野口 恭佑(のぐち きょうすけ、2000年7月17日 - )… 野口 恭佑(のぐち きょうすけ、2000年7月17日 - )は、長崎県雲仙市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。ハヤテベンチャーズ静岡所属。 雲仙市立千々石第一小学校1年生から千々石アドバンスでソフトボールを始める。雲仙市立千々石中学校時代は軟式野球部に所属。当時の中学軟式野球部には部員が7名程度しかおらず、チーム事情で捕手、投手、三塁手など複数のポジションを経験した。 創成館高等学校では1年秋から外野手としてベンチ入り。2年秋の第48回明治神宮野球大会で準優勝。3年春の選抜大会では10打数7安打を記録してベスト8入りに貢献。準々決勝の智辯和歌山高等学校戦では5安打3打点を記録するも、チームは延長10回裏に黒川史陽からサヨナラ打を打たれ敗退。
梅本 鈴太郎(うめもと りんたろう、1998年4月9日 - … 梅本 鈴太郎(うめもと りんたろう、1998年4月9日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 長崎県雲仙市出身。友人の勧めで小学2年生よりバレーボールを始める。 中学生時に全日本中学生選抜に選出され、同年12月にはJOCにてオリンピック有望選手賞を受賞する。 鎮西学院高等学校を経て、2017年、中央大学に進学。2019年、ユニバーシアード競技大会競技大会に日本代表として出場。アジアU-23選手権にもU-23日本代表として出場した。2020-21シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属する堺ブレイザーズ(現・日本製鉄堺ブレイザーズ)の内定選手となった。内定選手としてリーグ戦に出場しV1デビューを果たした。
綱田 大志(つなだ たいし、1984年4月5日-)は、長崎県… 綱田 大志(つなだ たいし、1984年4月5日-)は、長崎県雲仙市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。
福島 政則(ふくしま まさのり、1983年2月17日 - )… 福島 政則(ふくしま まさのり、1983年2月17日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。長崎県雲仙市出身。ポジションはオポジット。 ユース代表として2000年のアジアユースに出場。長崎日大高校を経て、法政大学を卒業後の2005年に豊田合成トレフェルサに入団した。 2010年、全日本代表登録メンバーに初選出された。 2012年に現役引退。
宮崎 久(みやざき ひさし、1981年3月19日 - )は、… 宮崎 久(みやざき ひさし、1981年3月19日 - )は、日本の陸上競技選手、ボブスレー選手。専門は200m。長崎県南串山町(現:雲仙市)出身。パリ世界陸上選手権男子陸上競技日本代表、ソチオリンピックボブスレー競技日本代表。 別名「短距離界のQちゃん」。南串山町立南串中学校から福岡県立八女工業高等学校に進学。高校2年のときに100mで10秒28という学年別歴代最高記録を打ち立てる。しかしながら、高校3年のインターハイ予選では、支部大会準決勝で太腿の肉離れを起こし、個人種目でのインターハイへの道は断たれたものの、チームメイトが4×100mリレーで予選を突破したおかげでリレーのみ出場する事ができた。
荒井 崇博(あらい たかひろ、1978年4月3日 - )は、… 荒井 崇博(あらい たかひろ、1978年4月3日 - )は、競輪選手。長崎県雲仙市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第82期生。日本競輪選手会長崎支部所属(当初は佐賀支部所属)。師匠は原司(70期)。ホームバンクは佐世保競輪場。 佐賀龍谷高等学校在学中の1997年に国民体育大会で個人スプリント2位などの実績を挙げ、競輪学校に第82期生として入学すると、同期に兵藤一也らがいる中で61勝を挙げて在校成績2位となり、さらに卒業記念レースを制覇する。デビュー戦は1999年4月2日の佐世保競輪場で迎え、初勝利も同日。 2001年12月29日、競輪祭で行われてきた新人王戦に代わるデビュー3年未満の選手によるGIIタイトル戦、ヤンググランプリがこの年から開催されたが、最終バックストレッチから豪快に捲って初代優勝者に輝く。
3代 木村 光之助(さんだい きむら みつのすけ、1975年… 3代 木村 光之助(さんだい きむら みつのすけ、1975年(昭和50年)12月30日 - )は、大相撲の幕内格行司である。本名は川原 誠(かわはら まこと)。二子山部屋→花籠部屋→峰崎部屋→高田川部屋所属。血液型はA型。 長崎県雲仙市吾妻町出身。元関脇の太寿山忠明(15代花籠親方)と遠縁の親戚であったことから「床山にならないか」と誘われ、太寿山が当時所属していた二子山部屋に入門。 入門当初、日本相撲協会所属の床山の定員が満杯であったため、枠に空きが出るのを待ちながら当時の二子山部屋師匠だった初代若乃花幹士(10代二子山)の小間使などをしていたが、NHK BSの相撲中継で行司のかっこ良さに憧れるようになり、その時に行司の定員枠に空きが出来たことから行司になることを決めて太寿山の花籠親方に申し出て行司として協会構成員になった。
織田 央(おりた ひろし、1963年〈昭和38年〉3月3日 … 織田 央(おりた ひろし、1963年〈昭和38年〉3月3日 - )は、日本の農林水産技官。 長崎県雲仙市出身。青雲高等学校を経て、1988年(昭和63年)3月、東京大学農学部林学科を卒業し、同年4月、農林水産省へ入省。入省後、農林水産省大臣官房政策課調査官、林野庁森林整備部森林利用課森林吸収源情報管理官、同庁森林整備部計画課長、同庁森林整備部長、同庁国有林野部長などを歴任。 2021年(令和3年)4月26日、林野庁次長に就任。 2022年(令和4年)6月28日、林野庁長官に就任。2023年(令和5年)7月4日、退職。同年12月1日、日本治山治水協会参与及び日本林道協会参与に就任。 2024年(令和6年)8月22日、国土緑化推進機構専務理事に就任。
武藤 英明(むとう ひであき、1948年(昭和23年)11月… 武藤 英明(むとう ひであき、1948年(昭和23年)11月28日 - )は日本の指揮者。 長崎県雲仙市生まれ。3歳で千葉県習志野市に移る。9歳でピアノを始め、中学3年生のときに船橋吹奏楽団に所属し、トランペットを担当する。その後、桐朋学園大学に進み、斎藤秀雄、戸田邦雄、小倉朗らに学ぶ。1976年、チェコのプラハに渡り、ズデネェク・コシュラー、ヴァーツラフ・ノイマン、ヴァーツラフ・スメターチェクに師事。また、長きに亘り交流のあったスメタナ弦楽四重奏団からも多くの影響を受ける。 1986年にプラハ放送交響楽団の客演常任指揮者に就任、1990年には同団を率いて“プラハの春”国際音楽祭に出演。また、1997年以降、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団およびプラハ合唱団を率いてドイツ、オランダ、ベルギーへ演奏旅行を行い、その公演回数は現在までに100回を超える。
太田 一也(おおた かずや、1934年12月14日 - )は… 太田 一也(おおた かずや、1934年12月14日 - )は日本の火山学者、地質学者。九州大学名誉教授。長崎県南高来郡国見町出身。九州大学理学部教授(1988-1994年)。九州大学理学部卒、九州大学大学院中退。専門分野は火山学、温泉学。2015年現在、島原市弁天町在住。
宮崎輝(みやざき かがやき、1909年(明治42年)4月19… 宮崎輝(みやざき かがやき、1909年(明治42年)4月19日 - 1992年(平成4年)4月17日)は、昭和・平成期の企業経営者。旭化成中興の祖と呼ばれた。勲一等瑞宝章受章。没後従三位追贈。吾妻町名誉町民及び延岡市名誉市民。 長崎県南高来郡山田村(現:雲仙市吾妻町)出身。長崎県立島原中学校に入学、同中学時代は市内の曹洞宗の禅寺晴雲寺で5年間寄宿生活を送った。第五高等学校を経て東京帝国大学法学部英法科卒業後、日本窒素肥料(現:チッソ)に入社。旭ベンベルグ絹糸(後の旭化成工業、現:旭化成)に配属となる。 総務課長、東京事務所長を経て38歳で取締役に選任。延岡工場で起きた労働争議の解決に尽力し、その手腕が認められる事となった。
平田 敬一郎(ひらた けいいちろう、1908年9月5日 - … 平田 敬一郎(ひらた けいいちろう、1908年9月5日 - 1992年5月22日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。 長崎県南高来郡瑞穂村(のち瑞穂町、現雲仙市)出身。実家には古部の佐嘉領境界石がある。島原中学校(長崎県立島原高等学校)、第五高等学校、東京帝国大学法学部法律学科(英法科)を経て、大蔵省入省(配属先は東京税務監督局兼主税局)。1932年(昭和7年)12月 和歌山税務署長。1934年(昭和9年)6月 淀川税務署長。1935年(昭和10年)6月 北税務署長。大臣官房戦後緊急対策企画室主幹、終戦連絡部主幹、物価部第一課長、物価庁第一部長、主税局長などを歴任。税のエキスパートとして知られた。
志波 安一郎(しば やすいちろう、1873年(明治6年)9月… 志波 安一郎(しば やすいちろう、1873年(明治6年)9月20日 - 1932年(昭和7年)6月10日)は、日本の衆議院議員(政友本党→立憲民政党→立憲政友会)。 長崎県高来郡神代村(現在の雲仙市)出身。志波三九郎の長男。第三高等学校を中退後、京釜鉄道社員、神代郵便局長、数寄屋銀行神代支店長、長崎農工銀行監査役、肥前銀行顧問などを務めた。 長崎県会議員を3期務めた後、1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は4回を数えた。
西郷 市之助(さいごう いちのすけ、1869年5月15日(明… 西郷 市之助(さいごう いちのすけ、1869年5月15日(明治2年4月4日)- 1944年7月17日)は、長崎県南高来郡西郷村(のち瑞穂村→瑞穂町、現・雲仙市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した明治時代の元大相撲力士。本名は森崎 常太郎。年寄3代陸奥。175cm、100kg前後。 伊勢ノ海部屋に入門し、1894年5月序ノ口。1895年1月序二段、1896年5月三段目、1897年5月幕下と順調に昇進し、その後病気により一時低迷するが、1901年5月新十両。連続15場所十両を務め、十両筆頭まで進むも入幕はならず、1909年1月幕下に陥落し引退。年寄陸奥となる。 立派な体格で、力量もあり、鳳凰などの薫陶を受けたが、小心のため土俵で不覚をとることが多く、幕内に昇進できなかった。
植木 元太郎(うえき もとたろう、1857年9月19日(安政… 植木 元太郎(うえき もとたろう、1857年9月19日(安政4年8月2日) - 1943年(昭和18年)1月25日)は日本の実業家、政治家。島原鉄道および口之津鉄道(のちに島原鉄道に合併)、温泉軽便鉄道(のちの雲仙鉄道)、小浜鉄道(同)を設立し、島原半島内の鉄道網の整備を進め、のち初代島原市長を務めた。号「鉄狂斎」。 1857年、肥前国高来郡多比良村(長崎県南高来郡多比良町、国見町を経て現雲仙市国見町)で、酒造業を営む植木直平の子として生まれる。肥前鹿島の谷口藍田に漢学を、長崎の中島広行に国学を学んだ。 1874年(明治7年)、父の没後家業を継ぐ。1879年(明治12年)頃から副業として山野の開墾や海面埋め立てにより農地を造成しクワや果樹の栽培を手がけ、養蚕製糸業を営む。
志波 三九郎(しば さんくろう、1850年4月16日〈嘉永3… 志波 三九郎(しば さんくろう、1850年4月16日〈嘉永3年3月5日〉 - 1903年〈明治36年〉6月29日)は、日本の政治家。衆議院議員、県知事、長崎県会議長。心形刀流免許皆伝。 肥前国高来郡神代村(現:長崎県雲仙市)で神代鍋島家家臣・中島如幼の三男として生まれ、志波丈之助の養子となる。佐賀藩校・弘道館などで学び、また剣術の修行にも精進した。 1879年、長崎県会議員に選出され、後に県会議長となる。1894年3月、第3回衆議院議員総選挙に長崎県第三区で自由党から出馬し当選。1898年3月の第5回総選挙まで連続3回の当選を果した。 1898年6月、第1次大隈内閣が成立し、翌月、石川県知事に登用された。
玉垣 額之助(たまがき がくのすけ、1784年(天明4年) … 玉垣 額之助(たまがき がくのすけ、1784年(天明4年) - 1824年8月28日(文政7年8月5日))は、肥前国高来郡(現:長崎県雲仙市)出身の元大相撲力士。本名は田中 喜作(たなか きさく)(旧姓:岡田)。 最高位は西大関。 1784年(天明4年)に肥前国高来郡(現:長崎県雲仙市)で生まれる。当初は大坂相撲に加入していたが、後に江戸相撲・玉垣部屋へ移籍している。初土俵から間もない幕下二段目の時に徳島藩が抱え力士としようとするが、「阿波の稲は 島原の梁(よい米)に如かず」として拒否、これに感激した島原藩主・松平忠憑から1813年に徒士として召し抱えられた。 柏戸利助の良き好敵手で、当時の川柳には「(玉)垣と(柏)戸を 西と東の関に据え」「玉垣も 柏(戸)も地から 生えたよう」とあるように、東西の大関に玉垣と柏戸が並び、両者とも重い腰で熱戦を繰り広げ、なかなか土俵を割らない様子が歌われている。