田島 洸成(たじま こうせい、1996年7月13日 - )は… 田島 洸成(たじま こうせい、1996年7月13日 - )は、埼玉県大里郡寄居町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 帝京高等学校では2年生から遊撃手のレギュラーのつかみ、夏の東東京大会ではベスト4まで進む。しかし、同年秋に肉離れを起こし、3年春はベンチ外、夏も控えにとどまった。 大学進学を予定していたが、地元埼玉県にベースボール・チャレンジ・リーグの新球団・武蔵ヒートベアーズができることを知り、同球団へ入団。2015年、高卒1年目にして、遊撃手としての定位置を確保。打率は1割台に終わったが、63試合に出場した。 2015年度育成選手ドラフト会議で読売ジャイアンツで4巡目指名を受け、入団。
新井 千鶴(あらい ちづる、1993年〈平成5年〉11月1日… 新井 千鶴(あらい ちづる、1993年〈平成5年〉11月1日 - )は、埼玉県大里郡寄居町出身の日本の女子柔道家。階級は70kg級。身長172cm。握力は右40kg、左40kg。血液型はO型。段位は五段。組み手は左組み。得意技は内股、出足払。2021年開催の東京オリンピック 柔道 女子70kg級 金メダリスト。2012年から三井住友海上に所属している。 幼稚園の時は、サッカーに取り組んでいた。その一方で3歳年上の兄が周囲から柔道を勧められると、自分もやってみたいと言い出したことで近所にある男衾柔道クラブへ入門したが、年上の女子部員たちに囲まれたことを怖がってしまい、僅か一日で辞めてしまった。それでもクラブの指導者に再考を促されていたこともあって、小学校1年の時には勇気を出して再入門した。
原口 文仁(はらぐち ふみひと、1992年3月3日 - )は… 原口 文仁(はらぐち ふみひと、1992年3月3日 - )は、埼玉県大里郡寄居町出身の元プロ野球選手(捕手・内野手 )。右投右打。野球講演家・野球解説者・野球評論家として活動。マネジメント契約は株式会社オフィスS.I.Cである。 読売ジャイアンツ(巨人)の正捕手だった阿部慎之助への憧れが高じて、小学4年時に、軟式野球チームの寄居ビクトリーズ(現在のキングフィッシャーズ)で捕手として野球生活を始めた。埼玉県寄居町立城南中学校在学中には、寄居リトルシニア(現在の深谷彩北リトルシニア)で一塁手としてプレー。中学校からの卒業を機に、帝京高校(東京都板橋区)へ進学した。進学の決め手になったのは、中学3年時に世田谷西シニアとの試合で放った本塁打で、同チームの監督としてこの一打を目にした蓬萊昭彦(元・西武ライオンズ)が帝京高校硬式野球部監督(いずれも当時)の前田三夫に原口の入部を推薦したという。
設楽 悠太(したら ゆうた、1991年12月18日 - )は… 設楽 悠太(したら ゆうた、1991年12月18日 - )は、日本の陸上競技選手で、専門種目は駅伝、長距離走、マラソン。 埼玉県大里郡寄居町出身。武蔵越生高等学校、東洋大学経済学部卒業。 同じく西日本鉄道に所属する設楽啓太は双子(二卵性双生児)の兄。マラソン、ハーフマラソンの元日本記録保持者。 小学校6年の時に兄の影響を受け、陸上を始める。 宝物は仲間で、好きな女性タレントは小島瑠璃子で、その他にももいろクローバーZの玉井詩織の大ファンでもある。 右利きだが、左利きの兄・啓太の影響を受け腕時計は右にしている。 双子の他に2歳上の姉がいる。 中学時代には兄・啓太と共にチームを初の全国中学校駅伝大会出場へと導いた。
設楽 啓太(したら けいた、1991年12月18日 - )は… 設楽 啓太(したら けいた、1991年12月18日 - )は、日本の陸上競技選手。埼玉県大里郡寄居町出身。武蔵越生高等学校、東洋大学経済学部経済学科卒業。ロジスティード陸上部を経て西日本鉄道所属。 双子(二卵性双生児)であり、同じ東洋大学陸上競技部出身で同じ西日本鉄道に所属する設楽悠太は実弟にあたる。 小学校6年の時に陸上を始める。 弟とは大学まで、また移籍して西日本鉄道で同じチームで活躍。 1年生ながら出場した全日本大学駅伝では1区を走り42分42秒と歴代5位の高タイムで区間賞を獲得し、2区の柏原竜二に繋いだがチームは3位になった 2012年1月に開催された第88回東京箱根間往復大学駅伝競走で第2区を走る。
中村 英将(なかむら ひでゆき、1981年3月12日 - )… 中村 英将(なかむら ひでゆき、1981年3月12日 - )は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ「ゆったり感」メンバー。吉本興業所属。東京NSC9期生。ボケ担当、立ち位置は向かって右。 埼玉県大里郡寄居町出身。埼玉県立小川高等学校、駒澤大学経済学部商学科卒業。小・中・高校とサッカー部に所属。高校生時代、埼玉県ベスト8進出。身長180cm、血液型はA型。 2004年10月、江崎峰史と「ゆったり感」を結成。M-1グランプリで2008年から3年連続で準決勝まで進出。2010年度は予選の結果が13位。決勝未経験者かつ敗者復活出場組では2番目だった。ラストイヤーの2019年度は準々決勝進出。 2015年6月23日、交際していた一般女性との結婚を自身のツイッターで発表。
堀口 レオ(ほりぐち レオ、1980年12月16日 - )は… 堀口 レオ(ほりぐち レオ、1980年12月16日 - )は、日本の漫画家。 埼玉県寄居町出身。埼玉県立熊谷高等学校卒業。 スクウェア・エニックス刊行の雑誌『月刊少年ガンガン』にて行われていた読者投稿コーナー、ドラゴンクエスト4コマクラブよりデビューし、同社刊行の『4コママンガ劇場』シリーズにて執筆活動を続ける。その後、同社刊行の『ガンガンパワード』にて、「ヴァルキリープロファイル-レナス-4コマ 魂嬲り編」をNo.1 - No.4まで連載。現在は、一迅社のゲームアンソロジーにて執筆している。 4コママンガ劇場時代、コメントページである楽屋裏にて「インドと似でコンニチワ」という挨拶を頻繁に使用していた。
柿沼 和恵(かきぬま かずえ、1974年6月16日 - )は… 柿沼 和恵(かきぬま かずえ、1974年6月16日 - )は、埼玉県大里郡寄居町出身の陸上競技選手(短距離種目)。女子200m、400m元日本記録保持者。 寄居町立城南中学校、埼玉栄高校、中央大学を経て、1997年にミズノに入社。主にロングスプリントで活躍し、この種目で長く日本を牽引していった[要出典]。埼玉栄高時代には堤文子(元あさひ銀行)が2学年上におり、1学年下には大島めぐみ(旧姓田中、あさひ銀行→しまむら)がいた。1学年上の徳田由美子(現ドリームコーチング)や鈴木真紀(元ノーリツ)らは同じ中大の出身になる。 1990年、国体少年B100mで優勝し11秒87をマーク。1991年、インターハイ100m、200m優勝。
馬場 俊英(ばば としひで、1967年<昭和42年>3月20… 馬場 俊英(ばば としひで、1967年<昭和42年>3月20日 - )は、日本のシンガーソングライター。 所属レーベルはドリーミュージック。身長182cm。埼玉県寄居町出身。 小学生の頃よりギターを手にし、「かぐや姫」「吉田拓郎」などのフォークソングや、「サザンオールスターズ」などのニューミュージック、「子供ばんど」「RCサクセション」などのロックに夢中になる。高校に入るとバンド活動をスタートし「新宿ACB」「新宿ロフト」「吉祥寺曼荼羅」「渋谷ラママ」など東京都内のライブハウスに出演するようになる。愛用のギターは、マーティンのD-42、D-41、OOO-18、ギブソンのDOVE、J-45、J-50、コリングスのD2H、GretschのS6119などを使っている。
花輪 和一(はなわ かずいち、1947年4月17日 - )は… 花輪 和一(はなわ かずいち、1947年4月17日 - )は、日本の漫画家。北海道在住。 1970年からイラストレーターとして活躍し、『月刊漫画ガロ』1971年7月号掲載の『かんのむし』で漫画家としてデビュー。伊藤彦造ら大正モダニズムの影響の濃い画風が特徴。 初期にはエログロナンセンス的作風で猟奇的な物語を、活動中期以降は主に平安〜室町時代の日本を舞台にした怪奇かつファンタジー色が強く宗教的救済をテーマとした物語を、緻密で濃厚なタッチで描いている。ベースとなるテーマが人間の「業」である作品が多い。 埼玉県大里郡寄居町出身。中学生になってから伊藤彦造などによる絵物語の挿絵に大きな影響を受け、絵を描くことへ没頭するようになる。
押田 茂實(おしだ しげみ、1942年11月11日 - )は… 押田 茂實(おしだ しげみ、1942年11月11日 - )は、日本の医師、法医学者である。日本大学名誉教授。 専門は、医療事故の現状分析と予防対策、DNA型鑑定、中毒の代謝などであり、法医鑑定(埼玉県内の法医解剖の他、親子鑑定・医療事故などの鑑定や物件鑑定・再鑑定)に携わっている。日本のDNA型鑑定の第一人者として、保土ヶ谷事件(ある監察医が解剖しないで鑑定書を作成したのではないかという疑惑事件)の臓器のDNA型鑑定や東電OL事件のDNA鑑定、足利事件のDNA型鑑定、飯塚事件の鑑定を行ったことでも知られる。 押田は高校時代、どちらかと言うと文化系の科目が得意としており、「将来は弁護士か外交官」と思っていたという。
曽根 康治(そね こうじ、1928年11月14日 - 198… 曽根 康治(そね こうじ、1928年11月14日 - 1981年4月27日)は、日本の柔道家(講道館8段)。 1958年の世界選手権で優勝。得意技は内股や大外刈など。 埼玉県大里郡寄居町出身。父親が柔道6段、叔父がのち柔道9段の曽根幸蔵、兄も有段者という柔道一家に生まれる。7歳の時に地元・寄居町にて、長谷吉重郎(講道館8段)が館主を務める明道館に入門。 県立熊谷商業高校を卒業後は明治大学に進学し、入学直後には当時まだ少なかった3段に昇段した。しかし1・2年生の頃の柔道部はGHQの圧力で武道は禁止されていたため稽古を大っぴらにはできず、“第2レスリング部”と称する柔道同好者の集いに過ぎなかった。当時は寮も無く寄居から駿河台の校舎まで電車に2時間半揺られて通学していたが、3年生になりようやく“柔道部”が創設されて葛飾区の堀切に白雲寮ができるとそちらに移り住んだ。
二代目 柳家 さん助(やなぎや さんすけ、1926年8月6日… 二代目 柳家 さん助(やなぎや さんすけ、1926年8月6日 - 2011年9月9日)は、埼玉県大里郡寄居町出身の落語家。本名:松本 光春。落語協会所属。出囃子は『春藤』。 昭和50年代まで、頭に丁髷を結っていたことで知られている。二ツ目時代に探偵のアルバイトをしていたが、丁髷が目立って仕事にならなかったため、すぐに辞めている。 将棋は三段の腕前。テレビで米長邦雄と対局したこともある。 晩年はほとんど活動しなくなったが協会に籍を置き続け、まれに高座に上がってファンや同僚を喜ばせた。 真打昇進は兄弟子四代目柳家小せんと同時。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
伊藤 啓介(いとう けいすけ、1904年(明治37年)12月… 伊藤 啓介(いとう けいすけ、1904年(明治37年)12月31日 - 没年不明)は、日本の実業家。高岳製作所元取締役。三井銀行(現・三井住友銀行)元常任監査役。東京光学機械(現・トプコン)元監査役。 埼玉県大里郡寄居町の吉田正治の次男として生まれた。早くに父を亡くし、義兄の医師・幾瀬量(娘は幾瀬マサ)の世話になる。幾瀬の先輩の伊藤新作(日本煉瓦製造営業部長)を紹介され懇意になり、望まれて伊藤の末期養子及びその妻伊藤乃ふの養子となる。 旧制熊谷中学、旧制松本高校文科乙類を経て、1928年(昭和3年)に東京帝国大学経済学部を卒業。大学卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。同行にて監査役・常任監査役を歴任。