徳力 基彦(とくりき もとひこ、1972年11月16日 - … 徳力 基彦(とくりき もとひこ、1972年11月16日 - )は、日本の実業家、ブロガー。アジャイルメディア・ネットワーク株式会社共同創業者。同社代表取締役社長を経て、noteプロデューサー。 山口県山口市出身。山口県立山口高等学校を経て、名古屋大学法学部卒業後、1995年日本電信電話入社。2001年PwCコンサルティング入社。2002年アリエル・ネットワーク入社。2007年のアジャイルメディア・ネットワーク設立時からブロガーとして参画し、同年取締役に就任。2009年アジャイルメディア・ネットワーク代表取締役社長。2014年アジャイルメディア・ネットワーク取締役。2019年noteプロデューサー。
瀧本 夏彦(たきもと なつひこ、1957年〈昭和32年〉6月… 瀧本 夏彦(たきもと なつひこ、1957年〈昭和32年〉6月6日 - )は、日本の経営者。中国電力社長、会長を務めた。 山口市出身。山口県立山口高等学校(82期)を経て、1980年に東京大学経済学部を卒業し、同年に中国電力に入社した。2018年に取締役、2020年に副社長を経て、2022年6月には社長に就任。2023年6月には企業向けの電力供給を巡るカルテル問題においての責任を取る形で社長を辞任。
秋草 史幸(あきくさ ふみゆき、1949年〈昭和24年〉10… 秋草 史幸(あきくさ ふみゆき、1949年〈昭和24年〉10月9日 - 2026年〈令和8年〉3月2日)は、日本の経営者。三菱UFJモルガン・スタンレー証券社長を務めた。 山口県山口市出身。1972年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に三菱銀行に入行した。2000年6月月に東京三菱銀行取締役に就任し、2001年6月に執行役員、2003年5月に常務、2005年6月に三菱証券専務、同年10月に三菱UFJ証券(のちの三菱UFJモルガン・スタンレー証券)専務を経て、2006年6月に副社長に就任し、2008年6月には社長に昇格。2011年4月には顧問に退いた。 2026年3月2日、直腸がんのため死去。76歳没。
八木 重二郎(やぎ じゅうじろう、1942年7月12日 - … 八木 重二郎(やぎ じゅうじろう、1942年7月12日 - )は日本の実業家。新日本製鐵代表取締役副社長を経て、初代東日本高速道路代表取締役会長。 山口県山口市出身。山口県立山口高等学校を経て、1965年 一橋大学商学部卒業、八幡製鐵入社。経営企画や総務などの管理部門を歩み、エンジニアリング本部長等を務めた。 1999年新日本製鐵常務、2001年エンジニアリング事業本部副本部長、2003年代表取締役副社長・エンジニアリング事業本部長、2005年取締役(社長付)。特定非営利活動法人循環型経済社会推進機構理事長就任。 2005年高速道路株式会社法により新たに設立された東日本高速道路の最高経営責任者(CEO)である代表取締役会長に就任。
山本 博巳(やまもと ひろみ、1940年2月20日 - 20… 山本 博巳(やまもと ひろみ、1940年2月20日 - 2021年11月2日)は、日本の実業家。日立物流名誉相談役、元社長。世界貿易センタービルディング役員。 山口県山口市出身。1962年に山口大学経済学部卒業。同年、日立物流に入社。同社取締役、同社常務などを経て1998年6月、同社専務取締役。2003年2月、同社長。同社名誉相談役山口大学理事及び同大経済学部鳳陽会理事長。世界貿易センタービルディングの役員だった。 2021年11月2日、病気のため死去。81歳没。 時代の最先端サービスである「システム物流」を強力に進める。社長に就任した際、トップとして企業の未来を見据えると同時に、自ら交渉の現場へ奔走。
津田 尚二(つだ しょうじ、1930年10月26日 - 20… 津田 尚二(つだ しょうじ、1930年10月26日 - 2013年7月24日 )は、日本の経営者。三越社長を務めた。 山口県山口市出身。1954年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三越に入社。1981年2月に取締役に就任し、1985年2月に常務、1988年5月に専務を経て、1995年5月に社長に就任。1998年1月取締役相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
原野 和夫(はらの かずお、1928年1月9日 - 2019… 原野 和夫(はらの かずお、1928年1月9日 - 2019年11月9日)は、日本の実業家、時事通信社元社長、パシフィック・リーグ元会長。 山口県山口市出身。1950年に東京大学農学部を卒業し、時事通信社に入社。那覇特派員、海外部長、編集局長などを歴任し、1978年6月に取締役に就任し、1980年6月に代表取締役を経て、1984年6月から1990年6月まで社長を務めた。1986年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章を受章した。 1991年1月にパシフィック・リーグ会長に就任。2000年12月に退任するまでの間、伊良部秀輝のメジャーリーグ挑戦やイチローのポスティングシステム採用(日本初)があり、1997年には観客動員1000万人突破を成し遂げた。
中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2… 中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2007年10月18日)は、日本の政治家秘書・プロ野球チーム経営者。山口県山口市出身。 旧制山口中学校では安倍晋太郎と同級生であり野球部で活動、一塁手としてプレーし、甲子園を目指した。最終学歴は中央大学法学部卒業。 同郷であり、安倍の岳父であった岸信介の秘書となり、岸の内閣総理大臣在任中には内閣総理大臣秘書官を務めた。 1969年の第32回衆議院議員総選挙で、岸の側近の1人である今松治郎の秘書だった森喜朗は自由民主党の公認を得られず、無所属新人として出馬する際、岸の応援を中村に懇願した。中村は森の要望を快諾した。森を応援するため、岸は多忙な合間を縫って石川県小松市に赴いた。
柳井 等(やない ひとし、1919年(大正8年)7月28日 … 柳井 等(やない ひとし、1919年(大正8年)7月28日 - 1999年(平成11年)2月6日)は、日本の実業家。ファーストリテイリングの前身・小郡商事の創業者。小郡商事会長。通産大臣を務めた政治家田中龍夫の後援会長。ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長柳井正の父。 山口県吉敷郡陶村(現山口市陶)出身の父・柳井周吉は牛馬商を営んでいた。等は11人兄弟姉妹の8男である。生家は貧しかった。高等小学校を卒業すると進学をあきらめ、京都で飲食業をやっていた兄を頼って、洋服屋の丁稚奉公をはじめた。 徴兵されて中国で8年ほど過ごしたあと、小郡に帰った。暫くは兄(長男)の家で過ごす。4番目の兄・政雄から小郡商事の繊維・洋服部門を任された。
松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日… 松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日 - 2012年〈平成24年〉1月3日)は、日本の実業家。紀伊國屋書店名誉会長などを務めた。 山口県佐波郡徳地町(現在の山口市)に軍人の息子として生まれる。のちに父は電柱の銘板を取り扱う会社を経営していた。 大阪市築港南尋常高等小学校を卒業した1930年(昭和5年)、大阪府立市岡中学校(旧制)に入学。旧制浪速高等学校を経て東京帝国大学法学部に進む。同期に中曾根康弘がいた。 卒業後は南満洲鉄道に入社するも召集を受け、陸軍経理学校を首席卒業。中国各地を転戦し、陸軍主計中尉として太平洋戦争の敗戦を迎える。 復員後、1946年、大日本塩業株式会社に取締役業務部長として入社。
熊野 紀一(くまの のりかず、1916年2月11日 - 20… 熊野 紀一(くまの のりかず、1916年2月11日 - 2006年3月19日)は、日本の経営者。山口県山口市出身。 1939年に早稲田大学文学部を卒業し、1945年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1970年11月から1985年6月までに宝塚音楽学校校長と1982年6月から1997年6月までに逸翁美術館館長を務めた。 2006年3月19日大腸がんのために死去。90歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
佐々木 英治 (ささき えいじ, 1915年(大正4年)8月… 佐々木 英治 (ささき えいじ, 1915年(大正4年)8月23日 - 2007年12月15日) は、日本の実業家。元宇部興産(現・UBE)代表取締役副社長、元テレビ山口社長。 山口県山口市生まれ。山口県立山口高等学校を経て京都帝国大学経済学部卒業。 1940年、沖ノ山炭鉱入社。1944年に宇部炭鉱が宇部興産と合併。1969年にテレビ山口株式会社取締役と宇部興産株式会社常務取締役を兼務。1983年宇部興産代表取締役副社長、1984年テレビ山口代表取締役社長に就任。宇部興産飲料と宇部ゴルフ観光の社長を歴任。山口テレメッセージ株式会社相談役も勤めた。
柳井 政雄(やない まさお、1908年2月15日 - 199… 柳井 政雄(やない まさお、1908年2月15日 - 1998年)は日本の部落解放運動家、実業家、政治家、ヤクザ。小郡商事(現、ファーストリテイリング)創業者。同代表、全日本同和会初代会長、同山口県連合会会長、山口県部落対策審議会委員、総理府同和対策協議会ならびに同和対策審議会委員、山口市議会議員、山口県議会議員、田中龍夫後援会会長などを歴任した。 ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正の父である柳井等の兄にあたる。また、政雄の叔父の柳井傳一は全国水平社の創立大会の参加者で、みずから創設に尽力した山口県水平社の聯盟本部役員を務めた。 山口県吉敷郡小郡町(現・山口市小郡)で牛馬商の柳井周吉の四男として生まれる。
吉富 簡一(よしとみ かんいち、旧名: 吉富 藤兵衛(よしと… 吉富 簡一(よしとみ かんいち、旧名: 吉富 藤兵衛(よしとみ とうべえ)、天保9年1月19日(1838年2月13日) - 大正3年(1914年)1月18日)は、日本の江戸時代末期(幕末)から明治時代の実業家、政治家。幼名は美之助。 周防国矢原村(現・山口県山口市湯田)の裕福な豪農・庄屋に生まれ、井上聞多(後の井上馨)の幼馴染でもあり、尊王攘夷運動及び倒幕運動に参加。農民ではあるが大地主として裕福だった吉富は高杉晋作の奇兵隊に資金提供する他、鴻城軍(長州藩諸隊)を組織し井上を総裁に据える。 明治維新後は長州閥の一員として活動。木戸孝允に認められて明治3年(1870年)に上京して官吏となり士族に列せられ吉富簡一と改名するが、翌明治4年(1871年)に廃藩置県のあおりで長州藩への多額の貸し付けが焦付き、家計の立て直しの為に山口県に帰る。
伊藤 房次郎(いとう ふさじろう、1831年8月12日〈天保… 伊藤 房次郎(いとう ふさじろう、1831年8月12日〈天保2年7月5日〉 - 1907年〈明治40年〉2月3日)は、日本の実業家・地方政治家。山口県赤間関市(現・下関市)の初代市長。慶長から代々薬種商を営む亀屋伊藤家の当主。 下関市成立期において公職・要職を歴任。商業活動、地方自治、商工会、社会事業など、老舗の家業運営と並行し多方面で活動。地域社会の行政・経済に広く携わった人物である。 伊藤房次郎は、山口県出身。山口市中市古熊・河野善九郎の次男。伊藤源左衛門の養子となり、薬種商の老舗「亀屋喜三郎商店」の家督を相続。当家は鎌倉時代の嘉禎年間に、祖先が長門國目代として京都から下向したことに始まり、慶長から薬舗を開業したと伝わる亀屋伊藤家である 1863年(文久3年)攘夷の令にあたり、赤間関在番所の用務を任命される。