石原 蓮(いしはら れん、1999年9月28日 - )は、滋… 石原 蓮(いしはら れん、1999年9月28日 - )は、滋賀県守山市出身のサッカー選手。 地元滋賀県のセゾンフットボールクラブに所属後、龍谷大平安に進学。 2018年、滋賀ユナイテッドMFCに入団。その後2019年からはオーストラリアに渡り、2022年には現地のグリフィス大学を卒業し現在もセミプロサッカー選手としてプレーしている。 2022年以降もベイサイドユナイテッド、セントジョージFCなどQLD内クラブで活躍。2022年度、2023年度は2度のクラブリーグ準優勝にも貢献した。 また英会話教室、サッカー教室の運営も行っている。
福島 立也(ふくしま りゅうや、1996年9月5日 - )は… 福島 立也(ふくしま りゅうや、1996年9月5日 - )は、滋賀県守山市出身のサッカー選手。ポジションは、FW。 鹿児島実業高校時代は、背番号10番をつけていた。同期に井上黎生人が在籍していた。 2015年に鹿児島実業高校を卒業後、鹿児島ユナイテッドFCに入団。第17回日本フットボールリーグの開幕戦(奈良クラブ戦)にて、後半途中出場ながらアディショナルタイムに劇的な決勝点を挙げ、華々しくデビューする。2015年シーズンは途中出場のみだったが、鋭いドリブルによる攻撃参加が持ち味。 2016年4月、鈴鹿アンリミテッドFCへ期限付き移籍。 2017年よりヴェルスパ大分に完全移籍。同年7月、ヴェルスパ大分を退団。
鶴田 圭祐(つるた けいすけ、1994年5月12日 - )は… 鶴田 圭祐(つるた けいすけ、1994年5月12日 - )は、滋賀県守山市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。左投左打。 守山市立守山小学校3年生の時に物部少年野球団で軟式野球を始め、守山市立守山南中学校時代は軟式の野洲ブレーブスに所属した。中学校卒業後は寒川高等学校に入学、硬式野球部に投手として所属したが1年秋に外野手に転向した。 高校卒業後は指定校推薦で帝京大学へ入学し、準硬式野球部に入部し投手に再転向した。スーパー銭湯でアルバイトをするなど普通の学生生活もおくりながら、限られた時間・場所の中で練習してきた。 2015年(大学3年)春の東都大学準硬式野球連盟2部リーグ戦では青山学院大学との対戦でノーヒットノーランを達成したが、準硬式2部の投手への注目は低かった。
村上 昌謙(むらかみ まさあき、1992年8月7日 - )は… 村上 昌謙(むらかみ まさあき、1992年8月7日 - )は、滋賀県守山市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・京都サンガF.C.所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 河西サッカースポーツ少年団(河西キッカーズ)から滋賀県立草津東高等学校を経て大阪体育大学へ進学。村田和哉は河西キッカーズと大阪体育大学の先輩にあたる。同大学のサッカー部では3年次からレギュラーGKを務め、第62回全日本大学サッカー選手権大会の優勝に貢献。2014年にはデンソーチャレンジカップ関西選抜の一員にも選ばれ、全日本大学選抜にも選出された。 2015年にレノファ山口FCへ入団。出場機会はなかったものの、第37節からの終盤3試合では一森純の控えとしてベンチ入りを果たした。
下畠 翔吾(しもはた しょうご、1992年5月8日 - )は… 下畠 翔吾(しもはた しょうご、1992年5月8日 - )は、滋賀県守山市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF。 2011年、京都サンガF.C.U-18よりトップチームに昇格した。 2012年に京都サンガF.C.から佐川印刷SCに期限付き移籍。2013年に京都に復帰。 2020年、いわてグルージャ盛岡に完全移籍。 2021年2月9日、ポルベニル飛鳥(現・飛鳥FC)に移籍。 2022年12月7日、現役引退を発表。
西野 颯(にしの はやて、1992年4月16日 - )は、プ… 西野 颯(にしの はやて、1992年4月16日 - )は、プロ野球選手(内野手)。ベースボール・チャレンジ・リーグの滋賀ユナイテッドベースボールクラブに所属している。
村田 和哉(むらた かずや、1988年10月7日 - )は、… 村田 和哉(むらた かずや、1988年10月7日 - )は、滋賀県守山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。 野洲高校では乾貴士、田中雄大、荒堀謙次らと同学年。3年時には第85回全国高校サッカー選手権に出場。大阪体育大学2年時には橋本和、田所諒、松尾元太らと共に、第32回総理大臣杯で全国制覇を果たしている。 2011年にセレッソ大阪に入団。2年間でリーグ戦19試合に出場したが、2013年シーズン前の契約更新にあたり、海外を含めた他クラブへの移籍を希望して契約を更新せず、2013年3月31日にC大阪の退団を発表。 2013年4月10日、清水エスパルスへ加入。
酒井 隆介(さかい りゅうすけ、1988年9月7日 - )は… 酒井 隆介(さかい りゅうすけ、1988年9月7日 - )は、滋賀県守山市出身のプロサッカー選手、ポジションはディフェンダー(DF)。 2011年に京都サンガF.C.に入団すると、チームが若手に切り替える方針になったこと、6月以降DF陣に怪我人が出たこともありレギュラーで出場するようになり、2011年8月14日のギラヴァンツ北九州戦でプロA契約締結条件である公式戦(J2)900分以上出場し、プロC契約からプロA契約変更を果たした。 2015年、松本山雅FCに完全移籍。松本ではリーグ合計35試合に出場した。 2016年6月に名古屋グランパスに完全移籍することが発表された。 2018年、FC町田ゼルビアに期限付き移籍。
片山 直哉(かたやま なおや、1987年12月8日 - )は… 片山 直哉(かたやま なおや、1987年12月8日 - )は、滋賀県守山市出身のサッカー選手。ポジションは、ディフェンダー。
ひょっこりはん(1987年〈昭和62年〉4月28日 - )は… ひょっこりはん(1987年〈昭和62年〉4月28日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。 本名は宮下 聡(みやした さとし)。滋賀県守山市出身。吉本興業所属。身長174 cm、血液型B型。既婚。 滋賀県立草津東高等学校体育科卒業後、2年間の浪人生活を経て早稲田大学人間科学部へ入学。金子孝夫(情報コミュニケーション)のゼミで学ぶ。卒業論文は「仮想空間におけるビジネスの可能性」。 高校では、本人曰く「他のクラスよりも平均点が10点ほど低いクラスで、自分の成績も下から数えた方が早かった」とのことだった。 ソフトテニスを特技とし、高校時代はインターハイに出場。大学時代に高校生時代の同級生に誘われてお笑いサークル「早稲田大学お笑い工房LUDO」に在籍し「エニグマ」というコンビで活動、第10代幹事長を務めた経験を持つ。
大澄 れい(おおすみ れい、1985年8月2日 - )は、元… 大澄 れい(おおすみ れい、1985年8月2日 - )は、元宝塚歌劇団・雪組の男役。現在はイラストレーター。 滋賀県守山市、京都女子高等学校、諏訪ミュージカルスクール出身。身長168cm。愛称は「ザッキー」。
佐合井 マリ子(さごい マリこ、1981年 - )は、滋賀県… 佐合井 マリ子(さごい マリこ、1981年 - )は、滋賀県守山市出身・在住のシンガーソングライターである。 3歳の頃に母親に連れて行かれた音楽教室で音楽に触れる。1歳上の姉に誘われて吹奏楽部に入部し、守山南中学校、滋賀県立大津商業高等学校と吹奏楽部で活動。高校ではフルートを希望したが、トランペット担当になりパートリーダーを務めた。ピアノが大好きになり、高校卒業後、音楽の専門学校に進学。卒業後、アカペラグループ「Yo!!six (ヨシックス)」を経て、自分なりに作詞作曲をしたところ、思わぬ大反響を得て、2005年4月にシンガーソングライターとして活動を開始。同年6月18日、1stアルバム『うたのれんしゅう』をリリース。
くっきー!(1976年〈昭和51年〉3月12日 - )は、日… くっきー!(1976年〈昭和51年〉3月12日 - )は、日本のお笑いタレント、画家、ミュージシャン。野性爆弾のボケ、ネタ作り担当。吉本興業(東京本社)所属。本名および旧芸名は川島 邦裕(かわしま くにひろ)。別名は肉糞太郎(にくぐそたろう)、肉糞亭スポーツ、引田くっきー。愛称はくーちゃん。滋賀県守山市出身。 小学3年生の夏休みに父から「畑に刀埋まってる」と言われて畑で穴を掘り続けることになる。その最中に熱射病になり、生死の境を彷徨う。刀は見つからなかったが、この体験が自身の世界観や芸風の原点となっているとのちに述懐している。 中学生時代にバンドブームの影響を受け、JUN SKY WALKER(S)、THE BLUE HEARTSをきっかけにパンク・ロックに熱中する。
ロッシー(1975年〈昭和50年〉4月6日 - )は、日本の… ロッシー(1975年〈昭和50年〉4月6日 - )は、日本のお笑いタレント。野性爆弾のツッコミ担当。吉本興業(東京本社)所属。本名および旧芸名は城野 克弥(しろの かつや)。滋賀県守山市出身。 農家の家系の両親のもとに生まれる。くっきー!と同じ幼稚園に入園し、以降高校までくっきー!と同じ学校に通う。小学生のときからジーコに憧れてサッカースクールに通い、高校では松田保が監督を務めるサッカー部のBチームに所属。 中学生のころに悪ふざけで生徒会長に立候補したところ、生徒会長を選ぶ選挙で最多得票を集めたことから生徒会長に就任。高校時代の成績は学年で下から2番目であった。くっきー!が下から3番目であり、登校拒否をしていた生徒が最下位であったため、事実上の最下位であった。
上原 仁(うえはら じん、1974年11月15日 - )は日… 上原 仁(うえはら じん、1974年11月15日 - )は日本の実業家。マイネットの創業者で元代表取締役会長。元滋賀レイクスターズ代表取締役会長、元琉球フットボールクラブ監査役。滋賀県守山市出身。神戸大学経営学部卒業。日本初のソーシャルニュースサイトのnewsing(ニューシング)などを運営した。 滋賀県守山市に生まれ、高校卒業までを滋賀で過ごした。滋賀県立膳所高等学校を卒業した後、神戸大学経営学部へ進学する。大学在学中には大学付近に支店を構える家庭教師のトライで営業のアルバイトを3年ほど経験。米国に1年間留学したのち大学を卒業。 1998年に神戸大学経営学部を卒業し、NTTに入社。8年ほどの勤務を経て株式会社マイネットを創業。
吉岡 大輔(よしおか だいすけ、1974年5月8日 - )は… 吉岡 大輔(よしおか だいすけ、1974年5月8日 - )は、NHKのチーフアナウンサー。 滋賀県守山市出身。灘高等学校を経て、東京大学法学部を卒業後、1998年(平成10年)4月に入局。 仙台放送局時代(2024年8月 - ) この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
高田 信良(たかだ しんりょう、1947年 - )は、日本の… 高田 信良(たかだ しんりょう、1947年 - )は、日本の宗教哲学者。龍谷大学名誉教授。博士(文学)。 滋賀県守山市出身。同市の真宗木辺派西蓮寺の長男として生まれる。
三品 昌美(みしな まさよし、1944年7月24日 - )は… 三品 昌美(みしな まさよし、1944年7月24日 - )は、日本の医化学者、神経生理学者。 主な業績はシナプス分子と記憶・学習に関する研究で、グルタミン酸受容体の仕組みの発見など、脳の記憶や学習機能の解明に貢献した。 滋賀県守山市出身。工学博士(京都大学、1977年)。 滋賀県立膳所高等学校卒業。1971年、京都大学工学部工業化学科卒業。1976年、京都大学大学院工学研究科博士課程単位修得退学。 1978年、ドイツ・エアランゲン=ニュルンベルク大学生化学研究所 研究員。1980年、スイス・チューリッヒ大学分子生物学研究所 研究員。 1981年、京都大学医学部 助教授。1990年、新潟大学脳研究所 教授。
国松 俊英(くにまつ としひで、1940年 - )は、日本の… 国松 俊英(くにまつ としひで、1940年 - )は、日本の児童文学作家。 日本児童文学者協会、日本児童文芸家協会、日本野鳥の会、宮沢賢治学会会員。 滋賀県守山市生まれ。滋賀県立八幡商業高等学校、同志社大学商学部を卒業。上京して児童文学同人誌「ピノキオ」に加わり、童話創作を始める。砂田弘に師事し、1979年より文筆生活に入る。古田足日児童文学塾で学ぶ。 童話や児童小説を書く一方、ノンフィクション文学の世界で新しい分野を切り開いて活躍している。1996年に発表した「宮沢賢治 鳥の世界」では、賢治の童話や詩に登場する鳥類を解析し、これまで誰も書かなかった賢治文学の魅力を明らかにした。また1996年出版の「鳥を描き続けた男 - 鳥類画家・小林重三」では、博物画家として大きな仕事を世に残した動物画家・小林重三の生涯と仕事を発掘して注目を集めた。
甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月1… 甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月11日 - 2025年(令和7年)10月24日)は、日本の政治家。元滋賀県守山市長(2期)。 滋賀県守山市出身。実家は守山市にある臨済宗大徳寺派少林寺。6歳で得度する。同志社大学文学部を卒業。卒業後はマツダオート京都に就職し、課長となる。その後、守山市役所に入り、守山市土地開発公社に勤務し、同事務局長になる。1989年少林寺の住職に就く。 1995年守山市長選挙に立候補し初当選。1999年は無投票で再選。2003年に三選を目指したが、元守山市議の山田亘宏に敗れた。 2008年春の叙勲で旭日双光章を受章する。 2025年10月24日、病気療養中に守山市内の病院で死去した。
高谷 好一(たかや よしかず、1934年3月18日 - 20… 高谷 好一(たかや よしかず、1934年3月18日 - 2016年3月12日)は、日本の生態学者。京都大学名誉教授、滋賀県立大学名誉教授。専攻は東南アジア地域研究。 滋賀県守山市出身。京都大学理学部を経て、同大学院理学研究科修了。京都大学東南アジア研究センター助手・助教授を経て、1975年より同教授。1995年から2004年まで滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科教授。2005年より、聖泉大学総合研究所所長・教授。2013年に瑞宝中綬章受章。 2016年3月12日、滞在先のインド・チャンディーガルのホテルにて81歳で没した。
中島 一(なかじま はじむ、1925年(大正14年)11月2… 中島 一(なかじま はじむ、1925年(大正14年)11月22日 - 2012年(平成24年)6月11日)は、日本の政治家。彦根市長(3期)。 滋賀県守山市出身。旧制名古屋工業専門学校(現・名古屋工業大学)建築科卒業。旧建設省技官、滋賀県庁を経て、愛知工業大学教授に就任。 1993年(平成5年)に彦根市長選挙に立候補して、現職の獅山向洋、共産党の新人を破って初当選。 ※当日有権者数:72,781人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 市長選に立候補して、無所属の新人、元職となった獅山、共産党の新人を破って再選を果たした。 ※当日有権者数:77,223人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 市長選に立候補して、大久保貴ら無所属新人2人と共産党の新人1人を破って3選を果たした。
山田 豊三郎(やまだ とよさぶろう、1922年(大正11年)… 山田 豊三郎(やまだ とよさぶろう、1922年(大正11年)10月13日 - 2009年(平成21年)7月18日)は、日本の政治家。第21代大津市長(1980年 - 2004年)。 市助役などを務めた後、6期にわたり大津市長を務め市の都市整備などを行った。「豊さん」、「山豊さん」のあだ名で親しまれた。元全国市長会相談役。大津市名誉市民。旭日中綬章。趣味は映画、歌謡、ダンス。 滋賀県野洲郡玉津村赤野井(現・守山市)の農家、堀出家に出生。のち、大津市出身の山田美惠子と結婚し、山田姓に改める。 1943年11月に満州国立新京法政大学特修科経済学部卒業。1944年、学徒出陣で遼陽の第33連隊に配属、第120師団輕重隊に配属される。
宇野 宗佑(うの そうすけ、1922年〈大正11年〉8月27… 宇野 宗佑(うの そうすけ、1922年〈大正11年〉8月27日 - 1998年〈平成10年〉5月19日)は、日本の政治家。第75代内閣総理大臣。位階は従二位。勲等は勲一等。俳号は犂子(れいし)。 滋賀県議会議員(2期)、滋賀県議会副議長(第45代)、衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第32代)、科学技術庁長官(第31代)、行政管理庁長官(第44代)、通商産業大臣(第42代)、外務大臣(第110代)、内閣総理大臣(第75代)、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総裁(第13代)などを歴任。 1922年(大正11年)8月27日、滋賀県野洲郡守山町(現・守山市)に父・宇野長司と母・民子の間に長男として生まれる。
佐野 猛夫(さの たけお、1913年10月22日 - 199… 佐野 猛夫(さの たけお、1913年10月22日 - 1995年10月2日)は、日本のろうけつ染作家。京都市立芸術大学名誉教授。第4回改組日展出品作「噴煙の島」により日本芸術院賞を受賞した。 滋賀県野洲郡守山町(現在の守山市)に生まれる。1927年に京都市立美術工芸学校(現在の京都市立美術工芸高等学校)図案科に入学し、山田江秀、山鹿健吉に学んだ。1932年に京都市立美術工芸学校を卒業し、1933年の第20回商工省工芸美術展図案部に創作図案「祭礼の図額」で、同年の第14回帝展に「大阪天満祭ノ図鑞染壁掛」でそれぞれ初入選を果たした。 1930年代には京都市展や工芸院展でも受賞を重ね、京都染織繍芸術協会にも参加した。
森口 華弘(もりぐち かこう、明治42年(1909年)12月… 森口 華弘(もりぐち かこう、明治42年(1909年)12月10日 - 平成20年(2008年)2月20日)は、日本の染織家で友禅染めの重要無形文化財保持者(人間国宝)。蒔糊技法を用いた友禅染め作品で知られる。 森口華弘は、明治42年(1909年)12月10日に滋賀県野洲郡守山町字岡(現滋賀県守山市岡町)の森口周治郎・とめ夫妻の子として生まれ、平七郎と名付けられた。森口家は農業と米屋を営み、華弘は5人兄弟の3番目3男で偏食、病弱小柄で大変大人しく、誰彼構わず喧嘩をするガキ大将ですら平七郎とは一度も喧嘩をしなかったと伝えられる。12歳で小学校を卒業すると、遠縁が営む京都の薬店に奉公に出、夜は薬剤師を目指し薬学校夜学部に通ったが、制度変更から薬剤師になるためには専門学校卒業が義務付けられ、金銭的にゆとりがなく専門学校に進学できない平七郎は薬剤師になることを断念せざるを得なかった。
永井 柳太郎(ながい りゅうたろう、1903年3月8日 - … 永井 柳太郎(ながい りゅうたろう、1903年3月8日 - 1986年2月28日)は、滋賀県栗太郡物部村(現:守山市)出身の俳優。本名は高橋 由松。 1920年、新派の俳優・伊井蓉峰の門下生となる。 時代劇では捕り方役などで出演していた。 新派、文藝団[要出典]、マキノ撮影所、松竹、東宝、新東宝、フリーを経て、さち子プロ[要出典]に所属していた。 1986年2月28日、死去。82歳没。
小林 橘川(こばやし きっせん、1882年〈明治15年〉10… 小林 橘川(こばやし きっせん、1882年〈明治15年〉10月1日 - 1961年〈昭和36年〉3月16日)は、日本のジャーナリスト、政治家。名古屋市長を3期務めた。 滋賀県野洲郡守山町(現・守山市)にて漢方薬商、山本藤右衛門の三男として生まれた。幼名は音次郎。1884年(明治17年)、滋賀県野洲市北桜の浄土宗多門寺の小林麗海の養子となり海音と改名した。その後、浄土宗高等学院(現大正大学)入学するが中退。小学校教員、京都府内の極楽寺住職を経て、ジャーナリストとしての才覚を発揮し1905年(明治38年)には「近江新報」主筆となり、県政批判の筆を揮った。1911年(明治44年)名古屋新聞に転じ1914年(大正3年)より「名古屋新聞」主筆を経て、1942年(昭和17年)政府の指導で「新愛知新聞」と合併した「中部日本新聞(現中日新聞)」の取締役となった。
中野 善次郎(なかの ぜんじろう、1866年8月18日〈慶応… 中野 善次郎(なかの ぜんじろう、1866年8月18日〈慶応2年7月9日〉 - 1944年6月24日〈昭和19年〉)は、日本の明治・大正期における実業家。滋賀県出身。 1866年(慶応2年)7月9日、近江国野洲郡守山村吉身(現・滋賀県守山市吉身)で誕生。 父は滋賀県議会議長や衆議院議員を務めた岡田逸治郎、母は逸治郎の二番目の妻いを。八男七女の三男として誕生(長男夭折により対外的には次男の扱い)し、久治郎と称した。 その後、1876年(明治9年)8月、愛知県額田郡岡崎の木村家に養子として入るが離縁され復籍。1882年(明治15年)6月20日、滋賀県栗太郡草津村(現・滋賀県草津市)の実業家である中野傳助の娘みさと結婚し、中野家の入り婿として傳助の養嗣子となり中野善次郎と改名した。
島田 保之助(しまだ やすのすけ、安政5年10月12日(18… 島田 保之助(しまだ やすのすけ、安政5年10月12日(1858年11月17日) - 昭和2年(1927年)2月21日)は、衆議院議員(立憲政友会→中正会→憲政会)、ジャーナリスト。 近江国野洲郡中洲村大字新庄(現在の滋賀県守山市)出身。郷里で漢学を修めた後、京都に遊学した。1880年(明治13年)、滋賀県医学校に入学したが、翌年に東京に遊学した。東京で自由民権運動に参加し、1884年(明治17年)に自由党に入党。その後も立憲自由党の設立に尽力し、1892年(明治25年)から自由党滋賀県支部幹事を務めた。1894年(明治27年)、「淡海民報」を創刊し、1902年(明治35年)には「江州新聞」を創刊した。
岡田 逸治郎(おかだ いつじろう、1840年1月24日(天保… 岡田 逸治郎(おかだ いつじろう、1840年1月24日(天保10年12月20日) - 1909年(明治42年)10月4日)は、明治時代の滋賀県の政治家、諱は久通(ひさみち)。 1840年1月24日(天保10年12月20日)、近江国野洲郡中山道守山宿の加宿吉身郷(現・滋賀県守山市吉身)に住む岡田弥兵衛(諱は久忠)の長男として誕生。岡田家は士格に列し、宮津藩領分庄屋総代を務め、別に種油製造「大黒屋」を営んでいた。 1845年(弘化2年)、森唯楽軒の私塾に入塾。 1852年(嘉永5年)、黒船の浦賀への来航を見るため家出同然に守山を出奔。浦賀より江戸に遊学していたが、翌々年父の遣いにより連れ戻される。 1857年(安政4年)11月、近江国栗太郡辻村の木村重左衛門の五女「たみ」と結婚し、4年後家督を継ぐ。