英利 アルフィヤ(えり あるふぃや、ウイグル語: ئارفى… 英利 アルフィヤ(えり あるふぃや、ウイグル語: ئارفىيە ئابلەت、中国語: 英利阿丽菲亚、ウズベク語: Eri Alifiya / Эри Алифия、1988年〈昭和63年〉10月16日 - )は、日本の政治家、元国際連合・日本銀行職員。自由民主党所属の衆議院議員(3期)、石破、高市両政権で外務大臣政務官を務めた。自身の公式サイトでは、姓を平仮名にした「えりアルフィア」の表記もある。 1999年に家族で帰化して中国国籍から日本国籍となった。2025年時点の戸籍上の氏名は英利アリフェヤーである(詳細は後述参照)。 1988年10月16日、福岡県北九州市戸畑区で、ウイグル人の父とウズベク人の母のもとに生まれた。
篠原 けんじ(しのはら けんじ、1986年7月11日 - )… 篠原 けんじ(しのはら けんじ、1986年7月11日 - )は、日本の政治家、Youtuber、元お笑いタレント。北九州市議会議員。本名は篠原 研治(読み同じ)。 お笑いユニット「天神パラダイス」のメンバーとしても活動。2015年2月に芸能事務所エレガントプロモーションとの契約を満了とし、その後はフリーランスとして活動していた。「シノケン」名義で出演する場合もあり。 福岡県北九州市出身。北九州市立花尾中学校、福岡県立若松商業高等学校、九州産業大学卒業。特技はハンマー投(高校時代は陸上競技部に所属、福岡県大会8位の実績を持つ)。 2021年1月31日投開票の北九州市議会議員選挙(小倉北区選挙区)に日本維新の会公認で立候補し初当選した。
吉村 悠(よしむら はるか、1985年〈昭和60年〉10月2… 吉村 悠(よしむら はるか、1985年〈昭和60年〉10月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。福岡県議会議員(4期)を務めた。 北九州市出身。北九州市立北方小学校、明治学園中学校・高等学校を経て、2007年に福岡大学法学部経営法学科を中退し、法政大学法学部入学。2011年卒業。九州大学大学院法学府修了。 2011年の福岡県議会議員選挙で初当選(自由民主党公認)。以来当選4回。党内では県青年局長、同政調会長などを務める。 2023年8月、次期衆院選福岡10区の自民党候補者を選出する党員投票が行われ、吉村が有効投票の6割超を獲得した。11月、党本部も吉村の公認を決めた。
三原 朝利(みはら あさと、1977年〈昭和52年〉12月8… 三原 朝利(みはら あさと、1977年〈昭和52年〉12月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 北九州市議会議員(2期)を務めた。祖父は文部大臣、防衛庁長官などを歴任した三原朝雄。父は元北九州市議長の三原征彦。伯父は元衆議院議員の三原朝彦。 福岡県北九州市生まれ。北九州市立高須小学校、北九州市立高須中学校、福岡県立東筑高等学校を経て東京大学法学部私法学科卒業、加えて慶應義塾大学大学院法務研究科修了。 東京大学卒業後、伯父である衆議院議員・三原朝彦の政策担当秘書や、福岡市長(髙島宗一郎)秘書を務める。 2014年7月23日、翌年の北九州市長選挙への立候補を表明。自民党内では現職の北橋健治に対し対立候補擁立を求める声もあったものの、市議団の半数以上は北橋支持であり、朝利は「相談したら強く反対される」と伯父の朝彦にも相談せずに出馬表明に踏み切った。
緒方 林太郎(おがた りんたろう、1973年1月8日 - )… 緒方 林太郎(おがた りんたろう、1973年1月8日 - )は、日本の政治家、外交官。衆議院議員(5期)。 福岡県北九州市八幡西区生まれ。福岡県立東筑高校卒業後東京大学文科I類に入学。在学中に外交官試験に合格し、中退。1994年、外務省に入省した。入省後、フランス北部の都市リールのリール第2大学に留学しフランス語研修を受ける。在セネガル日本大使館2等書記官や外務省中東アフリカ局中東第2課課長補佐、外務省経済局国際機関第1課課長補佐を経て、2005年7月31日付で国際法局条約課課長補佐を最後に退官。退官後は、末松義規や白眞勲の政策担当秘書を務めた。 2009年の第45回衆議院議員総選挙で、福岡9区から民主党公認(国民新党推薦)で出馬。
大家 敏志(おおいえ さとし、1967年7月17日 - )は… 大家 敏志(おおいえ さとし、1967年7月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、自由民主党副幹事長兼参議院筆頭副幹事長。 財務副大臣、財務大臣政務官、参議院財政金融委員長、自由民主党政務調査会会長代理、同参議院政策審議会長代理、同政務調査会副会長、福岡県議会議員(3期)を歴任した。 福岡県北九州市生まれ。北九州市立楠橋小学校、久留米大学附設中学校・高等学校、北九州大学(現北九州市立大学)法学部法律学科卒業。大学卒業後は自由民主党福岡県支部連合会に就職した。 その後、福岡県出身の村上正邦参議院議員秘書を経て、1999年、福岡県議会議員選挙に八幡東選挙区から出馬し、初当選。
山本 耕一(やまもと こういち、1967年2月23日 - )… 山本 耕一(やまもと こういち、1967年2月23日 - )は、日本のフリーアナウンサー、気象予報士、政治家。立憲民主党所属の福岡県議会議員(2期)。 福岡県北九州市出身。中学時代からAMラジオの聴取者参加番組にハガキ投稿をはじめ、高校時代から雑誌「月刊OUT」や「週刊少年ジャンプ」等の読者投稿コーナーの常連となる。後者「ジャンプ放送局」では、2代目レース9位の成績を残した。 日本大学文理学部国文学科に進学。投稿が縁で、ゲーム作家さくまあきら(当時の肩書きはフリーライター)の事務所に出入りし、当時さくまが自費出版していたコミック誌「マンガハウス」の書店回り営業を大学生ながら担当。そこでゲーム作家堀井雄二(ドラゴンクエストシリーズ)や、タレント・司会のショッカーO野らと出会う。
仁比 聡平(にひ そうへい、1963年10月16日 - )は… 仁比 聡平(にひ そうへい、1963年10月16日 - )は、日本の政治家、弁護士。日本共産党所属の参議院議員(3期)。福岡県弁護士会所属、北九州第一法律事務所所属、自由法曹団員。「市民オンブズマン北九州」事務局長。 福岡県北九州市戸畑区生まれ。1982年、福岡県立小倉高等学校を卒業し、京都大学法学部入学。1991年、司法試験合格。1992年、京都大学法学部卒業。1994年、司法修習修了。 2000年、第42回衆議院議員総選挙で福岡10区から出馬し落選。 2001年、第19回参議院議員通常選挙で参議院比例区から出馬し落選。 2003年、第43回衆議院議員総選挙で福岡10区から出馬し落選。 2004年、第20回参議院議員通常選挙で参議院比例区から出馬し初当選。
野田 聖子(のだ せいこ、1960年 〈昭和35年〉9月3日… 野田 聖子(のだ せいこ、1960年 〈昭和35年〉9月3日 ‐ )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)。旧姓は島(しま)。 岐阜県議会議員(1期)、郵政大臣(第64代)、内閣府特命担当大臣(消費者、食品安全、科学技術政策)、総務大臣(第20・21代)、内閣府特命担当大臣(男女共同参画・マイナンバー制度)、自由民主党総務会長(第52代)、衆議院災害対策特別委員長、衆議院予算委員長、自民党党・政治制度改革実行本部長、自民党幹事長代行(第7代)、内閣府特命担当大臣(地方創生、少子化対策、男女共同参画)、女性活躍担当大臣、子ども政策担当大臣、孤独・孤立対策担当大臣を歴任した。 曽祖父は相場師の島徳蔵。
西村 明宏(にしむら あきひろ、1960年〈昭和35年〉7月… 西村 明宏(にしむら あきひろ、1960年〈昭和35年〉7月16日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、衆議院安全保障委員長。 環境大臣(第31代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)、内閣官房副長官(第4次安倍第2次改造内閣)、国土交通副大臣兼内閣府副大臣兼復興副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、内閣府大臣政務官(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、衆議院国土交通委員長、自由民主党国会対策委員長代行を歴任した。 父は書家の西村天峰(にしむら てんぽう、本名:西村 明〈にしむら あきら〉、1930年 - 2011年8月7日)。 福岡県北九州市生まれ(現住所は宮城県名取市手倉田字諏訪)。
芦刈 茂(あしかり しげる、1949年(昭和24年)10月2… 芦刈 茂(あしかり しげる、1949年(昭和24年)10月21日 - )は、日本の政治家。元福岡県太宰府市長(1期)。 福岡県北九州市出身。久留米市立城南中学校、福岡県立明善高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、九州大学農学部卒業。 2007年(平成19年)4月22日に行われた太宰府市議会議員選挙に立候補。定数20の議席を21人の候補者が争う同選挙において、21位で落選。20位当選者との差は3票にも満たなかった(当選者706.099票に対し、芦刈は704票)。 2011年(平成23年)の市議選で初当選。 2015年(平成27年)4月26日に行われた太宰府市長選挙に立候補。現職の井上保廣を390票差で破り初当選。
舛添 要一(ますぞえ よういち、1948年〈昭和23年〉11… 舛添 要一(ますぞえ よういち、1948年〈昭和23年〉11月29日‐)は、日本の国際政治学者、大学教授、政治家。 参議院議員(2期)、参議院自由民主党政策審議会長、厚生労働大臣(第8・9・10代)、新党改革代表(第2代)、東京都知事(第19代)などを歴任した。 福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)出身。 父は1930年(昭和5年)の若松市議会選挙に立憲民政党陣営から立候補したこともあった(次点で落選)。 若松で石炭商(燃料店。現在のガソリンスタンドのような存在)を営んでいた父は、行き詰まって八幡東区で八百屋に転じたものの商いは厳しく、要一が小学2年の時に近くの材木店の火災で類焼して以降は酒に溺れ、一家は長女らの働きで糊口を凌いだ。
山本 幸三(やまもと こうぞう、1948年〈昭和23年〉8月… 山本 幸三(やまもと こうぞう、1948年〈昭和23年〉8月8日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。 衆議院議員(8期)、経済産業副大臣(第1次安倍内閣)、内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革)、衆議院法務委員長・消費者問題に関する特別委員長・地方創生に関する特別委員長・災害対策特別委員長、自由民主党金融調査会長等を歴任した。 福岡県門司市(現・北九州市門司区)生まれ。福岡県立京都高等学校卒業後、東京大学理科一類に入学。しかし、3年次の専門課程に進学する際は理系から文系に転じ、東京大学経済学部卒業。 東大卒業後、大蔵省にトップで入省した。大蔵省在職中の1973年、コーネル大学経営大学院に留学し、MBAを取得した。
東 順治(ひがし じゅんじ、1946年10月6日 - 202… 東 順治(ひがし じゅんじ、1946年10月6日 - 2023年10月17日)は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、防衛政務次官(羽田内閣)、公明党副代表などを歴任した。 1946年10月3日、福岡県若松市に生まれる。1962年3月、若松市立第五中学校を卒業。1965年3月、八幡大学附属高等学校を卒業。1969年3月、北九州大学外国語学部米英学科を卒業。 1990年2月18日、第39回衆議院議員総選挙に公明党公認候補として旧福岡2区から立候補し、初当選。1993年7月18日、第40回衆議院議員総選挙で2選。 1994年、羽田内閣が発足し、神田厚防衛庁長官の下で防衛政務次官に就任。 1996年10月20日、小選挙区比例代表並立制の下で初めて行われた第41回衆議院議員総選挙において福岡4区から新進党公認候補として立候補し、自民党の渡辺具能に敗れて落選。
自見 庄三郎(じみ しょうざぶろう、1945年〈昭和20年〉… 自見 庄三郎(じみ しょうざぶろう、1945年〈昭和20年〉11月5日 ‐ )は、日本の政治家、医師。 ハーバード大学公衆衛生学部主任研究員、九州大学医学部講師、衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)、郵政大臣(第63代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)・郵政改革担当大臣(菅直人内閣、野田内閣)、国民新党代表(第3代)、同幹事長(第2代)などを歴任した。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれ。1958年に小倉市立堺町小学校(現・北九州市立小倉中央小学校)、1961年に福岡学芸大学附属小倉中学校(現・福岡教育大学附属小倉中学校)、1964年に福岡県立小倉高等学校を卒業し、九州大学医学部へ入学。
弘友 和夫(ひろとも かずお、1944年8月17日 - )は… 弘友 和夫(ひろとも かずお、1944年8月17日 - )は、日本の政治家。公明党所属の元参議院議員(2期)、元衆議院議員。 姉は元宝塚歌劇団の小文字まり(44期。上田睦子)。剣道教士七段、居合道二段。全日本剣道連盟顧問、武道議員連盟副会長、日本武道館理事。
麻生 渡(あそう わたる、1939年〈昭和14年〉5月15日… 麻生 渡(あそう わたる、1939年〈昭和14年〉5月15日 - 2025年〈令和7年〉3月15日)は、日本の官僚、政治家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。 第13-16代福岡県知事、第10代全国知事会会長、自治体国際化協会会長、福岡空港ビルディング代表取締役社長、財団法人地域創造理事、特許庁長官などを歴任。同時代の政治家で、元内閣総理大臣の麻生太郎は同姓で同じく福岡県を地元とするが、両者の間に血縁関係はない。 福岡県戸畑市(現・北九州市戸畑区)出身。福岡県立戸畑高等学校を経て京都大学法学部卒業後、1963年当時の通商産業省に入省。入省同期に牧野力、高島章、秋山收など。 当初は前任者の奥田八二が社会党系だったのと異なり与野党相乗りとして立候補していたが、途中から民主党は対立候補を擁立するようになり、民主党支持である職員労働組合とも対立するようになった。
櫻井 哲雄(さくらい てつお、1935年(昭和10年)8月7… 櫻井 哲雄(さくらい てつお、1935年(昭和10年)8月7日 - 2021年(令和3年)12月3日)は、日本の政治家。宮崎県延岡市長(3期)。 福岡県北九州市生まれ、宮崎県川南町育ち。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
末吉 興一(すえよし こういち、1934年(昭和9年)9月2… 末吉 興一(すえよし こういち、1934年(昭和9年)9月20日 - 2025年(令和7年)12月14日)は、日本の元政治家・官僚。国土庁土地局長を経て、北九州市長を1987年から2007年まで5期20年の長期にわたり務める。同市長を引退後は、外務省参与、内閣官房参与、財務省参与を歴任した。 2009年6月から2018年6月まで、アジア成長研究所(本部:北九州市小倉北区)理事長を務める。後に同研究所名誉理事長。 1934年(昭和9年)、兵庫県西宮市生まれ。本籍は小倉市(現:北九州市)。小学校時代の1945年(昭和20年)8月に第二次世界大戦の終結を経験したとき「世の中に絶対というものはない」と感じたという。
大橋 敏雄(おおはし としお、1925年〈大正14年〉11月… 大橋 敏雄(おおはし としお、1925年〈大正14年〉11月3日 - 2017年〈平成29年〉1月31日)は、日本の政治家。元衆議院議員(8期)。旭日重光章、正四位。 のちに、創価学会の反対派(批判者)になり、創価学会への批判活動を行っていた。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 1925年11月3日、福岡県八幡市に生まれる。 1940年、福岡市立城西高等小学校(現・福岡市立城西中学校)卒業。卒業後は佐世保海軍工廠、土浦海軍航空隊に入る。戦後、運送会社を経営した後、西日本相互銀行(現・西日本銀行)、聖教新聞社業務部に勤務する。 1962年、福岡県議会議員選挙・北九州市八幡区選挙区に公明政治連盟公認で出馬し初当選(連続2回)する。
松本 七郎(まつもと しちろう、1911年11月15日 ‐ … 松本 七郎(まつもと しちろう、1911年11月15日 ‐ 1990年5月15日)は、日本の政治家。位階は従三位。元衆議院議員(11期)。 福岡県北九州市出身。実業家・松本健次郎の七男。1937年、慶應義塾大学法学部政治科を卒業。同大法学部助手、高等部講師、時事新報記者、黒崎窯業社員を経て1946年、戦後初の総選挙で福岡2区から初当選した。日本社会党では教宣局長、国際局長などに就いた。 1949年、妻であった松尾千代子と離婚。松尾は文化放送でプロデューサーを務めながら引き取った子供を育てた。 日本社会党に属し、1960年の安保国会では飛鳥田一雄・石橋政嗣・岡田春夫・戸叶里子らとともに「安保7人衆」の一人として政府追及の先頭に立った。
鮎川 盛貞(あゆかわ もりさだ、1880年(明治13年)6月… 鮎川 盛貞(あゆかわ もりさだ、1880年(明治13年)6月13日 – 1961年(昭和36年)5月28日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(立憲国民党→革新倶楽部)。 福岡県小倉市(現北九州市)出身。豊津中学校(現福岡県立育徳館中学校・高等学校)を経て、日本法律学校(現日本大学)に学んだ後、法律事務所で経験を積み、小倉市で弁護士を開業した。小倉市会議員に選ばれ、また破産管財人も務めた。 1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙(福岡県小倉市、立憲国民党)で落選。1920年(大正9年)5月、第14回総選挙(福岡県第4区、立憲国民党公認)に出馬し、当選を果たした。1923年(大正12年)11月13日、衆議院議員を辞職した。
石崎 敏行(石嵜、いしざき としゆき、1869年7月2日(明… 石崎 敏行(石嵜、いしざき としゆき、1869年7月2日(明治2年5月23日)- 1948年(昭和23年)1月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 筑前国遠賀郡、のちの福岡県若松市(現北九州市)出身。税務属、大蔵属、若松市議、同副議長、遠賀郡議、同参事会員、福岡県議、同参事会員、所得調査委員、農会議員、小作争議調停委員、九州化学工業(株)社長、九州耐火煉瓦、九州石材工業各(株)取締役、若松信用組合理事となる。 1928年(昭和3年)第16回衆議院議員総選挙において福岡2区から立憲政友会公認で立候補したが落選。1930年(昭和5年)第17回衆議院議員総選挙で当選。1932年(昭和7年)第18回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
安部 熊之輔(本名:熊之助、あべ くまのすけ、1862年1月… 安部 熊之輔(本名:熊之助、あべ くまのすけ、1862年1月18日(文久元年12月19日)- 1925年(大正14年)8月24日)は、明治から大正期の篤農家、政治家。衆議院議員。旧姓・岩松。 豊前国企救郡長浜浦(福岡県企救郡小倉町、小倉市を経て現北九州市小倉北区)で、庄屋岩松助左衛門の孫として生まれ、同郡、のちの西谷村高野(現小倉南区)の安部(阿部)家の養子となる。 1877年(明治10年)に上京して佐藤製缶所で職工として働きながら農書を学んだ。1881年(明治14年)長野県、山梨県の農業を視察して園芸の道に進むことを決意した。1885(明治18年)に帰郷し、遠賀郡戸畑町中原で模範果樹園を開設しようと試みたが園芸に不適な地であったため、1905年(明治38年)足立山南麓の企救郡曽根村大字湯川(現:小倉南区)に転じ果樹園(園芸模範場)を設けた。
青柳 四郎(あおやぎ しろう、安政4年8月4日(1857年9… 青柳 四郎(あおやぎ しろう、安政4年8月4日(1857年9月21日) - 大正10年(1921年)3月8日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 豊前国小倉城下(現在の福岡県北九州市小倉北区)に、小倉藩士鎌田思誠の四男として生まれ、青柳彦蔵の養子となった。法律学を学んで、代言人となった。福岡県会議員に選出され、参事会員も務めた。 1900年(明治33年)、衆議院補欠選挙で当選。第7回衆議院議員総選挙、第8回衆議院議員総選挙でも再選された。
飯森 辰次郎(いいもり たつじろう、1856年11月12日(… 飯森 辰次郎(いいもり たつじろう、1856年11月12日(安政3年10月15日)- 1918年(大正7年)10月12日)は、明治から大正前期の教育者、政治家。衆議院議員。 豊前国企救郡小倉城下(福岡県企救郡小倉町、小倉市を経て現北九州市小倉北区)で、小倉藩士、槍指南役・飯森辰蔵の第二子として生まれる。藩校・育徳館(現福岡県立育徳館中学校・高等学校)で学び、13歳で長崎遊学に選抜され、重野成斎(重野安繹)に師事した。 1880年(明治13年)鹿児島中学校(中学造士館の前身)の教員となり、その後、各地の旧制中学校、商業学校で教員を務め、1890年(明治23年)実業界に転じた。 1900年(明治33年)から17年間、小倉市会議員に在任し、この間、学務、水道、防疫、築港などの委員を務めた。
石井 省一郎(いしい しょういちろう、1842年2月8日(天… 石井 省一郎(いしい しょういちろう、1842年2月8日(天保12年12月28日) - 1930年(昭和5年)10月20日)は、幕末の小倉藩士、明治期の内務官僚、政治家。官選県知事、貴族院勅選議員。錦鶏間祗候。 豊前国企救郡(現・福岡県北九州市)において小倉藩士の家に生まれる。第二次長州征討において長州藩との停戦に尽力した。 明治2年(1869年)、明治政府に出仕し民部官書記となる。以後、民部兼大蔵大録、監督大佑、庶務大佑、土木権正、土木権頭、内務権大書記官などを歴任し、1877年、初代の内務省土木局長に就任。「土木の石井」と称された。その後、西南戦争時に熊本県権令心得として務めた。 1884年2月に岩手県令に就任。
末松 義規 は、日本の政治家、外交官。