石原 洋三郎(いしはら ようざぶろう、1973年3月22日 … 石原 洋三郎(いしはら ようざぶろう、1973年3月22日 - )は、日本の政治家。学位は学士(経済学)(慶應義塾大学)。 衆議院議員(1期)、衆議院東日本大震災復興特別委員会理事、福島市議会議員(5期)。などを歴任。 衆議院議員を務めた石原健太郎の三男として、1973年3月誕生。幼少期は酪農業を営む父とともに農場で生活を送る。福島県立福島高等学校在学中には応援団に所属、生徒会役員などを務めた。慶應義塾大学経済学部在学中は学生寮ですごす。 卒業後、株式会社明電舎勤務を経て2005年11月の福島市議会議員補欠選挙に民主党公認で立候補。46357票を獲得し初当選。1年半後の福島市議会議員通常選挙においては、8134票を獲得しトップ当選。
石原 信市郎(いしはら しんいちろう、1967年1月19日 … 石原 信市郎(いしはら しんいちろう、1967年1月19日 - )は日本の政治家。
西山 尚利(にしやま なおとし、1965年〈昭和40年〉2月… 西山 尚利(にしやま なおとし、1965年〈昭和40年〉2月26日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。元福島県議会議員(5期)、元福島市議会議員(1期)。 1965年、福島市生まれ。福島市立土湯小学校、福島市立西信中学校、福島県立福島東高等学校を経て、法政大学経済学部卒業。卒業後は木下工務店に勤務し、1996年に福島県に戻り、衆議院議員荒井広幸の秘書を務める。 1999年、福島市議会議員に初当選。1期務める。2003年、福島県議会議員に初当選。5期務める。福島県議会議長、農水委員長、自民党福島県連副会長、幹事長、青年局長を務めた。 2026年2月の第51回衆議院議員総選挙において福島1区から自民党公認で立候補し、中道改革連合の金子恵美と亀岡偉民の長男亀岡偉一(無所属)を破り初当選を果たした(金子は比例復活)。
小松 良行(こまつ よしゆき、1962年4月6日 - )は日… 小松 良行(こまつ よしゆき、1962年4月6日 - )は日本の政治家、福島県福島市市議会議員、社会福祉法人松葉福祉会理事長などを務めている。 福島県福島市瀬上町出身。1962年4月6日父幸男、母真佐子の長男として生まれる。祖母小松ヒデは小松ベビーホーム創設者。福島市立北信中学校3年時は特設陸上部に所属し、市中体連陸上三種競技で優勝。福島県立福島北高等学校では陸上部に在籍し、3年時に福島県高校陸上競技大会砲丸投げで優勝。福島市民体育祭陸上競技砲丸投げ成人男性35歳以上の部の大会記録(平成9年 12.97m)保持者である。 1981年に株式会社サッポロビール恵比寿工場に入社し、事業員労働組合中央執行委員長を務め、1988年にサッポロビール製缶株式会社では製造部係長兼労働組合委員長を務めた。
山口 和之(やまぐち かずゆき、1956年4月7日 - )は… 山口 和之(やまぐち かずゆき、1956年4月7日 - )は、日本の政治家、理学療法士。元衆議院議員 (1期)、元参議院議員 (2期)、日本維新の会福島県総支部幹事長。福島県理学療法士会会長、医療創生大学客員教授。日本理学療法士協会東北ブロック会長、同協会理事などを歴任。 福島県福島市生まれ。福島市立三河台小学校、福島市立岳陽中学校、福島県立福島商業高等学校、東京国際大学、東京衛生学園専門学校リハビリテーション学科卒業。理学療法士の国家資格を取得し、総合南東北病院リハビリテーションセンター科長や郡山女子大学非常勤講師を務めた。 2009年、第45回衆議院議員総選挙に民主党から比例東北ブロック単独25位で立候補。
熊坂 義裕(くまさか よしひろ、1952年〈昭和27年〉1月… 熊坂 義裕(くまさか よしひろ、1952年〈昭和27年〉1月10日 - )は、日本の内科医師、医学博士、元政治家。元岩手県宮古市長(旧市時代も含め、3期)。盛岡大学客員教授(元栄養科学部学部長、栄養科学科教授)、京都大学医学部非常勤講師。弘前大学医学部学部長講師。日本糖尿病学会専門医。 福島県福島市生まれ。福島市立野田小学校、福島市立野田中学校、福島県立福島高等学校を経て、東北大学工学部中退、弘前大学医学部卒業。 市長を経験した医師として、社会保障や災害復興、地方行政等について活発な提言を行っている。 1978年(昭和53年)に弘前大学医学部を卒業後、同大学医学部第三内科に入局し、同大学付属病院内科医師、同大学医学部助手となった。
瀬戸 孝則(せと たかのり、1947年(昭和22年)6月3日… 瀬戸 孝則(せと たかのり、1947年(昭和22年)6月3日 - )は、日本の政治家。元福島県福島市長(3期)、元福島県議会議員(4期)。 福島県福島市出身。福島県立福島高等学校を経て、1970年(昭和45年)3月、早稲田大学法学部卒業。1987年(昭和62年)4月に福島県議会議員に初当選。以後、2001年10月11日に辞職するまで4期務める。この間、1997年(平成9年)には自民党県連の総務会長に就任している。 2001年(平成13年)11月18日執行の福島市長選挙に無所属 ( 自由党 (日本 1998-2003)、日本共産党、社会民主党推薦 ) で出馬し、佐久間博(無所属で自由民主党と民主党が推薦)を敗り初当選。
岡崎 トミ子(おかざき とみこ、1944年〈昭和19年〉2月… 岡崎 トミ子(おかざき とみこ、1944年〈昭和19年〉2月16日 - 2017年〈平成29年〉3月19日)は、日本の政治家、アナウンサー。 衆議院議員(2期)、参議院議員(3期)、文部政務次官(村山内閣)、参議院総務委員長、参議院災害対策特別委員長、国家公安委員会委員長(第82代)、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画)、民主党副代表を歴任。 福島県福島市出身。最終学歴は、福島県立福島女子高等学校(現:福島県立橘高等学校)卒業。 福島女子高では体操部に所属し、国民体育大会に出場した。福島女子高を1962年(昭和37年)に卒業すると同時にラジオ福島に入社し、アナウンサーを務めた。
吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4… 吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4日 - 2013年(平成25年)7月2日)は、日本の政治家。福島市長(4期) 。位階は正五位。 福島県福島市出身。早稲田大学商学部卒業後、福島市商工会議所に入り、書記を務める。その後、1956年(昭和31年)福島市役所に入る。市役所内では商工課勤務を経て、企画商工部、財政部、総務部の各部長を歴任し、1976年(昭和51年)に退職。1985年(昭和60年)の福島市長選挙に立候補して当選、4期務めた。2001年に引退。2013年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
岡野 裕(おかの ゆたか、1927年〈昭和2年〉2月3日 -… 岡野 裕(おかの ゆたか、1927年〈昭和2年〉2月3日 - 2004年〈平成16年〉8月23日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、労働大臣(第63代)。 福島県福島市出身。静岡県立沼津中学校 (旧制)、山形高等学校 (旧制)を経て1953年京都大学法学部卒業後、郵政省入省。九州郵政局長、人事局長などを歴任。退官後の1983年参院選に比例区から自民党公認で出馬し初当選。連続当選3回。1996年11月から翌年の9月まで第2次橋本内閣の労働大臣を務めた。2000年春の叙勲で勲一等瑞宝章受章。2001年政界引退。 2004年8月23日午後11時40分、心不全のため東京都内の病院で死去。
八百板 正(やおいた ただし、1905年4月12日 - 20… 八百板 正(やおいた ただし、1905年4月12日 - 2004年4月23日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(11期)、参議院議員(2期)。日本社会党副委員長を歴任。 福島県伊達郡飯野村(飯野町を経て現福島市)に生まれる。福島中学校(現福島県立福島高等学校)を経て、早稲田大学専門部法科卒業。旧制中学の恩師だった阪本勝(後の衆議院議員、兵庫県知事)を頼り、安部磯雄らの日本フェビアン協会に参加。河上丈太郎、賀川豊彦、櫛田民蔵の知遇を得る。日本労農党、社会大衆党などに参加して無産政党運動をする。1929年に郷里に帰って東北新人会を結成、伊達郡を中心に小作争議を指導し度々投獄される。1933年に全国農民組合(全農)中央委員に選出。
高田 なほ子(たかだ なほこ、1905年(明治38年)1月1… 高田 なほ子(たかだ なほこ、1905年(明治38年)1月18日 - 1991年(平成3年)5月19日)は、日本の教育者、政治家、平和運動家。参議院議員(2期)。旧姓は渡辺。 福島県信夫郡福島町(現福島市)で、裁判官・渡辺晶、トヨ夫妻の三女として生まれる。福島県立福島高等女学校を経て、1922年、福島県女子師範学校を卒業。福島県伊達郡掛田尋常高等小学校訓導に就任。1924年に依願退職して勉学のため上京し、東京府(東京都)下の小学校で勤務した。 1945年11月、日本社会党創立に際し党員となる。同年12月、東京都教育労働組合の結成に参加。1947年4月、東京都品川区議会議員に当選し1950年まで在任。
佐藤 善一郎(さとう ぜんいちろう、1898年10月10日 … 佐藤 善一郎(さとう ぜんいちろう、1898年10月10日 - 1964年3月23日)は、日本の政治家。衆議院議員、福島県知事などを務めた。 1898年(明治21年)、福島市出身。信夫農学校(現・福島県立福島明成高等学校)卒業。1937年(昭和12年)に旧・清水町の町長に就任。福島県議を経て、第二次世界大戦後は公職追放される。1952年(昭和27年)、福島県経済連の初代会長に就任し、財政を立て直した。また、同年から衆議院議員に2期連続で当選。1957年(昭和32年)、自由民主党を離党し、農協・日本社会党の地盤を獲得して福島県知事選挙に立候補し当選。福島県知事在任中に、福島第一原子力発電所の大熊町への建設を決定した。
堀切 善兵衛(ほりきり ぜんべえ、1882年〈明治15年〉5… 堀切 善兵衛(ほりきり ぜんべえ、1882年〈明治15年〉5月4日 - 1946年〈昭和21年〉11月25日)は、日本の政党政治家・経済学者。立憲政友会所属。位階および勲等は従三位・勲一等。 1912年(明治45年)の第11回総選挙から1937年(昭和12年)の食い逃げ解散選挙まで連続10回の当選を果たし、その間1929年(昭和4年)には第27代衆議院議長に選出された。経済学者でもあり、経済学者としての専門は経済原論・財政学・商業政策・殖民政策である。内務官僚で東京市長・法制局長官・内閣書記官長・内務大臣などを歴任した堀切善次郎と衆議院議員を務めた内池久五郎は弟にあたる。 堀切良平の長男として福島県信夫郡上飯坂村(現:福島県福島市)に生まれる。
紺野 九右衛門(九右衞門、こんの くえもん、1878年(明治… 紺野 九右衛門(九右衞門、こんの くえもん、1878年(明治11年)6月22日 - 1932年(昭和7年)8月12日)は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。幼名・喜太郎。 福島県信夫郡井佐野村(平野村大字井佐野、飯坂町を経て現福島市飯坂町平野)で、農業、先代・紺野九右衛門の長男として生まれる。1920年(大正9年)家督を相続し九右衛門を襲名し、農業を営む。 1893年(明治26年)福島県尋常中学校(現福島県立安積高等学校)を卒業。その後、仙台数学院(現東北高等学校)で学んだ。消防組頭、福島税務署管内郡部所得調査員、福島市共立福島病院組合会議員、平野村農会議員などに就任。若いころから政治活動に熱心で、立憲民政党支部幹事長となり、鈴木寅彦の側近として活躍。
鈴木 周三郎(すずき しゅうざぶろう / しゅうさぶろう、1… 鈴木 周三郎(すずき しゅうざぶろう / しゅうさぶろう、1876年(明治9年)9月2日 - 1940年(昭和15年)12月16日)は、明治後期から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、衆議院議員、福島県信夫郡杉妻村長。 福島県信夫郡伏拝村(杉妻村を経て現福島市伏拝)で、地主・鈴木清次郎の長男として生まれる。1908年(明治41年)家督を相続した。 福島商業会議所議員、福島県農会副会長、鈴木実業銀行頭取、福島紡績社長、福島商業銀行頭取、川俣銀行取締役、福島電灯取締役、福島瓦斯取締役、磐城水電取締役、霊山電気取締役、福島羽二重取締役、鈴木商事取締役などを務めた。 政界では、杉妻村長、同村会議員を務めた。
油井 徳蔵(ゆい とくぞう、1870年9月12日(明治3年8… 油井 徳蔵(ゆい とくぞう、1870年9月12日(明治3年8月17日)- 1963年(昭和38年)7月22日)は、明治時代末期から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 油井宇之助の二男として、のちの福島県福島市本町に生まれる。幼年期は伊達郡保原町の豪商福井商店に丁稚奉公する。 1910年(明治43年)以降、福島県輸出絹織物同業組合連合会議員、同同業組合長、福島商業会議所議員、副会頭、会頭、同市会議員のほか、第一福島羽二重社長、福島羽二重、二本松羽二重、福島商業銀行、川俣銀行、九笹機業場、福島誠壱などの重役を歴任した。 1932年(昭和7年)福島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任し、同成会に所属して1939年(昭和14年)9月28日まで1期在任した。
二宮 哲三(にのみや てつぞう、1870年5月7日〈明治3年… 二宮 哲三(にのみや てつぞう、1870年5月7日〈明治3年4月7日〉 - 1937年〈昭和12年〉9月27日)は、明治から昭和時代戦前の政治家。福島県福島市長。 二宮直躬の長男として、のちの福島市柳町に生まれる。福島小学校に入学し、途中教育改革を経て、1884年(明治17年)福島高等小学校高等科を卒業。上京し、私立大学予備学校に入り、1887年(明治20年)5月、獨逸学協会学校に入学した。同普通科を卒業し、1890年(明治23年)9月、専修科に入学し、政治経済学を学び、1893年(明治26年)7月に卒業した。同年12月、一年志願兵として近衛歩兵第1連隊第7中隊に入り、1894年(明治27年)日清戦争が勃発すると同年12月に臨時召集を受け、翌年8月に陸軍歩兵少尉に進み、12月に召集解除となった。
小杉 善助(こすぎ ぜんすけ、1862年11月23日〈文久2… 小杉 善助(こすぎ ぜんすけ、1862年11月23日〈文久2年10月2日〉 - 1929年〈昭和4年〉2月8日)は、明治から昭和時代戦前の政治家。福島県福島市長。 先代善助の長男として、のちの福島市荒町に生まれる。1889年(明治22年)27歳で福島町会議員に当選。1894年(明治27年)福島蚕糸米穀取引所を設立し、翌年理事長。1903年(明治36年)福島県農工銀行監査役となり、1907年(明治40年)福島市会議長、1911年(明治44年)福島県会副議長を経て、1925年(大正14年)9月、福島市長に就任した。1929年(昭和4年)2月、在任中に死去した。
芳賀 宇之吉(はが うのきち、1856年(安政3年2月) -… 芳賀 宇之吉(はが うのきち、1856年(安政3年2月) - 1916年(大正5年)9月19日)は、明治から大正時代の政治家。衆議院議員。 陸奥国信夫郡庭坂村(福島県信夫郡庭坂村、大庭村、吾妻村、吾妻町を経て現福島市)に生まれる。生家は代々豪農として知られた。 村会議員、郡会議員、同参事会員を経て、1894年(明治27年)福島県会議員に当選。以降死去するまで県会に籍を置いた。 この間、常置委員、所得税調査委員、凶作特別委員、教育費特別委員に推挙され、1913年(大正2年)10月には警察費調査委員長、同年12月には県民大会実行委員長を歴任した。ほか、福島電燈監査役を務めた。 1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙では福島県第1区から出馬し当選。
9代 吉野 周太郎(よしの しゅうたろう、1851年12月2… 9代 吉野 周太郎(よしの しゅうたろう、1851年12月24日(嘉永4年12月2日)- 1911年(明治44年)8月2日)は、明治期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・九八郎。 陸奥国信夫郡八島田村(福島県信夫郡野田村、吾妻町を経て現:福島市八島田。当時は越後新発田藩の領地。)に於いて名主吉野安兵衛の四男として生まれる。兄・周太郎の死後に9代周太郎を襲名し、1898年(明治31年)4月に家督を相続した。 1897年(明治30年)以降、第百七国立銀行取締役、同頭取などを務めた。1904年(明治37年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ、 1911年8月、在任中に死去した。