原田 亮(はらだ りょう、1986年〈昭和61年〉8月23日… 原田 亮(はらだ りょう、1986年〈昭和61年〉8月23日 - )は、日本の政治家。大阪府箕面市長(1期)。箕面市議会議員(1期)、大阪府議会議員(2期)を務めた。 大阪府堺市出身。智辯学園高等学校、大阪大学法学部法学科政治専攻を卒業。大阪大学在学中の2011年に東日本大震災が起きると、『被災者支援団体ACTION』を結成し、その代表者として阪大生とともに被災者支援の活動に取り組んだ。 木挽司衆議院議員事務所勤務を経て、2012年、全国最年少の25歳で箕面市議会議員に当選。1期目途中の2015年、大阪府議会議員選挙に立候補し、全国都道府県議会議員最年少の28歳で当選を果たした。2019年の府議選で再選。
遠藤 良太(えんどう りょうた、1984年12月19日 - … 遠藤 良太(えんどう りょうた、1984年12月19日 - )は、日本の政治家。日本維新の会所属の元衆議院議員(1期)。父はロングライフホールディング創設者で、クリスチャン実業家としても知られる遠藤正一。 大阪府堺市出身。追手門学院大学経営学部卒業。在学中の2007年にバックパッカーとして世界1周した経験を持つ。 2009年、中国山東省威海市に語学留学し、日本語講師として従事。翌年に帰国しハウステンボス株式会社に入社。 2013年、老人ホームや在宅介護事業を行うロングライフホールディング(大阪市)に入社し、2015年からは中国に駐在して現地有料老人ホームの立ち上げや運営管理などに従事。 2019年、帰任し、同社の海外事業を担う子会社ロングライフグローバルコンサルタントの代表取締役社長に就任。
丸山 穂高(まるやま ほだか、1984年1月10日 - )は… 丸山 穂高(まるやま ほだか、1984年1月10日 - )は、日本の元経産官僚、政治家。日本維新の会所属の衆議院議員(2期)。
黒田 征樹(くろだ まさき、1979年12月20日 - )は… 黒田 征樹(くろだ まさき、1979年12月20日 - )は、日本の政治家。日本維新の会所属の衆議院議員(2期)。堺市議会議員(4期)を務めた。 大阪府堺市(東区)草尾生まれ。堺市立登美丘中学校卒業後、塗装会社勤務を経て22歳で独立し、黒田塗装を創業。後に株式会社Art-Projectに改組。 2011年、堺市議会議員選挙に大阪維新の会公認で立候補し、初当選。以後4期連続当選。 2022年、大阪維新の会堺市議団代表就任。 2023年、日本維新の会常任役員就任。同年8月9日、日本維新の会の次期衆院選大阪16区候補予定者を決める予備選が実施され、黒田が大阪府議会議員の伊良原勉を破り、候補者に選ばれた(黒田:184票、伊良原:161票)。
濱村 進(はまむら すすむ、1975年〈昭和50年〉9月30… 濱村 進(はまむら すすむ、1975年〈昭和50年〉9月30日 - )は、日本の政治家。 農林水産大臣政務官(第4次安倍第1次改造内閣)、衆議院議員(3期)などを歴任。 1975年、岡山県倉敷市で生まれ、その後、大阪府堺市育ち、1988年、堺市立西陶器小学校を卒業。1991年、堺市立平井中学校を卒業。1994年、関西創価高等学校を卒業。 2000年、関西学院大学総合政策学部を卒業。学士(総合政策)の学位を取得。同年10月、野村総合研究所に入社。2012年10月、野村総合研究所を退職。同年11月、公明党青年局次長兼公明党関西青年会議副議長に就任。同年12月、第46回衆議院議員総選挙比例近畿ブロックに公明党から単独4位で初当選。
梅村 聡(うめむら さとし、1975年2月13日 - )は、… 梅村 聡(うめむら さとし、1975年2月13日 - )は、日本の政治家、医師。衆議院議員(2期)。 参議院議員(2期)、厚生労働大臣政務官(野田第3次改造内閣)を務めた。 1975年2月13日、大阪府堺市で誕生。大阪市淀川区十三で育つ。十三幼稚園、大阪市立神津小学校、大阪教育大学附属池田中学校、大阪教育大学附属高等学校池田校舎、大阪大学医学部卒業。 2001年、医師免許を取得し、大阪大学医学部附属病院で勤務した。 2002年、箕面市立病院内科に転勤。 2004年、大阪大学大学院医学系研究科入学。日本内科学会認定内科医を取得。 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で大阪府選挙区から出馬し、1,281,502票を獲得して初当選した(この選挙で梅村が獲得した票数は、同選挙区で過去最多だった1998年の第18回参議院議員通常選挙で西川きよしが獲得した1,057,393票を上回り、最多となった)。
髙木 佳保里(たかぎ かおり、旧姓:小田、1972年10月1… 髙木 佳保里(たかぎ かおり、旧姓:小田、1972年10月10日 - )は、日本の政治家。日本維新の会所属の参議院議員(2期)。日本維新の会総務会長(第4代)・全国維新連絡会会長・国会議員団幹事長代行。日本維新の会ダイバーシティ推進局局長、同国会議員団国会対策委員長代行、参議院国会対策委員長を歴任。 元堺市議会議員(2期)。父は和歌山大学元学長の小田章。 参議院議員としての名前(通称)は、高木かおり。 大阪府堺市の泉北ニュータウンに生まれる。堺市立庭代台小学校、堺市立庭代台中学校、大阪府立三国丘高等学校卒業。京都女子大学家政学部卒業後、三菱信託銀行に入行。 2011年、堺市議会議員選挙に自由民主党(自民党)公認で南区選挙区から出馬し、初当選した。
福島 豊(ふくしま ゆたか、1958年1月4日 - )は、日… 福島 豊(ふくしま ゆたか、1958年1月4日 - )は、日本の医師、政治家。元衆議院議員(5期)。
北側 一雄(きたがわ かずお、1953年〈昭和28年〉3月2… 北側 一雄(きたがわ かずお、1953年〈昭和28年〉3月2日 - )は、日本の政治家、弁護士、税理士。公明党常任顧問。 衆議院議員(10期)、大蔵政務次官(細川内閣)、公明党政務調査会長、国土交通大臣(第5・6代)、公明党幹事長、中央幹事会会長、公明党副代表を歴任した。 1953年3月2日、大阪市生野区に生まれる。父親は衆議院議員を務めた北側義一(地盤は継承していない)。在日コリアンの多い地域で北側の学生時代の回想によると小学校・中学校時代クラスの3分の1から4分の1は在日朝鮮人だった。1971年3月、創価高等学校卒業。在学中はサッカー部で活躍した。1975年3月、創価大学法学部法学科卒業。1981年、弁護士登録及び税理士登録。
竹山 修身(たけやま おさみ、1950年〈昭和25年〉5月3… 竹山 修身(たけやま おさみ、1950年〈昭和25年〉5月30日 - )は、日本の政治家。 大阪府堺市長(第19-21代)、大阪広域水道企業団企業長などを歴任。 大阪府堺市生まれ。大阪府立三国丘高等学校、静岡大学人文学部法学科卒業。大学の4年間を静岡県静岡市で過ごした以外は、出生から現在に至るまで堺市に在住している。 1975年、大阪府庁に入庁し、主に総務畑を歩む。1989年から6年間、美原町へ出向し同町助役を務める。その後大阪府総務部人事課長、大阪コクサイホテル総合調整室長、商工部商工振興室長、総務部行政改革室長を経て2005年4月より大阪府議会事務局長、2008年4月より大阪府商工労働部長を務める。
4代目旭堂 南陵(きょくどう なんりょう、1949年〈昭和2… 4代目旭堂 南陵(きょくどう なんりょう、1949年〈昭和24年〉9月4日 - 2020年〈令和2年〉7月30日)は、日本の講談師、政治家。階は正五位。 本名は西野 康雄(にしの やすお)。元参議院議員(1期)。農学修士号。位 大阪府堺市出身。1968年、大阪府立泉陽高等学校卒業後、近畿大学農学部入学。あがり症を克服するために講談師を志し、3代目旭堂南陵に師事する。1972年、旭堂南右を名乗り初高座。僅差の兄弟子に旭堂左南陵がいる。1974年、大阪府立大学大学院修了。修士論文は「吉野川・紀の川分水史」。 1978年、3代目旭堂小南陵を襲名し、真打昇進。1980年、松尾芸能賞新人賞受賞。1982年、大阪文化祭奨励賞受賞。
西村 眞悟(にしむら しんご、1948年(昭和23年)7月7… 西村 眞悟(にしむら しんご、1948年(昭和23年)7月7日 ‐ )は、日本の政治家、元弁護士。政治団体「祖国再生同盟」特別顧問。 衆議院議員(6期)、防衛政務次官(小渕第2次改造内閣)、衆議院懲罰委員長、衆議院災害対策特別委員長、衆議院海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長、民社党中央執行委員・国際局長、自由党組織委員長・内閣部会長・代議士会会長・大阪府連会長、太陽の党代表などを歴任した。氏名表記は一般に新字体の「真悟」が用いられている。 実父は元衆議院議員西村栄一(民社党第二代委員長)。従兄弟は元衆議院議員西村章三。岳父は元衆議院議員岡澤完治。
河野 俊明(こうの としあき、1945年1月24日 ‐ )は… 河野 俊明(こうの としあき、1945年1月24日 ‐ )は日本の元政治家。元石井町長。大阪府堺市出生、徳島県石井町出身。石井町立石井小学校、石井町立石井中学校、徳島県立名西高等学校卒業。 徳島県立名西高等学校卒業。高校卒業後、四国コカ・コーラボトリングに入社し9年間勤務。その後、いくつかの会社を設立し、代表取締役などに就任。 2007年より石井町長選挙に出馬し、初当選。任期中に石井町長暴行事件で注目され、暴行罪の刑事処分について徳島地検は不起訴処分とするも徳島検察審査会によって強制起訴となり、2015年4月に科料9000円の有罪判決が確定した。石井町長は2期務めるも3期目を目指した2015年町長選挙では落選した。
藤田 スミ(ふじた すみ、1933年4月3日 - 2011年… 藤田 スミ(ふじた すみ、1933年4月3日 - 2011年3月31日)は日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、7期)。「おスミさん」の愛称で親しまれた。母親運動に従事。 大阪府堺市出身。大阪府立三国丘高等学校卒。 1973年から3期にわたり大阪府議を務め、黒田革新府政の与党議員として府議会を支えた。 1979年の第35回衆議院議員総選挙に、病気療養で引退を表明した荒木宏から地盤を受け継ぎ、大阪府第5区から日本共産党公認で立候補し、初当選を果たす(定数5のうち2位。なお、この選挙で共産党は府内7選挙区全てで、公認候補者が当選)。 「母と子の願いをまっすぐ国会に届ける母親政治家」をキャッチフレーズに衆議院議員を7期21年務め、2000年に引退、地盤を眞鍋穰に譲り、以後は党の中央委員などを歴任する。
浅香 忠雄(淺香、あさか ただお、1908年(明治41年)1… 浅香 忠雄(淺香、あさか ただお、1908年(明治41年)1月12日 - 1985年(昭和60年)5月28日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(5期)。 大阪府堺市出身。1925年(大正14年)堀川商工専修学校を卒業した。 木村屋製パン社長、浅香産業社長、朝鮮耐火煉瓦社長、大阪変圧器顧問、三洋電機顧問、大阪工業大学常任顧問などを務めた。 大阪府会議員に選出され、大阪府教育委員会委員長、大阪府立新制大学設立委員長にも在任した。1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に大阪府第3区から民主自由党公認で立候補して初当選。以後、1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続5期在任した。
我堂 武夫(がどう たけお、1904年〈明治37年〉7月27… 我堂 武夫(がどう たけお、1904年〈明治37年〉7月27日 - 1984年〈昭和59年〉4月15日)は、日本の政治家。大阪府堺市長(第15代)。1976年(昭和51年)、堺市の政令指定都市移行を目標として発表(移行は2006年〈平成18年〉)。行政改革や財政再建と都市再開発を進め「名市長」と呼ばれた。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 堺市出身。大阪府立堺中学校(旧制中学校。現大阪府立三国丘高等学校)、1930年(昭和5年)九州帝国大学(現九州大学)法文学部を卒業。 帝塚山学院講師を経て1936年(昭和11年)堺市役所に入った。堺市の助役などを経て、1972年(昭和47年)10月に浪速医科大学(仮称、不認可)をめぐる詐欺・横領で堺市長(第14代)を辞職した土師半六の出直し選挙に出馬し、第15代の市長に当選した。
山口 義一(やまぐち ぎいち、1888年(明治21年)1月2… 山口 義一(やまぐち ぎいち、1888年(明治21年)1月20日 - 1935年(昭和10年)4月15日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。 大阪府堺市出身。1915年(大正4年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業。1917年(大正6年)、堺市長選挙に推されたが、市会での得票数が対立候補の斎藤研一と同数だったため、年下の山口が譲らざるを得なかった。 その後、京都帝国大学大学院で社会政策を学んだが、1919年(大正8年)に退学。翌年の第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、5回当選を重ねた。普通選挙や貴族院改革を主張した。田中義一内閣で大蔵参与官に就任した後、政友会幹事長を務めた。 また堺スコップ株式会社、坂自転車株式会社の役員も務めた。
土居 通次(どい みちつぐ、1884年(明治17年)12月2… 土居 通次(どい みちつぐ、1884年(明治17年)12月22日 - 1952年(昭和27年)1月23日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選徳島県知事、室蘭市長。 堺県堺区(現・大阪府堺市堺区)で土居栄十郎の長男として生まれる。その後、北海道に移り、北海道庁立札幌中学校を卒業。第二高等学校文科を経て、1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学法律学科 (独法)(現・東京大学法学部)を卒業。1913年(大正2年)11月、文官高等試験に合格。内務省に入省し宮城県属となる。 以後、宮城県柴田郡長、同遠田郡長、同牡鹿郡長、茨城県理事官、高知県警察部長、熊本県警察部長、佐賀県警察部長、島根県書記官・内務部長、群馬県書記官・内務部長、福井県書記官・内務部長、滋賀県書記官・内務部長などを歴任。
鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日〈慶応… 鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日〈慶応3年12月24日〉- 1948年〈昭和23年〉4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。栄典は従一位勲一等功三級男爵。歴代内閣総理大臣のなかで史上最高齢の77歳で就任した。 海軍士官として海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(第8代)などの顕職を歴任した。予備役編入後に侍従長に就任。さらに枢密顧問官も兼任した。 枢密院副議長(第14代)、枢密院議長(第20・22代)を務めたあと、小磯國昭の後任として内閣総理大臣(第42代)に就任した。一時、外務大臣(第62代)、大東亜大臣(第3代)も兼任した。陸軍の反対を押し切ってポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦を終戦へと導いた。
河盛 又三郎(かわもり またさぶろう、1867年11月30日… 河盛 又三郎(かわもり またさぶろう、1867年11月30日〈慶應3年11月5日〉 - 1941年〈昭和16年〉11月)は、日本の醸造家、政治家、資産家、実業家。河又醤油社長。族籍は大阪府平民。 和泉国堺(現・大阪府堺市)出身。三代目・河内屋又平の末子として誕生。1883年、家督を相続する。醤油醸造業を営み、河又醤油社長である。 日本醸造協会監事、堺商工会議所顧問を兼ね、泉醤油相談役に推され、堺商工会議所会頭、堺市会議員に選ばれ、大阪府多額納税者に列する。 はやくから醸造工程の機械化にとりくむ。1913年、緑綬褒章を下賜される。趣味は書画。宗教は仏教。住所は大阪府堺市新在家町。 河盛又三郎の遠祖は、豊臣家の家臣で米田藤内(こめだとうない)といったが1615年、大坂夏の陣に敗れて豊臣家が滅亡すると大和国宇智郡三在村(現・奈良県五條市三在町)へ落ちて、ここに住みつき、郷士となって農業に従事した。
大西 五一郎(おおにし ごいちろう、1858年9月14日(安… 大西 五一郎(おおにし ごいちろう、1858年9月14日(安政5年8月8日)- 1917年(大正6年)2月25日)は、明治から大正前期の実業家、政治家。衆議院議員、大阪府堺市長。 和泉国大鳥郡堺甲斐町西四丁(現堺市堺区)で、代々具足屋の屋号で両替商を営んだ大西家当主・先代大西五一郎の長男として生まれる。大和国の儒学者谷三山に漢籍を学んだ。 1881年(明治14年)大西銀行を設立して頭取に就任し終生在任した。1886年(明治19年)3月、家督を相続し五一郎を襲名した。堺商業会議所副会頭、大阪電機製造取締役、大阪電気信託取締役、市立堺商品陳列所長、第5回内国勧業博覧会評議員などを務めた。 1879年(明治12)堺区学区取締に就任。
北田 豊三郎(きただ とよさぶろう、嘉永5年6月20日(18… 北田 豊三郎(きただ とよさぶろう、嘉永5年6月20日(1852年8月5日) - 大正14年(1925年)1月25日)は、堺市長、衆議院議員。 和泉国堺出身。1874年(明治7年)より、副戸長、学区取締、学区取締幹事、戸長、和泉郡・大鳥郡書記を歴任した。1881年(明治14年)、大阪府会議員に当選し、1891年(明治24年)には副議長、1892年(明治25年)には議長に就任した。また1889年(明治22年)には堺市会議員に当選し、議長に選出されている。 1893年(明治26年)、堺市長に就任。学校建設、商品陳列所・米穀取引所設立に尽力した。1898年(明治31年)の第5回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。