大嶽 直人(おおたけ なおと、1968年10月18日 - )… 大嶽 直人(おおたけ なおと、1968年10月18日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。 実弟は元セレッソ大阪所属の大嶽真人。 東海大学第一高校の主将として1986年の第65回全国高校選手権優勝に貢献、自身も決勝の長崎県立国見高校戦で2点目の得点を決め勝利に貢献。大会終了後には優秀選手に選出された。 1987年に順天堂大学に入学して蹴球部に所属。インカレで3連覇(1987、1988、1989)、総理大臣杯優勝3回(1987、1989、1990)、関東大学リーグ優勝1回(1990)に貢献する。
岡中 勇人(おかなか はやと、1968年9月26日 - )は… 岡中 勇人(おかなか はやと、1968年9月26日 - )は広島県出身 の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。前日本文理大学サッカー部監督。
鈴木 政紀(すずき まさのり、1968年9月15日 - )は… 鈴木 政紀(すずき まさのり、1968年9月15日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー及びフットサル指導者。 プロ選手時の名前は「鈴木 将方」(読みは同じ)。 国士舘大学から東芝に入社してサッカー部へ。1993年にホルヘ・デリー・バルデスとコンビを組んで活躍したことがきっかけで認められ、1994年にジャパンフットボールリーグからJリーグに昇格したジュビロ磐田に移籍。それを契機に「政紀」から「将方」に改名した。 この年は中山雅史やサルバトーレ・スキラッチらフォワード陣が故障がちだったこともあり、Jリーグ1年目の磐田を引っ張る活躍を見せた。翌年以降は「ゴン・トト」の2トップが定着したため、途中出場やミッドフィールダーでの出場が多くなった。
古川 昌明(ふるかわ まさあき、1968年8月28日 - )… 古川 昌明(ふるかわ まさあき、1968年8月28日 - )は、日本の元サッカー選手、現指導者。選手時代のポジションはゴールキーパー。元日本代表。 小学6年生でサッカーを始め中学1年生からゴールキーパーとなる。市原緑高校卒業後、1987年に日本サッカーリーグ1部の本田技研工業サッカー部(現・Honda FC)に加入。同い年で同期就職に北澤豪、黒崎久志がいる。1989年にトップチームに登録されるまでのあいだ、練習こそチームと一緒に行うものの、試合出場は静岡県リーグ所属のチームに限られていた。1989年、JSLカップで2試合に出場。1990-91シーズンにブラジル人GKアベリヤ(英語版)が加入する煽りを受け、古川は埼玉県狭山市にある狭山工場へ転勤を命じられ、GK不足だった埼玉県リーグの本田技研工業狭山サッカー部(後のホンダルミノッソ狭山FC)でプレーすることになる。
森保 一(もりやす はじめ、1968年8月23日 - )は、… 森保 一(もりやす はじめ、1968年8月23日 - )は、静岡県掛川市生まれ、長崎県長崎市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。日本代表監督。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。 静岡県掛川市で生まれたが、父親が造船関係者だったため、幼少期から名古屋市、横須賀市、佐賀県唐津市と各地を転居し、唐津市立鏡山小学校に入学するもすぐに転居。小学1年生から長崎市に定住する。自身では「長崎生まれ広島育ち」を自称する。 サッカーを本格的に始めたのは小学6年生の時で、それまでは少年野球をしており、プロ野球選手になることが夢だった。小学6年のサッカークラブチーム「土井首SSS(土井首サッカースポーツ少年団)」時代に第4回全日本少年サッカー大会にGKとして出場している。
松橋 力蔵(まつはし りきぞう、1968年8月22日 - )… 松橋 力蔵(まつはし りきぞう、1968年8月22日 - )は、千葉県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 東京都調布市の国領で生まれた。幼稚園入園前に転居し、千葉県で育ったため、一部のプロフィールを除いて出身地は千葉県と記載されている。少年時代はヨハン・クライフに憧れ、プレーを真似た。 千葉県立市原緑高等学校卒業後就職するものの、サッカー選手になるべく日産自動車サッカー部のサテライトチームに相当する日産FCファームの選考を受けた。合格とともに退職し、倉庫などのアルバイトをしながらプレーを続け、1989年にトップチームに加入した。日本サッカーリーグ(1部)初出場は、1990年2月11日 第14節 対松下電器戦(神戸総合運動公園ユニバー記念競技場)であった。
北澤 豪(きたざわ つよし、1968年8月10日 - )は、… 北澤 豪(きたざわ つよし、1968年8月10日 - )は、東京都町田市出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。元サッカー日本代表。現在は日本サッカー協会参与、フットサル委員長、日本障がい者サッカー連盟会長、國學院大學客員教授。三桂所属のタレント、サッカー解説者としても活躍している。 小学生時代は町田SSS、町田市の町田JFC、中学時代は読売ジュニアユースに在籍。修徳高等学校に進学後はユースとの掛け持ちを認められず部活動に専念、1985年に全国高校サッカー選手権出場、翌1986年に高校総体ベスト8進出に貢献した。卒業後は宮本征勝監督の勧誘もあり本田技研工業サッカー部に入部した(同い年で同期就職に古川昌明・黒崎久志)。
安原 成泰(やすはら なりやす、1968年8月9日 - )は… 安原 成泰(やすはら なりやす、1968年8月9日 - )は、愛知県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代はMFとして名古屋グランパスエイト、ウルグアイのCAリーベル・プレートなどでプレー。1999年限りで引退した後は指導者の道に進み、2006年にFC刈谷の監督に就任。しかし、2007年6月27日付けで成績不振等を理由に退任した。 2003年に中京大学大学院修士課程を修了している。2004年に日本サッカー協会B級ライセンス取得。 2012年にFC岐阜のコーチに就任したが、同年をもって退任して、2013年より東海学園大学サッカー部の監督に就任した。
北村 邦夫(きたむら くにお、1968年8月4日 - )は、… 北村 邦夫(きたむら くにお、1968年8月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。 1968年8月4日静岡県生まれ。静岡学園高校卒業後、本田技研工業フットボールクラブ、ガンバ大阪で活躍。1994年から1995年にかけてガンバ大阪でディフェンダーおよびミッドフィールダーとして出場した。1996年シーズンは出場機会がなく、同年に引退。 1989年に北村はオランダで開催されたフットサル世界選手権にフットサル日本代表として選出された。
本街 直樹(ほんまち なおき、1968年7月31日 - )は… 本街 直樹(ほんまち なおき、1968年7月31日 - )は兵庫県出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。ポジションはディフェンダー(センターバック)。現在は山形県の羽黒高等学校で体育教師とサッカー部監督を務める。
杉山 学(すぎやま まなぶ、1968年7月24日 - )は、… 杉山 学(すぎやま まなぶ、1968年7月24日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。 静岡北高校、国士舘大学卒。1992年に清水エスパルスへ入団。その後NEC山形(現・モンテディオ山形)を経て、1996年から1998年までアルビレオ新潟FC/アルビレックス新潟でプレーした。 現在も新潟のサッカー界で活動をしており、JAPANサッカーカレッジコーチや監督をつとめた後、2003年に新潟経営大学サッカー部の監督に就任し、総理大臣杯や全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)出場に導いた。また、東口順昭や新井直人筆頭に多くのJリーガーを輩出した。なお、2020年より同部の部長を務めている。
小島 光顕(こじま みつあき、1968年7月14日 - )は… 小島 光顕(こじま みつあき、1968年7月14日 - )は長崎県出身の元サッカー選手(MF、DF)、サッカー指導者。 東京農業大学卒業後、当時日本サッカーリーグ2部の富士通に加入し、1993年Jリーグ開幕にあわせてサンフレッチェ広島に移籍。記念すべきJリーグ開幕戦に出場、決勝点を決める。本来守備的なMFであったが、そのユーティリティー性をかわれDFや右ウイングなどでも活躍した。1999年出場機会と他チームでのプレー経験を求めアビスパ福岡移籍。ここではセンターバックとして活躍したが、若返りの煽りを受け、戦力外通告により2002年に引退 2005年7月末、神奈川県相模原市にて、整体・リフレクソロジーサロンを開業。
青嶋 文明(あおしま ふみあき、1968年7月12日 - )… 青嶋 文明(あおしま ふみあき、1968年7月12日 - )は静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。
巻田 清一(まきた せいいち、1968年7月11日 - )は… 巻田 清一(まきた せいいち、1968年7月11日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 帝京高等学校ではサッカー部に所属し、第63回全国高等学校サッカー選手権大会では1年生で早くも試合に出場している。決勝戦は長崎県立島原商業高等学校と対戦し、1対1で引き分け、両校優勝となった。国立競技場を経験したことについて「自分を大きく成長させてくれた場所である」と語っている。同期に岩本三郎、井出俊哉1学年下に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、森山泰行、2学年下に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、保坂信之、浅沼達也がいる。 東海大学を経て、1991年に日本サッカーリーグ2部に所属していたNTT関東サッカー部へ加入し 2シーズンを過ごす。
遠藤 孝弘(えんどう たかひろ、1968年7月7日 - )は… 遠藤 孝弘(えんどう たかひろ、1968年7月7日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 中央防犯在籍時には日本サッカーリーグ2部のベストイレブンに選出される。 Jリーグ昇格を実現する為、ホームタウンを藤枝市から福岡市に移したブルックスにも参加し、唯一の生え抜き選手として1995年のクラブ悲願のJリーグ昇格に貢献。 クラブ名をアビスパ福岡と改称した翌年には念願のJリーグの選手としてリーグ初戦から出場し、第13節には初得点も上げるなど活躍するもその年に戦力外通告を受け退団する。 その後、佐川急便東京SCから出身地の島田市をホームタウンとする矢崎バレンテに移籍する。
河原 忠明(かわはら ただあき、1968年6月23日 - )… 河原 忠明(かわはら ただあき、1968年6月23日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。日本サッカー協会公認指導員。 現在は佐賀県のユースクラブ「ヴァレンティアFC」の代表兼監督を務めている。
河村 孝(かわむら たかし、1968年6月20日 - )は、… 河村 孝(かわむら たかし、1968年6月20日 - )は、山口県阿武郡旭村(現萩市)出身の元サッカー選手(FW)、サッカー指導者(JFA公認B級コーチ)。 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)・レノファ山口FCを運営する株式会社レノファ山口の代表取締役社長を務めた。 山口県立山口高等学校出身。高校時代は3年連続で全国高等学校サッカー選手権大会に出場、2年次の第63回大会ではベスト8入りした。 1987年、日本サッカーリーグ(JSL)のマツダSC(現サンフレッチェ広島)に入団する。同期に森保一がいる。1989年マツダとプロ契約を結ぶ。このころにマンチェスター・ユナイテッドのリザーブチームであるマンチェスター・ユナイテッドFC.リザーブへ留学経験がある。
財前 恵一(ざいぜん けいいち、1968年6月17日 - )… 財前 恵一(ざいぜん けいいち、1968年6月17日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはMF。 北海道室蘭市出身。実弟はベガルタ仙台で活躍した元サッカー選手で、現財前フットボールスクールの財前宣之。 室蘭大谷高時代には第66回全国高等学校サッカー選手権大会(1987年)でベスト4進出。同期には野田知がいる。卒業後は日産自動車(現・横浜F・マリノス)に当時高卒としては異例のプロ契約で入団するが度重なる怪我に悩まされ、将来を嘱望されながらプロとして大成する事は無かった。 1996年に現役を引退した後は指導者として主にコンサドーレ札幌やアビスパ福岡の下部組織に所属し、2009年9月にS級指導者ライセンスを取得。
高畠 勉(たかはた つとむ、1968年6月16日 - )は、… 高畠 勉(たかはた つとむ、1968年6月16日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 北陽高校から大阪体育大学を経て、1991年に富士通に入社。当時日本サッカーリーグ2部に所属していた富士通サッカー部(現:川崎フロンターレ)で選手としてプレーし、1995年シーズンを以て引退した。 1996年よりチーム名を変更した富士通川崎フットボールクラブのコーチに就任。2000年より川崎の育成部コーチ、2001年よりトップチームのコーチを歴任した。2007年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得。 2008年4月、監督の関塚隆が健康不安を理由に辞任し、後任監督に就任した。
宇野 秀徳(うの ひでのり、1968年6月7日 - )は、愛… 宇野 秀徳(うの ひでのり、1968年6月7日 - )は、愛知県出身の日本のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションは、ディフェンダー。 選手時代はヤンマーディーゼルサッカー部、YKK APサッカー部などでプレー。 現役引退後は、2006年にからYKK APサッカー部のコーチを務める。アローズ北陸と2008年に統合しカターレ富山となった後も、引き続きコーチとして指導に当たった。2014年シーズン終了後、契約満了をもって退任するもその後はアカデミーコーチを務め、2018年からはカターレ富山と一般社団法人富山新庄クラブとの間で締結した協定に基づき、指導者派遣で富山新庄クラブトップチーム監督兼ジュニアコーチに就任した。
内藤 直樹(ないとう なおき、1968年5月30日 - )は… 内藤 直樹(ないとう なおき、1968年5月30日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手(DF)・サッカー指導者。現在は清水エスパルス強化部長。 東海大一高校3年次に第65回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。同学年には大嶽直人、1学年下には澤登正朗、三渡洲アデミールらがいた。中央大学卒業後、日立製作所へ。大学時代の2年後輩に、のちに日立入りする沢田謙太郎がいる。Jリーグ発足後に清水エスパルスに加入。クラブ草創期のDFの中心選手として活躍した。1996年、守備陣の層の薄かったサンフレッチェ広島へレンタル移籍。翌1997年にヴィッセル神戸へ移籍し2年間プレーし引退。 引退後は母校である東海大翔洋高校の監督・コーチを務めたあと、2006年から清水エスパルスのスカウトを務めた。
長澤 徹(ながさわ てつ、1968年5月28日 - )は、愛… 長澤 徹(ながさわ てつ、1968年5月28日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。 清水東高校(武田修宏の1年後輩)から筑波大学へ進み、筑波大では中山雅史、井原正巳の1年後輩。1991年に大学を卒業し、山本昌邦にスカウトされて日本サッカーリーグ1部所属のヤマハ発動機サッカー部に入団、ヤマハからジュビロ磐田への変革期に主に右サイドバックとしてチームを支え、磐田のJリーグ昇格に貢献した。 その後、ジャパンフットボールリーグの本田技研へ移籍。1996年のジャパンフットボールリーグ優勝にも貢献した。1998年より現役を引退して同チームのコーチとなり、指導者としてのキャリアをスタート。
戸苅 淳(とがり じゅん、1968年5月24日 - )は、日… 戸苅 淳(とがり じゅん、1968年5月24日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 浦和南高校、筑波大学を経て、1992年4月に日本プロサッカーリーグの浦和レッドダイヤモンズに加入。トップチームでの出場機会はなく、サテライトリーグで5試合に出場した後、1993年1月に現役を引退した。 引退後は浦和のフロントに入り営業部に配属。以来、27年間に渡りフロント業務に従事した。また、アマチュアチームの選手としてもプレーした。 2019年12月12日、2020年から同クラブに新設されるフットボール本部の本部長に就任することが発表された。
千葉 修(ちば おさむ、1968年5月22日 - )は、宮城… 千葉 修(ちば おさむ、1968年5月22日 - )は、宮城県大崎市出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。 宮城県築館高等学校から仙台大学へ進学。 卒業後、本田技研工業へ加入(1990/91シーズン第11節追加登録)。本田技研工業サッカー部のプロ化見送りを受け、監督の宮本征勝、ヘッドコーチの関塚隆、主力選手の黒崎久志、長谷川祥之、本田泰人、内藤就行、入井和久とともに、設立されたばかりの鹿島アントラーズに移籍した。 鹿島アントラーズには、1994年まで在籍。Jリーグ開幕前の1992年のJリーグカップでは5試合に出場。Jリーグが開幕した1993年は古川昌明に正GKを奪われ、Jリーグカップ3試合の出場にとどまった。
黒崎 久志(くろさき ひさし、1968年5月8日 - )は、… 黒崎 久志(くろさき ひさし、1968年5月8日 - )は、栃木県上都賀郡粟野町(現:鹿沼市)出身のサッカー指導者、元サッカー日本代表選手。ポジションはFW、MF。1992年から1999年までの登録名は黒崎 比差支(読みは同じ)。 指導者としては、アルビレックス新潟監督、大宮アルディージャヘッドコーチ、鹿島アントラーズトップチームコーチを歴任した。現在は中国超級リーグ・青島西海岸監督。 宇都宮学園高等学校(現:文星芸大付高)時代から将来を嘱望され、セルジオ越後からも「将来日本代表入りする選手」と太鼓判を押されていた。[要出典]全国高等学校サッカー選手権大会にも2度出場し、2年生だった1986年1月の第64回大会では1学年先輩の小泉淳嗣とともに準々決勝で3連覇を目指していた帝京高校を下してベスト4に進出し(準決勝で江尻篤彦や真田雅則のいた清水商に敗退)、黒崎は5得点で大会得点王となった。
赤澤 昌美(あかざわ まさみ、1968年5月5日 - )は、… 赤澤 昌美(あかざわ まさみ、1968年5月5日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 国見高等学校3年生だった1986年度、高校総体の同校初優勝、冬の高校サッカー選手権の準優勝に貢献。 卒業後は、順天堂大学に進む。 その後、住友金属工業蹴球団に入団し、そのまま鹿島アントラーズに1992年と1993年の2シーズン在籍したがJリーグ発足後にトップチームでの出場機会はなかった。 1994年、コスモ石油サッカー部に移籍。 引退後は、会社員として働きながら、FMかしまのアントラーズ・スピリッツ(水曜日午後6時から午後7時)のサッカーコメンテーターをつとめる。 2022年4月から、かみす防災アリーナの定期教室「大人の室内サッカー(ビギナー)」で指導者をつとめる。
小林 伸樹(こばやし のぶき、1968年5月3日 - )は、… 小林 伸樹(こばやし のぶき、1968年5月3日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 1987年に國學院久我山高校(同期に浦上壮史)を卒業し、國學院大學に進学。在学のまま三菱重工業サッカー部に在籍し、1シーズン所属(出場なし) の後、東京都リーグのエリースFC東京へ移籍。 1990年には「日本リーグを目指す」と勧誘されて東京ガスサッカー部(現 FC東京)でプレー。関東リーグ及び全国地域リーグ決勝大会で優勝を果たした。1991年に大学を卒業し、東京ガスに入社。社員選手としてプレーを続け、DF大熊清とセンターバックでコンビを組んだ。 1993年に退部すると社業を務めつつ、再びエリースへ。
田原 輝幸(たはら てるゆき、1968年5月3日 - )は、… 田原 輝幸(たはら てるゆき、1968年5月3日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 大分トリニティ時代はキャプテンも勤めた。
岩本 文昭(いわもと ふみあき、1968年4月23日 - )… 岩本 文昭(いわもと ふみあき、1968年4月23日 - )は、長崎県長崎市(旧香焼町)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 国見高校時代のポジションはMF。小嶺忠敏に師事し、3年時にインターハイを制覇し、冬の全国高校サッカー選手権では初出場で準優勝。チームメイトには赤澤昌美、其田秀太、小島光顕がいた。ちなみに、1学年上には、元日本代表FWの高木琢也がいた。 駒澤大学卒業後は地元に帰り長崎銀行に入行、県リーグの有明SCと国見FCでプレーした。2004年3月、有明SCと国見FCが合併し、新生有明FCが発足、コーチとして植木総司監督を支え二人三脚で九州リーグ昇格を決めた。クラブがV・ファーレン長崎に改称した2005年にトップチームの監督に就任した。
高倉 麻子(たかくら あさこ、1968年4月19日 - )は… 高倉 麻子(たかくら あさこ、1968年4月19日 - )は、福島県福島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元サッカー日本女子代表監督。選手時代のポジションはミッドフィールダー。夫はサッカー指導者の竹本一彦。 福島市立岡山小学校時代、福島市の岡山スポーツ少年団に入団しサッカーを始める。 福島市立福島第三中学校の頃、東京都リーグのFCジンナンに入部。 1983年、15歳の時にサッカー日本女子代表に初選出され、1984年、16歳の時にイタリア戦で代表デビューを果たした。 中学卒業後、福島成蹊女子高(現福島成蹊高等学校)に入学したが女子サッカー部がなかったため、サッカーの練習は男子生徒が多くを占める福島県立福島工業高等学校で練習し、週末は三菱養和クラブに通った。
加藤 慎一郎(かとう しんいちろう、1968年4月17日 -… 加藤 慎一郎(かとう しんいちろう、1968年4月17日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 清水東高校では1学年上に武田修宏、同期に塩川哲也や長澤徹がいる。 法政大学を経て1991年に日本サッカーリーグのNKKサッカー部に加入。1991年3月17日に行われたJSL1部第15節の三菱自動車戦でデビューすると、1990-91シーズンにはリーグ戦8試合に出場し1アシストを記録した。 1993年、日本プロサッカーリーグの清水エスパルスへ移籍。2シーズンに渡り在籍したが、トップチームでの出場機会はなく、1994年限りで退団した。 引退後はサッカー指導者となり、清水の育成組織のコーチや監督を歴任している。
佐野 友昭(さの ともあき、1968年4月14日 - )は、… 佐野 友昭(さの ともあき、1968年4月14日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。
塩川 哲也(しおかわ てつや、1968年4月10日 - )は… 塩川 哲也(しおかわ てつや、1968年4月10日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 清水東高校では1学年上に武田修宏、同期に長澤徹らがいる。3年時には高校総体に出場したが、高校選手権は静岡県予選決勝で東海大学第一高校に敗れた。 高校卒業後に順天堂大学へ進学し蹴球部に入部。同期に大嶽直人、1学年下に森山泰行らがいる。4年時の1990年には主将を務めると中盤を牽引し、関東大学選手権、総理大臣杯、関東大学リーグの三冠獲得に貢献した。 1991年に日本サッカーリーグ1部の松下電器産業サッカー部に加入。1990-91シーズンのJSL1部第11節で追加登録され、同年3月24日に行われた本田技研戦でデビュー。
古島 清人(ふるしま きよと、1968年4月3日 - )は、… 古島 清人(ふるしま きよと、1968年4月3日 - )は、日本の熊本県八代市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元サッカー選手の古島圭人は息子。 小学生時代・中学生時代から全国的に注目されていた大型GKであった。国見高校卒業後、当時日本サッカーリーグのフジタ工業クラブへ加入。Jリーグ開幕の際、プロ化したフジタの後身のベルマーレ平塚では名良橋晃、岩本輝雄、エジソンらとJリーグ昇格に大きく貢献。昇格した1994年は小島伸幸にポジションを奪われ、1996年にはアビスパ福岡に移籍した。 引退後は大宮のコーチなどを歴任。2016年に河北華夏幸福のGKコーチに就任。
前田 拓哉(まえだ たくや、1968年4月2日 - )は、広… 前田 拓哉(まえだ たくや、1968年4月2日 - )は、広島県出身の元サッカー審判員である。広島県内で消防士として勤務する傍ら、審判員として活動していた。 岡山県作陽高等学校卒業。在学時に全国高等学校サッカー選手権大会に2度の出場経験がある。2001年12月に1級審判員として登録され、2003年9月からJリーグDivision 2、2006年から同Division 1主審として活動しているが、2009年秋からは再びJ2担当となっている。2011年から再びJ1主審担当となっている。2016年シーズンでJリーグの主審を引退した。2022年度から(一社)中国サッカー協会の審判委員長に就任し理事も兼務している。
三渡洲 アデミール(さんとす アデミール、Ademir Sa… 三渡洲 アデミール(さんとす アデミール、Ademir Santos、1968年3月28日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。1995年に日本へ帰化した。帰化前の名前はアデミール・サントス。長男は元プロサッカー選手で現在はモデルの三渡洲舞人。 三人兄弟の末っ子としてバイーア州に生まれ、サンパウロで育つ。12、13歳ごろからCAジュベントスに所属。ジュベントスではブラジルに留学して間もないころの三浦知良と友人になり、彼の父・納谷宣雄の仲介によって1985年5月に日本の東海大一高に編入した。 1985年度の第64回全国高等学校サッカー選手権大会は静岡県予選の決勝で敗退。2年生になる前には日産自動車サッカー部から誘いを受けたが、引き続き東海大一高でのプレーを選ぶ。
前川 和也(まえかわ かずや、1968年3月22日 - )は… 前川 和也(まえかわ かずや、1968年3月22日 - )は、長崎県平戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。元日本代表。 現在はFCバイエルン・ツネイシ監督を務める。 長男は前川黛也。父同様サッカー選手かつ、GKとしてプレーしている。 現役時代は、大きな体格を活かしたセービングを得意とした。特に相手との1対1の場面でのセービングに定評があり、絶妙な飛び出しで何度もチームを危機から救った。シュートに対する反応はもとよりPKにも強く、またハイボールの処理も巧みにこなした。その様は「生きている壁」と形容された。人柄もサポーターから愛され、広島退団時には涙を流すサポーターもいた。
吉永 一明(よしなが かずあき、1968年3月17日 - )… 吉永 一明(よしなが かずあき、1968年3月17日 - )は、福岡県北九州市出身のサッカー指導者。 中学生からサッカーを始め、福岡県立八幡中央高校2年時に県大会準優勝を経験。福岡大学卒業後に三菱養和のコーチに就任。アビスパ福岡・清水エスパルスでの指導を経て、2007年からサガン鳥栖のコーチ兼育成部統括、08年は育成部統括兼U-18監督、2004年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得した。2009年より山梨学院大学附属高校(現・山梨学院高校)サッカー部ヘッドコーチに就任。同校の第88回全国高校サッカー選手権初出場初優勝に実質監督として貢献し、2010年度より監督に就任。 2016年よりヴァンフォーレ甲府のコーチに就任した。
山田 泰寛(やまだ やすひろ、1968年2月13日 - 2… 山田 泰寛(やまだ やすひろ、1968年2月13日 - 2013年4月8日)は、広島県広島市南区出身のサッカー選手、サッカー指導者、常葉大学サッカー部監督。 広島市の少年サッカークラブ・大河FCから、静岡県の東海大学第一高校(現・東海大学付属翔洋高校)へ進学。 1986年に早稲田大学に進学し、同大学ア式蹴球部に入部。同年に日本ユース代表に選出され、AFCユース選手権1次予選に出場した。1990年にJSL1部のヤンマーに入団するも、Jリーグ創設に伴い発足した清水エスパルスへ移籍し、左サイドバックとしてプレー。オーバーラップを武器として、1992年から1995年までの間にJリーグ通算31試合に出場した。
小泉 淳嗣(こいずみ じゅんじ、1968年1月11日 - )… 小泉 淳嗣(こいずみ じゅんじ、1968年1月11日 - )は、日本の元プロサッカー選手。ポジションはDF。 宇都宮学園時代に1学年下の黒崎久志らと共に第64回全国高等学校サッカー選手権大会に出場しベスト4に進出。 横浜マリノス時代は井原正巳とCBのコンビを組んでおり、ハードなマークを得意とした。Jリーグ開幕戦のヴェルディ川崎戦では、前半19分にヘニー・マイヤーに振り切られJリーグ第1号ゴールを許している。 その後、1995年途中に出番を求め横浜フリューゲルスに移籍。1997年に川崎フロンターレに移籍。
鶴田 道弘(つるた みちひろ、1968年1月4日 - )は、… 鶴田 道弘(つるた みちひろ、1968年1月4日 - )は、愛知県出身のサッカー選手、サッカー指導者。 1990年にトヨタ自動車サッカー部(後の名古屋グランパスエイト)に入団。Jリーグ開幕初年度の1993年には21試合に出場した。1995年からジャパンフットボールリーグのヴィッセル神戸に所属し、1996年シーズンに引退した。 指導者として名古屋グランパスエイト下部組織のコーチを経て、2000年にフィジカルコーチとしてヴァンフォーレ甲府に加入。ここで2000年7月に現役復帰し、 シーズン終了後に戦力外通告を受けるまでJ2で4試合に出場した。 現在は東海学園高校の監督。2004年度に高校選手権に初出場した。
北條 聡(ほうじょう さとし、1968年 - )は、フリーラ… 北條 聡(ほうじょう さとし、1968年 - )は、フリーランスのサッカーライター・評論家・コメンテイター・解説者である。 1968年、栃木県宇都宮市にて出生。小中高ではミッドフィルダーとして活躍。栃木県立宇都宮北高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。1993年ベースボールマガジン社に入社、アトランタ五輪、日韓W杯などを取材する。2004年にワールドサッカーマガジン編集長、2009年から週刊サッカーマガジン編集長を歴任した。2013年に同社を退社し、フリーランスとなる。
高本 詞史(たかもと のりふみ、1967年12月31日 - … 高本 詞史(たかもと のりふみ、1967年12月31日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー協会A級ライセンスを所有している。現役時代のポジションはDF。 福岡大学を卒業後、東芝サッカー部に入団。東芝在籍中の1991年6月にキリンカップサッカーの日本代表にも選出された。 1993年に名古屋グランパスエイトへ移籍し、開幕節にも出場した。1994年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に移籍して1996年に現役を引退した。 1997年、京都のジュニアコーチに就任。以降はジュニア監督やアカデミーセンターセンター長などアカデミーの職を歴任し、2014年には京都の育成部チーフスカウト兼強化部スカウトを務めた。
小久保 悟(こくぼ さとる、1967年12月29日 - )は… 小久保 悟(こくぼ さとる、1967年12月29日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはフォワード。 鹿児島商業高校では1学年上に池ノ上俊一がいる。東海大学を卒業後、1990年に日本サッカーリーグの古河電気工業サッカー部に加入。JSL1部第1節の、ヤマハ発動機戦でリーグ戦デビューを果たし、この試合で初アシストを記録した。1990-91シーズンにはリーグ戦通算11試合に出場したが、翌1991-92シーズンは4試合の出場に留まった。1992年、ジェフユナイテッド市原とプロ契約を結ぶも同年限りで退団。 引退後は郷里の鹿児島に戻り、1993年に創部されたばかりの鹿児島城西高校のサッカー部の監督に就任。
前沢 光徳(まえさわ みつのり、1967年12月20日 - … 前沢 光徳(まえさわ みつのり、1967年12月20日 - )は、東京都杉並区出身の元サッカー選手。 東京学芸大学を経て1991/92シーズンに日本サッカーリーグ1部に所属していた東日本JR古河サッカークラブに加入。以後Jリーグ本格参入を控えるジェフユナイテッド市原にも選手登録されていたが、リーグ戦・リーグカップ戦を通じて出場はなく、1992年から指導者に転身。FC東京の育成組織で長年に渡り指導を続けた。
宮島 一代(みやじま かずしろ、1967年12月17日 - … 宮島 一代(みやじま かずしろ、1967年12月17日 - )は茨城県下妻市出身の元サッカー審判員(元国際副審)。現在は日本サッカー協会 (JFA)審判マネジャー、審判委員会副委員長。 下妻市立下妻中学校、茨城県立下妻第一高等学校から茨城大学教育学部数学科卒業。本業は数学教師で、小学校から高校まで赴任した経験を持ち、各赴任先でサッカー部の監督を務めた。ベストリザルトは県ベスト4。下妻市立千代川中学校では学年主任、最後の赴任先となった常総市立鬼怒中学校では教務主任を務めた。 1998年12月に1級審判員として登録され、1999年にJリーグ副審デビュー。2005年より国際副審登録。2008年よりAFCエリート審判員。
森下 仁之(もりした ひとし、1967年12月9日 - 20… 森下 仁之(もりした ひとし、1967年12月9日 - 2025年6月25日)は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 国士舘大学を中退し、1987年に発足したPJMフューチャーズ(1995年に鳥栖フューチャーズへ改称)に入団。チームが解散した1996年に現役を引退した。 1997年より母校の静岡県立浜名高等学校のコーチに就任。2001年よりコンサドーレ札幌U-15コーチに、2002年に札幌U-15監督にそれぞれ就任。2007年に札幌の育成部部長を務めた。2008年、ジュビロ磐田U-15コーチに就任。 2009年、アビスパ福岡トップチームヘッドコーチに就任。同年11月18日から2011年まで福岡のチーム統括部長を務めた。
原 靖(はら やすし、1967年12月4日 - )は、大分県… 原 靖(はら やすし、1967年12月4日 - )は、大分県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカークラブのフロントスタッフ。 大分県立大分上野丘高等学校、大分大学卒。大学卒業後は教職に就きながら高校のOBチームでサッカーを続けていたが、溝畑宏に誘われて大分トリニティ(1999年以降は大分トリニータ)に選手として加わる。同クラブが創設された1994年から1996年までプレーし、主将も務めた。1997年には北米2部に相当するUSLのオーランド・サンドッグス(英語版)でプレーした。1998年から1999年まで大分大学大学院スポーツ科学学科修士課程に在籍。 大分トリニータのサッカースクールや育成年代の指導者を経て強化部へ移り、2005年より強化部長を務めた。
横内 昭展(よこうち あきのぶ、1967年11月30日 - … 横内 昭展(よこうち あきのぶ、1967年11月30日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手、指導者(JFA 公認S級コーチ)。東海大学付属第五高等学校卒業。
手倉森 誠(てぐらもり まこと、1967年11月14日 - … 手倉森 誠(てぐらもり まこと、1967年11月14日 - )は、青森県五戸町出身の元サッカー選手、サッカー指導者(S級指導者ライセンス所持)サッカー日本代表コーチ。サッカー指導者の手倉森浩は双子の弟にあたる。