森部 豊(もりべ ゆたか、1967年8月 - )は日本の東洋… 森部 豊(もりべ ゆたか、1967年8月 - )は日本の東洋史学者。愛知県岡崎市出身。関西大学文学部教授。
検索結果:愛知県 岡崎市 × 学者・教授・准教授:20人
森部 豊(もりべ ゆたか、1967年8月 - )は日本の東洋… 森部 豊(もりべ ゆたか、1967年8月 - )は日本の東洋史学者。愛知県岡崎市出身。関西大学文学部教授。
村松 和明(むらまつ やすはる、1963年 - )は、愛知県… 村松 和明(むらまつ やすはる、1963年 - )は、愛知県岡崎市出身の日本の著作家、美術史家、キュレーターである。 武蔵野美術大学卒業。2003年、スペイン政府の給付により渡欧、サルバドール・ダリ、ジョアン・ミロを研究。 研究論文をもとに構成されたNHKの特別番組「私が噂のダリである」が国際エミー賞(International Emmy Award 2006)に、ファイナル・ノミネートされる。キュレーションでは「村山槐多]の全貌」展が、2011年美連協大賞・奨励賞を受賞。 銀座 永井画廊が企画展「村松和明展」(2014年 東京)を開催、美術家・著作家としての活動をまとめた『不可思議な梢―four Elements 村松和明作品集』を刊行。
鈴木康弘(すずき やすひろ、1961年 - )は、日本の地理… 鈴木康弘(すずき やすひろ、1961年 - )は、日本の地理学者、名古屋大学教授。 愛知県岡崎市生まれ。東京大学理学部地学科地理学課程卒業、同大学院理学系研究科博士課程修了、「東北日本内帯盆地群の活構造と地形発達」で理学博士。愛知県立大学文学部/情報科学部助教授を経て、名古屋大学環境学研究科/減災連携研究センター教授。モンゴル国立大学客員教授、名古屋大学災害対策室長、総長補佐、日本学術会議連携会員、地震調査研究推進本部専門委員、原子力規制委員会外部有識者等を歴任。モンゴル・トルコ・サハリン・台湾・中国・韓国などで活断層の国際共同調査を進める。専門は自然地理学・変動地形学。
新家 光雄(にいのみ みつお、1951年3月7日 - )は、… 新家 光雄(にいのみ みつお、1951年3月7日 - )は、日本の金属工学者。学位は、工学博士(名古屋大学・1979年)、博士(歯学)(愛知学院大学・2003年)。東北大学名誉教授。元日本金属学会会長。初代日本チタン学会会長。日本金属学会賞、軽金属学会賞等受賞。 愛知県岡崎市生まれ。西尾市出身。1969年、愛知県立岡崎高等学校卒業。1973年名古屋大学工学部金属学科卒業。1975年名古屋大学大学院工学研究科金属工学及び鉄鋼工学専攻修士課程修了。1979年名古屋大学大学院工学研究科金属工学及び鉄鋼工学専攻博士課程後期満了、名古屋大学工学博士、名古屋大学大学院研究生。 1980年豊橋技術科学大学工学部教務職員。
加藤 新太郎(かとう しんたろう 1950年5月28日 - … 加藤 新太郎(かとう しんたろう 1950年5月28日 - )は、日本の元裁判官、弁護士、法学者。アンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問。東京高等裁判所部総括判事や、中央大学大学院法務研究科教授を務めた。2021年瑞宝重光章受章。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高校、名古屋大学法学部卒業。博士(法学)(名古屋大学)。東京高等裁判所部総括判事を経て、退官後弁護士登録し、中央大学大学院法務研究科教授及びアンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問に就任。 「別紙を蔑視しないこと」との題名や、「柵の問題だけに良い策がないか模索中だ。」との発言など、ダジャレを好む。 大学時代は大塚仁のゼミに加わったという。論文執筆活動もあり、1992年には、論文「弁護士役割論」で母校名古屋大学から博士(法学)の学位を取得している。
杉浦 昌弘(すぎうら まさひろ、1936年9月25日 - )… 杉浦 昌弘(すぎうら まさひろ、1936年9月25日 - )は、日本の植物分子生物学者・植物分子遺伝学者。学位は、理学博士(名古屋大学・論文博士・1967年)(学位論文「無細胞系におけるバクテリオファージφ×174の遺伝情報の発現」)。名古屋大学特別教授。名古屋大学名誉教授、名古屋市立大学名誉教授。 愛知県岡崎市出身。小学校から高校卒業まで幸田町で過ごした。双子葉植物であるタバコを用いて、1986年に植物葉緑体ゲノムの全塩基配列を世界で初めて決定した業績で世界で広く知られる。その後、単子葉植物のイネ葉緑体ゲノム、裸子植物のクロマツ葉緑体ゲノム、藻類のクロレラ葉緑体ゲノムの全塩基配列を決定。また、試験管内(in vitro)で活性のある葉緑体DNAの転写・翻訳系を開発した事でも知られる。
中村 哲(なかむら さとる、1931年5月17日 - )は、… 中村 哲(なかむら さとる、1931年5月17日 - )は、日本の経済史学者。京都大学・福井県立大学・鹿児島国際大学名誉教授。堀江英一門下。 1931年、愛知県岡崎市出身。神奈川県立小田原高等学校を卒業後、1951年4月、京都大学文学部入学。1955年4月、同文学部史学科国史学専攻卒業。1957年3月、京都大学大学院文学研究科修士課程国史学専攻修了。1959年3月、京都大学大学院文学研究科博士課程国史学専攻退学後、京都大学人文科学研究所助手を1966年まで務める。同年4月、龍谷大学経営学部助教授。1969年4月、京都大学経済学部助教授に就任。1970年7月、経済学博士学位取得。1976年7月、同経済学部教授。
小林健吾(こばやし けんご、1930年5月29日- )は、日… 小林健吾(こばやし けんご、1930年5月29日- )は、日本の会計学者。滋賀大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高等学校卒業、1954年名古屋大学経済学部卒業。1956年名古屋大学大学院経済学研究科修士課程修了。1975年コロンビア大学卒、1980年「直接原価計算」で大阪市立大学より経営学博士の学位を取得。1957年名城大学法商学部講師、1961年専修大学商経学部助教授、1962年経営学部助教授、1968年滋賀大学経済学部助教授、1971年教授、1986年名誉教授、青山学院大学経営学部教授。2001年定年、名誉教授、青森公立大学経営経済学部教授、2005年LEC会計大学院教授、2010年特任教授。
青木 脩(あおき おさむ、1925年1月3日 - 2004年… 青木 脩(あおき おさむ、1925年1月3日 - 2004年10月9日)は、日本の会計学者。経済学博士(論文博士・1978年)(学位論文「フランス会計制度論 付加価値会計制度の確立過程」)。愛知大学教授、名古屋工業大学教授、中京大学教授を歴任。名古屋工業大学名誉教授。 愛知県岡崎市生まれ。東京大学経済学部商業学科卒。1978年「フランス会計制度論 付加価値会計制度の確立過程」で経済学博士。名城大学講師、愛知大学助教授、教授、名古屋工業大学教授、1989年定年退官、名誉教授、中京大学教授。
鈴木 勝忠(すずき かつただ、1923年9月15日 - 20… 鈴木 勝忠(すずき かつただ、1923年9月15日 - 2012年6月3日)は、日本の日本近世文学研究者、岐阜大学名誉教授。 愛知県岡崎市生まれ。1943年、愛知第二師範学校卒業、入営。1953年、東京大学文学部国文科卒。愛知学芸大学講師、岐阜大学助教授、教授。1987年、定年退官、名誉教授、中京大学教授。1963年、東京大学国語国文学会賞受賞。1993年、芭蕉祭奨励賞受賞。2000年、勲三等旭日中綬章叙勲。没後正四位。 川柳・雑俳研究の第一人者で、『雑俳集成』を24巻のほか多く私家版を刊行した。
本田 実信(實信)(ほんだ みのぶ、1923年 <大正12年… 本田 実信(實信)(ほんだ みのぶ、1923年 <大正12年> 3月29日 - 1999年 <平成11年> 1月6日)は、日本の東洋史学者。文学博士(ケンブリッジ大学・1957年)。京都大学名誉教授。北海道大学教授・京都大学教授・名古屋商科大学教授を歴任。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 1923年、愛知県岡崎市生まれ。1949年東京帝国大学文学部東洋史学科を経て、東京大学大学院修了。1957年、ケンブリッジ大学に学位論文を提出して文学博士(Ph.D.)を取得。 英国留学からの帰国後、モンゴル帝国史、ティムール朝史、サファヴィー朝史等のペルシア語写本を中心とする重要写本のマイクロフィルムを大量に招来した。
永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991… 永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991年6月3日)は、日本の地球科学者である。岩石磁気学という分野を開いた。日本の南極観測を指導した。 愛知県岡崎市出身。第一東京市立中学、旧制第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、東京大学地震研究所を経て東京大学教授に就任した。疎開中は挙母町(現・豊田市宮町)の浄覚寺に滞在した。奇しくも30年前に日本人で初めて南極へ向かった白瀬矗が晩年1946年同じ挙母町に転居し亡くなった後、白瀬の妻と次女タケコが浄覚寺に滞在している。1944年7月、東京大学 理学博士、論文名は「火山岩、自然残留磁気およびその地球磁気学的諸問題への応用について(英文) 」。
阿部 真琴(あべ まこと、1908年(明治41年)11月6日… 阿部 真琴(あべ まこと、1908年(明治41年)11月6日 - 1988年(昭和63年)1月13日)は、日本史学者。 愛知県岡崎市出身。1931年東京帝国大学文学部国史学科卒、1951年神戸大学文理学部助教授、1958年文学部教授、1972年定年退官、名誉教授、徳川林政史研究所。1988年、急性心不全のため死去。
冨田 恒男(とみた つねお、1908年<明治41年>10月8… 冨田 恒男(とみた つねお、1908年<明治41年>10月8日 - 1991年<平成3年>6月23日)は日本の生理学者。医学博士。慶應義塾大学医学部名誉教授で医学部長を務めた。アメリカ合衆国のイェール大学名誉教授。眼の網膜の情報処理機構の研究で知られ、視覚神経生理学、感覚生理学の世界的権威とされる。1972年(昭和47年)、紫綬褒章受章。1978年(昭和53年)、勲二等瑞宝章受章。位階は従四位。愛知県岡崎市出身。
内田 智雄(うちだ ともお、1905年10月21日 - 19… 内田 智雄(うちだ ともお、1905年10月21日 - 1989年10月3日)は、日本の中国思想史学者。 1905年、愛知県岡崎市生まれ。同志社大学文学部を卒業。卒業後は同志社大学講師となった。1957年に学位論文『中国農村の分家制度』を同志社大学に提出して法学博士号を取得。その後、助教授、教授に昇進。1976年に同志社大学を定年退任し、名誉教授となった。 専門は中国の制度史・法制史。
杉山 新樹(すぎやま しんじゅ、1898年4月23日 - 1… 杉山 新樹(すぎやま しんじゅ、1898年4月23日 - 1974年2月16日)は、日本の画家、愛知学芸大学(現・愛知教育大学)教授。教育者として西三河美術界に功績を残した。 愛知県額田郡矢作町(現・岡崎市矢作町字西河原)に生まれる。愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)在学中、留年した尾崎士郎と同級になった。1916年(大正5年)、同校卒業。 1923年(大正12年)、東京美術学校卒業。岡崎に戻り、1925年(大正14年)に近藤孝太郎、山本鍬太郎らとともに「我々の会」を作り、洋画の展覧会を開き新人の育成に努める。1944年(昭和19年)まで春台会に所属した。同年、旺元会に出品。また、岡崎市立高等女学校(現・愛知県立岡崎北高等学校)や愛知県岡崎師範学校で教鞭をとった。
石田 茂作(いしだ もさく、1894年11月10日 - 19… 石田 茂作(いしだ もさく、1894年11月10日 - 1977年8月10日)は、日本の仏教考古学者。文学博士(東京帝国大学・論文博士・1941年)(学位論文「飛鳥時代寺院址の研究」)。元奈良国立博物館長。文化功労者。従三位勲二等旭日重光章。岡崎市名誉市民。 愛知県碧海郡矢作町(現・岡崎市矢作町)生まれ。本郷村外十ヶ町村組合立江西高等小学校(現・岡崎市立矢作中学校)から愛知県立第二中学校(愛知県立岡崎高等学校)へ進む。1918年、東京高等師範学校(現・筑波大学)本科国語漢文部卒業。愛知第二師範学校(現・愛知教育大学)勤務、1923年東京高等師範学校専攻科修身教育部卒業などを経て、1925年1月から鑑査官補として東京帝室博物館に勤務、鑑査官・学芸部長へと昇進した。
太田 功平(おおた こうへい、1893年9月2日 - 193… 太田 功平(おおた こうへい、1893年9月2日 - 1930年12月4日)は、日本の農学者、教育者。菜種の新品種「六ツ美種」の開発者として知られる。 愛知県碧海郡糟海村大字土井(現・岡崎市土井町)に生まれる。中井村立中井尋常高等小学校を卒業。しばらく村役場書記や小学校準教員をしていたが、愛知県第二師範学校(愛知教育大学の母体の一つ)へ進学する。同校卒業後10数年は、棚尾・依佐美・富士松・桜井等の尋常小学校の訓導として教鞭をとった。謄写印刷のパンフレット式の教科書を作り、農業関係の科目を熱心に教えたという。 1927年(昭和2年)、六ツ美村立農業補修学校の長谷川一男校長の招きにより、同校の教頭に就任。
鷹部屋 福平(たかべや ふくへい、1893年(明治26年)3… 鷹部屋 福平(たかべや ふくへい、1893年(明治26年)3月9日 - 1975年(昭和50年)4月24日)は、日本の工学者、アイヌ文化研究者。著書には橋梁や構造力学など力学関係のものが多い。北海道帝国大学、九州大学、防衛大学校などで教授を務めた。 愛知県額田郡岡崎町大字康生(現・岡崎市)に生まれる。父は岡崎藩士で画家の鷹部屋荘一郎。1899年(明治32年)4月4日、岡崎町立連尺尋常小学校(現・岡崎市立連尺小学校)に入学。1903年(明治36年)、額田郡岡崎高等小学校(現・岡崎市立梅園小学校)に入学。愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に入学すると、毎日のように暗くなるまでテニスの練習を行ったという。
石田 利作(いしだ りさく、1886年(明治19年)6月6日… 石田 利作(いしだ りさく、1886年(明治19年)6月6日 - 1967年(昭和42年)3月6日)は、日本の教育者、郷土史家、行政官。『岡崎市戦災復興誌』(1954年)の責任編纂者として岡崎の郷土史に多大な功績を残した。 愛知県碧海郡矢作村(現・岡崎市)に生まれる。1907年(明治40年)3月、愛知第二師範学校(現・愛知教育大学)卒業。同年4月、碧海郡刈谷町の刈谷第一尋常小学校(現・刈谷市立亀城小学校)に赴任。いくつかの小学校勤務を経たのち、大正期に南設楽郡と知多郡の視学を歴任。 1923年(大正12年)、岡崎市投尋常小学校(現・岡崎市立根石小学校)長に就任。1924年(大正13年)、岡崎市梅園尋常高等小学校(現・岡崎市立梅園小学校)長に就任。