平光 琢也(ひらみつ たくや、1955年1月13日 - )は… 平光 琢也(ひらみつ たくや、1955年1月13日 - )は、日本の俳優、演出家、脚本家、音響監督。岐阜県出身。「ひらこう」と読まれるが「ひらみつ」が正しい。趣味は絵画、ドラム。 神奈川県立小田原高等学校を経て、1975年日本大学芸術学部演劇学科在学中に「劇団魔天楼」を結成。また、同時期に劇団雲研究生、円・演劇研究所研究生を経て、1978年、演劇集団 円に俳優として入団。 1983年に「劇団魔天楼」で共に活動していた赤星昇一郎、郷田ほづみと結成したお笑いトリオ「怪物ランド」で、『お笑いスター誕生!!』に出場。10週勝ち抜きチャンピオンとなる。その後、冠番組となった『ウソップランド』(テレビ朝日)に出演しカルト的な人気を獲得した。
永井 寛孝(ながい かんこう、本名読み:ながい ひろたか、1… 永井 寛孝(ながい かんこう、本名読み:ながい ひろたか、1955年1月8日 - )は、日本の演出家、脚本家、俳優、声優。テアトル・エコー所属。愛知県出身。 1978年に劇団テアトル・エコー養成所に入所 1980年入団。退団後、歌芝居集団「おっ、ぺれった」を結成。その後プライムワン、フリーを経て、再び1999年にテアトル・エコーに入団し文芸演出部に在籍。 初めから演出家になろうと思っていたわけではなく、演劇の世界で色々していくうちに少しずつ領域が広がっていったという。「いったい、世間は自分に何をもとめているんだろう」と自問自答して、「だったら、みなさんのもとめに応えて身を任せてみよう」と思い、その結果、最初に目指していた演技の仕事より、演出の仕事の方が広がったという。
武見 龍磨(たけみ りょうま、本名:武田 良史、1955年1… 武見 龍磨(たけみ りょうま、本名:武田 良史、1955年1月3日 - )は、日本の俳優、演出家、演劇企画室「劇論◎三者会談」主宰。京都市生まれ。母親は元大映女優の小柳圭子。 1973年、京都市私立東山高等学校卒業後、京都造形芸術学院(旧藤川学園)グラフィックデザイン科に入学。1975年卒業後、京都の中堅広告代理店に入社。グラフィック・デザイナーとして活動する。 1977年、広告代理店を退社すると同時にグラフィック・デザイナーを廃業。俳優を志し上京する。劇団青俳の付属俳優養成所に入り、1年間の基礎訓練を受ける。本科終了後、1980年俳優事務所の現代制作舎に所属。また、1981年名倉ジャズダンススタジオに入り名倉加代子に師事。
辻野 正人(つじの まさと、1955年 - )は映画・テレビ… 辻野 正人(つじの まさと、1955年 - )は映画・テレビドラマ作品の元監督・演出家。函館ラ・サール高校、早稲田大学演劇科卒業。 27歳で大学を卒業後、親戚の縁で脚本家の八木保太郎に師事。東映と繋がりのあった八木の紹介で、東映の関連会社であるユニ企画に所属し、1985年に東映不思議コメディーシリーズ『勝手に!カミタマン』へサード助監督として参加。痛風により一時現場を離れるが、復帰後セカンド助監督となり、さらにチーフ助監督であった近藤杉雄の監督昇進に伴いチーフ助監督へ昇格。32歳のときに『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』にて監督デビューを果たす。同作品ではシナリオも執筆している。次回作の『じゃあまん探偵団 魔隣組』でもメガホンを執るが、スケジュール進行のトラブルで作品中途で東映を離れる。
斉藤 敏豪(さいとう としひで、1954年11月16日 - … 斉藤 敏豪(さいとう としひで、1954年11月16日 - )は、日本のテレビ演出家。東京都品川区出身。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』内での通称はヘイポーまたは世界のヘイポー。 「オフィスぼくら」副社長を経て、制作プロダクション「ファクト」所属。日本テレビ系『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(以下「ガキ使」と表記)にスタッフとして初回から参加。 通称「ヘイポー」。名付け親は同期の菅賢治である。 高校を卒業してからしばらくの間、都内のストリップ劇場でアルバイトを始め、照明の手伝いなどをしていた。この時、ストリップ嬢の間から「お豆(おまめ)」というニックネームを付けられて可愛がられていたという。
桝川 譲治(ますかわ じょうじ、1954年[[9月29日[]… 桝川 譲治(ますかわ じょうじ、1954年[[9月29日[]] - ) は日本の俳優、演出家。東京都出身。(有)ジョーズカンパニーを主宰している。日本体育大学荏原高等学校卒業。 高校在学中、スター誕生!に出場。第3回決勝大会に進むも、スカウトには至らなかった。同回出場には、鷲と鷹、最上由紀子がいた。 1973年、高校3年生の時にNHKのヤング101の第四期生となりNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』にレギュラー出演した。 1980年にオーデイションに合格してロック・ミュージカル『ヘアー』にて主演バーガー役でデビューする。その後は舞台と歌番組を中心に活動。 1983年に劇団四季に入団。
齋藤 雅文(さいとう まさふみ、1954年9月 - )は、日… 齋藤 雅文(さいとう まさふみ、1954年9月 - )は、日本の劇作家、演出家。東京都品川区生まれ。劇団新派文芸部所属。 早稲田大学教育学部卒業後、1980年松竹株式会社傘下の劇団新派文芸部へ。1982年9月、坂東玉三郎新秋公演『白鷺』(泉鏡花原作)にて補綴台本。舞台監督、演出助手を経て、1989年6月御園座『藤のおもかげ』(菊地寛原作「藤十郎の恋」。平幹二郎、太地喜和子出演、鵜山仁演出)で初めて劇作を手掛ける。以降、商業演劇、ミュージカル、新派公演など幅広く脚本、演出を担う。2007年新作歌舞伎『龍馬がゆく・立志編』で歌舞伎の脚本を執筆、同作にて第36回大谷竹次郎賞受賞。以降、歌舞伎の脚本・演出も手掛けている。
大垣信良(おおがき のぶよし 、1954年7月11日 – )… 大垣信良(おおがき のぶよし 、1954年7月11日 – )は、日本のテレビディレクター、プロデューサー、演出家。 1954年、神奈川県横浜市生まれ。1978年、早稲田大学政治経済学部を卒業して、日本テレビ放送網に入社した。同期には桜田和之がいる。1996年、日本テレビ放送網を退社。現在は株式会社えすと取締役を務める。 自身がプロデュースした番組「ルックルックこんにちは」で大垣は芸能リポーターを活用していたが、それは「取材と、それを伝えることは別の能力。臨場感を出すためにもリポーターは欠かせない」からであったという。 1995年、「ルックルックこんにちは」にオウム真理教関係者を生出演させたところ、当時オウム真理教は警察から捜査を受けていたために批判を受けることになった。
尾崎 麿基(おざき まき、1954年4月30日 - )は、日… 尾崎 麿基(おざき まき、1954年4月30日 - )は、日本の俳優・演出家。劇団五期会の代表。 奈良県天理市で、4人兄弟の末っ子として生まれる。1975年、追手門学院大学経済学部卒業。 大阪放送劇団(5期生)を経て、1978年に劇団五期会に入団。1996年から劇団の代表を務める。 新劇団協議会フェスティバル男優演技賞受賞(第25回・第38回)。2022年、地域文化功労者表彰。 ●「探偵ロマンス」(2023年1月21日~)NHK総合土曜ドラマ ‐ 前橋常座衛門 役 劇団五期会の公演に多数出演。作品によっては演出も務める。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
小中 肇(こなか はじめ、1954年3月23日 - )は、日… 小中 肇(こなか はじめ、1954年3月23日 - )は、日本の監督・演出家。日本映画監督協会会員。主にテレビドラマ作品を中心に活動していた。 弘前南高を経て法政大学文学部を中退。学生時代に行っていた劇団活動をきっかけとして東映撮影所の助監督となり、『バトルフィーバーJ』でチーフ助監督を務める。その後1990年に『森村誠一サスペンス』にて監督昇進。1996年の『超光戦士シャンゼリオン』を経て主にスーパー戦隊シリーズなどを手がけ、『救急戦隊ゴーゴーファイブ』では年間を通じて初のメイン監督として采配を振った。 その後『爆竜戦隊アバレンジャー』では自身2度目となるパイロット版を手がけるが、途中降板。2005年には舞台『あたま山心中』の演出を手がけたが、それ以降主な演出作品はない。
大谷 亮介(おおたに りょうすけ、1954年〈昭和29年〉3… 大谷 亮介(おおたに りょうすけ、1954年〈昭和29年〉3月18日 - )は、日本の男性俳優、演出家、声優であり、劇団壱組印主宰である。本名、同じ。 兵庫県西宮市出身、ファザーズコーポレーション所属。 兵庫県西宮市内の小学校を経て、六甲学院中学校・高等学校へ進学。高校時代はサッカー部のレギュラーになり、兵庫県代表としてインターハイにも出場した。高校卒業後は生物学者を志して東京水産大学(現 東京海洋大学)へ進学したものの、勉強する気にならずに遊んでばかりいたところ、見かねた友人から「お前、向いてるんじゃないか」と勧めを受けて劇団を受験し合格。大学在学中の1977年にオンシアター自由劇場に入団、同年10月の『風吹がらす疾送記・異説のすかい・おらん』にて初舞台。
広井 王子(ひろい おうじ、本名:廣井 照久〈ひろい てるひ… 広井 王子(ひろい おうじ、本名:廣井 照久〈ひろい てるひさ〉、1954年2月8日 - )は、日本の漫画・アニメ・テレビゲームなどの原作を手掛けるマルチクリエイター、舞台演出家。レッド・エンタテインメント顧問、ゲオネットワークス顧問、金沢工業大学客員教授、情報経営イノベーション専門職大学情報経営イノベーション学部超客員教授。元アミューズ所属。 著名な作品は、『サクラ大戦シリーズ』『天外魔境シリーズ』『魔神英雄伝ワタルシリーズ』。 東京都出身、立教中学校、立教高等学校卒業、立教大学法学部3年次中退。
野澤 和之(のざわ かずゆき、1954年〈昭和29年〉 - … 野澤 和之(のざわ かずゆき、1954年〈昭和29年〉 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家、プロデューサー。新潟県南魚沼郡六日町(現・南魚沼市)出身。 新潟県立六日町高校卒、立教大学社会学部社会学科卒、立教大学大学院文学部博士前期課程修了。文化人類学専攻。その後、米国に留学している。 記録文化映画のフリーランス助監督を経て、テレビ報道の道を歩んだ。その後、テレビドキュメンタリーの世界へも進出し、数々の賞も受賞している。現在は、ドキュメンタリー映画監督として広く知られている。 野澤の作品づくりには、大学で文化人類学を学んだ経験が活かされているという。それは、つまり、「周縁に生きる人々を描く」という、野澤監督独特の感性であり、特徴ともなっている。
山田 和也(やまだ かずや、1954年 - )は、日本のドキ… 山田 和也(やまだ かずや、1954年 - )は、日本のドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家。
中村 暁(なかむら さとる、1954年 - )は、宝塚歌劇団… 中村 暁(なかむら さとる、1954年 - )は、宝塚歌劇団に所属する演出家。大阪府大阪市出身。 1977年、同志社大学文学部美学芸術学を卒業後に宝塚歌劇団に入団。 1985年に月組バウホール公演『スウィート・リトル・ロックンロール』で演出家デビュー。 1990年に雪組『黄昏色のハーフムーン』で初の大劇場公演を担当。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
長嶺 高文(ながみね たかふみ、1953年12月29日 - … 長嶺 高文(ながみね たかふみ、1953年12月29日 - 2014年10月7日)は、日本の映画監督、テレビディレクター、脚本家、演出家。 東京都台東区谷中生まれ。東京都立板橋高等学校、武蔵大学経済学部卒業。武蔵大学在学中より、自主映画製作をはじめる。卒業後、ピンク映画の獅子プロダクションに助監督として入社するが、1977年独立して、自主制作映画集団「パノラマフィルム」を設立。 1978年『喜談 南海燮化玉』を監督し、続いての2作目『歌姫魔界をゆく』は高田馬場パール座上映が連日の盛況から、自主映画としては異例の話題となり、各メディアにもとりあげられる。 大阪11PM「自主映画監督特集」で荒戸源次郎と出会い、1982年シネマ・プラセット製作にて、遠藤賢司主演のスーパー・SFミュージカル・コメディ映画『ヘリウッド』を上映、熱烈な支持と強い反発という両極の反響からカルト映画と評される。
中村 育二(なかむら いくじ、1953年12月21日 - )… 中村 育二(なかむら いくじ、1953年12月21日 - )は、日本の俳優、声優、演出家、劇作家。和歌山県新宮市出身。ジェイ・クリップ所属。 日本大学芸術学部写真学科卒業。 1987年、『劇団カクスコ』を結成。主宰として脚本、演出を手がける一方、役者として舞台にも立っていた。2002年に解散後は舞台、テレビ、映画と幅広く活動を続けている。 ※太字はメインキャラクター
加藤 芳一(かとう よしかず、1953年10月1日 - 19… 加藤 芳一(かとう よしかず、1953年10月1日 - 1995年10月20日)はライター、放送作家、演出家、インタビュアー。東京銀座出身。日本大学藝術学部文芸学科卒業。 中学3年の頃から高平哲郎と知合い、高平の紹介により、ライター、放送作家となる。1987年に、川勝正幸、渡辺祐、佐川秀文と事務所「トーテムポール」を結成。 放送作家として活動中の1995年に、ガンのため、42歳で死去。 放送作家の後輩の高橋洋二は、著書『オールバックの放送作家』において、80年代後半のテレビのお笑い/サブカル・シーンをリードしていた存在であったと、加藤を高く評価した。
松井 今朝子(まつい けさこ、1953年9月28日 - )は… 松井 今朝子(まつい けさこ、1953年9月28日 - )は、日本の小説家、脚本家、演出家、評論家。 1953年、京都・祇園にある料亭の娘として生まれる。聖母学院中学高等学校、早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。早稲田大学大学院文学研究科(演劇学)修士課程修了後、松竹株式会社に入社。歌舞伎の企画・制作に携わる。 松竹を退職後フリーとなり、武智鉄二に師事して、歌舞伎の脚色・演出・評論などを手がけるようになる。 1997年、『東洲しゃらくさし』で小説家としてデビュー。同年に『仲蔵狂乱』で第8回時代小説大賞を受賞。この作品は2000年に、市川團十郎、新之助の出演でTV化された
石川 裕人 (いしかわ ゆうじん、1953年9月21日 - … 石川 裕人 (いしかわ ゆうじん、1953年9月21日 - 2012年10月11日)は、日本の劇作家・演出家・シナリオライター。元「TheatreGroup"OCT/PASS"」主宰・代表。山形県東根市出身。 NHKオーディオドラマ審査員、(財)仙台市市民文化事業団評議委員(1999年から2005年まで)、「仙台劇のまち戯曲賞」選考委員(2001年から)「土井晩翠わかば賞・あおば賞選考委員(2008年から)といった役職も務めた。 高校時代から劇団を結成、役者・劇作・演出・作曲等を手がけ、執筆・演出作は100本を越える。1981年に結成した「十月劇場」は、仙台市の劇団としては初の東京を含む全国公演を成功させ、国内の演劇フェスティバルへも多数参加した。
勅使川原三郎(てしがわら さぶろう、1953年9月15日 -… 勅使川原三郎(てしがわら さぶろう、1953年9月15日 - )は、日本のダンサー、振付家、演出家、俳優。立教大学現代心理学部教授を経て、2014年より、多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン学科教授。東京都出身。 1981年より独自の創作活動を開始。パントマイムやクラシック・バレエ、彫塑を修得した後、1985年に宮田佳と共にコンテンポラリー・ダンスのカンパニー、KARASを設立。2006年、立教大学現代心理学部映像身体学科教授。2014年、多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン学科教授。2019年、愛知県芸術劇場アドバイザー。2020年、愛知県芸術劇場芸術監督。 代表作は「月は水銀」「青い隕石」「石の花」「メランコリア」「NOIJECT」「I was Real-Documents」「Absolute Zero」「ルミナス」など。
山口 晃(やまぐち あきら、1953年8月5日 - )は、埼… 山口 晃(やまぐち あきら、1953年8月5日 - )は、埼玉県出身の俳優、声優、演出家。身長161cm。体重59kg。血液型はO型。埼玉県立浦和西高等学校、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇コース卒。劇団青年座所属。演出家としては山口 あきらで活動している。
長谷川 康夫(はせがわ やすお、1953年〈昭和28年〉6月… 長谷川 康夫(はせがわ やすお、1953年〈昭和28年〉6月12日 - )は、日本の劇作家、演出家、脚本家、映画監督。妻は女優の大橋恵里子。 北海道生まれ。銀行の管理職であった父親の転勤で、幼少期は道内各地を転々として育った。北海道札幌南高等学校卒業後、早稲田大学政治経済学部に進むが中退。向島三四郎・知念正文主宰の劇団「暫」に入団し、つかこうへいと出会う。 在学中から劇団つかこうへい事務所に属し、74年「初級革命講座飛龍伝」でデビュー。劇団「暫」に所属のまま、風間杜夫、平田満らと、つかこうへい作品のほとんどに出演。『いつも心に太陽を』、NHKドラマ『かけおち'83』で主演。また、『蒲田行進曲』のヤスのモデルとして知られ、経歴等のキャラクター設定は長谷川のそれから取られている。
鵜山 仁(うやま ひとし、1953年3月17日 - )は、演… 鵜山 仁(うやま ひとし、1953年3月17日 - )は、演出家。奈良県大和高田市生まれ。文学座演出部所属。日本演出者協会理事。舞台芸術学院学長。 奈良女子大学文学部附属高等学校、慶應義塾大学文学部フランス文学科卒業。舞台芸術学院を経て文学座附属演劇研究所に17期生として入所。1982年、文学座座員に昇格。初演出作品は1980年の『オペラ・死神』、ストレートプレイでは1982年の文学座アトリエ公演『プラハ1975』。 以降、劇団の内外で精力的に活動を続け、特にシェイクスピアと井上ひさしの作品を数多く手がけている。1983年から1年間、文化庁在外研修員としてパリに滞在。オペラの演出も数多く手掛けており、昭和音楽大学オペラ情報センターの記録だけでも40回に及ぶ。
栗山 民也(くりやま たみや、1953年1月15日 - )は… 栗山 民也(くりやま たみや、1953年1月15日 - )は、日本の舞台演出家。東京都町田市出身。 妻は女優の中川安奈(1992年結婚。2014年死別)。日本演出者協会会員。 主催タイトルは五十音順
黛 りんたろう(まゆずみ りんたろう、1953年 - )は、… 黛 りんたろう(まゆずみ りんたろう、1953年 - )は、NHKエンタープライズ所属のドラマ番組ディレクター、演出家、映画監督。
九十九 一(つくも はじめ、1952年〈昭和27年〉11月1… 九十九 一(つくも はじめ、1952年〈昭和27年〉11月1日 - )は、日本のお笑い芸人、俳優、脚本家、演出家。 ピン芸人(漫談・ひとりコント)として芸能活動開始。現在は俳優(主に喜劇)として活動テリトリーを拡げ、放送作家としても活動している。 本名:福地 隆(ふくち たかし)。大阪府大阪市出身。エンパシィ所属。過去にE-Pin企画に所属していた。 高校時代から落語家を目指し、3代目桂米朝への弟子入りを志すも、3代目笑福亭仁鶴らによる落語ブームが生じたため断念する。母親からは高校だけは卒業するようにと言われ、高校卒業後は全国各地を転々と放浪した。 帰阪後の1976年、滝あきらの門下から「滝たかし」の芸名でデビューする。
北浦 嗣巳(きたうら つぐみ、1952年7月8日 - )は、… 北浦 嗣巳(きたうら つぐみ、1952年7月8日 - )は、日本の映画監督、演出家、脚本家、プロデューサー。千葉県出身。 東京造形大学在籍中に実相寺昭雄の監督作品『あさき夢みし』(1974年)にアルバイトで参加し、その後実相寺率いる映像制作集団「コダイ」に所属。円谷プロダクションの『恐竜大戦争アイゼンボーグ』(1977年)に助監督として参加した後、実相寺昭雄監督作品にチーフ助監督として携わる。 その後『西遊記』(1994年)で本編監督と特技監督を務めたのを皮切りに、テレビドラマや映画の監督として活動するほか、舞台やオペラなどの演出も手がける。 『ウルトラマンティガ』(1996年)以降平成ウルトラシリーズの常連スタッフとなる。
北村 想(きたむら そう、1952年7月5日 - )は、日本… 北村 想(きたむら そう、1952年7月5日 - )は、日本の劇作家・演出家。本名:北村 清司(きたむら きよし)。 滋賀県大津市出身。滋賀県立石山高等学校卒業。 高校卒業後、友人を頼って名古屋に住み始め、モグリの学生をやっていた中京大学の演劇部にて演劇活動を始める。 1979年、劇団「TPO師★団」を旗揚げ。その後、1982年に「彗星 '86」、1986年に「プロジェクト・ナビ」と名前を変えながら劇団として活動を続けてきたが、2003年に解散。現在では「avecビーズ」というユニットにおいて年に1作のペースで新作を上演するほか、外部への作品提供も多い。 1980年代初頭から、終末的かつ幻想的なその作風が注目され、現在までに様々な作品を発表している。
真下 耕一(ましも こういち、1952年6月21日 - )は… 真下 耕一(ましも こういち、1952年6月21日 - )は、東京都出身の日本の元アニメーション監督、演出家。上智大学法学部卒業。 小さい頃から映画好きで、高校時代から8ミリ映画を自主製作し大学時代は映画研究会に属した。アニメには特に興味はなく、大学4年生のときに共同テレビで半年ほどアルバイトをしていたところ、アニメ制作会社タツノコプロの新聞求人広告を見て、映像作品を作る会社ということで1975年11月6日に入社する。 シナリオを書きたくて、演出助手を志望し、演出部長だった笹川ひろしより薫陶を受ける。3ヶ月後には『タイムボカンシリーズ』(『タイムボカン』第33話「ビックリ!天女は宇宙人だペッチャ」)で初演出。
岩松 了(いわまつ りょう、1952年3月26日 - )は、… 岩松 了(いわまつ りょう、1952年3月26日 - )は、日本の劇作家で、演出家、俳優としても活動している。長崎県東彼杵郡川棚町出身。長崎県立川棚高等学校卒業、東京外国語大学外国語学部ロシア語学科中退。その作風から、日本のチェーホフと称されている。 東京外国語大学演劇部やオンシアター自由劇場で演劇を始め、大学中退後は劇団東京乾電池で活動する。1986年に、10年近い無自覚な演劇生活を振り返り、一本好き勝手に書いて演劇は辞めると決意して発表した戯曲『お茶と説教:無関心の道徳的価値をめぐって』が高い評価を得る。1989年に発表した『蒲団と達磨』で第33回岸田國士戯曲賞を受賞し、劇作家としての地位を確立した。
水谷 龍二(みずたに りゅうじ、1952年3月4日 - )は… 水谷 龍二(みずたに りゅうじ、1952年3月4日 - )は、日本の演出家・劇作家・脚本家。水谷竜二名義で活動していた時期もある。 北海道苫小牧市出身。苫小牧工業高等専門学校機械工学科卒。 1952年(昭和27年)生まれ。 工業高等専門学校生時代から映画や文学に傾倒する。 1972年(昭和47年)に上京して大手自動車メーカーに就職するも、5か月で退職。その後テレビで『コント55号のなんでそうなるの?』を観て、自分も台本を書いてみたいと思い、テレビ局に自作のコントの台本を持ち込む。後にその『コント55号のなんでそうなるの?』(日本テレビ系バラエティ番組)で、放送作家デビュー。 1982年(昭和57年)からは、テレビドラマの脚本や、芝居の作・演出を手がける。
清水 一彦(しみず かずひこ、1952年2月17日 - )は… 清水 一彦(しみず かずひこ、1952年2月17日 - )は、日本の演出家、NHKのエグゼクティブディレクター。
野伏 翔(のぶし しょう、1952年1月23日 - )は、日… 野伏 翔(のぶし しょう、1952年1月23日 - )は、日本の演出家、映画監督。劇団夜想会主宰。茨城県古河市出身。 獨協大学外国語学部英語学科卒業。文学座演劇研究所を経て1982年「劇団夜想会」を設立。これまでの演出作品は100作品を超える。劇団設立初期はシェイクスピア、サルトル、チェーホフ作品など新劇作品の演出多かった。 俳優として『トーキング・ヘッド』(押井守監督・1992年)に出演している。 空手道、少林寺拳法、剣道などの武道が趣味で計十段の腕前を誇る。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
あらい けい(1952年1月22日 - )は、日本の演出家、… あらい けい(1952年1月22日 - )は、日本の演出家、俳優、放送作家、武術家。 「ひらがなのあらいけい」 と呼ばれている。 本名は新井勲(あらい いさお)で、芸名の「あらいけい」は40代後半から使用。 20代から40代後半までは「新井螢」という漢字を使っていた。 北海道白老町出身。身長172cm。 番組制作会社IBC・JAPAN代表、大東流合気 実践あらい道場 代表、師範、大東流武術連盟 八段 専務理事。 1993年よりプロレス・格闘技の60分番組HBCラジオ 「ラジプロ」のメインキャスター。 千葉商科大学卒業、 早稲田大学中退。 1998年7月 大東流合気柔術 幸道会札幌西支部入門 2001年1月 札幌西支部の主要メンバーと共に、新規会派無傳塾を旗揚げ、移籍。
梁木靖弘(はりき やすひろ、1952年1月20日- )は、フ… 梁木靖弘(はりき やすひろ、1952年1月20日- )は、フランス演劇研究者、演出家、九州大谷短期大学教授。福岡県生まれ。福岡県立修猷館高等学校を経て、1974年早稲田大学文学部演劇学科卒。九州大谷短期大学講師、助教授を経て教授。 2007年からは、アジアフォーカス・福岡国際映画祭のディレクターを務めている。
高取 英(たかとり えい、1952年1月17日 - 2018… 高取 英(たかとり えい、1952年1月17日 - 2018年11月26日、本名:非公開)は、日本の劇作家、演出家、マンガ評論家、編集者。男性。月蝕歌劇団代表。京都精華大学マンガ学部マンガプロデュースコース学科教授、大正大学表現学部客員教授を務めた。 大阪府堺市出身。大阪府立岸和田高等学校、大阪市立大学商学部卒業。 大阪市立大学の学生時代に白夜劇場を結成し、1974年に「白夜月蝕の少女航海紀」を作・演出。これが演劇のデビューとなる。 大学卒業後、寺山修司の取材・出版スタッフとなる一方、エロ劇画誌『漫画エロジェニカ』三代目編集長となり、『劇画アリス』編集長の亀和田武らと三流劇画ブームを起こす。『漫画エロジェニカ』は、最高12万部弱を売り上げた。
河本 瑞貴(かわもと みずき、1952年 - )は、日本の脚… 河本 瑞貴(かわもと みずき、1952年 - )は、日本の脚本家、演出家。長崎県佐世保市生まれ。長崎県立佐世保北高校卒業。立命館大学中退。 横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)2期卒業。馬場当に師事。 日本映画学校で講師を務める。映像科のほか、俳優科の「漫才」の授業を担当し、ウッチャンナンチャンやナイツの育ての親としても知られている。
高島 勲(たかしま いさお、1952年 - )は、日本のオペ… 高島 勲(たかしま いさお、1952年 - )は、日本のオペラ演出家、プロデューサー。 長野県高遠町出身。1975年、駒澤大学経済学部卒業。東京ドイツ文化センター語学部に勤務。1979年渡独。ミュンヘン大学演劇科を経て、ウィーン大学大学院演劇研究科修了(修士)。その間、ミュンヘン、バイロイト、ウィーン、ザルツブルク等の歌劇場で照明スタッフ、舞台監督、演出助手等として研鑽を積む。 A.エヴァーディング、M.ハンペ、W.ヘルツォーク、H.ミュラー、鈴木啓介、江守徹、市川猿之助、蜷川幸雄、浅利慶太のアシスタントを務める。五島記念文化賞オペラ新人賞受賞、ローム音楽財団の助成を得てヨーロッパ各地で研修。 1994年、日生劇場「魔弾の射手」によりオペラ演出デビュー。
正塚 晴彦(まさつか はるひこ、1952年 - )は、宝塚歌… 正塚 晴彦(まさつか はるひこ、1952年 - )は、宝塚歌劇団所属の演出家。大阪市出身。 日本大学芸術学部演劇学科卒業後、1976年、宝塚歌劇団に演出助手として就職。 1981年宝塚バウホール公演『暁のロンバルディア』で演出家デビュー。 1985年『テンダー・グリーン』で宝塚大劇場デビュー。 2004年の『BOXMAN』では、コンビ・和央ようか&花總まりが第29回菊田一夫演劇賞を受賞。 2019年、よしもとライターズアカデミーウエスト(現・よしもとクリエイティブアカデミー)の講師に就任。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
谷 正純(たに まさずみ、1952年または1953年 - 2… 谷 正純(たに まさずみ、1952年または1953年 - 2025年4月5日)は、宝塚歌劇団の演出家。日本大学芸術学部映画学科出身。東京都出身。 映画が好きで、映画監督志望だったが、菅沼潤、正塚晴彦といった日芸の先輩が宝塚歌劇団に入っていた関係で、学校に演出助手の募集があり、宝塚歌劇団は宝塚映画とは関係が深いので「そこから宝塚映画へ行けるかもしれない」という動機で応募した。 大学在学中には、日本テレビでアルバイトをしており、『ベルサイユのばら』の取材に携わったこともある。 1979年、宝塚歌劇団に入団。同期生には、石田昌也がいる。 1986年宝塚バウホール公演『散る花よ、風の囁きを聞け』(花組)で演出家デビュー。
長沖 渉(ながおき わたる、1951年10月17日 - )は… 長沖 渉(ながおき わたる、1951年10月17日 - )は、日本のテレビドラマ演出家、脚本家。元大阪芸術大学放送学科教授。 大阪府出身。父は、吉本興業の文芸部長を務めた漫才作家・脚本家で後に帝塚山学院短期大学の学長にもなった長沖一。 大阪府立阿倍野高等学校を経て、1976年に立命館大学文学部(専攻は西洋史)を卒業。同年、NHKに入局。 1996年の『ふたりっ子』など、大阪放送局制作の連続テレビ小説を中心に、多くのドラマ作品の演出を手がけた。 2009年からはフリーの演出家に転向、2010年の朝日放送『夏子と天才詐欺師たち』で初めて民放ドラマの演出を手がけた。 2012年の東海テレビ『鈴子の恋 ミヤコ蝶々女の一代記』(大石静との共同執筆)で脚本家としてもデビュー。
永井 愛(ながい あい、1951年10月16日 - )は、日… 永井 愛(ながい あい、1951年10月16日 - )は、日本の劇作家、演出家。劇団二兎社主宰。 東京都出身。東京都立富士高校時代から演劇部に入る。桐朋学園芸術短期大学演劇専攻科卒。 春秋団に研究生として参加し、そこで出会った大石静と1981年、「二兎社」を結成。脚本、演出、出演を大石と二人で行う。翌1982年の、老若男女12人を二人で演じた『カズオ』は再演を重ね、初期の代表作となる。 1997年、『見よ、飛行機の高く飛べるを』と『ら抜きの殺意』を発表。両作品により芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。 1991年、大石は二兎社を離れ、以後永井が単独で主宰。日本劇作家協会前会長[リンク切れ]、理事。2016年3月より副会長。
吉田 秋生(よしだ あきお、1951年10月6日 - )は、… 吉田 秋生(よしだ あきお、1951年10月6日 - )は、TBSテレビ制作局制作センタードラマ制作部所属の[要出典]テレビドラマ演出家。妻は女優、歌手、声優の小川範子。学習院大学法学部卒業。
鈴木 孝義(すずき たかよし、1951年9月11日 - )は… 鈴木 孝義(すずき たかよし、1951年9月11日 - )は日本のアニメ監督、演出家である。神奈川県小田原市出身。 武蔵野美術大学卒業後、日本アニメーションに入社。世界名作劇場作品などを始め数々の日アニ作品でキャリアを積んだ。「大草原の小さな天使 ブッシュベイビー」で監督デビューし、90年代は多くの作品で監督を務めた。2005年には長い間関わり続けていた日本アニメーションを退社し、フリーとなり活動している。 妻は子供服専門店「こねこねこ」の経営者である鈴木子猫。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
甲斐 智陽(かい ともあき、本名:高橋茂、1951年8月28… 甲斐 智陽(かい ともあき、本名:高橋茂、1951年8月28日 - )は、日本の演出家、脚本家、音楽家、プロデューサーである。神奈川県相模原市出身。シンガーソングライターとして活動し、1991年にCDをリリース。その後、ポリドール、ポニーキャニオン、ソニーミュージックなどでレーベルプロデューサーを務め、テレビの音楽番組ディレクターを経て、舞台・映像の演出家となる。2003年にタクトバースエンターテイナーズを設立し、代表取締役社長を務める。 1983年、株式会社タクトを設立。 1991年、音源製作、映像制作等を目的とした株式会社シップスエンタープライズ設立、自らアーティスト「甲斐智陽」としてCDリリースを重ねながら新人アーティストの育成に勤める。
赤羽 博(あかばね ひろし、1951年7月4日 - )は、テ… 赤羽 博(あかばね ひろし、1951年7月4日 - )は、テレビドラマ、映画作品の監督・演出家である。山梨県甲府市出身。 1951年7月、山梨県甲府市生まれ。 専修大学法学部法律学科に入学したが、自分には「法学」が合わないと思い、卒業後の就職先として、映像制作を志し、その頃バイトしていたTBSの報道部の部長にドラマ制作現場を紹介してもらい面接を受けた。1975年、専修大学法学部法律学科卒業後、木下プロダクションと連携しているある番組制作会社に就職した。その当時親や親戚は故郷の山梨県庁に就職するように勧めていたので猛反対されたがそれをバネに努力してきた。 テレビドラマのチーフ助監督になるべく、約4年の下積みの後、1979年、退社してフリーによるテレビドラマの助監督(AD)となり、自己の演出技能を磨くため、当時の民放各局のメイン・ディレクターたちと一緒に仕事をして能力を高め、人脈を築いていった。
菊池 准(きくち じゅん、1951年3月1日 - )は、日本… 菊池 准(きくち じゅん、1951年3月1日 - )は、日本の演出家、作家。東京都出身。 日本大学芸術学部演劇学科を卒業。JOKO演劇学校講師。 こまがね演劇文化創造劇場理事、長崎県大村市市民ミュージカル戯曲講座・演劇講座講師。
中尾 隆聖(なかお りゅうせい、1951年2月5日 - )は… 中尾 隆聖(なかお りゅうせい、1951年2月5日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター、歌手、演出家。本名、竹尾 智晴(たけお ともはる)。かつては本名や南谷 智晴(みなみや ともはる)、中尾 竜生(なかお りゅうせい)名義で活動した。東京都出身。81プロデュース所属。早稲田実業学校を卒業。長男は俳優・声優の竹尾一真。
遠藤 環(えんどう たまき、1951年 - )は、日本の演出… 遠藤 環(えんどう たまき、1951年 - )は、日本の演出家、プロデューサー。元・TBSプロデューサー、一般社団法人日本映画テレビプロデューサー協会理事。2000年代の一時期は「えんたま」名義で活動していた。 1951年東京都生まれ。1975年一橋大学卒、TBS(当時の東京放送、現・東京放送ホールディングス)に入社。制作局に配属されテレビドラマの演出を担当。演出は主に八木康夫や伊藤一尋プロデュースのドラマで担当していた。昭和50年代にはバラエティ制作部門に異動していた時期があり、上司の山田修爾の下で『ザ・ベストテン』を担当した他、『ザ・チャンス!』『ぴったし カン・カン』等の1980年代を代表するTBSの人気バラエティ番組のディレクターも数多く担当した。