浅野 隆志(あさの たかし、1950年12月27日 - )は… 浅野 隆志(あさの たかし、1950年12月27日 - )は、日本の俳優・演出家。大阪府八尾市出身。都城ミュージカルクラブ代表理事。 興國高等学校在学時に演劇部へ入部し、高校3年時にプロの劇団研究所へ入所。高校卒業と同時に、劇団潮流に参加。代表作に「冬の柩」(大阪文化祭賞受賞)。1972年にフリーになって以降は劇団の舞台に出演する傍ら、CM出演や司会業、プロデュース業なども行う。1995年4月に宮崎県都城市へ移住。2009年5月に都城ミュージカルクラブを立ち上げる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
直井 研二(なおいけんじ、1950年9月30日 - )は日本… 直井 研二(なおいけんじ、1950年9月30日 - )は日本のオペラ演出家。 栃木県塩谷郡塩谷村(現塩谷町)東房出身。1950年9月30日、父米一、母マサヱの次男として生まれる。 中学校2学年と3学年の時、TBSラジオ「こども音楽コンクール」独唱重唱の部で二年連続日本一となり、その偉業を称えられ、作曲家、山田耕作賞を授与される。 須賀学園(現在の宇都宮短期大学付属高等学校)音楽科の田淵教諭に気に入られ、縁あって、同高校に入学する。それまで楽器という楽器は習ったことがなく、高校入学後ピアノを猛勉強。当時大変だったと後に語っている。 東京藝術大学音楽学部声楽科に現役合格。声楽家の道へ進むのかと思われたが、大学時代に演出の魅力にひかれ、その道に進もうと思うようになった。
山縣 慎司(やまがた しんじ、1950年8月11日 - )は… 山縣 慎司(やまがた しんじ、1950年8月11日 - )は演出家。元フジテレビジョン社員、元同局ディレクター・プロデューサー。横澤彪班の1人。愛称は「ベースケ」。福岡県北九州市(旧小倉市)出身。大阪府立勝山高等学校・日本大学芸術学部卒業。
松田 秀知(まつだ ひでとも、1950年7月26日 - 20… 松田 秀知(まつだ ひでとも、1950年7月26日 - 2021年9月)は、日本のテレビドラマディレクター、演出家。 大阪芸術大学放送学科卒業後、フジテレビ契約ディレクターを経て1987年共同テレビに入社。共同テレビジョン部長待遇ゼネラルディレクターを経て、大阪芸術大学放送学科教授を歴任。 田村正和、陣内孝則、柳葉敏郎といった俳優と仕事をする機会が多く、近年は特に米倉涼子主演の連続ドラマで4作連続でメイン監督を務めており、その米倉主演の劇場版『交渉人 THE MOVIE』(2010年2月公開)も監督。松田にとって映画の初メガホンとなった。ちなみに米倉とは腹を分かち合って話せる間柄でもあったようで「喧嘩するほど仲が良い」関係だった模様。
井田 邦明(いだ くにあき、男性、1950年7月12日 )は… 井田 邦明(いだ くにあき、男性、1950年7月12日 )は、神奈川県横浜市出身、イタリア・ミラノ在住の舞台演出家・演劇教育者。 * ヴェルディ「椿姫」(1995 東京) * プッチーニ「蝶々夫人」(1994 東京) 文=勅使河原平八(元NHKプロモーション取締役) 撮影=岡村啓嗣
綾田 俊樹(あやた としき、1950年〈昭和25年〉6月13… 綾田 俊樹(あやた としき、1950年〈昭和25年〉6月13日 - )は、日本の俳優、演出家。奈良県出身。奈良県立郡山高等学校卒業、明治大学文学部卒業。ノックアウト所属。劇団東京乾電池の結成メンバー。 オンシアター自由劇場を経て、柄本明やベンガルらと劇団東京乾電池を結成。 バラエティー番組にはほとんど出演しないが、短期間ながらテレビ朝日の深夜番組『グッドモーニング』で大島智子とレギュラー出演していた。
五代目 坂東玉三郎(ごだいめ ばんどう たまさぶろう、195… 五代目 坂東玉三郎(ごだいめ ばんどう たまさぶろう、1950年(昭和25年)4月25日 - )は、歌舞伎役者、日本の俳優、映画監督、演出家。本名は守田 伸一(もりた しんいち)。通名は守田 親市(もりた しんいち)。旧姓は楡原(にれはら)。屋号は大和屋。定紋は花勝見(はなかつみ)、替紋は熨斗菱(のしびし)。歌舞伎名跡「坂東玉三郎」の当代。
渡辺 千明(わたなべ ちあき、男性、本名・山内 千明(やまの… 渡辺 千明(わたなべ ちあき、男性、本名・山内 千明(やまのうち ちあき)、1950年4月19日 - 2021年3月31日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。野田高梧記念蓼科シナリオ研究所理事。 兵庫県出身。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)卒業。1999年『ニーセーター(若者たち)』で第2回日本シナリオ大賞準入選。 父は国文学の大学教授。2人の兄は共に東京大学を卒業し、それぞれ弁護士と公務員になったという一家であるが、本人曰く「25歳になるまでぶらぶらしていた」とのこと。都立立川高校を卒業後、1976年横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に進学。 1978年同校卒業。講師だった田村孟、馬場当、富田義朗の助手を経て、テレビドラマ『からっ風と涙』、映画『夜叉が池』などを手伝う。
舛田 明廣(ますだ あきひろ、1950年2月4日 - )は、… 舛田 明廣(ますだ あきひろ、1950年2月4日 - )は、テレビドラマ・時代劇の演出家(監督)。クレジットが舛田 明広となっている場合もある。父は映画監督の舛田利雄。妹は女優・声優・歌手の舛田紀子。東京都中央区小田原町(現在の築地エリア)出身。1968年に東京都立千歳丘高等学校を卒業、1972年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。
笛田 宇一郎(ふえだ ういちろう、1950年(昭和25年)-… 笛田 宇一郎(ふえだ ういちろう、1950年(昭和25年)- )は、日本の俳優・演出家。 神奈川県鎌倉市出身。神奈川県立湘南高等学校→東京大学英語英米文学科卒業。1976年、早稲田小劇場入団。リア王、ディオニュソスなどを演じる一方、富山県利賀村のサマースクールや海外で俳優の指導に当たる。1980年、池袋アトリエ開場記念公演『絶対値』を構成・演出。1990年〜1992年、水戸芸術館常任演出家として3公演を構成・演出。1995年、第二回読売演劇大賞優秀男優賞受賞。1996年、劇団を退団後、笛田宇一郎演劇事務所を設立。<二十一世紀演劇シリーズ>として3公演、<現在/演劇シリーズ>として3公演、そのほか、『ハムレット/オフィーリア』、『激しく待ち焦がれながら/悪こそは未来』などを構成・演出。
知念 正文(ちねん まさふみ、1950年 - )は、劇作家、… 知念 正文(ちねん まさふみ、1950年 - )は、劇作家、演出家。劇団鳥獣戯画主宰。 東京都で生まれ、横浜市で育つ。早稲田大学教育学部教育学科在学中に向島三四郎らとともに「劇団暫」を結成。のちに「暫」に脚本家・演出家として係わるようになったつかこうへいらと共に活動、1975年石丸有里子らとともに劇団鳥獣戯画創立。現在まで活動を続ける。 主に現代版歌舞伎を得意とする。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
天児 牛大(あまがつ うしお、1949年12月31日 - 2… 天児 牛大(あまがつ うしお、1949年12月31日 - 2024年3月25日)は、日本の舞踏家、振付家、演出家。本名は上島正和。舞踏カンパニー山海塾主宰。勲章は旭日小綬章。全身白塗りと剃髪での舞踏で知られた。1997年よりオペラの演出も手がけた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。
テリー伊藤(テリー いとう、1949年12月27日 - )は… テリー伊藤(テリー いとう、1949年12月27日 - )は、日本の演出家、テレビプロデューサー、タレント、評論家、著作家。本名は伊藤 輝夫(いとう てるお)で、芸名の「テリー」は本名の輝夫にちなむ。東京都中央区築地出身。本籍地は千葉県山武郡横芝光町。身長174cm
生田萬(、1949年8月30日 -)は、日本の劇作家、演出家… 生田萬(、1949年8月30日 -)は、日本の劇作家、演出家。 東京都生まれ。早稲田大学在学中に劇団を結成、寺山修司の市街劇「人力飛行機ソロモン」に出演。1981年に女優で妻の銀粉蝶とともに劇団「ブリキの自発団」を結成、片桐はいりや山下千景などを擁し「夜の子供」などを作・上演、小劇場ブームの一翼を担った。1996年「KAN-KAN」で読売演劇大賞優秀演出家賞、優秀作品賞受賞。その後、一時期は演劇から遠ざかっていたが、2007年に埼玉県富士見市の富士見市民文化会館「キラリ☆ふじみ芸術監督」に就任。さいたま市在住。 フィリップ・K・ディックの影響を受けている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
岡本 章(おかもと あきら、1949年8月22日 - )は、… 岡本 章(おかもと あきら、1949年8月22日 - )は、日本の演出家、俳優。錬肉工房主宰・芸術監督。 奈良県田原本町出身。奈良県立奈良高等学校卒業。1968年に早稲田大学第一文学部に入学。大学在学中に学生劇団「自由舞台」、能楽サークル「観世会」に所属。また舞踏家笠井叡の「天使館」の開館に参加。1971年、自由舞台のメンバーを中心に「錬肉工房」を結成、主宰する。1972年、早稲田大学第一文学部演劇科卒業。 初期より、言葉と身体の関係を問い直し、声や身体性の可能性を探る。また、伝統演劇の能を現代に活かす活動を持続的に行い、さらに現代演劇の枠を超え、能、舞踏、現代詩、現代音楽、現代美術など、多様な芸術ジャンルとの横断的な共同作業を展開する。
森田 光則(もりた みつのり、1949年7月20日 - )は… 森田 光則(もりた みつのり、1949年7月20日 - )は、日本の演出家、テレビプロデューサー。東京都出身。株式会社オスカープロモーション芸音本部ドラマプロデューサー。元職は株式会社ドリマックス・テレビジョンエグゼクティブプロデューサー。他に株式会社クリエーターズ取締役、株式会社アートファイブ代表取締役副社長、財団法人全日本テレビ番組製作社連盟2007年放送文化基金賞審査委員長を務める。成蹊大学卒。
若松 節朗(わかまつ せつろう、1949年(昭和24年)5月… 若松 節朗(わかまつ せつろう、1949年(昭和24年)5月5日 - )は、日本のテレビドラマ演出家・映画監督。 秋田県河辺郡河辺町(現・秋田市)生まれ。秋田市立秋田商業高等学校、日本大学藝術学部放送学科卒業後、TBS系のテレパックに入社。ADを経て『思春期の妻たち』(1984年、フジテレビ)などのテレビドラマを演出。 1986年にフジテレビ系の共同テレビジョンに移籍。局制作が少なかったフジの中でテレパック時代のノウハウを活かし、『あまえないでヨ!』『ラジオびんびん物語』『しゃぼん玉』などのヒットドラマを数々手がけた。 90年代は『振り返れば奴がいる』『お金がない!』『正義は勝つ』など織田裕二の主演ドラマを多数演出し、その縁で2000年、織田主演のアクション大作『ホワイトアウト』で映画監督デビューを果たす。
湊 裕美子(みなと ゆみこ、1949年4月21日 - )は、… 湊 裕美子(みなと ゆみこ、1949年4月21日 - )は、日本の演出家。オフィス100%所属。吉本総合芸能学院(NSC)東京校・大阪校の総合ディレクター。 鳥取県生まれ。帝塚山学院大学卒業。卒業後はNHK大阪放送劇団附属研究所で活動。 1984年、オフィス100%に所属。 1989年、吉本新喜劇の演出家として活動。1500本以上の劇を演出。 2007年、神保町花月の芸術監督として就任。
星田 良子(ほしだ よしこ、1949年(昭和24年)4月1日… 星田 良子(ほしだ よしこ、1949年(昭和24年)4月1日 - )は、日本のテレビドラマプロデューサー、演出家。共同テレビ部長待遇ゼネラルディレクターを務めた。 永田雅一大映社長の側近の一人として活躍した星田陽次郎の子として東京都に生まれる。 聖心女子大学文学部国文学科を卒業する前に、父親の姿を見てきたせいか、どうしても芸能界でモノ作りをして生きていきたい気持ちが強くなり、まず映画界に入ろうとした。しかし、星田の卒業した1972年には映画会社はどこも新入社員を採用せず、新東宝社長だった大蔵貢の紹介でTBSの石井ふく子プロデューサーと知り合い、『東芝日曜劇場』の演出助手のアルバイトを始めた。台本配り、弁当渡し、クルマの手配と何でもやった。
柄本 明(えもと あきら、1948年11月3日 - )は、日… 柄本 明(えもと あきら、1948年11月3日 - )は、日本の俳優、演出家、タレント。愛称は、えもっちゃん、エモアキ。 ノックアウト所属。 東京都中央区銀座(旧:木挽町)出身。東京都立王子工業高等学校機械科卒業。妻は角替和枝、息子は柄本佑、柄本時生。義娘は安藤サクラ(佑の妻)、ほな・いこか(さとうほなみ、時生の妻)。 父親は殿山泰司の小学生時代の親友であった。母方の祖父は東京・銀座で箱屋(芸妓斡旋業)を経営していた。生家が歌舞伎座の裏手にあったこと、映画や演劇好きの両親・家族に囲まれて幼少期を過ごしたことが俳優を志すきっかけとなる。工業高校卒業後は商社に就職したが、俳優に憧れ金子信雄が主宰する劇団「マールイ」の演劇教室の生徒となり、同じ教室にいた松田優作と知り合う。
清郷 流号(きよさと りゅうごう、1948年9月28日 - … 清郷 流号(きよさと りゅうごう、1948年9月28日 - )は、日本の俳優、演出家。埼玉県出身。エ・ネスト所属。旧芸名は清郷 秀人。 身長172cm。体重75kg。専修大学経営学部中退。かつては文学座に所属していた。
川端 槇二(かわばた しんじ、1948年(昭和23年)6月4… 川端 槇二(かわばた しんじ、1948年(昭和23年)6月4日 - )は、日本の俳優、演出家。劇団NLT代表。NPO法人日本オペレッタ協会副理事長。
つか こうへい(本名・日本名:金原 峰雄(かねはら みねお)… つか こうへい(本名・日本名:金原 峰雄(かねはら みねお)、韓国名:金 峰雄(キム・ボンウン、朝鮮語: 김봉웅)1948年〈昭和23年〉4月24日 - 2010年〈平成22年〉7月10日)は、日本で活動した韓国国籍の劇作家、演出家、小説家。 福岡県嘉穂郡嘉穂町(現・嘉麻市)出身。慶應義塾大学文学部哲学科中途退学。★☆北区つかこうへい劇団主宰。生前は東京都北区に在住し、同区の親善大使も務めた。血液型A型。 旧・福岡県嘉穂町牛隈に在日韓国人2世として誕生。三男一女の二男。事業を営む父は慶尚北道青松郡出身。 高校卒業までを筑豊で過ごし、嘉穂町立大隈小学校、嘉穂町立大隈中学校を経て、福岡県立山田高等学校を卒業。
松本 健(まつもと たけし、1948年(昭和23年)4月3日… 松本 健(まつもと たけし、1948年(昭和23年)4月3日 - )は、日本のドラマ演出家、テレビプロデューサー。中央大学経済学部卒業。 1972年(昭和47年)、株式会社木下惠介プロダクションに入社。1993年(平成5年)、テレビ朝日へ移籍。2008年(平成20年)、テレビ朝日を退社。 現在、株式会社エム・エーフィールドにて「シナリオ実践講座」の講師を務める。 この項目は、テレビ番組に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送または配信の番組)。
伊藤 秀裕(いとう ひでひろ、1948年2月29日 - )は… 伊藤 秀裕(いとう ひでひろ、1948年2月29日 - )は、日本の映画監督、脚本家、プロデューサー、演出家である。映画制作会社 株式会社エクセレントフィルムズ代表取締役。CINEMA JACK映画塾 塾長。 1948年(昭和23年)2月29日、秋田県秋田市に生まれる。秋田県立秋田高等学校、東京教育大学を卒業後、電通東芝企画製作室を経て、1973年、日活入社。助監督として、神代辰巳、西村昭五郎らにつく。1979年、『団地妻 肉欲の陶酔』で監督昇進。1982年、フリーとなる。1984年、株式会社ビッグバンを設立し、プロデューサーとなる。平成3年には株式会社エクセレントフィルムズを設立し、三池崇史、渡辺武らの監督作品を発表している。
杉本 博司(すぎもと ひろし、1948年2月23日 - )は… 杉本 博司(すぎもと ひろし、1948年2月23日 - )は、日本の写真家、現代美術作家、建築家、演出家、文化功労者、日本芸術院会員。東京都台東区(旧・御徒町)出身。1970年渡米、1974年よりニューヨーク在住。東京およびニューヨークを活動の拠点としている。 銀座美容商事という美容院専門商品の卸売商店の長男として、東京都御徒町で生まれる。立教高等学校(現:立教新座高等学校)、立教大学経済学部を卒業。夏は家族で伊豆の海に行くことが多く、その途中の真鶴付近の東海道線の車内から初めて海を見た際に水平線の鋭さに衝撃を受け、この水平線を数万年前の人と同じように見ていることに思いを馳せたという。立教中学では鉄道模型に熱中し、鉄道写真を通じて写真との関わりを始めた。
福田 逸(ふくだ はやる、1948年〈昭和23年〉1月31日… 福田 逸(ふくだ はやる、1948年〈昭和23年〉1月31日 - )は、日本の演出家、翻訳家。明治大学名誉教授。国家基本問題研究所評議員。 サウンディングズ英米文学研究会、日本シェイクスピア研究会、日本演劇協会、各会員。元財団法人「現代演劇協会」理事長。父は劇作家・評論家の福田恆存。 神奈川県中郡大磯町出身。恆存の次男として生まれる。 1970年、上智大学文学部英文学科卒業。1973年、同大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了。以後多くの大学・短大の兼任講師を務め、北里大学専任講師・助教授、明治大学商学部字助教授・教授として勤めるかたわら、父の演劇活動を継ぐ。(財)現代演劇協会「創立50周年誌」(平成25年(2013年)9月5日刊行)に拠ると、結成した「劇団雲」の流れを汲む「劇団昴」などで、シェイクスピア作品ほかの訳・演出、多くの翻訳を手掛けている。
壤 晴彦(じょう はるひこ、1948年1月25日 - )は、… 壤 晴彦(じょう はるひこ、1948年1月25日 - )は、日本の俳優、声優、演出家。京都府京都市出身。ヘリンボーン所属。 演劇倶楽部『座』主宰。略字:壌晴彦。かつては麦 草平の芸名でも活動していた。 京都府京都市出身。実家は料亭を経営していた。京都市立堀川高等学校、同志社大学経済学部卒業。 高校時代に惚れ込んだ狂言大藏流、茂山千五郎(現茂山千作・人間国宝)に弟子入りし師事。だがある時、「毎日お狂言の稽古の声が聞こえてくるような環境に育った者が相手では、もうどうにもならない」と考えたことがきっかけで狂言からは離れる。 狂言を離れてからも「芝居はやりたい」という思いがあり、別の側面から興味を持っていたフランス演劇をしようと劇団四季に入団。
木野 花(きの はな、本名;木野目 留美子、1948年1月8… 木野 花(きの はな、本名;木野目 留美子、1948年1月8日 - )は、日本の女優及び演出家。青森県出身。吉住モータース所属。青森県立青森西高等学校、弘前大学教育学部美術学科卒業。身長160cm、血液型はA型。
辻理(つじ まこと、1948年1月1日 - 没年不明)は、日… 辻理(つじ まこと、1948年1月1日 - 没年不明)は、日本の元映画監督、元テレビドラマ演出家、元ゲームクリエイター。長崎県長崎市出身。 1970年、日本大学藝術学部映画学科卒業。卒業後、東映テレビプロダクションに入社する。同期に藤井邦夫がいた。助監督を経て1980年、『特捜最前線』の一編(第178話「男たちのセプテンバーソング!」)で監督デビューを果たす。同番組での演出担当回数は天野利彦に次ぐ第2位。 1981年、東映を退社してフリーランスになる。1986年『時空戦士スピルバン』で初のパイロット監督を担当。以降東映の作品と同時に、主にアクション物を中心に石原プロ、国際放映など他社作品の現場でも活動した。
大森 青児(おおもり せいじ、1948年 - )は、日本のテ… 大森 青児(おおもり せいじ、1948年 - )は、日本のテレビドラマ演出家。映画監督。 岡山県岡山市出身。同志社大学を卒業し、1972年にNHK入社。2006年に退職後、(株)花三代表取締役就任。 2010年には役者育成の「艸星塾」(そうせいじゅく)を立ち上げた(代表)。
伊勢谷 宣仁(いせや のりひと、1948年 - )は、日本の… 伊勢谷 宣仁(いせや のりひと、1948年 - )は、日本の演出家、作曲家、デザイナー、脚本家、アート・コーディネータ、劇場運営・指定管理者研究者で、現在オペラ季節館を主宰。昭和音楽大学・同大学院教授を歴任。イベント学会会員。地域活性学会会員。 北海道網走郡大空町(旧東藻琴村)出身。中学校卒業後網走市に転居。網走向陽高等学校卒。国立音楽大学器楽科を卒業。クラリネットを小笠原長孝、大橋幸夫に師事、声楽を吉沢哲夫、指揮を増田宏三に師事。 大学時代よりオペラ研究会に所属。大学4年の6月次に、当時舞台芸術界に新風を巻き起こした東京室内歌劇場から招請され参画。直後発足間もない文化庁と様々な折衝の中、文化庁芸術祭主催公演ブリテン作曲「真夏の夜の夢」をコーディネートしプロ活動を開始。
藤田 明二(ふじた めいじ、1948年 - )は、テレビ朝日… 藤田 明二(ふじた めいじ、1948年 - )は、テレビ朝日制作2部所属のテレビドラマ演出家、映画監督。 東京都出身。1971年に玉川大学文学部芸術学科を卒業後、テレパックに入社し、制作部に配属される。 1985年に共同テレビ制作部に移籍。数多くのドラマ演出を手掛けた後、2004年末頃にテレビ朝日へ移籍、特に社会派ドラマや恋愛ドラマの演出を手掛ける。2006年に『アジアンタムブルー』で初映画監督を務める。 プロデューサーでは中山和記、俳優では特に田村正和、陣内孝則、米倉涼子と組む仕事が多い。
流山児 祥(りゅうざんじ しょう、本名︰藤岡 祥二、1947… 流山児 祥(りゅうざんじ しょう、本名︰藤岡 祥二、1947年11月2日 - )は、日本の俳優、声優、演出家、プロデューサー。流山児★事務所主宰・芸術監督。一般社団法人日本演出者協会理事長。地域交流部長。全国各地でワークショップを開催。九州・四国・東北の演劇人との交流を積極的に進めている。熊本県荒尾市出身。山口美也子は元妻。 三池炭鉱のある町に炭鉱夫の次男として生まれる。姉と兄がいる。1960年三池闘争の現場を体験する。1962年、父の転職で熊本県荒尾市から上京、千葉県流山市に移り住む。3、4歳の頃、姉が出演していた地歌舞伎『勧進帳』を観て、「面白いな」と思ったのがきっかけで役者を目指した。小学校時代に初めて芝居をしていた。
大和田 伸也(、1947年〈昭和22年〉10月25日 - )… 大和田 伸也(、1947年〈昭和22年〉10月25日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター、演出家、映画監督。 福井県敦賀市出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。早稲田大学第一文学部中退。 三男一女の次男として誕生。 1965年、大学中退後に鈴木忠志が立ち上げた自由舞台に所属。 1968年、劇団四季へ入団。 1972年、朝の連続テレビ小説『藍より青く』でのヒロインの夫役で広く知られる。 1977年、『犬神の悪霊』で映画初主演。 1978年2月に降板した横内正に代わって『水戸黄門』で二代目渥美格之進役に就任し、1982年10月19日の第13部の収録終了をもって降板。 蜷川幸雄演出の『王女メディア』では北大路欣也とダブル主演を務めた(3度再演し海外公演も果たした)。
中山 史郎(なかやま しろう、1947年7月9日 - 201… 中山 史郎(なかやま しろう、1947年7月9日 - 2018年9月8日)は、日本のテレビドラマの監督・演出家である。株式会社ザ・ワークス取締役副社長、株式会社The icon取締役。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1972年早稲田大学第一文学部卒業後、日本テレビに入社。入社後は「たんぽぽ」の演出補(AD)を務める。1980年「池中玄太80キロ」で演出デビュー。 1984年、日本テレビを退社。その後フリーとなり、ザ・ワークスに入社した。
鈴木 一平(すずき かずひら、1947年7月6日 - )は、… 鈴木 一平(すずき かずひら、1947年7月6日 - )は、日本の演出家。千葉県出身。 日本大学芸術学部卒業。東宝の映画部門からテレビ部に移り、テレビドラマ『太陽にほえろ!』メイン監督の竹林進に長らく付いて助監督を務めるなどの経験を経て、同作419話「禁じられた怒り」(1980年)で監督デビュー。竹林が病に倒れた際には、助監督として彼の演出を熟知した経験を買われてメイン監督を引き継ぎ、最終回「そして又、ボスと共に」(1986年)も監督を担当した。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
大久保 昌一良(おおくぼ しょういちろう、1947年7月4日… 大久保 昌一良(おおくぼ しょういちろう、1947年7月4日 - 2011年2月11日)は、日本の脚本家、演出家。本名、大久保 昌一郎(おおくぼ まさいちろう)。福井県福井市出身。 福井県立藤島高等学校、明治大学文学部演劇科を卒業。 高校生時代から映画やドラマの業界の方へ進みたいと思っていた。大学時代は映画研究会に所属。 6つくらいのペンネームを使ってマイナー雑誌に官能小説を書いたり、大道具のアルバイトをしたりしてつないだ後、劇作家の福田善之脚本の映画を観て衝撃を受け、後にその福田と出会って知り合ったのが縁で、福田の元で脚本助手、演出助手を務め、また後に山城新伍と知り合ったのがきっかけで山城主演のコメディ番組『新伍とんでけ捕物帳』(毎日放送)で脚本デビュー。
奈良橋 陽子(ならはし ようこ、1947年6月17日 - )… 奈良橋 陽子(ならはし ようこ、1947年6月17日 - )は、日本のキャスティングディレクター、演出家、映画監督、劇作家、作詞家、英会話教育家である。アップスアカデミー(UPS)代表。モデル・ランゲージ・スタジオ(MLS)会長。 千葉県市川市出身。国際基督教大学言語学専攻卒業。長男は俳優の野村祐人、長女は女優・演出家の米倉リエナ。母方の祖父は関屋貞三郎。元夫はジョニー野村。 父親の奈良橋一郎は外交官で、カナダ・モントリオールにある国際連合の専門機関である国際民間航空機関(ICAO)日本政府代表部に勤務しており、奈良橋も5歳でカナダに渡る。1962年、日本に帰国し聖心インターナショナルスクールを卒業後、国際基督教大学言語学専攻を卒業した。
村上 信夫(むらかみ のぶお、1947年〈昭和22年〉6月6… 村上 信夫(むらかみ のぶお、1947年〈昭和22年〉6月6日 - )は、日本の演出家、プロデューサー。大阪府出身。 1947年、大阪府出身。 1971年、早稲田大学第一文学部卒業。宝塚歌劇団に入団。演出助手として活動。 1979年以降、宝塚歌劇団の演出家として活躍。 1997年に宝塚歌劇団、プロデューサーに転身。宝塚歌劇団のベルリン公演、韓国公演などの制作を担当。また数多くの宝塚の作品を制作する。 2007年、宝塚クリエイティブアーツに入社。宝塚専門チャンネルのタカラヅカ・スカイ・ステージのプロデューサーを担当。2012年に定年退社。以降、宝塚歌劇団卒業生のライブとかのプロデューサーを数多く手がけている。
岡井 直道(おかい なおみち、1947年5月20日 - )は… 岡井 直道(おかい なおみち、1947年5月20日 - )は、日本の演出家。劇団アンゲルス代表。 男子4人兄弟の末っ子として生まれる。1966年、石川県立金沢泉丘高等学校卒業。1971年、金沢大学法文学部卒業。1973年、俳優教室を経て東京演劇アンサンブルの演出部に入団。以後、演出家の広渡常敏に師事し、ブレヒト、チェーホフ、シェイクスピア、木下順二、宮沢賢治等の作品を中心に関わる。 1980年より7年間、京都の劇団京芸に招かれ演出家として数多くの作品を手がける。ブレヒト「夜打つ太鼓」、井上ひさし(翻案)「11ぴきのねこ」、広渡常敏(翻案)「グスコーブドリの伝記」、谷川俊太郎「おばけリンゴ」、梅小路蒸気機関車館で本物の蒸気機関車を使用した「銀河鉄道の夜」の野外公演等を行う。
村石宏實(むらいし ひろちか、1947年3月1日 - 202… 村石宏實(むらいし ひろちか、1947年3月1日 - 2022年3月27日)は、日本の演出家・映画監督。別名は村名 宏美、村名 宏実、村石 ヒロチカ。 東京都出身。東京写真大学(現・東京工芸大学)卒。 1967年、円谷プロダクションに入社し光学撮影部に配属、光学撮影スタッフとして『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』に参加した。『怪奇大作戦』の終了後、番組制作が途切れた際に、特殊技術の大木淳吉から『快獣ブースカ』でチーフ助監督を務めていた大映テレビの松生秀二を紹介され、助監督に転向し『東京警備指令 ザ・ガードマン』へ参加。三船プロダクションや東映などで経験を積み、1973年に自主作品『OH!カオ』で監督デビューする。
松原 敏春(まつばら としはる、1947年2月13日 - 2… 松原 敏春(まつばら としはる、1947年2月13日 - 2001年2月6日)は、岐阜県岐阜市出身の脚本家・作詞家・演出家。慶應義塾大学法学部卒業。1992年、『家族日和'93』で第11回向田邦子賞受賞。 松原敏春が脚本したテレビドラマ、バラエティ番組、舞台演劇は以下の通りである。
河合 義隆(かわい よしたか、1947年1月18日 - 19… 河合 義隆(かわい よしたか、1947年1月18日 - 1990年4月30日)は、日本の映画監督、演出家。映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』の監督。 1947年(昭和22年)生まれ。現在の新潟県上越市出身。 1965年(昭和40年)、錦城高等学校卒業。同年フジテレビに入社 。映画部、演出部を経てドラマ制作に携わる。その後、朝の子供番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」を担当、1971年(昭和46年)にギャラクシー大賞を受賞する。若くしてディレクターに抜擢後はドラマ制作で活躍[要出典]。その後、1981年(昭和56年)にフジテレビを退社してフリーランスとなり 、制作会社「ティンダー・ボックス」を設立。
外波山 文明(とばやま ぶんめい、1947年1月11日 - … 外波山 文明(とばやま ぶんめい、1947年1月11日 - )は日本の俳優、演出家、声優。「椿組」主宰、ジェイ・クリップに業務提携として所属。日本演出者協会会員。 長野県木曽郡南木曽町出身。小さい頃は、小学校や中学校の体育館の移動映画大会で映画を観たり、正月やお盆に近くの岐阜県中津川市で2本立て、3本立ての映画を観たりしていた。その時に映画が好きになり、長野県蘇南高等学校時代は、年間100本くらい、近くの南木曽町の映画館で観ていた。芝居も好きで、村祭りの「どさ芝居」などもよく観に行っており、神社の境内の芝居もワクワクしていたという。 1967年、20歳の時に上京。上京して初めて観ていた演劇は唐十郎の紅テントの「状況劇場」。
松原 信吾(まつばら しんご、1947年1月6日 - 202… 松原 信吾(まつばら しんご、1947年1月6日 - 2022年8月18日)は、日本の映画監督、演出家。 東京都世田谷区出身。早稲田大学第一法学部を卒業後、松竹大船撮影所に助監督として入社。『なんとなく、クリスタル』で監督デビューし、『青春かけおち篇』(1987年)を監督後、松竹を退社。木下プロダクションに移籍しテレビドラマに活動の場を移す。 石飛徳樹は松原が映画で『なんとなく、クリスタル』『青春かけおち篇』『築地魚河岸三代目』の3作しか監督をしていないのは自らの色を見つけられなかったからではないかと考えている。一方でテレビドラマではリアリティのある山田太一作品に参加したことで変わった表現欲求を出さず、裏方に徹して、映画では上手く個性を発揮できなかった松原が山田作品で個性を抑える個性が花開いたと評した。
高平 哲郎(たかひら てつお、1947年1月3日 - )は、… 高平 哲郎(たかひら てつお、1947年1月3日 - )は、日本の編集者・放送作家・劇作家・演出家。 晶文社を創立した小野二郎は義兄にあたる。東京都杉並区出身。 1953年、学習院初等科の試験に落ち、むさしの学園小学校に入学。父は高円寺で産婦人科を営んでいたが大の映画好きで、高平の少年時代、一家は毎週末には銀座か新宿の映画館に出かけて、映画を見ていた。裕福な家庭であったため、1953年の日本テレビ開局の年にはすぐテレビが購入され、高平は落語や演芸も好きとなる。 一橋大学社会学部卒業。 1956年から始まった「東宝ミュージカル」開始とともに、小学生のうちから通いつめ、中学2年生でアチャラカ喜劇の集大成作品『雲の上団五郎一座』を見る。
佐藤 正文(さとう まさふみ、1947年 - 2025年11… 佐藤 正文(さとう まさふみ、1947年 - 2025年11月21日)は、日本の演技トレーナー、演出家、俳優。尚美学園大学芸術情報学部客員教授。山形県出身。 桐朋学園大学演劇専攻科卒業。1970年、劇団俳優座に入団。「安部公房スタジオ」の旗揚げに参加。1979年『仔象は死んだ』に出演、米国5都市を巡演。のちにフリーの俳優となり、俳優座劇場プロデュース、無名塾、地人会などの公演に多数出演。1996年コロンビア大学で開催された安部公房シンポジウムにおいて、演技術・安部公房システムを紹介。1997年シンポジウム・安部公房『演劇の仕事』及びワークショップ『安部公房システム』を旧メンバーとともに主催。2004年、2013年ギィ・フォワシィ演劇コンクールに於いて、演出した『ストレス解消センター行き』が最優秀賞を、2006年には『救急車』が優秀賞を受賞。
松本 雄吉(まつもと ゆうきち、1946年10月10日 - … 松本 雄吉(まつもと ゆうきち、1946年10月10日 - 2016年6月18日)は、日本の演出家、劇団維新派主宰。 1946年、熊本県生まれ。大阪教育大学で美術を専攻。 1968年、「舞台空間創造グループ」を結成。 1970年、維新派を結成。 以降、関西地域を中心に野外をステージにして演劇を行う。 1981年、大阪府堺市に稽古場兼劇場「化身塾」を開設。 1999年、『水街』で大阪府舞台芸術賞受賞。2002年『カンカラ』で朝日舞台芸術賞受賞。 2000年に海外初公演をオーストラリア・アデレードフェスティバルで上演し、以後、ヨーロッパ・南米でのツアーに加え、オセアニアツアー、シンガポールなど海外から多数の招聘に応じた。
伊川 東吾(いがわ とうご、1946年9月26日 - )は、… 伊川 東吾(いがわ とうご、1946年9月26日 - )は、イギリスを拠点に活動している俳優・演出家。