菊原 志郎(きくはら しろう、1969年7月7日 - )は、… 菊原 志郎(きくはら しろう、1969年7月7日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。中央大学卒業。 読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)の下部組織で育ち、戸塚哲也から繋がり、菊原以後山口貴之、財前宣之へと続く「ヨミウリ天才少年」の系譜である。1986年2月1日の日本サッカーリーグ第15節フジタ工業戦において16歳7ヶ月の若さでデビューを果たした。これは当時の最年少出場記録であった。その後レギュラーの座を掴み、ラモス瑠偉らと共に中盤を支え読売クラブの黄金時代を築き上げた。またこの活躍から「日本サッカーの未来を背負う男」とも呼ばれ、1990年には日本代表に選出された。 読売時代は天才ドリブラー、テクニシャン等数々の異名をとったが、Jリーグ開幕前後は、層の厚いチームにあったため出場機会に恵まれず、日本代表にも招集されることはなかった。
横山 雄次(よこやま ゆうじ、1969年7月6日 - )は、… 横山 雄次(よこやま ゆうじ、1969年7月6日 - )は、埼玉県与野市(現:さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF、DF。
廣瀬 格(ひろせ いたる、1969年7月5日 - )は、元サ… 廣瀬 格(ひろせ いたる、1969年7月5日 - )は、元サッカー審判員。京都府在住。 1992年に京都外国語大学英米語学科を卒業後に、審判員としての活動を開始し、2002年に1級審判員に登録。京都府立学校で英語教諭を務める傍らで審判員としての活動を行い、2005年からは日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の主審としての活動を行ってきた(通算担当試合数はJ1:120試合、J2:151試合)。 2018年度限りで1級審判員としての活動を終了。同時に園部高校・附属中を最後に教職を離れた。2020年現在は日本サッカー協会 (JFA) にて審判インストラクター(J3担当)を務めている。また、Jリーグでは2020年シーズンからJ1リーグ戦でビデオ・アシスタント・レフェリー (VAR) が導入されるのにあたり、VAR専任の審判員として審判登録されている。
安達 亮(あだち りょう、1969年7月2日 - )は、兵庫… 安達 亮(あだち りょう、1969年7月2日 - )は、兵庫県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。父親はヴィッセル神戸のゼネラルマネージャーや社長も務めた安達貞至。 市立船橋高校時代はキャプテンを務め、全国に先駆けてブロックサインを導入するなどの頭脳プレーでチームを牽引した。 横浜フリューゲルスでは選手兼アシスタントコーチを経て、Jリーグ元年の1993年はサテライトチームにてゲルト・エンゲルスの下でアシストタントコーチに就いた。その後は横浜F、横浜F・マリノス、鹿児島実業高校で育成年代の指導者を歴任。横浜FMユース監督時代の教え子である栗原勇蔵は「亮さんじゃなかったら、俺なんてどうなっていたかわからない。
和泉 茂徳(いずみ しげなり、1969年6月30日- )は愛… 和泉 茂徳(いずみ しげなり、1969年6月30日- )は愛媛県愛南町(旧南宇和郡一本松町)出身の元サッカー選手(DF)・指導者(JFA公認S級コーチ)。現JFAナショナルトレセンコーチ中国・四国担当。
本田 泰人(ほんだ やすと、1969年6月25日 - )は、… 本田 泰人(ほんだ やすと、1969年6月25日 - )は、福岡県北九州市若松区出身の元サッカー選手。元日本代表。現在は、サッカー解説者や鹿島アントラーズのアドバイザーを務める。 帝京高等学校サッカー部では1学年上に岩本三郎、巻田清一、同期に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、森山泰行、1学年下には池田伸康、遠藤雅大(昌浩)、保坂信之、浅沼達也がいる。卒業後の1988年に本田技研工業サッカー部(現:Honda FC)へ入団。1988年9月25日の日産自動車(現:横浜F・マリノス)戦でデビューを果たす。1992年に鹿島アントラーズへ移籍。1993年にはチームの1stステージ制覇に貢献するなど、Jリーグベストイレブンに選出。
丸野 勝一郎(まるの かついちろう、1969年6月23日 -… 丸野 勝一郎(まるの かついちろう、1969年6月23日 - )は、兵庫県出身のサッカー選手。ポジションは、FW。 大阪商業高校から1988年に川崎製鉄サッカー部(現、ヴィッセル神戸)へ入部。1995年まで選手として活躍する。退団後、1997年からは川崎製鉄水島サッカー部のOBチーム、リバー・フリー・キッカーズ(現、ファジアーノ岡山)へ移籍。その後、2006年に三井クラブに移籍し、2007年からR.K.クラシックに所属する。
佐藤 慶明(さとう よしあき、1969年6月19日 - )は… 佐藤 慶明(さとう よしあき、1969年6月19日 - )は、元サッカー選手。サッカー指導者。ポジションはFW。大阪産業大学人間環境学部スポーツ健康学科准教授。 打点の高いヘディングとロングシュートを武器に活躍した長身ストライカー。好調だった1994年には日本代表のファルカン監督に抜擢され、日本代表として1試合出場した。
三上 明紀(みかみ あきのり、1969年6月12日 - )は… 三上 明紀(みかみ あきのり、1969年6月12日 - )は、静岡県焼津市出身のプロサッカー選手。ポジションは主にフォワード。 静岡県立藤枝東高等学校から1988年に日本サッカーリーグの三菱重工業サッカー部(後の三菱自動車工業サッカー部、浦和レッズ)に進む。Jリーグでは、1993年の発足から1994年の引退までに計13試合に出場した。 左サイドからの快速をいかした突破を得意としており、Jリーグ発足後はサイドバックとしてもプレーした。 現役引退後の2008年12月3日、インターネットの掲示板で知り合った14歳の少女に売春させたとして、愛知県警中村署などは児童福祉法違反の疑いで逮捕。売春を斡旋した男性から現金を脅し取ろうとし、男性が被害届を出していた。
藤田 善浩(ふじた よしひろ、1969年6月12日 - )は… 藤田 善浩(ふじた よしひろ、1969年6月12日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 神戸FCジュニアユース時代に日本ジュニアユース代表に選出され、1984年8月のAFC U-17選手権1985予選、1985年2月の本大会に出場した。 滝川第二高校では1学年上に本街直樹、同期に牧野景輔がいる。高校総体では3年時にベスト4進出を果たしたが、冬の高校選手権では2年時と3年時に出場するもいずれも初戦敗退。 卒業後の1988年に日本サッカーリーグ1部の松下電器産業サッカー部に加入。1990年1月28日に行われたJSL1部第12節、ヤンマーディーゼル戦でデビューを果たした。
猿澤 真治(さるさわ しんじ、1969年6月9日 - )は、… 猿澤 真治(さるさわ しんじ、1969年6月9日 - )は、広島県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。 広島県出身。広島工業高校では1986年、1987年と2年連続で全国高校サッカー選手権に出場した。大阪体育大学を卒業後は、香川県内の中学校に勤務しながら、1999年まで香川紫雲クラブ(現・カマタマーレ讃岐)でプレーした。また1993年には、香川県として出場した国体 成年2部で優勝の実績を挙げた。 1996年からは、香川県や四国の3種(U-15)トレセン責任者を歴任。2007年より日本サッカー協会(JFA)ナショナルトレセンコーチ四国担当に就任した。2008年7月に中学校を退職後、日本オリンピック委員会(JOC)のスポーツ指導者海外研修員として同年8月から1年間フランスに派遣され、フランスナショナルフットボール学院(INF)でU-13からU-15年代の育成プログラムの研修を受けた。
中尾 幸太郎(なかお こうたろう、1969年6月8日 - )… 中尾 幸太郎(なかお こうたろう、1969年6月8日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。 国見高校、大阪商業大学を経て、川崎製鉄サッカー部(後のヴィッセル神戸)に入部。1997年には川崎製鉄時代から3人目の生え抜き選手としてJリーグのピッチに立った(他の2人はGKの兼本正光とDFの梶山洋一である)。 ヴィッセルを退団後は佐川急便で働きながら佐川系のサッカークラブを転々。2005年に佐川急便京都サッカー部の選手兼任監督に就任するも、同年限りでサッカー部の廃部が決定。2006年からは佐川急便京都サッカー部を母体として滋賀県に移転したFC Mi-Oびわこ(現・レイラック滋賀FC)にて選手兼任監督を務めた。
木澤 正徳(きざわ まさのり、1969年6月2日 - )は、… 木澤 正徳(きざわ まさのり、1969年6月2日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手。ポジションはDF(右サイドバック)。 スピードを武器とする右サイドバックで、古河や市原で活躍。セレッソではレギュラーだったが、クロスの精度が課題だった。
安間 貴義(あんま たかよし、1969年5月23日 - )は… 安間 貴義(あんま たかよし、1969年5月23日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 静岡県浜松市出身。出身校は浜松市立泉小学校、浜松市立高台中学校、静岡県立浜松商業高等学校、駒澤大学。 1992年より本田技研でプレー。選手としては引退まで一貫してプロ契約であった。旧姓は大仲、1998年より安間で登録されている。 ポジションは主にMF(ボランチ)で、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)・日本フットボールリーグ(JFL)と跨いで現役通算10年、ベストイレブンに4回選出され、1998年の旧JFLではフェアプレー賞を受賞、現行のJFLにおいて1999年にMVPを受賞した。
眞中 幹夫(まなか みきお、1969年5月22日 - )は、… 眞中 幹夫(まなか みきお、1969年5月22日 - )は、茨城県坂東市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。同じく元サッカー選手の眞中靖夫は実弟。 茨城大学卒業後の1992年、テストを受けてジェフユナイテッド市原に加入。5シーズン在籍し、Jリーグで101試合に出場した。 1997年、ジャパンフットボールリーグ(JFL)のブランメル仙台に移籍。1998年、大宮アルディージャに移籍。 現役引退を考えていたところ、市原時代のチームメイトであるピエール・リトバルスキーに誘われ、彼が監督を務める横浜FCに加入。1999年から2シーズン連続で日本フットボールリーグ(JFL)に優勝し、2000年のJFLではベストイレブンに選出された。
大倉 智(おおくら さとし、1969年5月22日 - )は、… 大倉 智(おおくら さとし、1969年5月22日 - )は、神奈川県川崎市出身の元サッカー選手、経営者。現役時代のポジションはFW。 東京都で生まれ、その後神奈川県川崎市に移って幼少期を過ごす。1985年に暁星高校に入学。第65回および第66回の2度全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。1988年に早稲田大学商学部に入学してア式蹴球部に入部し、4年時に第40回全日本大学サッカー選手権大会で優勝した。 大学を卒業後は日立製作所に入社して社員選手としてプレイしていたが、1994年に柏レイソルとしてJリーグに昇格に伴いプロに転向。レイソルではカレッカと相性の良いプレーを見せ、カレッカは大倉を「弟子の様な存在であった。
矢野 由治(やの よしはる、1969年5月18日 - )は、… 矢野 由治(やの よしはる、1969年5月18日 - )は、長崎県長崎市出身のサッカー指導者。 1989年に早稲田大学へ進学。ア式蹴球部に所属し、3年時からは関塚隆の下でプレー。同大学大学院へ進学し、在学中からフィジカルコーチを務めるようになった。大学院修了後にはブランメル仙台で指導。 1997年に東京ガスフットボールクラブ(後にFC東京)のフィジカルコーチに就任。10年間に渡って同クラブでの選手強化に尽力した。2007年限りで退任。 2006年からは、反町康治監督の下でU-23日本代表のフィジカルコーチを務め、北京オリンピックに参加した。 2009年、川崎フロンターレ監督の関塚に指名され同クラブのフィジカルコーチに就任し、2012年限りで退任。
村田 一弘(むらた かずひろ、1969年5月12日 - )は… 村田 一弘(むらた かずひろ、1969年5月12日 - )は、大分県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 国見高校在学中の1987年に第66回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝した。高校卒業後は中央大学に進学するが、父死去に伴って1年で大学を中退する。故郷の長崎に帰り、三菱重工業の下請け会社で勤務していた。また、しばらくして九州リーグの三菱重工長崎サッカー部でプレーした。 Jリーグ入りを目指していたヤンマー(現:セレッソ大阪)のセレクションを受けて合格、1993年よりヤンマーに入団した。その後、C大阪及び大分トリニータでプレーした。 2000年に現役を引退し、翌2001年からは大分で指導者としてのキャリアを開始。
村上 伸次(むらかみ のぶつぐ、1969年5月11日 - )… 村上 伸次(むらかみ のぶつぐ、1969年5月11日 - )は、東京都目黒区出身のサッカー審判員(元プロフェッショナルレフェリー)、元サッカー選手(ポジションはDF)。岐阜県在住。 目黒区立第八中学校、帝京高校から立正大学卒業。帝京高校時代の同級生に森山泰行、礒貝洋光がいる。大学卒業後、当時ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属していた西濃運輸でプレーしたが、1997年シーズン終了後の旧JFL解散とともにチームが廃部となることが決まり、「サッカーに関わっていたい」という思いと、学生時代に取得していた4級審判員の資格を思い出し、28歳にして審判の道を目指すことになる。 学生時代に取得した4級審判員資格は失効していたため取り直し、西濃運輸での社業の傍ら1998年に2級審判員、2002年に1級審判員の資格を取得。
森山 泰行(もりやま やすゆき、1969年5月1日 - )は… 森山 泰行(もりやま やすゆき、1969年5月1日 - )は、岐阜県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者。ポジションはFW。JFA 公認S級コーチ。 笠松中学校時代は全国中学校サッカー大会3位を経験。高校は東京の帝京高校に進学。中学時代まではドリブルで自ら持ち込みゴールを決めるタイプだったというが、高校で礒貝洋光と出会ったことにより、周りを活かすよりも活かされるタイプの選手であるという自覚を持ちプレースタイルを変えていく。帝京サッカー部では1学年上に岩本三郎、巻田清一、同期に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、1学年下には池田伸康、遠藤雅大(昌浩)、保坂信之、浅沼達也がいる。
古賀 琢磨(こが たくま、1969年4月30日 - )は、静… 古賀 琢磨(こが たくま、1969年4月30日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手(ディフェンダー)、サッカー指導者。元サッカー選手の古賀正人は実弟。女性ボーカルグループLittle Glee Monsterのかれんは実娘。 ヤマハからジュビロ磐田へとプロ化したチームの創生期を支えたひとり。オフト監督時代のJリーグ昇格直後の磐田でディフェンスのレギュラー格としてシーズンを通して活躍した。
平沢 政輝(ひらさわ まさき、1969年4月25日 - )は… 平沢 政輝(ひらさわ まさき、1969年4月25日 - )は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはFW(センターフォワード)。東京都大田区出身。 父親の転勤もあって小学時代は埼玉県浦和市(現在のさいたま市)、中学時代は広島県といったサッカー王国と呼ばれた地域で過ごし、小学時代はFC浦和 の一員として全日本少年サッカー大会3位入賞と優秀選手に選出。中学時代はさいたま市立大谷口中学校に進学、父親の転勤にともない途中転校しクラブチームの大河FC でサッカーを学んだ。 高校進学の際には静岡県の東海大一高校へ越境入学。ポジショニングが良く、左足とヘディングを得意とした。2年時の1986年に沢登正朗やアデミール・サントスらと共に高校サッカー選手権に初出場し優勝。
加藤 寿一(かとう としかず、1969年4月22日 - )は… 加藤 寿一(かとう としかず、1969年4月22日 - )は、静岡県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA公認A級コーチ)。 吉田中学時代、平木隆三監督のもと、礒貝洋光・菊原志郎らと共に1984年第1回アジアジュニア選手権に出場。藤枝東高校を卒業後、筑波大学へ入学。高校と大学の先輩に中山雅史。 大学を卒業後、ミズノに入社。その後はサンフレッチェ広島担当として働く。 1995年にゴールキーパーコーチとしてサンフレッチェ広島へ入団。同年、正GKの前川和也が負傷してしまい、控えの河野和正・2年目の下田崇・ルーキーの玉田真人の3人だけになり、しかも下田がU-20日本代表に選ばれワールドユースに出場し不在になるため、緊急事態にそなえ選手登録された。
加藤寿一(かとう としかず、1969年4月22日 - )は、… 加藤寿一(かとう としかず、1969年4月22日 - )は、静岡県出身のサッカー指導者(JFA公認A級コーチ)。現Jリーグ・サンフレッチェ広島ジュニアユースGKコーチ。
鈴木 克美(すずき かつみ、1969年4月21日 - )は、… 鈴木 克美(すずき かつみ、1969年4月21日 - )は、山形県出身の元プロサッカー選手。 山形県内の地域リーグに所属していた時代から、JFL・J2へと昇格し2004年に現役引退するまで17年間NEC山形サッカー部/モンテディオ山形に在籍した。2001年には守護神として山形の上位進出に貢献し、J1昇格まであと一歩にまで迫ったが、最終節の結果、昇格を逃した。晩年は桜井繁が台頭したため、出場機会は減少した。 1999年のJリーグカップ1回戦、対京都戦(4月7日)で相手のGKである松永成立にゴールを決められた。PK以外でキーパーのゴールはJリーグ初だった。当時は風雨がありながらも大きく伸びてきたボールがまさか入るとは思わずゴール直後は頭が真っ白になり、会場が一瞬シーンとなって穴があったら入りたい気持ちになり、試合後にロッカールームで放心状態だったが他のチームメイトが触れないように気を遣ってくれているのをひしひしと感じ、帰宅すると妻も何も言ってこなかったのはさすがに堪えたと語っている。
根岸 誠一(ねぎし せいいち、1969年4月20日 - )は… 根岸 誠一(ねぎし せいいち、1969年4月20日 - )は、栃木県鹿沼市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在は宇都宮チェルトFCおよびFCアネーロ宇都宮の代表を務める。 宇都宮学園高等学校に入学し、1年時から公式戦に出場し、1985年度の高校選手権(第64回大会)では同校初のベスト4進出。続く1986年度の高校選手権(第65回大会)でもレギュラーとして出場し、前回大会で得点王となった1学年上の黒崎久志キャプテンの下でベスト8に進出。大会優秀選手に選出され、日本高校選抜のヨーロッパ遠征メンバーに参加した。 高校卒業後の1988年、高校の先輩である黒崎の後を追う形で日本サッカーリーグ (JSL) 1部の本田技研工業サッカー部に加入。
礒貝 洋光(いそがい ひろみつ、1969年(昭和44年)4月… 礒貝 洋光(いそがい ひろみつ、1969年(昭和44年)4月19日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現宇城市)出身の元サッカー選手。元日本代表。 小学校時代に全日本少年サッカー大会に出場すると天才サッカー少年として脚光を浴びた。中学時代はU-17日本代表のエースストライカー。 1985年に帝京高校に入学すると1年生から10番を背負った。1986年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユースアジア予選に出場した。 1988年に東海大学に入学すると澤登正朗と共に1年時からレギュラーとして全日本大学サッカー選手権大会を始め多くのタイトルを獲得した。また、1991年に日本代表に選出され、4月のスパルタク・モスクワ戦と5月のバスコ・ダ・ガマ戦でプレーしている(在学中はAマッチ出場は無し)。
高萩 陽子(たかはぎ ようこ、1969年4月17日 - )は… 高萩 陽子(たかはぎ ようこ、1969年4月17日 - )は、日本の元女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表。現役時代のポジションはディフェンダー。 小平FC / 新光精工FCクレールでプレー。サッカー日本女子代表では1986年1月21日、16歳の時にインド代表との試合でデビューした。 その後、1986年、1989年、1991 AFC女子選手権、1990年アジア競技大会にも出場した。また、試合出場は無かったが、1991 FIFA女子ワールドカップのメンバーにも選出された。1991年まで通算で31試合に出場した。 現ラショナルジャパン[要出典]。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。
牧野 景輔(まきの けいすけ、1969年4月11日 - )は… 牧野 景輔(まきの けいすけ、1969年4月11日 - )は兵庫県出身の元サッカー選手。 1969年4月11日兵庫県生まれ。高校卒業後、1988年に日本サッカーリーグ・古河電工(後のジェフユナイテッド市原・千葉)に入団。リーグで27試合9ゴールを果たした。 1992年には日本サッカーリーグが改編され、新たにJ1リーグが設立されると、1994年に日本サッカーリーグのセレッソ大阪に移籍。 セレッソは1995年にJ1に昇格したものの、牧野は試合でまったくプレーできず、1995年シーズンの終わりに引退した。
二宮 浩(にのみや ひろし、1969年4月11日 - )は、… 二宮 浩(にのみや ひろし、1969年4月11日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード(FW)。 小学校3年生の時にサッカーを始める。1985年に進学した国見高校では同期の立石敬之、塚本明正、村田一弘、中尾幸太郎、吉田裕幸と共に2年次に高校選手権準優勝、3年次に優勝を経験。 筑波大学を経て、1992年に浦和レッドダイヤモンズに入団。Jリーグ開幕年である1993年には故障者が相次いだため出場機会を掴み17試合に出場したが、高校時代に見せた突破力溢れるドリブルからのチャンスメークは影を潜め、Jリーグの屈強なDF相手に苦戦した。 1995年、関東リーグ・プリマハムFC土浦(後の水戸ホーリーホック)へと移籍。
大本 忠輝(おおもと ただてる、1969年4月6日 - )は… 大本 忠輝(おおもと ただてる、1969年4月6日 - )は、日本出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 神奈川県立旭高校では高尾敬治と同学年。2年時と3年時に神奈川県選抜に選ばれ国体少年の部に出場。3年時の高校選手権ではベスト8進出に貢献し、優秀選手に選出された。 青山学院大学を経て、ジャパンフットボールリーグのフジタサッカークラブに加入。Jリーグ昇格後の1994年にベルマーレ平塚と改称した後もチームに在籍し、同年4月13日に行われたサントリーシリーズ第9節の浦和レッドダイヤモンズ戦でJリーグデビュー。4月16日に行われた第10節のジュビロ磐田戦で初得点を記録した。
熊埜御堂 智(くまのみどう さとし、1969年4月5日 - … 熊埜御堂 智(くまのみどう さとし、1969年4月5日 - )は、東京都出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 東海大一高では、冬の選手権で優勝を経験。国士舘大学、NTT関東を経て、1995年に柏レイソルに加入、1996年にモンテディオ山形。現役引退後に町田FCコーチ、東京農業大学監督
金 相煥(キム・サンファン、1969年3月25日 - )は、… 金 相煥(キム・サンファン、1969年3月25日 - )は、大韓民国の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。現在は、芦屋大学臨床教育学部教育学科准教授。 御影高校では2年時に高校選手権に出場。 東海大学を経て、1991年に日本サッカーリーグの松下電器産業サッカー部に加入。1990-91シーズン第11節で岡中勇人、前田浩二、塩川哲也と共に追加登録された。翌1991-92シーズンに出場機会を得ると、同年8月18日に行われたJSLカップ1回戦の東京ガス戦で公式戦デビューし、10月13日に行われたJSL1部第5節のヤマハ発動機戦でリーグ戦デビューをした。JSL1部での通算成績は2試合出場0得点。
尾﨑 勇史(おざき ゆうし、1969年3月24日 - )は、… 尾﨑 勇史(おざき ゆうし、1969年3月24日 - )は、三重県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはGK。 日本サッカーリーグのヤマハ時代からのジュビロ磐田の生え抜き選手。磐田時代は控え2、3番手であったが、他のGKも不安定であったため、かなり出場機会を得られた。1999年シーズンのJリーグチャンピオンシップ第2戦ではPK戦で1度セーブし、さらに翌年2000年3月のXEROX SUPER CUPでも同じくPK戦でスーパーセーブを連発し、強烈に印象づけた。 その後磐田はヴァンズワムを獲得したため出場機会が減少、2000年11月よりアビスパ福岡へレンタル移籍し、翌年2001年に完全移籍した。
野田 知(のだ さとる、1969年3月19日 - )は、北海… 野田 知(のだ さとる、1969年3月19日 - )は、北海道室蘭市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 室蘭市立向陽中学校、室蘭大谷高、国士舘大学(2年次には自身を除き自身と同い年北澤豪含めて全員本田技研工業フットボールクラブ所属選手たるフットサル日本代表に選出された。1989 FIFAフットサル世界選手権に出場)を経て、1990年に日本サッカーリーグ1部日産自動車(Jリーグ開幕以降は横浜マリノス)に加入。ボランチ、左WBとして活躍。日本代表経験こそないが、主力選手として1990年代の横浜Mの黄金時代を支えた。 1999年にアビスパ福岡に移籍し、2003年から2004年までヴォルカ鹿児島でコーチ兼選手としてプレーした。
宮村 正志(みやむら まさし、1969年2月18日 - )は… 宮村 正志(みやむら まさし、1969年2月18日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。日本サッカー協会公認B級コーチ。 1969年、東京都町田市で生まれる。都立成瀬高校、中央大学を経て読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)に入団。フジタSC(現:湘南ベルマーレ)、アビスパ福岡、水戸ホーリーホックでのプレーを経たのち、引退後はFC町田JY(現:町田ゼルビア)、日テレ・ベレーザでの監督歴を持つ。 そして現在は少年サッカーチームのテクニカルコーチや監督としてジュニア選手の育成に取り組んでいる。 日テレ・ベレーザの監督時代には、日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)優勝1回、準優勝2回、皇后杯全日本女子サッカー選手権大会優勝1回、準優勝2回の成績を残している。
長谷川 祥之(はせがわ よしゆき、1969年2月11日 - … 長谷川 祥之(はせがわ よしゆき、1969年2月11日 - )は、京都府宇治市出身の元サッカー選手。ポジションはFW。現在は鹿島アントラーズスカウト担当を務めている。JFA 公認B級コーチライセンス所持。
賀谷 英司(がや えいじ、1969年2月8日 - )は、北海… 賀谷 英司(がや えいじ、1969年2月8日 - )は、北海道室蘭市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはDF。 高校卒業後から鹿島アントラーズの前身である住友金属工業蹴球団に所属。1993年に開幕したJリーグでは、左サイドバックのレギュラーとしてサントリーシリーズでの優勝に貢献した。しかし、1994年にはのちに日本代表の主力となる相馬直樹の入団とともに出場機会は減少し、1997年には横浜マリノスに移籍。1998年にはサンガに移籍した。 2000年からはベガルタ仙台に移籍し、レギュラーの座をつかむも、2001年限りで選手を引退。2002年からはベガルタのアシスタントコーチに就任し、以後サッカー指導者の道に進む。
浦上 壮史(うらかみ たけし、1969年2月7日 - )は、… 浦上 壮史(うらかみ たけし、1969年2月7日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはゴールキーパー。 横浜マリノス、清水エスパルスではそれぞれ松永成立・真田雅則という絶対的守護神が存在したため活躍の場がほとんどなかったが、1997年に川崎フロンターレに移籍してからはレギュラーを掴む。1998年のJ1参入決定戦では博多の森の悲劇を経験。1999年にはJ2で優勝しJ1昇格に貢献した。 2000年はチーム事情から、2001年は怪我から出場機会が減ったが、2002年には42試合(全44試合)に出場し、レギュラーとして活躍した。しかし翌2003年からは吉原慎也の成長と下川誠吾の加入もあって出場機会に恵まれなくなった。
其田 秀太(そのだ しゅうた、1969年2月6日 - )は、… 其田 秀太(そのだ しゅうた、1969年2月6日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(攻撃的MF)。 国見高等学校3年時の高校総体で初優勝、冬の高校サッカー選手権で準優勝に貢献。 卒業後の1988年に日本サッカーリーグ1部の全日空サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)に入団し中心選手として活躍するが、1991年から就任した加茂周監督の掲げたゾーンプレス戦術の中では出場機会を失う。 1994年にジャパンフットボールリーグ所属の藤枝ブルックス(現在のアビスパ福岡)へ移籍。翌1995年のジャパンフットボールリーグ制覇とJリーグ昇格に貢献した。
八橋 健一(やつはし けんいち、1969年2月6日 - )は… 八橋 健一(やつはし けんいち、1969年2月6日 - )は、愛知県江南市出身のサッカー指導者。 中学のサッカー部でサッカーを始める。まだ日本でサッカーがそれほど人気のスポーツではなくプロリーグも存在しなかった少年時代、ディエゴ・マラドーナや尾崎加寿夫に憧れ、プロのサッカー選手を目指して高校中退後ブラジルに渡って2年半を過ごし、1988年に2部のクラブでアマチュア選手登録をするがプロ選手の夢を断念し、芸術の学位を取得するためにニューヨークへ渡った。この地で子供にサッカーを教えることでサッカーに対する情熱が再燃し、指導者の道を歩み始める。 ニューヨークの数々の男女ジュニアサッカーチームでコーチとして指導にあたった後、2001年から2009年までボロウ・オブ・マンハッタン・コミュニティ・カレッジ(英語版) (BMCC) の男子および女子サッカーチーム監督を務めた。
前田 浩二(まえだ こうじ、1969年2月3日 - )は、鹿… 前田 浩二(まえだ こうじ、1969年2月3日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 現役時代はディフェンダーとして、横浜フリューゲルスやアビスパ福岡など10クラブでプレー。「男・前田」と呼ばれた。現役最晩年の2003年にヴォルカ鹿児島の選手兼任監督となり、引退後はヴィッセル神戸の強化ディレクター、コーチを務めた。 2012年、1年契約でアビスパ福岡の監督に就任するが、成績不振によりシーズン途中の同年10月29日大分トリニータ戦終了後に解任された。 その後、2013年にガイナーレ鳥取の強化部長に就任。同年8月には小村徳男監督を解任し、強化部長職に留まったまま自ら監督を兼務したが、監督就任後のリーグ14戦で1勝も出来ないまま最下位に沈み、J2・JFL入れ替え戦もカマタマーレ讃岐に敗れて鳥取はJ3へ降格。
山口 素弘(やまぐち もとひろ、1969年1月29日 - )… 山口 素弘(やまぐち もとひろ、1969年1月29日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロサッカー選手(元日本代表キャプテン)、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)、サッカー解説者。現役時代のポジションはMF、主にボランチ。 1984年、前橋育英高等学校入学。1985年、鳥取国体に群馬県代表として出場。1987年1月、全国高校サッカー選手権大会に出場。 1987年4月、東海大学に入学。1988年、全日本大学サッカー選手権大会で優勝(東海大学はこの年が同大会へ初出場であり、この年を含めて6年連続で決勝に進出した)。関東選抜(対関西選抜戦)に選出され、同試合にてMVPに選出される。また、1学年下で礒貝洋光、澤登正朗が加入し、ポジションを守備的ミッドフィルダーに移す。
大熊裕司 (おおくま ゆうじ、1969年1月19日 - )は… 大熊裕司 (おおくま ゆうじ、1969年1月19日 - )は埼玉県浦和市 (現:さいたま市)出身の元サッカー選手、同指導者である。元サッカー選手・指導者の大熊清は実兄。
曺 貴裁(チョウ キジェ、英: Cho Kwi Jae、朝:… 曺 貴裁(チョウ キジェ、英: Cho Kwi Jae、朝: 조귀재、1969年1月16日 - )は、京都府京都市左京区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。在日韓国人。現役時代のポジションはディフェンダー。 上の妹はTBSテレビ社員(2025年7月より情報制作局長)の曺琴袖。 小学4年生からサッカーを始め、京都府立洛北高校を卒業後は早稲田大学商学部に入学し、ア式蹴球部に入部した。 大学卒業後は日立製作所に入団。1994年に浦和レッズへ移籍。1996年にヴィッセル神戸へ移籍して1997年シーズンを最後に現役を引退した。 引退後の1998年にドイツへ渡ってケルン体育大学でサッカーの指導を学び、2000年に帰日後は川崎フロンターレのアシスタントコーチ、ジュニアユース監督、セレッソ大阪コーチを経て、2005年に湘南ベルマーレへ入団。
関口 潔(せきぐち きよし、1969年1月15日 - )は、… 関口 潔(せきぐち きよし、1969年1月15日 - )は、東京都八王子市出身のサッカー指導者。早稲田大学卒。 1991年に早稲田大学を卒業し、リクルートに入社。 1995年、日本サッカー協会(JFA)に転職し、1999年までは事業部で国際試合の運営などを担当、2000年からは技術部で主に指導者養成事業を担当した。 2005年、フィートエンターテイメントより、Jリーグ・横浜FCに出向。2008年3月まで同クラブの強化育成部長、2008年4月から2009年5月までは同クラブの常務取締役を務めた。 2010年3月より、JFAのアジア貢献事業の一環として、サッカー北マリアナ諸島代表監督に就任。2012年5月より同事業によりラオスサッカー連盟技術委員長に就任。
岩本三郎(いわもと さぶろう、1969年1月14日 - 20… 岩本三郎(いわもと さぶろう、1969年1月14日 - 2005年4月)は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。兄の岩本慎二郎はサッカー指導者。 小学6年時に船橋FCの選手として全日本少年サッカー大会優勝に貢献し、優秀選手に選出 。当時は天才少年と称された。 船橋市立坪井中学校を経て帝京高等学校に進学。同期には巻田清一、1学年下に礒貝洋光、森山泰行がいる。帝京高校1年時に日本ジュニアユース代表に選ばれ、同年8月のAFC U-17選手権1985予選、1985年2月の本大会に出場した。1年時と2年時には日本ユース代表に選ばれた。3年時には帝京高校で主将を務めたほか、東京都選抜に選ばれ国体少年の部優勝に貢献した。
谷 真一郎(たに しんいちろう、1968年11月13日 - … 谷 真一郎(たに しんいちろう、1968年11月13日 - )は、日本のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。愛知県出身。 愛知県立西春高等学校から筑波大学を経て、1991年に日立製作所本社サッカー部(のち柏レイソル)に入団した。柏がJリーグに昇格した1995年までプレーし、JFL通算36試合8得点、Jリーグ通算2試合0得点の記録を残した。 筑波大学在籍時の1990年には日本代表にも選ばれ、同年7月のダイナスティカップ・韓国戦に出場している。引退後は柏レイソルのユースコーチ、1999年からは柏のフィジカルコーチを務めた。2002年9月から2007年まではベガルタ仙台のフィジカルコーチ、2008年から2009年までは横浜FCトップチームのフィジカルコーチを務めた。
奥野 僚右(おくの りょうすけ、1968年11月13日 - … 奥野 僚右(おくの りょうすけ、1968年11月13日 - )は京都府京都市上京区出身の元サッカー選手(DF)、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。 90年代の鹿島アントラーズを支えた一人。93年に鹿島に加入すると、開幕スタメンに輝き、大野俊三とのコンビで活躍。上背はないが、読みと指示能力に優れたポジショニングで、カバーリングにも優れていたスイーパーだが、怪我により、サントリーシリーズ途中からは杉山誠が代わりに出ていた。 その後はフィジカル・ヘディングの強いストッパータイプの秋田豊とのセンターバックコンビを組んだ。 Jリーグで通算231試合の出場を記録。2002年からザスパ草津(現:ザスパクサツ群馬)に選手兼任監督として移籍、チームを群馬県リーグ1部から日本フットボールリーグに昇格させた。
佐藤 敦(さとう つとむ、1968年11月5日 - )は、日… 佐藤 敦(さとう つとむ、1968年11月5日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 埼玉県立大宮東高等学校では2年時と3年時に高校選手権に出場。1学年上に田北雄気がいる。 法政大学を経て1991年2月、日本サッカーリーグ1部の三菱自動車工業サッカー部に加入。同年4月14日に行われたJSL1部第19節、ヤンマーディーゼル戦でデビューをした。翌シーズンはリーグ戦出場の機会はなく、JSL1部の通算成績はこの1試合のみとなった。 1992年、浦和レッドダイヤモンズへ移行後もチームに在籍したがトップチームでの出場機会はなく、サテライトリーグで7試合に出場した。1993年1月、ジャパンフットボールリーグの西濃運輸へ移籍。