森田 俊和(もりた としかず、1974年(昭和49年)9月1… 森田 俊和(もりた としかず、1974年(昭和49年)9月19日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、埼玉県議会議員(2期)を歴任した。 埼玉県熊谷市生まれ。熊谷市立玉井小学校、熊谷市立玉井中学校、埼玉県立熊谷高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科を経て、1999年3月に早稲田大学大学院政治学研究科博士前期課程修了。同年4月に同博士課程後期(憲法専修)に進み、2005年3月に単位取得退学。9月からカナダ・マギル大学に1年間留学。 2003年4月、埼玉県議会議員選挙に北第7区(熊谷市、大里町、妻沼町)から無所属で立候補したが、23票の僅差で及ばず落選。2005年6月、介護事業を始め、訪問看護ステーションを開設。
小林 哲也(こばやし てつや、1959年4月5日 - )は、… 小林 哲也(こばやし てつや、1959年4月5日 - )は、日本の政治家。埼玉県熊谷市長(2期)。埼玉県議会議員(5期)。元熊谷市長の小林一夫は実父。 熊谷市立三尻中学校、埼玉県立本庄高等学校を経て、1983年(昭和58年)、中央大学経済学部を卒業。卒業後は岡三証券に勤務する。 その後、帰郷し、2003年(平成15年)埼玉県議会議員(自由民主党)に初当選。県議を5期務め、2017年(平成29年)に埼玉県議会議長に就任した。 2021年(令和3年)10月、熊谷市長選に出馬し、野中厚ら自民党関係者の支援を受けて森田俊和らの支援を受ける元熊谷市議会議員の閑野高広を破って初当選した。 2025年(令和7年)10月19日、無投票で2選。
富岡 清(とみおか きよし、1953年(昭和28年)3月13… 富岡 清(とみおか きよし、1953年(昭和28年)3月13日 - )は、日本の政治家。元埼玉県熊谷市長。元埼玉県ラグビーフットボール協会会長。 熊谷市立奈良中学校、埼玉県立熊谷高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業後、熊谷市農業協同組合に勤務。熊谷市議会議員(2期)、埼玉県議会議員(3期)を経て、2002年(平成14年)(旧)熊谷市長就任。2005年(平成17年)11月、新設合併に伴う熊谷市長選で当選。特例市への移行に尽力した。 市長職と兼任して、埼玉県ラグビーフットボール協会会長、熊谷市体育協会会長、熊谷市観光協会会長を務めた。市長・県ラグビーフットボール協会会長の両方の立場から、県と連携し、ラグビーワールドカップ2019の会場誘致、埼玉パナソニックワイルドナイツの本拠地誘致を実現した。
長谷川 憲正(はせがわ けんせい、1943年1月1日 - )… 長谷川 憲正(はせがわ けんせい、1943年1月1日 - )は、日本の政治家、郵政官僚。 参議院議員(1期)、総務大臣政務官、駐フィンランド特命全権大使などを歴任した。 郵政省官僚、駐フィンランド大使を経て、2004年に自由民主党から参議院に出馬し、初当選。 2005年に自由民主党を離党。国民新党旗揚げメンバーの一人として名を連ねるが、同年8月24日友党であった新党日本に同党の政党条件を満たすために期間限定で移籍。9月11日、新党日本へ離党届を提出し、国民新党へ復党した。この政党移籍はレンタル移籍と揶揄され、選挙互助会という批判があった。 全国郵便局長会顧問。政党代表者が招かれない定期総会に総務大臣と共に招かれた。
小島 敏男(こじま としお、1939年〈昭和14年〉11月1… 小島 敏男(こじま としお、1939年〈昭和14年〉11月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。立正大学名誉教授。 文部科学副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、防衛庁長官政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、外務大臣政務官(第1次小泉内閣)、衆議院環境委員長、同北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、衆議院議員(4期)、埼玉県議会議長、埼玉県議会議員(4期)、熊谷市議会議長、熊谷市議会議員(3期)などを歴任。 熊谷市議会議員3期・同議長、埼玉県議会議員4期・同議長を経て、1996年の第41回衆議院議員総選挙に立候補するものの落選。1999年1月、中島洋次郎の議員辞職に伴い、同月21日付で繰上当選。
田並 胤明(たなみ たねあき、1932年〈昭和7年〉10月3… 田並 胤明(たなみ たねあき、1932年〈昭和7年〉10月31日 - 2026年〈令和8年〉3月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算4期)、埼玉県議会議員(通算3期)を務めた。 次男は立憲民主党埼玉県議会議員の田並尚明。 埼玉県熊谷市出身。埼玉県立熊谷高等学校卒業後、郵政省に入省。郵便局に勤務するかたわら、全逓信労働組合に加入し、活動。専従役員となる。 1975年、埼玉県議会議員選挙に北7区選挙区より立候補し初当選。以後3期連続当選。1983年の第37回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧埼玉3区より立候補し当選。以後3期連続当選。 1993年の第40回衆議院議員総選挙では社会党退潮のあおりを受け落選。
鴨田 利太郎(かもだ としたろう、1930年(昭和5年)1月… 鴨田 利太郎(かもだ としたろう、1930年(昭和5年)1月17日 - 1985年(昭和60年)1月16日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期、自由民主党)。 埼玉県熊谷市出身。父は熊谷市長と衆議院議員を務めた鴨田宗一。1950年(昭和25年)3月、拓殖大学政経学部卒業。1952年(昭和27年)3月、早稲田大学教育学部卒業。1979年(昭和54年)2月、熊谷商工信用組合理事長となった。同年、宗一の後継者として第35回衆議院議員総選挙に埼玉県第3区から自民党で立候補し当選した。1980年(昭和55年)、第36回衆議院議員総選挙でも再選した。しかし、1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙には3回目の立候補したものの、加藤卓二と糸山英太郎(無所属)と議席を争ったが落選した。
増田 敏男(ますだ としお、1929年(昭和4年)4月20日… 増田 敏男(ますだ としお、1929年(昭和4年)4月20日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)、熊谷市長(2期)を歴任した。 埼玉県熊谷市出身で埼玉県立熊谷高等学校を中退。 1959年5月、熊谷市議会議員に初当選する。 1967年4月、埼玉県議会議員に当選。 1981年3月、第82代埼玉県議会議長に就任した。 1982年5月、熊谷市長に初当選したが、1986年6月、熊谷市長を辞職。同7月、衆議院議員選挙旧埼玉3区で落選。 1990年2月、衆議院議員選挙旧埼玉3区で初当選。同3月、衆議院地方行政委員会理事となる。 1993年8月、国土政務次官に就任し、1996年1月、衆議院農林水産委員会理事となる。
鴨田 宗一(かもだ そういち、1906年(明治39年)9月1… 鴨田 宗一(かもだ そういち、1906年(明治39年)9月17日 - 1979年(昭和54年)2月8日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位勲一等。衆議院議員(7期)、熊谷市長(3期)。熊谷市名誉市民。1953年3月熊谷商工信用組合を設立し、初代理事長に就任。その後、自由民主党より国政へ進出し、商工部会長、中小企業調査会長、政調審議委員、副幹事長、池田内閣建設省政務次官、佐藤内閣経済企画政務次官、衆議院大蔵委員長などを歴任。専門は中小企業問題、経済企画。地元、熊谷駅への新幹線開通を実現した。衆議院議員の鴨田利太郎は息子。
綾川 武治(あやかわ たけじ、1891年(明治24年)4月2… 綾川 武治(あやかわ たけじ、1891年(明治24年)4月23日 - 1966年(昭和41年)12月7日)は、日本の国家主義者、弁護士、政治家。衆議院議員。 埼玉県幡羅郡長井村字善ヶ島(のち大里郡長井村、現:熊谷市)で、小作農・綾川幸太郎、せん夫妻の長男として生まれる。江波学校(長井尋常小学校)、幡羅高等小学校を経て、1904年4月、埼玉県立熊谷中学校に入学。実家の家計悪化のため、1907年3月、中学を休学して、父の職場であった磐城炭鉱 (株) 越賀炭鉱(福島県石城郡内郷村)で一年余り働き、熊谷中四年に復学し1910年3月に卒業した。 無試験検定で合格し、1910年9月、第七高等学校造士館第一部甲(英法科)に入学。
井田 友平(いだ ともへい、1889年(明治22年)3月17… 井田 友平(いだ ともへい、1889年(明治22年)3月17日 - 1965年(昭和40年)10月31日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、妻沼町名誉町民。メヌマポマードの製造販売で知られた。 埼玉県幡羅郡弥藤吾村新田、のちの大里郡妻沼町大字弥藤吾1520番地の1(現:熊谷市)で、農業・井田定吉、フク夫妻の長男として生まれる。父方は代々、教師の家系である。幡羅高等小学校を卒業し、太田村上江袋の能泉寺塾で漢学を修めた。家業の手伝いをしていたが、父の失敗で井田家は土地家屋を失ったため、17歳の春に上京して石鹸雑貨行商の見習奉公についた。 1910年3月、独立して本所区本所緑町四丁目に井田京栄堂を設立して石鹸雑貨卸商を営む。
小此木 歌治(おこのぎ うたじ、1888年〈明治21年〉9月… 小此木 歌治(おこのぎ うたじ、1888年〈明治21年〉9月28日 ‐ 1953年〈昭和28年〉11月20日) は、大正末から昭和期の実業家、政治家。横浜木材社長。衆議院議員、横浜市会副議長。旧姓・栗原。 埼玉県幡羅郡、のちの大里郡秦村(妻沼町を経て現熊谷市)生まれ。栗原陸五郎の四男。1898年(明治31年)、横浜に移り、横浜三省小学校を卒業。小此木才三の養子となる。1903年(明治36年)、横浜補修夜学を卒業。 1923年(大正12年)、家督を相続し木材販売業を継承。関東大震災後の木材特需で財を成した。 1935年(昭和10年)、倉庫会社を設立。横浜港に大きな倉庫を構え、小此木家は港湾荷役の元締めである藤木組(現・藤木企業)との関係を深める。
石坂 養平(いしざか ようへい、1885年(明治18年)11… 石坂 養平(いしざか ようへい、1885年(明治18年)11月26日 – 1969年(昭和44年)8月16日)は、日本の文芸評論家、政治家。衆議院議員、埼玉県議会議員(いずれも立憲政友会)。父の石坂金一郎も政治家で、郡会議員、県会議員を務めた。 埼玉県大里郡中奈良村(後の奈良村、現在の熊谷市)に大地主の家の長男として生まれる。幡羅尋常小学校、熊谷中学校を経て1902年(明治35年)に第二高等学校に進学。1906年(明治39年)に東京帝国大学理学部に進学したが中退して、1910年(明治43年)に同文科大学哲学科に再入学した。帝大在学時から文芸評論家として活動を始め、「新自然主義の誕生」や「鈴木三重吉論」などの文学論を発表して中央文壇に認められた。
斎藤 茂八(齋藤 茂八、さいとう もはち、1885年〈明治1… 斎藤 茂八(齋藤 茂八、さいとう もはち、1885年〈明治18年〉9月18日 - 1964年〈昭和39年〉8月19日)は、日本の地方政治家、薬剤師、俳人。埼玉県熊谷町長・熊谷市長を務めた。位階は従六位。勲五等瑞宝章。 幼名は清治、俳号は「紫石」。 埼玉県大里郡熊谷町鎌倉町(現・熊谷市)で斎藤今助の長男として生まれた。実家は薬種商だった。 旧制埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校、1902年卒業)を経て、旧制千葉医学専門学校薬学科(現・千葉大学薬学部薬学科)を卒業し家業を継いだ。 1912年(明治45年)青年組織壬子倶楽部を結成し政治活動を始めた。1913年(大正2年)から熊谷町会議員に2期在任。
松本 真平(眞平、まつもと しんぺい、1878年(明治11年… 松本 真平(眞平、まつもと しんぺい、1878年(明治11年)5月12日 - 1971年(昭和46年)5月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員、熊谷市名誉市民。 埼玉県大里郡熊谷町(現:熊谷市)で、米穀商・4代目松本平蔵の長男として生まれる。高等小学校卒業後、1891年に開京英語学校に入学したが病のため帰郷し、埼玉英和学校(現:埼玉県立不動岡高等学校)で学び、1900年、東京高等商業学校を卒業。 大倉商業学校教諭となり、1901年、尾張屋銀行に入行し、明治義会中学校の英語教師を兼務。1903年、実業界に進むことを決意して帰郷した。 1914年、松本米穀会社を設立して、父が社長に真平が専務に就任。
宮本 嘉楽(嘉樂、みやもと からく、1868年12月23日〈… 宮本 嘉楽(嘉樂、みやもと からく、1868年12月23日〈明治元年11月10日〉 - 1956年〈昭和31年〉10月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、埼玉県大里郡長井村長。 武蔵国幡羅郡西野村(のち埼玉県大里郡長井村、現:熊谷市)で、大地主・宮本楽只の長男として生まれる。漢籍を修めた。 長井村収入役、同村長、大里郡会議員、埼玉県会議員、所得税調査委員などを務めた。 1904年3月、第9回衆議院議員総選挙で埼玉県選挙区から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めて政界を引退した。 実業界では、埼玉実業銀行頭取、深谷商業銀行取締役などを務めた。 甲源一刀流の師範免状を授けられ、高野佐三郎に師事して小野派一刀流(一刀流中西派)の研鑽を積んだ。
長谷川 宗治(はせがわ そうじ / むねはる、1856年10… 長谷川 宗治(はせがわ そうじ / むねはる、1856年10月19日(安政3年9月21日)- 1936年(昭和11年)11月21日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、埼玉県大里郡御正村長。旧姓・多田。 武蔵国大里郡原島村(のち埼玉県大里郡大幡村、現:熊谷市)で、多田貞助の長男として生まれ、大里郡三ッ本村(のち御正村、現:熊谷市)の長谷川貴重の養子となる。普通学を修めた。熊谷商業銀行取締役を務めた。 三ッ本村戸長、御正村会議員、同助役、同村長を歴任。1894年から埼玉県会議員に25年間在任し、この間、同参事会員、同議長(2回)を務めた。1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で埼玉県第三区から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
根岸 武香(ねぎし たけか、天保10年5月15日(1839年… 根岸 武香(ねぎし たけか、天保10年5月15日(1839年6月25日) - 明治35年(1902年)12月3日)は、武蔵国大里郡冑山村(現在の熊谷市)出身の政治家、郷土史家。 幼名「新吉」、後に「伴七」と改めた。父は根岸友山。孫 根岸憲助の妻は横川重次妹。娘の岳父は雨宮敬次郎。 剣道を千葉周作、和漢学を寺門静軒、安藤野雁に学ぶ。明治12年(1879年)に埼玉県会開設と共に同議員に選出されて副議長となり、翌明治13年(1880年)から14年(1881年)まで第2代議長、明治23年(1890年)から25年(1892年)まで第10代議長を務め、明治27年(1894年)10月10日には補欠選挙で貴族院多額納税者議員に選出され、1897年(明治30年)9月28日まで在任した。