小峯 新陸(こみね しんり、2001年12月1日 - )は、… 小峯 新陸(こみね しんり、2001年12月1日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 鹿児島市立東谷山中学校時代は硬式少年野球チームの鹿児島ヤングタイガーに所属。 鹿児島城西高等学校では2年春からエースとなるも、3年時は腰や右肩の故障のため背番号11となり、チームも県大会4回戦で敗れ甲子園出場はなかった。 2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議において東北楽天ゴールデンイーグルスから育成2位指名を受け、10月29日に支度金200万円、年俸230万円(推定)で仮契約を結んだ。背番号は138。 2020年は、体力作りに専念し、二軍でも試合出場はなかった。
川畑 瞳(かわばた ひとみ、1996年5月1日 - )は、鹿… 川畑 瞳(かわばた ひとみ、1996年5月1日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。ホンダリヴェルタ所属。ソフトボール日本代表。2021年開催の東京オリンピック金メダリスト。 高校3年生の時にインターハイで優勝。2021年8月23日、鹿児島県民栄誉表彰を受賞。 尊敬する選手は大谷翔平と答えている。 東京オリンピック日本代表として金メダルを獲得した功績をたたえ、2022年1月14日、鹿児島市の鹿児島明和郵便局前に記念のゴールドポスト(第48号)が設置された(ゴールドポストプロジェクト)。
高山 竜太朗(たかやま りゅうたろう、1995年2月21日 … 高山 竜太朗(たかやま りゅうたろう、1995年2月21日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 鹿児島工業高等学校では、7番・捕手で出場した2年生の夏の第93回全国高等学校野球選手権鹿児島大会、5番・捕手で出場した3年生の夏の第94回全国高等学校野球選手権鹿児島大会において準々決勝に進出した。 高校卒業後は、福岡県福岡市の九州産業大学に進学し硬式野球部に入部。高良一輝とバッテリーを組み、3・4年生時には全日本大学野球選手権に2年連続の出場を果たす。 2016年10月20日、プロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから育成選手ドラフト6巡目指名され、11月19日、支度金300万円、年俸240万円(金額は推定)で契約合意に達し、同月23日に東京ドームで新入団選手発表が行われた。
伊集院 峰弘(いじゅういん たかひろ、1988年6月4日 -… 伊集院 峰弘(いじゅういん たかひろ、1988年6月4日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)。
内之倉 隆志(うちのくら たかし、1972年4月30日 - … 内之倉 隆志(うちのくら たかし、1972年4月30日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(捕手)。
栫 政彦(かこい まさひこ、1965年6月2日 - )は、鹿… 栫 政彦(かこい まさひこ、1965年6月2日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(投手)。 鹿児島高から、1983年のプロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスから6位指名を受け入団。技巧派の左腕で切れのいいカーブが武器だった。 1986年10月に森厚三との交換トレードで、広島東洋カープに移籍。一軍出場機会がないまま、1987年シーズンを最後に退団。
大田 勇治(おおた ゆうじ、1964年7月21日 - )は、… 大田 勇治(おおた ゆうじ、1964年7月21日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 鹿児島商工高では、1982年に右翼手として春夏連続で甲子園に出場。春の選抜は1回戦でエース山中賢次を擁する鳴門商に9回逆転サヨナラ勝ち、しかし2回戦では二松學舎大付に惜敗。夏の選手権は3回戦に進むが、比叡山高に敗退。 八幡大学に進学。九州六大学野球リーグでは在学中3回優勝。1985年秋季リーグでは、6本塁打のリーグタイ記録をマーク。1986年の全日本大学野球選手権大会では主将として同期の島袋修と準決勝に進むが、森浩之らのいた東洋大に敗退。秋の明治神宮野球大会では愛知工大の西崎幸広に完投で敗れた。
定岡 徹久(さだおか てつひさ、1960年7月23日 - )… 定岡 徹久(さだおか てつひさ、1960年7月23日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手、俳優。
定岡 正二(さだおか しょうじ、1956年11月29日 - … 定岡 正二(さだおか しょうじ、1956年11月29日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(投手)で現在はタレント、野球解説者。愛称は「サダ」。あるいは「サダさん」「サダ坊」。(株)エストゥー所属。「定岡三兄弟」の次男であり、兄の定岡智秋、弟の定岡徹久、甥の定岡卓摩も元プロ野球選手である。
定岡 智秋(さだおか ちあき、1953年6月17日 - )は… 定岡 智秋(さだおか ちあき、1953年6月17日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(内野手)。
奥薗 満(おくぞの みつる、1951年7月26日 - )は、… 奥薗 満(おくぞの みつる、1951年7月26日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(捕手)。 鹿児島商業高では、2年生の時、同期のエース徳重次男(日立製作所)とバッテリーを組み、1968年夏の甲子園に出場。1回戦で千葉商に敗退。翌1969年も夏の甲子園に連続出場。1回戦は宇都宮学園に完封勝ちするが、2回戦でこの大会に優勝した松山商に敗退した。 1969年にドラフト外でアトムズに入団。当時のヤクルト捕手陣には大矢明彦、八重樫幸雄らがおり、1980年までの11年間、ブルペン捕手としてチームを支え続けたが、一軍公式戦に出場することなく引退。 引退後も1983年まではブルペン捕手として裏方に徹し、33歳にてスカウト転身。
中原 勇(なかはら いさむ、1950年9月12日 - )は、… 中原 勇(なかはら いさむ、1950年9月12日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(投手)。 鹿児島高では、2年生の時に一塁手として第49回全国高等学校野球選手権大会に出場した(初戦で仙台商業高校に完封負けを喫したが、ヒット1本を記録している)。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業佐賀関に入団し、投手に転向した。1969年のプロ野球ドラフト会議で東映フライヤーズから2位指名を受け、プロ入りを果たす。 左オーバースローからストレート、シュート、決め球は落ちるカーブを武器とし、178センチ、70キロと細身の体格から投げ下ろすボールは威力があり、左の中継ぎとして活躍した。 プロ1年目の1970年には、イースタン・リーグで最優秀防御率のタイトルを獲得し、一軍でも初登板を含む21試合に登板している。
中村 浩道(なかむら ひろみち、1935年10月27日 - … 中村 浩道(なかむら ひろみち、1935年10月27日 - 2007年4月6日)は、元プロ野球審判員、野球解説者。鹿児島県鹿児島市出身。審判員袖番号は18(1977年初採用 - 1990年引退まで、※1991年以降はその年採用の山村達也が引き継ぐ)。 川内高校、早稲田大学を卒業後、大平鉱業、大洋鑿泉工業を経て1964年にパシフィック・リーグの東京審判部に入局し1990年の引退まで審判をつとめる。一軍2121試合に出場し、オールスターは3回出場した。1990年に定年年齢到達に基づき引退したあと数年間は東京審判部の指導員をつとめた。 張本勲が3000本安打を達成した試合で球審を務めた。 英語が堪能で、米国の野球事情に精通した審判員であった。
西郷 準(さいごう ひとし、1916年4月25日 - 194… 西郷 準(さいごう ひとし、1916年4月25日 - 1945年5月28日)は、鹿児島県鹿児島市出身の元アマチュア野球選手。 西郷菊次郎(元・京都市長)の7男7女のうち六男として出生する。西郷隆盛の孫にあたる。鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高、28回卒)を経て立教大学へ進学、東京六大学野球で活躍し神宮球場を沸かせた。 二中に進学すると野球部へ入った。準が1年次の1930年、二中野球部は当時の全国中等学校優勝野球大会に出場し、全盛期を迎えていた。当時は九州から南北それぞれ1校のみ出場でき、全国(甲子園)大会出場は難関だった。1932年には準の2年先輩かつ立教大学野球部でも先輩で、大洋ホエールズ投手・コーチとなる有村家斉がエースとして活躍したが、当時準は遊撃手であった。