奈良木 陸(ならき りく、1998年4月16日 - )は、広… 奈良木 陸(ならき りく、1998年4月16日 - )は、広島県府中市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。プロでは育成選手だった。 府中市立第一中学校では軟式野球部に所属し県大会に優勝。 広島県立府中高等学校では甲子園出場はなく、3年夏の県大会は3回戦敗退。 筑波大学理工学群社会工学類に一般受験で現役合格し野球部に入部。首都大学リーグ戦では主にリリーフとして登板。3年までの登板数はわずか5試合であり目立たなかったが、4年時に自己最速の151km/hを記録し、8月に行われた巨人三軍とのプロアマ交流戦で1回を無失点に抑えるなど、急速にレベルアップしドラフト候補に浮上した。 2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツより育成ドラフト9位で指名を受け、11月28日に支度金300万円、年俸400万円(推定)で仮契約を結んだ。
安藤 雅司(あんどう まさし、1969年1月17日 - )は… 安藤 雅司(あんどう まさし、1969年1月17日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ監督。広島県出身。 邦画歴代興行収入ランキング2位の『千と千尋の神隠し』と3位の『君の名は。』と4位の『もののけ姫』で作画監督を担当した日本のトップアニメーター。 基本的にリアル指向で絵柄もそのようなものを得意とするがある程度の「アニメ絵」っぽさもあり、リアルな中にもソフトな感じがある。例えば現実の存在である人間も空想上の存在である妖怪も両方描けるということである。 スタジオジブリの先輩であり、苦楽を共にした近藤喜文を師と仰ぎ、尊敬している。近藤からは作画における人物の捉え方や動作の描き方などの技術面からアニメーションの仕事に取り組む姿勢まで、多大な影響を受けている。
森友 嵐士(もりとも あらし、1965年10月30日 - )… 森友 嵐士(もりとも あらし、1965年10月30日 - )は、日本のミュージシャン、ボーカリスト、シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ。血液型AB型。既婚。2児の父。 ロックバンド・T-BOLANのボーカリストとしてデビューし、T-BOLANのほとんどの楽曲の作詞・作曲を手掛けている。 広島県府中市出身。東海大学理学部化学科卒業。音楽活動のほか、2019年1月18日から東峰村復興親善大使。2019年6月6日から府中ロマン親善大使。 ※Youtubeで公式に視聴できる。 森友嵐士(Vo)と鬼龍院翔(Vo)によるユニット
柳 憂怜(やなぎ ゆうれい、1963年4月8日 - )は、日… 柳 憂怜(やなぎ ゆうれい、1963年4月8日 - )は、日本の俳優、元お笑い芸人。本名、小野 昌彦(おの まさひこ)。旧芸名、柳 ユーレイ。広島県立至誠高等学校卒業(現在は廃校、広島県立戸手高等学校に統合)。
片岡 光宏(かたおか みつひろ、1962年3月22日 - )… 片岡 光宏(かたおか みつひろ、1962年3月22日 - )は、広島県府中市出身の元プロ野球選手(内野手、投手)。 広島県・府中市立第二中学校卒業後、野々村直通監督の熱心な勧誘があり、広島商や崇徳高校といった広島県内の強豪チームの誘いを辞退し、「僕の力で甲子園に行ってみせる」と、地元・府中市立府中東高等学校に入学。 府中東高校は、前身の私立北川工業時代には高橋一三や伊原春樹らを輩出した広島県東部の強豪だったが、片岡の頃は低迷し、片岡入部時の部員は2人で休部同然。片岡入部で甲子園が現実味を帯びて来たため、ベンチ入りピタリの部員15人に増えたが、そのうち野球未経験者が6人いた。野々村は「片岡を勧誘してとれたことが僕の野球の出発点」と話している。
伊原 春樹(いはら はるき、1949年1月18日 - )は、… 伊原 春樹(いはら はるき、1949年1月18日 - )は、広島県甲奴郡上下町(現・府中市)生まれ出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 1971年から1973年の登録名は「伊原 春植」(いはら しゅんしょく)。 ニックネームは「ハル」。 6人兄弟の次男で女4人、男2人の4番目であった。 上下中学校卒業後、1964年に北川工業高校へ進学。古葉竹識の実弟である古葉福生監督の指導を受け、3年次の1966年夏の甲子園県予選では4番打者・三塁手として活躍。福山工との準決勝で本塁打を放ち決勝に進出するが、広島商の山本和行に完封を喫し、甲子園出場を逸する。 高校卒業後は1967年に芝浦工業大学へ進学し、東都大学野球リーグでは在学中2度の優勝を経験。
高橋 一三(たかはし かずみ、1946年6月9日 - 201… 高橋 一三(たかはし かずみ、1946年6月9日 - 2015年7月14日)は、広島県府中市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 府中西小学校→第二中学校を経て、1962年に北川工業高校へ進学。2年次の1963年の秋季中国大会県予選ではエースとして決勝に進み、尾道商の小川邦和と投げ合い完封負けを喫するが、中国大会への出場権を獲得。しかし準々決勝で佐々木誠吾を擁する浜田高に敗れ、3年次の1964年春の選抜への出場を逃す。同年夏の大会も県予選で敗退し、甲子園には届かなかった。 1964年11月4日に読売ジャイアンツへ入団。この入団は当時の中国地区担当スカウトの木戸美摸の尽力によるものである。
吉津 宜英(よしづ よしひで、1943年12月17日 - 2… 吉津 宜英(よしづ よしひで、1943年12月17日 - 2014年1月5日)は、日本の仏教学者・曹洞宗僧侶。専門は華厳、東アジア仏教思想。学位は、博士(仏教学)(駒澤大学・乙種)。駒澤大学教授。駒澤大学仏教経済研究所所長を務めた。広島県府中市出身。 1943年、広島県府中市の曹洞宗松林寺に生まれる。広島県立府中高等学校卒業後、駒澤大学仏教学部に進学。1966年に卒業。同級生の石井修道(同大教授)・袴谷憲昭(同大教授)と共に三羽烏と称された。同大学院進学、鎌田茂雄・宮本正尊の両師に師事、1971年に同大学院博士課程満期退学。1980年に『阿毘達磨倶舎論索引』(平川彰らとの共同研究)で日本学士院賞受賞、日本印度学仏教学会賞も受賞。
根来 広光(ねごろ ひろみつ、1936年9月24日 - 20… 根来 広光(ねごろ ひろみつ、1936年9月24日 - 2009年11月27日)は、広島県府中市出身のプロ野球選手(捕手、投手)・コーチ・監督。 1945年8月6日の原爆投下直前まで広島市に住んでいたが、現在の府中市に疎開して難を逃れた。 中学時代は大分県別府市で育ち、河村英文は根来の姉と高校が同級である。 府中高校時代はエースで、県内では有名な投手であった。当時の広島はレベルが高く、広瀬叔功・木下強三ら県内の同期は7人がプロ入りした。 卒業後の1955年に東京鉄道管理局へ入部すると、1956年には熊谷組の補強選手として都市対抗に出場。決勝に進出し日本石油の藤田元司と投げ合うが惜敗、準優勝にとどまった。
栗本 光明(くりもと みつあき、1936年3月13日 - 2… 栗本 光明(くりもと みつあき、1936年3月13日 - 2013年6月1日)は、広島県府中市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。 福山工業高校では2年次の1953年、夏の甲子園予選西中国大会に進出するが、1回戦で岩国高に敗退。卒業後は1955年に倉敷レイヨンへ入社し、岡山工場営繕課に勤務する傍ら、1957年から1961年まで5年連続で後楽園に出場するなどエースとして活躍。1959年の選抜京都大会では5月2日の1回戦で日本新薬を相手に5回途中からリリーフ、延長29回まで24回2/3を投げ切るが、スクイズを決められ敗戦投手となった。同年の都市対抗では準々決勝に進むも大昭和製紙に9回裏サヨナラ負けを喫するが、秋の産業対抗では初優勝を飾る。
小森 龍邦(こもり たつくに、1932年7月30日 - 20… 小森 龍邦(こもり たつくに、1932年7月30日 - 2021年2月26日)は、日本の部落解放運動家、政治家。部落解放同盟広島県連合会委員長、同中央本部書記長、広島県府中市議会議員(3期)、衆議院議員(2期)、新社会党中央執行委員長などを歴任し、解放同盟広島県連顧問を務めた。 広島県府中市出身。1951年、広島県立府中高等学校卒。1961年、広島県青年連合会会長となる。 1962年、日本社会党に入党。部落解放同盟の専従活動家として頭角を現し、1960年代後半に表面化した解放同盟分裂に際しては、日本共産党主導の広島県連に対抗して中央本部につながる広島県連再建に尽力し、県連委員長に就任、福山市、三原市など県東部を中心に組織拡大に成功、広島市内の組織をほぼ維持するにとどまった従前県連を圧倒した。
渡辺 礼次郎(わたなべ れいじろう、1931年7月27日 -… 渡辺 礼次郎(わたなべ れいじろう、1931年7月27日 - )は、広島県府中市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 府中高校から明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは1952年秋季リーグで打率.333の記録を残し、同じ明大の岩崎亘利と首位打者を分け合う。1953年秋季リーグでは、秋山登らの好投もあって戦後初優勝を飾った。リーグ通算71試合出場、227打数57安打、打率.251、0本塁打、26打点。 1954年に国鉄スワローズへ入団。1年目から一軍に上がり、9月から遊撃手として36試合に先発出場。一番打者としても20試合に起用される。その後も中村栄、大久保英男と定位置を争い、5年目となる1958年にはレギュラーを獲得した。
青山 五郎(あおやま ごろう、1930年3月4日- 2008… 青山 五郎(あおやま ごろう、1930年3月4日- 2008年1月15日)は、日本の実業家。『洋服の青山』の名称で知られる紳士服チェーン大手、青山商事の創業者。広島県府中市出身。日本でいち早く郊外型店舗を導入したとされる。讀賣テレビ放送社長を務めた青山行雄、第3代府中市長を務めた青山春雄は実兄。青山商事社長の青山理は長男。
青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 200… 青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 2002年6月12日)は、日本の実業家。讀賣テレビ放送(よみうりテレビ、読売テレビ)社長・名誉会長、日本民間放送連盟副会長、関西経済連合会理事、関西経営者協会理事、近畿警察官友の会会長、日本室内楽振興財団理事長。広島県府中市出身。
浦上 豊(うらかみ ゆたか、1909年7月20日 - 197… 浦上 豊(うらかみ ゆたか、1909年7月20日 - 1972年7月19日)は、日本の実業家。菱備製作所(現・リョービ)創業者。 広島県芦品郡岩谷村(現在の同県府中市目崎町)生まれ。肥料商の長男。旧制府中中学校(現・広島県立府中高等学校)を第1期生として卒業。同級に江草隆繁、岡崎平夫ら。東京株式取引所に就職し、夜学の日本大学専門部商業学科に通い1930年卒業。成瀬証券を経て東京で友人と工具やベルト販売の会社を設立。1943年設立された三菱電機福山工場(現・福山製作所)が航空機部品の協力企業を探していることを耳にして交渉の末、34歳で帰郷し、岩谷村に醤油蔵を改造したダイカスト工場建屋を完成させ、第1号製品を三菱電機に納入した。
安田 義達(やすだ よしたつ、1898年(明治31年)3月1… 安田 義達(やすだ よしたつ、1898年(明治31年)3月1日 - 1943年(昭和18年)1月2日)は、日本の海軍軍人。大田実と共に海軍を代表する陸戦の権威として知られた人物で、太平洋戦争において戦死後2階級特別進級した海軍中将である。 広島県府中市出身、広島高等師範附属中学を経て1918年(大正7年)海軍兵学校第46期を卒業。席次は124名中66番。同期生の山本親雄は安田の人柄を「剛毅闊達、稚気愛すべき好漢」としている。 砲術学校高等科学生を修了し、「比叡」・「陸奥」の各分隊長を歴任。次いで砲術学校専攻科学生となり、陸軍歩兵学校に派遣された。砲術学校専攻科学生は数年に一人という存在で、この課程を経た陸戦専門家は1942年(昭和17年)で7名のみである。