工藤 泰成(くどう たいせい、2001年11月19日 - )… 工藤 泰成(くどう たいせい、2001年11月19日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。阪神タイガース所属。 秋田市立東小学校3年から野球を始め、能代市立能代第一中学校では投手と遊撃手でプレー。 中学校で野球を辞めるつもりであったが、野球好きな父の勧めもあり明桜高等学校でも野球部に入部。2年秋からベンチ入りし、3年春の東北大会では、準々決勝の対学校法人石川高等学校戦で7回1失点の投球、打っては逆転の2点適時打を放つ活躍で同校を14年ぶりの4強に導いた。夏の秋田県大会では秋田中央高等学校との決勝まで駒を進めるも、9回二死満塁で三振に倒れるなど好機を逸した末、延長戦で敗れ甲子園出場を逃した。
石塚 綜一郎(いしづか そういちろう、2001年6月7日 -… 石塚 綜一郎(いしづか そういちろう、2001年6月7日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 秋田市立岩見三内小学校3年生から軟式野球を始め、秋田市立岩見三内中学校では硬式野球クラブ「秋田南リトルシニア」に所属する。 岩手県北上市の岩手県立黒沢尻工業高等学校に進学。1年生の春から三塁手として出場し、2年生の秋にはチームの正捕手となる。甲子園には出場経験は無いが、3年生の夏の第101回全国高等学校野球選手権岩手大会において同校36年ぶりのベスト4に進出する。準決勝の対花巻東高等学校戦において、先発投手として登板し、3番打者として1打点を挙げるも5対11で敗退した。
成田 翔(なりた かける、1998年2月3日 - )は、秋田… 成田 翔(なりた かける、1998年2月3日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 保戸野小学校4年生から野球をスタート。秋田東中学校では軟式野球部に所属していた。中学時代の同学年のチームメイトに石井大智がおり、それまでエースだった石井から、3年生のときにエースの座を奪っている。 秋田商業高等学校進学後は、1年の夏は控え投手として第95回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の富山第一高校戦にリリーフで登板し、2回を無失点3奪三振と結果を残した。2年の秋からエースとしてチームを引っ張り、3年の夏の秋田県大会では準々決勝の西目高校戦で9回16奪三振、続く秋田工業戦では9回14奪三振、そして決勝の秋田南高校戦では9回9奪三振完封、県大会は39回を投げ55奪三振の好投で甲子園出場を決めた。
石井 大智(いしい だいち、1997年7月29日 - )は、… 石井 大智(いしい だいち、1997年7月29日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。 NPB史上唯一の高等専門学校卒業選手。 世界記録かつNPB記録となる50試合連続無失点記録、球団記録となる49イニング連続無失点記録保持者。 秋田市立旭川小学校3年で「旭川スポーツ少年団」に入団し野球を始める。秋田市立秋田東中学校時代は同校の軟式野球部に所属。2年時までエースだったが、3年時に同学年の成田翔がエースとなり、自身は内野手となる。 秋田工業高等専門学校に進学。元は中学で野球をやめる予定で、「工業系の仕事に進みたい」という理由で進学を選択した。専攻は環境都市工学だった。
橋本 到(はしもと いたる、1990年4月28日 - )は、… 橋本 到(はしもと いたる、1990年4月28日 - )は、秋田県秋田市生まれ、宮城県仙台市育ちの元プロ野球選手(外野手)。右投左打。現在は読売ジャイアンツで三軍オフェンスコーチを務める。 小学校2年から鶴が森少年野球クラブで野球を始め、仙台市立鶴が丘中学校時代は東北シニアに所属(部活動は陸上)。2年時に投手兼中堅手として全国大会出場。 仙台育英高校では1年春からベンチ入りし、秋から中堅手としてレギュラーを獲得。2年春・夏、3年夏と甲子園に3度出場。3年夏は6打席連続ヒットを放つなど、甲子園通算で24打数12安打の高打率を残す。打撃に加え、俊足、強肩の走攻守3拍子が揃った選手として「みちのくのイチロー」の異名で呼ばれた。
石山 泰稚(いしやま たいち、1988年9月1日 - )は、… 石山 泰稚(いしやま たいち、1988年9月1日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 旭北小4年生の時に野球を始めた。 金足農業高3年時の夏は秋田大会準々決勝で、後にプロでチームメイトとなる菊沢竜佑を擁する秋田高に0-2で敗退。甲子園出場経験はなし。 東北福祉大学に進学すると、仙台六大学野球連盟に加盟する野球部に入部する。1年秋から公式戦に登板する。2年時と3年時に全日本大学野球選手権大会、3年時に明治神宮野球大会に出場している。プロ志望届を提出したが指名漏れとなった。同期に阿部俊人がいる。 大学卒業後は、社会人野球のヤマハに入団。1年目から公式戦に出場。
菊沢 竜佑(きくさわ りゅうすけ、1988年5月16日 - … 菊沢 竜佑(きくさわ りゅうすけ、1988年5月16日 - )は、秋田県秋田市出身の出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校4年次に野球を始める。 秋田県立秋田高校時代は1年時からベンチ入りを果たすも、2年時に左大腿骨骨折の怪我を負う。3年時の夏の大会は主力投手として活躍、4試合に登板し準々決勝では後にスワローズでチームメイトとなる石山泰稚を擁する金足農業高校を破るも、準決勝で本荘高校に7回コールド負けを喫した。 高校卒業後は立教大学に進学。1年時からベンチ入りし、立教大学野球部が通算800勝を達成した試合での勝ち投手にもなった。3年時の夏に右肘の靱帯再建手術を受けたこともあり、4年間で通算14試合登板・勝ち星は1年生の時の1つだけに終わる。
佐藤 剛士 (さとう つよし、1986年5月16日 - )は… 佐藤 剛士 (さとう つよし、1986年5月16日 - )は、秋田県秋田市上新城出身の元プロ野球選手(投手)。 秋田商業高校では1年からベンチ入りし、3年春夏に甲子園出場。ダルビッシュ有、木村正太らと並び称され、東北ビッグ3とも呼ばれていた。なお、「肘や肩に負担をかけさせないように」という監督の方針から、高校時代まで試合で変化球はカーブしか投げなかったという。 2004年のドラフトで、最速150キロのストレートが評価され、1巡目で広島東洋カープに入団した。 2年目の2006年、一軍の先発が足りない事情から、当時、二軍の先発ローテーションだった佐藤に白羽の矢が立った。4月20日の横浜戦でプロ初登板初先発をするも、3回途中9失点で降板し敗戦投手となった。
石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )… 石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 NPBフランチャイズ投手として史上初となる1年目から24年連続勝利を挙げている(2002年 - 2025年)。また、大卒の投手として史上初となる1年目から24年連続安打を記録している(2002年 - 2025年)。 秋田市立下新城小学校、秋田市立秋田北中学校卒。秋田商では2年夏の県大会は2番手投手でベスト4。秋からはエースとなり、3年春は東北大会で初戦(7回コールド)から2戦連続で完封したが準決勝は先発せずに2番手登板も敗戦。3年夏の甲子園に出場した(石川とバッテリーを組んだ、主将で捕手の太田直は現在の秋田商硬式野球部監督である)。
藤田 太陽(ふじた たいよう、1979年11月1日 - )は… 藤田 太陽(ふじた たいよう、1979年11月1日 - )は、秋田県秋田市飯島出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 日本プロ野球(NPB)では、阪神タイガースに在籍していた2004年から2008年まで、名前のみの「太陽」を登録名に用いていた。2016年から、社会人野球チームのロキテクノベースボールクラブ(2020年からロキテクノ富山)に在籍。2020年シーズンまでコーチ兼任で現役生活を続けた後に、同年12月8日から2025年まで監督を務めた。 飯島小、飯島中卒。秋田県立新屋高等学校への進学後、外野手としてのプレーを経て、2年生の秋から本格的に投手へ転向。3年の夏の秋田大会では2回戦で敗退。
鎌田 祐哉(かまだ ゆうや、1978年11月30日 - )は… 鎌田 祐哉(かまだ ゆうや、1978年11月30日 - )は、秋田県秋田市下新城出身の元プロ野球選手(投手)。 秋田経法大附属高校3年時に、第78回全国選手権に出場。この時のエースは金沢博和(後にJTへ進む)で、鎌田は2番手だった。全国選手権では初戦で波佐見高校に敗れている。 卒業後は早稲田大学へ進学。2年の春にエース格となり、1999年の3年時、東京六大学野球春季リーグ戦では法大戦で1安打(走者)完封勝利するなど優勝に貢献しベストナインに選ばれる。大学選手権では初戦を完封し、決勝は先発したが秋田北中時代の1年後輩石川雅規(青学大)と投げ合い、4年の藤井秀悟が救援したが敗れた。また、1学年上の藤井秀悟とともに日米大学野球日本代表に選ばれた。
小野 仁(おの ひとし、1976年8月23日 - )は、秋田… 小野 仁(おの ひとし、1976年8月23日 - )は、秋田県秋田市八橋出身の元プロ野球選手(投手)。左投右打。アトランタオリンピック野球の銀メダリスト。 秋田経法大付属高校2年時に、春夏連続で甲子園に出場したが、いずれも初戦敗退。第65回選抜大会では鳥取西戦で16安打を許し、7四死球を出したものの、逆に15三振を奪い、注目を集めた。3年時では春夏連続で甲子園に出場できなかった。1994年の世界選手権で高校生としては史上初の代表入りを果たす。左腕から150km/h近いストレートを武器に強豪キューバ戦にて1点リードされている6回の場面から登板しキューバの主軸のアントニオ・パチェコとオマール・リナレスに対して立て続けに三球三振を奪う等、超高校級の逸材といわれ、ドラフトでは最大の目玉として8球団が競合すると言われた。
佐川 潔(さがわ きよし、1970年5月19日 - )は、秋… 佐川 潔(さがわ きよし、1970年5月19日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 金足農業高では2年秋の県大会ベスト4、3年春の県大会は準決勝で完封すると決勝は登板なく敗れたが東北大会は初戦に続いて準々決勝で先発完投したが惜敗。1988年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから3位指名を受け入団。 プロ1年目の1989年に、MLBのミネソタ・ツインズ傘下A級のバイセイリア・オークスに野球留学した。 1992年11月に、オリックス・ブルーウェーブにテスト入団にて移籍。1993年11月に、日本ハムファイターズに金銭トレード(テスト合格の後トレード成立)にて移籍。しかし、どの球団でも一軍登板のないまま、1995年10月に現役を引退した。
足利 豊(あしかが ゆたか、1968年10月15日 - )は… 足利 豊(あしかが ゆたか、1968年10月15日 - )は、秋田県秋田市河辺戸島出身の元プロ野球選手(投手)。 父も叔父も兄も野球経験者という環境に生まれ、幼少の頃から野球少年となった。ドカベンの山田太郎に憧れて捕手になりたかったが、戸島小学校3年生の時に入った野球部の監督によってアンダースローの投手となっている。4年生で早くも公式戦に登板し、5年生の時にはチームを県大会準優勝に導くなど、下手から浮き上がる直球を武器に頭角をあらわした。 県内の強豪校である金足農業高に進み、1年夏にチームは選手権大会に出場。他校のアンダースロー投手対策のため、打撃投手としてレギュラーに帯同している。2年生でエースとなったが、チームの打撃力が弱かった事もあり再び甲子園に進む事はなかった。
川邉 忠義(かわべ ただよし、1968年4月30日 - )は… 川邉 忠義(かわべ ただよし、1968年4月30日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 1994年までの登録名は川辺 忠義(読み同じ)。 NPBにおける、史上初の人的補償選手。 小学4年の時に野球を始める。 秋田工業高時代は、3年次の1986年に夏の選手権に出場。3回戦の佐伯鶴城高戦で完投したが0-2で敗れた。高校の同級生に元ラグビー日本代表の吉田義人がいる。 高校卒業後、東北福祉大学からの熱心な勧誘もあったが、1987年に社会人野球の川崎製鉄千葉へ入社。1989年に全日本メンバーに選出、日本対キューバ野球選手権、IBAFインターコンチネンタルカップ、アジア野球選手権大会に出場した。
水沢 薫(みずさわ かおる、1965年2月18日 - 201… 水沢 薫(みずさわ かおる、1965年2月18日 - 2014年1月10日)は、秋田県秋田市金足出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代は140km/h台の速球とシュートを中心とする投球スタイルだった。 秋田商では3年夏に秋田県大会決勝で秋田経大付属に敗れるなど、全国大会への出場はなかった。素質を評価され、高校卒業後は社会人野球の河合楽器に進んでいる。1986年は都市対抗野球1回戦で完投勝利すると続くNTT北陸戦も先発したが補強の杉山孝一に2本塁打を浴びて敗れた。日本選手権では1回戦の対日本生命戦で田島俊雄に投げ勝つなど、ベスト8進出に貢献した。同年のドラフト会議で読売ジャイアンツ、阪神タイガース、ロッテオリオンズの3球団から2位で指名を受け、巨人が交渉権を獲得。
小野 和幸(おの かずゆき、1962年8月19日 - )は、… 小野 和幸(おの かずゆき、1962年8月19日 - )は、秋田県秋田市金足出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 金足西小3年の時に野球を始め、北中から秋田県立金足農業高等学校に進み、1年秋からエースとなる。1979年秋季東北大会県予選決勝に進出、秋田商の高山郁夫と投げ合うが敗退、本大会には進めなかった。翌1980年の夏の甲子園県予選では、準決勝まで進むが能代高に敗れる。高校では同期の森田実(巨人)とバッテリーを組んだ。 複数球団が注目し、社会人野球への進路を決めていたなか同年ドラフト外で西武ライオンズへ入団。1年目に二軍で当時リーグ記録の15勝で最多勝、1983年にも受賞。1984年に最優秀防御率を獲得。
佐藤 秀明(さとう ひであき、1960年〈昭和35年〉5月2… 佐藤 秀明(さとう ひであき、1960年〈昭和35年〉5月23日 - 2007年〈平成19年〉3月17日)は、秋田県秋田市土崎港出身の元プロ野球選手(投手)。 秋田市立港北小学校、秋田市立土崎中学校卒。秋田市立高等学校(現:秋田県立秋田中央高等学校)から1979年に東洋大学へ進学。東都大学リーグでは、最上級生となった1982年春季リーグで、1年下のエース仁村徹とともに投手陣を支え優勝を果たす。続く全日本大学選手権決勝で、4年田中富生投手や木戸克彦捕手らの法政大学に僅差で敗れ準優勝。リーグ通算30試合に登板し5勝3敗。大学同期に後に阪神でもチームメイトとなる外野手の大野久、杉本泰彦捕手(のち東洋大監督)らがいた。
三浦 正行(みうら まさゆき、1951年9月18日 - )は… 三浦 正行(みうら まさゆき、1951年9月18日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(捕手)。
嵯峨 健四郎(さが けんしろう、1937年8月15日 - 2… 嵯峨 健四郎(さが けんしろう、1937年8月15日 - 2011年11月1日)は、秋田県秋田市上北手出身のプロ野球選手(投手)。 秋田商業高では、エースとして1954年秋季東北大会準決勝に進むが、盛岡商業高に敗退。翌1955年も夏の甲子園県予選を勝ち抜き、奥羽大会に進むが1回戦で盛岡工業高に敗れる。なお、高校時代の1年後輩には、後に大毎オリオンズや阪急ブレーブスなどで活躍する三平晴樹がいた。三平も高校卒業後、嵯峨と同じルートでプロ入りしている(但し、プロでチームメイトになる事は無かった)。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立に入団。1956年の都市対抗野球にエースとして出場、準々決勝に進むが大昭和製紙に敗れる。
滝田 政治(たきた まさはる、1926年10月26日 - 没… 滝田 政治(たきた まさはる、1926年10月26日 - 没年不明)は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。左打者。 秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)を卒業後、秋田鉱山専門学校(現:秋田大学)に入学。 卒業後はノンプロの中央工業に所属し、1948年、外野手として急映に入団。1949年からは大映に移籍、1950年には初めて規定打席(33位、打率.249)に達する。1952年6月22日にはサイクルヒットを達成し、同年は63試合に先発出場。翌1953年は一塁手に転向、開幕から三番打者として活躍しチームの3年ぶりの3位進出に貢献した。1954年は自己最高の打率.283(14位)を記録する。
渡辺 誠太郎(わたなべ せいたろう、1922年(大正11年)… 渡辺 誠太郎(わたなべ せいたろう、1922年(大正11年)2月8日 - 2013年(平成25年)6月22日)は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手。 秋田市立土崎商業学校(現:秋田市立秋田商業高等学校)卒業後、1941年に阪神軍に入団。その後、1944年(昭和19年)に応召。 1946年から大阪タイガースに復帰。同年は開幕投手を勤め、10勝を挙げる(12敗)。同年7月26日の対パシフィック戦(阪急西宮球場、1-0で勝利)では、13時15分の開始から14時10分の終了まで試合時間が僅か55分という、日本プロ野球史上最短試合時間記録を達成した。この試合ではパシフィック先発の湯浅芳彰と投げ合い、被安打5・88球で完封勝ちした。
赤根谷 飛雄太郎(あかねや ひゅうたろう、1916年1月5日… 赤根谷 飛雄太郎(あかねや ひゅうたろう、1916年1月5日 - 1969年8月22日)は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)、野球指導者(秋田市立秋田商業高等学校硬式野球部監督)。プロ野球史上、最も漢字名の長い(7文字)選手として知られる。 なお、「ヒユウタロウ」は誤読である。巨人の星の星飛雄馬風に「ヒュウタロウ」である。 秋田商業を経て、法政大学に進学すると、東京六大学野球で活躍を見せる。その後、社会人野球の秋田コンマーシャルクラブ・帝国石油でプレー。 1948年に32歳にして急映フライヤーズに入団。新人ながら加藤正二(35歳)に次ぐ高齢の選手だった。1年目は二軍の急映チックフライヤーズの監督を兼任しながらドロップを武器に一軍で12試合に登板し2勝を挙げるが、9月28日に行われた対金星戦(後楽園球場)で坪内道則に史上初の1000本安打を打たれてしまう。
梅崎 作太郎(うめさき さくたろう 1916年 - 1944… 梅崎 作太郎(うめさき さくたろう 1916年 - 1944年12月)は、日本の元アマチュア野球選手。秋田県出身。ポジションは投手。 1916年、秋田市に生まれた。秋田中学(現・秋田県立秋田高等学校)在学中は、甲子園に4回出場。夏のみ。4回(1931年~1934年まで4年連続)出場し、最後の出場となった1934年夏の大会ではベスト4に入る健闘を見せた(準決勝で、藤村富美男らを擁した優勝候補筆頭の呉港中学〈現・呉港高等学校〉と当たり0-9で大敗)。梅崎、赤根谷飛雄太郎(梅崎のライバルで、秋田商出身。後に急映・東急でプレー)、渡辺誠太郎(土崎商出身。後に阪神等でプレー)の三人を称して、「戦前秋田の三大投手」と呼ばれた。
伊藤 勝三(いとう かつぞう、1907年5月14日 - 19… 伊藤 勝三(いとう かつぞう、1907年5月14日 - 1982年2月10日)は、秋田県秋田市千秋矢留町(旧上中城町)出身のプロ野球選手(捕手、一塁手)、監督。 日本プロ野球における選手兼任監督第1号である。 秋田中学(現・秋田県立秋田高校)時代は、捕手として2度の全国中等学校優勝野球大会(第8回大会、第10回大会)に出場した。慶應義塾大学では控え捕手に甘んじたが、社会人野球の東京倶楽部では慶大時代のチームメイトである宮武三郎らと共に活躍し、1931年に開催された第5回全日本都市対抗野球大会で優勝した。 全日本職業野球連盟が発足した1936年、大東京軍に入団すると、永井武雄監督解任の後を受けて選手兼任監督に就任したが、2勝27敗3分、勝率.069という惨憺たる成績を受けシーズン途中で解任された。
三浦 由美子 は、日本の元女子プロ野球選手。秋田県秋田市出身… 三浦 由美子 は、日本の元女子プロ野球選手。秋田県秋田市出身。