須藤 和臣(すとう かずおみ、1967年〈昭和42年〉12月… 須藤 和臣(すとう かずおみ、1967年〈昭和42年〉12月8日 - )は、日本の政治家。群馬県議会議員(4期)。過去には、第98代群馬県議会議長、群馬県館林市長(1期)を務めた。 群馬県館林市出身。館林市立第八小学校、館林市立多々良中学校、栃木県立足利高等学校卒業。1992年(平成4年)3月、学習院大学卒業。1994年(平成6年)、谷津義男衆議院議員の私設秘書となる。谷津が2000年(平成12年)12月5日に農林水産大臣に就任すると、谷津の秘書官となる。 2007年(平成19年)、群馬県議会議員に初当選。以降、連続3回当選。県議時代は自由民主党に所属した。 2017年(平成29年)2月12日、館林市長の安楽岡一雄が多臓器不全のため死去。
多田 善洋(ただ よしひろ、1960年〈昭和35年〉3月11… 多田 善洋(ただ よしひろ、1960年〈昭和35年〉3月11日 - )は、日本の政治家、実業家。群馬県館林市長(2期)。過去には、群馬県議会議員(2期)、館林市議会議員(3期)などを務めた。 群馬県館林市出身。館林市立第二小学校、館林市立第一中学校、佐野日本大学高等学校、日本大学経済学部卒業。 シャープ社員を経て、1992年、「クリエイト誠和」代表取締役に就任。館林市議会議員に当選後、市議会副議長、館林市遺族会副会長に就任。2017年、群馬県議会補欠選挙に自由民主党公認で立候補し当選。2019年の群馬県議選で再選。 2020年12月19日、翌年実施予定の館林市長選挙(3月21日告示・同月28日投開票)への立候補を表明。
安楽岡 一雄(安樂岡 一雄、やすらおか かずお、1947年〈… 安楽岡 一雄(安樂岡 一雄、やすらおか かずお、1947年〈昭和22年〉5月10日 - 2017年〈平成29年〉2月12日)は、日本の政治家。位階は正五位。 館林市長(3期)。群馬県議会議員(3期)。 群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。群馬県立館林高等学校卒。1971年、法政大学経済学部経済学科卒業。坂村吉正衆議院議員、谷津義男衆議院議員らの秘書、有限会社安楽岡代表取締役を経て、1995年に館林選挙区から群馬県議会議員選挙に出馬し初当選。これ以降連続3期当選。この間、自由民主党群馬県議団長、自由民主党群馬県支部連合会総務会長などを歴任。 2007年、館林市長だった中島勝敬が病気のため市長を辞職したことに伴い、県議会議員を辞職して市長選に出馬。
森田 武雄(もりた たけお、1942年〈昭和17年〉12月1… 森田 武雄(もりた たけお、1942年〈昭和17年〉12月17日 - )は、群馬県出身のフリースタイルのレスリング選手、元館林市議会議員である。階級は62kg級。 群馬県館林市羽附出身。赤羽中学校を経て群馬県立館林高等学校に入学。レスリング部に入部し3年時には関東大会優勝、国体で3位に入賞した。明治大学入学後は4年時に全日本学生選手権で優勝を果たす。 明治大学を卒業して館林高校教員になると、1965年の世界選手権フェザー級(60kg級)で3位となった。1966年の全日本選手権では2位だったが、1967年には優勝を飾った。しかし、1968年のメキシコオリンピックには出場できなかった。1969年の世界選手権では62kg級に出場して高校の教員でありながら優勝を成し遂げた。
中島 勝敬(なかじま まさよし、1938年〈昭和13年〉2月… 中島 勝敬(なかじま まさよし、1938年〈昭和13年〉2月4日 - 2023年〈令和5年〉9月24日)は、日本の政治家。群馬県館林市長(3期)、群馬県議会議員(3期)、館林市議会議員(5期)などを務めた。館林市名誉市民。 群馬県邑楽郡多々良村(現・館林市)に生まれる。群馬県立小泉農業高等学校(現・群馬県立大泉高等学校)卒業。青年団で活動し館林市青年団連合協議会会長、群馬県青年団連合会長、日本青年団協議会常任理事を歴任。坂村吉正衆議院議員の秘書を務める。 1966年に館林市議会議員に当選、以後5期連続で務め1978年には市議会議長にも就任。1987年に群馬県議会議員に当選し、3期県議会議員を務める(自由民主党)。
谷津 義男(やつ よしお、1934年〈昭和9年〉7月23日 … 谷津 義男(やつ よしお、1934年〈昭和9年〉7月23日 - 2021年〈令和3年〉6月3日)は、日本の政治家。位階は従三位。旭日大綬章受章。 農林水産大臣(第31代)、衆議院内閣委員長、衆議院議員(7期)、群馬県議会議員(3期)等を歴任。 群馬県邑楽郡多々良村(現・館林市)に、父鶴吉・母イソの長男として生まれる。1953年に群馬県立館林高等学校を卒業し、1957年法政大学法学部政治学科を卒業。親戚筋にあたる衆議院議員・福井盛太の秘書となった。埼玉ダイハツ販売勤務を経て1969年から衆議院議員・坂村吉正の秘書となる。1975年に群馬県議会議員に初当選し、連続3期務めた。 1986年、引退する長谷川四郎の地盤を引き継ぎ、第38回衆議院議員総選挙自由民主党公認で旧群馬2区から立候補し初当選。
坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月1… 坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月19日 - 1983年〈昭和58年〉6月2日)は、日本の政治家、農林官僚。衆議院議員(4期)。館林市名誉市民。 群馬県邑楽郡郷谷村(現・館林市)に生まれる。旧制館林中学校(現・群馬県立館林高等学校)、旧制第一高等学校文科を経て、1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。 大学在学中の1936年(昭和11年)に高等文官試験に合格し、大学卒業後に農林省に入省。1956年(昭和31年)水産庁漁政部長生産部長となり、日ソの外交交渉に尽力。1959年(昭和33年)農林経済局長、1962年(昭和37年)農林水産技術会議事務局長を経て1963年(昭和38年)に退官する。
飯島 祐之(いいじま すけゆき、1900年〈明治33年〉10… 飯島 祐之(いいじま すけゆき、1900年〈明治33年〉10月25日 - 1970年〈昭和45年〉8月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、群馬県邑楽郡多々良村長。 群馬県邑楽郡多々良村大字木戸(現・館林市)で、飯島忠四郎の二男として生まれる。1920年(大正9年)旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業。 その後は農業に従事して1933年(昭和8年)多々良村助役、1939年(昭和14年)同村長に就任した。群馬県町村会副会長、邑楽郡農会議員、多々良村産業組合長、同農業会長、群馬県購買販売利用組合連合会理事、同製粉精米加工組合理事長、同食糧営団理事、邑楽郡煙草耕作連合組合長となる。
福井 盛太(ふくい もりた、1885年〈明治18年〉7月14… 福井 盛太(ふくい もりた、1885年〈明治18年〉7月14日 - 1965年〈昭和40年〉12月27日)は、日本の弁護士(第一東京弁護士会会長)、検察官、政治家。検事総長、衆議院議員(3期)、日本弁護士連合会副会長、共立薬科大学理事長等を歴任。また、日本野球機構初代コミッショナーを務めた。従三位、勲二等旭日重光章、館林市名誉市民。囲碁5段、柔道3段。 1885年(明治18年)、群馬県邑楽郡館林町(現在の館林市)に、旧館林藩士・福井盛武の長男として生まれる。館林小学校尋常科・同高等科を経て、1900年(明治33年)群馬県立太田中学校を卒業し旧制第二高等学校に進む。1913年(大正2年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、翌年弁護士開業。
小室 良七(こむろ りょうしち、幼名・彦次郎、文久2年3月2… 小室 良七(こむろ りょうしち、幼名・彦次郎、文久2年3月27日〈1862年4月25日〉 - 1929年〈昭和4年〉9月2日)は、日本の政治家(群馬県邑楽郡会議員、館林町会議員)、商人(砂糖商)、実業家。館林貯蓄銀行、四十銀行、八十一銀行、東海銀行各取締役。上毛モスリン監査役。族籍は群馬県平民。 群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)に生まれた。小室良之助の長男。幼名は彦次郎。家は代々砂糖販売を営み、彦次郎は第3代に当たる。「砂糖小室」の名は遠近に聞こえていた。 善導寺住職・満成和尚に漢学や書を学んだ。1883年12月、家督を相続し家業の砂糖商を継いだ。1886年10月、襲名して良七と改めた。 1889年、新町村制が実施され、4月に町会議員の選挙が行われた。
五代 正田 文右衛門(ごだい しょうだ ぶんえもん、前名・唯… 五代 正田 文右衛門(ごだい しょうだ ぶんえもん、前名・唯一郎、1858年12月29日〈安政5年11月25日〉 - 1941年〈昭和16年〉)は、日本の政治家(群馬県邑楽郡館林町長)、醤油醸造家(亀甲正醤油醸造元)、実業家。正田醤油取締役社長。群馬醤油同業組合長。族籍は群馬県平民。上皇后美智子は曽孫にあたる。今上天皇の高祖父。 群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。4代正田文右衛門の長男。正田家は旧幕時代「米文」と称し米穀商を営んでいたが、祖父・文七に至りこれを廃し1873年(明治6年)以降醤油醸造業に従事した。 1878年(明治11年)に家督を継いで文右衛門を襲名。1904年(明治37年)ボイラー・エンジンを購入して機械化を進め、1917年(大正6年)に正田醤油株式会社を設立した。
小野田 元熈(おのだ もとひろ、1848年3月15日(弘化5… 小野田 元熈(おのだ もとひろ、1848年3月15日(弘化5年2月11日) - 1919年(大正8年)6月12日)は、幕末の館林藩士、明治から大正期の警察・内務官僚、政治家。官選県知事、貴族院議員、錦鶏間祗候。旧姓・藤野、幼名・貞治。 館林藩下士・藤野逸平の二男として生まれ、同藩の小野田安兵衛の養子となる。館林藩では、徒士格大納戸役、家老付日記役心得、藩内監察、少属などを歴任。 明治4年11月(1871年末頃)、東京府取締組羅卒小頭となり、さらに司法省少警部となり1873年2月に退官。1874年1月、警視庁少警部として再度、警察官となる。1877年2月、内務省警視局三等大警部兼陸軍歩兵中尉として、別働第3旅団第1大隊副官として西南戦争に従軍した。