水谷 瞬(みずたに しゅん、本名:水谷 ジェッシー 瞬〈みず… 水谷 瞬(みずたに しゅん、本名:水谷 ジェッシー 瞬〈みずたに ジェッシー しゅん〉、2001年3月9日 - )は、愛知県津島市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 小学4年生から「神島田クラブ」において軟式野球を始め、津島市立暁中学校時代は硬式野球の「愛知津島ボーイズ」で投手兼一塁手としてプレーしたのち、島根県江津市の石見智翠館高等学校へ進学。甲子園出場の経験は無いが、左翼手のレギュラーを掴んだ2年生の秋には、秋季中国大会進出を果たす。4番に座った3年生の春の春季島根大会を制し、春季中国大会に進出。1回戦の対宇部鴻城高校戦では、5打数3安打、1本塁打、2打点の活躍をする。
仲地 礼亜(なかち れいあ、2001年2月15日 - )は、… 仲地 礼亜(なかち れいあ、2001年2月15日 - )は、沖縄県中頭郡読谷村出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 読谷村立古堅南小学校で野球を始め、読谷村立古堅中学校在学時は硬式野球のクラブチームである北谷ボーイズでプレーしていた。 2学年上の兄・玖礼を追い、沖縄県立嘉手納高等学校へ進学。1年夏にチームは第98回全国高等学校野球選手権大会へ出場し、玖礼がエースを務めたが、自身はベンチ外だった。その後2年時からエースを務めた。1年夏以降は甲子園大会への出場はなく、3年夏は沖縄県大会準決勝で宮城大弥擁する興南に敗れた。 沖縄大学に進学し、1年時からベンチ入り。3年春に出場した全日本大学野球選手権大会では名城大学を相手に8回1失点と好投し、注目を集めた。
太田 椋(おおた りょう、2001年2月14日 - )は、大… 太田 椋(おおた りょう、2001年2月14日 - )は、大阪府羽曳野市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 父は元近鉄バファローズの選手(内野手)で、オリックス打撃投手の太田暁である。 前述した経歴を持つ実父・暁への憧れから、羽曳野市立高鷲南小学校3年時から軟式野球を始めると、羽曳野市立高鷲南中学校時代は羽曳野ボーイズでプレー。2012年のオールスターゲーム第1戦では始球式を任された。3年時の2015年には、ジャイアンツカップでチームを優勝に導いた。さらに、小園海斗・野村大樹などと共に、野球日本代表の一員として U-15アジアチャレンジマッチ(松山坊っちゃんスタジアム)に出場した。
野口 泰司(のぐち たいし、2001年2月7日 - )は、愛… 野口 泰司(のぐち たいし、2001年2月7日 - )は、愛知県知立市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。 知立西小1年生の時から知立西エンゼルスで野球を始め、投手や捕手を務める。知立中では愛知衣浦シニアでプレーし、2年から捕手を務め、2、3年時には全国大会に出場した。 栄徳高等学校では1年夏からメンバー入りし1年秋から正捕手。3番打者を務めた2年夏には県大会決勝まで進出するも鵜飼航丞、伊藤康祐、伊藤稜ら擁する中京大中京に敗れて準優勝。3年夏は西愛知大会3回戦で敗退し、結果的に春夏ともに甲子園出場は果たせなかった。高校通算10本塁打。 名城大学に進学し、硬式野球部では1年春からベンチ入りし、1年秋から正捕手をつかむ。
上間 永遠(うえま とわ、2001年1月31日 - )は、沖… 上間 永遠(うえま とわ、2001年1月31日 - )は、沖縄県那覇市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 祖父の草野球の試合をよく見ていたことから物心がついたときからキャッチボールをしていた。那覇市立城岳小学校1年生より「城岳中央ブレーブス」で軟式野球を始め、肩の強さから4年生からは本格的に投手になった。那覇市立古蔵中学校では硬式野球のポニーリーグチーム「沖縄ダイヤモンドベースボールクラブ」に所属。2年夏のときにはチームはジャイアンツカップに出場、3年夏には全日本コルトリーグ全国大会で準優勝を果たした。左投げの宮城大弥とともに硬式野球沖縄選抜の左右の両エースとして活躍した。
上甲 凌大(じょうこう りょうた、2001年1月29日 - … 上甲 凌大(じょうこう りょうた、2001年1月29日 - )は、愛媛県西予市出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 愛媛県立宇和島東高等学校3年時にプロ志望届を提出するが、その後取り下げた。プロ志望届提出後の取り下げは、現行のプロ志望届制度が始まってからは上甲が初めて。高校在学時の全国大会への出場はない。 高校卒業後は、広島県東広島市の社会人野球チーム・伯和ビクトリーズに入団。企業チームであるため、午前中は社業に就いていたが、体調に異変を感じるようになり、2021年6月にバセドウ病と診断される。5か月の間、治療とリハビリに励み野球から離れていたが、11月に行われた第92回都市対抗野球大会に出場すると2打席連続本塁打を記録するなど主力選手として活躍。
木下 里都(きのした りと、2001年1月27日 - )は、… 木下 里都(きのした りと、2001年1月27日 - )は、福岡県福岡市早良区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。 福岡市立小田部小学校1年から原北ウイングス少年野球クラブで野球を始め、福岡市立原北中学校では白龍ベースボールクラブに所属した。 福岡舞鶴高等学校では1年夏からベンチ入りし、同年秋から正遊撃手に定着。2年夏の福岡県大会では、4回戦で三浦銀二を擁する福岡大大濠と対戦。木下は三浦から3打席で2安打を放つも、チームは敗れた。 高校卒業後は福岡大学に進学。木製バットに馴染めなかったことや、同学年の遊撃手に対抗できないと悟ったことから、「大学で野球を辞めるつもりなので、最後くらいは」と投手に転向することを決意した。
門脇 誠(かどわき まこと、2001年1月24日 - )は、… 門脇 誠(かどわき まこと、2001年1月24日 - )は、奈良県奈良市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 奈良市立平城小学校2年の時に西大寺ドリームズで野球を始め、奈良市立平城中学校では2年までリトルシニアの京都木津川シニアに所属し、その後はヤングリーグの北大阪ドラゴンズに所属した。 高校は東京都の創価高等学校に進学。1年夏から公式戦に出場し、2年秋からは主将を務めた。3年夏の西東京大会は準々決勝で勝又温史擁する日大鶴ヶ丘に敗れた。甲子園出場経験はない。 東京新大学野球連盟に所属する創価大学では入学直後の1年春からレギュラーの座を掴んだ。3年秋に首位打者と最多打点、4年秋には首位打者のタイトルを獲得し、ベストナインを5回受賞している。
吉田 輝星(よしだ こうせい、2001年1月12日 - )は… 吉田 輝星(よしだ こうせい、2001年1月12日 - )は、秋田県潟上市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 潟上市立天王小学校3年から天王ヴィクトリーズで野球を始め、潟上市立天王中学校では軟式野球部に所属。 秋田県立金足農業高等学校に進学し、1年夏からベンチ入り。2年夏は県大会決勝で山口航輝、後にオリックス・バファローズでチームメイトとなる曽谷龍平擁する明桜高等学校に敗れて県準優勝。3年夏は主戦投手として力投し、秋田大会決勝では再び明桜と対戦。吉田が9回4安打11奪三振と快投を魅せ、2-0で勝利し県大会優勝。 吉田は秋田大会から夏の甲子園準決勝まで10試合連続完投勝利を挙げた。
行木 俊(なみき しゅん、2001年1月8日 - )は、千葉… 行木 俊(なみき しゅん、2001年1月8日 - )は、千葉県山武市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 山武市立大平小学校1年生の時に兄の影響から松尾町少年野球クラブで野球を始めた。小学校高学年の時は主に捕手。山武市立松尾中学校時代は九十九シニアに所属し、二塁や遊撃など内野を守った。 横芝敬愛高等学校時代は、遊びで投げていたところ、チーム内で一番球が速かったことから周囲に勧められ、2年時に投手と三塁を兼任。3年時に本格的に投手に取り組むようになる。しかし、その3年時に右肩の故障に苦しみ、右腕が肩の高さ以上上がらないほどの状態で、夏の県大会での登板に間に合うかも危うい状況だった。結局同大会には4番エースで出場するも球速は最速130km台しか出ず、1回戦で敗退を喫した。
村松 開人(むらまつ かいと、2001年1月6日 - )は、… 村松 開人(むらまつ かいと、2001年1月6日 - )は、静岡県榛原郡榛原町(現:牧之原市)出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 牧之原市菊川市学校組合立牧之原小学校2年時に野球を始め、牧之原市菊川市学校組合立牧之原中学校在学時は硬式野球のクラブチームである島田ボーイズでプレーしていた。島田ボーイズ時代、1年後輩に森敬斗がいた。 静岡県立静岡高等学校に進学し、1年秋から遊撃手のレギュラーに定着。1番打者として2年春の第89回選抜高等学校野球大会に出場した。同大会では不来方との1回戦で2安打。大阪桐蔭との2回戦でチームは敗れた。3年春も1番打者として第90回記念選抜高等学校野球大会に出場。
益子 京右(ましこ きょうすけ、2000年12月27日 - … 益子 京右(ましこ きょうすけ、2000年12月27日 - )は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 小学校1年生のときに野球を始め、4年生で明保学童野球部に入る。女手一つで育ててくれた母が幼いころからキャッチボール相手だった。宇都宮市立宝木中学校時代は軟式野球部に所属。 青藍泰斗高校では1年秋から正捕手。石川翔は1年先輩に当たる。3年時は4番、主将としてチームを引っ張り、春の県大会は2本塁打、7打点の活躍で準優勝し、優秀選手に選ばれた。夏の県大会は準決勝で敗退し甲子園出場を逃すも、地肩の強さをアピールし、打撃では高校通算で23本塁打を記録した。 2018年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議にて横浜DeNAベイスターズから5位指名を受けた。
北村 恵吾(きたむら けいご、2000年12月18日 - )… 北村 恵吾(きたむら けいご、2000年12月18日 - )は、岐阜県大垣市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 岐阜県の大垣市立北小学校2年生のときに野球を始める。きっかけは、たまたま小学校の前を通った時に地元の少年野球チームである大垣北クラブを見てやりたいと思い、練習に参加させてもらった所、楽しかったために始めた。小学生の頃は主に「4番・投手」だった。 大垣市立北中学校進学後は、西濃ボーイズに所属した。中学時代には根尾昂と岐阜県選抜チームでチームメイトにもなった。 近江高等学校では1年生の春からベンチ入り。1年夏から「4番・左翼手」を務めた。その夏の甲子園では1回戦敗退。
小笠原 智一(おがさわら ともかず、2000年12月15日 … 小笠原 智一(おがさわら ともかず、2000年12月15日 - )は、神奈川県藤沢市出身の元プロ野球選手(投手)。兵庫ブレイバーズに所属していた。 幼少期からプロ野球選手に憧れを抱き、藤沢市立善行中学校在校時、兄・慎之介も所属した硬式野球チーム「湘南クラブ」に所属。しかし、直球は最速120km/hがやっとで、常に二軍だった。 高校は自宅から通えることを最優先に藤沢翔陵高等学校に進学。100人を超える部員がいる野球部ではポジション争いに敗れ、なかなか活躍できなかったが、2年生の終わりごろからスリークォーターの変則投法を身につけ、3年生春に初めてベンチ入り。監督の川俣浩明からは「切り札」として活躍に期待された。
山中 稜真(やまなか りょうま、2000年12月14日 - … 山中 稜真(やまなか りょうま、2000年12月14日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 横浜市立倉田小学校2年生の時に下倉田シャークスで野球を始め、横浜市立豊田中学校時代は横浜泉中央ボーイズでプレーした。中学時代のチームメイトに土生翔太がいた。 木更津総合高等学校に進学し、2年夏では一塁、3年夏には正捕手として甲子園に出場した。2年夏は甲子園1試合で打率.667、3年夏は甲子園3試合で打率.417を記録し、大会通算では打率.467を記録した。また、2年夏の甲子園では2打点を記録している。1学年上に山下輝、2学年上に早川隆久、2学年下に篠木健太郎がいた。
川原 陸(かわはら りく、2000年12月12日 - )は、… 川原 陸(かわはら りく、2000年12月12日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 長崎市立三原小学校1年時にソフトボールを始める。その後、西山少年野球団へ。長崎県選抜チームに選出。長崎市立三川中学校時代は「長崎北シニア」に所属し、野手として日本代表にも選出された。 創成館高等学校入学後、1年時は打力を買われ外野手としてプレーし、ベンチ入りを果たした2年春からは投手としての起用が増加。新チームとなった2年秋からはエースとなり、明治神宮大会にてチームを準優勝に導いた。なお、この大会の準決勝では根尾昂、藤原恭大らを擁する大阪桐蔭と対戦し、2番手として4回2/3を無失点に抑える活躍を見せ7-4で勝利を収めた。
曽谷 龍平(そたに りゅうへい、2000年11月30日 - … 曽谷 龍平(そたに りゅうへい、2000年11月30日 - )は、奈良県生駒郡斑鳩町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。オリックス・バファローズ所属。 斑鳩町立斑鳩小学校1年生の時に野球を始め、斑鳩町立斑鳩中学校在学時は硬式野球のクラブチームである志貴ボーイズでプレーした。 自立して野球をすることに憧れていたこともあり、高校は地元の奈良ではなく、秋田の明桜高等学校に進学。1年夏からベンチ入りし、2年夏には控え投手として同学年の山口航輝と共に第99回全国高等学校野球選手権大会に出場した。同大会では二松学舎大付との初戦(2回戦)、1-11と大量リードを許した8回表から救援登板して2回3失点。チームもそのまま敗れた。
田中 幹也(たなか みきや、2000年11月28日 - )は… 田中 幹也(たなか みきや、2000年11月28日 - )は、神奈川県愛甲郡愛川町出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 愛川町立中津小学校時代は中津リバーズ、愛川町立愛川東中学校時代は相模原リトルシニアに所属。 高校時代は若林弘泰が監督を務める西東京の強豪・東海大学菅生高等学校でプレー。1年時より出場し、2年夏には1学年上の松本健吾や同級生の戸田懐生らとともに西東京大会の決勝で清宮幸太郎擁する早稲田実業高等部を破り甲子園大会に出場。甲子園大会ではベスト4に進出。その後のえひめ国体にも出場。甲子園大会では俊敏な守備や俊足、シュアな打撃が注目された。後輩に成瀬脩人がいる。 高校卒業後は東都大学野球の亜細亜大学に進学。
藤本 颯太(ふじもと そうた、2000年11月26日 - )… 藤本 颯太(ふじもと そうた、2000年11月26日 - )は、兵庫県出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 芦屋学園高校時代には軟式野球部に所属しており、3年春には県大会で優勝を経験した。 高校卒業後は流通科学大学に進学。前述の実績から、阪神大学野球連盟の2部西に所属していた硬式野球部に入部した。同部はコーチが学生のみで、技術的な指導を受ける機会に恵まれないながらも、2年からはエース級の活躍を見せる。2年秋の秋季リーグでは全試合に登板し、完投勝利を2回記録した。プレーオフでも10回を投げ4失点と試合を作ったが敗北した。その後イップスを発症したことで、4年春に同部を退部し、野球を一度引退した。 退部後の4年次は、「楽しくやろう」と外野手として社会人クラブチームのKC西宮(現:KC兵庫)に入り、野球を再開する。
宜保 翔(ぎぼ しょう、2000年11月26日 - )は、沖… 宜保 翔(ぎぼ しょう、2000年11月26日 - )は、沖縄県豊見城市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 実兄の宜保優も野球選手。 沖縄県立豊見城高等学校の学生時代にバレーボール部の選手として活躍した実父と、同部の部員時代に沖縄県代表として国民体育大会へ出場した実母の間に出生。豊見城市立とよみ小学校の2年時に、根差部ベースナインで軟式野球を始めた。長嶺中学校時代には、野球部で遊撃手や投手に起用される一方で、生徒会長を務めた。 中学校からの卒業後に、KBC学園未来高等学校沖縄総合学科スポーツコース(野球専攻)へ進学。硬式野球部では、2年時の秋から4番打者を任された。
辰見 鴻之介(たつみ こうのすけ、2000年11月24日 -… 辰見 鴻之介(たつみ こうのすけ、2000年11月24日 - )は、福岡県福岡市東区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 香椎下原小学校1年生のときに香椎下原ソフトクラブでソフトボールを始める。5年生のときに三塁手として西日本大会優勝を経験している。香椎第3中学校進学後はヤング福岡東コンドルで硬式野球をプレー。 福岡県立香住丘高等学校では2年時から二塁手のレギュラーを務めたが、甲子園大会出場はなかった。 高校卒業後は西南学院大学に進学し、1年秋から遊撃手のレギュラーを務める。2年秋に九州六大学リーグの最多盗塁(10盗塁)を記録し、4年春のリーグ戦では打率.314、7盗塁を記録し、二塁手としてベストナインを受賞した。
伊藤 茉央(いとう まお、2000年11月19日 - )は、… 伊藤 茉央(いとう まお、2000年11月19日 - )は、福島県喜多方市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 喜多方市立塩川小学校3年生の時に、塩川ブルーファイヤーズで野球を始める。喜多方市立塩川中学校では同校の軟式野球部に所属。 地元の福島県立喜多方高等学校に進学すると、2年秋の時に当時の監督の勧めでサイドスローに転向。最後の夏は、福島県立郡山高等学校に敗れて3回戦敗退。 その後、東京農業大学硬式野球部のセレクションに参加したが声がかからず、投球を見ていた東京農業大学北海道オホーツク硬式野球部助監督の嶋田達郎の勧めで、北海道網走市にある東京農業大学生物産業学部への進学を決意。
林 晃汰(はやし こうた、2000年11月16日 - )は、… 林 晃汰(はやし こうた、2000年11月16日 - )は、和歌山県岩出市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。広島東洋カープ所属。 岩出小学校1年から岩出ヤンキースで野球を始め、6年時にタイガースジュニアに選出される。岩出中学校に進学後は紀州ボーイズでプレー。小中時代は主に捕手として出場した。中学時代は通算32本塁打を記録する。 智辯和歌山高校に進学すると、三塁手に転向し1年春の県大会から出場する。1年夏は「5番・三塁手」で起用され、地方予選ベスト8。1年秋から3番を任され、2年夏に甲子園初出場。初戦の興南戦で中堅左に本塁打を打つ。大会中に右肘を疲労骨折し、大会後に手術を行ったため秋季大会及び近畿大会に出場できずリハビリに専念する。
山下 航汰(やました こうた、2000年11月15日 - )… 山下 航汰(やました こうた、2000年11月15日 - )は、大阪府柏原市出身の元プロ野球選手・社会人野球選手(外野手、内野手)。右投左打。 小学校3年の時に、第2回WBCで日本が優勝したことに感激し、野球を始める。中学時代は羽曳野ボーイズに所属し、太田椋と同期だった。羽曳野ボーイズでは通算22本塁打を放ち、中学3年時の2015年にはジャイアンツカップで優勝した。 「足を使った野球を学びたい」として「機動破壊」をスローガンとする健大高崎に進学し、1年春からベンチ入り。1学年先輩に、後に巨人でチームメイトとなる湯浅大がいる。 2017年の選抜大会に出場すると、1回戦の札幌第一高校戦、再試合となった2回戦の福井工大福井高校と2本の満塁本塁打を放ちチームの勝利に貢献し、注目を集めた。
カレオン・ジョニル・マラリ(Carreon Jonhil M… カレオン・ジョニル・マラリ(Carreon Jonhil Mallari , 2000年11月11日 - )は、神奈川県相模原市南区出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。フィリピン人の両親を持つ。 相模原市立上鶴間小学校3年生のときに野球を始め、「上鶴間ブラックス」に所属。相模原市立東林中学校では「相模原ベースボールクラブ」に所属し、2015年にはヤングリーグ全国大会に出場。中学卒業後は武相高等学校に進学した。 2018年11月22日に行われた四国ILplusとベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の合同ドラフト会議において福島レッドホープスに特別合格選手として指名を受け、入団。
友杉 篤輝(ともすぎ あつき、2000年11月7日 - )は… 友杉 篤輝(ともすぎ あつき、2000年11月7日 - )は、大阪府大阪市住之江区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 大阪市立南港桜小学校で1年生の時に野球を始め、大阪市立南港北中学校在学時は硬式野球のクラブチームである和泉ボーイズでプレーしていた。 立正大学淞南高等学校に進学し、1年秋から遊撃手のレギュラーを務めた。高校時代を通して甲子園大会への出場はなく、3年夏は島根県大会準決勝で益田東高校に敗れた。2学年下に谷川唯人がいる。 天理大学に進学し、2年秋から遊撃手のレギュラーに定着し、首位打者。4年春のリーグ戦では首位打者、MVPを受賞し、ハーレムベースボールウィークの日本代表に選出されたが、同年秋のリーグ戦は体調不良に苦しみ打率.194と苦しんだ。
大山 盛一郎(おおやま じょういちろう、2000年11月3日… 大山 盛一郎(おおやま じょういちろう、2000年11月3日 - )は、沖縄県那覇市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。 幼稚園頃から野球を始める。那覇市立城北中学校時代は浦添ボーイズでプレー。3年夏にジャイアンツカップに出場したが、初戦敗退を喫した。 興南高等学校時代は2年秋より遊撃手のレギュラーを取り、九州大会に2番遊撃で全試合スタメン出場した。翌3年の夏は5番三塁出場するが、[要出典]大会中に肘のけがを発症し、本大会では出場なく、[要出典]2回戦で木更津総合高等学校に敗戦した。1学年下に宮城大弥、勝連大稀がいた。 大学や社会人野球からの誘いがない中、アメリカへの野球留学の記事を雑誌で見つけ、高校卒業後の2019年春に渡米した。
村上 航(むらかみ わたる、2000年11月1日 - )は、… 村上 航(むらかみ わたる、2000年11月1日 - )は、北海道札幌市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 札幌市立本通小学校3年時に軟式野球を始めた。札幌市立柏丘中学校時代には軟式野球部に所属し2年時には全国大会に出場した。 北海道札幌白石高等学校では1年夏よりベンチ入りした。3年夏の県大会地区予選をキャプテン兼エースとして全4試合完投(完封2試合)の好投を見せ南北海道大会では1回戦で駒澤大学附属苫小牧高等学校と当たり3失点完投とゲームを作るが敗北した。 北海学園大学では北海道地区大学準硬式野球連盟2部に所属していた準硬式野球部に入部した。1年時の全国大会で親交を深めた福岡大学・準硬式野球部の大曲錬が、のちに2020年度のNPBドラフト会議で埼玉西武ライオンズに5位指名を受け、「準硬式出身では、自分が次に続く」と強い決意を持って練習に取り組み、3年生春より社会人チームであるウイン北広島で大学に在学しながら硬式に再挑戦した。
渡辺 翔太(わたなべ しょうた、2000年10月29日 - … 渡辺 翔太(わたなべ しょうた、2000年10月29日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 北九州市立桜丘小学校3年生の時からソフトボールを始めた。 北九州市立富野中学校時代は八幡東ボーイズ(硬式野球のクラブ)に所属し、遊撃手、投手を務めていた。中学校2年生の時からパームボールを投げるようになった。 福岡県立北九州高等学校では2年生の秋からエースとなった。3年夏の全国高等学校野球選手権福岡大会(北福岡大会)では、福岡県立東筑高等学校や自由ケ丘高等学校などに勝利し、ノーシードからベスト4まで進出する立役者となった。 九州産業大学に進学。
速水 将大(はやみず しょうた、2000年10月26日 - … 速水 将大(はやみず しょうた、2000年10月26日 - )は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。NPBでは育成選手だった。 小学1年生から野球を始め、一宮市立北方小学校時代は一宮リトル、一宮市立北方中学校時代は尾張一宮リトルシニアでプレー。4歳上の兄の影響で練習についていき、小学1年生の時から硬式球でプレーした。ポジションはリトルでは二塁手、シニアでは二塁手と三塁手が中心だった。中学卒業後は野球留学として地元・愛知県を離れ、日本ウェルネス筑北高等学校に一期生として入学。高校時代の同期に赤羽由紘がいる。 高校卒業後は地元に戻って至学館大学を専願し、4年制と短期大学部の両方を受験した結果、至学館大学短期大学部体育学科に進学することとなった。
荘司 康誠(しょうじ こうせい、2000年10月13日 - … 荘司 康誠(しょうじ こうせい、2000年10月13日 - )は、新潟県新潟市西区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 新潟市立東青山小学校2年生のときに青山あらなみ野球少年団で野球を始め、投手・遊撃手としてプレー。新潟市立小針中学校在学時は硬式野球のクラブチームである新潟西シニアに所属していたが、2年生のときに腰椎分離症を発症し、卒団まで投手としてはほとんど投げられず、控えの外野手で出場機会にも恵まれなかった。なお、同級生に鈴木裕太がいた。 新潟明訓高等学校では本格的に投手へ転向し、2年春から公式戦に登板。3年春からエースとなるも、同年夏の新潟県大会では1回戦で敗退した。
永田 颯太郎 (ながた そうたろう、2000年10月11日 … 永田 颯太郎 (ながた そうたろう、2000年10月11日 - )は、愛知県東海市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 小学1年生の頃に、上名和ライオンズで外野手兼投手として野球を始める。中学時代は東海市立名和中学校でプレー。 菊華高等学校では1年夏からベンチ入りし、3年夏は中京大中京に敗れ3回戦敗退。名古屋産業大学に進学後、国立台湾体育運動大学に留学。 2022年のプロ野球ドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルスに育成4位で指名を受け、同年11月19日に支度金300万円、年俸250万円で仮契約を結んだ。背番号は131。 2023年はイースタン・リーグ58試合に出場し、打率.224、11打点を記録した。
久保 修(くぼ しゅう、2000年9月29日 - )は、大阪… 久保 修(くぼ しゅう、2000年9月29日 - )は、大阪府河内長野市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 河内長野市立千代田小学校2年から野球を始め、河内長野市立千代田中学校時代は河内長野ボーイズに所属し投手、二塁手、遊撃手を兼任。 島根県の強豪・石見智翠館高等学校に進学。当初は内野手だったが、俊足と強肩を買われ1年秋に外野手に転向。3年夏は6番を打ち県大会決勝に進出したが、益田東に敗退。甲子園出場はなし。同期に4番打者を務めていた水谷瞬がいた。 野球は高校で辞めるつもりだったが、同高の末光章朗監督から、元プロ野球選手でコーチの伊勢孝夫が特別アドバイザーを務める大阪観光大学(近畿学生野球連盟所属)で野球を続けることを勧められ、当時大阪観光大の監督を務めていた山本樹(元ヤクルト)が末光監督と同学年だった縁もあり進学。
渡邉 勇太朗(わたなべ ゆうたろう、2000年9月21日 -… 渡邉 勇太朗(わたなべ ゆうたろう、2000年9月21日 - )は、埼玉県羽生市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校1年から野球を始め、5年から投手となる。羽生市立東中学校では軟式野球部に入部し、2年夏に関東大会に出場した。 浦和学院高等学校では1年秋からベンチ入り。3年春は右肘を痛めベンチ外となるが、5月の関東大会で復帰。夏には甲子園大会に出場したが、準々決勝で藤原恭大、根尾昂、横川凱、柿木蓮を擁した大阪桐蔭に敗れた。甲子園大会後はAAAアジア野球選手権大会の日本代表に選出された。2学年先輩に榊原翼、同学年に後に西武でチームメイトとなる蛭間拓哉がいる。 2018年10月25日に行われたドラフト会議では、埼玉西武ライオンズから2位指名を受け、11月15日に契約金7000万円、年俸650万円で契約した。
小幡 竜平(おばた りゅうへい、2000年9月21日 - )… 小幡 竜平(おばた りゅうへい、2000年9月21日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。阪神タイガース所属。 小学3年時に投手兼遊撃手としてソフトボールを始めると、大分市立明野中学校在学中には、大分明野ボーイズへ所属した。 中学校からの卒業後に、大分県と南接する宮崎県の延岡学園高校へ進学。内野手として、1年時の秋からレギュラーに起用された。「4番・遊撃手」に定着した2年時秋の宮崎県大会と九州大会では、通算9試合の出場で17安打9打点と活躍。3年時の春には第90回記念選抜高等学校野球大会へ出場。初戦(國學院栃木高校との2回戦)で初回に同点適時打を打ったが、チームは敗れた。
根岸 辰昇(ねぎし たつのり、2000年9月20日 - )は… 根岸 辰昇(ねぎし たつのり、2000年9月20日 - )は、東京都杉並区出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。ナイスガイ・パートナーズとマネジメント契約。 浜田山小学校1年生で杉並イーグルスで野球を始め、小5から硬式の東京小平ボーイズでプレー。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校卒業。中等部在籍時には軟式野球部に所属していた。高校2年時にダリル・ストロベリーへのあこがれからMLB挑戦を目標に筋道を立てはじめた。チームは第90回選抜高等学校野球大会及び第100回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場を果たす。春はベンチ入りを逃すも、夏はレギュラーの座を掴み「5番・中堅」で出場し北神奈川予選で打率.368、甲子園では2戦連続で適時打を放つなど活躍を見せるも2回戦で高知商業高校に敗退。
橋本 星哉(はしもと せいや、2000年9月18日 - )は… 橋本 星哉(はしもと せいや、2000年9月18日 - )は、兵庫県加古川市出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 7人兄弟の長男として生まれる。加古川市立野口小学校1年生の時に軟式野球を始め、加古川市立中部中学校時代はリトルシニアの兵庫播磨リトルシニアでプレーした。 高校は興國高等学校に進学し、2年生の時に「8番・捕手」で夏の府大会デビューを果たした。打率.375、0本塁打、4打点の活躍で勝ち進んだが、準々決勝で根尾昂、藤原恭大を擁する大阪桐蔭に敗れベスト8に終わった。 進学した中央学院大学では、通算23試合に出場し、打率.278、22安打、4本塁打、18打点の成績を残した。
松井 颯(まつい はやて、2000年9月14日 - )は、東… 松井 颯(まつい はやて、2000年9月14日 - )は、東京都清瀬市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 清瀬市立清瀬第四小学校2年時に野塩ファイターズで野球を始め、清瀬市立清瀬第四中学校時代は硬式野球(ポニーリーグ)の清瀬ポニーに所属。 高校は埼玉県の花咲徳栄高等学校に進学。3年夏はエースで4番打者の野村佑希の控えとして第100回全国高等学校野球選手権記念大会に出場。2回戦の横浜高等学校戦で、6-8と2点ビハインドの9回から登板して横浜打線を三者凡退に抑えたが、チームは敗れた。1学年上に清水達也、西川愛也、長谷川威展がいた。 高校卒業後は首都大学野球連盟に所属する明星大学理工学部総合理工学科物理学系に進学。
平井 快青(ひらい かいせい、2000年9月12日 - )は… 平井 快青(ひらい かいせい、2000年9月12日 - )は、京都府京丹後市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 岐阜第一高等学校では1年秋からエース。2年夏の県大会は3回戦敗退。3年夏の県大会は21年ぶりのベスト4進出。 2018年10月25日に行われた2018年度新人選手選択会議において、読売ジャイアンツから育成ドラフト2位で指名され入団。背番号は012。 2019年はイースタン・リーグでの登板が1試合だけだった。 2020年はイースタン・リーグ2試合の登板に終わった。 2021年もイースタン・リーグ3試合の登板に終わり、10月4日に戦力外通告を受けた。 2022年よりジャイアンツアカデミーのコーチを務める。
野村 大樹(のむら だいじゅ、2000年9月10日 - )は… 野村 大樹(のむら だいじゅ、2000年9月10日 - )は、兵庫県宝塚市出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 阪神タイガースのファンである実父の影響で、幼少期から阪神甲子園球場で阪神戦を頻繁に観戦。5歳だった2006年に同球場で初めて観た高校野球の試合が、第88回全国高等学校野球選手権大会決勝だった。斎藤佑樹を擁する早稲田実業がこの試合でチームを初優勝に導いたことが、後に同校への進学を決めるきっかけになったという。 小学1年時から末広ルーキーズで軟式野球を始めたが、「文武両道」を掲げる家族の方針どおりに勉強と野球を両立させ、同志社中学校へ進学。在学当初は枚方ボーイズに所属しレギュラーを獲得していたが途中で大阪福島シニアへ移籍すると、4番打者や捕手を任された。
蛭間 拓哉(ひるま たくや、2000年9月8日 - )は、群… 蛭間 拓哉(ひるま たくや、2000年9月8日 - )は、群馬県桐生市出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 桐生市立相生小学校3年生の時に野球を始め、6年生時には埼玉西武ライオンズジュニアに選出された。桐生市立相生中学校在学時は硬式野球のクラブチームである前橋桜ボーイズでプレーし、関東大会で優勝した。 浦和学院高等学校に進学し、1年春からベンチ入りして4番を務めた。2年秋から主将に就任し、3年夏には第100回全国高等学校野球選手権記念大会に出場。仙台育英との1回戦でソロ本塁打を放った。しかし、準々決勝で藤原恭大、根尾昂、横川凱、柿木蓮を擁した大阪桐蔭に敗れ、チームはベスト8に終わった。
山田 龍聖(やまだ りゅうせい、2000年9月7日 - )は… 山田 龍聖(やまだ りゅうせい、2000年9月7日 - )は、富山県氷見市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 氷見市立窪小学校4年生のときに窪スポーツ少年団に入り軟式野球を始め、氷見市立西條中学校では軟式野球部でエースと4番を務めた。 富山県立高岡商業高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。2年春に出場した第89回選抜高等学校野球大会では登板がなく、チームも初戦敗退した。同年夏の第99回全国高等学校野球選手権大会にも出場し、東海大菅生との初戦(2回戦)で3点リードされた8回表から救援登板したが、1回1/3で6失点と乱れ、チームも敗れた。3年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会にエースとして出場。
松岡 洸希(まつおか こうき、2000年8月31日 - )は… 松岡 洸希(まつおか こうき、2000年8月31日 - )は、埼玉県桶川市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 東京ヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツの試合で、青木宣親の活躍を見たのを機に、さいたま市立浦和大里小学校1年生の時に野球を始める。少年野球チームの「浦和ビッグウェイブ」に所属していた。 家から近いという理由で桶川市立桶川中学校から地元の公立校、埼玉県立桶川西高等学校へ進学。進学当初は身長154cmと小柄で、守備位置は三塁手・遊撃手であったがチームの事情で3年春からは投手も兼任した。 投手に転向した当初は球速110km/h - 120km/hの間だったが、最終的には最速143km/hを記録するようになり、身長も179cmに達した。
横川 凱(よこがわ かい、2000年8月30日 - )は、滋… 横川 凱(よこがわ かい、2000年8月30日 - )は、滋賀県坂田郡山東町(現:米原市)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 野球を始めたきっかけはWBCで、小学2年生から野球を始め、米原市立大東中学校時代は湖北ボーイズに所属、ボーイズリーグ選抜「野茂ジャパン」に選ばれるほどの逸材だった。ボーイズ時代の後輩に土田龍空がいる。 高校は強豪校である大阪桐蔭高等学校に入学。1年秋からベンチ入りし、2年春夏~3年春夏に計4試合に登板。3年時には同級生の根尾昂、藤原恭大、柿木蓮らとともに甲子園春夏連続優勝に貢献した。投手として、柿木、根尾に次ぐ3番手であった。高卒後の進路をプロ志望か大学進学か悩んでいるときに高校に母校訪問していた先輩に相談し金言をもらって迷いは消えた。
金村 尚真(かねむら しょうま、2000年8月29日 - )… 金村 尚真(かねむら しょうま、2000年8月29日 - )は、沖縄県豊見城市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 豊見城市立上田小学校3年生のときに豊見城ジュニアで野球を始め、豊見城市立豊見城中学校では軟式野球部に所属。2年時からエースナンバーを背負い、3年時には全日本少年軟式野球大会でチームを初優勝に導いた。その後、BFA U-15 アジア選手権の日本代表に選出され、同大会では準優勝を経験した。 「県外でやってみたい」という気持ちがあり、岡山学芸館高校に進学すると、1年春からベンチ入り。エースを務めるようになった2年秋は県大会で優勝を果たした。3年春からは4番打者も務めるようになり、3年夏は県大会で決勝まで勝ち上がったが、西純矢擁する創志学園に敗れた。
古賀 輝希(こが てるき、2000年8月25日 - )は、佐… 古賀 輝希(こが てるき、2000年8月25日 - )は、佐賀県佐賀市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校3年生の時に野球を始め、佐賀市立思斉中学校では軟式野球部に所属。 佐賀商業高校3年時に夏の甲子園に4番として出場したが、1回戦で先発投手だった山田龍聖を擁する高岡商業高校に敗れた。進学した日本経済大学では2年時に右肩を脱臼し手術を経験するも、4年時に福岡六大学野球連盟でベストナインを受賞した。プロ志望届を提出せず、万全な状態でプレーができないことから社会人の企業チームへは進めず、大学コーチの紹介で長野県のクラブチーム・千曲川硬式野球クラブでプレーすることとなった。
山口 航輝(やまぐち こうき、2000年8月18日 - )は… 山口 航輝(やまぐち こうき、2000年8月18日 - )は、大阪府大阪市平野区出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 妻はAKB48・HKT48元メンバーでタレント・女優の多田愛佳。 大阪市立加美北小学校1年から「平野エンゼルス」で野球を始める。大阪市立加美中学校時代は「ナガセボーイズ」に所属。 秋田県の明桜高校に進学後、1年春からベンチ入りし、2年からは「4番・投手」に定着。2年夏には県大会での投打にわたる活躍で甲子園大会出場に貢献した。秋田県大会決勝戦では金足農業高校のエースで同学年の吉田輝星と投げ合ったが、一塁牽制の帰塁の際に右肩を亜脱臼した影響から甲子園では登板なしに終わり、チームも初戦で敗退した。
松山 真之(まつやま まさゆき、2000年8月18日 - )… 松山 真之(まつやま まさゆき、2000年8月18日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学校1年生の時に野球を始め、中学校では軟式野球部に所属した。 高校は東京都立第四商業高等学校に進学。夏の西東京大会では3年連続初戦敗退するなど、全国大会への出場はなかった。 高校卒業後は就職予定であったが、就職活動に失敗したため、BCリーグのトライアウトを受験。富山GRNサンダーバーズに合格し、入団した。背番号は19。 富山では中継ぎを中心として23試合に登板し、0勝2敗1セーブ、防御率4.74を記録。高校時代のストレートの最速は138km/hであったが、富山では最速147km/hを記録した。
石伊 雄太(いしい ゆうた、2000年8月18日 - )は、… 石伊 雄太(いしい ゆうた、2000年8月18日 - )は、三重県尾鷲市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 尾鷲市立宮之上小学校4年時に「尾鷲少年野球団」で野球を始め、尾鷲市立尾鷲中学校へ進学後は「伊勢ボーイズ」に所属した。小学校の1学年下に上田大河がおり、野球団では上田および1学年上の湯浅京己とチームメイトの間柄だった。また、湯浅とは中学校時代の所属チームは違うが、学校は同じであった。 近畿大学工業高等専門学校では3年間で甲子園大会出場はなく、3年夏は三重大会2回戦で敗退した。 近大高専3年次修了後は近畿大学工学部へ進学。3年秋のリーグ戦で最優秀選手賞を受賞し、通算で4度ベストナインに選出された。
富山 太樹(とみやま だいき、2000年8月18日 - )は… 富山 太樹(とみやま だいき、2000年8月18日 - )は、京都府京北町出身のプロ野球選手(外野手・投手)。左投左打。 京都市立京北第三小学校3年次に軟式野球を始めた。京都市立周山中学校では軟式野球部に所属していた。 京都府立乙訓高等学校では1年次よりベンチ入りしていた。翌2年の夏よりエースを務めたが秋より同期のプロ注目右腕だった川畑大地にエースの座を譲る。二本柱として秋は全10戦中6戦に先発し近畿大会4強まで勝ち上がった。3年次の選抜では全2試合に先発した。夏は8強で敗退する。 國學院大學に進学するが試合に出場することがなく目立った活躍はなかった。3学年上に横山楓、吉村貢司郎、2学年上に小川龍成、1学年上に福永奨、同期に田中千晴、1学年下に武内夏暉がいた。