滑川 友理(なめかわ ゆり、1986年10月31日 - )は… 滑川 友理(なめかわ ゆり、1986年10月31日 - )は、日本の政治家、人権活動家、介護福祉士。 性的少数者(LGBTなど)によるNPO法人「RAINBOW茨城」初代会長。2019年、レズビアンを公表して茨城県水戸市議会議員に立候補し初当選した。 茨城県水戸市出身。水戸市立梅が丘小学校、水戸市立見川中学校、大成女子高等学校、水戸教育福祉専門学校卒業。介護福祉士として働きながら、県内の教育委員会や学校、自治体などでセクシャルマイノリティに関する講演を行う。 2017年11月1日、県内初となるLGBT当事者によるNPO法人「RAINBOW茨城」を設立。初代会長に就任した。設立に際しては、元水戸市議会議員の玉造順一が支援者として関わった。
上遠野 修(かとうの おさむ、1978年〈昭和53年〉9月2… 上遠野 修(かとうの おさむ、1978年〈昭和53年〉9月20日 - )は、日本の政治家。茨城県東茨城郡城里町長(第3代)。 茨城県水戸市出身。茨城県立水戸第一高校、東京大学経済学部卒業。大林組、楽天勤務、民主党衆議院議員の福島伸享の政策担当秘書を経て、2013年2月17日投開票の城里町長選挙に出馬したが、現職の阿久津藤男に敗れ、落選。 ※当日有権者数:18029人 最終投票率:64.48%(前回比:-pts) 2014年9月21日投開票の城里町長選挙で当選。 ※当日有権者数:17819人 最終投票率:63.75%(前回比:-0.73pts) 2018年9月、再選。 ※当日有権者数:17306人 最終投票率:43.38%(前回比:−20.37pts) 2022年8月、再選。
山高 亜紀子(やまたか あきこ、1973年〈昭和48年〉10… 山高 亜紀子(やまたか あきこ、1973年〈昭和48年〉10月26日 - )は、日本の政治家。東京都三宅村長(1期)。 茨城県水戸市出身。1994年(平成6年)東放学園専門学校卒業。同年三宅村役場に勤務する。役場では議会事務局長や企画財政課長などを務め、2024年(令和6年)1月三宅村長選挙に立候補したが、立候補者が山高一人のため、無投票での当選が決まった。島嶼部では初の女性町村長となった。2月15日に村長に就任した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
若林 洋平(わかばやし ようへい、1971年(昭和46年)1… 若林 洋平(わかばやし ようへい、1971年(昭和46年)12月24日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)、防衛大臣政務官。 静岡県御殿場市長を4期務めた。 茨城県水戸市出身。茨城県立緑岡高等学校、埼玉大学理学部化学科卒業。大正製薬株式会社医薬部に勤務。2001年10月、御殿場市内の社団法人有隣厚生会富士病院に勤務し、富士病院、医療法人駿東育愛会駿東共立産婦人科医院、および御殿場市内の社団法人有隣厚生会富士小山病院で事務長を務める。2006年、御殿場青年会議所青年育成委員会委員長及び副理事長を務める。 2007年4月8日執行の静岡県議会議員選挙に御殿場市・駿東郡北部選挙区から自由民主党公認で出馬するも、落選。
加藤 明良(かとう あきよし、1968年2月7日 - )は、… 加藤 明良(かとう あきよし、1968年2月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。 経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第2次石破内閣)、茨城県議会議員(3期)などを歴任した。 茨城県水戸市出身。茨城県立勝田工業高等学校を経て、 専修大学商学部卒業。 1992年より狩野安参議院議員の公設秘書を務め、2007年からは長谷川大紋参議院議員の公設秘書を務める。2010年の茨城県議会議員選挙で初当選し、県議を3期務める。 2021年には翌年の第26回参議院議員通常選挙茨城県選挙区(改選数2)に向けて自由民主党が行った候補者公募に応募し、12月には3人の中から加藤が選ばれた。
高橋 靖(たかはし やすし、1965年〈昭和40年〉6月17… 高橋 靖(たかはし やすし、1965年〈昭和40年〉6月17日 - )は、日本の政治家。茨城県水戸市長(4期)。元茨城県議会議員(2期)、元水戸市議会議員(3期)。 茨城県東茨城郡常澄村(現・水戸市塩崎町)に生まれる。常澄村立下大野小学校(現・水戸市立下大野小学校)、常澄村立常澄中学校(現・水戸市立常澄中学校)、茨城県立緑岡高等学校、日本大学法学部新聞学科卒業。明治大学大学院政治経済学研究科修士課程修了。 衆議院議員鳩山邦夫の秘書をつとめた。その後水戸市議会議員に出馬。市議は3期つとめる。2005年(平成17年)9月11日執行の茨城県議会議員補欠選挙の水戸市選挙区に自由民主党公認で出馬、無投票で当選を果たす。
狩野 岳也(かのう たかや、1964年〈昭和39年〉9月19… 狩野 岳也(かのう たかや、1964年〈昭和39年〉9月19日 - )は、社会福祉法人明岳会の理事長および元茨城県議会議員(かすみがうら市選挙区選出)。ピソ天神(介護利用型軽費老人ホーム)の施設長を務めた。 本名は狩野 平左衛門岳也(かのう へいざえもんたかや)であるが、県議会議員時代は狩野 岳也(かのう たかや)で登録していた。 また園芸療法・動物介在療法の実践者でもあり、ラマとカピバラを飼育している。 茨城県水戸市出身。現在はかすみがうら市宍倉に在住。水戸市立吉田小学校を卒業後、家庭の事情から3つ上の姉とともに東京都の啓明学園中学校・高等学校で中高6年間を過ごす。青年海外協力隊に憧れて東京農業大学農学部農業拓殖学科へ進学し、1987年〈昭和62年〉に卒業。
山田 修(やまだ おさむ、1961年 <昭和36年> 4月2… 山田 修(やまだ おさむ、1961年 <昭和36年> 4月26日 - )は、日本の政治家。茨城県那珂郡東海村長(3期)。水戸市出身。高崎経済大学経済学部卒業。 原発立地自治体の首長ながら脱原発と東海第二発電所の廃炉を主張した村長村上達也の引退を受けて行われた、2013年8月の東海村村長選挙において、原発廃炉を主張する日本共産党県委員の福田明を破り当選した。この時、東海第二原発の再稼働に関して是非を明言しておらず、再稼働には住民の意見を尊重する立場を取っていたが、2019年10月5日の原子力業界誌「ENERGY for the FUTURE(エナジーフォーザフューチャー)」(ナショナルピーアール社・東京)の誌上で、東京電力柏崎刈羽原発がある新潟県刈羽村の品田宏夫村長との対談の中で、「安定的な電力の供給は絶対に欠かせない。
神田 裕(かんだ ゆたか、1958年(昭和33年)6月4日 … 神田 裕(かんだ ゆたか、1958年(昭和33年)6月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(1期)。元自由民主党茨城県総支部連合会事務局長。 茨城県水戸市生まれ。1982年(昭和57年)、明治大学経営学部卒業。後に自民党茨城県連事務局長就任。 2017年(平成29年)、第48回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロックに自由民主党から単独33位で出馬し、初当選した。 2021年(令和3年)の第49回衆議院議員総選挙では公認されず1期で退任した。
郡司 彰(ぐんじ あきら、1949年〈昭和24年〉12月11… 郡司 彰(ぐんじ あきら、1949年〈昭和24年〉12月11日 ‐ )は、日本の政治家。立憲民主党所属。 参議院議員(4期)、農林水産大臣(第53代)、農林水産副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、民進党参議院議員会長、民主党参議院議員会長・参議院国会対策委員長・茨城県連代表、参議院副議長(第31代)、参議院環境委員長・行政監視委員長・東日本大震災復興特別委員長、立憲民主党常任顧問等を歴任した。 茨城県水戸市生まれ。1968年に茨城県立高萩高等学校を卒業し、明治学院大学社会学部に入学。1970年に明治学院大学を中退し、伊勢甚に入社。1989年、全国農林漁業団体職員労働組合連合(全国農団労)結成に参加し、書記次長に就任。
長南 博邦(おさなみ ひろくに、1948年1月 - )は、日… 長南 博邦(おさなみ ひろくに、1948年1月 - )は、日本の政治家。新社会党中央本部副委員長。元野田市議会議員(8期)。 1948年1月、茨城県水戸市生まれ。5歳の時に霞ヶ浦湖畔の阿見町に転居。茨城県立土浦第一高等学校を経て、1970年に茨城大学農学部を卒業。専門は生物化学で微生物の酵素を研究。学生時代はバスケットボール選手で中学生や高校生のコーチも務める。 1970年、キッコーマン関連の盛進製薬に入社し、流山工場に勤務。微生物の管理業務につく。1971年、盛進製薬労働組合執行委員に就任し、1973年から13年間同労組委員長を務めた。1993年に合併でキッコーマン社員となるが、引き続き公務休職で議員活動に専念した。
塚原 俊平(つかはら しゅんぺい、1947年3月12日 - … 塚原 俊平(つかはら しゅんぺい、1947年3月12日 - 1997年12月19日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。茨城県水戸市出身。元衆議院議員・塚原俊郎の長男。
岡田 広(おかだ ひろし、1947年(昭和22年)1月31日… 岡田 広(おかだ ひろし、1947年(昭和22年)1月31日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(4期)。 厚生労働大臣政務官、内閣府副大臣、復興副大臣、水戸市長(3期)、茨城県議会議員(2期)を務めた。 茨城県水戸市生まれ。茨城県立水戸商業高等学校、立命館大学産業社会学部卒業。大学卒業後、岩上妙子・岩上二郎両参議院議員の秘書を務める。 1986年、茨城県議会議員選挙に立候補し、初当選。1993年、2期目の任期途中、佐川一信の茨城県知事選立候補に伴う辞職により実施された水戸市長選挙に県議を辞職して立候補し、当選。(佐川後継で野党各党が推薦する学校経営者・大久保博之を、圧倒的大差で破る)。
加藤 浩一(かとう こういち、1942年(昭和17年)11月… 加藤 浩一(かとう こういち、1942年(昭和17年)11月23日 - )は、日本の政治家。茨城県水戸市長(2期)、茨城県議会議員(5期)を務めた。水戸市名誉市民。旭日中綬章。 茨城県水戸市に父・正雄、母・まさの長男に生まれる。太平洋戦争の激化により、疎開で福島県に移り、同地で終戦を迎える。父・正雄は終戦直後に戦死する(昭和20年8月30日、フィリピンルソン島)。残された加藤の祖母と母は水戸市内で酒屋を開く。 水戸市立浜田小学校、水戸市立第三中学校を経て、茨城高等学校に入学。入学後は家庭の事情もあり、進学を断念。卒業後の進路を就職に選択し、茨城トヨペットに入社。このとき面接を担当したのが当時、社長だった幡谷祐一(のち茨城県信用組合理事長)で、幡谷は加藤が水戸市長に立候補した際の後援会長となった。
佐川 一信(さがわ かずのぶ、1940年(昭和15年)8月1… 佐川 一信(さがわ かずのぶ、1940年(昭和15年)8月1日 - 1995年(平成7年)11月19日)は、日本の法学者・政治家である。茨城県水戸市生まれ。 中央大学法学部卒業。早稲田大学大学院法学研究科修了。金属加工会社経営のかたわら、法学研究者として、早稲田大学、中央大学、茨城大学などで労働法を講義。1978年水戸市民の会を主宰し「市民からの出発」を発刊。1984年水戸市長に当選。1992年、水戸市長に3選されたが、1993年8月、竹内藤男の汚職事件による辞職に伴って執行された茨城県知事選挙に出馬するため水戸市長を退任。橋本昌に敗れた。1995年に入院、死去。2007年、水戸市名誉市民の称号が贈られた。
狩野 安(かのう やす、1935年〈昭和10年〉3月5日 -… 狩野 安(かのう やす、1935年〈昭和10年〉3月5日 - 2025年〈令和7年〉9月28日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(3期)。元全国更生保護婦人連盟会長。茨城県水戸市出身。 1953年(昭和28年)、茨城県立水戸第二高等学校卒業。1957年(昭和32年)、道徳再武装(MRA)活動参加のため渡米後、狩野明男と結婚。水戸商工会議所婦人部会長・県商工会議所婦人部連合会理事・水戸家庭裁判所調停委員・水戸地区保護司・県更生保護婦人連盟副会長・保護観察協会評議員・イニシアティブス・オブ・チェンジ顧問などを歴任。 1992年(平成4年)、夫・明男の死去に伴う参議院議員補欠選挙の茨城県選挙区に自民党から立候補し初当選。
天野 等(あまの ひとし、1933年11月26日 - )は、… 天野 等(あまの ひとし、1933年11月26日 - )は、日本の元政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。弁護士。 茨城県水戸市出身。1959年東京大学文学部国文学科卒。神奈川県で高校の教員などを務め、司法試験に合格し弁護士となった。1983年の第37回衆議院議員総選挙で茨城1区から社会党公認で立候補して当選。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選した。その後は土浦市で法律事務所を開いた。
遠藤 正則(えんどう まさのり、1914年(大正3年)6月3… 遠藤 正則(えんどう まさのり、1914年(大正3年)6月30日 - 2009年(平成21年)4月26日)は、昭和から平成時代の政治家。東京都文京区長。文京区名誉区民。 茨城県水戸市出身。茨城県立水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)を卒業後上京し、1933年(昭和8年)7月、東京市本郷区に奉職し、1939年(昭和14年)中央大学商学部二部を卒業した。戦時中は千葉県市川市国府台の高射砲隊にいた。のち文京区教育委員会学務課長、総務部長、助役を経て、1973年(昭和48年)12月、文京区長に就任した。1999年(平成11年)4月の任期満了まで6期24年務めた。この間、特別区長会会長を歴任した。ほか、特別区人事・厚生事務組合管理者、特別区協議会理事長を務めた。
木村 傳兵衛(きむら でんべえ、1908年(明治41年)11… 木村 傳兵衛(きむら でんべえ、1908年(明治41年)11月11日 - 1972年(昭和47年)6月13日)は、日本の政治家。茨城県水戸市長(2期)。 茨城県水戸市生まれ。水戸の老舗醤油メーカー「井伝」に生まれる。1927年、旧制水戸中学校(現・茨城県立水戸第一高等学校)卒。井伝醬油社長となり、1967年。水戸市長に当選した。市長就任後に市役所の移転、市内の各学校に体育館やプールの設置、市民会館や市民プールの着工、市民憲章の制定などがある。1972年、狭心症のため、急逝した。
森 元治郎(もり もとじろう、1907年2月24日 - 19… 森 元治郎(もり もとじろう、1907年2月24日 - 1999年5月14日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。 茨城県水戸市出身。1930年青山学院英文科卒。卒業後は新聞連合社(のち同盟通信社)に入り、欧州特派員、政治部次長などを務める。戦後、同盟通信社は共同通信社となり、論説委員となる。1947年片山内閣が成立すると内閣総理大臣秘書官となる。1956年の第4回参議院議員通常選挙において茨城地方区から日本社会党公認で立候補して初当選。連続3期務める。国会内では参議院懲罰、決算各委員長を歴任し、党内では茨城県委員長、党外交部長などを務めた。1974年の第10回参議院議員通常選挙に出馬せず引退。
西宮 弘(にしみや ひろし、1906年5月14日 - 200… 西宮 弘(にしみや ひろし、1906年5月14日 - 2003年11月22日)は、日本の官僚、政治家。陸軍司政官。 茨城県水戸市出身。東京帝国大学法学部卒。内務省、戦後に自治省係長、岩手県出納長、宮城県副知事、日本社会党所属の衆議院議員。 岩手県出納長を経て、1956年10月に新たに宮城県知事に就任した大沼康の副知事に任命される。1959年3月、大沼の急逝を受けて知事選に立候補したが、落選。翌1960年の第29回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で宮城1区から出馬し初当選。1963年に再度、宮城県知事選に立候補するが落選。同年の第30回衆議院議員総選挙に再出馬し当選した。 全金本山労働組合争議では、支援共闘会議議長を担う。
河原田 巌(巖、かわらだ いわお、1898年(明治31年)2… 河原田 巌(巖、かわらだ いわお、1898年(明治31年)2月28日 - 1951年(昭和26年)2月28日)は、大正から昭和期の実業家、漁業家、政治家。衆議院議員。 茨城県東茨城郡吉田村吉沢(現水戸市堀町 )で、河原田太三郎の三男として生まれる。東京世田谷自動車学校を卒業した。 福島自動車学校教授を経て、東洋自動車学校を設立して校長兼教員となる。1940年(昭和15年)自動車学校を廃校し貨物自動車運送業を営む。1944年(昭和19年)茨城県北部貨物自動車運送、茨城県南部自動車運送の各取締役社長に就任。1945年(昭和20年)平潟町定置網漁業の網元となる。1946年(昭和21年)茨城水産工業取締役社長に就任。
山崎 猛(やまざき たけし、1886年(明治19年)6月15… 山崎 猛(やまざき たけし、1886年(明治19年)6月15日 - 1957年(昭和32年)12月27日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議長(第38代)、運輸大臣、衆議院議員などを務めた。 茨城県水戸市出身。長倉松平家家老の家筋である山崎直の四男。11歳で家族と共に上京し、麻布中学、旧制第一高等学校を呼吸器の病気で中退した後、静岡県の代用教員から徳富蘇峰の招きで京城日報の記者に。さらに大連へ移って満洲日報社長を務める。東洋拓殖の副総裁であった、立憲政友会の政治家野田卯太郎の知遇を得、姪婿となるなど政治の基礎を作った。 原内閣で中橋徳五郎文部大臣の秘書官を務めた後、1920年(大正9年)の総選挙で立憲政友会公認で埼玉県第4区から総選挙に立候補し初当選、以後衆院議員を10期務め、廣田内閣では農林政務次官に就任。
小山田 信蔵(おやまだ しんぞう、1870年10月25日(明… 小山田 信蔵(おやまだ しんぞう、1870年10月25日(明治3年10月1日) - 1924年(大正13年)9月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。 常陸国茨城郡水戸(現茨城県水戸市)で、水戸藩士・小山田勝貞の長男として生まれた。太田鉄道、豆相鉄道、隅田川倉庫各(株)社長、水戸商業銀行頭取、北海道炭礦鉄道(株)監査役となる。 1904年の第9回衆議院議員総選挙において水戸市選挙区から立候補して当選する。1908年の第10回衆議院議員総選挙では立憲政友会公認で立候補して再選し、1912年の第11回衆議院議員総選挙でも三選した。1915年の第12回衆議院議員総選挙は不出馬。1917年の第13回衆議院議員総選挙で復帰。
平山 午介(ひらやま うますけ、1870年5月26日(明治3… 平山 午介(ひらやま うますけ、1870年5月26日(明治3年4月26日)- 1959年(昭和34年)7月11日)は、明治から昭和期の逓信官僚、実業家、政治家。衆議院議員。 常陸国茨城郡、のちの茨城県水戸市赤沼町で平山貞吉の三男として生まれた。1891年(明治24年)6月に家督を相続した。青弘塾で漢籍を修め、経済学者塩澤昌貞と同門で共に将来を嘱望された。1886年(明治19年)に上京して苦学しながら普通学を修めた。 逓信省に入省し、通信事務官補、通信事務官、大阪郵便為替貯金管理支所長、郵便貯金局事務官、大阪貯金支局長などを歴任。この間、記帳の様式にルーズリーフ式を採用するなど貯金事務の改善に貢献した。
井坂 孝(いさか たかし、1870年1月9日(明治2年12月… 井坂 孝(いさか たかし、1870年1月9日(明治2年12月8日)- 1949年(昭和24年)6月19日)は、日本の実業家、政治家。貴族院勅選議員、枢密顧問官。 常陸国茨城郡水戸(現在の茨城県水戸市)で水戸藩士・井坂幹の三男として生まれる。茨城県尋常中学校、第一高等学校を経て、1896年(明治29年)7月、東京帝国大学法科大学を卒業し、東洋汽船会社に入社。 以後、東洋汽船会社取締役兼営業部長、横浜海上火災保険 (株) 専務取締役、同社長を務めた。経営破綻した七十四銀行の整理を行い、受け皿となる横浜興信銀行を設立し、副頭取、頭取を務めた。1921年(大正10年)4月、横浜商業会議所会頭に就任し関東大震災の復興に尽力した。
江橋 厚(えばし あつし、嘉永7年2月(1854年) - 昭… 江橋 厚(えばし あつし、嘉永7年2月(1854年) - 昭和6年(1931年))は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員。 常陸国茨城郡水戸下市(現茨城県水戸市)で生まれる。明治5年(1872年)水戸城放火事件の嫌疑を受けて投獄され、1876年(明治9年)1月に嫌疑が晴れて釈放された。 1878年(明治11年)頃、水戸から松本に来住し、弁護士を開業。奨匡社の自由民権運動に参加し、1882年(明治15年)同志と信陽立憲改進党を結成、1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙に長野県4区から初当選し民党に属すが、第1回帝国議会での予算議決が紛糾すると、板垣退助に同道して議員辞職した。1891年(明治24年)には中山道鉄道期成同盟会で小里頼永とともに運動を展開し、自由党南信支部設置の際に座長に推挙される。
関口 八兵衛(せきぐち はちべえ、1850年8月12日(嘉永… 関口 八兵衛(せきぐち はちべえ、1850年8月12日(嘉永3年7月5日) - 1912年(明治45年)1月21日)は、明治時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 木村寿山の子として水戸城下に生まれ、1870年(明治3年)常陸国信太郡鳩崎村(茨城県信太郡鳩崎村、稲敷郡鳩崎村、江戸崎町を経て現稲敷市)の先代・関口八兵衛の養子となり家督を相続する。漢学を修めた。1882年(明治15年)鳩崎村外2箇村戸長となり、1884年(明治17年)同職を辞し、翌年の1885年(明治18年)茨城県会議員に当選するが辞退した。醤油醸造業に従事する傍ら、1888年(明治21年)為替回漕会社を江戸崎町に興し、1889年(明治22年)には煉瓦製造場を設立した。
松延 玹(まつのべ げん、1845年〈弘化2年1月〉 - 1… 松延 玹(まつのべ げん、1845年〈弘化2年1月〉 - 1921年〈大正10年〉9月20日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 水戸出身。弘道館に学ぶ。1871年(明治4年)藩命を受け諸国を遊歴したのち帰郷し、1874年(明治7年)の台湾出兵に際しては北京に渡った。1876年(明治9年)在北京公使館附学生となり、1878年(明治11年)書記生となった。翌年、上海領事館に転任。1882年(明治15年)朝鮮で壬午軍乱が勃発すると花房義質の随伴員として同地に赴いた。1884年(明治17年)帰朝し外務省一等属となるが、間もなく朝鮮で甲申政変が勃発すると井上馨に従い再び同地に赴いた。