池田 倫太朗(いけだ りんたろう、1990年5月4日 - )… 池田 倫太朗(いけだ りんたろう、1990年5月4日 - )は日本の俳優。 鹿児島県垂水市出身。文学座所属。身長182cm。 鹿児島県霧島市で生まれる。男3人兄弟の1番下。小学2年生の時に父の仕事の都合で垂水市に引っ越す。兄2人がサッカーをやっていたため、小学2年生より大学卒業までプロを目指してサッカー一筋の学生時代を過ごした。 小学5年生より鹿児島県選抜に選ばれ、その当時のメンバーには現在ヴィッセル神戸で活躍する大迫勇也もいた。 高校はサッカー名門の鹿児島実業高等学校に進学し、寮生活をしながらサッカーに励んだ。第86回全国高校サッカー選手権大会に2年生でメンバー入りをしていたが、3年生に上がる前の春に右膝内側側副靱帯・半月板を損傷し、最後の1年間はリハビリの毎日だった。
小濱 ゆみ(こはま ゆみ、1986年11月22日 - )は、… 小濱 ゆみ(こはま ゆみ、1986年11月22日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 鹿児島県垂水市出身。小学校4年生よりバレーボールを始める。鹿児島女子高校を経て2005年パイオニアレッドウィングスに入団し、2009年6月引退。
川﨑 成晃(かわさき なりあき、1986年3月30日 - )… 川﨑 成晃(かわさき なりあき、1986年3月30日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 鹿児島県垂水市出身。垂水中学校では軟式野球部に所属。鹿児島商高では3年夏に鹿児島大会で準優勝。高校通算20本塁打の強打で活躍する。 福岡大学では1年秋にDHで、2年秋に外野手で2度のベストナインを受賞。また2年秋は盗塁王も獲得した。3年時に大学選手権に出場。 卒業後は鮮ど市場に入社。青果部門の業務に携わりつつ、同社野球部の熊本ゴールデンラークスでプレー。 2008年の都市対抗野球では本塁打を放ち注目される。 2009年は沖縄電力の補強選手として都市対抗野球に出場。 2010年にはアジア大会日本代表に選出された。
川﨑 成晃(かわさき なりあき、1986年3月30日 - )… 川﨑 成晃(かわさき なりあき、1986年3月30日 - )は、鹿児島県垂水市出身のプロ野球選手(外野手)。
美坂 理恵(みさか りえ、1983年〈昭和58年〉4月6日 … 美坂 理恵(みさか りえ、1983年〈昭和58年〉4月6日 - )は、MBC南日本放送のアナウンサー。鹿児島県垂水市出身。 2012年(平成24年)以降、最優秀賞を含めアノンシスト賞を複数回、受賞している。 垂水市で生まれ、垂水市役所の近くで育ち、中学校まで垂水市で過ごす。小さな頃から内向的な性格で極度の人見知りであったが、国語の授業の音読で友人に褒められたことが自信になった。垂水市立垂水小学校を経て、垂水市立垂水中学校を卒業。 1997年(平成9年)4月、鹿児島実業高等学校の文理科に4期生として入学し、鹿児島市での生活が開始。バレーボール部に所属。全国高等学校野球選手権大会や全国高等学校サッカー選手権大会では、実業が出場した全国大会を生徒としてスタンドから観戦応援し、その大会の現場で試合の合間にチームを取材したことで、アナウンサーにだんだん憧れを持つようになっていく。
中西 真貴(なかにし まき、1980年8月11日 - )は、… 中西 真貴(なかにし まき、1980年8月11日 - )は、日本のフリーアナウンサー。圭三プロダクション所属。 鹿児島県鹿児島市出身。國學院大學卒業。高等学校の教員免許を有している(教科:国語、書道一種)。 大学を卒業後、2003年に鹿児島テレビ (KTS) に入社。同期の戸越亜希子、上片平健とともに同局のアナウンサーになる。 入社翌年の2004年から7年間、土曜夕方のローカル情報番組『ナマ・イキVOICE』の司会を務めた。番組卒業間際には、同番組の東北新幹線ロケから戻る最中に東京で東日本大震災に遭遇した。 また在籍中、2005年12月1日(鹿児島県の地上デジタル放送開始1年前)から2011年7月24日まで同局の地上デジタル放送推進大使を務めた。
青山 栞織(あおやま しおり、1979年(昭和54年) - … 青山 栞織(あおやま しおり、1979年(昭和54年) - )は日本で活動するミュージカル俳優および子役指導者および元リポーターである。鹿児島県垂水市出身で神奈川県横浜市在住。元劇団四季所属。 高校卒業まで鹿児島県で過ごし、志學館高等部卒業後は静岡大学人文学部法学科入学に伴い静岡県へ移住し、大学卒業後は静岡第一テレビへ入社し、リポーターとして活動していた。2005年11月に劇団四季オーディションへの合格に伴い四季へ移籍し、ミュージカル俳優に転向した。ジョン万次郎の夢のアンサンブル役で初舞台出演を果たし、その後は音楽担当やダンスキャプテンを務め、2010年から子役担当としても活動していた。2020年12月31日付けで退団していたことを2021年1月1日に自身の公式インスタグラムで発表した。
内倉 浩昭(うちくら ひろあき、1965年〈昭和40年〉1月… 内倉 浩昭(うちくら ひろあき、1965年〈昭和40年〉1月11日 - )は、日本の航空自衛官。第37代航空幕僚長。第8代統合幕僚長。鹿児島県出身。 鹿児島県垂水市生まれ。1983年(昭和58年)、鹿児島県立鹿屋高等学校卒業。1987年(昭和62年)3月、防衛大学校(第31期)を卒業後、航空自衛隊に入隊。入隊後は、F-15戦闘機のパイロットとして活躍後、航空幕僚監部で防衛班長、防衛課長、防衛部長と主に防衛畑で勤務し、航空幕僚副長、第49代航空総隊司令官を経て、2023年(令和5年)3月22日の閣議において、3月30日付をもって航空幕僚長に任命する旨の人事が了承・発令された。2025年(令和7年)7月15日の閣議において、8月1日をもって第8代統合幕僚長に任命する旨の人事が了承・発令された。
上原 ゆかり(うえはら ゆかり、1956年(昭和31年)7月… 上原 ゆかり(うえはら ゆかり、1956年(昭和31年)7月11日 - )は、日本の元女優。鹿児島県垂水市出身。幼少期に子役としてお茶の間の人気者となった。夫は写真家の奥正治(写真家としての名義は奥 舜)。 4歳時から、テレビドラマなどで子役として芸能生活を開始。 1962年(昭和37年)に明治製菓(現・明治)の「マーブルチョコレート」のテレビコマーシャルに「マーブルちゃん」として出演したことによって知名度が上がり、テレビドラマや映画作品にも出演するようになった。 その後は、東京都立青山高等学校、東京女子大学短期大学部在学中も、学業と並行して芸能活動を行っていた。1979年に当時本名で活動していた写真家の奥正治(のちの奥舜)と結婚して、1985年に芸能界を引退。
池之上 格(いけのうえ とおる、1954年5月19日 - )… 池之上 格(いけのうえ とおる、1954年5月19日 - )は、鹿児島県垂水市出身の元プロ野球選手(投手・内野手)。 アメリカンフットボールXリーグ・オービックシーガルズの池之上貴裕は親戚。 鹿児島県屈指の進学校・鶴丸高では3年次の1972年に春の県大会準々決勝で鹿児島商との延長18回引分け再試合を制すると決勝では鹿児島商工に延長10回完投勝利して優勝。夏の県大会は準々決勝へ進出するが、照国高に敗退。 同年のドラフト3位で南海ホークスに投手として入団し、最初の3年間は二軍で鍛えられる。 1976年4月10日の日本ハム戦(大阪)で初登板を果たすと、翌11日には早くも初勝利を挙げた。同年7月25日の近鉄戦(大阪)では1イニング3暴投の日本記録と1イニング11失点のパ・リーグワースト記録を喫した。
永瀬 昭幸(ながせ あきゆき、1948年9月18日 - )は… 永瀬 昭幸(ながせ あきゆき、1948年9月18日 - )は、日本の実業家。鹿児島県垂水市出身。東京大学経済学部卒業。東進ハイスクール創設者。株式会社ナガセ代表取締役社長。 1948年(昭和23年)、鹿児島県肝属郡垂水町(現在の垂水市)生まれ。ラ・サール高校、東京大学経済学部卒業。東大在学中に自宅で学習塾を立ち上げた。東京大学卒業後は野村證券を経て、1976年(昭和51年)に株式会社ナガセを設立。 1985年(昭和60年)には高校生向けの大学受験予備校である東進ハイスクールを設立。1988年、ナガセはジャスダックに上場。 その他に「四谷大塚」「早稲田塾」「イトマンスイミングスクール」などの塾・予備校を展開するほか社会人教育にも進出している。
竹園 正繼(たけぞの まさつぐ、1946年1月25日 - )… 竹園 正繼(たけぞの まさつぐ、1946年1月25日 - )は、日本の実業家、馬主。 建築物の耐震補強材を開発・製造するテイエム技研株式会社の創業者。また、「テイエム」の冠名で競走馬を所有する馬主としても知られ、鹿児島県と北海道でテイエム牧場も経営するオーナーブリーダーである。名前は正継とも表記される。 1946年生まれ。鹿児島県肝属郡垂水町(現・垂水市)出身。 高校卒業後に東京へ移った後、1979年に自身が開発した建築補強材の特許を取得し、単身でテイエム技研株式会社を設立。翌年に「ウェブレン」を代表とする特許製品を売り出し、急速に売上げを伸ばした。これ以前から発明家として活動しており、水陸両用車を製作したときに「町の発明家」としてテレビ取材を受けた経験もある。
枦山 智博(はぜやま ともひろ、1944年5月28日 - )… 枦山 智博(はぜやま ともひろ、1944年5月28日 - )は、鹿児島県垂水市出身の元高校野球指導者。 鹿児島商工高等学校(現・樟南高等学校)時代は投手で主将。社会人時代は軟式野球、準硬式野球をプレーし、投手で軟式と準硬式で1度ずつ国体に優勝している。 1972年に母校・鹿児島商工高等学校の事務職員として野球部監督に就任し、甲子園に23回(春7回、夏16回)出場に導いた。最高成績は、樟南高等学校に校名が変更された1994年、福岡真一郎と田村恵のバッテリーを擁して臨んだ第76回全国高等学校野球選手権大会での準優勝。鹿児島実業高等学校監督の久保克之(現・名誉監督)と共に鹿児島県の高校野球を長年にわたりリードした。
西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1… 西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1日 - 2024年〈令和6年〉4月3日)は、日本の陸上自衛官、軍事評論家。第23代陸上幕僚長、第20代統合幕僚会議議長。元隊友会会長。1佐までの職種は機甲科。 鹿児島県垂水市出身。父親の仕事の関係で小中学校の時に二度ほど横浜に住んだが、中学一年の時に垂水市にもどる。県立垂水高校卒業後、防衛大学校に入校するが、高校の野球の試合の時に鹿児島の桟橋で防大生に出会ったことがきっかけであった。防大卒業後の1959年(昭和34年)に陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後は機甲科に進み、初任地は北恵庭の第101戦車大隊。ここでの勤務がその後の部隊勤務の基礎ができたと語っている。
和泉 照雄(いずみ てるお、1921年(大正10年)8月20… 和泉 照雄(いずみ てるお、1921年(大正10年)8月20日 - 1986年(昭和61年)4月28日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、鹿児島県議会議員(3期)。公明党に所属した。位階は正五位。 鹿児島県垂水市出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)から1937年に士官学校へ進み、1940年に陸軍士官学校本科(54期)を卒業。陸軍大尉で復員。その後、公職追放となる。 1963年、鹿児島県議会議員に当選し、3期務める(鹿児島市区選出)。3期目の1972年11月に県議会議員を辞職し、第33回衆議院議員総選挙(旧鹿児島県第1区)、第10回参議院議員通常選挙(鹿児島県選挙区)、第34回衆議院議員総選挙(旧鹿児島県第1区)に立候補するが落選。
和田 英作(わだ えいさく、1874年12月23日 - 19… 和田 英作(わだ えいさく、1874年12月23日 - 1959年1月3日)は、鹿児島県出身の洋画家・教育者。東京美術学校校長(1932年 - 1936年)。文化勲章受章者、文化功労者。父は和田秀豊、弟は和田秀穂。 1874年12月23日、鹿児島県肝属郡垂水村(現・垂水市)に生まれた。父親は牧師の和田秀豊、母親は川上トヨ。鹿児島生まれとするのが定説だが、1997年にフェルケール博物館で開催された「日本近代洋画の重鎮・和田英作展」では、東京生まれだとする新説が提示されている。和田秀豊はトヨの父親川上幸彦と親しかった。英作は三男四女の長男である。 3歳4か月だった1878年3月に家族で上京し、東京府麻布区の麻布仲ノ町に住んだ。
瀬戸口 藤吉(せとぐち とうきち、1868年6月29日〈慶応… 瀬戸口 藤吉(せとぐち とうきち、1868年6月29日〈慶応4年5月10日〉 - 1941年〈昭和16年〉11月8日)は、日本の音楽家、海軍軍楽師。軍艦行進曲や愛国行進曲などを作曲し、「日本行進曲の父」とされる。 琉球王朝に対する接待係を務める薩摩藩士・瀬戸口覚兵衛の家に生まれる。出生地は鹿児島県鹿児島郡小川町(現・鹿児島市)と肝属郡垂水村(現・垂水市)の二説がある。 13歳の時、覚兵衛の実弟であり、東海鎮守府警吏補であった大山軍八の養子となって大山藤吉と名を改め、横浜(東海鎮守府が置かれていた。1885年に横須賀に移転)に移る。1882年、海軍の第2回軍楽公募生に応募し採用される。クラリネットを学んだほか、フランツ・エッケルトと吉本光蔵に和声を師事し、後に東京音楽学校外国人教師のアンナ・レール(ピアノ)とアウグスト・ユンケルとグスタフ・クローンにも師事した。
肥後 幸盛(ひご ゆきもり、1863年4月25日〈文久3年3… 肥後 幸盛(ひご ゆきもり、1863年4月25日〈文久3年3月8日〉 - 1922年〈大正11年〉10月11日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 鹿児島県肝属郡垂水村(現・垂水市)生まれ。1881年、鹿児島県師範学校卒。鹿児島県会議員となる。また、鹿児島県蚕糸組合長、県生糸検査所長、県授産所長、鹿児島県農工銀行監査役、鹿児島郵船、大隅鉄道各(株)社長、鹿児島共同倉庫(資)代表社員を務めた。 1908年の第10回衆議院議員総選挙において鹿児島県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選。衆議院議員を1期務め、1912年の第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1922年死去。