西巻 豊佐久(にしまき とよさく、安政元年(1854年)4月… 西巻 豊佐久(にしまき とよさく、安政元年(1854年)4月23日 - 明治43年(1910年)8月26日)は、日本の実業家、銀行家。横浜正金銀行の幹部として上海・神戸・ロンドン各支店の経営を担い、同銀行の国際金融展開を支えた人物。日本人による初のキリスト教団体「福音会」の創設者の一人でもある。 越後国刈羽郡田尻村(現在の新潟県柏崎市)に生まれる。明治10年(1877年)、志を抱いて渡米し、サンフランシスコで苦学生生活を送りながら学んだ。同地では、美山貫一、小方仙之助らと共に日本人初のキリスト教団体「福音会」を設立した。この福音会は、後の日本プロテスタント史における初期留学生信徒グループとして知られている。
岡 次郎太郎(おか じろうたろう、1854年(安政元年2月)… 岡 次郎太郎(おか じろうたろう、1854年(安政元年2月) - 1929年(昭和4年)9月5日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。鉱山経営者。衆議院議員(1期)。 岡権内の第二子として熊本城下内坪井町(現熊本市中央区内坪井町)に生まれる。藩校に入ったのち岡松甕谷の門に入る。第百五十一国立銀行の創立に尽くし、観光社などの重役を務め、鉱山業を営んだ。1884年(明治17年)大蔵省御用掛となり、翌年、秋田県収税長を任ぜられ1889年(明治22年)10月まで務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では熊本県第4区から出馬し当選。大成会に所属し衆議院議員を1期務めた。
井上 彦左衛門(いのうえ ひこざえもん、1853年11月25… 井上 彦左衛門(いのうえ ひこざえもん、1853年11月25日(嘉永6年10月25日) - 1929年(昭和4年)5月2日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。新聞経営者。大地主。衆議院議員(5期)。幼名は幾次郎。 先代の豪農・井上彦左衛門の長子として、駿河国有渡郡八幡村(安倍郡豊田村を経て現静岡市)に生まれ、1883年(明治16年)3月、家督を相続する。下総の遠藤良規に学ぶが水戸城焼失事件で疑われ投獄される。1873年(明治6年)釈放され帰郷し、1882年(明治15年)野崎銀行創立に参画し取締役兼支配人に就任する。1884年(明治17年)静岡県会議員に当選し1890年(明治23年)まで務めた。
川島 忠之助(かわしま ちゅうのすけ、1853年6月9日(嘉… 川島 忠之助(かわしま ちゅうのすけ、1853年6月9日(嘉永6年5月3日)‐ 1938年(昭和13年)7月14日)は、明治時代から昭和初期に活躍した翻訳家、銀行家(横浜正金銀行東京支店長)である。1878年に『八十日間世界一周』を和訳し、日本で初めてフランス文学を原典から翻訳した人物である(訳書は生涯で3冊のみ)。 1853年(嘉永6年)5月3日、江戸本所(後の東京府東京市本所区、現・東京都墨田区)外手町の御料所の手代、川島奥六知脩の末子として生まれる。 父の赴任に伴い、6歳の頃に飛騨高山に移り住むが、1863年(文久3年)に父が病没した上に明治維新が起こり、扶持を失う。 1868年(明治元年)末、横須賀製鉄所に製図工見習工として就職してフランス語を修めるが、1870年(明治3年)に退職して横浜に出る。
小野 吉彦(おの よしひこ、1853年(嘉永5年12月)- … 小野 吉彦(おの よしひこ、1853年(嘉永5年12月)- 1908年(明治41年)3月3日)は、明治期の銀行家、政治家。衆議院議員。 豊後国大分郡、のちの大分県大分郡豊府村(大分町を経て現大分市南大分)で、小野吉郎の長男として生まれた。 大分郡会議員、同参事会員を務める。1880年(明治13年)大分県会議員に選出され、衆議院議員在任中を除き、1895年(明治28年)まで務め、この間、副議長に2度在任した。1882年(明治15年)立憲改進党の結党に設立準備委員として参画。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(大分県第1区、無所属)では落選したが、1892年(明治25年)2月の第2回総選挙(大分県第1区、弥生倶楽部(自由党))では元田肇に競り勝って当選し、その後、同志倶楽部(同志政社)に所属し衆議院議員に1期在任した。
八田 謹二郎(はった きんじろう、1853年(嘉永6年9月)… 八田 謹二郎(はった きんじろう、1853年(嘉永6年9月) - 1928年(昭和3年)6月22日)は、明治時代の政治家、銀行家、林業家。衆議院議員(2期)。 安芸広島藩領佐伯郡玖島村(広島県佐伯郡佐伯町を経て現廿日市市)で、酒醤油醸造業・先代新七の長男として生まれる。漢学を修め、広島県下の多額納税者に列した。広島県農工銀行監査役、同頭取、八田貯蓄銀行頭取などを歴任した。1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では広島県第2区から無所属で出馬し当選。つづく第2回選挙でも当選した。在任中は中央交渉会に属した。 林業家としては、1万余町に数万株の諸苗を増植、灌漑に努めるなど郷里の農林業に貢献し、その功を賞して1900年(明治33年)緑綬褒章を下賜された。
双木 八郎(なみき はちろう、1853年 - 1923年12… 双木 八郎(なみき はちろう、1853年 - 1923年12月8日)は、日本の政治家、銀行家。 名栗村の柏木家で生まれ、利八郎の養子になった。真能寺村戸長、飯能・久下分・真能寺の三村が合併した連合村の筆生を経て、1889年、飯能町(現・飯能市)の初代町長に就任した。1897年、自治行政の功により藍綬褒章を受けた。1903年頃から、第三十六銀行の監査役、取締役を務める。 1907年、日露戦争銃後の功により勲七等に叙せられた。1908年から2期8年、町長と兼任して埼玉県会議員を務めた。1910年から4年間は小山八郎平と交替したが、1922年に健康上の問題で退任するまで前後あわせて30年にわたり町長を務めた。
米田 武八郎(よねだ ぶはちろう、1852年10月13日(嘉… 米田 武八郎(よねだ ぶはちろう、1852年10月13日(嘉永5年9月1日)- 1919年(大正8年)5月15日)は、明治から大正前期の銀行家、政治家。衆議院議員、広島県会議長。 備後国三谿郡、のちの広島県三谿郡吉舎村(双三郡吉舎村、吉舎町を経て現三次市)で、米田為三郎の長男として生れた。国学、漢学を修めた。1875年(明治8年)11月、家督を相続した。 副戸長、郡書記、町村連合会議員、同議長、広島県会議員、同常置委員、同議長、双三郡会議員、同議長、同参事会員、徴兵参事員、地方衛生会委員、広島県農会議長、双三郡教育会長、所得調査会長などを務めた。 1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙(広島県郡部、無所属)で当選し、衆議院議員に1期在任した。
本間 直(ほんま ちょく、1852年(嘉永5年11月) - … 本間 直(ほんま ちょく、1852年(嘉永5年11月) - 1919年(大正8年)12月12日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家。衆議院議員(3期)。 佐渡国雑太郡、のちの新潟県雑太郡国中村(佐渡郡国中村、新穂村および畑野村(畑野町)を経て現佐渡市)に生まれる。幼くして浮屠氏の門に入り清水寺の住職圓明に従い仏典を修める。のち大和国式上郡初瀬村(式上郡初瀬町、磯城郡初瀬町、現奈良県桜井市初瀬)にある真言宗豊山派総本山の長谷寺に托し修学する。教導となり、本官権訓導、権少講義を経て、1881年(明治14年)還俗し、的場弥三郎と共に初瀬に紡績工場を興した。その後、初瀬村長、初瀬町会議員、同町長を歴任した。
松尾 又雄(まつお またお、1852年(嘉永5年11月)- … 松尾 又雄(まつお またお、1852年(嘉永5年11月)- 1901年(明治34年)8月9日)は、明治期の銀行家、政治家。衆議院議員。 肥後国玉名郡、のちの熊本県玉名郡伊倉村(伊倉町を経て現玉名市)で、豪族、熊本藩士の家に生まれた。 熊本県警部となる。熊本県会議員に選出された。1895年(明治28年)玉名銀行が設立され頭取に就任。また、肥後農工銀行取締役も務めた。 1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(熊本県第2区、無所属)で当選し、衆議院議員に1期在任した。議員在任中の1901年8月に死去した。
立川 興(たちかわ さかん、1852年(嘉永5年10月)- … 立川 興(たちかわ さかん、1852年(嘉永5年10月)- 1906年(明治39年)11月25日)は、明治時代の政治家、銀行家、醸造家。衆議院議員(2期)。 水戸藩の郷士・立川直行の子として常陸国久慈郡太田村(茨城県久慈郡太田町を経て現常陸太田市)に生まれる。父直行は辰介と称していたが次郎左衛門と改名し、金嶺と号した。天保3年正月3日、久慈郡和久村の和田長四郎の長男として生まれ、叔父で常陸太田の豪商の立川邦章の養子となった。藩主徳川斉昭が江戸駒込邸に幽閉されると、同志と共に江戸に向かい斉昭の名誉回復に務め、その後も幕末の志士として奮闘し資金援助を行った。文久3年に里正となり、維新後は戸長を務め、太田銀行を創立し頭取となり、第百四国立銀行の取締役などを務めた。
4代 松木 彦右衛門(まつき ひこえもん、1851年(嘉永4… 4代 松木 彦右衛門(まつき ひこえもん、1851年(嘉永4年11月) - 1921年(大正10年)1月9日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。 弘前城下松森町(弘前松森町を経て現弘前市松森町)で酒造業・松木家に生まれる。1867年(慶応3年)以降、弘前藩御用達となり、ついで松前商社頭取となった。1894年(明治27年)弘前両益銀行を創立し頭取に就任。1898年(明治31年)弘前銀行取締役を経て、のち第4代頭取となる。 そののち弘前電燈発起人筆頭を経て、1899年(明治32年)10月、青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年11月21日から務め、任期途中の1902年(明治35年)6月13日に辞職して、宮本甚兵衛にその職を譲った。
矢田貝 平重(やたがい へいじゅう、1851年 - 1904… 矢田貝 平重(やたがい へいじゅう、1851年 - 1904年〈明治37年〉9月20日)は、日本の醸造家、銀行家、素封家、鳥取県の大地主。矢田貝家2代目。中国貯蓄銀行取締役。 伯耆国会見郡上細見村(のち鳥取県会見郡大幡村大字上細見、西伯郡岸本町大字上細見、現・西伯郡伯耆町大字上細見)出身。屋号を「久良屋」と称し、酒類醸造業を営む。家はもと微々として振るわなかったが、先代が苦心経営を重ねて業務に励精したため富裕となる。平重は父の志を継ぎ、専心酒類の精醸に努める。大地主となり、郡内屈指の富豪家と目される。 矢田貝家は、古くはたたら吹きに関係していたと言われる。近世初期に出雲地方より伯耆国日野郡へ移住し、帰農したと伝えられる。
伊東 熊夫(いとう くまお、1850年1月22日(嘉永2年1… 伊東 熊夫(いとう くまお、1850年1月22日(嘉永2年12月10日)- 1913年(大正2年)5月7日)は、明治時代の政治家・実業家・銀行家。新聞編集者。製茶業者。衆議院議員(1期)。 山城国綴喜郡上村(京都府綴喜郡普賢寺村 、田辺町を経て現京田辺市)で、庄屋、素封家・伊東喜蔵、チカの長男として生まれる。村塾で漢学を学び、その後は和漢の典籍を独学した。1868年(明治元年1月)に家督を相続。1876年(明治9年)ころ 沢辺正脩の田辺校に寄寓し、西川義延や喜多川孝経と共に地方民権や政治について議論を交わした。1878年(明治11年)儒者・山口正養を京都から招聘し田辺町に盍簪家塾を創立し、さらに1881年(明治14年)8月、三山木村に南山義塾を設立し、初代社長に就任した(1881年10月-1883年3月在任)。
左右田 金作(そうだ きんさく、1849年11月23日(嘉永… 左右田 金作(そうだ きんさく、1849年11月23日(嘉永2年10月9日) - 1915年(大正4年)3月26日)は、幕末から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。開港した横浜で両替商を始めて成功し、銀行を興した。 越後の豪農を祖とする左右田金兵衛の二男として、上野国緑野郡鬼石村(群馬県緑野郡鬼石町、多野郡鬼石町を経て現藤岡市鬼石)に生まれる。左右田信二郎の義兄。1872年(明治5年)1月、分家する。 高崎の染絹問屋、鬼石の酒造業者などで奉公したのち、1863年(文久3年)13歳の時、横浜に移り、蚕糸商中里商店で働いたが製糸家を目指して帰郷するも種紙の製造に失敗し、再び横浜に出て、空びん回収や露天商で糊口をしのぐうち、衣類の質入れで作った金で1867年に両替商(ドル屋)「松野屋」を開く。
塩川 幸次郎(しおかわ こうじろう、1849年8月8日〈嘉永… 塩川 幸次郎(しおかわ こうじろう、1849年8月8日〈嘉永2年6月20日〉 - 没年不明)は、日本の銀行家、篤農家、長野県の大地主、長野県多額納税者。佐久銀行監査役。族籍は長野県平民。 長野県北佐久郡三岡村(現・小諸市)出身。長野県平民・塩川幸左衛門の長男。阿部四之助、塩川幸太、塩川賢三、塩川三四郎の叔父である。農業を営み、大地主である。1887年、家督を相続する。佐久銀行監査役である。住所は長野県北佐久郡三岡村(現・小諸市)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
加藤 寛六郎(かとう かんろくろう、嘉永2年5月2日(184… 加藤 寛六郎(かとう かんろくろう、嘉永2年5月2日(1849年6月21日) - 昭和10年(1935年)6月17日)は、幕末の会津藩士、明治時代の地方官吏、警察官、教育者、銀行家である。号は六石。 若松城下に生まれる。藩が戊辰戦争に敗れたのち、青森中学の助教となる。次いで警察官となり、千葉県警察署長に就任。明治9年(1876年)、同藩出身の永岡久茂らが萩の乱に呼応して挙兵を図り千葉へ向う途中で乱闘となり検挙された(思案橋事件)。これは千葉に加藤ら会津藩出身の警察官がいたため、永岡は加藤らの協力を期待して千葉での挙兵を計画したといわれる。 翌年生起した西南戦争において加藤は抜刀隊小隊長となり歴戦している。
江原 芳平(えばら/えはら よしへい、嘉永元年9月12日〈1… 江原 芳平(えばら/えはら よしへい、嘉永元年9月12日〈1848年10月8日〉 - 1928年〈昭和3年〉2月19日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員、群馬県会議員、群馬銀行頭取。幼名は治三郎。 江原家は元々上野国勢多郡河原浜村(現・群馬県前橋市河原浜町)の出で、江戸時代の前半に前橋へ出て米穀商を営み、その2・3代後から醤油醸造業を始めたという。江原家が富豪となったのは芳平の父芳右衛門が横浜開港に伴い生糸業を始めたことによるという。 芳平は上野国群馬郡前橋新町(群馬県東群馬郡前橋町字新町を経て現前橋市)出身。「穀芳」として知られた江原芳右衛門の三男として生まれる。
滝沢 喜平治(瀧澤、たきざわ きへいじ、1848年4月26日… 滝沢 喜平治(瀧澤、たきざわ きへいじ、1848年4月26日〈弘化3年2月13日〉 - 1916年〈大正5年〉7月16日)は、明治から大正時代前期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。地主、肥料商。 滝沢武平の長男として、下野宇都宮藩領塩谷郡桜野村(栃木県塩谷郡氏家町を経て現さくら市氏家)に生まれる。父は穀物問屋を営んだ。1868年(明治元年)庄屋となり、以後戸長を経て、1879年(明治12年)栃木県会議員に当選する。ついで塩谷郡会議員、氏家町長を務めた。氏家きっての大地主で、明治新政府の殖産興業に呼応し、荒地の開墾や多くの会社、銀行に出資し経営に参画した。1872年(明治5年)氏家、上野原を開発・植林し、約600ヘクタールの山林を造成。
青山 庄兵衛(あおやま しょうべえ、1848年2月6日(嘉永… 青山 庄兵衛(あおやま しょうべえ、1848年2月6日(嘉永元年1月2日)- 1912年(明治45年)6月4日)は、明治時代の政治家、銀行家。自由民権運動家。衆議院議員(1期)。幼名は伝太郎。 先代青山庄兵衛の長男として越前国足羽郡東郷村(福井県足羽郡東郷二ヶ村、東郷村、足羽村、足羽町を経て現福井市東郷二ケ町)に生まれる。14、5歳にして儒学を志す。1873年(明治6年)戸長に就任し、在任中に発生した足羽川大洪水では飢餓に苦しむ農民を救うなど復旧に尽力した。1879年(明治12年)県制発布とともに石川県会議員に当選し、のち福井県会議員、足羽郡会議員と歴任した。1882年(明治15年)に杉田定一が北陸自由新聞を発刊すると100余円に及ぶ私財を投じ、1889年(明治22年)には南越倶楽部の代表となり自由民権を唱えた。
臼井 儀兵衛(うすい ぎへえ、1848年1月25日(弘化4年… 臼井 儀兵衛(うすい ぎへえ、1848年1月25日(弘化4年12月20日)- 1904年(明治37年)11月9日)は明治時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。幼名・嘉吉。 相模国三浦郡西浦賀村(浦賀村、浦賀町を経て現横須賀市)で生まれ、同村の米穀商先代臼井儀兵衛の養子となる。養父の死後、17歳で家督を相続した。22歳の時、同村紺屋町に大黒屋を開業し食塩を商い、巨万の富を得た。1879年(明治12年)浦賀町会議員に当選。ほか、浦賀船渠監査役、浦賀銀行頭取、神奈川県農工銀行設立委員などを歴任した。 1899年(明治32年)神奈川県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年5月8日から翌年の9月5日まで在任した。
最上 広胖(もがみ こうはん/ひろみ、1847年11月16日… 最上 広胖(もがみ こうはん/ひろみ、1847年11月16日(弘化4年10月9日) - 1930年(昭和5年)3月17日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 出羽国平鹿郡角間川村(角間川町、大曲市を経て現大仙市)(現秋田県)で地主・角間川六人衆の最上久右衛門の長男として生まれる。福島県中村の二宮漢学塾で学んだ。1880年(明治13年)腐れ米追放のための資金融資を目的とした秋田改良社を設立し、支配人となる。1894年(明治27年)平鹿銀行と改称し、同頭取に就任した。 1897年(明治30年)秋田県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。
8代市島 徳治郎(市島 徳次郎、いちじま/いちしま とくじろ… 8代市島 徳治郎(市島 徳次郎、いちじま/いちしま とくじろう、1847年6月6日(弘化4年4月23日) - 1917年(大正6年)2月26日)は、明治時代の地主、政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。族籍は新潟県平民。幼名は千吉、のち宗輔と称した。第四国立銀行設立者。 越後国蒲原郡天王新田(新潟県北蒲原郡天王新田、天王村、中浦村、福島村、豊浦村、豊浦町を経て現新発田市)出身。1871年(明治4年)以降、新潟県第二十二大区小八区天王新田用掛、同県第二十二大区長、天王村長を歴任する。第四銀行の発起人に名を連ね、1874年(明治7年)初代頭取に就任した。 また、新潟県下第一の大地主であり、1890年(明治23年)には新潟県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1897年(明治30年)9月28日まで在任した。
千葉 禎太郎(ちば ていたろう、1847年4月3日(弘化4年… 千葉 禎太郎(ちば ていたろう、1847年4月3日(弘化4年2月18日)- 1931年(昭和6年)4月21日)は、幕末・明治から昭和時代前期の大地主、政治家、実業家、銀行家。衆議院議員(7期)。 上総国市原郡今富村(千葉県海上村、三和町を経て現市原市)出身。千葉氏の末裔。漢学を修める。1868年(明治元年)里正に就任。1875年(明治8年)千葉県代議人となり、村会議員、郡会議員、郵便局長、小学校長を歴任する。この間、戸長も務めた。1879年(明治12年)県制発布とともに千葉県会議員に当選し、市原倶楽部を設立した。ほか、大日本農会、大日本水産会連合品評会各評議員および協賛会長、千葉県教育会評議員、神国生命保険社長、興業貯蓄銀行、成田鉄道各監査役、千葉県農工銀行頭取、東京米穀取引所理事および監査役などを歴任した。
原川 孫九郞(はらがわ まごくろう、1847年〈旧暦弘化4年… 原川 孫九郞(はらがわ まごくろう、1847年〈旧暦弘化4年〉 - 1901年〈明治34年〉)は、日本の政治家、銀行家、歌人。雅号は寬岡。名の「郞」はJIS X 0208では「郎」と同一の区点が割り当てられていることから、原川 孫九郎(はらがわ まごくろう)と表記されることもある。 静岡県城東郡小貫村戸長、静岡県城東郡佐束村村長(初代)、株式会社佐束銀行専務取締役などを歴任した。 遠江国出身の政治家である。小貫村においては戸長を務め、佐束村においては村長に選任されていた。佐束山への植林に尽力し、豊かな美林を育てた。また、銀行家としての一面も持っており、佐束銀行で取締役を務め、地域経済の振興に努めた。
吉田 三右衛門(よしだ さんえもん、1847年(弘化4年9月… 吉田 三右衛門(よしだ さんえもん、1847年(弘化4年9月) - 1943年(昭和18年)8月23日)は、明治から昭和時代前期の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。京都府天田郡福知山町長。 丹波国天田郡福知山菱屋町(現京都府福知山市菱屋)に生まれる。先代の兄三右衛門の早逝により家督を相続する。1886年(明治19年)福知山銀行頭取に就任。ほか、福知山町会議員、同町長、京都府会議員を歴任した。 1890年(明治23年)京都府多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1897年(明治30年)9月28日まで在任した。
飯淵 七三郎(飯渕、いいぶち しちさぶろう、1846年11月… 飯淵 七三郎(飯渕、いいぶち しちさぶろう、1846年11月8日(弘化3年9月20日)- 1926年(大正15年)4月20日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 素封家・飯淵藤七の長男として陸奥仙台藩領柴田郡船岡村(船岡町を経て現柴田町)に生まれる。1874年(明治7年)11月、家督を相続した。1879年(明治12年)船岡村会議員に当選。翌年、宮城県会議員となる。1893年(明治26年)久保寺豊太郎から仙台の日進学舎を買収し、同校の改革に努めた。ほか、柴田郡会議員、同議長代理などを歴任した。また、農家の指導啓発に尽力するとともに、船岡村農会を設立して肥料購入、資金融資の便宜を図った。
12代 稲葉 市郎右衛門(稻葉 市郎右衞門、いなば いちろう… 12代 稲葉 市郎右衛門(稻葉 市郎右衞門、いなば いちろうえもん、1846年9月14日(弘化3年7月24日)- 1915年(大正4年)7月8日)は、丹後国熊野郡久美浜村(現・京都府京丹後市)出身の地主・銀行家・政治家。衆議院議員。幼名・正吉、元服後は新一郎。稲葉市郎右衛門英裕(いなば いちろうえもんひでひろ)とも呼ばれる。 弘化3年7月24日(1846年9月14日)、丹後国熊野郡久美浜村(京都府熊野郡久美浜村、久美浜町を経て現京丹後市)に生まれた。父は地主である11代稲葉市郎右衛門太訓(餘庵)、母はりうであり、二男だった。稲葉家は糀屋を屋号とし、廻船業や金融業で富を成した豪商である。幼少期から出石藩の儒学者である島村弘輔と土岐新之丞に漢学を学んだ。
海野 謙次郎(うんの けんじろう、1846年5月2日(弘化3… 海野 謙次郎(うんの けんじろう、1846年5月2日(弘化3年4月7日)- 1913年(大正2年)10月16日)は、幕末から明治期の大庄屋・銀行家・政治家。衆議院議員、三重県会議長。 伊勢国安濃郡粟加村(三重県安濃郡明合村大字粟加村、協和村、安濃村、安芸郡安濃村、安濃町を経て現津市安濃町粟加)で生まれる。津藩士・野田竹渓に師事し漢学を修めた。大庄屋役を務める。 廃藩置県後、小区戸長に就任。安濃郡書記、明合村会議員、所得税調査委員、所得税審査委員などを務める。1880年(明治13年)11月、三重県会議員に選出され1900年(明治33年)3月まで在任し、この間、同常置委員、同副議長、同議長(4期)なども務めた。
高橋 徳右衛門(たかはし とくえもん、1845年6月20日(… 高橋 徳右衛門(たかはし とくえもん、1845年6月20日(弘化2年5月16日) - 1915年(大正4年)4月28日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家、大地主。貴族院多額納税者議員。幼名・幸治郎。 陸奥仙台藩領栗原郡若柳村(宮城県若柳町を経て現栗原市)に生まれる。1884年(明治17年)若柳村会議員に当選。ついで宮城県会議員、栗原郡会議員、同参事会員のほか、栗原郡岩ヶ崎製糸会社社長、塩釜水産、第八十八銀行各取締役、第七十七銀行監査役などを歴任した。ほか、仙台米穀取引所の設立に関与した。 1900年(明治33年)宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年11月29日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。
三宅 正意(みやけ せいい、1845年5月14日(弘化2年4… 三宅 正意(みやけ せいい、1845年5月14日(弘化2年4月9日) - 1921年(大正10年)3月29日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。衆議院議員(1期)。 士族・三宅如雪の長男としてのちの宮崎県延岡市に生まれ、1871年(明治3年12月)家督を相続する。私塾に学んだのち東臼杵郡書記を経て宮崎県属となった。ほか、延岡銀行頭取、日州銀行、日州貯蓄銀行、宮崎農工銀行各取締役を歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では宮崎県第3区から出馬し当選。弥生倶楽部に所属し衆議院議員を1期務めた。
7代 遠藤 嘉右衛門(えんどう かえもん、1844年10月2… 7代 遠藤 嘉右衛門(えんどう かえもん、1844年10月2日(弘化元年8月21日)- 1914年(大正3年)11月29日)は日本の地主、銀行家、政治家。貴族院多額納税者議員、遠藤嘉右衛門家7代当主、旧姓・神田。 のちの島根県で神田助左衛門の二男として生まれ、簸川郡今市町(現出雲市)の地主、6代・遠藤嘉右衛門の養子となる。後に家督を継承し嘉右衛門を襲名した。 1877年以降、島根県会議員、簸川郡会議員などを務め、補欠選挙で当選し1911年6月2日、貴族院多額納税者議員に任じられ、同年9月28日の任期満了まで一期在任した。その他、簸川銀行頭取などを務めた。 公益事業にも関心が高く、災害救援、貧民救済、公衆衛生・学校建設・道路修繕事業などに多額の寄付を行った
靑野 卯吉(あおの うきち、1844年4月30日〈旧暦弘化元… 靑野 卯吉(あおの うきち、1844年4月30日〈旧暦弘化元年3月13日〉 - 1907年〈明治40年〉4月18日)は、日本の銀行家、政治家。姓の「靑」は「青」の旧字体であるがJIS X 0208に収録されていないため、新字体で青野 卯吉(あおの うきち)とも表記される。 株式会社土方銀行頭取、静岡県小笠郡土方村長などを歴任した。 遠江国出身の銀行家である。土方銀行で頭取を務め、地域振興に努めた。また、土方村においては村長に選任されていた。村境にある風吹峠が交通の難所となっていたため、これを解消すべく風吹トンネルの開通に尽力した。 1844年4月30日(旧暦弘化元年3月13日)、遠江国城東郡入山瀬村にて生まれた。
関矢 孫左衛門(せきや まござえもん、1844年3月12日(… 関矢 孫左衛門(せきや まござえもん、1844年3月12日(弘化元年1月24日) - 1917年(大正6年)6月21日)は、明治時代の政治家、銀行家、実業家。衆議院議員(1期)。北海道開拓者。号・道菴、北海道人。 越後国刈羽郡新道村(新潟県刈羽郡日高村、高田村を経て、現柏崎市新道)出身。飯塚七十郎の子として生まれ、1858年(安政5年)魚沼郡並柳新田(新潟県北魚沼郡並柳村、下条村、広瀬村、広神村を経て現魚沼市)の関矢家の養子となった。戊辰戦争では居之隊に属して新政府軍とともに各地に転戦した。西南戦争にも従軍した。 1870年(明治3年)帰郷後、大区長に就任。のち三等警部、地租改正御用掛、北魚沼郡長兼南魚沼郡長を歴任する。
網野 善右衛門(あみの ぜんえもん、1843年2月9日(天保… 網野 善右衛門(あみの ぜんえもん、1843年2月9日(天保14年1月11日) - 1926年(大正15年)4月18日)は、明治時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 雨宮彦兵衛の二男として甲斐国東八代郡祝村(現・山梨県甲州市)に生まれる。1865年(慶応元年)同郡錦村の網野治郎右衛門の養子となり、1870年(明治3年)2月、家督を相続する。1872年(明治5年)11月、同村戸長に就任し、ついで八代郡第四区第五区蚕種製造世話掛、錦村副戸長、八代郡第五区長兼学区取締役、学区取締総理、学事会員嘱託を経て、1882年(明治15年)9月に錦村村会議員に当選した。 1884年(明治17年)9月、東八代郡錦生学校教育連合会議員に転じ、英村錦村所得税調査委員、東八代郡会議員、同郡参事会員、同郡所得税調査委員補欠などを経て、1902年(明治35年)1月、山梨県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年1月10日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。
原 六郎(はらろくろう、天保13年11月9日(1842年12… 原 六郎(はらろくろう、天保13年11月9日(1842年12月10日) - 昭和8年(1933年)11月14日)は、日本の幕末から大正期の志士、軍人、銀行家、実業家。 但馬国佐中村(現・兵庫県朝来市)出身。もとの名は進藤俊三郎長政といい、生野の変で敗れ潜伏中に、原六郎と改名。 鎌倉時代より続く但馬国佐中村の大地主・進藤家の第22代目当主・丈右衛門長廣の六男四女の末っ子として生まれる。 11歳のころ、池田草庵の私塾・青谿書院に入門し、北垣国道、西村哲二郎らとともに学ぶ。池田草庵門下には、ほかに浜尾新(元東宮侍従浜尾実の祖父)、河本重次郎らがいる。 当時、尊皇攘夷派の活動が盛んであり、尊皇攘夷論を唱えるようになる。
原 弘三(はら こうぞう、1841年1月21日(天保11年1… 原 弘三(はら こうぞう、1841年1月21日(天保11年12月29日)- 1915年(大正4年)7月30日)は、幕末の僧、明治期の公吏・政治家・銀行家。衆議院議員。幼名・僧云(そううん)。 越中国新川郡塚原村(石川県上新川郡塚原村、富山県上新川郡新保村、富南村を経て現富山市塚原)で、浄土真宗本願寺派教順寺・9世玄正(げんしょう)の長男として生まれた。京都の真宗学林(現龍谷大学)、高岡の野上文山の待賢堂、豊後国日田の咸宜園で学んだ。1868年(明治元年)還俗して原弘三を名乗り、東京湯島の亀谷省軒塾に入る。富山藩改革派林太仲と知り合う。 1870年(明治3年9月)太仲が富山藩大参事に就任すると、原も権小属となり、同年12月19日(同3年閏10月27日)に発せられた「合寺令」に基づき藩内400余カ寺を一宗一寺に合併を強行した(富山藩合寺事件)。
梅原 修平(うめはら しゅうへい、1837年(天保8年3月)… 梅原 修平(うめはら しゅうへい、1837年(天保8年3月) - 1910年(明治43年)1月28日)は幕末から明治時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。別名・太郎兵衛、諱は経忠、号は王渓。脩平の表記もあり。 相模国大住郡尾尻村(南秦野村、南秦野町を経て現秦野市)の名主で醸造業を営む梅原太兵衛の子。林靏梁に漢学を、武蔵町田の小沢安斎から和学を、平戸の萩原太郎に剣術を学び、昌平坂学問所でも学んだ。邸内に道場を設け、青少年に剣術と和漢学を教えた。名主役、戸長を経て、大住、淘綾両郡の区長を務めた。ほか、南秦野村会議員、神奈川県農工銀行、共伸社各頭取を務めた。 1890年(明治23年)神奈川県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1897年(明治30年)9月28日まで在任した。
稲田 又左衛門(稻田 又左衞門、いなだ またざえもん、183… 稲田 又左衛門(稻田 又左衞門、いなだ またざえもん、1834年3月1日(天保5年1月21日)- 1910年(明治43年)3月3日)は、幕末の大村藩家老、明治期の政治家・銀行家。衆議院議員、長崎区長。諱・凞孚。通称・才八郎、東馬、又左衛門。 肥前国彼杵郡大村(現長崎県大村市)で、大村藩士の家に生まれ、19歳で同藩士・稲田中衛の養子となる。藩校五教館で学んだ。1854年(安政元年)中小姓に任じられた。以後、諸稽頭取、近習番頭、御用人、長崎御用懸、家老兼烈山隊参謀、吾往隊大隊長、大村藩権大参事などを歴任。藩主大村純熈を補佐した。 廃藩置県後、西彼杵郡大串村に転居した。第二中学大区取締、第十一大区区長、兼第十三大区区長を歴任。
清瀬 善三(きよせ ぜんぞう、1833年6月26日(天保4年… 清瀬 善三(きよせ ぜんぞう、1833年6月26日(天保4年5月9日 )- 1912年(明治45年)7月4日)は、明治期の醸造家・銀行家・政治家・慈善家。貴族院多額納税者議員。幼名・秀吉。慈善事業にも資金を提供した。 豊前国宇佐郡四日市村(大分県宇佐郡四日市村、四日市町を経て現宇佐市四日市)で醸造業・清瀬亀助の六男として生まれた。敷田年治(吉松伊勢守)から読書算術習字などを学んだ。父からその優れた資質を見込まれ、1855年(安政2年6月)に家督を相続した。 1856年(安政3年)四日市の宿役に就任。その後、里掌、四日市村戸長を務め、1879年(明治12年)四日市村会議員に選出され、同町会議員、宇佐郡会議員なども務めた。
長谷川 直則(はせがわ なおのり、1833年6月22日(天保… 長谷川 直則(はせがわ なおのり、1833年6月22日(天保4年5月5日) - 1896年(明治29年)5月4日)は、幕末から明治時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 豪商・佐藤伊兵衛の四男として出羽国村山郡天童(山形県東村山郡天童町を経て現天童市)に生まれ、のち長谷川吉内の養子となる。山形藩主秋元家に仕えたのち、実業界に入り、1888年(明治21年)7月には第八十一国立銀行頭取に就任した。ついで翌年5月、山形市会議員に当選し、所得税調査委員、山形興業幹事を経て、1890年(明治23年)山形県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1895年(明治28年)12月7日まで在任した。
吉田 耕平(よしだ こうへい、1831年10月15日(天保2… 吉田 耕平(よしだ こうへい、1831年10月15日(天保2年9月10日) - 1905年(明治38年)6月4日)は、明治時代の政治家、銀行家。衆議院議員(1期)。 吉田詠甫の子として美濃高須藩領石津郡高須町(岐阜県下石津郡高須町、海津郡高須町、海津町を経て現海津市)に生まれる。漢学、和歌、茶道を修める。学区取締、地租改正掛を経て、1879年(明治12年)4月、岐阜県会議員に当選。同議長を歴任し、1881年(明治14年)1月、病のため辞した。その後、1884年(明治17年)に再び県議となった。ほか、第七十六国立銀行を興し同頭取を務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第3区から出馬し当選。
九代 久次米 兵次郎(くじめ ひょうじろう、1829年6月1… 九代 久次米 兵次郎(くじめ ひょうじろう、1829年6月12日(文政12年5月11日) - 1913年(大正2年)3月3日)は、日本の銀行家。藍商人(染織家)。阿波国名東郡新居村(現・徳島県徳島市不動北町)出身。幼名は国太郎。 1829年(文政12年)に阿波藍商人である八代久次米兵次郎・義簡の子として生まれる。1869年(明治2年)、40歳で家督を相続し九代久次米兵次郎を名乗る。 1879年(明治12年)に一族が築き上げてきた経済力を基に名東郡船場町(現徳島市西船場町)に日本で6番目の私立銀行である久次米銀行(後の阿波銀行)を設立。資本金は50万円で、当時は三井銀行に次いで第2位の規模であった。
若尾 逸平(わかお いっぺい、文政3年12月6日(1821年… 若尾 逸平(わかお いっぺい、文政3年12月6日(1821年1月9日) - 大正2年(1913年)9月7日)は日本の実業家・銀行家・政治家。貴族院議員、初代甲府市市長。従六位。 根津嘉一郎・雨宮敬次郎らとともに、郷土意識で緩やかな資本連合を持ち、中央経済界で影響力を持った甲州財閥と呼ばれるグループのひとりで、若尾家はその中核にあたる。 甲斐国西郡筋在家塚村(現在の山梨県南アルプス市在家塚)に生まれる。生家は百姓で、父は若尾林右衛門。逸平は長男。若尾逸平の来歴や逸話などは、1914年に内藤文治良の記した伝記『若尾逸平』に記されている。十代の頃、江戸に出て材木奉行の清水新右衛門に仕えたもののうまくいかず帰郷。
内池 佐太郎 は、日本の銀行家。東邦銀行頭取を務めた。福島県… 内池 佐太郎 は、日本の銀行家。東邦銀行頭取を務めた。福島県出身。
井上 實 は、日本の銀行家。東京銀行頭取を務めた。
林 敬治 は、日本の銀行家。大垣共立銀行頭取を務める。
高谷 英城 は、日本の銀行家。津軽銀行取締役や青森銀行頭取を… 高谷 英城 は、日本の銀行家。津軽銀行取締役や青森銀行頭取を歴任した。
前田 肇 は、日本の銀行家。百五銀行頭取を務めた。
田村 達也 は、日本の銀行家。日本銀行理事、A.T.カーニー… 田村 達也 は、日本の銀行家。日本銀行理事、A.T.カーニー・ジャパン会長を歴任した。