菅田 真啓(すがた まさひろ、1997年6月28日 - )は… 菅田 真啓(すがた まさひろ、1997年6月28日 - )は、奈良県葛城市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ベガルタ仙台所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 白鳳中学校、国見高校を経て、福岡大学へ進学。大学2年次には、九州大学リーグでベストDF賞を受賞した。 2020年より、ロアッソ熊本へ加入した。対人能力の高さを買われ、シーズン中盤に負傷した酒井崇一からポジションを奪い、スタメンに定着した。 2023年、ベガルタ仙台へ完全移籍。守備の要としてだけでなく得点でもチームに貢献し、2024年にはリーグ戦全試合出場を達成。 2025年より仙台の副キャプテンに就任。翌2026年シーズンにはキャプテンに就任した。
木村 敏靖(きむら としやす、1995年9月14日 - )は… 木村 敏靖(きむら としやす、1995年9月14日 - )は、奈良県葛城市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 小学時代は新庄ハッピーボーイズで、中学時代は天理シニアでプレー。高校は御所実業でプレーした。 履正社医療スポーツ専門学校時代は外野手兼投手としてプレーし、投手としては2年目の伊勢大会で球速152 km/hを計測した。この投球で関心を示したNPB球団があったものの、既にドラフト会議直前であったため各球団の指名の大枠は決まっており、この年は指名されることはなかった。木村は聴講生として専門学校に1年残って、指名を待つことを決断する。 2016年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから育成4巡目指名され、支度金200万円、年俸200万円(金額は推定)で契約した。
船山裕士(ふなやま ゆうじ、1992年〈平成4年〉7月13日… 船山裕士(ふなやま ゆうじ、1992年〈平成4年〉7月13日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。奈良県葛城市出身。ポジションはパワーフォワード。3x3.EXE PREMIER・KOBE DPRO.EXE所属。 関西福祉大学金光藤蔭高等学校、九州産業大学を卒業し、bjチャレンジリーグの広島ライトニングに加入。bjリーグ 2015-16シーズンに向けて行われた2015年のbjリーグドラフト会議で、東京サンレーヴスから5巡目で指名されて入団、プロ選手となる。しかし東京では出場機会が無く、シーズン途中の11月に退団。その後、2015-16シーズンよりbjリーグに加入した古巣の広島ライトニングに戻り37試合に出場した。
小窪 哲也(こくぼ てつや、1985年4月12日 - )は、… 小窪 哲也(こくぼ てつや、1985年4月12日 - )は、奈良県北葛城郡當麻町(現:葛城市)出身の元プロ野球選手(内野手)、コーチ。右投右打。 野球を始める前は水泳をやっていたが、交友関係を広げるために當麻町立磐城小学校(現葛城市立磐城小学校)1年から「磐城デンジャーズ」で野球を始め「香芝ボーイズ」に移り、5年生で全国優勝。6年生では日本代表として世界大会に出場。當麻町立白鳳中学校(香芝ボーイズ中学部)では日本代表の4番・主将としてアジア大会に出場した。 PL学園では2003年第85回全国高等学校野球選手権大会に出場し、2回戦敗退ながら8打数6安打の活躍が評価され、第5回AAAアジア野球日本代表としてアジア大会銅メダルに貢献した。
吉田 皓一(よしだ こういち、1982年8月26日 - )は… 吉田 皓一(よしだ こういち、1982年8月26日 - )は日本の実業家。 繁体字訪日観光情報サイト「樂吃購(ラーチーゴー)!日本」の運営を中心に訪日台湾・香港に向けた総合メディア事業を行う株式会社ジーリーメディアグループの創業者であり、代表取締役社長である。 奈良県葛城市生まれ。大阪府桃山学院高等学校卒業後、防衛大学校人文科学学部入校。1学年の秋に中退したのち、翌年慶應義塾大学経済学部に再入学。 卒業後、朝日放送に入社。総合ビジネス局にてテレビCM の企画・セールスを担当したのち退職。2012年5月、訪日メディア「樂吃購(ラーチーゴー)!日本」(ジーリーメディアグループが運営する繁体字訪日観光情報サイト)設立。
福井 敬治(ふくい けいじ、1976年5月12日 - )は、… 福井 敬治(ふくい けいじ、1976年5月12日 - )は、元プロ野球選手(内野手)、お笑いタレント、少年野球教室代表、アマチュア野球チーム代表・監督。
平田 雅輝(ひらた まさてる、1971年8月4日 - )は、… 平田 雅輝(ひらた まさてる、1971年8月4日 - )は、三重テレビ放送のアナウンサー。 奈良県葛城市出身。上宮高等学校、流通科学大学を卒業後、1994年に入社。 高校野球三重大会や全国高校サッカー選手権大会などスポーツの実況を担当。現在は同局の報道制作部部長を務め、報道番組・ドキュメンタリーの制作・取材に携わっている。また、2015年には昭和東南海地震を題材とし平田が制作に携わったドキュメンタリー『戦争で消された巨大地震〜昭和東南海地震を語り継ぐ〜』が、第23回坂田記念ジャーナリズム賞特別賞を受賞している。 以下は全国高校サッカー選手権大会における実況。
阿古 和彦(あこ かずひこ、1958年〈昭和33年〉11月1… 阿古 和彦(あこ かずひこ、1958年〈昭和33年〉11月1日 - )は、日本の政治家。奈良県葛城市長(3期)。元葛城市議会議員、元當麻町議会議員。 奈良県當麻村(現・葛城市竹内)出身。1977年(昭和52年)3月、奈良県立畝傍高等学校卒業。1981年(昭和56年)3月、信州大学工学部卒業。1992年(平成4年)、阿古薬品株式会社の設立とともに同社の代表取締役に就任。 2001年(平成13年)、當麻町議会議員に就任。 2004年(平成16年)10月1日、 當麻町は新庄町と合併して廃止。葛城市が誕生する。以後、葛城市議会議員として職務を果たす。 2016年(平成28年)10月23日に行われた葛城市長選挙に出馬。
司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8… 司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
二瀬川 政一(ふたせがわ まさいち、1916年4月15日 -… 二瀬川 政一(ふたせがわ まさいち、1916年4月15日 - 1959年8月22日)は、奈良県北葛城郡新庄町(現葛城市)出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は井口 政一(旧姓安川)。最高位は東関脇。身長171cm、体重128kg。得意手は突っ張り、押し、右四つ、寄り。 1931年5月場所初土俵、その後ゆっくりではあったが着実に昇進し、1940年5月場所新入幕を果たした。二の腕から先の柔軟性を生かした突き押し、右四つからの腰の重い寄りを得意とした。ところがこの場所、横綱双葉山をはじめ上位陣に休場者が多く、相手方の横綱男女ノ川の対戦相手を番付の上から数えていくと、二瀬川にあたってしまったので、13日目、前日まで5勝7敗であったのに対戦が組まれ、敗れて負け越してしまった。
淵田 美津雄(ふちだ みつお、1902年(明治35年)12月… 淵田 美津雄(ふちだ みつお、1902年(明治35年)12月3日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の海軍軍人、キリスト教伝道者。海軍兵学校52期。最終階級は海軍大佐。 1902年12月3日、奈良県北葛城郡磐城村(現・葛城市)で教師の父・弥蔵と母・シカの三男として生まれる。旧制奈良県立畝傍中学校を経て、1921年(大正10年)、海軍兵学校に海兵52期として入学する。同期に源田実、高松宮宣仁親王らがいる。1924年7月24日、海軍兵学校を卒業、少尉候補生。 1925年12月、巡洋艦「矢矧」乗組。1926年12月、海軍砲術学校普通科学生。1927年4月、海軍水雷学校普通科学生。1927年7月、駆逐艦「秋風」乗組。
伊瀬 幸太郎(伊瀨幸太郎、いせ こうたろう、1894年〈明治… 伊瀬 幸太郎(伊瀨幸太郎、いせ こうたろう、1894年〈明治27年〉12月11日 - 1991年〈平成3年〉1月23日)は、大正から昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員(3期)。 奈良県葛下郡、のちの北葛城郡當麻町(現葛城市)出身。農業を営む。磐城村会議員に選出された。 農民運動に加わり、日本農民組合奈良県連会長、同中央委員、労働農民党奈良県支部連合会書記長、日本労農党奈良県連会長などを務めた。戦後、奈良県労働委員、同農地委員、奈良県指導農業協同組合連合会長、全国農民組合中央常任委員、奈良県農業会議々長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で奈良県全県区から日本社会党公認で立候補して落選。
鶴ヶ濱 増太郎(つるがはま ますたろう、1893年7月19日… 鶴ヶ濱 増太郎(つるがはま ますたろう、1893年7月19日 - 1939年1月16日)は、奈良県北葛城郡當麻町(現在の葛城市)出身で荒磯部屋(当初は中立部屋)に所属した大相撲力士。本名は西本 増太郎。身長178cm、体重105kg。最高位は西小結。得意手は右四つ、吊り、泉川、突っ張り。 1911年(明治44年)2月場所に「大鶴」の四股名で初土俵を踏んだが病に罹り帰郷、間もなくして「若ノ川」の四股名で大坂相撲に出ていた。1912年(明治45年)5月場所で東京相撲に復帰し三段目から再出発、一旦序二段に陥落した場所もあったが、三段目に復帰し、幕下へと番付を上げていき、1918年(大正7年)1月場所で新十両。
福井 三郎(ふくい さぶろう、1869年7月29日(明治2年… 福井 三郎(ふくい さぶろう、1869年7月29日(明治2年6月21日)- 1924年(大正13年)4月19日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員、奈良県北葛城郡高田町長。 大和国葛下郡疋田村(奈良県葛下郡新庄村、北葛城郡新庄村、新庄町大字疋田を経て現葛城市疋田)で生まれた。1879年(明治12年)新庄村立小学校を卒業。田中右章から漢籍を学び、さらに五十川三武郎の塾に入った。1897年(明治30年)東京法学院(英吉利法律学校後身、現中央大学)で法政学を1年間学んだ。 1894年(明治27年)新庄村会議員となる。1907年(明治40年)5月、高田町会議員に選出され4期在任。同年9月、奈良県会議員に当選し、同参事会員も務めた。
司天龍 政吉(してんりゅう まさきち、1860年9月21日(… 司天龍 政吉(してんりゅう まさきち、1860年9月21日(万延元年8月7日) - 1917年(大正6年)9月22日もしくは9月26日)は、大和国葛下郡(現在の奈良県葛城市)出身で小野川部屋、玉垣部屋、雷部屋、八角部屋に所属した力士。本名は勇川 政吉。7代大嶽、5代中立。身長不明、体重は70kg。最高位は西小結。 大坂相撲の小野川部屋から、1880年5月に三段目格で初土俵。1885年5月には新入幕を果たした。所属が八角部屋になったことから、四股名を鶴ヶ濱から司天龍に改めている。以後幕内20場所を務め、その間にはのちの横綱・小錦八十吉に幕内初黒星を付けた。1895年1月限りで引退し、年寄大嶽を襲名した。
植田 理太郎(うえだ りたろう、1858年(安政5年9月) … 植田 理太郎(うえだ りたろう、1858年(安政5年9月) - 1919年(大正8年)1月2日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 大和国葛下郡、のちの奈良県北葛城郡磐城村(當麻村、當麻町を経て現葛城市)生まれ。漢学と法律学を学ぶ。農業と林業を営む。奈良県会議員となる。 1892年(明治25年)第2回衆議院議員総選挙において奈良2区から独立倶楽部所属で立候補して初当選した。1894年(明治27年)3月の第3回衆議院議員総選挙では政務調査所所属で立候補して再選した。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では大手倶楽部所属で立候補して三選。衆議院議員を3期務め、1898年(明治29年)3月の第5回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補したが次点で落選した。
堀内 忠司(ほりうち ちゅうじ、1849年(嘉永2年4月) … 堀内 忠司(ほりうち ちゅうじ、1849年(嘉永2年4月) - 1920年(大正9年)12月5日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。 大和国忍海郡南花内村(奈良県忍海郡忍海村大字南花、南葛城郡忍海村、北葛城郡新庄町を経て現葛城市)出身。1875年(明治8年)4月、忍海郡小区長となり、大和国域が堺県へ編入されると1878年(明治11年)同県第四大区一小区長に転じる。1880年(明治13年)郡区改正に伴い高市・葛上・葛下・忍海郡役所書記に任じ、1882年(明治15年)2月、同職を辞した。1884年(明治17年)6月、大阪府会議員に挙げられ、減租請願委員などを務めたのち、1887年(明治20年)奈良県会議員に当選し、同常置委員、副議長、議長を務めた。