高野達男(たかの たつお、1940年(昭和15年)? - 2… 高野達男(たかの たつお、1940年(昭和15年)? - 2005年(平成17年)8月22日)は日本の社会運動家、実業家。三菱樹脂事件の原告。株式会社ヒシテック(現三菱樹脂インフラテック株式会社)代表取締役社長、常勤顧問を歴任。 1940年(昭和15年)頃に広島県で出生。 学生時代は学生運動に身を投じていたことがある。1963年(昭和38年)に東北大学法学部を卒業。 同年に三菱樹脂株式会社に入社するが、学生運動での活動歴を秘匿していたことを問題視され、経歴詐称を理由に本採用を拒否される。 採用拒否は被用者の思想・良心の自由を侵害するものとして法廷で会社と争った末、1976年(昭和51年)に東京高等裁判所で和解が成立し、現職に復帰する。
鵜飼 武彦(うかい たけひこ、1939年12月21日 - )… 鵜飼 武彦(うかい たけひこ、1939年12月21日 - )は、日本の慈善活動家。男性。 滋賀県甲賀市出身。甲賀忍者甲賀二十一家荘内三家の内の一家鵜飼党本家鵜飼孫六の直系16代目、勝山より7代目、玄達より11代目、鵜飼舎杖より12代目の直系の子孫。生家は代々医家(博天堂医院)を営む。15代鵜飼晃の3男としてに生まれる。滋賀県立膳所高等学校を卒業後、株式会社高島屋に就職。一般社団法人恵水会、株式会社恵水会等を運営し障がい者福祉に尽力している。 高校卒業後、髙島屋に勤務。定年後はユニマットライフ顧問、鵜飼行政法務事務所所長、有限会社ユーアイシー代表取締役、株式会社恵水会取締役社長、特定非営利活動法人あけぼの会理事長、一般社団法人恵水会理事長、特定非営利活動法人健康倶楽部緑の会理事長、株式会社恵水会社長を務める。
今井 澄(いまい きよし、1939年11月17日 - 200… 今井 澄(いまい きよし、1939年11月17日 - 2002年9月1日)は、日本の学生運動家・医師・政治家・参議院議員(2期)。 旧・満洲国のハルビン市で生まれ、4歳の時に帰国して千葉県に住む。医師である父の転勤に伴い、小学3年から高校までは静岡県在住。 静岡県立沼津東高等学校を経て1958年東京大学に進学。60年安保闘争への関与から医学部進級試験に不合格・退学処分を受けるが翌年復学して進級。1962年の大学管理法反対闘争では自治会中央委員会議長として闘争を指揮したため再度の退学処分となる。このときともに退学処分となった1人に江田五月がいた。後に2度目の復学。この時期は共産同ML派の幹部であった。
尾畠 春夫(おばた はるお、1939年〈昭和14年〉10月1… 尾畠 春夫(おばた はるお、1939年〈昭和14年〉10月12日 - )は、日本のボランティア活動家、元鮮魚商。大分県速見郡日出町在住。身長161cm、体重57kg。 1993年、登山道整備のボランティア活動を始めるが、経営していた鮮魚店の閉店後に活動を本格化させる。多くのボランティア活動の実績により数々の表彰を受け、後に緑綬褒章が授与された。2018年の行方不明児発見の手柄により、「スーパーボランティア」として一躍時の人となった。 大分県東国東郡安岐町(現:国東市安岐町)に生まれ、幼少時に現在の杵築市に引っ越し育つ。父は下駄職人であったが、履き物がゴム製品に変わる頃で、商売は順調ではなかった。
松村 満美子(まつむら まみこ、1939年7月21日 - 2… 松村 満美子(まつむら まみこ、1939年7月21日 - 2020年8月1日)は、日本の社会福祉活動家・フリーアナウンサー・元NHKアナウンサー。晩年は特定非営利活動法人腎臓サポート協会の理事長を務めており、主にジャーナリスト、評論家として活動していた。 1939年、東京の四谷生まれ。1958年、千葉大学文理学部入学。大学時代は放送部と英語会話部に所属していた。同大学卒業後、1962年NHKにアナウンサーとして入局。1968年、産休中に民放に誘われNHKを退職。その後はフリーのアナウンサーとして活動。2001年、腎臓サポート協会設立の主唱者のひとりとして代表に就任。2005年7月、特定非営利活動法人認可後、理事長に就任。
大藏 律子(おおくら りつこ、旧姓・中釜(なかがま)、193… 大藏 律子(おおくら りつこ、旧姓・中釜(なかがま)、1939年4月19日 - )は、日本の政治家、市民活動家。元神奈川県平塚市長(2期)、元平塚市議会議員(4期)。 鹿児島県川辺郡万世町小湊(現・南さつま市加世田小湊)に生まる。万世町立小湊小学校、加世田市立小湊中学校(加世田市立万世中学校に統合され現・南さつま市立万世中学校)、鹿児島県立加世田高等学校を経て、1958年鹿児島大学文理学部理学科(現・理学部)に入学し、2年次秋に化学科の専門課程へ進む。1962年、鹿児島大学文理学部を卒業して栗田工業に入社し、横浜市にある中央総合研究所に勤務。入社翌年の春頃から労働組合活動にかかわる。結婚退職後、1967年(昭和42年)3月に平塚市に転居。
笹川 陽平(ささかわ ようへい、1939年〈昭和14年〉1月… 笹川 陽平(ささかわ ようへい、1939年〈昭和14年〉1月8日 - )は、日本の社会運動家。笹川良一(日本船舶振興会初代会長)の三男。 公益財団法人日本財団(旧日本船舶振興会)名誉会長、同笹川平和財団名誉会長、東京財団顧問、世界保健機関 (WHO) ハンセン病制圧大使、ハンセン病人権啓発大使(日本国)などの役職を歴任し、2012年6月11日にはミャンマー少数民族福祉向上大使(日本国)に就任。2013年2月にミャンマー国民和解担当日本政府代表(日本国)に就任。 日本人で初めて『法の支配賞』を受賞。明治大学政治経済学部卒業。次兄に自由民主党元衆議院議員・笹川堯がいる。政治家の笹川博義(笹川堯の息子)は甥。
所美都子(ところ みつこ、1939年1月3日 - 1968年… 所美都子(ところ みつこ、1939年1月3日 - 1968年1月27日)は、日本の女性学者・新左翼活動家。トマノミミエの筆名も持つ。 東京都出身。お茶の水女子大学大学院・大阪大学大学院に学ぶ。在学中から学生運動に入る。1960年の羽田ロビー闘争などに参加。1966年、東京大学ベトナム反戦会議立ち上げに参画。1968年、膠原病にかかり死亡した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高柳 新(たかやなぎ あらた、1939年-2024年)は日本… 高柳 新(たかやなぎ あらた、1939年-2024年)は日本の医師、社会運動家、専門は内科。全日本民主医療機関連合会名誉会長。 東京都出身。1967年東京医科歯科大学卒業。元城南福祉医療協会大田病院院長。東京民主医療機関連合会副会長、全日本民主医療機関連合会会長を歴任。1989年、第15回参議院議員通常選挙に日本共産党から立候補した経験がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
安東 巖(あんどう いわお、1939年〈昭和14年〉 - )… 安東 巖(あんどう いわお、1939年〈昭和14年〉 - )は、日本の社会運動家。宗教家。元生長の家本部講師。 佐賀県鳥栖市出身。高校2年の時に肺動脈弁狭空症を発症。以後7年間、寝たきりの生活を送るが、生長の家の教えである「人間神の子。本来、病なし」に触れて信仰生活に入った結果、回復。25歳の時に復学し卒業。 1966年、長崎大学に入学し椛島有三と共に長崎大学学生協議会を結成。同協議会は後に大分大学などと共に全国学生自治体連絡協議会と発展する。大学を卒業後は生長の家で専従職員を経て政治局政治部長・本部講師などを歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
野間 美喜子(のま みきこ、1939年 - 2020年3月1… 野間 美喜子(のま みきこ、1939年 - 2020年3月1日)は、日本の弁護士、平和運動家。ピースあいち初代館長。 1939年に東京府に生まれ、三重県下への疎開を経て、名古屋の親戚のもとで高校時代を過ごす。 名古屋大学在学中に司法試験に合格し、1962年に法学部卒業、1964年弁護士登録。民事事件を中心に、公害訴訟などを手掛け、反核運動にも参加。1989年に名古屋弁護士会副会長。 1993年、「戦争メモリアルセンターの建設を呼びかける会」の事務局長に就任し、愛知県や名古屋市に戦争資料館建設を訴えるも、受け入れられなかったため、篤志者から土地と資金の寄付を受け、2007年、私立の「ピースあいち」の設立にこぎつける。
安藤 博(あんどう ひろし、1938年11月 - )は、日本… 安藤 博(あんどう ひろし、1938年11月 - )は、日本のジャーナリスト、社会運動家。 東京生まれ。1962年一橋大学経済学部卒、1981年まで朝日新聞記者。1970年代半ばにはワシントン支局在勤。東海大学平和戦略国際研究所教授、(株)構造計画研究所研究員。市民立憲フォーラム、非暴力平和隊・日本、情報公開クリアリングハウス理事、福島原発行動隊代表理事。
大藪 龍介(おおやぶ りゅうすけ、1938年11月 - )は… 大藪 龍介(おおやぶ りゅうすけ、1938年11月 - )は、日本の政治学者、運動家。元福岡教育大学教授。 1938年(昭和13年)11月23日、福岡県三潴郡大木町生まれ。1954年、福岡県立伝習館高校入学、翌年久留米大学附設高校に転校し、1957年同校卒業[要出典]。 1957年4月九州大学法学部入学、教養部学生自治会を通じてマルクス主義に接する。同年12月〜1958年5月まで教養部自治会委員長を務め、1958年9月〜1959年3月まで九州大学学友会委員長を務めた[要出典]。1959年6月〜1960年9月、九学連(九州地方学生自治会連合)委員長として、安保改定反対闘争を闘い、三池闘争、福教祖勤評反対闘争支援に取り組む[要出典]。
鷲尾 悦也(わしお えつや、1938年(昭和13年)9月20… 鷲尾 悦也(わしお えつや、1938年(昭和13年)9月20日 - 2012年(平成24年)2月26日)は、日本の労働運動家。日本社会事業大学理事長。従三位。旭日大綬章(2009年)。 日本労働組合総連合会会長(第3代)、日本鉄鋼産業労働組合連合会会長を歴任。2010年、日本社会事業大学理事長に就任。 東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。弟は講談社の取締役も務めた歌人の小高賢(本名・鷲尾賢也)。 八幡製鐵(現在の新日本製鐵)入社。新日鉄労働組合連合会書記長を経て、鉄鋼労連書記長、委員長を歴任。1993年(平成5年)より連合事務局長を務め、1997年(平成9年)から連合会長に就任する。 東大時代には旅行研究会に在籍しており、1961年には現在知られている限り初めて最長片道切符による旅行を試みた4人のうちの1人でもある。
藤野 義昭(ふじの よしあき、1938年8月22日 - )は… 藤野 義昭(ふじの よしあき、1938年8月22日 - )は、日本の弁護士、政治活動家。北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)名誉会長、北朝鮮による拉致と人権問題にとりくむ法律家の会代表共同代表、日本会議北海道本部前議長、2007年夏まで維新政党・新風講師団。 満洲国新京生まれ。1961年中央大学法学部法律学科卒業。会社員生活を経て、1971年に32歳で司法試験合格、司法修習26期、1974年弁護士登録(札幌弁護士会)。 2008年7月3日、佐藤勝巳の後任として救う会代表に選出。7月7日、自民党幹事長経験者加藤紘一が日本BS放送の番組において、「(2002年小泉純一郎総理大臣の訪朝後に一時帰国した)拉致被害者は北朝鮮に戻すべきだった」と発言。
石毛 鍈子(いしげ えいこ、1938年8月12日 - )は、… 石毛 鍈子(いしげ えいこ、1938年8月12日 - )は、日本の政治家、市民運動家、社会福祉学者。民主党所属の元衆議院議員(4期)。元民主党副代表。『季刊福祉労働』編集長。NPO法人「市民福祉サポートセンター」代表、「市民がつくる政策調査会」代表理事。 政治活動においては石毛 えい子の表記を主に用いている。 千葉県銚子市生まれ。 千葉県立銚子高等学校、日本女子大学文学部卒業。 大学卒業後は社会福祉団体の代表や飯田女子短期大学教授を務めるかたわら、市民運動に取り組む。専門は社会福祉学。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に旧民主党公認で比例東京ブロック単独2位で出馬し、初当選。1999年(平成11年)-7月、衆院本会議で国旗及び国歌に関する法律に反対票を投じた。
大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は… 大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は、日本の科学ジャーナリスト、SFファン活動家。 東京神田生まれ。東京教育大学(中退)在学中から家庭教師、塾経営をはじめる。 1967年にSF同人誌『宇宙塵』に参加。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で投稿が紹介されている。 1968年から石原藤夫、柴野拓美らと「SFファン科学勉強会」(SFフ科会)を結成して活動。のちに草場純、志水一夫、鹿野司らもメンバーとなる。 1979年頃からSF乱学者を名乗る(「蘭学者」のもじり)。
猪木 快守(いのき よしもり、1938年8月6日 - 201… 猪木 快守(いのき よしもり、1938年8月6日 - 2011年3月23日)は、日本の実業家、政治活動家(初代・第4代スポーツ平和党代表)、テノール歌手(芸名:パブロ猪木)。 兄弟には相良寿一(松涛流空手道師範、伯オリンピック委員)、アントニオ猪木(元プロレスラー、新日本プロレス創始者、本名:猪木寛至)らがいる。 神奈川県横浜市鶴見区出身。1958年に一家でブラジルに移住し、コーヒー豆、落花生農家、牧場を営んでいた。現地で崇教真光に入信。 アントン・ハイセル事業を推進する傍ら、フィデル・カストロ、アルベルト・フジモリ、サッダーム・フセインら各国の指導者にネットワークを広げた。 1989年の第15回参議院議員通常選挙に際し、弟のアントニオ猪木が結党したスポーツ平和党に参画。
林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 202… 林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 2021年2月10日)は、日本の政治活動家、経済学研究家。社会主義労働者党委員長、マルクス主義同志会代表を経て、労働の解放をめざす労働者党(略称・労働者党)代表委員。旧組織名・栗木伸一。 元東京女子大学教授・林道義の弟。保守派・反フェミニズムとなった兄については厳しい批判を展開している。 長野県出身。父が教師だっため転居を繰り返す。長野県伊那北高等学校卒業後、東京大学文学部入学。青木昌彦に勧誘され、19歳の時に日本共産党に入党するが半年で離党。離党理由については「お粗末な実態に愛想をつかした」と述べている。その後共産主義者同盟の一員として60年安保闘争に参加。
飯塚 繁雄(いいづか しげお、1938年〈昭和13年〉6月8… 飯塚 繁雄(いいづか しげお、1938年〈昭和13年〉6月8日 - 2021年〈令和3年〉12月18日)は、日本の人権活動家。北朝鮮による拉致被害者である田口八重子の長兄。「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(通称、「家族会」)の代表を務めた。 1938年(昭和13年)6月8日、東京市神田区(現・東京都千代田区神田)で生まれる。疎開で各地を転々とし、終戦後は埼玉県川口市へ転居した。1954年(昭和29年)、15歳で家計を支えるため民生デイゼル工業株式会社(現・UDトラックス株式会社)へ入社し、機械技術者となるため埼玉県立川口工業高等学校定時制課程に入学、昼は働いて夜は学校へ通う生活を送る。1955年(昭和30年)8月、17歳の時に末妹の八重子が生まれた。
宮崎 省吾(みやざき しょうご、1938年1月19日 - )… 宮崎 省吾(みやざき しょうご、1938年1月19日 - )は、日本の市民運動家、貿易商。国鉄横浜新貨物線反対同盟連合協議会事務局長などとして、住民運動を展開した。 東京出身。1961年一橋大学社会学部卒業。大学在学中川岸近衛、平尾光司、飯沼健真、酒井武史らと学生運動に参加。政治学岡義達ゼミ出身。大学卒業後は総合商社や、貿易会社勤務を経て、貿易商人となり、貨物線反対運動に参加。1966年国鉄横浜新貨物線反対同盟連合協議会事務局長に就任。独自の住民運動を展開した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
千田 次郎(ちだ じろう、1938年 - )は日本の牧師、説… 千田 次郎(ちだ じろう、1938年 - )は日本の牧師、説教家、伝道者、神学校教師。山形県米沢市を拠点にして日本中で活躍している牧師である。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
樺 美智子(かんば みちこ、1937年〈昭和12年〉11月8… 樺 美智子(かんば みちこ、1937年〈昭和12年〉11月8日 - 1960年〈昭和35年〉6月15日)は、日本の学生運動家。安保闘争で死亡した東京大学の女子学生である。 曽祖父は鳥取県出身の数学者樺正董、父は社会学者の樺俊雄。 1937年(昭和12年)に東京都北多摩郡武蔵野町(現:武蔵野市)の学者の家系に生まれた。2人の兄がいる。中学から父の神戸大学赴任に伴い兵庫県芦屋市に移る。 芦屋市立山手中学校、兵庫県立神戸高等学校を卒業後、一浪して東京の研数学館(お茶の水校)へ通ったが、授業に満足できず、6月に紅露外語予備校に移ったが、午前中だけの授業に飽き足らず、2学期から駿台予備学校に移る。1957年(昭和32年)に東京大学文科二類(現在の文科三類)に入学。
梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )… 梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )は、平和運動家。NPO法人ピースデポ代表。工学博士。兵庫県洲本市出身。 ほか、核軍縮議員ネットワーク(PNND)東アジア・コーディネーターなどを務める。
大賀 正行(おおが まさゆき、1937年8月2日 - 202… 大賀 正行(おおが まさゆき、1937年8月2日 - 2024年4月15日)は、日本の部落解放運動家。部落解放・人権研究所名誉理事。 部落解放同盟中央執行委員、部落解放研究所理事を歴任。 大阪市東淀川区西淡路(日之出地区)出身。被差別部落出身ではない父親と被差別部落出身の母親の間に非嫡出子として生まれる。父親は鏡会社の工場長、母親はその工場の工員であった。大阪市立啓発小学校2年の時、父親の正妻のもとに引き取られ、和歌山市で異母姉兄と共に育てられる。和歌山師範附属小学校(現・和歌山大学教育学部附属小学校)に編入学したが、1945年7月9日の和歌山大空襲で被災したため日之出地区に戻り、さらにまた父親のもとに移るなど、被差別部落の内外を往復して育つ。
宮島 将郎(みやじま まさろう、1937年〈昭和12年〉7月… 宮島 将郎(みやじま まさろう、1937年〈昭和12年〉7月27日 - 2025年〈令和7年〉5月23日)は、日本のテレビプロデューサー・実業家、元ラジオパーソナリティー、社会運動家、音楽家。 東京都新宿区出身。東京教育大学附属高等学校(現:筑波大学附属高等学校)卒、1962年(昭和37年)慶應義塾大学商学部卒。在学中は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団に所属し副指揮者を務める。2025年(令和7年)現在埼玉県入間市に在住していた。 1962年(昭和37年)日本テレビ放送網株式会社入社、芸能局音楽班配属。教育・音楽番組を制作。宮島が最も気に入っている番組は幼児教育番組『カリキュラマシーン』だという。
上廣 榮治(うえひろ えいじ 1937年(昭和12年)6月6… 上廣 榮治(うえひろ えいじ 1937年(昭和12年)6月6日 - 2019年(令和元年)1月11日)は、日本の社会運動家。実践倫理宏正会名誉会長。上廣倫理財団会長。 中央大学法学部法律学科卒業。熊本県出身。旭日重光章を受章。実践倫理宏正会を創設した上廣哲彦の長男。 1937年6月6日、広島県生まれ。または、熊本県生まれ[要出典]。広島県広島市で育ち、戦後の1949年頃に東京都吉祥寺に転居。 1960年3月、中央大学法学部法律学科を卒業し、同年4月社団法人実践倫理宏正会の団体職員になる。その後、著述活動を開始し「倫理宏正」誌と「青年と倫理」誌に毎月倫理啓蒙思想を掲載する。また、団体の青年部長などを歴任。
阿部 正寿(あべ まさとし、1937年〈昭和12年〉5月2日… 阿部 正寿(あべ まさとし、1937年〈昭和12年〉5月2日 - )は、日本の政治活動家、著述家。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の反共活動を1960年代から支えた。「12双」の一人でもある。 世界戦略総合研究所会長。教団の広報委員長、国際勝共連合事務総長などを歴任した。 福岡県京都郡犀川町(現・みやこ町)に生まれる。1960年3月、九州大学文学部社会学専攻卒業。 1967年11月頃、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の日本会長の久保木修己は、東京都渋谷区の統一教会本部に沢浦秀夫、野村健二、阿部らを招き、「勝共啓蒙団」を結成した。「勝共啓蒙団」は李相憲が書いた『新しい共産主義批判』の原稿を韓国から入手し、野村と阿部が中心となって日本語に訳し、出版した。
渕上 貞雄(ふちがみ さだお、1937年3月19日 - 20… 渕上 貞雄(ふちがみ さだお、1937年3月19日 - 2023年10月13日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は正四位。 西鉄労組書記長から私鉄九州地連委員長を務めた後、参議院議員(4期)、社会民主党幹事長(第3代)、社会民主党副党首、社会民主党選挙対策委員長などを歴任。
今田 忠 (いまだ まこと、1937年3月17日 - 201… 今田 忠 (いまだ まこと、1937年3月17日 - 2017年11月18日)は、日本の市民活動家。市民社会研究所所長。有限会社みみずく舎代表取締役。 大阪府豊中市生まれ。1959年、東京大学教養学部卒業。 日本生命保険、日本生命財団企画調査部長、助成財団資料センター企画委員、NPO研究フォーラム事務局長、笹川平和財団プログラム・ディレクター、主席研究員を経て、1996年5月より阪神・淡路コミュニティ基金代表。1999年5月に基金が閉鎖となり退職。 この他、羽衣国際大学客員教授、中京女子大学客員教授、関西学院大学非常勤講師、愛知学泉大学講師、同志社大学非常勤講師などを務めた。 2017年11月18日9時46分、癌性腹膜炎のため兵庫県神戸市の病院で死去。
唐牛 健太郎(かろうじ けんたろう、1937年2月11日 -… 唐牛 健太郎(かろうじ けんたろう、1937年2月11日 - 1984年3月4日)は、日本の学生運動家。60年安保闘争当時の全学連委員長。
久保 覚(くぼ さとる、1937年2月 - 1998年9月9… 久保 覚(くぼ さとる、1937年2月 - 1998年9月9日)は、編集者、文化活動家、朝鮮芸能文化史研究家。本名・鄭 京黙(チョン・キョンムク)。
岡村 堯(おかむら たかし、1937年1月2日 - )は、日… 岡村 堯(おかむら たかし、1937年1月2日 - )は、日本の法学者・弁護士・環境運動家。学位は、法学博士(九州大学・1974年)(学位論文「ヨーロッパ共同体裁判所による司法的規制の研究 ヨーロッパ共同体裁判所判例を中心としたヨーロッパ共同体法の実証的研究」)。上智大学名誉教授、 中国生まれ。九州大学法学部卒、1965年同大学院法学研究科修士課程修了、同大学法学部助手。 西南学院大学法学部助教授、教授、1982年上智大学法学部教授、地球環境研究所長、2007年定年、名誉教授。 1974年学位論文「ヨーロッパ共同体裁判所による司法的規制の研究 ヨーロッパ共同体裁判所判例を中心としたヨーロッパ共同体法の実証的研究」で九州大学より法学博士の学位を取得。
清水 丈夫(しみず たけお、1937年〈昭和12年〉 - )… 清水 丈夫(しみず たけお、1937年〈昭和12年〉 - )は、日本の新左翼活動家。前革命的共産主義者同盟全国委員会(略称:革共同全国委、通称:中核派)議長。 筆名は岡田新、津久井良策など。敵対勢力である革マル派の機関紙『解放』では、「シミタケ」とあだ名がつけられている。 1937年(昭和12年)、神奈川県生まれ。農家の出身。湘南高校ではラグビー部に所属した。東京大学経済学部時代に日本共産党に入党するが武装闘争放棄に反発し1958年(昭和33年)に離党、島成郎、香山健一、北小路敏らと共産主義者同盟(第一次ブント)を結成する。全学連の書記長として60年安保闘争で活躍。その後、自己批判して1961年(昭和36年)に革共同全国委に結集。
岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本… 岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本の建築家、都市デザイナー、NGO活動家、政治家。息子の岩崎夏海は放送作家。 東京生まれ。父は岩崎書店創業者・岩崎徹太。兄は精神科医の岩崎徹也。慶応義塾高等学校卒業後、東京藝術大学美術学部建築科へ入学。 大学卒業後、建築設計事務所を2年間経営した後、アフリカ・ガーナの国立科学技術大学専任講師、そしてハーバード大学デザイン大学院都市デザイン専攻留学。
磯貝 治良(いそがい じろう、1937年 - )は、日本の朝… 磯貝 治良(いそがい じろう、1937年 - )は、日本の朝鮮韓国に関わる作家、評論家、活動家。「在日朝鮮人作家を読む会」の主宰。金城学院大学非常勤講師。NPO法人「三千里鐵道」副理事長。 1937年、愛知県半田市生まれ。愛知大学法経学部経済学科卒業。1977年から名古屋で「在日朝鮮人作家を読む会」を主宰し、会の文芸誌『架橋』を発行。 大学講師、警備員などの仕事をしながら、新日本文学会、マダン劇グループ、外国人登録法反対運動、在日韓国人に対する参政権付与運動、NPO法人「三千里鐵道」など、主に朝鮮韓国に関わる様々な活動に参加している。 2006年には、全18巻に及ぶ『〈在日〉文学全集』(勉誠出版)を黒古一夫とともに編集した。
土谷 享(つちや さとる、1937年 - )は北海道の政治活… 土谷 享(つちや さとる、1937年 - )は北海道の政治活動家。 日本大学法学部卒。友愛青年連盟役員、道都大学助教授(北海道紋別市)、新自由クラブ北海道連合代表を歴任。衆議院議員総選挙や広島町(現北広島市)長選挙に出馬するがいずれも落選。 その後、学校法人つしま記念学園(現・日本医療大学)本部勤務や、山崎摩耶北海道後援会会長、札幌大学後援会副会長、札幌大学指定寮・ドミトリー友愛寮長を務める。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
和田 好清(わだ よしきよ、1937年(昭和12年)- )は… 和田 好清(わだ よしきよ、1937年(昭和12年)- )は、日本のジャーナリスト、学者、政治活動家である。島根県大田市出身。早稲田大学卒業。産経新聞記者、藤田正明参議院議員政策担当秘書、新自由クラブ島根県連合代表、米アラスカ大学政治学客員教授、グアム大学政治学教授・総長顧問などを務めた。
梶栗 玄太郎(かじくり げんたろう、1937年〈昭和12年〉… 梶栗 玄太郎(かじくり げんたろう、1937年〈昭和12年〉 - 2012年〈平成24年〉12月26日)は、日本の宗教家、政治活動家。世界平和統一家庭連合の日本統一教会第12代会長、世界日報社社長、国際勝共連合会長、世界平和連合会長、国際ハイウェイ財団理事長などを歴任した。 福岡県宗像郡東郷町(現・宗像市東郷町)生まれ。玄太郎の名前は漢字は異なるが、日露戦争時の参謀の陸軍大将児玉源太郎にあやかったという。1960年、芝浦工業大学土木工学科卒業。 1963年11月、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に入信。1964年、全国大学連合原理研究会初代副会長に就任。 1969年5月1日、渋谷区松濤の教団本部で22組(12組と既成10組)の男女が文鮮明・韓鶴子夫妻から祝福を受けて合同結婚した。
陶山 健一(すやま けんいち、1936年11月 - 1997… 陶山 健一(すやま けんいち、1936年11月 - 1997年1月14日)は、日本の新左翼活動家。革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)最高幹部。革マル派の幹部森茂は、陶山の実兄である。 東京大学農学部入学後の1955年、日本共産党に入党。1958年に党を除名された後は、社会主義学生同盟委員長として名を馳せた。 卒業後は、農林水産省の食糧庁に入庁するものの、60年安保闘争に飛び込むなど、過激な左翼運動を理由に懲戒免職される。以後、中核派の専従活動家となる。 1974年、革マル派との内ゲバ事件で重傷を負って入院後、病院を脱走して消息不明となる。1987年、養父の法要が行われていた自宅に姿を現し、逮捕された。
北小路 敏(きたこうじ さとし、1936年8月4日 - 20… 北小路 敏(きたこうじ さとし、1936年8月4日 - 2010年11月13日)は、日本の左翼政治活動家、元中核派最高幹部。 1936年生まれ。父親は京都市立中学校の国語科の教師、京都旭丘中学事件の際の教頭で、その後京都府議会議員を務めた北小路昂。 1954年、日本共産党に入党。1956年、京都市立紫野高等学校卒業、京都大学経済学部入学。1958年9月、共産党を離党。 1960年の安保闘争では、全学連の指導者として知られる(樺美智子が死亡した6・15国会突入デモの最高指揮者。副委員長加藤昇、都学連副委員長西部邁が補佐。)。当時は共産主義者同盟(ブント)に所属していた。1962年京都大学経済学部卒業。
井上 美代(いのうえ みよ、1936年6月13日 - 202… 井上 美代(いのうえ みよ、1936年6月13日 - 2022年5月21日)は、日本の政治家、女性運動家、元外交官。日本共産党所属の元参議院議員。党中央委員会憲法改悪反対闘争本部員。新日本婦人の会元会長。女性「九条の会」世話人代表。 佐賀県出身。中央大学法学部政治学科卒業。外務省に入省した。 1990年、新日本婦人の会会長となる。 1998年の第18回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(改選数4)より日本共産党公認で立候補。自民党は現職の小野清子と新人の塚原宏司の2人を擁立したが共倒れし、井上は3番目の得票数で初当選した。 その後、病気療養のため、2004年の第20回参議院議員通常選挙には立候補せず、議員を引退した。
丸山 尚(まるやま ひさし、1936年6月9日- 没年不明)… 丸山 尚(まるやま ひさし、1936年6月9日- 没年不明)は、日本の社会運動家、編集者。 長野県下高井郡富倉村(現飯山市)生まれ。1960年國學院大學文学部卒、現代評論社編集部に入り、『現代の眼』編集部をへてフリー。63年日本経営協会『NOMAプレスサービス』編集長。65年現代ジャーナリズム出版会編集長。「明日のジャーナリズムを考える会」を作る。71年日本ミニコミセンターを設立。76年住民図書館を設立、館長。住民図書館は2001年12月に廃館となり、所蔵資料は埼玉大学に引き継がれ、その後、2010年4月から立教大学共生社会研究センターに引き継がれている。 正木ひろしを人生の師、鈴木均をジャーナリズムの師として仰いでいる。
松崎 明(まつざき あきら、1936年〈昭和11年〉2月3日… 松崎 明(まつざき あきら、1936年〈昭和11年〉2月3日 - 2010年〈平成22年〉12月9日)は、日本の労働運動家。革マル派副議長。鉄道労連(後にJR総連)副委員長、東鉄労(後のJR東労組)委員長を務め、JR東労組会長、顧問を務め、事実上JR東労組のトップだった。 埼玉県出身。埼玉県立川越工業高等学校卒。愛称は松っつあん。 国鉄動力車労働組合(動労)元委員長を務め、全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)・東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)顧問を務めていた。 なお、元革命的労働者協会活動家の松崎重利は実父が同様に日本国有鉄道(国鉄)職員で姓が同じであるが、縁戚関係はなく政治活動面においても無関係である。
梅田 正己(うめだ まさき、1936年(昭和11年) - )… 梅田 正己(うめだ まさき、1936年(昭和11年) - )は、日本の著作家・書籍編集者・市民活動家。 高文研の代表、顧問を務める。 佐賀県唐津市生まれ。 1972年(昭和47年)、高文研を設立し、高文研の代表や顧問を務める。1985年(昭和60年)から1987年(昭和62年)にかけて、国家秘密法に反対する出版人の会事務局を勤める。1986年(昭和61年)以降、横浜事件・再審裁判を支援する会事務局を担当している。日本ジャーナリスト会議出版部会代表。マスコミ九条の会の呼びかけ人のひとり。 下記は、Amazonの著者紹介(1)、Amazonの著者紹介(2)に掲載されている情報を参照している。 一橋大学社会学部を卒業し、1959年(昭和34年):三省堂に入社する。
依田米秋(よだ べいしゅう(よねあき)、1935年10月24… 依田米秋(よだ べいしゅう(よねあき)、1935年10月24日 - 1992年12月13日)は、日本の政治運動家。長野県上田市出身、野沢北高校、早稲田大学卒業。元進歩党常任幹事、元進歩自由連合党首。
塩川 喜信(しおかわ よしのぶ、1935年〈昭和10年〉6月… 塩川 喜信(しおかわ よしのぶ、1935年〈昭和10年〉6月27日 - 2016年〈平成28年〉7月30日)は、日本の左翼活動家、トロツキー研究所所長、神奈川大学非常勤講師。 東京大学生時代に全日本学生自治会総連合(全学連)委員長を務める。60年安保闘争や砂川闘争に加わり、60年代末、東大農学部助手時代に全共闘運動に参加。2016年7月30日、肺炎で死去。 北海道拓殖銀行副頭取、藝備銀行(現在の広島銀行)頭取等を務めた塩川三四郎の孫。父・塩川三千勝は三井銀行員。母・妙子は王子製紙社長足立正の長女。 妻・桂子(啓子)は馬越種苗農芸社長馬越恭一の長女で、三井物産理事、日本麦酒社長等を務めた曽祖父・馬越恭平が帝国商業銀行頭取の当時、大学院生だった塩川三四郎に同行への就職を世話している。
藤本 文朗(ふじもと ぶんろう、1935年2月27日 - )… 藤本 文朗(ふじもと ぶんろう、1935年2月27日 - )は、日本の特殊教育学者・社会運動家。学位は、教育学博士(東北大学・1993年)(学位論文「障害児教育の義務制に関する教育臨床的研究」)。滋賀大学名誉教授、大阪健康福祉短期大学名誉教授。 京都府生まれ。東京教育大学特殊教育卒、1961年京都大学大学院教育学研究科修士課程修了、大阪学芸大学助手、1965年福井大学教育学部講師、助教授、1978年滋賀大学教育学部助教授、教授、1993年「障害児教育の義務制に関する教育臨床的研究」で東北大学より教育学博士の学位を取得。2000年定年退官、名誉教授、大阪健康福祉短期大学教授、2009年退職、名誉教授。
安川 寿之輔(やすかわ じゅのすけ、1935年(昭和10年)… 安川 寿之輔(やすかわ じゅのすけ、1935年(昭和10年)2月21日 - )は、日本の市民運動家、社会思想史研究者。専門は近代日本社会(教育)思想史。名古屋大学名誉教授、不戦兵士・市民の会副代表理事、日本戦没学生記念会元事務局長、イラク派兵違憲訴訟の原告(東京地方裁判所)。韓日平和100年市民ネット共同代表。<声明>「韓国は「敵」なのか」賛同者。 2001年(平成13年)4月21日の朝日新聞に掲載された安川の論説「福沢諭吉 アジア蔑視広めた思想家」に、静岡県立大学国際関係学部の平山洋が反論「福沢諭吉 アジアを蔑視していたか」(5月12日付同紙)を掲載したことで、「安川・平山論争」が始まった。 同年5月21日に安川は慶應義塾大学で講演を行い、講演資料で「福沢論争 批判は事実に基づいて」という再反論を掲載した。
玉井 義臣(たまい よしおみ、1935年2月6日 – 202… 玉井 義臣(たまい よしおみ、1935年2月6日 – 2025年7月5日)は、日本の社会運動家、教育者。あしなが運動創始者。「あしなが育英会」前会長。 1935年2月6日、大阪府池田市に生まれる。大阪府立池田高等学校を卒業後、滋賀大学経済学部に入学し、1958年に卒業。証券会社勤務等を経て、経済評論家として文筆活動に入る。1963年、母親が交通事故に遭ったことを契機に「交通評論家」としての活動を開始(母親は昏睡状態のまま36日後に死去)。また、妻も20代で脊椎ガンにて下半身不随となり、2年半後に死別。これらふたつの「死」が、玉井の「あしなが運動」の原点となる。 「あしなが運動」開始後は、自賠責保険の支払限度額引き上げなどの問題提起を行い、1966年からは「桂小金治アフタヌーンショー」(NET)で週1回行われた「交通事故防止キャンペーン」コーナーにレギュラー出演し、各界関係者と議論を戦わせ刑法211条改正実現等に尽力した。