篠田 啓介(しのだ けいすけ、1971年〈昭和41年〉6月1… 篠田 啓介(しのだ けいすけ、1971年〈昭和41年〉6月10日 - )は、日本の政治家。岐阜県美濃市長(1期)。 神奈川県相模原市出身。1994年(平成6年)3月、愛知大学経営学部卒業。同年、美濃市役所に就職。産業課、総合政策課などを経て、総務課長に就任する。 2025年(令和7年)8月25日、美濃市長武藤鉄弘は3期目の任期満了を待たずに高齢を理由に10月31日付で辞職すると表明。これを受けて、同月27日に立候補を表明し、9月24日付での退職も表明した。 武藤の辞職に伴う、同年11月2日投開票の市長選挙では武藤が(当初、実質)後継指名した自民推薦の前市議ら2人を破り初当選した。 ※当日有権者数:15,840人 最終投票率:62.34%(前回比: 4.80pts) 投開票日より市長に就任した。
米山 敦子(よねやま あつこ、1956年 - )は、日本の元… 米山 敦子(よねやま あつこ、1956年 - )は、日本の元地方議会議員。神奈川県相模原市出身。 かつては女性声優であり、フリーアナウンサーでもあった。旧名及び声優時代の芸名は米山 あつ子。 早稲田大学商学部卒業後、東京アナウンス学院の放送声優専科に入学。 1980年代にはテレビアニメ『超時空要塞マクロス』をはじめ、洋画の吹き替えも多数行うようになった。 声優として数年間活動後、衛星放送のテレビキャスターに転身し、ニュース番組などを担当した後は独立してフリーアナウンサーとなる。 2004年6月に故郷の城山町(現在は相模原市と合併)にて、町議会議員補欠選挙に立候補し、当選する。 町議会議員は城山町が2007年に相模原市に編入するまで務め、編入後の相模原市議会議員選挙には出馬しなかった。
長田 武士(おさだ たけし、1931年8月31日 - 199… 長田 武士(おさだ たけし、1931年8月31日 - 1998年11月24日)は、日本の政治家。現・神奈川県相模原市出身。八王子高等学校定時制卒業。衆議院議員(6期)。 1931年8月31日、現・神奈川県相模原市に生まれる。 1952年、私立八王子高等学校定時制を卒業する。 1976年12月5日、第34回衆議院議員総選挙に、伊藤惣助丸の後継として、旧東京5区から公明党推薦で立候補し、初当選する(以降6回)。公明党副書記長、公明党総務局長に就任する。 1986年12月、公明党大会で、公明党選挙対策委員長に就任する。 1989年、公明党中央執行副委員長に就任する。 1993年7月、第40回衆議院議員総選挙に立候補せず、選挙地盤を石井啓一に譲り、政界を引退する。
加藤 長治(かとう ちょうじ、1916年(大正5年)3月13… 加藤 長治(かとう ちょうじ、1916年(大正5年)3月13日 - 2004年(平成16年)11月4日)は、日本の政治家。戦後から平成初期にかけて活躍した相模原市議会議員。位階は従五位。 1916年3月13日、神奈川県津久井郡青根村で、加藤開・妻フジの第4子として生まれる。当時、山間部である津久井郡青根村(280戸)と青野原村(320戸)は平均耕作面積が狭く、炭焼きなどの山仕事しかない貧しい村であったが、過剰な人口を抱えて、昭和15年には県の経済更生指定村となった為、国策に基づき分村計画を立て満州に開拓団を送り出すことが義務付けられた。丁度、加藤長治が名古屋の騎兵第三連隊から二年十一か月の軍隊生活を終わり除隊して帰宅した頃であった。
舘盛 静光(たてもり せいこう、1914年〈大正3年〉4月2… 舘盛 静光(たてもり せいこう、1914年〈大正3年〉4月21日 ‐ 2002年〈平成14年〉12月17日)は、日本の政治家。相模原市長(5期)。位階は従四位。 神奈川県相模原市出身。神奈川師範学校中退。大沢村書記から1941年の合併後は相模原町書記、大沢出張所長などを経て、相模原市役所に勤務する。1956年から同市教育長を15年勤め、1971年市助役に就任する。1977年の市長選挙に立候補して初当選、5期務めた。1997年引退。2002年死去。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
河津 勝(かわづ まさる、1905年〈明治38年〉7月17日… 河津 勝(かわづ まさる、1905年〈明治38年〉7月17日 - 1985年〈昭和60年〉1月23日)は、昭和時代の政治家。相模原市長。位階は従五位。 河津養積、計以の二男として、神奈川県高座郡相原村(現相模原市)に生まれる。1920年(大正9年)相原村役場に奉職し、戦後、1946年(昭和21年)相模原町相原出張所長、1951年(昭和26年)総務課長兼財政課長、市制施行以降、建設部長、総務部長などを歴任した。 1957年(昭和32年)から8年間に渡り相模原市の助役を務め、1965年(昭和40年)その実績から市長選に立候補し、第5代市長に当選した。 市長在任中は、当時全国屈指の人口急増都市であった同市の都市機能の整備に力点を置き、1968年(昭和43年)相模原市総合計画を策定したほか、米軍基地返還問題について中央官庁との折衝に動いた。
石川 ハナ (いしかわ ハナ、1905年3月8日 - 199… 石川 ハナ (いしかわ ハナ、1905年3月8日 - 1997年12月30日) は、日本の教師、政治家。1955年から1971年まで横浜市の市議を4期務めた。 神奈川県津久井郡小原町(現・相模原市緑区)に生まれ。地元の小学校高等科を卒業後、横浜の女子師範学校(現・横浜国立大学教育学部)へ進学。師範学校卒業後は青根小学校や日吉台小学校で教師として勤務した。 1948年に夫が死去すると、多方面で活動するようになり、横浜市教職員組合副委員長として女性教師の待遇改善に取り組んだほか、新生活連合婦人会を立ち上げて婦人学級の主催や託児所の開設に取り組んだ。また、1955年には教師を辞して横浜市会議員選挙に港北区選挙区から無所属で立候補して当選。
岩本 信行(いわもと のぶゆき、1895年3月2日 – 19… 岩本 信行(いわもと のぶゆき、1895年3月2日 – 1963年4月5日)は、日本の政治家。国務大臣、衆議院副議長(第34・35代)、衆議院議員(5期)。位階は正三位、勲等は勲一等。 神奈川県高座郡大野村上鶴間(現相模原市南区)に、農業・岩本次左衛門の長男として生まれる。小学校を卒業後、東京府南多摩郡忠生村(現東京都町田市)にあった漢学塾・尚絅塾で学ぶ。大野村役場書記、高座郡書記を経て家業の農業に専念し、また養蚕組合を設立して組合長になったり、青年団長を務めるなど、地域の世話役的活動を積極的に行った。 大野村会議員(1922年)を経て、1928年神奈川県会議員に当選し、1946年まで選出される。
小林 與次右ヱ門(与次右衛門、こばやし よじえもん、1886… 小林 與次右ヱ門(与次右衛門、こばやし よじえもん、1886年〈明治19年〉10月4日 - 1962年〈昭和37年〉11月9日)は、昭和時代の政治家。神奈川県高座郡相模原町長、相模原市長。 神奈川県高座郡上溝村(溝村、上溝町を経て、現相模原市中央区)に生まれる。上溝小学校高等科、津久井郡湘南村葉山島東林教校修業、溝村立上溝実業補習学校を経て、早稲田大学講義録中学科、文学科、法律科などに取り組む。家業の農業に従事する傍ら1911年(明治44年)から1916年(大正5年)まで鳩川農業学校教諭嘱託、助教諭を務め、鎌倉郡立農事講習所講師を歴任した。1932年(昭和7年)神奈川県会議員に当選し、2期務め、1941年(昭和16年)上溝町助役、同年相模原町会議員に転じ、1947年(昭和22年)には相模原町長に就任した。
篠崎 太一(しのざき たいち、1881年〈明治14年〉4月1… 篠崎 太一(しのざき たいち、1881年〈明治14年〉4月1日 - 1960年〈昭和35年〉8月22日)は、明治から昭和時代の政治家。神奈川県高座郡田名村長、相模原町長。 相模原に生まれる。1903年(明治36年)神奈川県師範学校卒業後、高座郡明治小学校、同郡上溝小学校訓導を経て、1912年(大正元年)同郡尋常高等大和小学校校長となる。1916年(大正5年)同郡座間小学校校長、1918年(大正7年)同郡上溝小学校校長を経て、1928年(昭和3年)高座郡田名村役場吏員となり、収入役、助役、村長を歴任した。1941年(昭和16年)町村合併により相模原町が成立するとその村長に選任され、1946年(昭和21年)10月まで在任した。
小林 吉之助(こばやし きちのすけ、1881年(明治14年)… 小林 吉之助(こばやし きちのすけ、1881年(明治14年)3月3日 - 1968年(昭和43年)4月2日)は、政治家。第11 - 14代八王子市長を務めた。勲四等瑞宝章、藍綬褒章受章。 1881年(明治14年)3月神奈川県高座郡上溝村(溝村、上溝町を経て現相模原市)に資産家根岸家の次男として生まれる。高等小学校時代から成績は良く法曹界を目指し東京法学院に進学し1901年(明治34年)卒業するが脚気衝心に罹り療養生活に入る。1907年には小林家に婿入り。1916年(大正5年)八王子町議会議員に当選(1期)。1918年(大正7年)には八王子織物同業組合評議員に選出。副組合長を経て1924年(大正13年)に組合長に就任した他、武相甲織物同業組合連合会会長・東京府織物工業組合理事長など織物関係の組合の要職に就任。
相沢 菊太郎(あいざわ きくたろう、1866年5月28日(慶… 相沢 菊太郎(あいざわ きくたろう、1866年5月28日(慶応2年4月14日) - 1962年(昭和37年)4月26日)は、明治から大正期の日本の政治家、神奈川県高座郡相原村村長。 神奈川県高座郡相原村(現:相模原市相原)に生まれる。1908年(明治41年)より地元相原村の村長となり、横浜鉄道(現:JR横浜線)の橋本駅開設や相模農蚕学校(現:神奈川県立相原高等学校)の誘致に尽力した。 菊太郎は1885年(明治18年)から死の直前までの78年間に渡り日々の生活を記録した日記を残した。昭和時代になり、子の相沢栄久の編集により、1965年4月に「相澤日記」として明治18年から明治25年の記述が刊行された。
尾崎 行雄(おざき ゆきお、1858年12月24日〈安政5年… 尾崎 行雄(おざき ゆきお、1858年12月24日〈安政5年11月20日〉- 1954年〈昭和29年〉10月6日)は、日本の政治家、教育者。号は咢堂(がくどう。最初は学堂、愕堂を経て咢堂)。 日本の議会政治の黎明期から第二次世界大戦後に至るまで衆議院議員を務め、当選回数・議員勤続年数・最高齢議員記録と複数の日本記録を有し、「憲政の神様」、「議会政治の父」と呼ばれる。政友会時代を除き、政権与党に属したことはなかった。東京市長時代の1912年(明治45年)にアメリカ・ワシントンD.C.のポトマック河畔に桜(ソメイヨシノ)の苗木を寄贈したことでも知られ、返礼として日本に初めてハナミズキをもたらした。聖公会信徒。
神藤 才一(かんどう さいいち / しんどう さいいち、安政… 神藤 才一(かんどう さいいち / しんどう さいいち、安政4年8月15日(1857年10月2日) – 昭和9年(1934年)1月5日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→猶興会→立憲同志会)。大日本帝国陸軍軍人、最終階級は陸軍歩兵大尉。 相模国高座郡相原村(現在の神奈川県相模原市)出身。1879年(明治12年)、陸軍士官学校(旧3期)を卒業し、同年12月22日、陸軍歩兵少尉に任官。1884年(明治17年)に甲申政変に出征し、帰国後は山地元治将軍の幕僚を務めた。1886年(明治19年)にフランスに留学して軍事学を学ぶが、やがて法学に転じ、1895年(明治28年)にリヨン大学を卒業し、法学博士の称号を得た。
天野 藤三(あまの とうぞう、1855年6月7日(安政2年4… 天野 藤三(あまの とうぞう、1855年6月7日(安政2年4月23日) - 1928年(昭和3年)3月8日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。旧姓は井上。 八王子宿(現八王子市)の井上太郎兵衛の二男として生まれ、18歳の時に神奈川県津久井郡鳥屋村(津久井町を経て現相模原市緑区)の名主・天野三郎助の養子となる。上京し尾崎行雄と共に勉学に励んだのち、1885年(明治18年)養父の跡を継ぎ鳥屋村ほか2か村組合戸長となった。1889年(明治22年)初代鳥屋村長に就任し、治山治水に尽力した。1891年(明治24年)神奈川県会議員、1903年(明治36年)津久井郡会議員、同議長を歴任した。
梶野 敬三(かじの けいぞう、1854年6月26日(嘉永7年… 梶野 敬三(かじの けいぞう、1854年6月26日(嘉永7年6月2日) - 1900年(明治33年)2月27日)は、明治時代の政治家。自由民権運動家。衆議院議員(2期)。 相模国津久井郡太井村(神奈川県津久井郡中野町、津久井町を経て現相模原市緑区)の豪農に生まれる。漢学を修めた。1880年(明治13年)国会開設請願運動に総代として故郷を代表した。翌年からは中野村(神奈川県津久井郡中野町、津久井町を経て現相模原市緑区)にて定期法律研究会を開催し自由民権運動の啓蒙に努めた。1882年(明治15年)9月、自由党に入党し、1884年(明治17年)4月には神奈川県会議員に当選し1890年(明治23年)まで4期連続務めた。
大貫 房吉(おおぬき ふさきち、1840年9月10日(天保1… 大貫 房吉(おおぬき ふさきち、1840年9月10日(天保11年8月15日) - 1912年(明治45年))は、明治時代の日本の実業家、政治家。 大貫与左衛門の男として、相模国高座郡大島村(神奈川県高座郡大沢村、相模原町を経て現相模原市緑区大島)に生まれる。1888年(明治21年)分家し戸主となる。1869年(明治2年)に横浜へ移り、1874年(明治7年)以降、大島屋を屋号に掲げ材木商を営む。 横浜商業会議所、同区会、市会議員を務めたほか、土木常設議員として市政に関与した。さらに横浜中央銀行、横浜貯蓄銀行取締役のほか、横浜衛生会社を立ち上げ社長を務めた。