原田 和広(はらだ まさひろ、1973年〈昭和48年〉4月5… 原田 和広(はらだ まさひろ、1973年〈昭和48年〉4月5日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、山形県議会議員(1期)を歴任。 山形県山形市出身。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、1998年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院政治学部修了。2000年、ケンブリッジ大学大学院国際関係学部修了。2002年、両親と共に、職業訓練などを行う株式会社セラフィムを山形市で起ち上げ、代表取締役となる。 鹿野道彦元農林水産大臣が立ち上げた「愛山塾」の塾生を経て、2014年の第47回衆議院議員総選挙山形1区に鹿野の後継として民主党から立候補したが、自由民主党現職の遠藤利明に大差で敗れた。当初原田は翌年の山形県議会議員選挙への立候補を目指していたが、急な解散で衆院選に立候補する形となり、原田の選対顧問に就任した鹿野も「この時期の解散は考えていなかった」と準備不足を認めた。
芳賀 道也(はが みちや、1958年〈昭和33年〉3月2日 … 芳賀 道也(はが みちや、1958年〈昭和33年〉3月2日 - )は、日本の政治家、アナウンサー。国民民主党所属の参議院議員(2期)、参議院行政監視委員長。 父は高校教師で歌人でもあった芳賀秀次郎。 山形県山形市生まれ。山形大学附属小学校、山形大学附属中学校、山形県立長井高等学校、日本大学文理学部社会学科卒業。大学在学中は文理学部落語研究会に所属。1980年、山形放送にアナウンサーとして入社。ズームイン!!朝!、ズームイン!!SUPERの山形担当キャスターを8年間担当。 2019年3月1日、山形市内で記者会見を開き、同年の第25回参議院議員通常選挙に山形県選挙区から無所属で立候補する意向を表明した。
齋藤 弘(さいとう ひろし、1957年(昭和32年)10月1… 齋藤 弘(さいとう ひろし、1957年(昭和32年)10月18日 - )は、日本の政治家。前山形県知事(1期)。国際教養大学国際教養学部グローバル・ビジネス課程客員教授。斎藤 弘とも。 日本銀行を経て、山形銀行の総合企画副部長や監査副部長などを歴任。その後、2005年1月の山形県知事選挙に地元選出の衆議院議員である加藤紘一の支援を受け出馬する。 1993年、現職の板垣清一郎の任期途中の辞職で行われた知事選挙で、加藤は近藤鉄雄や岸宏一が推す副知事の高橋和雄の出馬に対抗し、土田正剛を推したが敗れた。2005年の選挙で4選を目指す高橋は共産党を除く県議会全会派から支持を取り付け、県内市町村長の多くも支持し、地元財界、マスコミ、県職員労働組合などからも支持を受け、オール与党体制で当時は現職の高橋当選が確実視されていた。
鹿野 道彦(かの みちひこ、1942年〈昭和17年〉1月24… 鹿野 道彦(かの みちひこ、1942年〈昭和17年〉1月24日 - 2021年〈令和3年〉10月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)、衆議院運輸委員長、農林水産大臣(第14・51・52代)、総務庁長官(第12代)、運輸政務次官、新党みらい代表、国民の声代表、民政党幹事長、民主党国会対策委員長、常任幹事会議長、副代表、自由民主党青年局長、総務局長などを歴任した。父は衆議院議員を5期務めた鹿野彦吉。 民主党内では珍しい、自民党清和政策研究会出身。自民党時代は「清和会のプリンス」と呼ばれ47歳で初入閣するなど、将来の総裁候補として期待されていた。離党後も新党みらい・国民の声で代表を務め、新進党・民主党でも党首(代表)候補としてたびたび名前が挙がった。
舩山 龍二(ふなやま りゅうじ、1940年2月6日 - )は… 舩山 龍二(ふなやま りゅうじ、1940年2月6日 - )は、日本の実業家、JTB元代表取締役会長、元社長、立教大学観光学部元教授、日本ワーキング・ホリデー協会元会長、公益財団法人日本交通公社評議員。 1940年2月6日、山形県山形市生まれ。山形東高卒業。1962年3月、東京教育大学(現・筑波大学)理学部卒業。同年4月、日本交通公社(現JTB)入社。 国際旅行事業からその経歴をスタートさせ、海外旅行のルック販売部販売課長、国内旅行のエース課長などを歴任。経営企画室長、取締役九州営業本部長、常務人事部長などを経て1996年に代表取締役社長就任。2002年から代表取締役会長を務めた。 JTB会長と兼任して立教大学観光学部教授を務め、ツーリズム産業の発展のために後進の育成を行うとともに、日本旅行業協会(JATA)では副会長、海外旅行委員長などの要職を務め、初の大使が誕生したスロバキアには旅行会社5社とJALの協力を得て初のチャーター便を飛ばすなどの活動を行った。
寺内 弘子(てらうち ひろこ、1936年〈昭和11年〉4月9… 寺内 弘子(てらうち ひろこ、1936年〈昭和11年〉4月9日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。参議院議員(1期)を歴任。 山形県山形市出身。1953年山形市立第二中学校卒。生長の家に入り、国会議員秘書や生長の家政治連合本部婦人青少年問題対策部長などを務める。1983年の第13回参議院議員通常選挙で比例区から自民党公認で立候補したが落選。1986年に藤井裕久の衆院選出馬に伴い繰り上げ当選した。1988年竹下改造内閣で沖縄開発政務次官に就任。翌1989年の宇野内閣でも留任した。同年の第15回参議院議員通常選挙で落選。1993年の第40回衆議院議員総選挙で埼玉5区から無所属で出馬したが落選した。
佐藤 幸次郎(さとう こうじろう、1933年(昭和8年)8月… 佐藤 幸次郎(さとう こうじろう、1933年(昭和8年)8月16日 - )は、日本の政治家、ジャーナリスト。元山形市長(第15代)。元山形新聞社論説委員。 山形県山形市出身。早稲田大学第一文学部卒業後、山形新聞社に入社。金澤忠雄市政下で市政担当記者を務め仙台支社長時代、金澤との知遇を得て目をかけられた。論説委員を経て、金澤は助役として市に迎え入れる意向であったが、保守系会派の反対により、ワンクッションを置き水道事業管理者、収入役を歴任後、1991年(平成3年)、助役に選任される。 1994年(平成6年)11月には、7期28年の金澤路線の継承を旗印に、山形市長選に出馬。吉村和夫との一騎討ちを制し初当選する。
吉村 和夫(よしむら かずお、1931年〈昭和6年〉4月18… 吉村 和夫(よしむら かずお、1931年〈昭和6年〉4月18日 - 2003年〈平成15年〉8月20日)は、日本の政治家。元山形市長(第16代、1期)。 山形県山形市出身。山形県立山形南高等学校を経て、山形大学文理学部を卒業する。 鹿野彦吉衆議院議員秘書を16年あまり務め、1971年(昭和46年)の山形県議選で初当選。以後通算6期、山形市選挙区にあっては、常にトップでの当選を果たした。またその間には、県議会副議長を務めたほか、自民党県連政調会長、同副会長も歴任をした。しかし、秘書時代から世話をしてきた鹿野道彦が政治改革を巡って、自民党を離党をしたことに伴い自身も離党した。 山形市長選には、金澤忠雄を対抗馬にして1986年(昭和61年)、1990年(平成2年)と出馬するも落選。
多田 省吾(ただ しょうご、1931年〈昭和6年〉2月18日… 多田 省吾(ただ しょうご、1931年〈昭和6年〉2月18日 - 2010年〈平成22年〉9月4日)は、日本の政治家。山形県山形市出身。東北大学工学部化学工学科卒業。参議院議員(4期)。 1931年2月18日、山形県山形市に生まれる。 1953年、東北大学工学部化学工学科を卒業し、聖教新聞社に勤める。 1965年7月4日、第7回参議院議員通常選挙に、全国区から、公明党公認で立候補し、初当選(以降4回)する。 1970年代に、公明党副委員長に就任し、15年以上に渡り務める。公明党参議院議員団長の二宮文造の後任として、公明党参議院議員団長に就任する。日中国交正常化交渉の際、第2次、第3次訪中団に参加する。
髙橋 和雄(たかはし かずお、1930年〈昭和5年〉7月28… 髙橋 和雄(たかはし かずお、1930年〈昭和5年〉7月28日 - 2022年〈令和4年〉1月8日)は、山形県の政治家。山形県知事(在任期間・1993年〈平成5年〉2月14日 - 2005年〈平成17年〉2月14日)。山形県山形市出身。 旧制山形中学(現:山形県立山形東高等学校)、東北大学法学部を経て同大学院を修了。山形銀行頭取を務めた丹羽厚悦は、旧制山形中学で同学年で親しき仲だった。 1953年(昭和28年)に山形県庁に入庁。 東京事務所長、 農林水産部長、 教育長等を歴任後、1986年(昭和61年)副知事に就任し、1988年(昭和63年)秋、病に倒れた板垣清一郎知事が東京・虎の門病院に2ヶ月余り入院した際には板垣に代わり県政の指揮を執った。
降矢 敬義(ふるや けいぎ、1920年10月25日 - 没年… 降矢 敬義(ふるや けいぎ、1920年10月25日 - 没年不明)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官を経て、自由民主党参議院議員(2期)。 山形県山形市出身。山形県立山形中学校、旧制山形高等学校を経て、1942年に東京帝国大学法学部を卒業。高等文官試験に合格し内務省に入省(地方局配属)。しかし、翌年に応召され、1947年の復員までシベリアに抑留された。1950年に静岡県商工課長。 その後、自治庁行政課長、自治大臣官房参事官、自治省選挙局長、同税務局長、自治大学校長等を歴任。1970年に消防庁長官、1973年に自治事務次官を最後に退官。安孫子藤吉山形県知事が国政に転じるにあたって、その後継として一時、擬せられた。
金澤 忠雄(かなざわ ただお、1919年(大正8年)10月2… 金澤 忠雄(かなざわ ただお、1919年(大正8年)10月21日 - 2003年(平成15年)9月12日)は、日本の政治家。元山形市長(第14代)。東北芸術工科大学名誉学長。 山形県南沼原村(のち山形市)生まれ。柏倉門伝青年学校卒業。戦後農民運動に身を投じ、南沼原村に農業協同組合を設立するため奔走。初代組合長に就任した。また一時期、共産党に身を置いたこともあった。 1951年(昭和26年)、社会党に参加し山形県議会議員選挙に出馬。初当選を果たす。任期中には県本部書記長を務めた。4期目の半ばとなる1965年(昭和40年)の第7回参議院議員通常選挙に山形地方区から社会党公認で出馬したが、落選。翌1966年(昭和41年)の山形市長選挙に出馬し当選。
西村 力弥(にしむら りきや、1909年(明治42年)10月… 西村 力弥(にしむら りきや、1909年(明治42年)10月22日 - 1985年(昭和60年)5月6日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。衆議院議員。 山形市出身。1929年(昭和4年)山形県師範学校を卒業した。小学校訓導となり、農業、自由労働者、役場書記などを経て、再び小学校教員に就任。全教協最高闘争委員、全官公共闘委員会渉外部長、山形県教員組合執行委員長、山形県官公労働組合会議議長などを務めた。 1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙で山形県第1区から社会党左派公認で立候補して初当選し、以後、第29回総選挙まで連続して再選され、衆議院議員に連続5期在任した。この間、日本社会党出版部副部長、同軍事基地委員会事務局長、同軍事基地対策特別委員長、同社会主義理論委員会副委員長、同党両院議員総会副会長、原水爆禁止日本協議会顧問、日本平和委員会常任理事、山形県労農会議議長、山形日中貿易社長などを務めた。
安達 良助(あだち りょうすけ、1908年(明治41年)9月… 安達 良助(あだち りょうすけ、1908年(明治41年)9月20日 - 1967年(昭和42年)5月11日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員。 山形県山形市出身。東京帝国大学を中退した。 1933年(昭和8年)山形県履物組合連合会理事に就任。その他、山形県桐樹奨励会理事、同木履工業組合理事、同桐材統制組合理事、山形県桐材(株)監事、山形県下駄統制組合理事長、同桐紙工業組合理事長、日本木履製造組合連合会常任理事、山形市体育会理事、山形県体育協会理事などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から民主党公認で出馬して当選(補欠、任期3年)し、国民民主党に所属し参議院議員を1期務めた。
大久保 傳藏(おおくぼ でんぞう、1901年12月4日 - … 大久保 傳藏(おおくぼ でんぞう、1901年12月4日 - 1986年9月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。山形市長(第13代、3期)。山形市名誉市民。勲四等旭日小綬章、紺綬褒章を受章。位階は従五位。 山形県山形市出身。1928年中央大学法学部卒。東洋モスリンに入り、東洋紡績労務課長を経て、1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)では山形1区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けずに立候補したため落選した。その後、恩賜財団戦災援護会啓発課長となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙において山形県から日本進歩党公認で立候補して当選する。進歩党内では遊説部長となったが、翌年、公職追放となった。
鈴木 重屹(すずき しげたか、1897年〈明治30年〉5月5… 鈴木 重屹(すずき しげたか、1897年〈明治30年〉5月5日 - 1969年〈昭和44年〉)は、昭和時代の政治家。山形県山形市長(第12代)。 山形県南村山郡東沢村妙見寺(現山形市妙見寺)出身。鈴木鈴馬の長男。同地妙見院の住職を務める。1918年(大正7年)3月、桐生高等工業学校紡績科を卒業し、ヨーロッパやアメリカに渡り、1940年(昭和15年)帰国。帝国製麻会社札幌工場係長、本社研究課員、鹿沼工場長、技術部長を務めたのち、1945年(昭和20年)8月に退社し帰郷する。日本絨氈専務となったが、終戦によって連合軍が山形へ進駐し、県の渉外事務処理のため当時の山形県知事である村山道雄の懇請で県労政課長、県労働委員会事務局長から市長選へ出馬し、1946年(昭和21年)当選した。
三浦 新七(みうら しんしち、1877年〈明治10年〉6月1… 三浦 新七(みうら しんしち、1877年〈明治10年〉6月12日 - 1947年〈昭和22年〉8月14日)は、日本の経済学者、実業家、政治家。専門は経済史。1942年(昭和17年)帝国学士院会員。研究者、財界人、政治家として活躍した。 山形県山形市旅籠町三浦新兵衛の四男として生まれる。のちに、一族の宗家である四日町の豪商三浦権四郎の養嗣子となった。 旧制山形中学校(現:山形県立山形東高等学校)を経て、東京高等商業学校(現:一橋大学)卒。1903年(明治36年)からイギリス・ドイツに留学し、ライプツィヒ大学でランプレヒトに師事し、歴史学を研究する。 帰国後の1911年(明治44年)、母校である東京高等商業学校の教授となり経済史、文明史を教えた。
大石 五郎(おおいし ごろう、1874年(明治7年)4月15… 大石 五郎(おおいし ごろう、1874年(明治7年)4月15日 - 1945年(昭和20年)12月20日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。ジャーナリスト。 山形県山形市出身。山形県立山形中学校を経て、1896年(明治29年)に東京法学院(現在の中央大学)を卒業。1900年(明治33年)、『山形新聞』記者となった。1903年(明治36年)に主筆に進み、1906年(明治39年)からはアメリカ合衆国に留学した。1910年(明治43年)に帰国し、翌年から再び『山形新聞』主筆となった。また山形市会議員に選出された。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 1920年(大正9年)、山形新聞社を興し、『日刊山形』『日刊荘内』を発行した。
大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日(明治2年… 大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日(明治2年11月17日) - 1920年(大正9年)12月30日)は、日本の刑法学者、弁護士、政治家。元公安審査委員会委員長の大場茂行は息子。 明治から大正の日本の刑法学は、富井政章、穂積陳重らがよってたつ主観主義を前提とする新派・近代学派と、客観主義を前提とする旧派・古典学派が対立しており、当時、旧派を代表する学者であり、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの弟子でもある宮城浩蔵は、犯罪を社会的害悪であると同時に道徳的悪であるとしてフランス新古典派がよってたつ折衷主義の立場をとっていた。 1871年のドイツ刑法典を参考にし、ドイツの近代学派が主張した新しい刑事政策的思想を取り入れた現行刑法が1907年に成立すると、新派の牧野英一は、独自の法律進化論の立場から、刑法は旧派刑法理論から新派刑法理論に進化していくものであると主張し、現行刑法の成立こそ新派の勝利の証であるとして凱歌をあげた。
新関 善八(にいぜき ぜんぱち、1858年3月26日〈安政5… 新関 善八(にいぜき ぜんぱち、1858年3月26日〈安政5年2月12日〉 - 没年不明)は、明治時代の政治家。山形県山形市長(第5代)。 先代新関善八の長男としてのちの山形県山形市肴町に生まれ、高等商業学校(現一橋大学)に進学した。肴町出身の後輩に会計学者の鹿野清次郎がいた。山形県多額納税者に列し、山形商業会議所特別議員を務めた。ほか、山形市農会議員、山形県会議員、山形商業銀行監査役、山形市参事会員を歴任した。1906年(明治39年)12月、山形市長に就任。前市長の菱田義民に懲りた市会が土着のものからという基準で最適任者として市長の座に就いたが、誠実一点張りで市政の舵取りに不慣れなうえ、助役の木口市之助が事務の人でなかったため、助役二名説が議論された。
雄倉 茂次郎(おぐら しげじろう、1853年2月12日(嘉永… 雄倉 茂次郎(おぐら しげじろう、1853年2月12日(嘉永6年1月5日)- 1911年(明治44年)1月2日)は、明治期の政治家、教育者。衆議院議員、山形県山形市長(第2代)。 出羽国村山郡、現在の山形県山形市で山形藩士の家に生まれる。漢学、英学を修めた。 小学校教員、南村山郡学務委員、戸長などを歴任。山形市助役に就任。濱村勘太郎初代市長の辞職に伴い、1894年(明治27年)12月10日、第2代山形市長に就任し、1901年(明治34年)11月9日まで在任した。 1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙で山形県山形市選挙区より立憲政友会所属で立候補したが次点で落選。1903年(明治36年)3月の第8回総選挙では無所属で出馬して初当選。
善野 秀(ぜんの しゅう)は、幕末から明治時代にかけての武士… 善野 秀(ぜんの しゅう)は、幕末から明治時代にかけての武士、儒学者、政治家。本姓は高山、旧名は司(つかさ)、通称は勝右衛門、号は霞城。足利藩士、足利藩権大参事。 文政5年(1825年)、出羽国山形藩士・高山新兵衛の次男として山形で生まれる。秋元氏が館林藩に転封となったため館林に移り住んだ。 天保14年(1843年)に江戸に遊学し、長戸得斎や林大学頭に師事。安政2年(1855年)31歳のとき足利藩士・善野勝右衛門家の養子に迎えられ、勝右衛門を襲名。文久元年(1861年)、37歳で栃木町の栃木陣屋奉行となった。 元治元年(1864年)、栃木町は天狗党の乱において田中愿蔵の放火に遭い、大部分を焼失。