和田 裕行(わだ ひろゆき、1970年〈昭和45年〉10月1… 和田 裕行(わだ ひろゆき、1970年〈昭和45年〉10月14日 - )は、日本の政治家、実業家。元滋賀県彦根市長(1期)、彦根党共同代表。 滋賀県彦根市出身。滋賀県立彦根東高等学校、慶應義塾大学理工学部管理工学科卒業。 1997年(平成9年)、映画の衣装や小物のレプリカ製作と販売を行う「マックス・ケイディ」を創業。 2005年(平成17年)4月24日に行われた彦根市長選挙に立候補。元市長で弁護士の獅山向洋、元県議の大久保貴と戦うも次点で落選。 ※当日有権者数:82,943人 最終投票率:47.19%(前回比:pts) 2009年(平成21年)4月26日に行われた市長選挙に再び挑戦し、得票数3位で落選。
小田 全宏(おだ ぜんこう、1958年11月3日 - )は、… 小田 全宏(おだ ぜんこう、1958年11月3日 - )は、日本の実業家。 滋賀県彦根市出身で、東京大学法学部を卒業して松下政経塾へ入塾する。 27歳から陽転思考の講演などで人づくりが生涯の課題と唱え、立候補者による公開討論会を企図する「リンカーン・フォーラム」、「首相公選の会」、「日本政策フロンティア」などを設立する。2003年に、NPO法人「富士山を世界遺産にする国民会議」運営委員長になり、記憶力向上アクティブ・ブレイン・プログラムを始める。2008年に、太陽光発電の日本版固定買取制度実現を目指す「GEIN」を岡田武史と共同代表で設立する。2019年に一般社団法人「ジャパン・スピリット協会」を設立する。
岩田 純明(いわた すみあき、1950年8月31日 - )は… 岩田 純明(いわた すみあき、1950年8月31日 - )は、日本の実業家、アイネットグループ代表取締役社長。1970年代に、すみあきくん名義でシンガーソングライターとして芸能活動を行ったことでも知られる。 滋賀県彦根市に生まれる。実家は自転車店で、兄とのふたり兄弟であった。高校時代は、強豪のヨット部の選手となり、琵琶湖で練習していた。 大阪府の大学に進学したが、音楽活動に力を入れ2年で中退して上京し、『スター誕生!』で合格、すみあきくん名義でデビューする。デビュー曲は、自作曲「満員電車」であった。以降、シングル数枚を出し、テレビアニメ『ダメおやじ』の主題歌「ダメおやじの唄」を作詞、作曲した。 芸能界を離れた後、しばらくして滋賀県に戻り、32歳だった1984年に店舗内装や看板を扱うディスプレイ業を起して独立し、後に2006年以降に飲食店のフランチャイズ店に進出し、やがて事業の重点を飲食業に移した。
岩根 順子(いわね じゅんこ、1948年 - )は、日本の実… 岩根 順子(いわね じゅんこ、1948年 - )は、日本の実業家、社会運動家。サンライズ出版代表取締役社長、三方よし研究所創立者・副理事長。ブルーレーク賞受賞。 滋賀県彦根市出身。1969年滋賀大学経済短期大学部(現滋賀大学経済学部夜間主コース)を卒業、父親が創業したサンライズに入社。1981年に父親の跡を継ぎ同社代表取締役社長となる。1982年サンライズ印刷を設立、代表取締役社長に就任。1990年からは滋賀県商工労働部主催のAKINDOフォーラム企画運営委員・会議委員を務める。1994年には「淡海文化を育てる会」を発足し、『淡海文庫』を創刊。1997年、滋賀県の文化・自然を全国に紹介した功績等により滋賀県知事からブルーレーク賞を授与される。
夏原 平和(なつはら ひらかず、1944年9月15日 - 2… 夏原 平和(なつはら ひらかず、1944年9月15日 - 2021年12月20日)は、日本の実業家。平和堂代表取締役会長、日本チェーンストア協会副会長、日本スーパーマーケット協会副会長。 「平和堂」という商号の由来となった人物でもある。 滋賀県彦根市出身。のちに平和堂を創業する夏原平次郎の長男として生まれる。滋賀県立彦根東高等学校を経て、1968年3月同志社大学法学部卒業。1968年4月平和堂入社。1970年取締役、1975年専務取締役、1983年副社長に就任。1989年に代表取締役社長、2017年に代表取締役会長に就任。この他、平和堂も出資・加盟する日本流通産業の代表取締役社長や、日本チェーンストア協会副会長、日本スーパーマーケット協会副会長も務めた。
西川 恭爾(にしかわ きょうじ、1939年7月12日 - )… 西川 恭爾(にしかわ きょうじ、1939年7月12日 - )は、日本の実業家。阪神電気鉄道相談役・元社長。 滋賀県彦根市出身。滋賀県立彦根東高等学校、京都大学卒業。京都大学大学院工学研究科(土木工学専攻)修了後の1965年に国鉄へ入社した。大阪駅再開発事業や東北新幹線上野乗り入れ事業にあたるなど、国鉄技術部門の中核を担った。1986年3月、阪神電鉄へ入社した。西梅田開発部長、鉄道事業本部長などを歴任し、2004年6月に代表取締役社長に就任した。その他には朝日放送取締役なども務めた。 しかし、村上ファンドによる株主大量取得事件が発生し、当時の代表取締役会長だった手塚昌利とともに引責辞任をし、相談役へ退いた。
松下 宏(まつした ひろし、1924年10月11日 - 20… 松下 宏(まつした ひろし、1924年10月11日 - 2000年3月10日)は、日本の経営者。東洋信託銀行社長を務めた。滋賀県彦根市出身。 1948年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋信託銀行に入行。1973年11月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1979年6月に専務、1980年12月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1987年2月に取締役に就任し、同年4月に取締役相談役を経て、1989年6月には相談役に就任。 2000年3月10日に肺炎のために死去。75歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
辻 源太郎(つじ げんたろう、1921年6月18日 - 20… 辻 源太郎(つじ げんたろう、1921年6月18日 - 2019年9月23日)は、日本の実業家。勲等は勲二等。 トヨタ自動車工業株式会社専務、トヨタ自動車株式会社副社長、トヨタ自動車株式会社副会長、国際デジタル通信株式会社会長、株式会社豊田自動織機製作所会長などを歴任した。 滋賀県彦根市出身。1946年に神戸経済大学(現神戸大学)卒業。 大学卒業後、トヨタ自動車工業に入社し、大学の先輩にあたる花井正八に師事。1972年楠兼敬とともに取締役に昇格。1978年常務取締役。1980年専務取締役。1982年副社長。1985年藍綬褒章受章。1986年から副会長として円高緊急対策委員長を務め、円高への対応などにあたった。
夏原 平次郎(なつはら へいじろう、1919年〈大正8年〉5… 夏原 平次郎(なつはら へいじろう、1919年〈大正8年〉5月30日 - 2010年〈平成22年〉6月19日)は、日本の実業家である。 滋賀県最大のスーパーマーケットチェーン平和堂を一代で築きあげたことから、滋賀県出身の商人は滋賀県内では大成しない(近江商人)という定説を覆した商人と評される。なお、2012年9月に中国の平和堂店舗が襲撃を受けた際、『みのもんたの朝ズバッ!』と『情報プレゼンター とくダネ!』が平和堂創業一族を在日華僑であると報じたが、これは誤りであり、番組内で訂正と謝罪があった。 滋賀県犬上郡河瀬村大字犬方(現在の彦根市犬方町)生まれ。農家の長男に生まれ、祖母の影響から仏教への信心を深める。
村岸 博三(むらぎし ひろぞう、1912年10月3日 - 1… 村岸 博三(むらぎし ひろぞう、1912年10月3日 - 1971年4月10日)は、日本の実業家。総合商社の丸紅(丸紅飯田)常務取締役、日本ゴム輸入協会会長、日本ゴム輸入組合理事長などを歴任した。 滋賀県彦根市出身。1934年、彦根高等商業学校本科(滋賀大学経済学部)を卒業し、同年に大同貿易(現 丸紅)へ入社した。また、彦根高等商業学校の同級生の川村喜太郎も、のちに丸紅で常務取締役を務めている。 大同貿易本社輸出織物部に入社後、フィリピンのセブ支店やマニラ支店で勤務し、輸出麻部・輸入雑貨部などで実務経験を積んだ。その後は神戸本店で繊維製品課長を務めた。 戦時中には南方軍司令部報道班員を務めたほか、朝鮮釜山支店長に就任。
安居 喜八(やすい きはち、1883年〈明治16年〉1月18… 安居 喜八(やすい きはち、1883年〈明治16年〉1月18日 - 没年不詳)は、日本の実業家。近江貯蓄銀行・百三十三銀行等、多くの会社の重役を務めた。資産家、滋賀県多額納税者。公選初代・彦根市長。家督相続前は、喜三郎を名乗る。 1883年(明治16年)1月、滋賀県犬上郡彦根町で、資産家の先代・安居喜八の長男として生まれる。安居家は滋賀県犬上郡彦根町における資産家として知られる。弟は大阪市東区瓦町1-20に居住した紙商・安居武藏(やすい むさし)。1887年(明治20年)家督を相續し、前名・喜三郞を改めた。 近江貯蓄銀行・百三十三銀行・川北電氣企業・黒部川電力ではそれぞれ取締役を務め、近江絹糸紡績では監査役を務めた。
阿部 房次郎(あべ ふさじろう、1868年2月11日(慶応4… 阿部 房次郎(あべ ふさじろう、1868年2月11日(慶応4年1月18日) - 1937年(昭和12年)5月12日)は、日本の実業家、政治家。族籍は滋賀県平民。 近江国彦根(滋賀県彦根市)出身。辻兼三の長男。阿部家の養子となり、1896年(明治29年)に分家して一家を創立する。 1892年(明治25年)、慶應義塾正科を卒業。 1894年(明治27年)、近江銀行、1900年(明治33年)、近江精油取締役、1901年(明治34年)、阿部製紙(王子製紙の前身のひとつ)専務、1904年(明治37年)経営不振の金巾製織に専務として入り、再建に尽力する。その後金巾製織は1906年(明治39年)に大阪紡績と、1914年(大正3年)に三重紡績と合併して東洋紡績が発足、山辺丈夫社長の下で専務となった。
七代目 伊藤 長兵衛(しちだいめ いとう ちょうべえ、186… 七代目 伊藤 長兵衛(しちだいめ いとう ちょうべえ、1868年(明治元年)- 1941年(昭和16年))は、日本の実業家。初代伊藤忠兵衛は義理のおじにあたる。 近江国犬上郡河瀬村犬方(現・滋賀県彦根市犬方町)の若林又三郎の次男として生まれる。幼名は長次郎。16歳で伊藤長兵衛商店に丁稚奉公に入る。22歳で六代目伊藤長兵衛の養子となり、1892年(明治25年)に長兵衛の次女やすと結婚して、翌年七代目伊藤長兵衛を襲名した。滋賀県内外への商売が結実して伊藤長兵衛商店は拡大していき、1921年(大正10年)には伊藤忠商店を合併し、丸紅商店を設立して初代社長に就任した。これが現在の丸紅の前身にあたる。 近隣に診療所が皆無であったことを懸念した長兵衛は、1925年(大正14年)に私財と自宅敷地の大部分を寄付し、豊郷病院を開設した。
西田 庄助(にしだ しょうすけ、1859年2月20日(安政6… 西田 庄助(にしだ しょうすけ、1859年2月20日(安政6年1月18日)- 1937年(昭和12年)6月23日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、滋賀県犬上郡千本村長。 近江国犬上郡西沼波村(滋賀県犬上郡千本村字西沼波を経て現彦根市)で、西田教寛の長男として生まれる。深見東岳から漢学を学んだ。1881年(明治14年)12月、家督を相続した。農業、商業を営む。 1884年(明治17年)10月、平田村外11ヶ村連合会議員・同議長に就任。以後、地蔵村外2ヶ村連合会議員・同議長、彦根沼波町外6ヶ町村連合会議員・同議長、今井水利土工連合会議員・同議長、犬上郡彦根町外101ヶ町村連合会議員、犬上郡所得税調査委員、滋賀県米質改良組合規則設定委員、滋賀県勧業諮問会員などを務めた。
秋元 源彌(秋元 源弥、あきもと げんや、1855年9月5日… 秋元 源彌(秋元 源弥、あきもと げんや、1855年9月5日〈安政2年7月24日〉 - 1915年〈大正4年〉7月26日)は、日本の商人(皮革商、近江屋主)、会社役員。日本肥料取締役。族籍は東京府平民。 近江国坂田郡甲田村(のち滋賀県坂田郡鳥居本村、現彦根市甲田町)出身。秋元平太郎の三男。分家して一家を創立する。僅かに旅費を持ち、1879年に単身で東京に来る。 製皮事業が有利であることを予知し、2年間某商の徒弟となり、1881年に独立して近江屋商店を開業する。「都下に於ける皮革商中の大商賈」と称され、直接国税約1000円を納める。 所得税調査委員、東京製革業組合頭取などをつとめる。長らく病気のところ薬石効なく1915年7月26日に死去する。
石橋 彦三郎(いしばし ひこさぶろう、1855年〈安政2年5… 石橋 彦三郎(いしばし ひこさぶろう、1855年〈安政2年5月〉または1862年8月11日(文久2年7月16日) - 1938年または1939年)は、日本の実業家。滋賀県出身であるが、北海道に渡って「丸ヨ石橋彦三郎商店」の屋号で醤油醸造を手がけ、道内でトップ、日本でも「醤油御三家」に数えられる生産高の事業に育てた。 後の滋賀県犬上郡彦根町(現・彦根市)に生まれる。出生当時の名前は「捨治郎」もしくは「捨次郎」。彦治の五男であった。 兄の先代・彦三郎は彦根藩が幕末に北海道日高国沙流に藩士を駐在させる際に御用商人として箱館で米穀荒物商を開き、1871年(明治4年)に小樽に店舗を移した。先代・彦三郎は海産物を江戸に運ぶ事業もおこなったとされる。
田部 密(たなべ ひそか、1838年2月16日(天保9年1月… 田部 密(たなべ ひそか、1838年2月16日(天保9年1月22日) - 1910年(明治43年)10月5日)は、幕末彦根藩士、明治期代の地方官僚・実業家・漢学者。 1838年2月16日((旧暦)天保9年1月22日)近江犬上郡彦根城下上藪下町の同藩足軽谷口他三郎の次男として誕生し、同じ足軽の田部全次の養子となる。両家とも8石取りと伝えられている。通称は全蔵又は先蔵と称した。藩校弘道館で学び、特に漢学を修めた。 文久・元治より慶応・明治維新の間、藩の外交掛りに属し、諸藩の志士と交わり、大東義徹・川上吉太郎・外村省吾・西村捨三・西川吉輔・大音竜太郎等と共に活動した。特に1866年(慶応2年)第二次長州征討に際して、岩国藩用人であり漢学者であった塩谷鼎助を介し秘密裏の交渉を取り持った(『吉川経幹周旋記』)。