加藤 健三(かとう けんぞう、1924年(大正13年)11月… 加藤 健三(かとう けんぞう、1924年(大正13年)11月28日 - )は、日本の医師。内科医。専門は循環器内科。旧姓、山田。元宮内庁皇太后宮侍医長。医学博士(東京大学)。 侍医、また侍医長として昭和天皇や香淳皇后の治療に当たった。 静岡県島田市出身。静岡県立静岡中学校に学ぶ。1948年(昭和23年)、東京大学医学部卒業。1949年(昭和24年)、東京大学医学部左々、美甘内科教室勤務。1952年(昭和27年)、東京大学助手。1955年(昭和30年)、関東逓信病院内科勤務。1957年(昭和32年)、医学博士(東京大学)。1964年(昭和39年)、佐々木研究所附属杏雲堂病院内科勤務。1976年(昭和51年)、銀座菊池病院内科勤務。
村松 貞次郎(むらまつ ていじろう、1924年6月30日 -… 村松 貞次郎(むらまつ ていじろう、1924年6月30日 - 1997年8月29日)は、日本の建築史家。東京大学名誉教授。 静岡県島田市出身、旧制八高を経て東京大学第二工学部建築学科卒業。1973年、『大工道具の歴史』で毎日出版文化賞受賞。1974年、東京大学生産技術研究所教授。1983年、日本近代建築の評価に基づく都市計画の業績により日本建築学会賞受賞。1984年、定年退官、法政大学教授、明治村館長を務めた。門下生の一人が藤森照信。 日本の建築生産について研究を進め、煉瓦造・鉄筋コンクリート造などの新しい技術が導入される過程を労作『日本近代建築技術史』にまとめた。また、同時代の建築に関わるルポとして、『現代建築をつくる人々 設計組織ルポ』(浜口隆一と共著)がある。
一言 多十(ひとこと たじゅう、1921年5月1日 - 20… 一言 多十(ひとこと たじゅう、1921年5月1日 - 2010年4月16日)は、静岡県六合村(現:島田市)出身のプロ野球選手(投手、外野手)。
長持 栄吉(ながもち えいきち、1918年1月1日 - 20… 長持 栄吉(ながもち えいきち、1918年1月1日 - 2000年6月16日)は、静岡県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。
志村 敏夫(しむら としお、1914年10月13日 - 19… 志村 敏夫(しむら としお、1914年10月13日 - 1980年7月7日)は、日本の脚本家、映画監督である。 1914年(大正3年)10月13日、静岡県志太郡島田町(現在の同県島田市)に生まれる。 1936年(昭和11年)、22歳になるころ、高田稔の高田プロダクションと新興キネマが共同製作した牛原虚彦監督の『五々の春』に脚本参加する。1940年(昭和15年)には、東宝映画に所属し、斎藤寅次郎監督作の脚本を書いた。 第二次世界大戦後、1947年(昭和22年)、新東宝設立に参加、萩原遼監督『大江戸の鬼』でチーフ助監督を務める。1948年(昭和23年)、同社と竹井プロダクションの共同製作作品『群狼』で監督としてデビューする。
松田 靖彦(まつだ やすひこ、1913年〈大正2年〉7月26… 松田 靖彦(まつだ やすひこ、1913年〈大正2年〉7月26日 - 1979年〈昭和54年〉12月24日)は、日本の元陸軍軍人及び陸上自衛官。最終階級は少佐、2等陸佐。第3代秋田駐屯地司令、第3代山梨地方連絡部長を務めた。 静岡県五和村出身。陸軍中将松田巻平の長男。1934年3月17日、予科卒業(12期、第2中隊第5区隊)歩兵第79連隊に配属され、本科48期卒(第2中隊第3区隊)。日中戦争に従軍し、本部作戦主任を経て1939年6月、第1大隊第1中隊長。 中隊長在任中の部下にのち韓国陸軍中将・駐日大使の崔慶禄がおり、士官学校への入学を推薦したほか、演習を視察で訪れた小野武雄中佐とも引き合わせた。 久留米第一予備士官学校歩兵生徒隊中隊長、西部軍教育隊中隊長を経て、郷里静岡で編成された第143師団(長:鈴木貞次中将)参謀として終戦を迎える。
森田 安次(もりた やすじ、1912年〈大正元年〉10月14… 森田 安次(もりた やすじ、1912年〈大正元年〉10月14日 - 1959年〈昭和34年〉8月11日)は、日本の書家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
松村 博司(まつむら ひろじ、1909年11月5日 - 19… 松村 博司(まつむら ひろじ、1909年11月5日 - 1990年10月30日)は、日本の国文学者。名古屋大学名誉教授。文学博士。1958年、日本学士院賞受賞。 静岡県島田市出身。静岡県立静岡中学校、静岡高等学校 (旧制)文科丙類を経て、1933年、東京帝国大学文学部国文科卒業。1957年「栄花物語の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。 1933年から1938年まで、母校の静岡中学で教鞭を執った(国漢)。山形高等学校教授、第八高等学校教授、名古屋大学文学部助教授を経て、1959年、同教授。1973年、定年退官、名誉教授。南山大学教授。1980年、南山大学退職。1958年、「栄花物語の研究」で日本学士院賞受賞。
今井 健彦(いまい たけひこ、1883年(明治16年)7月2… 今井 健彦(いまい たけひこ、1883年(明治16年)7月22日 - 1966年(昭和41年)1月20日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、文部政務次官、商工政務次官、農林参与官。ジャーナリスト。歌人の今井邦子は妻。坂本龍馬暗殺の犯人とされる今井信郎の三男。 静岡県榛原郡初倉村(現在の島田市)に村長今井信郎の三男として生まれる。『中央新聞』『中外商業新報』記者を経て、福井日報社社長となった。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第21回衆議院議員総選挙まで7回連続当選を果たした。その間、犬養内閣で農林参与官を、平沼内閣で商工政務次官を、小磯内閣で文部政務次官を務めた。
広住 久道(ひろずみ きゅうどう、1852年12月7日(嘉永… 広住 久道(ひろずみ きゅうどう、1852年12月7日(嘉永5年10月26日) - 1910年(明治43年)2月5日)は、明治時代の政治家。自由民権運動家。衆議院議員(5期)。 遠江掛川藩領志太郡阿知ヶ谷村(静岡県志太郡六合村を経て現島田市)に生まれる。斎藤拝石に漢学を学び、15歳にして阿知ヶ谷村の名主になる。1871年(明治4年)同村に栄昌舎を創立し、後進の教育に尽くした。国会開設請願運動にも関わり、郷里の有志惣代として奔走した。1882年(明治15年)静岡県会議員に当選し、同年立憲改進党が組織されると静岡県改進党に入党した。 1892年(明治25年)2月の第2回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から出馬し当選。
岩田 ユキ(いわた ゆき)は、日本の女性映画監督・脚本家・イ… 岩田 ユキ(いわた ゆき)は、日本の女性映画監督・脚本家・イラストレーター・作詞家(白田恵名義)。
石川 一宏(いしかわ かずひろ)は、日本のサウンドデザイナー… 石川 一宏(いしかわ かずひろ)は、日本のサウンドデザイナー・作曲家・編曲家・音楽プロデューサーである。静岡県島田市出身。 TV番組のサウンドデザイナーとして、スポーツ・バラエティ・報道・ドキュメンタリーなどで活動する。 スポーツ分野では、五輪・サッカー日本代表物件・フィギュアGPシリーズ・全米/全英OPゴルフ、世界水泳等の音楽プロデュースも務める。 また、作曲家としてもKAZSIN名義で日本水泳連盟公式アンセム「水夢」や、新日本プロレスの選手入場テーマをはじめ、TV番組テーマ曲、BGM、アニメ・ドラマ・映画の劇伴も手掛けている。映像音楽以外にも、アーティストへの楽曲提供やプロデュースなども行っている。
永田 治子(ながた はるこ)は、静岡県島田市出身の画家。 こ… 永田 治子(ながた はるこ)は、静岡県島田市出身の画家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
飛龍 喜三太(ひりゅう きさんた、「熊ヶ谷 弥三郎」(くまが… 飛龍 喜三太(ひりゅう きさんた、「熊ヶ谷 弥三郎」(くまがだに やさぶろう)、文政6年5月(1823年) - 明20年10月3日(1887年10月3日)は、遠江国金谷村(現在の静岡県島田市金谷東町)出身の大相撲力士。本名は村井 喜太八(むらい きたはち)。所属は追手風部屋から雷部屋を経て追手風部屋。最高位は前頭4枚目。 1823年(文政6年)金谷村(島田市)にて誕生 1858年(安政5年)11場所 - 十両4枚目 1860年(安政7年)10月場所 - 前頭8枚目 1862年(文久2年)11月場所 - 前頭7枚目 1864年(元治元年)4月場所 - 現役引退 二枚鑑札で年寄・熊ヶ谷を襲名。 1887年(明治20年)10月3日 - 死去。