として、リーバイス、ゴールドウィン、ブリヂストンスポーツ、ソニー・エリクソン、東芝等の企業広告の撮影を担当。その一方で、1984年から「幻色の都」というシリーズの作品を発表し、同年JPS(社団法人 日本写真家協会)展で入選。 2003年にNHK総合テレビジョン「小さな旅/20周年特別番組 東京/夜の光景」に出演。「幻色の都」の作品の紹介とインタビューを受けて、より広く知られるようになる。
昆 政明(こん まさあき、1950年(昭和25年) - )は… 昆 政明(こん まさあき、1950年(昭和25年) - )は、日本の民俗学者。 青森県十和田市出身。1973年(昭和48年)法政大学卒業。青森県立郷土館で学芸員として約40年間務めたのち、神奈川大学国際日本学部歴史民俗学科教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
奥 義光(おく よしみつ、1949年8月24日 - )は、日… 奥 義光(おく よしみつ、1949年8月24日 - )は、日本の実業家で、東京地下鉄株式会社代表取締役社長を務めた。公益財団法人メトロ文化財団代表理事会長。 青森県十和田市出身。1974年に早稲田大学院を修了し、帝都高速度交通営団に入団した。 2004年に常務に就任し、2007年から副社長となり、2011年に社長に就任した。前身の営団時代も含めて初の生え抜き社長となった。2017年に取締役相談役に就任した。 2021年秋に旭日重光章を受章した。 1974年3月 早稲田大学大学院理工学研究科(土木)修了 1974年4月 帝都高速度交通営団入団 2004年4月 東京地下鉄株式会社常務取締役 2007年6月 同社副社長 2011年6月 同社社長 2017年6月 同社社長退任、取締役相談役 2021年6月 同社相談役 2021年11月 旭日重光章(鉄道事業功労)受章 2022年 公益財団法人メトロ文化財団代表理事会長
川上 健一(かわかみ けんいち、1949年8月7日 - )は… 川上 健一(かわかみ けんいち、1949年8月7日 - )は、青森県上北郡三本木町(現・十和田市)出身の小説家。 青森県立十和田工業高校卒業。 1977年、『跳べ、ジョー!B・Bの魂が見てるぞ』で第28回小説現代新人賞を受賞、作家デビューする。 その後、なかなかヒット作がないまま、山梨県大泉村に移住。自給自足の暮らしをスタート。 2001年、青春自伝小説『翼はいつまでも』が『本の雑誌』ベストテン入りして再注目され、第17回坪田譲治文学賞を受賞。 2004年に『雨鱒の川』、2006年に『四月になれば彼女は』(映画タイトルは『アオグラ AOGRA』)、2013年に『渾身』が映画化された。
米田 一彦(まいた かずひこ、1948年 - )は、クマの研… 米田 一彦(まいた かずひこ、1948年 - )は、クマの研究者。 青森県十和田市生まれ。秋田大学教育学部卒業。秋田県庁生活環境部自然保護課に勤務、鳥獣保護行政を担当した。1986年、退職。1990年、中国地方西部のクマ保全を目指し、広島県佐伯郡吉和村(現廿日市市)に移り住んだ。1991年、日本で初めての奥山放獣をおこなった。1997年より、大韓民国や中華人民共和国でクマの保全事業に取り組んだ。2001年、特定非営利活動法人日本ツキノワグマ研究所を設立し理事長に就任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
河野 満(こうの みつる、1946年9月13日- )は、日本… 河野 満(こうの みつる、1946年9月13日- )は、日本の元卓球選手。1977年開催の第34回世界卓球選手権バーミンガム大会で優勝した、元世界チャンピオンでもある。青森県十和田市出身。 現在は青森大学卓球部監督。 コピー選手を育成するシステムが存在していた頃の中国卓球ナショナルチームに於いても「河野選手とワルドナー選手だけはコピー出来ない」と言われた。 ワルドナーは「自分が手本にしたプレイヤーは王会元選手と河野選手である」と明言している。 青森県十和田市の運動具店に生まれた。 青森商業高校時代、全日本卓球選手権大会ジュニアの部で優勝。 専修大学3年次の1967年に開催された第29回世界卓球選手権ストックホルム大会にて、世界選手権初出場。
岩崎 信(いわさき しん、1945年(昭和20年)1月26日… 岩崎 信(いわさき しん、1945年(昭和20年)1月26日 - )は日本の工学者、青森県十和田市生まれ、岩手県盛岡市育ち。東北大学大学院教育情報学研究部教授、同研究部長(2006~2007年度)、ISTU支援室長(2004~2005年度)などを歴任。博士(工学)。 R.M.ガニェ他著『インストラクショナルデザインの原理』北大路書房、2007年。(鈴木克明と共監訳) この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
阿吾寿朗(あご じゅうろう、1934年3月11日 - 199… 阿吾寿朗(あご じゅうろう、1934年3月11日 - 1990年 没)は、漫才師、元吉本新喜劇の役者で一時は座長も務めた。本名:高橋享。 青森県十和田市生まれ、法政大学在学中に映画のエキストラを経験、役者になる為、大学を中退し晩年の榎本健一の元に弟子入り、あごぼん十の名で喜劇の舞台に立つ。喜劇役者のかたわらはせさん治と漫才を組む。1968年に角座に出演の為に来阪。1970年11月、吉本新喜劇に入団。翌年に阿吾十朗の名で準座長に昇進。1972年に座長に就任。1974年に座長の座を若い座員に譲る。1980年2月より今喜多代と組み漫才に復帰。その後コンビを病気の為に解消、引退した。後に通っていたスナックのママに看取られつつ死去。
七戸 長生(しちのへ ちょうせい、1930年9月25日 - … 七戸 長生(しちのへ ちょうせい、1930年9月25日 - 2022年3月25日)は、日本の農学者・経済学者。学位は、農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。元市立名寄短期大学学長。七戸克彦九州大学教授の実父。 七戸は1930(昭和5)年9月25日に青森県上北郡三本木町(現十和田市)で生まれ、幼少期に父親が北海道庁勤務(獣医)となったため北海道訓子府町に移住した。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)卒業。北海道大学農学部農業経済学科卒。1958年(昭和33年)同大学院農学研究科博士課程修了。 1960年農林省北海道農業試験場技官。1962年農林省農業総合研究所研究員を経て、1965年北海道大学農学部専任講師。
大瀬 しのぶ(おおせ しのぶ、1930年7月24日 - 20… 大瀬 しのぶ(おおせ しのぶ、1930年7月24日 - 2004年9月15日)は、日本のお笑い芸人。ローカルタレント。本名:小笠原 敏夫(おがさわら としお)。 青森県上北郡法奥沢村(のち、十和田村→十和田町→十和田湖町、現・十和田市)出身。生家はかなりの資産家だったが、警察官をしていた父が病に倒れ、治療費や薬代に消えたため次第に減った。高等小学校卒業後、地元の消防団に入団。ある時村で火事が起き、消防自動車を無免許にもかかわらず運転したため、カーブを曲がり切れず、水田に転落させた。また、密造酒(どぶろく)を川に捨てたのを税務署員に見つかり、検挙され、裁判にかけられたが、無罪となったこともあった。
菅原 都々子(すがわら つづこ、1927年(昭和2年)8月6… 菅原 都々子(すがわら つづこ、1927年(昭和2年)8月6日(ただし戸籍上は同年8月15日) - )は、日本の女性歌手。哀愁漂う独特のヴィブラートによる歌唱法を持ち味に「エレジー(悲歌)の女王」と呼ばれ、「NHK紅白歌合戦」の記念すべき歌唱者第1号(最初に歌った歌手)として著名である。本名は永松 都々子(ながまつ つづこ)。旧姓は菅原。 青森県十和田市出身、神奈川県相模原市南区在住。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)卒業。 1937年(昭和12年)にデビュー。独特の哀愁を帯びた個性的なビブラート唱法が特徴で、『江の島悲歌』(えのしまエレジー)や『月がとっても青いから』が代表曲として知られる。現在の時点で第1回、第2回NHK紅白歌合戦の出演者で最後の存命者でもある。
鏡岩 善四郎(かがみいわ ぜんしろう、1902年5月4日 -… 鏡岩 善四郎(かがみいわ ぜんしろう、1902年5月4日 - 1950年8月6日)は、青森県上北郡四和村(現:青森県十和田市)出身で粂川部屋に所属した大相撲力士。本名は佐々木 善四郎(ささき ぜんしろう)。最高位は西大関。 1902年5月4日に青森県三戸郡猿辺村(現:三戸町)に生まれる。幼いころに父親と死別し、母親の再婚に伴い上北郡四和村に移り住む。 子供の時から草相撲に出場し、怪力として鳴らした。そんな善四郎少年を見つけた粂川から勧誘されて粂川部屋に入門、1922年1月場所で初土俵を踏んだ。入門が遅かったために昇進も遅く、1927年10月場所で新十両昇進、1928年3月場所で新入幕を果たしたが、入幕時で既に25歳と決して速くなかった。
小笠原 八十美(おがさわら やそみ、1888年〈明治21年〉… 小笠原 八十美(おがさわら やそみ、1888年〈明治21年〉6月2日 - 1956年〈昭和31年〉12月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。厚生政務次官、日本馬事会評議員、十和田観光社長、全国畜産販売農業協同組合連合会長、中央畜産会長などを歴任した。位階は正四位、勲等は勲二等。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
江渡 聡徳 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1… 江渡 聡徳 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(10期)。
大野 直志(おおの なおし)は、青森県十和田市出身の元自転車… 大野 直志(おおの なおし)は、青森県十和田市出身の元自転車競技選手で、現在は高等学校教員。 青森県立十和田工業高等学校時代に弓道部を経て、同校の「自転車愛好会」に加入したことがきっかけとなって自転車競技へと取り組むようになった。東北学院大学に進学後は、全日本大学対抗選手権自転車競技大会(インカレ)などで優勝を経験。その後日本鋪道に加入。同チーム在籍時代は、全日本アマチュア自転車競技選手権大会(全アマ)や国民体育大会などで優勝を経験した。 その後、1993年に青森県立八戸工業高等学校(八戸工高)の実習助手となったため日本鋪道を退団し、チームFETラバネロに転じた。1994年のツール・ド・北海道において、総合優勝と個人総合ポイント賞を併せて獲得。
錦富士 隆聖 は、青森県十和田市出身(出生地は静岡県伊豆の国… 錦富士 隆聖 は、青森県十和田市出身(出生地は静岡県伊豆の国市)で、伊勢ヶ濱部屋所属の現役大相撲力士。本名は小笠原 隆聖。身長184cm、体重154kg、血液型はB型。最高位は西前頭3枚目(2023年5月場所)。
加賀 ひとみ(かが ひとみ)は、日本の声楽家、メゾソプラノ歌… 加賀 ひとみ(かが ひとみ)は、日本の声楽家、メゾソプラノ歌手。青森県十和田市出身。二期会および日本声楽家協会会員。聖徳大学音楽学部兼任講師。共立女子大学非常勤講師。 青森県十和田市出身。八戸聖ウルスラ学院高等学校音楽科では、1987年(昭和62年)にNHK全国学生音楽コンクール声楽部門で第3位に入賞した。 同校卒業後はいったん就職するが、音楽の道を諦めきれずに東京藝術大学音楽学部に進学、同大学院修士課程オペラ専攻修了した。 オペラではズボン役からカルメンまで器用にこなす。歌手としては、童謡のアレンジを中心としたリサイタルを各地で開くなど幅広く活躍している。 2016年(平成28年)3月に「トム・ジョンソン《4音オペラ》」(2015年3月公演)にて、第15回佐治敬三賞(主催・サントリー芸術財団)を受賞。