小沢 重光(おざわ しげみつ、1933年10月15日 - )… 小沢 重光(おざわ しげみつ、1933年10月15日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
職業が野球:7,475人
小沢 重光(おざわ しげみつ、1933年10月15日 - )… 小沢 重光(おざわ しげみつ、1933年10月15日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
飯尾 為男(いいお ためお、1933年10月15日 - )は… 飯尾 為男(いいお ためお、1933年10月15日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
石川 克彦(いしかわ かつひこ、1933年10月13日 - … 石川 克彦(いしかわ かつひこ、1933年10月13日 - )は、愛知県丹羽郡扶桑町出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
佐々木 信也(ささき しんや、1933年10月12日 - )… 佐々木 信也(ささき しんや、1933年10月12日 - )は、東京府東京市(現:東京都)世田谷区生まれ、神奈川県藤沢市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者、スポーツキャスター。株式会社佐々木信也事務所の代表。 慶應義塾大学から高橋ユニオンズへ入団した1956年に、新人ながらパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の公式戦154試合に出場。通算671打席で622打数を記録したほか、180安打を放った。安打のうちは141本は単打で、いずれも日本プロ野球の新人選手によるシーズン最多記録(2022年のNPBシーズン終了時点)。公式戦へのシーズン154試合出場は、この年の飯田徳治・杉山光平と並んで、日本プロ野球全体でのシーズン最多記録にも当たる。
備前 喜夫(びぜん よしお、1933年10月9日 - 201… 備前 喜夫(びぜん よしお、1933年10月9日 - 2015年9月7日)は、広島県尾道市出身のプロ野球選手(投手)。引退後は広島東洋カープコーチ、二軍監督、スカウトを務めた。旧名は「大田垣 喜夫」(おおたがき よしお)。
河合 保彦(かわい やすひこ、1933年10月3日 - 19… 河合 保彦(かわい やすひこ、1933年10月3日 - 1984年9月11日)は岐阜県出身の元プロ野球選手。右投右打。
小野 正一(おの しょういち、1933年9月30日 - 20… 小野 正一(おの しょういち、1933年9月30日 - 2003年3月19日)は、福島県いわき市出身のプロ野球選手(投手)。 日本プロ野球 (NPB) で通算184勝155敗の成績を残し、NPB歴代13位(2021年終了時点)の通算2244奪三振を記録した、球史に名を残す速球投手。妻は元大映女優の仁木多鶴子。 実家が材木屋で、子どもの頃から30㎏から40㎏にもなる材木を担いでいたという。磐城高校では、1950年秋季東北大会県予選準決勝に進むが川俣高校に敗退。卒業後は社会人野球の常磐炭鉱(清峰伸銅)に入団。監督の谷口五郎から、背が高く的が大きいため内野手が投げやすいだろうと判断されて、当初は一塁手を務める。
古田 昌幸(ふるた まさゆき、1933年9月30日 - 19… 古田 昌幸(ふるた まさゆき、1933年9月30日 - 1999年7月30日)は、熊本県熊本市出身の野球選手(内野手)・監督。
鈴木 隆(すずき たかし、1933年9月22日 - 2024… 鈴木 隆(すずき たかし、1933年9月22日 - 2024年5月31日)は、福島県田村郡三春町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 田村高卒業後は中央大学に進学し、伊藤芳明・穴吹義雄と同期になり、投手と外野手の2役をこなす。東都大学リーグでは1953年春季に優勝を飾り、同年の大学全日本選手権は決勝で立大に敗れて準優勝に終わる。 大学卒業後は川崎トキコに入社し、チームメイトに久保吾一(国鉄)がいた。社会人時代から評判の左腕で、1956年から日本コロムビアの補強選手として都市対抗に2年連続出場。 1957年秋にデトロイトで行われた第3回アマチュア世界野球大会に日本代表として参加し、4試合連続リリーフで優勝に導くと共に大会MVPを獲得すると、メジャー球団のスカウトからも注目を浴びる。
大辻 秀夫(おおつじ ひでお、1933年9月15日 - )は… 大辻 秀夫(おおつじ ひでお、1933年9月15日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手。
笠原 正行(かさはら まさゆき、1933年9月7日 - 20… 笠原 正行(かさはら まさゆき、1933年9月7日 - 2009年5月10日)は、北海道函館市出身のプロ野球選手(投手)。 北海道函館工業高等学校から1952年に読売ジャイアンツへ入団。1953年に一軍初登板し、1954年には9勝を記録。1956年に大映スターズへ移籍し、同年引退した。 2009年5月10日、肺がんのため死去。75歳没。実子は土浦日本大学高等学校の投手として、第68回全国高等学校野球選手権大会に出場した。
森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - 20… 森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - 2018年10月26日)は、福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 1952年から1958年及び1986年の登録名は森下 正夫(もりした まさお)。本名は森下 正弘(もりした まさひろ)。 八幡高校時代は高校屈指の強打者として注目され、2年次の1950年に遊撃手として春の選抜へチーム初出場。1回戦で萩北高のエース椙本勝を打ち崩し初勝利を飾る。続く準々決勝では、この大会に優勝した韮山高の東泉東二投手から5点を奪うが、9回裏逆転サヨナラ負けを喫する。この試合では9回まで5-2と勝っていたが、遊撃を守っていた森下が9回裏満塁のピンチでバックホームを大悪投し、サヨナラ負けを喫した。
今井 洋行(いまい ひろゆき、1933年9月1日 - )は、… 今井 洋行(いまい ひろゆき、1933年9月1日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手。 天王寺高から、1951年に南海ホークスの2軍的なチームだった社会人野球の南海土建に入部。 1952年、南海ホークスに昇格する。シュートが武器のサイドスロー投手。1955年に引退。
河村 英文(かわむら ひでふみ、1933年8月30日 - 2… 河村 英文(かわむら ひでふみ、1933年8月30日 - 2005年2月16日)は、大分県出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・解説者。 「英文」は「えいぶん」という読み方もさせており、著書の著作権表示にも「Hidefumi Kawamura」ではなく、「Eibun Kawamura」の表記が見られる。 本名・旧登録名(1953年 - 1958年、1962年 - 1963年、1972年 - 1973年)は河村 久文(かわむら ひさふみ)。 別府緑丘高校では小嶋仁八郎監督の指導を受けた。4年後輩に後の同僚となる稲尾和久がいる。卒業後は東洋高圧大牟田でプレーしていたたが、1952年オフに西鉄ライオンズから勧誘を受ける。
三浦 方義(みうら まさよし、1933年8月23日 - )は… 三浦 方義(みうら まさよし、1933年8月23日 - )は、青森県三戸郡五戸町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
小辻 英雄(こつじ ひでお、1933年8月22日 - )は、… 小辻 英雄(こつじ ひでお、1933年8月22日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。 洛北高校から大日本印刷を経て1953年に南海ホークスへ入団。 1956年は正捕手の松井淳に衰えが見え、2番手だった筒井敬三も移籍したこともあり野村克也と正捕手を争ったが春キャンプで結果を残せず4試合の出場に留まった。同年に退団し、翌年から社会人野球のリッカーミシンでプレー。後に同社の京都支社長に就任した。
西山 和良(にしやま かずよし、1933年8月22日 - )… 西山 和良(にしやま かずよし、1933年8月22日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
小林 勝巳(こばやし かつみ、1933年8月2日 - )は、… 小林 勝巳(こばやし かつみ、1933年8月2日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。 前橋高校から大生相互銀行を経て1955年に国鉄スワローズへ入団。1956年に退団。
鈴木 秀幸(すずき ひでゆき、1933年〈昭和8年〉8月1日… 鈴木 秀幸(すずき ひでゆき、1933年〈昭和8年〉8月1日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。1956年と1957年の登録名は鈴木 正。 矢板高校から神奈川大学へ進学、エースとして活躍する。横浜四大学野球リーグでは在学中5回優勝。1955年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進むが明大に敗退。リーグ最優秀選手3回。 1956年に毎日オリオンズへ入団、外野手に転向する。同年は開幕から中堅手、五番打者として起用され、71試合に先発出場。しかし打撃面で結果を残せず、翌1957年からは衆樹資宏の入団もあって定位置を失う。その後は一時低迷するが、1960年は準レギュラーとして起用され同年のリーグ優勝に貢献。
金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、… 金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、愛知県中島郡平和村(現・稲沢市)出身の元プロ野球選手(投手)・監督、解説者・評論家、実業家・タレント。愛称は「カネやん」「カネさん」。
吉田 義男(よしだ よしお、1933年7月26日 - 202… 吉田 義男(よしだ よしお、1933年7月26日 - 2025年2月3日)は、京都府京都市中京区出身のプロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者、野球評論家、タレント、甲子園歴史館の運営会議顧問であった。 現役時代は「今牛若丸」と称され、華麗かつ堅実な守備で知られた守備の達人であった。引退後は3度にわたって阪神タイガースの監督を務めた。阪神を初めて日本一に導き、また阪神の監督を3度経験した唯一の人物である。 ニックネームは「よっさん」。1989年から1996年まで野球フランス代表監督を務め、「ムッシュ」とも呼ばれる。甥の谷真一も近鉄バファローズの元プロ野球選手。 1946年、旧制中等学校の京都市立第二商業学校に入学。
白崎 泰夫(しらさき やすお、1933年7月24日 - 20… 白崎 泰夫(しらさき やすお、1933年7月24日 - 2019年7月1日)は、広島県竹原市出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 少年時代は家族で広島から旧満州に渡り、敗戦に伴い日本に引き揚げた。その後、中学編入後に野球を始め、忠海高校二年生の秋から本格的に投手となる。当時、中国一と謳われた豪速球で、1952年に夏の甲子園県予選にて優勝したが、西中国大会1回戦で柳井商工のエース森永勝也に抑えられ敗退し、甲子園出場はならなかった。 しかし、広島商や広陵高など強豪を破り、当時全くの無名であった忠海高校が県大会で優勝したことから注目され、翌1953年に南海ホークスへ入団。なかなか一軍で活躍できなかったが、1958年には先発陣の一角として起用され7勝を挙げる。
吉沢 岳男(よしざわ たけお、1933年7月15日 - 19… 吉沢 岳男(よしざわ たけお、1933年7月15日 - 1971年7月15日)は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(捕手)。
小野寺 克男(おのでら かつお、1933年7月8日 - )は… 小野寺 克男(おのでら かつお、1933年7月8日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(捕手)。 宮城農学校から、社会人野球の電電東北を経て、1954年に東映フライヤーズに入団。しかし、前半は土井垣武・後半は山本八郎の陰に隠れ、控えでの出場が主だった。野村克也と同期であり、対戦したこともある。1958年に東映を退団した。 プロ退団後は社会人野球に復帰し、常磐炭礦(現・常磐興産。スパリゾートハワイアンズの経営会社として有名)、岩崎電気でプレーした。岩崎電気在籍中は、1963年に第13回日本産業対抗野球大会(通称:サンベツ)にも出場した。 現役引退後は、ヨークベニマル硬式野球部監督を務めた。 その後、2020年現在は福島県いわき市の中学硬式野球チーム「いわきリトルシニア」の会長を務めている。
加藤 太郎(かとう たろう、1933年7月7日 - )は、神… 加藤 太郎(かとう たろう、1933年7月7日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手。 日本大学高校から1952年に阪急ブレーブスへ入団。 1954年に東映フライヤーズへ移籍。1955年に引退。
黒岩 弘(くろいわ ひろし、1933年7月1日 - )は、長… 黒岩 弘(くろいわ ひろし、1933年7月1日 - )は、長野県上高井郡日野村出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 長野県上水内農学校(現長野県長野吉田高等学校)で野球を始める。最初は遊撃手であった。戦後長野県須坂商業高等学校に入り直し、投手に転向しエースとなった。卒業後国鉄長野工場を経て東京鉄道管理局に移り、熊谷組に補強され都市対抗野球で優勝する。 1954年に国鉄スワローズに入団した。 緩いカーブ、シュート、スライダー、シンカーと制球力を武器に金田正一以外は脆弱な国鉄の投手陣を支え、入団1年目と2年目はそれぞれ4勝をマークしている。1958年限りで引退し、東京都内の家具会社に就職した。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。
榊原 盛毅(さかきはら せいき、1933年6月30日 - )… 榊原 盛毅(さかきはら せいき、1933年6月30日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。 尾道西高校から1952年に広島カープ へ入団。9月29日の対名古屋ドラゴンズダブルヘッダー2戦目で初先発に抜擢されると8回1失点、打者でも4打数3安打2打点と活躍し4-3で勝利しプロ初勝利を挙げた。この年の広島は9月28日時点で勝率3割を切っており球団解散危機に瀕していた。榊原の勝利で勢いに乗った広島は次の日のダブルヘッダーを連勝し、その後の8試合を4勝4敗で乗り切り最終的に勝率.316で球団解散の危機を脱した。 1954年に右肩を痛め、その後は登板数も減り1956年に引退した。 引退後は名城大学に進学し、卒業後は東洋工業に勤務した。
和田 功(わだ いさお、1933年6月19日 - )は京都府… 和田 功(わだ いさお、1933年6月19日 - )は京都府乙訓郡久世村(現:京都市南区)出身の元プロ野球選手。愛称は、和製シャンツ。 京都府立桂高等学校では、エースとして1950年秋季近畿大会府予選準決勝に進むが立命館高に惜敗。1952年に毎日オリオンズに入団。1953年に5勝を挙げ、1954年には16勝、1955年に18勝、1956年に14勝を挙げる。しかし、1957年は成績を落とし、登板数も減少した。1958年は前年からさらに登板数が減少する一方で、防御率については大きく改善したが、オフに大阪タイガースに移籍。移籍後の1959年は17試合に登板するも防御率5.04と精彩を欠き、同年オフに退団した。
片岡 節次郎(かたおか せつじろう、1933年6月14日 -… 片岡 節次郎(かたおか せつじろう、1933年6月14日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手。 兵庫高校から早稲田大学に進学するも中退して1953年に読売ジャイアンツへ入団。 1955年に国鉄スワローズへ移籍し、同年1軍初登板。1956年に引退。
土井 淳(どい きよし、1933年6月10日 - )は、岡山… 土井 淳(どい きよし、1933年6月10日 - )は、岡山県岡山市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者。
横山 光次(よこやま みつつぐ、1933年6月1日 - )は… 横山 光次(よこやま みつつぐ、1933年6月1日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。
金山 勝巳(かなやま かつみ、1933年5月22日 - )は… 金山 勝巳(かなやま かつみ、1933年5月22日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(投手)。1953年から1959年までの登録名は布施 勝巳。
蘭定 美男(らんじょう よしお、1933年5月16日 - )… 蘭定 美男(らんじょう よしお、1933年5月16日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)。 兵庫県西宮市大屋町(阪急西宮北口駅付近)で育つ。兵庫県立西宮高等学校、法政大学(中退)を経て、1955年途中に大阪タイガースに入団。しかし、1956年,1957年にそれぞれ1試合ずつ出場したに留まり、1957年シーズン終了後引退した。
金具 洋右(かなぐ ようすけ、1933年5月10日 - )は… 金具 洋右(かなぐ ようすけ、1933年5月10日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。 柳井高校、八幡製鐵を経て1955年に阪急ブレーブスへ入団。同年のウエスタン・リーグで初となる1イニング4奪三振を記録した。 1957年に引退。その後は母校の柳井高校で監督を務めた。
田中 一郎(たなか いちろう、1933年5月6日 - )は、… 田中 一郎(たなか いちろう、1933年5月6日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手。 北見北斗高校から旭川鉄道局を経て1955年に阪急ブレーブスへ入団。1956年に退団した。
穴吹 義雄(あなぶき よしお、1933年5月6日 - )は、… 穴吹 義雄(あなぶき よしお、1933年5月6日 - )は、香川県香川郡香川町(現・高松市香川町)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・監督。現在は少年硬式野球チーム「大阪南海ボーイズ」の会長をつとめる。
沖山 光利(おきやま てるとし、1933年5月1日 - 20… 沖山 光利(おきやま てるとし、1933年5月1日 - 2012年5月23日)は、東京都出身で、大洋ホエールズに在籍したプロ野球選手(外野手)である。1960年の大洋V1戦士の1人。 明治高校では外野手として、甲子園に3回出場した。2年生時の1950年春の選抜では1年上のエース・大崎三男を擁し、1回戦で彦根高を降すが、準々決勝で北野高に敗退。同年夏の選手権は2回戦(初戦)で北海高に敗れる。翌年の春の選抜では準決勝まで進むが、藤尾茂、中田昌宏らを擁した鳴尾高に大敗した。 卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグではエース秋山登を擁し、1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め、在学中に3度の優勝を経験。
青山 裕治(あおやま ひろはる、1933年4月28日 - 2… 青山 裕治(あおやま ひろはる、1933年4月28日 - 2015年12月10日)は、北海道札幌市出身 のプロ野球選手(投手)。 札幌光星高から社会人野球の札幌鉄道管理局に入団。社会人時代は、1955年にノンプロ全国大会で優勝。 1956年に大映スターズに入団。1958年にチームが大毎オリオンズへ吸収合併となり、同年は大毎でプレーし、シーズン終了後に退団。 1960年から1962年まで、社会人野球の東洋高圧砂川でプレーした。 引退後は岩手県北上市の会社に勤務していた。2015年12月10日、北上市で死去。82歳没。
島原 幸雄(しまばら ゆきお、1933年4月21日 - 19… 島原 幸雄(しまばら ゆきお、1933年4月21日 - 1995年1月6日)は、愛媛県出身のプロ野球選手(投手)。西鉄ライオンズのエース投手として、1956年から1958年の日本一3連覇に貢献した。
杉谷 和男(すぎたに かずお、1933年4月20日 - )は… 杉谷 和男(すぎたに かずお、1933年4月20日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。 芦屋高校では1951年に第33回夏の甲子園に出場。1回戦の小倉高校戦で大会第2号となる本塁打を打っている。 1952年に大映スターズへ入団。1955年に退団した。
田中 照雄(たなか てるお、1933年4月16日 - 197… 田中 照雄(たなか てるお、1933年4月16日 - 1972年1月19日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(投手)。近鉄投手の武智文雄は兄、東映内野手の田中和男は弟。 岐阜高校から1952年に阪急ブレーブスへ入団。ここではあまり出番がなく、1954年オフにトンボユニオンズへ移籍。1956年には先発陣の一角に食い込み、7勝をあげる。翌年は球団合併により大映ユニオンズに所属するが、1958年に兄文雄がいる近鉄パールスに移籍し、同年限りで引退した。下手投げから、スライダー、ドロップ、カーブとシュートを武器にした。 1972年1月19日に38歳で死去した。
黒木 弘重(くろき ひろしげ、1933年4月15日 - 20… 黒木 弘重(くろき ひろしげ、1933年4月15日 - 2023年5月17日)は、宮崎県児湯郡高鍋町出身の元プロ野球選手。ポジションは一塁手、外野手。 大洋ホエールズで活躍した黒木基康は実弟に当たり、1960年には大洋でチームメイトとして所属した。 高鍋高校在学中は甲子園出場なし(弟の基康は1954年、3年生の時に一塁手として夏の甲子園に出場している)。1951年夏の甲子園予選東九州大会に進むが、1回戦で大分上野丘高に惜敗。高校同期に大学、プロ野球と行動を共にする岩岡保宏がいた。 高校時代、たまたま宮崎に来ていた明大の原勝彦らの指導を受けた縁で、岩岡とともに明治大学に進学。東京六大学野球リーグではエース秋山登を擁し、1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め、在学中に3度の優勝を経験。
清水 宏員(しみず ひろかず、1933年4月14日 - )は… 清水 宏員(しみず ひろかず、1933年4月14日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(投手)。
内司 正弘(ないじ まさひろ、1933年4月10日 - 19… 内司 正弘(ないじ まさひろ、1933年4月10日 - 1992年4月21日)は鹿児島県川辺郡万世町(現:南さつま市)出身の元プロ野球選手。 薩南工業高校から1952年に大阪タイガースに投手としてテスト入団。翌1953年に一軍初登板とドロップ、シュートを武器に初勝利を果たした。1954年からは野手に転向し内野手登録になり、1956年からは外野手に登録を変更した。1956年は自己最多の59試合に出場し、ウエスタン・リーグで本塁打王を獲得した。1957年に現役を引退した。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
木織 武美(きおり たけよし、1933年4月3日 - )は、… 木織 武美(きおり たけよし、1933年4月3日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
円子 宏(まるこ ひろし、1933年3月22日 - 1998… 円子 宏(まるこ ひろし、1933年3月22日 - 1998年6月9日)は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。東都大学野球連盟やプロ野球関連の資料では旧字体の圓子 宏と表記されることが多い。 岩手高校から東京農業大学へ進学。東都大学野球リーグでは専大、日大など伝統校の壁を破れず、在学中4位以下に沈む。リーグ通算85試合登板で23勝44敗をマークするが、44敗はリーグ記録である。3年次の1953年秋季リーグで記録した83奪三振は、1990年春季リーグで111奪三振を記録した亜大の小池秀郎に抜かれるまで、長らくリーグ歴代1位の記録であった。ただし、この記録は後に改定され、中大の高橋輝による107奪三振(1949年春)となっている。
山本 理(やまもと おさむ、1933年3月13日 ‐ 201… 山本 理(やまもと おさむ、1933年3月13日 ‐ 2016年11月19日)は、日本の高校野球指導者。栃木県出身。史上初の甲子園大会春夏連覇を達成した監督。 栃木県に生まれ、1945年に下野中学校(のちの作新学院高等学校)に入学。神奈川大学を経て、1955年に母校・作新学院の監督に就任した。1958年の第40回全国高等学校野球選手権大会で甲子園初出場し、ベスト4まで進出する。そして1962年の第34回選抜高等学校野球大会と第44回全国高等学校野球選手権大会を制し、史上初の春夏連覇を達成した。1973年には江川卓を擁して春夏連続出場したことでも知られる。のち部長に転じた。2016年11月19日、83歳で死去。
岩崎 哲郎(いわさき てつろう、1933年3月9日 - 20… 岩崎 哲郎(いわさき てつろう、1933年3月9日 - 2000年1月3日)は、岩手県二戸市出身のプロ野球選手(捕手)。 福岡高校卒業後、盛岡鉄道管理局を経て、1955年に国鉄スワローズへ入団。 1961年限りで、現役を引退。 引退後は、1963年から1965年と1976年にコーチを務める。スコアラーも20年間担当し、1996年からヤクルト球団の戸田寮の寮長として活躍した。 2000年1月3日、心不全のため66歳で亡くなった。
枝村 勉(えだむら つとむ、1933年2月28日 - )は、… 枝村 勉(えだむら つとむ、1933年2月28日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
渡辺 省三(わたなべ しょうぞう、1933年2月26日 - … 渡辺 省三(わたなべ しょうぞう、1933年2月26日 - 1998年8月31日)は、愛媛県西条市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・スカウト。