加藤 鮎子(かとう あゆこ、本名:角田鮎子、1979年〈昭和… 加藤 鮎子(かとう あゆこ、本名:角田鮎子、1979年〈昭和54年〉4月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)。同党国土交通部会長。 内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画、孤独・孤立対策)、女性活躍担当大臣、共生社会担当大臣、国土交通大臣政務官(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、環境大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第4次安倍第2次改造内閣)、自由民主党副幹事長、同党山形県支部連合会会長などを歴任。父は内閣官房長官や自由民主党幹事長を務めた加藤紘一。 山形県鶴岡市生まれ(現住所は鶴岡市大東町)。「鮎子」という名の由来は「故郷の魚であること」「故郷に帰ってくるように」との意味が込められている。
皆川 治(みなかわ おさむ、1974年(昭和49年)10月3… 皆川 治(みなかわ おさむ、1974年(昭和49年)10月3日 - )は、日本の政治家、農林水産官僚。元山形県鶴岡市長(2期)。 山形県鶴岡市生まれ。鶴岡市立大泉小学校、鶴岡市立鶴岡第一中学校、山形県立鶴岡南高等学校卒業。1997年(平成9年)3月、宇都宮大学農学部卒業。同年4月、農林水産省に入省。内閣官房IT担当室、在シカゴ日本国総領事館などに配属された経験を持つ。 農林水産副大臣秘書官であった2011年(平成23年)3月11日、義父の葬儀のために滞在していた宮城県石巻市で被災。この時の体験を本にまとめ、同年12月に出版した。 2014年(平成26年)、農林水産省を退職。同年5月から2017年(平成29年)3月まで東北公益文科大学の特任講師を務めた。
佐藤 聡(さとう さとし、1968年5月18日- )は、日本… 佐藤 聡(さとう さとし、1968年5月18日- )は、日本の政治家。山形県鶴岡市長(1期)。山形県議会議員(2期)、鶴岡市議会議員(3期)を務めた。 山形県鶴岡市出身。西郷小学校、西郷中学校、山形県立鶴岡南高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。 1991年、日本航空に入社、東京空港支店(羽田空港)旅客部旅客業務部、関西国際空港、北京支店、本社空港本部空港業務部で勤務。2005年4月、日本航空インターナショナルを退職し、同年5月、鶴岡にUターンし父が創業した山形総販(金属建具工事会社)に入社。 2005年10月の鶴岡市議会議員選挙で初当選し、2009年10月に再選、2013年10月に3選。
阿部 光利(あべ みつとし、1956年6月14日 - )は、… 阿部 光利(あべ みつとし、1956年6月14日 - )は、日本の政治家。台東区議会議員を務めた(2期)。また、松尾明弘衆議院議員(当時)の公設第一秘書を務めた。元フジテレビリポーター。地方政治ジャーナリスト。山形県鶴岡市出身。 国士舘大学政経学部経営学科卒業。 フジテレビ『TIME3』(1988年 - 1993年)専属リポーターとして、本格的なテレビ出演を開始。同番組のリポーターの公募に、当時約1600人の応募者の中から合格した[要出典]。その後、同局の『タイムアングル』、『おはよう!ナイスデイ』、『ナイスデイ』、『とくダネ!』、『2時のホント』などの情報番組でリポーターとして活動。『2時のホント』番組終了をきっかけに転職。
須藤 美也子(すとう みやこ、1935年1月28日 - 20… 須藤 美也子(すとう みやこ、1935年1月28日 - 2018年8月11日)は、日本の政治家。日本共産党参議院議員(1期)。同党山形県委員会委員長。 山形県鶴岡市出身。山形県立鶴岡南高等学校卒業後、電電公社職員となる。 1975年の第11回統一地方選挙で山形県議会議員となり、1980年第36回衆議院議員総選挙および1983年第37回衆議院議員総選挙で旧山形2区から立候補したが落選。1989年第15回参議院議員通常選挙からは参議院比例区へ鞍替えするも落選。1995年第17回参議院議員通常選挙では比例区で初当選し、1期務めた。この間、党では中央委員、農・漁民局長を歴任している。2000年から2004年まで党山形県委員会委員長。
富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月1… 富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月16日 - 2018年(平成30年)6月18日)は、日本の政治家。初代鶴岡市長、旧鶴岡市12代市長。2011年旭日中綬章受章。 鶴岡市出身。東北大学経済学部を卒業後、山形県庁に入庁。企画調整部長等を歴任。 1991年、旧鶴岡市の市長選で初当選。以後5期18年にわたって市長を務めた。市長在任中には、学術研究機関の整備による地域振興を政策理念の柱にとし、慶應義塾大学先端生命科学研究所の招致などに尽力した。「官僚的な人物だった」と一部では評価されている。 2011年、旭日中綬章受章。 2018年6月18日、肺炎のため鶴岡市内の病院で死去。87歳没。
上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は… 上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(2期)。 山形県鶴岡市生まれ。1945年2月に、海軍少年兵に志願して、防府海軍通信学校に入った。復員後、鶴岡市役所土木課に勤める。県立鶴岡高等学校(現・山形県立致道館高等学校)定時制在学中に社会党に入党した。1953年、高校を卒業した。同年、上京して『社会タイムス』の記者となった。『社会タイムス』が1954年に休刊すると同年社会主義協会に入局、『社会主義』編集などに携わる。明治大学法学部中退。1962年10月に社会主義協会を退職した。 1963年千葉県議に当選し4期務めた。三里塚闘争初期において小川国彦らとともに支援活動を行う。
佐藤 誼(さとう よしみ、1927年5月28日 - 2021… 佐藤 誼(さとう よしみ、1927年5月28日 - 2021年3月2日)は、日本の政治家、教諭。山形県高校教職員組合執行委員長を経て、衆議院議員を3期務めた。1998年勲三等旭日中綬章受章。 山形県鶴岡市出身。山形師範学校、東北大学を卒業。山形県立鶴岡工業高等学校教諭、県高校教職員組合執行委員長等を歴任。1971年・1974年・1977年の参院選落選を経て、1979年の第35回衆議院選挙で旧山形2区から、安宅常彦の引退を受け日本社会党公認で立候補。トップ当選した自由民主党の加藤紘一に400票弱に迫る僅差で、初当選。以後当選3回。 旧山形2区は、1967年の第31回衆議院選挙以降、定数4議席を自由民主党と野党(日本社会党、社会民主連合)とで2議席ずつ分け合ってきたが、1986年の公職選挙法の部分改正による8増7減で減員区となった。
太田 鉄太郎(鐵太郎、おおた てつたろう、1883年(明治1… 太田 鉄太郎(鐵太郎、おおた てつたろう、1883年(明治16年)4月5日 - 1958年(昭和33年)9月30日)は、日本の農業経営者、政治家。衆議院議員、北海道上川郡名寄町長。 山形県東田川郡東栄村(現:鶴岡市)で太田豊治の長男として生まれる。1900年5月、父と共に北海道天塩国上川郡上名寄村字名寄太に入植し開墾に従事。 学務委員、上名寄村会議員、名寄町会議員、北海道会議員、名寄町長、名寄町農業会長、北海道農業会理事、名寄信用購買販売生産組合理事、名寄信託商事取締役、北海道澱粉統制組合理事長、日本澱粉統制 (株) 監事などを務めた。 1946年4月の第22回衆議院議員総選挙で北海道第二区から出馬して当選。
太田 政弘(おおた まさひろ、1871年11月16日〈明治4… 太田 政弘(おおた まさひろ、1871年11月16日〈明治4年10月4日〉- 1951年〈昭和26年〉1月24日)は、日本の内務官僚、政治家。正三位。警視総監(第30代)、関東長官(第6代)、台湾総督(第14代)、貴族院議員。 山形県出身。鶴岡藩士・弁護士、太田政道の長男として生まれる。山形中学、第一高等学校を経て、1898年(明治31年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。内務属となり内務省警保局警務課勤務となる。1899年(明治32年)11月、文官高等試験に合格。1900年(明治33年)2月、三重県事務官に就任し、さらに同県内務部第1課長を務める。 1902年(明治35年)3月、宮崎県警察部長に就任。
伊藤 恭太郎(いとう きょうたろう、1870年 - 1929… 伊藤 恭太郎(いとう きょうたろう、1870年 - 1929年11月)は、日本の医師、政治家、開業医、西田川郡医師会2代会長、鶴岡市医師会初代会長、鶴岡市会議員。
犬塚 勝太郎(いぬづか かつたろう、1868年3月27日〈慶… 犬塚 勝太郎(いぬづか かつたろう、1868年3月27日〈慶応4年3月4日〉 - 1949年〈昭和24年〉7月2日)は、日本の内務・逓信官僚、政治家。府県知事、衆議院議員、貴族院議員、錦鶏間祗候。 庄内藩士・犬塚盛巍の長男として生まれる。大学予備門を経て、1889年7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を首席で卒業。内務省に入り同7月23日内務試補(年俸六百円下賜)として県治局に配属された。 1890年(明治23年)6月4日、内務大臣秘書官(西郷従道大臣)となる。以後、長崎県参事官、鉄道庁事務官、逓信省参事官兼鉄道局庶務課長、兼法制局参事官などを歴任。1896年6月から1898年1月まで、欧米の鉄道事業を視察するため出張。
斎藤 外市(さいとう といち、1865年(慶応元年) - 1… 斎藤 外市(さいとう といち、1865年(慶応元年) - 1926年(大正15年)1月31日)は、日本の発明家、実業家、政治家(鶴岡町町議会議員)、鶴岡ガス株式会社初代社長。 出羽国田川郡長沼村上新田(後の藤島町、現在の鶴岡市)出身。 主に軍用機器と織機(織物機械)の発明に取り組み、「発明は俺の命だ。俺のひとつの病気だ」と豪語し、数多くの発明を残した。現在でもその発明は高く評価されている。 トヨタグループの創業者の豊田佐吉と共に、織機の発明王と呼ばれ、絹の斎藤外市、綿の豊田佐吉と言われていた。1912年(明治45年)には、これまでの数々の発明の功績によりトヨタの創業者・豊田佐吉と共に藍綬褒章を受章している。
斎藤 三郎右衛門(さいとう さぶろうえもん、安政6年9月9日… 斎藤 三郎右衛門(さいとう さぶろうえもん、安政6年9月9日(1859年10月4日) - 大正2年(1913年)12月3日)は、日本の政治家、資産家、衆議院議員(2期)立憲国民党所属、山形県会議員、東田川郡会議員。名は鉄之助、福周、千里とも。 先祖代々「三郎右衛門」を名乗る田川郡渡前村の大地主素封家に生まれ幼名は鉄之助という。幼少より勉学に励み慶應義塾入学を目指し上京するが、母の死を期に郷里に戻る。以後、地元で子供たちの指導育成に努めた。 1887年(明治20年)には、山形県会議員選挙に27歳で出馬し初当選する。以来、議員を務める傍ら地元の教育振興に尽力して小学校の増改築、敷地購入などの為に莫大な私財を寄付し続ける。
斎藤 金吾(さいとう きんご、1859年4月27日(安政6年… 斎藤 金吾(さいとう きんご、1859年4月27日(安政6年3月25日) - 1941年(昭和16年)6月12日)は、明治から大正時代の政治家。大地主。衆議院議員(1期)。 豪農・斎藤安右衛門の長男として出羽鶴岡藩領田川郡、のちの山形県田川郡播磨村(西田川郡播磨村、栄村を経て現鶴岡市)に生まれる。同村加藤良磨に学んだのち鶴岡の中台元について漢籍を修めた。1881年(明治14年)戸長役場に入り、1889年(明治22年)町村制施行と共に栄村助役、1893年(明治26年)同村長に就任する。この間、1891年(明治24年)には西田川郡会議員に当選し、郡制廃止まで33年間在任。1895年(明治28年)からは山形県会議員となり3期務めた。
駒林 広運(こまばやし ひろゆき/こううん、1856年12月… 駒林 広運(こまばやし ひろゆき/こううん、1856年12月23日(安政3年11月26日) - 1935年(昭和10年)11月23日)は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家。衆議院議員(5期)。 庄内藩士駒林広明の長子として出羽国田川郡鶴岡大海町(西田川郡鶴岡町を経て現鶴岡市)に生まれ、1875年(明治8年)8月、戸主となる。和漢学を修めたのち1879年(明治12年)3月、三等准訓導となったのち山形県会書記に転じた。1883年(明治16年)には同県会議員に当選し、1886年(明治19年)条約改正に反対を掲げ上京する。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙まで通算5回当選した。
秋保 親兼(あきほ ちかかね、1856年(安政3年)5月13… 秋保 親兼(あきほ ちかかね、1856年(安政3年)5月13日 - 1915年(大正4年)5月29日)は出羽国田川郡鶴岡(現・山形県鶴岡市)出身の政治家、衆議院議員(2期)、済急社監査役、庄内煙草社長である。 1856年(安政3年)5月13日、庄内藩士・伴弥平の3男として生まれる。その後、庄内藩校致道館で学ぶ。 1872年(明治5年)、松ヶ岡開墾に参加。1880年(明治13年)、済急社(現・荘内銀行)の設立に関わる。 1889年(明治22年)、鶴岡町会議員就任。西田川郡会議員、山形県会議員に就任。1894年(明治27年)9月1日、第4回衆議院議員総選挙(旧山形3区・立憲革新党公認・2119票獲得)初当選。
加藤 正英(かとう しょうえい、1851年7月17日(嘉永4… 加藤 正英(かとう しょうえい、1851年7月17日(嘉永4年6月19日) - 1915年(大正4年)4月15日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。 工藤重助の二男として鶴岡に生まれ、幼くして田川郡松尾村(山形県東田川郡広瀬村、羽黒町を経て現鶴岡市羽黒町松尾)の加藤三七の養子となる。後田村の岡部宥盈につき和漢学を、父に算学や珠算を学ぶ。諸国を遊学したのち、1879年(明治12年)後田村外8箇村戸長を経て、1889年(明治22年)山形県会議員に当選する。県議会では議長を歴任した。この間、村会議員、東田川郡会議員を歴任した。1893年(明治26年)から1897年(明治30年)まで広瀬村長を務め、私立庄内中学校商議員会会頭を務め、乾田馬耕の普及に尽くした。